Orel ロシア帝国装甲艦 "Кремль"

ようやく本業の方が一息ついて、今週末はのんびり工作に精を出そうかと思ったら真夏かと思うような猛暑に当てられ、相変わらず扇風機しか無い自室でグロッキー気味な筆者のお送りするカードモデル最新情報。本日紹介するのはウクライナOrel社からの新製品、ロシア帝国装甲艦 "Кремль"だ。

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相変わらず「わけのわからないものならオレに任せろ」の言わんばかりの快進撃を続けるOrel。今回もドマイナーアイテムが堂々の登場だ。
立派な3本マストと舷側に並んだ砲門のせいでただの帆船のようにも見えるКремльだが、よく見ると船体中央に煙突が立っている。そして、外見ではわかりづらいがれっきとした装甲艦である。

19世紀中頃まで、艦砲は丸い鉄球、すなわち「砲丸」をドコンドコンと撃ちあっていた。なぜなら、炸裂する砲弾なんて撃ったら発射した瞬間に爆発しちゃって危ないからだ。しかし、砲丸ではせっかく命中して舷側をぶち抜いたところで穴が開くだけで船は沈まない。そこで砲丸を発射直前まで炉に入れて熱し、赤熱させてから発射して燃えやすいものに当たって燃え上がってくれるといいなぁ、と期待したり、左右に割った砲丸が発射されると空中でパカっと開き、間をつなぐ鎖がマストに当たってマストが折れてくれるといいなぁ、と期待したり、いろんな工夫がなされていたが、やっぱり決定的とはいえず、結局最後は接舷して水兵同士の斬り合いになってしまうことも多かった(一つの例として、19世紀序盤を代表する提督、イギリス海軍のホレーショ・ネルソンは英仏の命運を賭したトラファルガー海戦でフランス軍狙撃兵の小銃弾によって戦死したという事実を挙げておこう)。

この状況を一変させたのがフランスの砲兵将校、「アンリ=ジョセフ・ペクサン」が開発した「ペクサン砲」とそれから発射される信管付き砲弾で、これは今で言えば「徹甲榴弾」とも言うべきものだった。つまりこの砲弾は舷側を撃ちぬくと船内で炸裂し、戦闘力を一気に奪うのである。
1853年、クリミア戦争の「シノープの海戦」でロシア海軍はこのペクサン砲を多数装備して戦いに挑み、対するトルコ艦隊を面白いように撃沈しまくり、11隻の損害を与えて被害はゼロというチートが疑われるレベルの戦果を叩きだす。
この一戦で、海戦は「砲丸が貫通しても、まぁいいや」という時代から「なんとしても砲弾の貫通を阻止すべし!」という時代に突入したのである。

クリミア戦争の教訓を取り入れ、フランス(装甲艦「ラ・グロワール」1859年)、イギリス(装甲艦「HMSウォーリア」1860年)は相次いで船体を鉄板で覆った「装甲艦」を就航させるが、当のロシアは「装甲艦の作り方がわかりません」というトホホ状態だった。クリミア戦争でロシアの南下を嫌がる英仏はオスマントルコ帝国を支援しており、その英仏が装甲艦を持っているのにロシアは持っていない、というのはマズい。もし英仏と戦争になれば今度はロシア艦隊が一方的にチートレベルの大敗を喫してしまう。なんとかして英仏に対抗できる装甲艦を手に入れなければならない。
そこで、ロシア帝国はとりあえずイギリスに装甲艦を発注することにした。って、いやちょっと待て、それおかしくないか!?

気前がいいんだかなんだかよくわからないが、イギリスのテムズ鉄工造船工業株式会社(装甲艦「HMSウォーリア」を作ったところ。日露戦争の日本軍戦艦、「敷島」「富士」もここで作られた)はこの無茶振りを受注し、装甲艦「Первенец」(ペルヴェネツ)を完成させる。艦名の意味は直訳では「長子」だが、どうもこの言葉はロシア帝国の皇族にしか使われないようで、すなわち「帝位継承者」ということになるからこの艦にかけるロシア帝国の意気込みも伝わろうというものだ。
ただし、ペルヴェネツは英仏の装甲艦に比べるとかなり小柄(ウォーリアの排水量約9000トンに対してペルヴェネツの排水量は3500トン程度)で、ロシア語の資料では分類も「装甲艦(Броненосец)」ではなく、「装甲砲台( Броненосная батарея)」となっている。イギリス人も、まぁこれぐらいの艦ならロシア人にくれてやってもいいか、と思ったのか。

さて、首尾よく装甲艦の作り方を知ったロシア人は、次の段階として国産化に乗り出す。
1862年3月、サンクト・ペテルブルグで同型艦「Не тронь меня」の建造が発注される。艦名の「Не тронь меня」(ネ・トロン・メニア)というのは提督の名前でも海戦の名前でもなくて、直訳すると「我に触れるな」である。はぁ?
いや、もちろん、なんで仮想敵国のイギリスに当時最新兵器の装甲艦を発注しちゃうの? で、どうしてイギリスはそれを受注しちゃうの? ほら、やっぱりパクられたじゃん、みたいな経緯には触れてほしくない、という気持ちをそのまま艦名にしたわけじゃなくて、これはヨハネの福音書20章17節、復活したキリストが言った「ノリ・メ・タンゲレ」のロシア語訳なのだが、そういうのを普通、装甲艦の艦名にする? じゃあ、それで評判良かったら装甲艦「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい」とか造るつもりだったの?

筆者と読者に特大の疑問符を投げつけながらもネ・トロン・メニアは1864年6月に完成するのだが、ネ・トロン・メニアの完成が近づいてくると海軍は「やっぱり、もう一隻装甲艦が欲しいよね」と言い始めた。
そこで1863年4月に3番艦「Кремль」の開発がサンクト・ペテルブルグの造船所(ネ・トロン・メニアを造ったのとは別のところ)に発注された。艦名の「Кремль」(クレムリ)というのは「城塞」のことだ(「モスクワ城塞」がいわゆる「クレムリン宮殿」。なおクレムリを英語で表記する時は「Kremlin」と"in"が後ろに付き、日本語のカナ表記もそれに従っているが、この「in」がどっから来たのかはわからなかった。なんなんでしょう)。1隻目が「長子」、3隻目が「城塞」だと、2隻目の「我に触れるな」が余計に浮くぞ。
ところが海軍は発注してから「なんか英仏の攻撃が近いような気がするからさ、特急料金払うから工期短縮して」と言い出した。いやいや、初めて作る装甲艦の工期をそんなホイホイ短縮できませんがな、まぁまぁそこをなんとか、と海軍と造船所でやってる半年の間、なんと着工は延期されて手付かずだった。そういうのを本末転倒と言うのだ。さらに、そんなことをしている間に海軍は「よく考えたらさ、ただの浮き砲台なんだからちゃんとした装甲艦じゃなくて、もっと小さいモニター艦でいいんじゃないの?」とまで言い出してさらに着工は延期。結局、最終的に着工は1865年夏になった。

では、ここで公式ページの完成見本写真でロシア初の装甲艦となったペルヴェネツ級3番艦、クレムリの姿を見てみよう。

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写真はこれ一枚だけ。
まぁ、このころの装甲艦らしくとっても丸い。大げさな衝角もこのころの装甲艦のお約束だが、クレムリはこの派手な衝角のせいで1869年に木造フリゲート「オリョーグ」(資料によっては「オリョール」)と衝突した時に見事に相手を撃沈してしまった。なお、同級の前2隻はもっと派手な衝角がついていた。
武装は舷側の砲門に60ポンド滑腔砲(196ミリ)がずらりと並ぶが、こいつの貫徹力が悲しいほど低い事に気づいて後に203ミリライフル砲に換装されている。
なお、ペルヴェネツ級はどうも船体形状の設計にミスがあったようで、舵を切ると船体が不規則に大きく傾いたり傾かなかったりするというかなり派手な欠点があった。まさかイギリス側の仕込んだ「トロイの木馬」か? しかたないのでペルヴェネツ、ネ・トロン・メニアは後からロシア艦としては初めてビルジキール(船底斜め部分につける長い「ヒレ」)を足しており、クレムリでは最初からビルジキールが装備されている(模型での再現の有無は写真ではわからないが、どうも省略されているようだ)が、効果の程はよくわからない。

いろいろ大騒ぎをして調達したペルヴェネツ級3隻だったが、このころの装甲艦の進歩は早く、1869年には早くも渡洋能力のある、より本格的な装甲艦「Князь Пожарский」(クニャージ・ポジャールスキー)が竣工し、1870年にペルヴェネツ級は砲撃訓練船に格下げになってしまう。
1885年、エストニアのタリン港に移動中だったクレムリは嵐に遭遇。頑張ったのだが建造費節約のために旧式フリゲート「イリヤ・ムロメッツ」からモギってきたエンジンのベアリングが焼き付いて停止。せめて船体保全のために帆走で海岸を目指したが換気口から暴風雨がジャブジャブと浸水した上に防水隔壁はちゃんと作動せず、6月10日に沈没した。
浅瀬に誘導した努力の甲斐あって5日後には再浮揚、クロンシュタットで修理を受けるが、この一件がクレムリにとってある意味「クライマックス」だった。
1904年12月、クレムリは予備役に指定され翌1905年10月12日に除籍、1908年に解体された。

なお、ペルヴェネツ級の他2隻は長命で、1番艦ペルヴェネツは1908年から浮き倉庫となっていたのを1922年に赤軍が確保。赤軍は石炭運搬船として使用し、1950年代後半もしくは60年代初頭に解体されている。3番艦ネ・トロン・メニアも同じく赤軍に確保されレニングラードの工場で運搬船として使用されていた。第二次大戦中にネヴァ河閉塞のために自沈するが戦後浮揚、こちらも1950年代にスクラップとなったようだ。

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展開図と組立説明書のサンプル。展開図右側の細切れはなんなんでしょう。帆を貼った状態に仕上げようと思ったら帆船模型のテクニックも必要となりそうだ。

極初期装甲艦の例に漏れず、さっぱり活躍しないまま消えていったロシア帝国装甲艦 "Кремль"は海モノ標準スケール200分の1で完成全長訳34センチというお手頃サイズ。難易度は3段階評価の「2」、定価はどこのショップにも置いてなかったのでウクライナフリヴニャから直接換算すると、えーと大体今のレートが1フリヴニャ4円だから、339フリヴニャで日本円換算約1400円となっている。
ロシア帝国最初の装甲艦と準同型艦である当キットはロシア帝国海軍ファンのモデラーにとっては見逃すことのできない一品と言えるだろう。また、黎明期装甲艦ファンのモデラーなら、同時期の装甲艦「CSS Stonewall」や「扶桑(初代)」と作り比べてみるのもおもしろそうだ。



画像はOrel社サイト公式フォーラムからの引用。

*定価はあくまでも現地で購入する場合の値段です。日本国内で購入する場合には輸送費などを考慮し、2倍~3倍程度になるとお考えください。

参考ページ:
https://en.wikipedia.org/wiki/Pervenets-class_ironclad
ペルヴェネツ級について。

https://en.wikipedia.org/wiki/Russian_ironclad_Pervenets
https://en.wikipedia.org/wiki/Russian_ironclad_Ne_Tron_Menia
https://en.wikipedia.org/wiki/Russian_ironclad_Kreml
それぞれの艦について。
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