Orel アメリカ軍水雷艇 TB-6 "Porter"

もう十年以上前に、古本屋で数十冊を買い込んだまま積みっぱなしになっていたサンケイ新聞出版局の「第二次大戦ブックス」、そのうちの一冊、シリーズ27「P51」を今更読んでいて「なんか、妙に読みやすい文章だなー」と思ったら訳者がSF作家の野田昌宏大元帥でビックリした筆者がお送りする東欧最新カードモデル情報。本日紹介するのは、先週に続きウクライナOrel社の新製品、アメリカ軍水雷艇 TB-6 "Porter"だ。

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”TB-6”と言っても、サンダーバード6号(デ=ハビラント・タイガーモス)ではない。水雷艇(Torpedo boat)6号である。
前回、まさかの初代扶桑で度肝を抜いたOrelデザイナー陣だが、今回はあらぬ方向への歩みをさらに一歩進め、19世紀末アメリカ海軍の水雷艇を堂々リリースだ。

「Torpedo」という言葉は、「魚雷」の意味でよく使われるが、もともとは魚のシビレエイを指す言葉であり、ラテン語で「麻痺」を意味する”torpere”に由来する。海でシビレエイをうっかり踏んでしまうと電気ショックで足が痺れて溺れてしまう。そこで、「水面下から不意打ちする武器」として、極初期の機雷を「Torpedo」と呼んだのが始まりだ。

海戦史に「水雷艇」という艦種が登場するのは意外に早く、アメリカ南北戦争(1861年 - 1865年)であると考えられている。
この戦争で優勢な北軍海軍は南部諸州の港湾を封鎖し、その経済に大打撃を与えていたが、これをなんとか打ち破ろうと南部連合の技術者、E. C. Singer(ミシンで有名なシンガー社の創業者、アイザック・メリット・シンガーの甥。手元の資料ではフルネーム不明)が開発したのが「外装水雷」(Spar torpedo)だった。
これは簡単に言えば、爆薬を詰めた金属缶で、尖ったキリ(錐)が取り付けられていた。このキリを相手の船の水線下に突き刺してから爆薬を爆発させ、船に大穴を開けようというわけだ。
とは言っても、南軍のボートが外装水雷を抱えてエッチラオッチラ漕ぎ寄せて来て、「すいません、爆薬仕掛けるんでちょっと待っててください」と言って待っててくれるほど北軍艦隊もお人好しではない。当然、船上からは小口径砲や小銃、ガトリング砲でメチャクチャに撃たれるので普通の船では近寄る前に沈められてしまう。
そこで、南軍はこっそりと北軍艦隊に近寄れる半潜航式水雷艇「デイビッド」を開発、その先端に長い棒を介して外装水雷を取り付けた。
この兵器は北軍艦隊に大きな損害を与えたが、欠点も多かった。なにしろ、ほとんど水面すれすれまで沈んでいるので、大きな波をかぶると簡単に沈没した。肝心の外装水雷も、設置後に十分離れてからケーブルを引いて爆発させることになっていたが、しょっちゅう過早に爆発して仕掛けたデイヴィッド艇を道連れにしたし、そもそも爆発しないことも多かった。
しかし、戦争後半に装甲艦が登場すると、装甲されていない水線下を攻撃する外装水雷は装甲艦を撃沈できる唯一の方法となっていく。
ちなみに南軍は後に、まさかの人力潜水艦「ハンレイ」を開発。ハンレイは1864年2月17日、北軍のUSS"フサードニク"を外装水雷で撃沈し、世界で初めて敵艦を撃沈した潜水艦となったが、自分も爆発に巻き込まれて沈没した。

さて、同じ頃ヨーロッパではオーストリア=ハンガリー帝国海軍が港湾防衛のための新兵器、「salvacoste」の改良を、フィウメ港(当時オーストリア=ハンガリー領)に工場を持つイギリス人技術者のロバート・ホワイトヘッド(Robert Whitehead)に依頼していた。なぜイギリス人に頼むのかはよくわからない。自国の技術に自信がなかったのか。
「salvacoste」がどんなもんなのかよくわからないが、ゼンマイで自走する魚雷のようなものだったらしい。また、発射されたら陸からケーブルを引っ張って敵艦に向かって操縦するつもりだったというから、今で言う「Uコン機」みたいなものだったのだろうか。
ホワイトヘッドはこの良くわからないものをなんとかしようと頑張ったが、もともとのアイデアがもうダメダメだったので、結局ものにならず、salvacosteはお蔵入りとなった。
salvacoste計画はなかったことになったが、ホワイトヘッドはこの兵器の欠点を良く把握していた。すなわち、お風呂のオモチャみたいな駆動時間があまりに短いゼンマイ動力と、変な操縦装置だ。
ホワイトヘッドはこの問題を解決するため、圧搾空気による推進装置を開発。さらに操縦の問題は「発射されてから敵艦に向けて操縦する」というアイデアを捨て「最初から敵艦に向けて発射する」という逆転の発想で解決する。
最初はフラフラと直進しなかったホワイトヘッドの「魚雷」は次第に改良を加え、1870年には、900メートルを6ノット (時速11キロ)で直進するようになっていた。

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写真はWikipediaから引用した試作魚雷とホワイトヘッド親子。右がロバート・ホワイトヘッドで、左は彼の息子。息子の方、ねじり鉢巻に着物着てるように見えるんですが……? なんか魚雷も不思議なカタチをしている。

ホワイトヘッドの魚雷が実用化されると、当然、水雷艇もめったにまともに動かない外装水雷なんかは投げ捨てて魚雷を装備するようになる。
1876年、イギリス海軍は世界初の魚雷発射艇HMS"Lightning"を就航させた。
これ以降、各国海軍は砲火を縫って巨艦に肉薄し、必殺の魚雷を放つ「水雷艇」を次々に整備。さらに、その攻撃から艦隊を守るため、水雷艇を駆逐する「駆逐艦」の開発が進んでいく。

今回Orelがキット化したTB-6 "Porter"は1896年就航だが、1870年台の水雷艇と基本的には構造に差はない。
名前は1812年戦争で帆船USS"Essex"に乗って戦ったデイビッド・ポーター(David Porter)と、その息子で南北戦争時に北軍艦隊を率いて戦ったデイビッド・ディクソン・ポーター(David Dixon Porter)の、ポーター親子にちなむ。
排水量たったの165トン、武装は必殺の46センチ魚雷発射管(単装x3基)、自衛用武器は1ポンド(37ミリ)砲4門だ。
ポーターは米西戦争に参加したが、特に大きな戦果は上げていない。1912年11月、退役。12月にスクラップとして売却された。
では、アメリカ海軍の初期水雷艇ポーターの姿を公式フォーラムの完成見本写真で見てみよう。

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なんか……すごいモッサリした見本写真……
きっと、テストプリントだからだよ。きっと。

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ほら、実際にはこんなにシャープなテクスチャ。あっさりした構造なので、せめて手すり、空中線はじっくりと取り組みたい。

Orelからリリースとなったアメリカ軍水雷艇 TB-6 "Porter"はなんと小艦艇スケールではなく、標準スケールの200分の1でのリリース。なので、完成全長もたったの約26センチ。難易度も3段階評価の「2」(普通)となっている。
価格はGPMのショップで33ポーランドズロチ(約1000円)。
大して書くことがないので魚雷の歴史で紹介記事をごまかしたのが見え見えの当キットは、19世紀の極初期水雷艇ファンのモデラーにとっては、見逃すことのできない一品といえるだろう。



キット画像はOrel社サイト公式フォーラムからの引用。

*定価はあくまでも現地で購入する場合の値段です。日本国内で購入する場合には輸送費などを考慮し、2倍~3倍程度になるとお考えください。
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