SZK ポーランド "Kościół obronny pw. św. Rocha i Jana Chrzciciela w Brochowie"

朝御飯を食べようとしたら手が滑って足の親指の上にラー油の瓶を落としてメチャクチャ痛かった筆者のお送りする世界のカードモデル最新情報。
本日紹介するのはポーランドのブランドSZKからの新製品、"Kościół obronny pw. św. Rocha i Jana Chrzciciela w Brochowie"だ。

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これまた説明しづらいと言うか、まぁ、ぶっちゃけ知らないアイテムが出てきてしまったが、これはポーランドのカードモデルブランドが軒並み夏休みに入ってしまい全然目ぼしい新製品が出てこないという、このままだと夏季休暇が10月に入ってからになりそうな筆者にとって二重にボディに効いてくる事情によるものだ。こんちくしょう。
なんだかやたらと長いキット名だが、直訳すると「ブロフフのパブテスト聖ロクス及び聖ヨハネ要塞教会」となる。「要塞教会」という肩書で「娘を殺された復讐に悪党を射殺した男が逃げ込んだのは引越し準備中の教会だった! わずかに残っていた聖職者達と教会を包囲したギャング団の間で壮絶なバイオレンスアクションが始まる!」みたいな粗筋をすぐに思いついた読者はジョン・カーペンターの映画の見過ぎだろう。自分でも途中でなに書いてんだか良くわからなくなってきた。

日本ではほとんど知られていないこの教会だが、ポーランドではかなりメジャーな教会らしい。理由は、この教会でポーランドの誇る偉大な音楽家、フレデリック・フランソワ・ショパンが洗礼を受けたゆかりの地だからである(ショパンの両親が結婚式を挙げたのもここ)。
音楽家と言えば、音楽室に並ぶ肖像画でしか覚えておらず、とっさに出てくる名前はモーツァルト、ベートーベン、ぐらいしかないというてんで音楽に疎い筆者でもその名前は知っているショパンだが、前述の音楽家と比べると、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが1756年生まれ、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが1770年生まれに対して、ショパンの生まれは1810年とけっこう後の世代の人物だ。1849年(日本でいうと嘉永年間、黒船が来るちょっと前)に亡くなった人物なので、ちょっと意外なことに写真も残っている
あと、全然関係ないのだが、「ショパン 写真」で検索かけてたら「ポケモンGO」でお馴染みのAR技術を使って、ワルシャワのランドマークでショパンと一緒に写真が撮れる「Selfie with Chopin」というアプリがあったので紹介しておこう。

iOS版
https://itunes.apple.com/jp/app/selfie-with-chopin/id1038193557
Android版
https://play.google.com/store/apps/details?id=pl.mobilems.chopin.selfie&hl=ja

ショパンと写真が撮れるのがよほど嬉しいのか「まるで夢のようですが、フレデリック・ショパンショパンと一緒に写真を撮れます。」と、アプリ説明まで取り乱しちゃってるが、配信元の「Stołeczne Biuro Turystyki 」というのはワルシャワ観光局なので、これはワルシャワ市の公式アプリなのである。ショパンショパーン。

日本では「ショパンはポーランド人」というイメージはちょっと薄いが、ポーランドでは国を代表する偉人(デノミ前の旧5000ズロチ紙幣の図柄はショパンだった。また、2010年には生誕200年を記念して額面20ズロチの記念紙幣も発行されている)で、かくいう自分もネットで仲良くしてもらっているポーランド人モデラーに、以前「ショパンって知ってる?」と聞かれたことがある。
しかし、じゃあショパンがワルシャワで毎日ピアノを引いて作曲していたのかというと、実はそうではない。ショパンは20歳の時に見聞を広げようとウィーンへ向かったが、時を同じくしてポーランドでは支配者ロシア帝国に対する大規模反乱「11月蜂起」が発生、蜂起は失敗に終わりロシア帝国のポーランド人に対する抑圧はさらに度合いを増し、ポーランドから知識人の大量脱出が始まった。この一件で、ワルシャワへ帰れば音楽どころではなくなると判断したショパンはパリへ行き、そこで音楽活動を続けるが、内心では支配者ロシア人を、蜂起軍を支援してくれなかった列強を、そしてロシアの抑圧を許している神に対して生涯強い怒りを持ち続けたという。ショパン曰く、「それともあなた(神)はロシア人だったのですか。」
パリで音楽活動を行ったショパンだったが、心のなかには常にポーランドへの思いがあったという。それは、ショパンが「ポロネーズ」「マズルカ」というポーランドの民族舞踊をもととした音楽を芸術まで昇華させた事にも現れている。
ショパンと同時代の音楽家、ロベルト・シューマンはショパンを紹介する際に「諸君、脱帽したまえ、天才だ」と言ったと伝えられるほどにショパンを評価していたが、そのシューマンはショパンの音楽を「美しい花畑の中に大砲が隠されている音楽」と評している。

それでは、ポーランドが誇る偉大な音楽家、ショパンが洗礼を受けた教会としてポーランドでは有名なブロフフのパブテスト聖ロクス及び聖ヨハネ要塞教会の姿を公式ページの完成見本写真で見てみよう。

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写真はちょっと小さめ。
華美な飾りのない重厚な様式が魅力的だ。最初にこの教会が建設されたのは16世紀中盤。しかし、その100年後にはスウェーデン王国がポーランドの大部分を荒らしまわった「大洪水時代」が訪れ、当教会も(ほり)と(へい)を付け足して要塞化されている(塀はキットに含まれない)。

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細部のクローズアップ。
広い面積が多いために、なんだかヘニャっとした仕上がりになりがちな建築物のカードモデルだが、今回は芯を厚紙で組むポーランド式カードモデルの利点が生かされ、非常にカッチリとした仕上がりとなっていることがわかる。チェコ式ではちょっとこうはいかない。単調とならないようにメリハリがつけられたレンガや、空の写り込んだ窓のテクスチャ表現も美しい。

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キットは建造当時やショパンの時代ではなく、現在の姿を再現したもの。
上の写真では1939年の「ブズラの戦い」に参加した将兵の慰霊碑のパネルが嵌めこまれているのが再現されているのがわかる。
ブロフフは大きな街ではないが、ワルシャワの西側という重要な場所にあるために「大洪水時代」、ナポレオン戦争、第一次大戦、第ニ次大戦と、要するにポーランドが攻め込まれるたびに戦場になっている(第一次大戦では塔が砲撃によって破壊され、戦後に再建されている)。
1939年に始まったドイツ軍のポーランド侵攻では国境の戦いに破れ後退してきたポーランド軍がワルシャワ西方のクトノ周辺に集結。そこへワルシャワから派遣された予備を加え、ワルシャワへ突き進むブラスコヴィッツ率いるドイツ第8軍を側面から痛撃する反撃作戦が1939年9月18日に開始された。この時、首都から反撃のためにクトノへ向かった第25、第17師団がブズラ川を渡ったのが、ここブロフフであった。
「ブズラの戦い」はポーランド戦最大の戦いとなったが、結果はポーランド軍にとって散々なものであった。「電撃戦」ドクトリンに則って部隊の機械化を進めていたドイツ軍はポーランド軍の企図を察知すると大胆な機動で集結したポーランド軍の前面を横切って背後へ進出、動揺したポーランド軍は集結した大部隊が逆に包囲される結果となってしまい、野戦軍のほとんどをこの戦いで失ってしまった。ブズラの戦いと前後してソビエトが東からポーランドに侵攻し、ポーランドの命運は決する。

ブロフフでは毎年9月にブズラの戦いを記念したイベントが開かれており、2009年はブズラの戦い70周年を記念してかなり大規模な再現戦闘も行われた。

その時の模様:
http://bzura1939.dobroni.pl/media/index.php?KategoriaID=482&pokaz=galeria&MediumID=9

逃げ惑う民間人、倒れた子供が(もちろん演技だが)痛ましいが、あまり資料のないポーランド軍の軍装がカラーでじっくりと見られて興味深い。真ん中らへんの写真でドイツ式ヘルメットを被ってカーキ色の軍服を着ている兵士はハンガリー兵のようだが、なんでハンガリー軍がブズラの戦いに?(式典に招待されているのかも) 
*9月19日追記*
クラコウ軍に配属されていたポーランド軍第10機械化騎兵旅団(通称「黒旅団」)の兵士達は第一次大戦型のドイツ式ヘルメットを被っていたそうなので、ハンガリー兵じゃなくてそっちかも。

あと、星が描いてあるヘニョい装甲車に乗ってる連中も正体不明。警察部隊かも?
2号戦車、Sdfkfz222、wz.34装甲車などの車両は良く出来ているが、おそらく全てレプリカ(Sdfkfz222はレプリカの確証がないが、東欧に現存している222はないはず。あと、全体的なスタイルもちょっと違う気がする)。
2号戦車は装甲板の厚みが表面に見えず、履帯がゴムパッド式なのでトラクターかなにかにガワを被せただけだろう。しかし、車体正面装甲が曲面のままの初期型と、平面を組み合わせた増加装甲を被せた2タイプの車両がいるなど、芸が細かい。
また、Sdkfz.251はおそらく戦後にチェコで生産されたOT-810だと思われる。
このイベントは2009年以降恒例行事となったようで、近年はボフォース37ミリ砲、TKS豆戦車などもイベントに参加している(未確認だが、どうも本物のようだ)。9月にワルシャワ方面まで出かける用事のあるモデラーは、ブズラの戦い再現式典を是非とも予定に組み込んでおきたい(今年も9月17日に開催)。もちろん、その際にはワルシャワ観光局のアプリをスマホにインストールし、ワルシャワでショパンと記念写真を取ることも忘れずに。

SZKからリリースされた"Kościół obronny pw. św. Rocha i Jana Chrzciciela w Brochowie"は、建築物なんで用紙に合わせてスケールは120分の1。難易度表示はないが、3段階評価で「2」(普通)といったところか。定価は34.9ポーランドズロチ(約1200円)となっている。
ショパンの話をしていたつもりが、いつのまにか2号戦車の写真を見ているといういつもながらの迷走っぷりだったが、ショパンファンとか、ブズラの戦いに思い入れのあるモデラーなら当キットを見逃すべきではないんじゃないだろうか、とか思った。

キットの表紙画像はSZKサイトからの引用。


*定価はあくまでも現地で購入する場合の値段です。日本国内で購入する場合には輸送費などを考慮し、2倍~3倍程度になるとお考えください。

参考ページ:
https://pl.wikipedia.org/wiki/Brochów_(województwo_mazowieckie)
https://ja.wikipedia.org/wiki/フレデリック・ショパン

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