WAK ソビエト自走砲 SU-100(後)

最近、記事の書き方がちょっと雑じゃないだろうかと思う筆者のお送りする世界のカードモデル最新情報。書いてる方がそう思うんだから読まされる方はもっとそう思うことだろう。どうもすんません。
そんなわけで心を入れ替えた今回も、先週に続きポーランドWAK社からの新製品、ソビエト自走砲 SU-100 を紹介する。

wak1610.jpg

さて、前回めでたく第2次大戦は終結したが、それによりソビエトの怒りはおさまり全ての装甲車両は土くれに戻ったのでした。めでたしめでたし。
なんてファンタジックな展開にはならないのが現実ってやつの面倒なところで、9月の対日戦終結までに生産した2325輌のSU-100は終戦でほぼ全てが余剰になってしまった。しかもソビエトは戦後しばらく「ひょっとするとアメリカと戦争になるかもしれない」とか思ってSU-100をさらに900輌も作ってしまった。
1947年には同じ主砲を積んだ傑作中戦車T-54が登場し、砲塔がない上にバランスが前寄りで扱いにくいSU-100のいらない感は否が応でも高まってくる。

持て余したSU-100を手に、あーどうしようー、めちゃくちゃ強い自走砲が大量に余っちゃったなー。困ったわーまじ困ったわー(チラッチラッ)とぼやいていたソビエトに対し、「いらないんだったら、それください」と名乗りを上げたのが1952年に自由将校団のクーデターで成立したばかりのエジプト共和国だった。
イスラエルの一方的な独立宣言によって始まった1947年の第一次中東戦争で、エジプトを始めとしたアラブ諸国とイスラエルは共にオチキスH-35とかルノーR35とかM4シャーマンとかルノーFT17とか4号戦車とか、ドイツ軍や連合軍が捨てていった戦車をかき集めて戦ったが結果はアラブ側の敗北。イスラエルは米英からさらに新型戦車を供与されており、アラブ側も新型戦車の調達が急務となっていた。
エジプトはもともとイギリスの影響下からクーデターで独立しており、さらにアメリカが肩入れするイスラエルと敵対してるとくれば、ソビエトにとってもエジプトは「敵の敵」、すなわち味方。と、いうわけで両者の思惑が一致し、多数のSU-100がエジプトへと渡った(エジプトが購入したSU-100の総数ははっきりした数がわからないが、少なくとも100輌以上である。また、対価としてなにが、どれだけ支払われたのかもよくわからなかった)。なお、最終的にエジプトが購入したSU-100の大部分はソビエトで製造された車両ではなく、戦後にチェコスロバキアがライセンス生産した車両であったらしい。現場での評価は戦時中に女性や子供などの非熟練工がバタバタと組み立てたソビエト製の車両より、チェコスロバキア製車両の方が品質が良かったそうだ。

1956年、イギリス政府が筆頭株主であった「スエズ運河会社」の所有物であるスエズ運河を、エジプトは「これはエジプト人のもの!」と国有化を宣言する。もちろんイギリスは怒った。ついでにフランスも怒った。せっかくだからイスラエルも怒った。
そんなわけで1956年10月29日にイスラエルはエジプトへ侵攻、いわゆる「スエズ危機」、またの名を「第二次中東戦争」が始まった。
進撃してくるイスラエル軍戦車部隊(主力は75ミリ砲、もしくは76ミリ砲を装備したシャーマン戦車)に対し、T-34/85、SU-100、ついでにイギリス軍のアーチャー自走対戦車砲からなるエジプト軍装甲部隊がシナイ半島へ迎撃に向かう。

800px-Egyptian_archer_tank_destroyer_knocked_out_by_Israeli_tanks_at_Abu_Ageila_-_1956.jpg

写真(この項、キットの写真以外全て)はWikipediaからの引用。第二次中東戦争でのSU-100の引用できそうな写真がなかったんで、撃破されたエジプト軍のアーチャー対戦車自走砲。写真でわかる通り、駆逐戦車はせっかくダックインしても露出面積が大きいのが欠点。ちなみにアーチャーは筆者が知る限り、まだ25分の1でカードモデルキット化されていない。

イスラエル軍のシャーマン戦車にとって、エジプト軍のSU-100は非常に手強い相手だった。75ミリ砲は言うに及ばず、76ミリ砲が命中してもSU-100の傾斜した正面装甲は容易に跳ね返してしまい、SU-100の100ミリ砲はシャーマンの正面装甲を簡単に貫通した。
しかし、空ではエジプト軍は劣勢だった。優勢なイスラエル空軍にただでさえ押され気味だったエジプト空軍は戦場にイギリス軍のジェット機が登場するとなすすべもなく壊滅。フランス軍のF4Uコルセア、イスラエル軍のF51ムスタングが一方的にエジプト軍装甲部隊を襲撃した。
英仏は「これでエジプトをまた植民地化できますな、はっはっは」とご満悦だったが、アメリカは「19世紀じゃないんだから、今時植民地化はないわー」と激しく反発、エジプトを支援していたソビエトと足並みをそろえて米ソ2大国の主導により国連は停戦を勧告し、第二次中東戦争は終結。英仏の面目は丸つぶれとなりヨーロッパの凋落と米ソの超大国化が明らかとなった。
エジプトはこの戦いに100輌前後のSU-100を投入し、うち24輌が撃破され11輌が鹵獲された。なお、鹵獲されたSU-100のうち1輌は現在もボービントン戦車博物館で自走可能な状態が維持されている。

1967年6月、着々と戦力を整えているエジプト軍を叩きのめすため、イスラエル軍がエジプトに侵攻し第三次中東戦争が始まる。
再びT-34/85とSU-100のソビエトコンビが迎撃に向かうが、今度は相手が悪かった。イスラエル軍は10年の間に装甲戦力を増強、105ミリ砲と搭載したイギリス製センチュリオン戦車を購入し、さらにシャーマン戦車まで主砲をフランス製105ミリに換装するという魔改造を施していた。

800px-Super_Sherman_tank_at_the_Harel_Memorial.jpg

イスラエル軍のM51「スーパーシャーマン」。長過ぎる砲身を少し切り詰めて代わりに大型のマズルブレーキを追加、バランスを取るために砲塔も後ろに延長している。なんというか、無茶苦茶な感じだが意外にも有効だった。こいつも25分の1のキットはなかったはず。

800px-Military_vehicle_in_the_Yad_la-Shiryon_Museum_013.jpg

一方、アラブ連合軍代表として、イスラエル軍に鹵獲されて博物館で展示されているシリア軍の4号戦車。隣には3号突撃砲もちょっと見えているが、SU-100ならまだしも、さすがにこれじゃ相手にならなかった。

緒戦に大敗したアラブ連合は不利な停戦を受け入れるしかなく、第三次中東戦争はたった6日間(うち、本格的な戦闘が行われたのは4日間)で終わったが、この6日間でイスラエルは国土が4倍に広がった。
一方、エジプト軍は装甲戦力の3分の2を失いSU-100だけでも開戦時に保有していた約半数の51輌が撃破されている(さらに3輌がイスラエル軍に鹵獲された)。つまり、エジプト軍は第2次大戦でソビエトが失った全SU-100の4倍の数を4日間の戦闘で失ったのだ。
すでにSU-100が時代遅れであることは明らかだった。

1973年10月、ユダヤ教の贖罪日(ヨム・キプール)に併せ、第三次中東戦争の失地回復を狙ったアラブ連合軍の奇襲攻撃が開始され第四次中東戦争が勃発した。緒戦でエジプト軍はソビエトから供与された大量の対空ミサイルでイスラエル空軍の襲撃を封じ、戦いはアラブ側有利に進んだ。SU-100も攻撃に参加したものの、戦場の主役はT-55戦車とM48「パットン」戦車が殴り合う次の世代へと進んでおり、戦闘に参加したSU-100はほぼ何の活躍もしないままにイスラエル軍の反撃が始まると後退に伴い遺棄された。
第四次中東戦争の終結後、残余のエジプト軍SU-100は全車が予備になったと思われる。

wak1610g2.jpg

と、いうわけでやっと登場した、WAKがリリースしたSU-100。
まるでどこかの博物館の収蔵車両のようだが、れっきとした公式ページの完成見本写真だ。デザインは素晴らしい高クオリティで地味な車両をキット化することには定評のあるM. Rafalski氏。
塗装は第四次中東戦争時のエジプト軍装備車両。なんだってSU-100が一番パッとしなかった戦争の時を選ぶんだ。

wak1610g1.jpg

正面のクローズアップ。防盾の継ぎ目がなければカードモデルと気がつかない仕上がりだが、これじゃどこまでがキットのままなんだかわかりゃしない。
ちなみに車体向かって左側にある大型雑具箱は戦後型の特徴。

中東諸国のいくつかはエジプトと同様にSU-100をソビエトから購入している。例えば少なくともイラクは250輌、シリアは80輌のSU-100をソビエトから購入している(あるいは無償供与されたのかもしれない。中東諸国は損失を補うために互いに車両を融通しあっており、このことが各国が保有したSU-100の数を見極めることを難しくしている)。両国軍とも第四次中東戦争にSU-100を投入しているが、結果は悲惨なものだった。特にシリア軍は1973年10月6日から始まった「涙の谷」の戦いでわずか96時間で260輌の装甲車両を損失、これは全シリア軍装甲戦力の4分の1に当たる数であった。

Tank_Battle_in_Golan_Heights_-_Flickr_-_The_Central_Intelligence_Agency.jpg

「涙の谷」前面の対戦車壕で壊滅したシリア軍戦車部隊。戦車はT-62とT-55。

なおイラク軍は1980年のイラン・イラク戦争にもSU-100を投入している。また、第一次・第二次湾岸戦争時にもまだSU-100を保有しているが多国籍軍がSU-100と戦闘を行った記録はない(2003年にアメリカ軍は遺棄された2輌SU-100を発見しているらしい)。
いくらなんでも21世紀になってSU-100でもないだろう、と思ったら、イエメンでは2002年の時点で30輌のSU-100を保有しており、これらは現在も続く内戦で使用されている(2015年に撮影された写真がある)。しかし、サウジアラビア軍の空爆により現在は壊滅しているようだ。

wak1610c2.jpg wak1610c1.jpg wak1610i1.jpg

展開図と組み立て説明書のサンプル。テクスチャは軽い汚しが入っており、このまま(塗らずに)組み立ててもなかなかの雰囲気が楽しめそうだ。組み立て説明書はライン表現。しかし、どうしようもないとはいえ、この防盾の展開図は……あと、履帯もすごいことになってそう。

第2次大戦の車両のイメージがあるが、実は戦後の方が出番の多かったソビエト自走砲 SU-100、WAKのキットは25分の1の陸モノ標準スケールでのリリース(完成全長約38センチ)。難易度は5段階評価の「4」(難しい)って、本気ですか。そして価格は45ポーランドズロチ(約1500円)となっている。
今回のキットはエジプト陸軍ファンのモデラーにとっては、正に待ちかねていた一品と言えるだろう。
なお、WAKは去年SU-85もリリースしている(正確にはSU-100の車体に85ミリ砲を積んだ「SU-85M」)。

wak1506.jpg

こちらも定価は45ズロチ。ソビエト軍装甲車両ファンのモデラーなら、両者を作り比べて違いを確認するのもいいだろう。



キットの写真はWAK社ショップサイトからの引用。

*定価はあくまでも現地で購入する場合の値段です。日本国内で購入する場合には輸送費などを考慮し、2倍~3倍程度になるとお考えください。

参考ページ:
https://wwiiafterwwii.wordpress.com/2016/07/03/su-100-tank-destroyer-post-wwii-use-in-the-middle-east/
小火器から艦船まで、第2次大戦中に生産され、戦後に使用された装備品についてのサイト「wwiiafterwwii」内のエントリ。2015年に撮影されたイエメンのSU-100など貴重な写真が多い。このエントリ以外にも戦後フランス領インドシナ軍が使用していたフロート付きの一式戦闘機「隼」など興味深い情報が多数紹介されている必見のサイト。
スポンサーサイト

テーマ : 模型・プラモデル・フィギュア製作日記
ジャンル : 趣味・実用

コメントの投稿

非公開コメント

展開図公開中
最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
プロフィール

のとっちょ

Author:のとっちょ
カードモデル初心者が苦闘するさまをご覧あれ。

検索フォーム
リンク(順不同、敬称略)
RSSリンクの表示
QRコード
QRコード