MODELIK アメリカ装甲砲艦 "USS MONITOR"

8月末に夏季休暇が取れるかもしれんぞ、とホクホクしていたらやっぱり調整がつかなくって夏季休暇が9月中旬以降になることが確実となった筆者がお送りする世界のカードモデル最新情報。それって夏季休暇って言うのか? まぁ、あるだけいいか。
本日紹介するのはポーランドMODELIK社の新製品、アメリカ装甲砲艦 "USS MONITOR"だ。

Monitor okladka

また南北戦争ネタかよ!
いや、自分でも驚いているのだが、今週はなにをネタにしようかと出版社のサイトを回っていたら、唐突にMODELIKからモニターのリリースがアナウンスされていた。これはあれか、Orelが南軍装甲艦バージニアをリリースしたから、MODELIKとしても急遽対抗措置を取らざるを得なくなったということか。カードモデル業界も大変だなぁ。

前回簡単に紹介したように、南北戦争初頭に南軍が鹵獲した船体を再利用して装甲艦を建造していることを察知し、北軍も急ぎ装甲艦を調達する必要に迫られていた。そのために立ち上げられた「装甲艦委員会」(Ironclad Board)は手っ取り早く装甲艦を調達するために、全国の技術者に向けて「装甲艦のアイデア大募集!!」の布告を発する。この辺はアメリカ装甲艦 "USS Dunderberg"の時に一回書いちゃったんで繰り返しになるが、我慢してね。
この募集に応募してきたアイデアの中にあったのが、スウェーデン生まれの技術者、ジョン・エリクソン(John Ericsson)の斬新なデザインの甲鉄艦であった。

エリクソンは1803年、スウェーデンの生まれ。父親が投機に失敗したために少年のうちから働かざるを得なかったが、そのお陰で若干14歳にして測量技師として一人前となっていた(測量機器に背が届かないので、踏み台を持ち運ぶ助手がついていたそうだ)。
17歳でスウェーデン陸軍に入隊。エリクソンはここでも優れた測量技術を発揮したが、蒸気機関に強い興味を感じ次第に機械いじりへとのめりこんでいく。やがて技術者として生きていくことを決意したエリクソンは1826年、まさに産業革命が始まろうとしていたイギリスへと渡った。
イギリスで蒸気機関車を開発、速度競争にも参加したエリクソン(エリクソンの「ノベルティ号」は最高速度で他の参加者より優れていたが、惜しくも故障によりロバート・スチーブンソンの「ロケット号」に敗退した)は1836年、それまでの蒸気船の推進方式であった外輪式に代わる「スクリュー推進」のアイデアをまとめる(スクリュー推進の特許はFrancis Pettit Smithがエリクソンより6週間早く特許申請しており、ここでも「スクリュー推進の発明者」の栄誉を逃している)。
エリクソンのアイデアに感銘を受けた在英アメリカ領事、フランシス・B・オグデン(Francis Barber Ogden)の協力もあって、エリクソンは1837年、全長約14メートル(45フィート)のスクリュー推進蒸気船、その名も「「フランシス・B・オグデン号」を完成させる。
エリクソンはこのF・B・O号をイギリス海軍関係者にドヤァと公開したが、イギリス海軍艦艇監督官ウィリアム・シモンズ(William Symonds)はスクリュー推進というアイデアについて「この船が適切に操艦できるとは思えませんし、海では役に立たんでしょうな」とあっさり無視した。一節にはスクリューのために船底に穴を開けることに対する忌避感があったのだとも言う。たぶん、ニチモの模型のグリスボックスに詰めたマーガリンがお風呂で溶けてひどい目にあった経験があるんだな。

会心のアイデアを無視されてすっかり気落ちしたエリクソンだったが、オグデンはエリクソンの代理人としてアメリカでスクリューの特許を取得。さらにエリクソンの協力者として新たにアメリカ海軍大佐ロバート・フィールド・ストックトン(Robert Field Stockton)を紹介する。1839年、エリクソンはストックトンの招きに応じてアメリカへと渡る。
アメリカでエリクソンはストックトンの協力のもと、アメリカ初のスクリュー推進船となる「USSプリンストン(USS Princeton)」を1843年までに完成させるが、ストックトンは途中から「ぶっちゃけさ、この船って吾輩が作ったようなもんだと思わない?」と言い始めた。なにを言っとるんだこの人は、とも思うがスウェーデンからやってきた発明家と海軍大佐ではやっぱり発言力が違う。なんとなく世間でも「ストックトン大佐って人が新型蒸気船を建造したんだってさ」「へー」ってな雰囲気になってきた。調子に乗ってストックトンはエリクソンが設計した回転砲座に載せた12インチ砲の設計図を勝手にパクって「しかも旋回砲座に12インチ砲! すごい! 我輩って凄い!」とかやらかした。
しかし、設計図を正しく理解していなかったストックトンの12インチ砲は1844年、政府のお偉方を招いたデモンストレーション中に暴発事故を起こしてしまう。この事故で当時の海軍長官、国務長官を含む8名が死亡。大惨事である。
立場がまずくなったストックトンは、今度は「エリクソン君が設計した12インチ砲が爆発! エリクソン君はなんて事をしてくれたんだね!!」と言い始める。結局、エリクソンは責任を押し付けられた上にUSSプリンストン設計の際の報酬まで支払い拒否されてしまう。とんだブラック海軍だな。
海軍はエリクソンを事故の責任者と認識し、エリクソンは海軍を恨んだまま彼は一旦歴史の表舞台から姿を消す。

まだ南北戦争も始まってないのに話が長くなってきたんで、公式ページの完成見本写真を見て一息つこう。

Monitor foto2

USSモニター全景。このアイデアを見せられた装甲艦委員会の面々の驚きは想像に難くない。

Monitor foto1

砲塔部分にクローズアップ。天井がスノコ状なので、厳密には「砲塔」ではなく「装甲バーベット」だが、伝統的にUSSモニターの場合は「砲塔」と呼ばれる。なお、勘違いされがちだが、旋回砲塔そのものはエリクソンの発明ではないし、これを搭載した艦もモニターが初めてではない。
救命ボートは1隻しかないが、これで全乗組員49人(59人という資料もある)が避難するのはちょっと無理そうだ。煙突を支えるケーブルの工作は、あまりディティールのないこの船の数少ない腕の振るいどころ。

さて、USSプリンストンの一件以降、フランスのナポレオン三世に装甲艦のアイデアを送ったりしていた(無視された)エリクソンは装甲艦のアイデア大募集と聞き、これまでにない新型艦のアイデアをもってこれに応じた。
しかし、プリンストンの一件でアイデアをパクられることを恐れていたエリクソンは具体的な図面を同封せずに、ただ「とても斬新なアイデアがあります。お招き与ればすぐに説明に伺います」としか書かなかったので、ただでさえエリクソンをプリンストン爆発事故の「責任者」として警戒していた装甲艦委員会は「ば~~~~~~っかじゃねぇの!?」と鼻で笑ってエリクソンの手紙を投げ捨てた。

またも会心のアイデアを無視され、すっかり意気消沈していたエリクソンのところへ、ある日造船、鉄鋼界で成功を収めていた実業家、コーネリアス・S・ブッシュネル(Cornelius Scranton Bushnell)がやってくる。彼は装甲艦委員会が建造を検討していた装甲艦「USSガリーナ (USS Galena)」のスポンサーとなる予定だったが、船体に400トンの装甲を貼り付ける、と聞いて不安になり、自身とエリクソン共通の友人を通じて相談に来たのであった。
無視された上に他人のつまんねー装甲艦のことで相談に来たんじゃ、エリクソン的におもしろくもなかっただろうが、そこは大人なのでエリクソンはブッシュネルを歓待し、きちんと計算して400トンの装甲は問題ないと太鼓判を押した。
礼を言ってブッシュネルが去ろうとした時、エリクソンは「ついでに、全く新しい装甲艦について聞いていきます?」と尋ねる。ほほう、どんなもんで? と興味を示したブッシュネルにエリクソンは説明に持参するつもりだった図面を見せ、自身のアイデアを説明した。曰く、「南部の河川は浅い。そこへ入っていって行動するなら思い切って喫水を浅くしなければいけません。また、河川では艦の向きを変えることができないので、旋回砲塔で武装を自由な向きに向けられなければならないでしょう」
ブッシュネルはこのアイデアに強い感銘を受け、ただちに海軍にこれを提案するように強く促したが、エリクソンは「いや、もう海軍はこりごりなんで」とこれを拒否した。代わりにブッシュネルは図面を借り受け、自身が海軍にプレゼンを行いたいと提案すると、これには同意した。軍人よりも商人の方が信用できると思ったんだな。

従来の船を装甲しただけの装甲艦では不十分ではないだろうかと心配していた海軍軍人を味方につけたブッシュネルは1861年9月12日、大統領エイブラハム・リンカーンとのアポイントメントを取り付け、エリクソンのアイデアを説明する。リンカーン大統領も、このアイデアには感銘を受け即座に装甲艦委員会と海軍要人を招集、翌日にこのアイデアの検討会が行われた。
当然、海軍軍人からは「なんだそれ」と反発があったが、大統領の強い推薦を受け、「まぁ、少ない予算と短い日数で建造できるのなら、作ってみても……」としぶしぶと同意の方向へと会議はまとまりつつあったが、委員会の一人、チャールズ・H・デイビス大佐(Charles Henry Davis)が強硬に反対を貫き通した。彼はプリンストン号事故に立ち会っており、エリクソンへの反感が拭い難かったのだ。
紛糾する会議を見てラチがあかないと判断したブッシュネルはその夜、夜行列車でエリクソンの元へ赴く。技術的な部分をエリクソンに直接説明させ、渋る技術者を説得させようというのだ。しかし、海軍に反感のあるエリクソンを海軍軍人達の前に引っ張りだして説明させるのは難しい……
そこで、ブッシュネルは一計を案じた。
「エリクソンさん! 装甲艦委員会はあなたのアイデアを大絶賛しましたよ! すぐにでも建造計画にサインをしたがっていましたが、残念ながら技術的に細かい部分が私にはきちんと説明ができなくて……申し訳ございませんが、エリクソンさん自身から委員会に説明していただけませんでしょうか」
ブッシュネルにそう言われ、え、そうなの? と思ったエリクソンは直ちに資料をまとめ、ワシントンへと向かう。
委員会の前に出たエリクソンは、デイビス大佐から「あなたの船には安定性が足りないと思う。建造には反対だ」と言われ、驚いた。話が違うと思いつつも、ここまで来たんだから、と資料を広げ具体的な数値を挙げて細かい説明を繰り返す。
エリクソンは「私がこの部屋を出るまでに、私に建造許可を与えること。それが、国家に尽くすあなたがたの義務であると私は考える」と大見得を切った。
この日、エリクソンの新型装甲艦はついに発注を勝ち取った。

新型艦の契約には「100日で完成させること。完成させられない、あるいは使い物にならない場合は予算は全額返還すること」という厳しい条項があったが、エリクソンは98日間で艦を完成させた(資料によっては101日、120日としているものもある。エリクソンは正式な発注の前にすでに建造を開始しており、またなにを持って「完成」とするかの解釈にも差異があるようだ)。
建造中にエリクソンは、「罪人を監視し、戒める者」という意味で新型艦を「モニター」と名付けることを提案し、海軍がこれを受け入れた。この「罪人」が指すのが南軍のことなのか、それとも南軍装甲艦バージニアのことなのか、はたまた某嘘つき軍人のことなのかはわからない。

Monitor foto3 Monitor foto4

船底部分にクローズアップ。変なところにある錨にも注目だ。作例はよく見るとけっこうディティールアップされている。
なお、どうもモニターの砲塔は逆転機構がなかったために一方向にしか旋回させることができず、うっかり標的を通りすぎて回しすぎてしまうともう一周するしかなかったようだが、これは自分が資料を誤読してる可能性もあるのであまり信用しないでいただきたい。
ちなみに砲塔の旋回速度は一周22.5秒。時計の秒針の約3倍の速度だから、意外と早い。

USSモニター完成後の解説はバージニアの項目と重なる部分が多いので少し駆け足で済まそう。ハンンプトン・ローズで引き分けたモニターは1862年5月の「ドルーリーズブラフの戦い」にも参加しているが、この時は河川両岸から打ち下ろしてくる南軍陸上砲台に歯が立たずに戦果なく引き上げている。しかし、この時も南軍重砲の滅多打ちを受けながら全弾を跳ね返し、その堅牢さをあますところなく発揮した。
その後、ドック入りして主に居住性を改善したモニターは1862年12月31日、別戦区へ移動するために荒天下を曳航され航行中に高波を受け沈没した。残骸は1973年に発見され、2003年には砲塔が引き上げられている。引き上げられたモニターの遺物は現在バージニア州の海員博物館(Mariners' Museum)に展示されており、同博物館には実物大のモニターのレプリカも展示されているので、近くまで行く機会があればぜひとも見学しておきたい。

USSモニターの生涯は短く、またその戦歴において一隻の敵艦も撃沈していない。しかし、その独自性が後世に与えた影響には計り知れないものがあると言えるだろう。
英語において、その影響力の大きさ故に艦名がそのまま艦種にまでなった軍艦というのは、軍艦史においてわずか2隻しか存在しない。英国海軍ド級戦艦「ドレッドノート」と、この「モニター」である。

Monitor rys1 Monitor ark1 Monitor ark2 Monitor ark3 Monitor ark4

組み立て説明書と展開図のサンプル。展開図は汚しのないスッキリとしたタイプ。広い面積の甲板が単調だと感じるようなら、甲板の装甲板を1枚づつ切り離してから軽く汚しを載せ、メリハリをつけるのもいいだろう。

MODELIKからの新製品、アメリカ装甲砲艦 "USS MONITOR"は小艦艇スケール100分の1でのリリース。完成全長は約52センチ、難易度は5段階評価の「3」(普通)、そして定価は50ポーランドズロチ(約1700円)となっている。
前回紹介したHeinkel ModelsのモニターはCSSバージニアと組み合わせが楽しめる200分の1のリリースだったが、よりモニター単艦の造形を楽しみたいモデラーなら、100分の1のビッグスケールでリリースされた今回のキットを見逃すべきではないだろう。



キット画像はMODELIK社サイトからの引用。


*定価はあくまでも現地で購入する場合の値段です。日本国内で購入する場合には輸送費などを考慮し、2倍~3倍程度になるとお考えください。

参考ページ:
https://en.wikipedia.org/wiki/USS_Monitor
https://en.wikipedia.org/wiki/John_Ericsson

http://www.civilwar.org/battlefields/hampton-roads/hampton-roads-history/uss-monitor-a-cheesebox-on-a.html
南北戦争の総合サイトの中の1コンテンツだが、どういうわけかストックトン大佐の名前が「John Stockton」と、他の資料と異なっている。
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