Lachezar Dragostinov アメリカ 280mm M65 Atomic Cannon

伸びすぎた庭木の枝を切ろうと、高枝切りバサミをぶん回してあっちをチョキリ、こっちをチョキリ、と一時間も奮闘してたら慣れない力仕事で今も腕がプルプルしてる筆者がお送りする世界のカードモデル最新情報。今回紹介するのはLachezar Dragostinov氏デザインの280mm M65 Atomic Cannon だ。

lhv_us_280mm_m65_atomic_canon-cover.jpg

28センチ砲キタコレ! カードモデル界、今年のトレンドは28センチ砲か。
デザインしたLachezar Dragostinov氏は自分のページは持っていないようだが、facebookの情報ではブルガリア在住の方らしい。
氏はいくつかのカードモデルショップにモデルの提供を行っているが、今回はおなじみEcardmodels版での紹介だ。

lhv_us280mm_m65_atomic_canon_1.jpg

今回は写真多めなので完成見本写真が早々登場。写真は白色モデルだが、これがテスト組みだからなのか、それともキットも白色モデルなのかはちょっとわからなかった。しかしデジタル販売なので、なんなら自分で展開図に着色してしまえば問題ないだろう。
迫力の大口径砲だが、28センチ砲を25分の1の陸モノスケールでキット化なんてしようものなら、「完成品は静岡ホビーショーに置いてきなさいね」と奥方に言われかねない巨大さになってしまうのでスケールは48分の1。Dragostinov氏は他にもドイツ軍軽装甲車SdKfz 222やイタリア軍軽戦車L6/40、スウェーデン軍Sタンクなども48分の1でキット化している。

lhv_us280mm_m65_atomic_canon_2.jpg lhv_us280mm_m65_atomic_canon_3.jpg

48分の1というと、カードモデルでは「ミニスケール」と言ってもいいスケールだが侮ることなかれ、キットは細かい部分ディティールまでしっかりと再現されており、決して雰囲気だけの「イージーキット」ではない。

さて、この28センチ砲、ただの28センチ砲ではない。タイトルでもわかる通り、M65は核砲弾を発射するために開発されたある意味「究極」の火砲なのである。

1949年、米軍は「都市を戦略爆撃するだけじゃなくてさ、敵部隊に向かって大砲でドカーンと核兵器を打ち込んだら超強くね?」なんていう、終夜営業のファミレス明け方4時ごろのノリで凄い兵器を思いついた。現代の我々からするとアホかこいつら、という感じだが、優勢なソ連地上軍に対抗するにはこれしかないと当時は真面目に思ったのだろう。アホみたいだが。
このアホみたいなプランを押し付けられたのが1880年設立の陸軍兵器研究所、ニュージャージー州のピカティニー・アーセナルであった。ここはもともと大砲の開発はやっておらず、火薬、爆薬の研究が専門だった(ちなみに1926年に落雷で爆薬に引火して三日三晩、爆発し続けた事がある)。
そんな研究所に、なぜ今回だけ大砲の開発が命じられたのか理由は良くわからない。最初、爆薬の専門集団だから「核砲弾」の開発とセットなのかと思ったが、核砲弾の方は当然ながらロス・アラモス研究所が設計を受け持ってるんでそういうわけでもないらしい。あるいは、単に一晩寝てスッキリしたら「専用の大砲で核兵器打ち込むとか、ないわー超ないわー」と気づいてテケトーにヒマそうな所に命じただけかもしれない。

そんな感じでイマイチ本気なんだかなんなんだか良くわからない兵器だったが、ピカティニー・アーセナルのロバート・シュワルツはドイツ軍の列車砲を参考にこの前代未聞の兵器のデザインを仕上げた。特にデザインの参考とされたのはクルップK5E、いわゆる「レオポルド」列車砲だという。そのため、M65はアンツィオ上陸作戦時に連合軍を苦しめた2門のK5Eに連合軍が捧げたあだ名「アンツィオ・アーニー」になぞらえて「アトミック・アーニー」とも呼ばれた(アンツィオのK5Eは、1門が「アンツィオ・アーニー」、もう1門を「アンツィオ・エクスプレス」と呼んだとする資料と、2門まとめて(両方とも)A.アーニー、あるいはA.エクスプレスと呼んだとする資料がある。連合軍側がどちらの砲が発砲したか知る術はなかっただろうから、個人的には後者の方が正しいような気がする)。

当初、M65の設計は口径24センチで開始された。これは当時米陸軍が保有していた最大の火砲が24センチ砲M1榴弾砲だったので、M1の通常砲弾も使用できるようにしたかったのか、あるいは弾薬運搬車などを共用にしたかったためだろう。しかし、どうやら核砲弾は口径28センチ以下に収まりそうにないということが途中で判明し、試作1門だけが24センチで完成し、残る量産型は28センチ砲として整備された。

lhv_us280mm_m65_atomic_canon_6.jpg

砲身を後座させ、トレーラーに吊り下げられた移動状態のM65。今回のキットはこの前後トレーラーもキットに含まれるが、完成後に移動状態/射撃状態を切り替えられるのかは不明。基本的には吊り下げているだけであり、実車は15分で移動状態/射撃状態を切り替えられたというからこのサイズの火砲としては驚異的な機動力と言えるだろう。吊り下げた感じは「レオポルド」というよりも、60センチ自走迫撃砲「カール」に近い雰囲気だ。

lhv_us280mm_m65_atomic_canon_13.jpg lhv_us280mm_m65_atomic_canon_16.jpg

前後トレーラーにクローズアップ。それぞれが375馬力を発揮する2台のトレーラーは何かの流用ではなく、M65運搬用に新たに設計された専用車輌。生産はトラックメーカーのケンワースが担当したようだ。

lhv_us280mm_m65_atomic_canon_25.jpg lhv_us280mm_m65_atomic_canon_17.jpg

タイヤのトレッドパターン、プロペラシャフトとギヤケースなどのシャーシ・メカもしっかり再現されており、こちらもミニスケールながら妥協のない仕上がりとなっている。

1953年5月25日午前8時30分(現地)。
アップショット・ノットホール作戦で行われた11回の核実験の10番目、グレイブル実験で実際にW9核砲弾がM65から発射された。この際の動画はYoutubeなどで「Atomic Cannon」で検索をかけると見ることができる。
この時発射されたW9核砲弾は実験用の「弱装弾」などではなく、実戦用のフルスペックの物が使用された。
核出力は約15キロトン。これは広島に投下された核爆弾の出力とほぼ等しい。米軍はこの砲弾を押し寄せるソビエト地上軍に対してドカドカと撃ちまくるつもりだった。
広島、長崎への核爆弾投下からわずか8年で、核兵器はここまで来てしまった。
米軍はこの後、より小型化した核砲弾を開発し、通常の203ミリ自走榴弾砲からも核兵器を発射できるようにしている(155ミリ砲用核砲弾は開発中止となった)。

わざわざ言うまでもないが、核砲弾が実戦で使用されることはなかった。核砲弾の発射実験もその後行われておらず、1953年に行われたグレイブル実験が米国において(おそらく、世界でも)最初の、そして唯一の火砲による核兵器の発射となった(米軍は後に「核迫撃砲」とも言われる「デイビー・クロケット」で核出力20トンの超小型核兵器の発射実験を行っているが、これは砲身の先に差し込んだ核兵器を空砲で飛ばすもので、「火砲(キャノン)による発射」には含まれない)。
20門が生産されたM65は西ドイツ、韓国に配備されたが、先制攻撃により制圧されてしまうことを避けるために常に配置場所は変更されていたという。
しかし、さらに小型の核砲弾が自走砲から発射できるようになるとM65は唯一の「核火砲」ではなくなってしまい、そうなると超重砲としてはスピーディーとは言え発射体勢への移行に15分かかるのは展開速度の早い現代戦には不向きであった。
また、中距離、短距離ミサイルの進歩により射程が短い(敵の攻撃を受けやすく、発射した部隊やそれを守る部隊が被曝しやすい)「核火砲」そのものが時代遅れとなってしまう。
結局、M65は採用からわずか10年後の1963年には一線から引退することとなった。これは火砲としては非常に短い寿命と言っていいだろう。
M65はたった20門しか作られなかったが、その迫力ある姿がウケるためか7門も現存している(バージニア州戦争博物館の1門は24センチの試作型)。このうち、オクラホマ州米陸軍砲兵博物館に展示されている1門が、グレイブル実験で砲弾を発射した砲である(前後のトラクターは事故で失われたため、別の砲の物が繋がれている)。

Lachezar Dragostinov氏デザインの アメリカ 280mm M65 Atomic Cannon は48分の1でのリリースだが、このスケールでも前後のトラクターをつなげると完成全長は50センチを超えるビッグなキット。定価はEcardmodelsで23.5ドルとなっており、これはデジタルリリースの個人製作キットとしてはちょっと高目の印象を受けてしまうが、28センチ砲とトラクター2両の3点セットだと考えればかなりお手頃な価格と言えるだろう。そして難易度は5段階評価の「4」(難しい)となっている。

冷戦とソビエト地上軍に対する恐怖が生み出した「究極の火砲」M65。
火砲ファンのモデラーなら、この進化の袋小路に入り込み滅びた「怪物」の姿を記憶に留めるため、当キットの購入を検討してはいかがだろうか。



画像はEcardmodelsからの引用。


参考ページ:
https://ja.wikipedia.org/wiki/M65_280mmカノン砲
https://ja.wikipedia.org/wiki/W9_(核砲弾)
https://ja.wikipedia.org/wiki/アップショット・ノットホール作戦
それぞれの英語版も参考とした。

テーマ : 模型・プラモデル・フィギュア製作日記
ジャンル : 趣味・実用

2017静岡ホビーショー閉幕

20170515_01.jpg

第56回静岡ホビーショー並びに第28回モデラーズクラブ合同作品展、今年もつつがなく終了。2日の間、どっぷりと模型祭りの空気に浸る全身模型浴を楽しんでまいりました。

20170515_02.jpg

まずは毎年恒例、自衛隊の展示車両。今年はなんと最新鋭の16式機動戦闘車(試作型)が登場。うーんカッチョいい。

20170515_03.jpg

紙模型工廠のブースでは千榛さんのK5E28センチ”レオポルド”列車砲(GPM)がお出迎え! 完成させるだけでも色々と大変そうなキットながらしっかりかっちりした仕上がりはさすが。

20170515_04.jpg

一方、うちの過去作連中の尻。Su-76i(MODELIK)は少し天井の小物にダメージが。TigerP(WAK)は足回りがヘタってたのを補強してきました。こいつは例年通りの触ってもらう用キット。

20170515_07.jpg

それから、厚紙で芯を作って~の構成説明用に持ってきたT-26。今年度こそ公開まで持っていきたいです……

20170515_05.jpg

Tigerの砲身の先に見えたのはドッペルさんのAnders(MODEL-KOM)。左奥には紙中さんの12トンハーフトラック+88ミリFLAK(GPM)も見えてます。

20170515_10.jpg

二日目に少しレイアウトを変えた後で仲良く並ぶ3輌。Anders って、こんなでっかい車輌だったんだ。
写真の左側で光ってるのはなにかと言うと……

20170515_08.jpg

紙中さんのルクス(W.M.C.)の車体下面を見るための鏡。上からみた時点でかなりなクオリティが伝わってきますが、

20170515_09.jpg

普通なら見えなくなる車体下面もこのクオリティ&この難易度。

20170515_06.jpg

紙中さんは今回、Fw-190A-4(Halinski)も展示。どれもさすがのクオリティ。

20170515_11.jpg

ペーパーモデル工廠代表代行、ナオさんの展示はMe262夜戦型(GPM)。かなりの難物だったそうですが、あのオムスビ断面の形状がきれいに表現されています。

20170515_12.jpg

ナオさんはヴェスペ(GPM)も展示。小粒でもオープントップなのでピリリと技能の光る仕上がり。

20170515_13.jpg

まだまだ傑作の数々を紹介し尽してはいないのですが、写真がマズかったりキャプション撮り忘れてたりでとりあえずここまで。
ブースで拙作を見ていただいた方、ありがとうございました。
本年度もまたよろしくお願いいたします。

テーマ : 模型・プラモデル・フィギュア製作日記
ジャンル : 趣味・実用

RPG-7、完成はしたものの……

今季は本業の方がバタバタしていて細かい作業をやってる時間が取れなかったんですが、ここは一ついままでやったことのないジャンルの基礎技術を習得しようと paper-replika.comさんのRPG-7 を作らせていただきました。

RPG7_1.jpg

ドーン。
後ろの窓が明るすぎて、なんかモッサリした画像になってしまいました。

RPG7_3.jpg

弾頭まで含めて、だいたい長さ120センチぐらい。大柄な艦船ぐらいあります。
この大きさだと机の上に乗らないんで、作業手順を考えないと余計な苦労ばかり増すことに……

RPG7_2.jpg

キットは構成するパーツが多い割に補強が少なく、後で持って遊びたい派の自分としてはとにかく補強、補強、補強の連続。
片っ端から円盤入れて筒が潰れないようにして、平面がたるまないように箱も厚紙で裏打ち。しかし、ヘタに補強入れると表面に補強がうっすら浮かび上がる「肋が浮いた」状態になるので、パーツと同じ大きさに切った紙を二枚内側に入れて3層構造にするなどして回避しました。

RPG7_5.jpg RPG7_4.jpg

細かいディティールはけっこうオミットされているんですが、雰囲気はかなりいいです。照準器のレンズ部分にはOHPシート入れてみました。
リアルサイズなので、飾ってもいいし、持ってみるのも楽しい一品になりました。
Thank you Julius Perdana!

……と、ここまでは良かったのですが、
完成してから気がついたんですが、静岡HS併設のモデラーズクラブ合同作品展は、リアルサイズ銃器は展示が基本NGでした!
はっはっはー、なんで作ってる最中に気づかないんだー

と、いうわけで今年は旧作持って13日、14日に静岡へ行ってまいります。
ペーパーモデル工廠、今年も傑作揃いですので会場へお越しの方は是非ともブースの方も見に来てください!

テーマ : 模型・プラモデル・フィギュア製作日記
ジャンル : 趣味・実用

JSC オーストリア=ハンガリー帝国 小艦艇セット・4 潜水艦”SM U-5”

現場でお世話になっている上司の名字が少し特徴的なので由来をお尋ねしたところ、土蜘蛛退治で有名な源頼光まで家筋が遡れると聞いてテンション上がりまくった筆者がお送りするマイナーアイテム紹介コーナー。ちなみにうちの先祖は平家一門らしいです(眉唾)。
今回紹介するのはまさかの4回もの大連載になった ポーランドJSCの オーストリア=ハンガリー帝国 小艦艇セット から、 最終回となる 潜水艦”SM U-5”だ。

deea6775550x550.jpg

お約束の表紙画像。
ドマイナー艦ばかりだった連載だが、実は今回のU-5がある意味最も有名な艦かも知れない。もっとも、「U-5」と聞いて「ああ、あの船か」と感づく読者は相当なオーストリア=ハンガリー通だろう。

279.jpg

公式ページの完成見本写真。艦首フィンの赤白赤のオーストリア国旗塗装が目を引くが、ハンガリー国旗は書かなくていいんだろうか。JSCは潜水艦も船体上部のみのウォーターラインモデルでキット化することが多いが、今回は珍しくフルハルモデル。しかし、展示台がないのでなにか置き方を工夫しないと、写真のように波で打ち上げられたみたいな情けないことになってしまうぞ。

1904年、日本では日露戦争が始まったこの年にオーストリア=ハンガリー帝国(以下、「帝国」)は「どうやら他の国では『潜水艦』ってのを作ってるらしい」という情報をキャッチ。そんじゃまぁ、うちでも作ってみますか、と海軍技術部門に設計案の提出を命じた。
技術部ではこの未知の技術に1年かけて取り組み、成果として設計案をいくつか提出するが、海軍による検討の結果「全部実現不可能」として全てボツった。「海軍技術部門」って、なんなんだ……
自主開発を諦めた帝国は1907年、アメリカ人技師の”サイモン・レイク(Simon Lake)”、ドイツ人実業家「鉄鋼王」クルップ家の設立した”フリードリヒ・クルップ・ゲルマニアヴェルフト(Friedrich Krupp Germaniawerft)”、そしてイギリス領アイルランド人にして、世界初の実用潜水艦発明者である”ジョン・フィリップ・ホランド(John Philip Holland)”の三者に2隻づつの潜水艦を発注した。まだまだ潜水艦技術は揺籃期。3者の設計からいいとこ取りしちゃおうというわけだ。

1909年、注文に応じた3者から続々と潜水艦が届く。
まず、エントリーナンバー1番、サイモン・レイクの潜水艦2隻が「U-1」「U-2」として就航した(組み立ては当時帝国領のポーラ軍港)。
U-1級潜水艦はガソリンエンジンの効率が非常に悪く、艦内には排気が篭りがちであった。4枚の水中翼は極めて優れた水中運動性と良好な潜航能力を与えたが、海底走行用に艦底に収納式車輪を取り付けたのはどう見ても悪ノリの成せる技だったし、もちろんそんなものは役に立たなかった。
ちなみにサイモン・レイクは1912年に”レイク魚雷艇会社(Lake Torpedo Boat Company)”を興しアメリカ海軍向けに26隻の潜水艦を建造したが、会社は1924年に倒産した。

続いてエントリーナンバー2番、クルップの潜水艦、「U-3」と「U-4」。
ドイツのキール軍港で完成したこの2隻は1906年に就航したドイツ海軍最初の潜水艦、ドイツU-1級の改良発展型で、2ストローク灯油エンジンという変わったものを主導力としていた。この動力のおかげか、U-3級はトライアル3種のうちで最も信頼性、居住性に優れていると判断されたが、水中運動性がとにかくひどく、一回浮上すると頑として沈もうとしない、もうそれって潜水艦としてどうなのよ? な欠点があった。

最後が「本命」、ホランドの「U-5」、「U-6」。
この2隻はホランドがアメリカ海軍向けに設計した「C級潜水艦」とほぼ同型であり、その点での安心感は3者中で最も優れていた。なにしろホランドはこれまでにホランド潜水艦、A級、B級、C級と次々にアメリカ海軍のために潜水艦を設計してきた実績がある。
2隻はホランドが興したアメリカの”エレクトリック・ボート社”で基礎部分を製作し、ライセンスを受けた当時帝国領フィウメの”ホワイトヘッド社(Whitehead & Co)”で組み立てが行われた。名前でわかる通り、この会社は魚雷の発明者、”ロバート・ホワイトウッド(Robert Whitehead)”が設立した会社なんで、これまた信頼のブランドと言えるだろう。
U-5級は信頼性のある設計だったが、やや換気に難がありガソリンエンジンの排気が艦内に篭りやすいという欠点があった。
武装としては水平2連の魚雷発射艦が艦首に装備されている(普段は船体と一体化する流線型カバーがかかっているようだ)が、さらに2本の魚雷が上下に配置されており、2本の魚雷を発射したらこのクローバー型4連魚雷ラックを90度回転させてもう2本の魚雷が発射できるというギミックが組み込まれていたらしい。カッチョいい。

せっかく納品された3クラス6隻の潜水艦だが、帝国にはこれらをまとめたスーパー潜水艦を国産する時間は残されていなかった。
1914年、第一次大戦が勃発した時、U-1級はポンコツエンジンをなんとかしようとディーゼルに換装中だったので身動きが取れずにU-3級、U-5級だけで帝国は戦争に突入した。
U-5級はもう1隻、ホワイトヘッド社が自主的に建造した艦がありホワイトヘッドはこれをどこかの海軍に売り込もうとしてオーストリア=ハンガリー、ペルー、ポルトガル、オランダ、ブラジル、ブルガリアの各国海軍に軒並み断られていたが、第一次大戦の勃発により晴れてU-5級3番艦「U-12」として就航した。なお、番号が飛んでいるのはクルップにU-7からU-11を発注済みだったからだが、この5隻は開戦までに完成せず、建造していたキールからジブラルタル-地中海-オトラント海峡を突破してオーストリアに到着するのは不可能と判断されドイツ海軍U-66からU-70になった。
U-12を含めても帝国海軍の開戦時潜水艦戦力はわずか5隻。ちなみにフランス海軍の潜水艦戦力は67隻~75隻、イギリス海軍の潜水艦戦力73隻であった。

第一次大戦でU-5は1915年4月にフランス海軍の装甲巡洋艦、「レオン・ガンベッタ(Léon Gambetta)」排水量1万2千トンに魚雷2発を命中させ撃沈するという大戦果をあげている。また、1916年6月にはイタリアの兵員輸送船「SSプリンシプ・ウンベルト(SS Principe Umberto)」排水量8千トンを撃沈、1,926名が死亡するという第一次大戦最大の海難を起こしている(比較としては不適当かも知れないが、ドイツ軍Uボートに雷撃されて沈んだ大型客船「ルシタニア号」でも死者は1,198名に過ぎなかった)。
この、U-5の著名な戦果2件のうちの前者、レオン・ガンベッタ撃沈を果たしたのがオーストリア=ハンガリー帝国海軍軍人ゲオルク・ヨハネス・フォン・トラップ(Georg Johannes von Trapp)であった。
「オーストリア=ハンガリー帝国海軍軍人のトラップさん」でピントきた読者もいることだろう。そう、彼こそが映画「サウンド・オブ・ミュージック」などで有名なトラップ一家のお父さんである。
レオン・ガンベッタを沈めたトラップはその後、撃沈されたフランス海軍潜水艦「キュリー(Curie)」を浮揚・修理した「U-14」艦長に転任(U-5がP・ウンベルトを沈めたのはその後)、さらに戦果を伸ばし最終的に貨物船11隻、巡洋艦1隻(レオン・ガンベッタ)、潜水艦1隻(イタリア潜水艦「ネリーデ (Nereide)」)を沈め、戦果総トン数は4万5千トンに達している。
映画などでは元軍人として厳格な父に描写されるトラップパパだが実際には非常に穏やかな人格者で、家族は父の描かれ方に極めて不満を持っていたという。
なお、トラップパパは生涯に2度結婚しているが、猩紅熱で早くに亡くなった先の妻、アガーテは魚雷発明者のロバート・ホワイトヘッドの孫である。

SM_U-5_(Austria-Hungary)_postcard.jpg

Wikipediaからの引用で、U-5潜水艦(当時の絵葉書)。横尾忠則画伯の絵のような色使いがグッと来る。

1917年5月、U-5は触雷して沈没したが浮揚の後に再び戦闘に戻っている。だが、再就航後は戦果はなく1918年に敗戦に伴いイタリアに賠償として引き渡された。その後、U-5は1920年ごろにスクラップとなっている。

トラップパパはその後、修道院から家庭教師としてやってきたマリアと再婚、全財産の預金を移して支援しようとした友人の銀行が破綻したことで破産したのを機に子どもたちで結成した合唱団が評判となり、ヨーロッパ各地を回る。
1938年、オーストリア併合でドイツ人となったパパにナチスドイツから「第一次大戦の英雄として海軍に復帰すべし」と要請がきたもののトラップパパはナチスの思想に共鳴できずにイタリアへ亡命(もともと、生地ザラが第一次大戦後にイタリア領になっていたのでイタリアの市民権を持っていた)、その後アメリカへ渡り1947年に肺ガンにより大波乱の人生を閉じた。

”SM U-5”はオーストリア=ハンガリー帝国海軍潜水艦カードモデルとしては現状唯一のキットである。帝国海軍ファン、第一次大戦潜水艦ファン、そしてサウンド・オブ・ミュージックファンのモデラーならこのキットを見逃すべきではないだろう。

と、いうわけで4回にも渡って紹介したJSCの オーストリア=ハンガリー帝国 小艦艇セット。
スケールはJSCの小艦艇スケール250分の1。定価は24ポーランドズロチ(約800円)とお手頃価格。
また、JSCはこのキット以外にもラデツキー級戦艦”ラデツキー”、テゲトフ級戦艦”フィリブス・ウニティス”、モナルヒ級海防戦艦”ウィーン”をリリースしている。オーストリア=ハンガリー帝国海軍ファンなら是非ともこれらをコンプリートし、机上に帝国艦隊を復活させたいものである。



キット画像はJSCショップサイトからの引用。

参考ページ:
https://en.wikipedia.org/wiki/U-1-class_submarine_(Austria-Hungary)
https://en.wikipedia.org/wiki/U-3-class_submarine_(Austria-Hungary)
https://en.wikipedia.org/wiki/U-5-class_submarine_(Austria-Hungary)
https://en.wikipedia.org/wiki/SM_U-5_(Austria-Hungary)
https://en.wikipedia.org/wiki/Georg_von_Trapp

テーマ : 模型・プラモデル・フィギュア製作日記
ジャンル : 趣味・実用

JSC オーストリア=ハンガリー帝国 小艦艇セット・3 タトラ級駆逐艦”トリグラフ(SMS Triglav)”

いよいよ静岡ホビーショー目前、今年の出品作となる Paper-Replika 様のRPG-7が最終組立に入った筆者がお送りする、多分生涯に2回は話題にならなそうなマイナーアイテム紹介コーナー。今回はまだ続く、ポーランドJSC社からリリースされた オーストリア=ハンガリー帝国 小艦艇セット から タトラ級駆逐艦”トリグラフ(SMS Triglav)”を紹介。

deea6775550x550.jpg

表紙。

277.jpg

今回はこの写真のうち、4本煙突の大きい方が主役。
前回、小さい方250トン級水雷艇の記事で触れた通り、オーストリア=ハンガリー帝国(以下「帝国」)は開戦が近づいた1910年代になって、「どうやら次の世界大戦では主力艦で体当たりぶちかまして大勝利! なんて展開にはなりそうもないぞ」と気がついて小艦艇の整備に乗り出したが、開戦までに準備できたのは水雷艇約30隻、駆逐艦18隻にすぎなかった。
駆逐艦18隻の内訳は、フサール級12隻+タトラ級6隻だが、数の上で多数を占めるフサール級(Huszár class)はもともとイギリスで設計された船で、日本軍が日露戦争で使用した「雷(いかづち)型駆逐艦」とほぼ同型のタートルバック型駆逐艦だというから実質19世紀型の旧式艦であった。帝国はこの艦を1904年から1906年にかけて6隻建造したが、後にさらに7隻を追加建造している。1期6隻+2期7隻では計算が合わないが、1908年12月3日、よりにもよってネームシップの「フサール」が岩礁に乗り上げて沈没したため-1されて第一次大戦開戦時には12隻が配備されていた。
なお、沈んだはずの「フサール」はその後の第一次世界大戦で素知らぬ顔してしれっと帝国海軍に組み込まれてるが、これは2期建造7隻の1番艦(トータル7番艦)が「フサール」の名前を継いだためだ。沈んだ直後に2代目として同型艦に名前を引き継ぐってのは、ちょっと他の海軍では聞かない。
また、フサール級にはもう一隻、開戦時に中華民国海軍向けに「龍湍」として艤装中だった準同型艦が1隻あったが、これは帝国に接収され「ワラスディナー(Warasdiner)」の名前で帝国海軍に組み込まれている。

旧式化していたフサール級(排水量約400トン、石炭燃焼レシプロ蒸気機関で最大28ノット)に対して、質の上で主力となるはずだったのが、1912年から建造の始まった「タトラ級」で、その性能は排水量約900トン、石炭燃焼蒸気タービン機関で最大32.5ノットと、フサール級より大幅に向上していた。また、武装もフサール級の66ミリ砲1門、47ミリ砲7門、45センチ魚雷発射管2門に対しタトラ級は10センチ砲2門、66ミリ砲6門、45センチ魚雷発射管2門となり砲火力が大きく向上している。

前述の通り、帝国が第一次大戦に突入した時点での駆逐艦戦力はこれだけで全部である。
日本人の筆者としては太平洋戦争の数字を見慣れているせいで、一国の駆逐艦戦力としてはあまりにも少ない気がするがどうなんだろうか。せっかくだから、第一次大戦の各国海軍力を比べて見よう。
参考にしたのは第一次大戦の英国海軍とナポレオン戦争について詳しいイギリスMartin Gibson氏のブログ、「War and Security」内のエントリ、”The Naval Balance of Power in 1914”に掲載されている表で、この表自体は P. G. Halpern, A Naval History of World War I, (London: UCL Press, 1994)からの引用。各数値が意味する艦艇や、詳しい考察については引用元参照のこと。なお、当然のことながら数値の引用/計算間違いは全て自分の責任である。

まず、オーストリア=ハンガリー帝国海軍の開戦時戦力
・弩級戦艦 : 3隻+建造中3隻
・準弩級戦艦/前弩級戦艦/海防(小型)戦艦 :  3隻/6隻/3隻
・装甲巡洋艦/防護巡洋艦 : 2隻/3隻
・軽巡洋艦 : 2隻
・駆逐艦 : 18隻
・水雷艇 : 21~30隻

これに対して、敵となるはずのフランス海軍の開戦時戦力
・弩級戦艦 : 4隻+建造中8隻
・準弩級戦艦/前弩級戦艦/海防(小型)戦艦 :  6隻/14隻/1隻
・装甲巡洋艦/防護巡洋艦 : 19隻/9隻
・軽巡洋艦 : 2隻
・駆逐艦 : 81隻
・水雷艇 : 17隻

……いきなり勝てそうにない。
なんだ「前弩級戦艦14隻、装甲巡洋艦19隻」って。一生懸命増強した小型艦の数でも全然かなわないというこの惨状。フランス海軍って、強かったんだなぁ。
いや、まだチャンスはある。帝国はドイツと同盟を組んでいる。ドイツが参戦すれば、フランス艦隊の半分は大西洋に惹きつけられるはずだ。フランス海軍を2で割ると…………あっ、なんだ全然大丈夫! むしろ主力艦の数ではいい勝負だよ!

しかし、ここで新たな問題が。フランスはロシアと同盟を組んでいる。トルコがどちら側につくのかわからない(トルコ自体は主力艦が非弩級戦艦3隻、装甲巡洋艦2隻しかないので大した敵ではない)のでロシア黒海艦隊が地中海に進出してくる可能性もある。

ロシア帝国海軍の開戦時戦力
・弩級戦艦 : 0隻+建造中7隻+建造中巡洋戦艦4隻
・準弩級戦艦/前弩級戦艦/海防(小型)戦艦 :  0隻/10隻/1隻
・装甲巡洋艦/防護巡洋艦 : 6隻/8隻
・軽巡洋艦 : 0隻
・駆逐艦 : 42隻
・水雷艇 : 75隻

この表はロシア全体の数なので、バルト艦隊にいる分を引くと大体半分というところだろう。
まだ日露戦争の痛手から立ち直りきっていないために即戦力はそれほどでもないが、戦争が長引けば弩級戦艦が次々に地中海に入ってくる事態も予想される。
だが、まだ帝国にはもう一国、海洋国家の同盟国がある。イタリア王国だ。

イタリア海軍の開戦時戦力
・弩級戦艦 : 3隻
・準弩級戦艦/前弩級戦艦/海防(小型)戦艦 :  0隻/6~8隻/0隻
・装甲巡洋艦/防護巡洋艦 : 7隻/11隻
・軽巡洋艦 : 3隻
・駆逐艦 : 33隻
・水雷艇 : 71~85隻

おお、これだけの戦力があれば十分にロシア帝国地中海艦隊とやりあえる。まだ帝国海軍は終わってなかった!
と、思ったらイタリア海軍は連合側で参戦して上の戦力丸々敵になったよ。ぎゃふーん。

ここまで来て、「イタリアの裏切りさえなければ……」と一瞬思ったが、大事なことを忘れていた。
と、いうか、意図的に見えないことにしていた。
そう、フランスが参戦したらもちろんイギリスも参戦するという事実だ。

イギリス海軍の開戦時戦力
・弩級戦艦 : 22隻+建造中13隻+巡洋戦艦9隻+建造中巡洋戦艦1隻
・準弩級戦艦/前弩級戦艦/海防(小型)戦艦 :  0隻/40隻/0隻
・装甲巡洋艦/防護巡洋艦 : 34隻/52隻
・軽巡洋艦 : 35隻
・駆逐艦 : 221隻
・水雷艇 : 109隻

…………これまでの数字が全て無意味になった瞬間である。
一方、帝国最後の頼みの綱、ドイツ艦隊はと言えば、

ドイツ海軍の開戦時戦力
・弩級戦艦 : 15隻+建造中5隻+巡洋戦艦4隻+建造中巡洋戦艦3隻
・準弩級戦艦/前弩級戦艦/海防(小型)戦艦 :  0隻/22隻/8隻
・装甲巡洋艦/防護巡洋艦 : 8隻/17隻
・軽巡洋艦 : 16隻
・駆逐艦 : 90隻
・水雷艇 : 115隻

こんなん、本当に牽制にしかんらんわ。
せっかくだからまとめて見よう。

連合軍(イギリス+フランス+ロシア)
・弩級戦艦 : 26隻+建造中28隻+巡洋戦艦9隻+建造中巡洋戦艦5隻
・準弩級戦艦/前弩級戦艦/海防(小型)戦艦 :  6隻/64隻/2隻
・装甲巡洋艦/防護巡洋艦 : 59隻/69隻
・軽巡洋艦 : 37隻
・駆逐艦 : 344隻
・水雷艇 : 201隻

中央同盟軍(ドイツ+オーストリア=ハンガリー+イタリア)
・弩級戦艦 : 21隻+建造中8隻+巡洋戦艦4隻+建造中巡洋戦艦3隻
・準弩級戦艦/前弩級戦艦/海防(小型)戦艦 :  3隻/36隻/11隻
・装甲巡洋艦/防護巡洋艦 : 17隻/31隻
・軽巡洋艦 : 21隻
・駆逐艦 : 141隻
・水雷艇 : 207~230隻

(´・ω・`)ショボーン
もちろん艦船の数だけで勝敗が決まるわけではないとはいえ、なんでこんな連中に戦争ふっかけたんだと言いたくなる。そりゃイタリアも寝返るさ。
結局、中央同盟海軍はイギリス軍を主力とする連合軍艦隊に対して真正面の戦いを挑んだところで勝ち目などなく、それに気づいたところで小艦艇を充実させるにはすでに手遅れであった。
ちなみに、戦争が長引くと連合側にはさらに日本艦隊とアメリカ艦隊が加わる。

日本海軍の開戦時戦力
・弩級戦艦 : 2隻+建造中2隻+巡洋戦艦1隻+建造中巡洋戦艦3隻
・準弩級戦艦/前弩級戦艦/海防(小型)戦艦 :  0隻/10隻/4隻
・装甲巡洋艦/防護巡洋艦 : 12隻/15隻
・軽巡洋艦 : 6隻
・駆逐艦 : 50隻
・水雷艇 : 0隻(数値なし?)

アメリカ海軍の開戦時戦力
・弩級戦艦 : 10隻+建造中4隻
・準弩級戦艦/前弩級戦艦/海防(小型)戦艦 :  0隻/23隻/0隻
・装甲巡洋艦/防護巡洋艦 : 12隻/22隻
・軽巡洋艦 : 0隻
・駆逐艦 : 50隻
・水雷艇 : 23隻

日本はともかく、アメリカを戦争に巻き込んだらダメ! ゼッタイ! 無制限潜水艦作戦なんてもっての他!
とりあえず、帝国海軍の駆逐艦/水雷艇はやっぱり少なすぎるということはよくわかった。

そんなわけで、無情な数字が示す通り、なんの奇跡も起こらずに開戦と同時に帝国海軍はアドリア海に閉じ込められた。
皮肉にもイタリアが寝返ったことで、イタリア沿岸に対するヒットエンドラン戦法を繰り返すという役目ができた帝国海軍は連合軍の隙を見ての出撃を繰り返す。
1915年12月29日、帝国海軍駆逐艦戦隊は襲撃に出撃、遭遇したフランス潜水艦「Monge」(Pluviôse級)を撃沈(帝国海軍巡洋艦「ヘルゴラント」の体当たりで沈められたとする資料もある)したがフランス軍が敷設した機雷原に入り込み、タトラ級駆逐艦「リカ(Lika)」、「トリグラフ(Triglav)」が損傷。フランス軍の増援が迫っていたために曳航回収することができず2隻は自沈した。

1917年、ただでさえ少ない駆逐艦が減ったために帝国は新たにタトラ級4隻を追加建造する。
そのうちの2隻は戦没した艦の名を引き継ぎ、リカ、トリグラフと命名される。ややこしいことしないで!
同型艦ではあるものの、2期発注分は戦訓を取り入れ66ミリ砲4門が撤去され、代わりに45センチ魚雷発射管(連装)が1基増えている。完成見本写真を見ると魚雷発射管が2x2なので、キットのトリグラフは2代目ということになる。(2期4隻は「タトラ級代艦」という別クラスとして扱われることもある)
ちなみにタトラ級の各艦の名前は帝国内の山から名前を取られており、トリグラフはスロベニア最高峰(2,864m)に由来している。

初代リカ、トリグラフ以外は戦争を生き延び、タトラ級駆逐艦は終戦時に8隻(1期4隻+2期4隻)が現存していた。
これらのうち1隻、「Dukla」(2期)はフランスに引き渡され、残り7隻はイタリアへ引き渡された。それぞれの艦は新しい名前を与えられたが、全艦が1939年までに解体されており、タトラ級駆逐艦で第二次大戦に参加した艦はない。

今のところ筆者の知る限り、フサール級のカードモデルというのはリリースされたことがないようだ。つまり、オーストリア=ハンガリー帝国の駆逐艦は現時点ではこのキットが唯一のものとなる。オーストリア=ハンガリー海軍ファンのモデラーなら、このキットを見逃すべきではないだろう。


(第四回に続く)

キット画像はJSCショップサイトからの引用。


参考ページ:
https://ja.wikipedia.org/wiki/タトラ級駆逐艦
or
https://en.wikipedia.org/wiki/Tátra-class_destroyer

https://en.wikipedia.org/wiki/Huszár-class_destroyer

https://ja.wikipedia.org/wiki/オーストリア=ハンガリー帝国海軍艦艇一覧

https://warandsecurity.com

テーマ : 模型・プラモデル・フィギュア製作日記
ジャンル : 趣味・実用

展開図公開中
最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
プロフィール

のとっちょ

Author:のとっちょ
カードモデル初心者が苦闘するさまをご覧あれ。

検索フォーム
リンク(順不同、敬称略)
RSSリンクの表示
QRコード
QRコード