Wagner Models 日本製グライダー 日本小型飛行機"トンボ式"

今週末はハロウィン。各所展開図を公開しているペーパークラフトサイトでは今年もカボチャの展開図が並んでいる。近所の商店街で催されたハロウィンパーティの余興、「空き缶積み競争」で対戦相手の動揺を誘うために無茶な高さを積むように見せかけて実は積まない、という姑息な策を弄したあげく、制限時間ギリギリで一陣の風に缶を崩されスコア:0で大敗した筆者のお送りする世界のカードモデル最新情報、本日紹介するのはポーランドのデザイナー Krzysztof Wagner氏のブランド、Wagner Modelsの最新キット 日本製グライダー 日本小型飛行機"トンボ式"だ。

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さすが日本人も知らない日本機をキット化することには定評のあるポーランドカードモデル界。今回も戦前日本国産の民生用グライダーというドマイナー機種が堂々登場だ。

ドイツ、ポーランド、そしてソビエトなどの列強では戦前から競技グライダーが盛んで、大きな国際大会も多数開かれていた(グライダー競技の振興は軍用機パイロット養成の下地ともなっていた)。
それに対し戦前日本では競技グライダーは一部の大学などで研究半分、ホビー半分といった感じで製作・飛行が行われる程度であったが、これは、航空に対する熱気とか将来の航空戦を見越しての政府支援とか、そういう大げさな話は置いておいて、単純に山がちで広大な平原のない日本ではグラダーを思い切り飛ばせる場所が少なかったことも大きな理由と言えるだろう。

グライダー競技が盛んじゃないから、当然機体の供給も少なくて、民間の飛行機学校では練習用のグライダー(輸入機も多かった)が貴重なもんだから、もっぱらそれを飛ばすのは教官で、訓練生はそれを見てるだけ、という何の訓練になるんだかわからない訓練しかできなかった。自動車教習所に例えれば、教習車は横っ腹に「公認 ○○自動車教習所」と書かれたブガッティ・ヴェイロンしかなくて、教習は教官がヴェイロンを乗りまわすのを見てるだけ、という状態だ。想像するだけでもいろいろと最悪だ。

そんな最悪な状況を覆すために「日本小型飛行機」(会社名)で設計・開発されたのが「トンボ式」だった。
トンボ式はグライダーの普及を目指していたので構造は単純、修理と保守は容易、移動のために分解・組立も簡単という特徴があった。もちろん、グライダー初心者が乗るのだから性能の方も粗製濫造のガラクタではいけないわけだが、トンボ式はそれまでの高価なグライダーに勝るとも劣らない性能を持っており、高い安定性とアクロバットも可能な操縦性を兼ね備えており、舵は過敏ではなく、重くもなく、という絶妙なバランスであったようだ。おそらく、日本人が日本人のために設計したので、小柄な日本人にとって輸入機の操縦桿は遠すぎる、といった基本的な問題もきれいに解決されていたのだろう。

トンボ式の高性能を物語るエピソードとして、1940年8月30日に行われた第3回全満州滑空大会の記録がある。この大会で朝川龍三氏はトンボ式に乗り2時間12分をかけて距離96.2キロメートル(一部往復)を飛行。これは戦前におけるアジア記録であった(手元の資料では飛行時間の記録か、それとも飛行距離の記録かはっきりしなかった。また、「アジア記録」の意味も東洋人パイロットの記録か、国産機の記録か不明)。

それでは、この知られざるドマイナー傑作機の姿を完成見本写真で見てみよう。

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機首上げ、ふわりと離陸するかのような美しい姿。トンボ式は他の飛行機や自動車に牽引される方式ではなく、模型飛行機のようにゴム策の張力で発航するものだったようだ。窓枠がなんかマジックペンで書いたみたいで気まずいというモデラーは、多少のオーバースケールは承知で枠を太めにして自作すると良いかもしれない。

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機体番号「A-1025」は実機の写真が残されているが、所有者などの情報はわからなかった。また、作例はホワイトモデルだが実際のテクスチャは表紙写真のようにグリーンと白に塗り分けられている。塗り分けパターンは記録写真などに従っているが、色は推測のようだ。戦前のグライダーなので構造は当然木枠布張り(キットのテクスチャは弱めの帆布張り表現がされている)。グラスファイバーで作られた戦後のグライダーのスラリとした姿を見慣れていると、トンボ式のクセがないスタイリングはなんだかグライダーというよりも模型飛行機みたいだ。

トンボ式を設計したのは日本小型飛行機主任設計師の宮原旭氏。氏は宮原男爵家の二代目(初代は海軍機関総監であった宮原次郎氏。日露戦争の功績で叙爵)で本物の「男爵」だが、学習院に学び航空工学を学ぶために英国グラスゴー大学に留学するも、現場を見学するためにウェストランド飛行機の工場に出入りするうちに現場の方に夢中になってしまい、大学修業後も現地に留まったという飛行機好きの男爵だった。
1929年には、宮原男爵は友人たちと共に設計した機体でキングス・カップ・レースに参加したがエンジントラブルで途中棄権している(当人の回想に曰く「悔いは残らなかった、あんなに燃えたことは無かった」とのこと)。
日本に帰国した男爵は当初三菱飛行機に入社するが、1939年に日本小型飛行機に移り主任設計師となった。軍用にも何種類かのグライダーを設計しており、海軍予科練生が最初に飛行を体験することになる「若草」練習グライダーも宮原男爵の設計だ。

戦後、宮原氏は「軽飛行機開発株式会社」を設立し、国産グライダーの製作を再開したが外国産グライダーのシェアを奪うことはできず、生産は少数に終わってしまった。
その後は各種航空関係団体の代表を歴任し、ハンググライダーやパラセーリング等スカイスポーツ一般の普及とそれに伴う法令整備に尽力。1983年12月10日、79歳で死去された。


飛行機男爵が設計した知られざる戦前日本国産グライダーの傑作機、日本小型飛行機"トンボ式"はKrzysztof Wagner氏の得意な50分の1でのリリース。難易度は5段階評価の「2」(易しい)、定価はecardmodels.com2.5ドルとなっている。
当キットは戦前グライダーファンのモデラーにとって、見逃すことのできない一品といえるだろう。
なお、Krzysztof Wagner氏は当キットに続いて1934年に滞空時間の日本記録を樹立した九州帝国大学設計の「阿蘇号」もデザインを完了し、リリースの準備を進めているとのこと。日本国産グライダーファンのモデラーならこちらも見逃すことはできなさそうだ。



*画像は全て ecardmodels.com からの引用。
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