WEKTOR ロシア帝国試作戦車 Car Tank "Lebiedienko"

さて、前回は直径600メートル、恐怖の要塞破壊チョコボールに食いつきすぎて新製品紹介までたどり着かなかった当ブログ、今週こそは満を持してポーランドのブランド、WEKTORからの新製品、ロシア帝国試作戦車 Car Tank "Lebiedienko"が登場だ。

Car Tank 01

戦車である。
誰がなんと言おうと、戦車である。日本語資料では「ツァーリ・タンク」や「皇帝戦車」とも呼ばれているから戦車である。
まぁ、前回のチョコボールよりは理解しやすいか。
このとんでもない物体を考案したのはニコライ・レベデンコ(Никола́й Лебеде́нко)。彼はロシア帝国の技術者だったらしいが、詳しいことは良くわからない。一説には、自分が所有する工場でこいつを大量生産することで濡れ手に粟じゃよハッハッハというサクセスストーリーを狙っていたらしい。
なんだか寂しげな表紙画像だけではよくわからないので、今回は早々と公式ページの完成見本写真を見てみよう。

Car Tank 07

うん。やっぱり良くわからない。
対象物がないのでピンとこないが、車輪の直径だけで実車は9メートルもあったという巨大な車両だ。この大口径の車輪で塹壕なんかどっこらしょ、と超えちゃうよーということを狙っていたらしい。

1915年1月8日(旧ロシア歴。現在の暦では1月21日)、レベデンコは木で作ったこの「戦車」の縮小模型を持って皇帝、ニコライ2世に謁見した。模型は蓄音機のゼンマイを動力にカタカタと走り周り、障害物を乗り越えてみせた。目撃者によると、皇帝陛下はそのデモンストレーションにすっかり心を奪われ、レベデンコと二人して半時間ほども戦車と一緒に床を這いまわってキャッキャウフフした(この時、皇帝陛下御年46歳)というから、そうとう気に入ったのだろう。
ちなみに、この小模型を運ぶ時に後輪を持つと、コウモリを持っているように見えることからレベデンコ戦車は「Нетопырь」(コウモリ)の別名で呼ばれていたそうだ。似てるか? コウモリ。縮小模型は少しスタイルが違ったんだろうか。
すっかりレベデンコ戦車が気に入った皇帝陛下は直ちに実用化を命じ、陛下の言うことじゃしょうがねぇや、と1915年の夏には早くも試作車両が完成していたというから、こいつにかける陛下の熱意が伝わるようだ。

Car Tank 04 Car Tank 05

完成見本でもう一度カタチを確認しておこう。どっちかって言うと、コウモリというよりも肩幅の広い人魚が腹筋ローラーでダイエットに挑戦しているように見える。
後部にある小さいローラー(それでも直径1・5メートルある)は首を振れるようになっており、これで方向を変更するつもりだった。
動力は240馬力マイバッハエンジンx2基。これは適当なエンジンが見つからなかったために、墜落したドイツの飛行船からモギってきたもの。このフォルムこのサイズでは当然、普通にシャフトを回して車輪を回すことはできなくて、エンジンは左右の車輪を支えているトラスの「腕」のそれぞれ付け根部分に入っており、エンジンで回したローラーで挟み込んだ車輪のリムに回転を伝える構造だった。左右の同期はどうするつもりだったんだろう。最高速度は時速17キロ(平坦な地形での計画値)。
背中部分にドアがあり、そこまでは尻尾の上をテクテクと歩いて行くようになっていることがわかるが、高いところ苦手な人にはやっかいな乗降方法だ。まぁ、長さ300メートルの縄梯子を登らされるよりはいいか。
試作機の製作には当時のロシアを代表する技術者、例えば後にTsAGI(中央流体力学研究所)を設立する「ロシア航空技術の父」ニコライ・エゴーロヴィチ・ジュコーフスキーや、ソビエトを代表するエンジン設計局、ミクーリン設計局を立ち上げるアレクサンドル・アレクサーンドロヴィチ・ミクーリンが協力していたが、よく考えたら流体力学が関係あるような代物ではないし、エンジンもドイツの飛行船のものだし、ジューコフスキーもミクーリンも、何のために呼ばれたんだ。

Car Tank 02 Car Tank 06

砲郭部分にクローズアップ。左右両輪が完全に同心円に写る構図が素晴らしい。武装は左右のスポンソンに76.2ミリ砲が1門づつ、上下の銃塔に機関銃がいっぱい。しかし、銃眼だけ開けておいて、数丁の機関銃を必要に応じて移動させて射撃するのでは駄目だったんだろうか。どう考えても足元に潜り込んだ敵を攻撃する方法がないが、実際に運用する際には自衛用に装甲車が随伴することになっていた、とする資料もある。装甲車が荒れた戦場では行動できないから戦車が開発されたんじゃなかったのか、という質問はもっともだが、書いてる筆者にもどういうつもりだったんだか良くわからないので聞かないでほしい。

勢いで作ってしまったレベデンコ戦車だが、さすがロシア最高の技術者達が組み立てただけあって、ちゃんと動いた。一応は。
1915年8月27日(新暦9月9日)、モスクワ北方の町ドミトロフ郊外の白樺林で組み立てられたレベデンコ戦車の公開試験が行われ居並ぶ政府高官の前、巨大な戦車は動き出すと白樺を踏み潰し前進を開始した。ハラショー!
しかし、開発者達は重要なことを忘れていた。レベデンコ戦車は巨大なだけに重量60トンもあった。ゆっくりと考えればわかるが、車輪を前へ回す、ということは反作用で尻尾は下へ沈もうとする。重さ60トン全てがかかった後部ローラーは軟弱地にかかるとずぶずぶと沈んでしまい、どうやってもぬけ出すことができなかった。
まぁ、これは大した問題ではない。後部ローラーを大きくするか、尾ソリやスキッドで接地圧を下げる方法もあるだろう。
しかし、より大きな問題があった。
すなわち、この戦車は誰がどう見ても被弾に弱いという致命的な欠点に皆が気づいたのだ。
なにしろ一番大きい構造物である車輪が全く装甲されていないし、これを隠すスカートをつけたらとんでもない自重になるのは目に見えている。
また、よく考えたらこんなに巨大な車両を戦線まで移動させる方法も存在しなかった。
いやさ、そういうのって作る前に一度は考えてみないの?

弱い、戦場にたどり着けない、複雑過ぎて量産化不可能(特に、適当なエンジンが国産化できていない)などの理由によりレベデンコ戦車計画は打ち切られた。
1輌だけ作られた試作車両はそのまま森の中に放置されていたが、1923年ごろにスクラップとなったらしい。
ニコライ・レベデンコのその後の運命はわからない。

レベデンコ戦車失敗の影響は、単なる一技術者の野望が挫折しただけには留まらなかった。
前述のように、このプロジェクトにはロシア最高の技術者が投入されていた。
ただでさえ潤沢とは言えないロシアの技術リソースがこのとんでもないものに浪費されたためにそれ以外のプロジェクトは全て止まってしまったのだ。
前回の記事で長さ35メートルの「陸上戦艦」のデザイナーとして名前の出てきたA・A・ポロホフシチコーフは、今度はうってかわって機銃一門装備の小型装甲車両「ヴェズジェホート」(Вездехо́д、「どこでも行ける」)を設計、試作していた。
この車両は幅広のゴム履帯1本が車体中央にあり、左右の補助輪を降ろして方向操作するなど変則的な部分はあったが、登坂能力、超壕能力などには優れていたらしい。
しかし、このヴェズジェホートも開発が中断されたまま、1917年の革命でロシア帝国は国産戦車を完成させることなく崩壊した。
(革命政府とインテリ層にまつわる)一般的なイメージと異なり、ロシア帝国の技術者達は既出のミクーリンのようにソビエトでも優遇されており、ポロホフシチコーフもソビエトでは練習機の設計などに従事していたが1940年10月20日にスパイ容疑で逮捕され、独ソ開戦直後の1941年7月28日に銃殺されたという。


ロシア帝国幻の巨大戦車、皇帝戦車「レベデンコ」は陸モノ標準スケール25分の1で車輪直径36センチのビッグなキットだ。難易度表示はないが、このキットの見どころである車輪のスポークはどう見ても紙工作ではないので、マルチマテリアルに挑む覚悟はしておいたほうがいいだろう。価格は70ポーランドズロチ(約2300円)。また、レーザーカット済みの芯材用厚紙が100ズロチ(約3300円)で同時発売となる。

この手のゲテモノモンスターズファンのモデラーにとって、当キットは見逃すことのできない一品といえるだろう。
もちろん、ロシア帝国装甲車両ファンのモデラーなら、幻のロシア帝国戦車軍団を机上に再現できるこの機会を見逃すべきではないだろう。



画像はWEKTOR公式サイトからの引用。


*定価はあくまでも現地で購入する場合の値段です。日本国内で購入する場合には輸送費などを考慮し、2倍~3倍程度になるとお考えください。
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