Model-KOM ソビエト多用途飛行艇 Beriev Be-10

先日、夏の暑さでペタペタになった飴をもぐもぐと噛んでいたら、根本まで削った歯に被せていた銀歯をまたもやポロリとやってしまった筆者のお送りする世界のカードモデル最新情報。だからソフトキャンディーとかキャラメル噛んだらダメだっての。
今回紹介するのはポーランドModel-KOMの新製品、ソビエト多用途飛行艇 Beriev Be-10 だ。

OKLADKA NORM

なんだかあちこちが微妙に傾いてるような微妙なデッサンで水面から飛び立つBe-10。他国にはほとんど類型の機体がない巨人ジェット飛行艇の離水はさぞかし大迫力であることだろう。

Be-10(Бе-10)はソビエトのベリエフ設計局が開発した哨戒/爆撃機。開発時には雷撃や機雷敷設も任務に考えられていたらしいが、ジェットの巨人飛行艇で雷撃ってあぁた、男らしいにもほどがある。
ベリエフ設計局を率いていたゲオルギイ・ミハイロヴィチ・ベリエフ(Георгий Михайлович Бериев)は1903年、ロシア帝国のトビリシの生まれ。ただし、この名前は後にロシア語風に改名した名前で、ジョージア(グルジア)の生まれなので「ギオルギ・ミハエリス・ジェ・ベリアシュヴィリ」がもともとの名前だそうだ。
身分の低い労働階級の出身だった彼が飛行機に魅せられたのは10代になったばかりのころだった。
彼はロシア人として二番目に飛行士免許を取得したセルゲイ・ウトチキン(Серге́й Иса́евич У́точкин)のデモ飛行をトビリシ郊外へ見物しに行った(ちなみにロシア人最初のパイロットはミハイル・エフィモフ(Михаи́л Ники́форович Ефи́мов) )。ベリエフはこのデモ飛行(機体はフランス製ファルマン機)に鮮烈な印象を受け、「飛行士になりたい」と心に深く誓った。彼は晩年になっても、「暑かったあの日の黄ばんだ草原を、はっきりと覚えている」と語っていたという。

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あんまり関係ないけど、せっかく調べたので書いておこう。
セルゲイ・ウトチキンは1876年生まれで15歳の時に始めた自転車競技で有名となった。自転車で市電や競走馬と競争したこともあるという。彼はテニス、ボクシング、レスリング、ボート、スケート、フットボール、オートバイ、と、およそスポーツらしいものならなんにでも挑戦し、1907年に熱気球で空を飛んでからは空を飛ぶことに夢中になり1910年にフランスで免許を取得、ファルマン機を購入してロシアに帰り、70の都市で150回のデモ飛行を行った。B. Y.クリモフ、C.イリューシン、N. N.ポリカルポフ, A. A.ミクリン、I.シコルスキー、S.コロリョフ、そしてG.ベリエフなど、後にロシア航空業界を切り拓くことになる多くの少年/若者達がウトチキンの飛行に触発されてそのキャリアをスタートさせている。
ロシア帝国ではウトチキンは「スポーツ万能の超人」として知られていたが、私生活は不遇だった。父親はアル中の小学校教師でウトチキンが幼いころに天井裏で首を吊って死んだ。その後、母は精神の平衡を失い、ある日自分の子供を次々に刺殺したがセルゲイは生き残った。彼が異常なまでにスポーツにのめりこみ、時には生命の危機さえあるような危険な挑戦に挑み続けさせたのは、この幼少期を忘れようとするためだったという考え方もある。
1911年にデモ飛行の事故で重症を負った彼は鎮痛剤として使用されたモルヒネと大麻の中毒となり、強迫性の妄想を併発してしまう。ウトチキンは「敵からの保護」を求めて皇帝の離宮に入り込もうとするなどの騒ぎを起こした後、1916年に療養所で亡くなった。39歳だった。
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飛行士になろうと誓ったベリエフは鋳物工場勤務を経て鉄道学校に入学。折しもロシア革命が勃発したので赤軍に参加しながらの学生生活となった。
1923年、ベリエフは飛行士への夢を叶えようと飛行士学校への入学を試みるが、結果は惨敗だった。
しかし、この失敗を経てもベリエフの空への情熱は失われなかった。
飛行士がだめなら飛行機の設計者になろう、と方針を転換したベリエフはレニングラードのカリーニン工科大学(現在のサンクトペテルブルク工科大学)航空部門へ転校。1930年にカリーニン工科大を卒業した後、TsAGI(ЦАГИ、中央流体力学研究所)に移り航空機デザインの経験を積む。
TsAGIで多用途水上機、MBR-2(最終的に1300機以上が生産された)をデザインしたベリエフはその手腕を認められ、1934年、ベリエフ設計局が開設される。
ベリエフの得意分野は出世作となったMBR-2の流れを汲む水上機で、偵察/哨戒を行う大型飛行艇から艦船のカタパルトで射出される水上機まで、戦前~戦後ソビエト軍の水上機はほぼベリエフの独占状態であった。
1948年に開発したBe-6はガルウイングの肩の位置にレシプロエンジンを配置した双発機で航続距離が長く扱いやすい良作飛行艇だったが、50年代にはソビエト軍は次世代水上機として野心的な「大型ジェット飛行艇」の開発をベリエフ開発局に打診した。
「最高時速950キロ以上」という厳しい条件に対してベリエフ開発局の出した回答が、Be-10であった。

それでは斬新なジェット巨人飛行艇、Be-10の姿を公式ページの完成見本写真で見てみよう。

5_201609181120472b7.jpg 3_20160918112044c6e.jpg

…………ヘニョい。
まぁ、でも、ほら、試作だからさ。テケトーなペラい紙で作っちゃったんだよ、きっと。
実際のプリントはもっときれいな印刷と腰のある紙だといいな。

ジェットにかぎらず大抵の飛行艇は離水時の飛沫を被らないようにエンジンを主翼を上に並べているが、Be-10は見ての通り、小脇に抱えるような位置に装備している。これでジェットが海水を吸い込まないのか不安だが、機首を取り囲む水平の板があるから大丈夫なんだそうだ。でも、試作機では飛沫を吸い込まないように吸気口を上向きにするアダプターの装着も試みられた(性能がガタ落ちになるのでオミットされた)っていうから、やっぱり大丈夫じゃないんだろう。
また飛沫の問題とは別に、エンジン排気が胴体後部にかかるせいで試作機はエンジンスロットルを開いた途端に胴体後方がヤバいほど振動して、外皮にヒビが入る、ボルト止め部品のナットは緩む、配管は割れる、と大騒ぎになったので量産機ではエンジン排気口の向きを試作機の外向き3度から外向き6度に修正してある。そんなんで大丈夫?
あと、写真ではわかりにくいが、主翼はけっこうきつい下反角がつけられている。

4_20160918112045801.jpg 2_201609181120430e9.jpg

側面と機首部分クローズアップ。
クローズアップはしない方が良かったかな。
表紙ではグレー一色の機体が試作では赤いラインが入っているが、実機はどちらなのかはっきりしなかった。時期によって違うとか、作戦行動を行う時は「ロービジ塗装」にするのかもしれない。
機首上面のキャノピーが巨人機にしては珍しく横開きになっているが、乗員は上面の操縦席に一人、機首に一人、そして尾部銃座席に一人のたった3人。航空機関士とか航法士とかいなくて大丈夫??
なお、武装は23ミリ機銃が機首固定で2門、尾部銃座に2門。機首固定の2門って、何に使うつもりだったんだろう。まさか空戦するつもりだったの?

なんだか疑問符だらけのBe-10だが、試作機は1955年の冬に完成。しかし、テストフライトしようと思ったらベリエフ開発局(在ロストフ州)が面してるアゾフ海は凍ってた。ぎゃふん。仕方ないので分解して黒海まで運んで組み立てたBe-10試作機は1955年12月20日に初飛行する。
見た目はゲテものっぽいBe-10だったが、さすがベリエフの仕事だけあって飛行性能は良く、27機が初期ロットとして生産されることが決定した。ただし、操縦は難しかったそうだ。
1961年8月には武装を外すなどの軽量化を行った改造機 M-10 が周回コースを時速912キロで飛行、これは飛行艇の速度記録であり現在も破られていない(米軍のXF2Y-1"シーダート"の方が最高時速が200キロも速いが、おそらくあっちは直線飛行でアフターバーナーを炊いた時の速度)。他にも5トンまでの重量を積んだ時の到達高度記録1万4千メートル、高度2千メートルでの最大積載重量15トンなど、12の部門で飛行艇の世界記録を更新し、その多くは現在も保持している。
*9月22日追記*
コメント欄で、Be-10と比較するなら1950年代終盤に少数が生産された米軍のジェット飛行艇、P6M 「シーマスター」の方が妥当では? との御指摘をいただきました。慌てて確認してみたところ、なんとシーマスター、Be-10よりさらに巨大な図体(Be-10の全長31.5メートルに対し、シーマスターの全長41メートル)で最高時速1100キロも出るんですね。あわわわ、完全に見落としてました。じゃあ、Be-10の世界記録って一体…………(単に米軍がFAI国際航空連盟に申請出してないだけかも)。
とにもかくにも、ツッコミありがとうございました!


Be-10はソビエト海軍第977長距離偵察航空連隊第2飛行隊に配備され1960年ごろから運用が開始されたが、使ってみるとやっぱり操縦が難しいし、ただでさえ海水に浸かっていて腐食が激しい水上機なのに離水/着水速度が速いせいで機体の老朽化が早く、初期生産分27機で生産は終了した
1968年には早くもBe-10は部隊から引き上げられ、ほぼ並行して開発されていたBe-12に換装される。ターボプロップエンジン2基をガルウイングの肩に装備するオーソドックスな形式のBe-12は速度こそ最高時速530キロと平凡だったが使い勝手が良く、130機以上が生産され現在でも一部の機体が現役に残っている。要するに巨人飛行艇を時速900キロですっ飛ばそうというBe-10の基本コンセプトがそもそも間違っていたのだ。


Model-KOMからリリースされた残念傑作機、ソビエト多用途飛行艇 Beriev Be-10は空モノ標準スケール33分の1で完成全長約95センチ。難易度は4段階評価でたぶん「3」(やや難しい)だが、よく見ると表紙の難易度表示に「3」が2個あってわけがわからない。そして、定価は98ポーランドズロチ(約3200円)となっている。
当キットはソビエト/ロシア軍水上機ファンにとっては見逃すことのできない一品と言えるだろう。


なおその後のベリエフ設計局だが、1990年代末にサイズ的にBe-10とよく似たBe-200を完成させている。こちらはエンジン2基を背負ったレイアウトとなっており最高時速は約700キロ。もともとは長距離哨戒用だがロシア非常事態省は救難、消火用に採用しており空港のない離島などへの旅客型の就航も機体されている。スラリとしたクセのないデザインの機体で、こちらもキット化が待たれるところだ。
また、ベリエフ設計局は水面を這うような高度で飛ぶ地面効果機、VVA-14の開発も手がけており(設計はムッソリーニが政権を取った時にイタリアから亡命してきたロベルト・バルティーニ)、この経験と巨人飛行艇を開発するスキルを組み合わせ、3胴式6発エンジンで最大離陸重量2500トン(ボーイング747の最大離陸重量が440トン)のドリーミーな超巨人飛行艇Be-2500「ネプチューン」(Бе-2500 "Нептун")を構想しているという。
しょっちゅうオチに超巨人機を持ってくる当サイトらしく、今回も最後は33分の1 Be-2500のキット化に期待して終わろう。Be-2500の翼幅は156メートルなので、完成全幅は4.7メートルだ。ぎゃふーん。



画像はModel-KOM社サイトからの引用。

*定価はあくまでも現地で購入する場合の値段です。日本国内で購入する場合には輸送費などを考慮し、2倍~3倍程度になるとお考えください。


参考ページ:

https://en.wikipedia.org/wiki/Beriev_Be-10
https://ja.wikipedia.org/wiki/Be-12_(航空機)
https://ja.wikipedia.org/wiki/Be-200_(航空機)
https://ja.wikipedia.org/wiki/Be-2500_(航空機)

http://www.globalsecurity.org/military/world/russia/beriev.htm
ゲオルギイ・ミハイロヴィチ・ベリエフについて。

http://beautifulrus.com/sergey-utochkin-russian-superman/
セルゲイ・ウトチキンについて。

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