スペイン装甲部隊史・1

今回は新製品情報書くつもりが、前史から書き始めたら製品のアイテム出てくるまでにけっこうな分量になってしまったのでカテゴリを変更してお送りしてます。良かったら読んでってくださいな。

そもそもはポーランドMODELIK社の新製品のアナウンスがことの始まり。

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なんだい、こりゃ。
最初、映画用のハリボテ戦車かと思ったが、どうやら実在するらしい。
こんな「World of Tanks」にも出てこないような戦車、よく知らんのですがスペインの国旗を挙げてるからスペインの戦車史を辿っていけばどっかで出会えるだろう、ってことで小国陸軍戦記の迷宮へようこそ。

第一次大戦には中立を守ったスペインだったが、大戦で登場した新兵器「戦車」に対しても知らぬ存ぜぬで通すわけにはいかなかった。
そこでまず1918年10月、フランスに対して「ルノーFT軽戦車を売ってちょうだい」と打診したが、フランスは終戦処理が忙しくって、売ると言ったり売らないと言ったりぐだぐだを繰り返し、1919年6月になってやっと1輌のルノーがスペインに到着した。しかもスペインは「プトー37ミリ砲装備型がいいです」と言っていたのに、このルノーは8ミリオチキス機銃装備型だった。
しかたないのでスペイン軍はルノーの機銃を自軍でも採用されているスペイン国産の7ミリ機銃に換装しつつ「お世話になっております、スペイン軍です。ルノーFTはとてもいい戦車ですね! つきましてはさらに10輌、できればうち2輌は37ミリ砲装備型で追加注文をさせていただけませんでしょうか? 取り急ぎ要件のみにて失礼させていただきます」と、追加購入を打診したが、フランス側は「今、売ることができるルノーFTは1輌もありません。あと、ルノーの機銃をお前らの7ミリ機銃に換装するなよ」とつれない返事。
トータルで3800輌も作ったルノーFTの1輌も売ることができない、ってどういうことだ。下手に出ればいい気になりやがって、というわけでスペインはアメリカとイギリスにも戦車購入を打診したが、全て断られた。なんたる仕打ち。中立守ったことがそんなに悪いのか。「スペイン風邪」だってスペインから情報が広まっただけでスペイン原産じゃないんだぞ。

文句を言っても売ってくれないものは仕方ないんで、スペイン軍は「保有戦車:1輌」という近代国家とは思えない寂しい状態で頑張っていたが、1921年にスペイン領モロッコでのベルベル人の反乱が激化してくるといよいよ戦車の必要性が痛感され、改めてフランスに戦車購入が打診された。
なぜかフランスは今度は気前よく、機銃装備型ルノーFT10輌に加えてオマケに武装の代わりに無線を積んだ指揮戦車1輌まで売ってくれた。なんで19年には1輌も売る戦車がなくて21年には10輌売れるんだ。なめてんのか。なんてことは思っても口に出さず、スペイン軍初の戦車部隊はルノーFT12輌で編制された。さらにフランス軍は戦車なんだか船なんだか分からないシュナイダーCA1まで6輌売ってくれるという大盤振る舞い。要するに、戦争終わって落ち着いてみたら戦車が余剰になっちゃったんだな。

1922年3月18日、スペイン軍ルノーFT軽戦車中隊がモロッコで実戦に投入された。ベルベル人側に対戦車兵器はない。こりゃどうやっても戦車部隊のバカ勝ちじゃよ! がっはっは! とスペイン軍は前進したが、ベルベル人の戦意はルノー戦車ごときで踏みにじれるものではなかった。
敵と接触すると、目立つルノー戦車ははたちまち凄まじい銃火に包まれた。さすがに戦車は銃弾を跳ね返したが、随伴する歩兵はそうはいかない。歩兵と切り離された戦車だけが前進してもどうしようもないので戦車も下がった。この間に、2輌が機械トラブルにより遺棄されている。なかなかうまくいかんもんだね。
初戦は失敗に終わったスペイン戦車部隊だが、その後は小規模に戦果を重ねていき、1925年9月9日には上陸部隊の一員としてモロッコの港で敵前上陸を果たし、スペイン戦車部隊は世界で初めての水陸両用作戦に参加した装甲部隊となった。
1926年にベルベル人とのリーフ戦争は終わり、戦車部隊はスペイン本国へと帰還する。

スペインではモロッコでの戦訓を取り入れた新型戦車の開発が始まっていた。
リーフ戦争でシュナイダー戦車隊を率いていた Carlos Ruiz de Toledo 砲兵大尉の先導で完成した新型戦車”Trubia A4”は、なんていうかルノーFT軽戦車を拡張してカッコ悪くしたような戦車で、「火力が弱い」というルノーFT戦車の弱点を補うため、いっぱい機銃がついていた。さらに特徴的なのは砲塔で、全高の半分で分割されており上半分だけを独立して旋回させることもできた。上半分に1門、下半分に1門機銃を装備しているので、下部の旋回ができなくなっても上部だけ回して戦い続けることができる、というアイデアだ。すごいね。ちなみに車体にも1門機銃があるから、前方火力はルノーの3倍だ。
どうでもいいけど、車体の前についてる円盤は何がしたいの?
*3月17日追記
コメント欄で火炎瓶さんから「車体前方の円盤は対鉄条網用のワイヤーカッターではないか」とのコメントをいただきました。
ああ、そうか! こいつ、完成したのは戦間期だけど、基本的には第一次大戦の戦車なんだ!
リーフ戦争でルノーFTが鉄条網を超えられなかったか、あるいは逆に戦車だけが鉄条網を乗り越えていってしまうせいで随伴する歩兵が残った鉄条網に阻まれて切り離されてしまうかした戦訓を取り入れたのでしょうね。
ツッコミありがとうございます!


スペイン軍は1926年に完成した試作車両を見て「いいね!」ボタンを押して4輌の試作を追加発注した。見た目はちょっとアレなことを別にすれば、スペインは念願の国産戦車部隊を手に入れるのか、と思われたがなぜかここから急にテンションが下がってしまう。飽きたのか。
追加発注を受けた4輌のうち、最初の1輌が完成したのが1928年。1931年にもう1輌、最後の2輌が完成したのはなんと1934年だった。
6年もかけて試作してるうちに、Trubia A4 は5~6周ぐらい周回遅れになってしまった。なにしろ1934年といえば、例えばソビエトではT-26が単一砲塔になり45ミリ砲が搭載されていたころだ。そもそも、日本の八九式戦車が試作完了したのが1928年だから、まぁ、最初っからいろいろと間に合っていない感は否定できない。


と、いったところで今回はここまで。
次回は怪しい装甲車両が列をなして登場する装甲百鬼夜行のスペイン内戦から続きますんで、良かったらまた冷やかしに来てくだされ。

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中華民国空軍 王牌飛行員 黄新瑞・5

途中にキット紹介なんかも挟みつつも5回も続いた本項、今回が最終回となります。

1938年春の空戦で撃墜数を「7」まで伸ばしたものの負傷した黄新瑞氏が、再び戦列に復帰するのは1940年冬のことでした。
彼が復帰のために療養している間に、日中の航空戦力は大きく変化していました。まず、中華民国空軍にはソビエトからの支援が入り、大量のポリカリポフI-15とそのバリエーション、それからI-16が供与されます。あれ? 中華民国って、反共政権だからソビエトとは敵対関係のはずでは? みたいな細かい事を気にしていてはいけない。ソビエトは必要とあればファシスト・ドイツとだって同盟組んじゃう国だ。
黄新瑞氏も1940年11月にポリカリポフI-15部隊へ転属となりますが、この部隊の装備機はすぐに脚を引き込み式としたI-153に転換されます。
また、戦場も中国の海岸部から内陸へと移っていました。

1941年3月14日、かつての蜀の都、四川省成都へ移動していた黄新瑞氏の部隊は日本軍航空隊来襲の警報に接し、迎撃に向かいます。
迎撃隊の陣容は堂々31機のI-153。黄新瑞氏はそのうちの9機を率いていました。
しかし、果たして彼は知っていたのでしょうか。今、向かっている相手が日本海軍最新鋭機、零式艦上戦闘機を装備した第12航空隊だということを。第12航空隊は前年9月13日、I-16、I-15の混成部隊30機に対し零戦13機で奇襲を仕掛け、損失ゼロでほぼ全機撃墜という凄まじい戦果を挙げていました(この空戦については渡辺洋二氏の「大空の戦士たち」に詳しい)。

12機の零戦からなる第12航空隊に対し、迎撃隊は果敢に襲い掛かりましたが戦闘は一方的なものでした。
I-153は次々に撃墜され、黄新瑞氏も頭部に負傷します。
空戦の結果、I-153は11機が撃墜され7機が損傷、零戦隊に損害はありませんでした。
この結果を聞き、中華民国空軍最高司令官”周至柔”将軍は号泣したといいます。

黄新瑞氏は病院に収容されたものの、二日後に死亡しました。
零戦の登場により、中国空軍は一方的な敗退を重ねるようになり、中国軍パイロットが撃墜を記録することはほとんどなくなりました。
そして1941年末、日本海軍は零戦をもって太平洋戦争へと突入します。
中国空軍が零戦に対し再び優位に立つのは終戦間近の1945年、アメリカからP-51ムスタングが供与されてからのことでした。

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中華民国空軍 王牌飛行員 黄新瑞・4

さて、傷の癒えた黄新瑞氏は機体をグロスター・グラディエイター、中国空軍名称「格洛斯特“斗士”」に代え、第29中隊の隊長となります。
1938年2月24日、第29中隊は12機のグラディエイターで日本軍の水上機母艦、「能登呂」、「衣笠丸」から発進した九五式水上偵察機の迎撃に向かいます。九五式水上偵察機は、複葉でフロート付きの機体とはいえ、その空戦性能は新型の九六式艦上戦闘機(単葉)にも匹敵するといわれており、侮りがたい敵です。
しかも、中国軍のグラディエイターは機銃がやたらと故障(ジャム:弾詰まり)するという問題がありました。これは、どうやらベルギーから調達した弾薬が不良品だったみたい。
グラディエイターは下翼ポッド、胴体側面に4門の機関銃を装備しているので、これがちゃんと火を吹けばかなりの火力となるはずが、あっというまに稼動機銃が1門とか2門になってしまうためにグラディエイターのパイロットはダメージを与えようと敵に近づきすぎ、後部銃座の返り討ちとなる機もありました。
この空戦で黄新瑞氏は1機を炎上させ、さらに2機にダメージを与え燃料の尾を引かせたものの直接に撃墜の確認はできませんでした。しかし、後に中国軍は2機の残骸を発見し、うち1機は黄新瑞氏が炎上させたものと認定され撃墜数は「3」となります。
日本軍の記録では、「能登呂」、「衣笠丸」それぞれの航空隊は1機づつ未帰還となった他、能登呂の1機は損傷しながらも着水時に破損、損失となっています。なお、この着水時に破損した能登呂の1機(岩城邦宏大尉乗機)は、数えてみたら138発被弾していた、というから凄まじい。
中国空軍の損害も多く、2機が撃墜された他にも複数の機体が損傷。さらに爆撃で穴だらけになっている滑走路でコケる機体もあって稼動機は半減してしまいます。

この後、2月28日に黄新瑞氏は哨戒飛行中にまたも九五式水上偵察機4機を発見し突撃、1機を撃墜し撃墜数を「4」としますが、そうじゃなくて2月25日に九五式艦上戦闘機を撃墜したんだよ、とする資料や、いやいや、両方撃墜してるよ、とする資料もあるそうです。

1938年4月13日、第29中隊は日本海軍の空母「加賀」が発進させた攻撃隊に対し、迎撃に飛び立ちました。加賀航空隊は九四式艦上爆撃機18機と、その護衛に九五式艦上戦闘機3機、さらに単葉の新型戦闘機、九六式艦上戦闘機3機が随伴していました。
対するのは第29中隊のグラディエイター9機。さらに他の隊の9機が合流し、18機のグラディエイターで阻止を試みます。
互いを発見するのはほぼ同時でしたが、黄新瑞氏は護衛戦闘機が反応するよりも早く飛行場上空へ差し掛かりつつあった爆撃機編隊へ向かって突進、1機に集中射撃を浴びせ炎上、墜落させます。
向かってくる九五式艦上戦闘機隊との格闘戦となり、さらに1機を撃墜。しかし、この戦闘で彼のグラディエイターは機銃が次々に故障、発射可能なのは1門となってしまいます。
そこへ、日本軍の九六式艦上戦闘機隊が向かって来ますが、黄新瑞氏は残る機銃1門でこれに立ち向かい1機を撃墜。この日3機目の撃墜を果たします。しかし、九六式艦上戦闘機隊の蝶野仁郎小隊長の攻撃を受け機体は炎上。
左手を負傷した黄新瑞氏は炎上する機体から脱出に成功するものの傷は重く、療養には時間が必要となりそうでした。

1日で3機を撃墜し、黄新瑞氏は撃墜数を「7」に伸ばしたものの、次回いよいよ最終回です。

ところで昨日「キットがないのよー」と書いた九四式水上偵察機ですが、相互リンクしていただいている紙模型静岡工場のナオさんから「GPMの巡洋艦「那智」に、200分の1で九四式水上偵察機が付いてきますよ!」と有りがたい指摘をいただきました。いやー、艦船キット付属の機体のことは完全に忘れてましたー。ご指摘、ありがとうございます。
なお、本日登場の九五式水上偵察機も、航空スケールのキットは見つからなかったものの、FlyModelの戦艦「長門」に200分の1で付属してるようです。

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中華民国空軍 王牌飛行員 黄新瑞・3

まずは訂正でーす。
昨日のエントリで鹿屋海軍航空隊が1937年8月14日に実施した渡洋爆撃に「大した抵抗もなく」と書いてしまいましたが、実際にはこの日も中国空軍の激しい迎撃を受けておりました。日本語での中国空軍戦記の決定版、中山 雅洋氏の「中国的天空」で有名な生涯撃墜数5機の王牌飛行員、”高志航”氏の初撃墜がこの14日の迎撃戦だそうです。

さて、15日の迎撃では複葉、単葉、固定脚、引き込み脚などの迎撃が総数26機発進。これだけの数に襲い掛かられたら、いくら日本軍の九六式陸上攻撃機が新鋭機といっても分が悪い。20機の日本軍陸上攻撃機と26機の中国軍迎撃機、双方入り乱れての大空戦の結果、日本軍は4機が撃墜されます。このうちの1機がボーイング・ピーシューター隊を率いて迎撃に上がった黄新瑞氏の戦果で、彼の撃墜1機目となります。
これに対し、中国軍は日本軍機の防御銃火により5機が損傷。でも、逆に言えば20機の密集陣形の爆撃機に26機が襲い掛かって損失4機なんだから、あながち「空中艦隊」も間違ってはいない、ということか。

翌16日、今度は鹿屋海軍航空隊が南京へ向かって出撃。14日の空戦の損失などもあり、出撃機数は6機と少なめ。ところが、この日は雲が低かったために日本軍機の来襲が発見できず、警報が出たときにはすでに日本軍は飛行場の目前に迫っていました。
黄新瑞氏はボーイング・ピーシューターに飛び乗り爆撃を受ける滑走路より発進、後には部下のピーシューター2機が続きます。さらに2機のカーチス・ホーク2が加わり、5機となった迎撃隊は日本軍爆撃機に襲い掛かります。
前日の空戦で九六式陸攻の背中にある旋回式銃座の威力を知った黄新瑞氏は、九六式陸攻の双尾翼の陰に入ることで防御銃火を避け、真っ直ぐ突っ込みながら機銃を撃ちまくります。衝突前に急上昇し、垂直ループから別の機の背中へ攻撃。この機が燃料を曳きながら高度を下げ始めたために目標を変え、さらに別の機へ。今度は機を降下に入れて速度をつけ、上昇しながら腹の下に機銃を撃ちこみます。しかし、直後にピーシューターの機銃が故障、攻撃を断念せざるを得ませんでした(この機は新田少佐の乗る指揮官機だったと考えられています。少佐の機は帰投中に墜落しましたが、黄新瑞氏の撃墜とは認められていません)。
迎撃隊は攻撃を続行するも、爆弾を落とし速度を上げた九六式陸攻に追いつくのは困難で、旧式のホーク2の1機は後ろに食いつきながらも防御銃火を浴び続け、追撃を断念しています。この日の日本軍損失は2機。中国軍は1機が損傷しました。

日本軍攻撃機と言うと「打たれ弱い」イメージがありますが、この時期の戦闘機の主装備である7.7ミリ機銃の攻撃にはよく耐え、損傷しつつも基地までなんとか帰り着く機体も決して少なくはありませんでした。
しかし、それでも14~16日の三日間の戦闘で日本軍陸攻隊の稼動機は損耗により半減。決して楽な戦いではありませんでしたが、これ以降は航空母艦、水上機母艦が上海に到着、さらに上海近郊に飛行場を整備したことにより戦闘には日本軍戦闘機が参加するようになります。

黄新瑞氏は37年8月23日、複葉の九五式艦上戦闘機を撃墜、撃墜数を「2」とするも、9月19日、九四式水上偵察機(複葉)8機との戦闘で負傷します。
怪我は軽症でしたが、一時戦列より離れ、ついでに機種転換も行うこととなり、グロスター・グラディエイターを装備する第29中隊に転属となります。

次回は第29中隊、グラディエイターでの戦いです。
ちなみに今回登場した日本軍機のカードモデルですが、一つも見つかりませんでした。日本軍好きのポーランドのカードモデラーも、さすがに太平洋戦争前に第一線を退いた旧式機まではフォローしてくれないか……

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中華民国空軍 王牌飛行員 黄新瑞・2

そんなこんなで、1937年8月14日、欧米列強でもあまり例がない(強いて類似の軍事行動を探すなら、距離的に匹敵するのは第一次大戦中にドイツ帝国軍が実施した飛行船での爆撃行ぐらいのものか)往復1500キロ以上の超長距離爆撃作戦「渡洋爆撃」が開始されます。
初日、14日の爆撃は大した抵抗なく爆撃は成功(木更津海軍航空隊、鹿屋海軍航空隊の2隊が参加予定も、木更津隊は悪天候のために出撃断念)。
勢いにのった日本海軍航空隊は翌15日も出撃。南京方面には初の渡洋爆撃に勇み立つ木更津海軍航空隊の九六式陸上攻撃機20機が来襲します。
なにしろレーダーなんかない時代なんで、観測員から電話で知らされた「来たぞ!」の警報でパイロットが飛行機に走っていって、舞い上がった迎撃機はボーイング・ピーシューターが8機、カーチス・ホークが13機、フィアットCR32が5機という混成部隊。中華民国空軍は、各地の軍閥が「おらっちの空軍だよー」と勝手に諸外国から買い集めていた飛行機をまとめたもんだからとにかく機種は多種多様で、整備部隊は毎日大変だったに違いない。たぶんアメリカ機はインチ・ネジで、イタリア機はミリ・ネジだぞ。

ちょいと脱線して(と、いうか、こっちが本題と言えば本題)、各機種のカードモデルキットについて触れておくと、
まず「ボーイング・ピーシューター」(中国空軍が装備していたのは輸出型の「ボーイング・モデル281」)は、寸詰まりの胴体が愛らしい単葉固定脚全金属製の戦闘機で、コクピットが山なりに盛り上がった胴体側面形状やエレガントな曲線で構成される主翼が魅力的な飛行機なんですけど、カードモデルではメジャーどころではDigital Navyのキットしかない、という冷遇ぶり。さすがのポーランド人もこの飛行機には食指は動かなかったか。好きなんだけどなー。ピーシューター。ちなみに「ピーシューター」というのは非公式な愛称で、アメリカ陸軍の採用したタイプは「P-26」の番号が与えられております。「P-38」より前のP番号の戦闘機は、どれも生産数が中途半端なションボリ戦闘機ばっかり。中国軍はこの機体を11機購入しています。初飛行1932年だから、37年の時点ではまだまだ新鋭機。

次の「カーチス・ホーク」は、正確には旧式な「カーチス・ホーク2」とちょっと新しい「カーチス・ホーク3」があり、8月15日に迎撃に上がった13機の内、1機だけがホーク3で残りはホーク2。ちなみに中国軍ではこの2種類を古い方を「老霍克」、新しい方を「新霍克」と区別していたとか。
カーチス社はなにを思ってか、作る戦闘機に片っ端から「ホーク」って愛称をつけるんでまぎらわしいんですが、「ホーク2」というのは1927初飛行の複葉固定脚戦闘機で、米陸軍の制式番号もピーシューターより20番も巻き戻って「P-6」だから、これで日本軍の新鋭機と戦うのはチときつい。中華民国はこの機を約50機保有していました。
一方、「ホーク3」は1933年初飛行。複葉ながらも引き込み脚なんで性能もアップ。8月15日の南京では1機しか迎撃に上がっていませんが、中国軍全体ではホーク2の倍の約100機が納入されています。米軍では海軍が戦闘/爆撃機として採用しており、制式番号は「BF2C」(ボマー・ファイター・カーチス・2号)。
ピーシューターのキットがないんだから、それ以上にマイナーなホークどものキットなんかないだろう、と思ったら、こっちはちゃんとあった。
ホーク2は、2007年にWAKから、ホーク3は2006年にAnswerからリリースされております。それぞれ、米軍制式型の「P-6」と「BF2C」となっており、戦前米軍機の主翼上面をまっ黄色に塗っちゃう派手派手塗装が楽しめます。

最後の「フィアットCR32」は、ションボリ戦闘機の話の常連さん、フィアットCR42の原型とも言うべき機体。1930年初頭の完成で、中国軍は16機を購入。複葉固定脚ながらも速度、格闘性能に優れイタリア軍での評判は良かったものの、中国軍ではあまり活躍せず。もしかすると、単純に数が少ないうえに他にイタリア機があんまりないので、修理不能ですぐに行動できなくなったのかも。
CR42はAnswerの素敵なキットがあるんですが、CR32はキットなし。どうもポーランド人の選考基準というのがわからん。

とほほ、戦闘機のキットを紹介してたら迎撃に上がっただけで時間なくなっちゃった。
次回こそ、日本軍渡洋爆撃隊との大空中戦まで進めますー。

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