Agny Papir スーパーカー Bugatti Veyron 16.4 Grand Sport

今週末は地元神社が三年に一度の大祭。なか日である昨晩は神楽舞台からバラ撒かれるお菓子を拾って年甲斐もなくホクホクな筆者のお伝えするカードモデル最新情報、本日紹介するのはecardmodels.comからの新商品、スーパーカー Bugatti Veyron 16.4 Grand Sport だ。

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ヴェ、ヴェ、ヴェイロ~~ン!

V8エンジン2基を直結したW型16気筒8リットルエンジンを4基のターボチャージャーで加圧、1千馬力の出力で約2トンの車体が時速400キロまで加速されるという、下手なレシプロ戦闘機よりも強そうなスペックで超の上に超がつくスーパー・スーパー・スーパーカーがカードモデル界に登場だ。
なお、制作者の「Agny Papir」というブランドはデザイナーがどうやらロシア人らしい、という程度しか情報がなく、これまでのラインナップもソビエト軍Yak-3戦闘機(曲芸飛行用)ロシア帝国オースチン・プチロフ装甲車、あと、ロシアの櫂船というよくわからない品揃えとなっている。一応、上記の過去リリース品はロシア関係という共通点はあるが、今回のヴェイロンはもちろんロシアの自動車メーカーの車ではない。

ブガッティは1909年にイタリア人、エットーレ・アルコ・イジドロ・ブガッティ(Ettore Arco Isidoro Bugatti)が当時ドイツ領アルザスに設立した自動車メーカーである。エットーレ・ブガッティの父はアールヌーヴォーに彩られた芸術性の高い家具職人で、叔父は彫刻家、祖父も画家、という芸術一家の生まれであった。父はエットーレに家具職人を継いでほしかったようだが、当人は早くから自動車に興味津々で、わずか17歳の1898年には早くもオリジナルデザインの自動車一号「ブガッティ Type1」を完成させていたという。
Type1の完成で息子の才能を認めたのか、あるいは単に諦めた父から資金援助を受けて制作したType2は1901年のミラノ博覧会で賞を獲得、これがユージーン・ドミニク・ド・ディートリヒ男爵(Eugène-Dominique de Dietrich)の目に留まる。ディートリヒ男爵はいかにもドイツ風の名前だがフランスの貴族で、アルザス地方に領地を持っていたが、普仏戦争で領地がドイツ領になってしまい、地所に持ってた工房もドイツ領になってしまったという複雑な立場の貴族だった。
そんな複雑な事情があったにしても、なにしろ第一次大戦前の貴族なんでお金は持っていて、エットーレはディートリヒ男爵に雇われて「ディートリヒ=ブガッティ」のブランドで自動車製作に本腰を入れる。

その後もパートナーに細かい変遷があったが、エットーレ・ブガッティは1909年にいよいよ独立。
ブガッティの作る車はとにかく豪華な上に性能が良く、信頼性も高いことで人気を博した。
1929年に第一回が開催されたモナコ・グランプリではブガッティチームがいきなり3連覇を達成。さらにタルガ・フローリオでは25年から5連覇を成し遂げる。この8度の勝利のうち7度の勝利は素晴らしく速く、そして素晴らしく美しいブガッティType35で成し遂げられたものであった。
当時のエットーレ・ブガッティの絶好調ぶりを伝える一つのエピソードがある。
Type35を購入したオーナーが、「どうも寒い朝はエンジンのかかりが悪いんだ」とこぼしたところ、エットーレは「恐れながら、Type35を購入する資金力があるのですから、暖房付きガレージも購入すればいいのではないですか?」と少しキレ気味に返したという。

しかし、順風満帆と思われたブガッティを次々に不幸が襲う。
1939年8月11日、エットーレの息子にして痺れるほどカッコいいアトランティークボディをデザインした将来有望なデザイナー、ジャン・ブガッティがType57(レーシングカスタムタイプ)を運転中に酔っ払い運転の自転車を避けようとしてコントロールを失い事故死する。
その一ヶ月後には第二次大戦が勃発、これにより製作中だった高級車Type64の製作は頓挫。同時に、ブガッティ初の航空機にして、これまた悶絶するほどカッコいいブガッティ Model100エアレーサー機(ブガッティType50エンジン2機で二重反転プロペラを回し、最高時速800キロが見込まれていたといいう。本気?)の製作も中止される。

第二次大戦でアルザスのブガッティ工場は完全に破壊された。さらにその地所は「ブガッティ家は(枢軸国の)イタリア系だから」という理由で没収されてしまう。
ブガッティは新たにパリに新工場を建設し、自動車製作を再開したが天才デザイナー、ジャンを欠いたブガッティに戦前の精彩は失われていた。
1947年8月にエットーレは65歳で死去。死因ははっきりしないが、数ヶ月前から意識が混濁しており、死去の2ヶ月前にアルザスの土地が裁判所命令で手元に戻っていたことも理解しないままに世を去ったという。
エットーレ亡き後、1951年にブガッティはType101を発売するが、これは戦前のType64の焼き直しで、デザイン的にも性能的にもあまりに時代遅れとなっていた。
なお、Type101のシャーシにアメリカのバージル・M・エクスナーというデザイナーがアメ車風ボディを被せた「エクスナー・ブガッティ」というコンセプトカーを1965年に製作しているが、フランス車のシャーシとアメリカ車のボディという、絶対に混ぜたら危険な組み合わせを実行した結果、すごいことになってしまったので量産はされていない。
この後、ブガッティはほそぼそと自動車、航空機の部品生産を行っていたが、1963年にイスパノ・スイザに吸収され消滅した。

あれ、ちょっと待て、ヴェイロンの話をするつもりなのに、ブガッティの歴史が終わっちゃったぞ、と思ったら、1987年にイタリアの実業家がブガッティの商標を購入しブランドとして復活、さらにこのブランドがフォルクスワーゲン社に買い上げられ、フォルクスワーゲンは高級車ブランド用子会社、「ブガッティ」をアルザスに設立。この新ブガッティが唯一生産販売したのがヴェイロン(ブガッティType57で1939年ル・マン24時間耐久レースに優勝したピエール・ヴェイロンにちなむ)で、ヴェイロンはその超高級さ故にクーペタイプ300輌、オープンタイプ150輌の限定生産と最初から決まっていた。
ヴェイロンの購入にはブガッティ社の審査基準を満たす必要があり、その価格はアメリカ市場で最低125万ドルであったそうだ。

それでは、この究極のスポーツカー、ブガッティ・ヴェイロンの姿を完成見本写真で見てみよう。

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……あー、まぁ、うん、なんていうか、マット紙使ったのが失敗だったんじゃないかな。
ピカピカのアート紙で作ればまた違うと思うよ。
手間をかけるなら、正面グリル部分にメッシュを貼り、メッキ部分はメタルシートを使うことでさらに高級感が増すことだろう。

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スタイルは、ヴェイロンの本物見たことがないから、何を言っていいのかよくわからない。
ちょっとブレードランナーのスピナーに後ろ姿の雰囲気が似てるような、そうでもないような、そんな気がしたりしなかったりする。

なんか筆者が高級車に縁がないことばかり目立った感じのAgny Papirの新製品、スーパーカー Bugatti Veyron 16.4 Grand Sportは18分の1と24分の1の2通りで組み立てることが可能。難易度は5段階評価の「3」(普通)、そして定価は8ドルでダウンロード販売のみとなっている。
ヴェイロンを購入したいが、ブガッティの購入審査を受けるのはめんどくさい、そんなブガッティファンのモデラーにとって当キットは見逃すことのできない一品と言えるだろう。もちろん、実車の15万分の1の価格で購入できる、というのも魅力的であることは言うまでもないだろう。



*画像は全て ecardmodels.com からの引用。
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