WAK ソビエト自走砲 SU-100(前)

やっと洗濯機の排水ホースからの水漏れを止めたと思ったら、洗濯機動かした時に引っ張ったせいで新たに給水ホースから水漏れしてることに気づいた筆者がお送りする世界のカードモデル最新情報。ようするに水回りがもう寿命なんだな、あれは。
今回紹介するのはポーランドWAK社からの新製品、ソビエト自走砲 SU-100 だ。

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あれー、なんかソ連戦車にしてはやたら黄色くない? 背景もなんだか黄色くない? みたいな疑問は置いておいて、まずはSu-100の説明から。
戦車に関しては傑作戦車T-34を開発し、世界をリードしていたソビエト軍だったが、砲兵の自走化に関してはドイツ軍に対して遅れをとっていた。これは戦車を管理している「機甲総局」と火砲を管理している「砲兵総局」が別々に自走砲(機甲総局が開発していたのは「砲兵戦車」)を開発していたからで、それぞれが勝手に自走砲を開発するもんだから「うちの自走砲開発を優先するんであんたのところの砲兵戦車とやらには火砲を回せない」「じゃあ、お前んとこの自走砲にはうちの戦車のシャーシは回さない」という調子でさっぱり開発が進まなかった。
戦争初期はソビエト軍が防戦一方で火砲が機械化部隊に随伴していく必要がなかったため、両開発局の対立は放置されていたが、1942年の夏以降ソビエト軍が各所で反撃に転じるようになると牽引砲はあっという間に機械化部隊の前進に取り残されてしまうようになり、お前らバカやってないで早く火砲を自走化しろコンチクショーという声が前線から続々と届けられるようになった。
そんなわけで1943年春、赤軍自走砲開発局は砲兵総局から機甲総局へと移管となり、やっとこ自走砲開発の足並みが揃うこととなる。

そんなこんなでソビエト軍はT-34の車体を上方へ延長した戦闘室に直接122ミリ榴弾砲を搭載する「Su-122(キリル文字では”СУ-122”)」を開発する。
122ミリのパンチ力は大きく、ドイツ軍陣地をドッカンドッカン吹き飛ばす分には問題がなかったが、しばらくすると「Su-122で敵戦車と射ち合うと負ける」という苦情が戦線から届き始めた。
そりゃそうだ、Su-122は装甲されてるとは言っても敵陣地を破壊するための短砲身短射程の榴弾砲を積んだ自走砲で、敵戦車の装甲を撃ち抜くような貫通力も敵戦車の砲弾を跳ね返す正面装甲も持っちゃいない(一応、徹甲弾は準備されていた)。戦車には戦車で対抗してや、と鷹揚にかまえていたソビエト軍だったが、ドイツ軍がタイガー重戦車を投入したことで状況は一変する。
この重装甲の怪物は当時ソビエト軍戦車の主砲となっていた76.2ミリ砲(500メートルでの貫徹力約70ミリ)をえんどう豆のように弾き返した。小林源文先生がそう言うんだから間違いない。いや、あれはエレファント重駆逐戦車の話だったか。まぁいいや、とにかく76.2ミリ砲で歯が立たないタイガー重戦車を倒すため、ソビエト軍はより高初速、高破壊力の85ミリ高射砲を一刻も早く戦車へ搭載することを決定する。
KV-1重戦車の換装はそれほど問題なかった。ちょっと車体を改造しただけで当時開発中の次世代重戦車、JS-1の砲塔を載せることができ、KV砲塔よりも余裕のあるJS砲塔に85ミリ砲を積むことに大きな問題はなかった。
しかし、T-34はそうはいかなかった。さすがに中戦車に重戦車の砲塔を積むわけにはいかず、それまでのT-34の砲塔は85ミリ砲を積むには小さすぎる。T-34には85ミリ砲を搭載できる新砲塔の開発が必要であった。
そこで、T-34新型砲塔の完成までつなぎの対戦車戦力として、Su-122が改造されることとなる。
Su-122なら、もともと76.2ミリ砲より大きい122ミリ砲を積んでいるのだから85ミリ砲を積むのに問題はない。ドイツ軍だって最初は対陣地用支援車両であった三号突撃砲に長砲身対戦車砲を積んで駆逐戦車化してる。
こうして開発されたのが「Su-85」で、クルスク戦の後、ドニエプル渡河作戦のころから戦場に登場し、大型の新型砲塔を積んだT-34、「T-34/85」が登場する1944年までのつなぎの役目を果たした。

さて、T-34/85が登場すると当然ながらSu-85の存在意義は薄れた。同じ火砲積んでるんだったら、T-34の方が砲塔を回して戦えるんだから、車体回さなきゃいけないSu-85よりも使いやすいに決まってる。あと、この点は忘れられがちだが、車体を地形の起伏に隠して砲塔だけを出せるT-34に対して、車体の上半分を曝露しなければいけないSu-85は待ち伏せでも不利だった。
だったら、Su-85はさらに次世代の戦車の主砲を積めばいいんじゃね? というわかりやすい発想で1944年夏、T-34のシャーシに100ミリ砲を搭載したSu-100が登場する。
艦砲から開発された100ミリ砲の貫徹力は500メートルで190ミリ。これは85ミリ砲の500メートル120ミリよりもかなり強力で、当たりどころが良ければ2キロ以上離れていてもタイガー戦車の車体正面装甲を撃ち抜くことができた(85ミリ砲では1キロ前後まで近づかなければならない)。
同砲の改良型は戦後の主力戦車T-54/55の主砲として採用され、細い砲弾をカートリッジに入れて発射するAPFSDS(Armor-Piercing Fin-Stabilized Discarding Sabot)や砲身内から発射する対戦車ミサイルの開発でさらに破壊力を増している。9M117”バスティオン(Бастион)”ミサイルに至っては4キロ先で60センチの装甲をブチ抜くって、一体なにと戦うつもりなんだ。
ただし、これだけ大きな火砲を搭載するのはさすがに無理があり、車体の重心が前よりとなってしまったために第1転輪のサスペンション用コイルスプリングは一回り太いものに換装されている。また、長すぎる砲身は気をつけないと起伏を越えた際に地面に砲口を叩きつけて破損させてしまう恐れがあった。

タイガー戦車を串刺しにできるSu-100は強力だったが、いささかその登場は遅すぎた。
Su-100がまとまった数で投入された最初の戦いは1945年3月のハンガリー方面バラトン湖の戦い(「春の目覚め」作戦)で、戦うはずだったドイツ戦車軍団はすでに壊滅状態。「春の目覚め」作戦主力であったはずの第6SS戦車軍司令官、ゼップ・ディートリヒは「吾輩の部隊がなぜ第6戦車軍というのか教えてやろう。戦車が6両しかないからだ」と不貞腐れる始末だった(ただし、この発言は原典がはっきりしない)。
当然、この状態ではSu-100が一人戦車戦をするわけにもいかず、主に支援砲撃に使われたSu-100の戦時中の戦闘による損失は十数輌程度だったといわれる。

と、いうわけで戦時中だけで千輌以上作られたSu-100は特に活躍せずに第2次大戦はおしまい! 使えるんだか使えないんだかよくわからないままSu-100の話もおしまい! めだたしめでたし。
とはいかなかった。第2次大戦は終わったが、Su-100の戦いは始まったばかりだったのだ。
戦後、大量に余ったSu-100はT-34/85と一緒に中東へと売却されていき、そこで壮絶な戦いを体験することとなる。

(後編に続く)




表紙画像はWAK社ショップサイトからの引用。

参考ページ:
https://en.wikipedia.org/wiki/SU-122
https://en.wikipedia.org/wiki/SU-85
https://en.wikipedia.org/wiki/SU-100
それぞれのロシア語版、日本語版も参考とした。
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