Heinkel Models アメリカ南軍装甲艦 "CSS Stonewall"

さぁ、年を越しても快調に迷走を続ける当ブログ。その主力コーナーであるような気がしている当コーナーも本日から2015年の記事がスタートだ。
今回はめでたい今年初めの新製品紹介記事なので、景気付けに意外ながらもそこそこ有名なアイテムを紹介しよう。
本日紹介するのはecardmodelsを拠点に活躍するスペインのデザイナー、Fernando Pérez Yuste氏のブランド、「Heinkel Models」の新製品 アメリカ南軍装甲艦 "CSS Stonewall" だ。

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なんでアメリカ南北戦争の南軍艦艇が「そこそこ有名」なんじゃい、と思うモデラーもいるかも知れないが明治日本海軍ファンのモデラーなら名前を聞いてピンと来たことだろう。
そう、CSS Stonewallは後に日本が購入し、日本海軍初の装甲艦「甲鉄」となった船である。

1861年に勃発した南北戦争は大規模、長期化し「近代戦の前哨戦」の様相を示していた。工業化に遅れ鉄道総延長でも遅れをとった南軍に対し、開戦直後に制海権を握った北軍(連邦政府軍)は海上経済封鎖、いわゆる「アナコンダプラン」で締め上げを強めており、これは着実に南軍戦力を基礎から崩しつつあった。
すなわち、海外との交通が遮断された南軍は海外からの援軍を得られず、武器を買い付けることもできず、情報も発信できないのでヨーロッパで北軍が「もちろん我々が勝ってますよ!」と吹きまくってるのを否定することもできない。だから国債も発行できないし、お金もどんどん減っていく。そもそも、ヨーロッパじゃ誰も南部新政府を承認していない(北軍に「南部連合を承認したらアメリカは開戦も辞さないですぞよ」と脅されてた)。

フランスも南北戦争に対しては中立を守っていたが、時のフランス皇帝、ナポレオン三世に謁見の機会を与えられた南部のエージェントが「フランスで南軍のための軍艦を造ることなんて…………できないですよねぇ?」と切り出してみたところ、「いや、もちろんそれは違法だけど、隠れて造ればいいんじゃない?」と意外な答えだった。
さらに、ナポレオン三世は装甲艦を売ってくれるという。北軍の連中が浮かべてるカマボコ板みたいなモニター艦じゃない、渡洋可能な本物の装甲艦を、だ。これはまだフランス軍にも数隻しか配備されていない当時の最新兵器であった。
フランス皇帝が何を考えていたのかわからない。イギリスはすでにこっそりと帆船を南軍に売却しており、それに対抗心を燃やしたのかもしれないし、新型の装甲艦を建造する経験を積みたかったのかもしれない。だが、建造を行った造船業者、Lucien Armanがナポレオン三世の個人的な親友だったというのを聞くと、なんだか話は怪しくなってくる。

なにはともあれ新型装甲艦の建造は始まったが、もちろん堂々と「南軍に売りますよ」とは言えないので、「この船はエジプトに売却します」という前提だった。だから船の名前も「スフィンクス」とエジプト風の仮名をつけ、さらに艦砲はイギリス製を搭載するという念の入れようだった。
が、やっぱり悪事はバレて、アメリカ連邦政府からフランス政府に「ふざけんな」と圧力がかかった。これにはさすがのナポレオン三世もションボリだ。

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説明長くて読者が飽きそうなんで、公式ページの完成見本写真を適当に挟んでおこう。
横から見ると水面下艦首の異様なデッパリが目につくが、これは相手の船体をぶち破る「衝角」。当時の艦砲では装甲を貫徹できないので、「装甲艦vs装甲艦」の戦いになったらこれで決着をつけよう、ってわけだ。海外の資料では当艦の分類が「衝角艦」になってることもある。

南軍に売ることができなくなった「スフィンクス」だったが、造船所はせっかく造ったこの船を無駄にするつもりはなく、プロイセンとの間で第二次シュレスヴィヒ=ホルシュタイン戦争を戦っているデンマークに売却することにした。交戦中の国には兵器を売れないんじゃなかったのか。
なぜか議会にも文句を言われず、1864年6月21日に「スフィンクス」は名前を「Stærkodder」に変更されデンマークへ向け出発した。「Stærkodder」というのは直訳すると「力強いカワウソ」という、強いんだか弱いんだか良くわからない名前だ。
しかし、デンマーク海軍省は「水漏れがひどい」「装甲板が船体から浮いてる」「その装甲も言うほど大したことない」「船内が狭い」「そもそも北海の荒波には耐えられそうにない」と思いつく限りの難癖をつけて購入価格を値切り始めた。
さらに、値切り交渉中に第二次シュレスヴィヒ=ホルシュタイン戦争は終結。もはや脈なし、と見た造船所は船の引き上げを決定したが、デンマーク海軍は「うちのものでもない艦船をフランスの造船所が持って帰るのに、なんでうちの海軍の水兵が手を貸さなきゃいけないんですのん?」と回航人員を提供することを拒否。ひどいやつらだ。
仕方ないので、造船所は最初「スフィンクス」に乗り込む予定だった南軍水兵を乗せてコペンハーゲンを出港する。

そして1865年1月6日、T.J.ペイジ艦長率いる南部連合水兵達は洋上で元スフィンクスを乗っ取り、艦名をかねて建造中からこっそり決めてあった「ストーンウォール」(南軍ジャクソン将軍のアダ名)に変更、南部連合海軍旗を上げアメリカへと進路を変更した。
一応、「乗っ取り」ということになってるが、これまた怪しいとしか言いようがない。

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お尻。相手に体当たりをぶちかますために、舵を二枚として操舵性を確保しているのが特徴。

北軍はストーンウォールの南軍入りを察知し、「USSナイアガラ」と「USSサクラメント」を派遣したが、こいつらはもちろん非装甲艦なんで、最新兵器である装甲艦を相手になにもできずにつかず離れず見守るだけだった。
1865年5月、やっぱり水漏れがひどい船を応急修理するためにストーンウォールはスペイン領キューバのハバナに入港。
ここでストーンウォール乗組員が聞いたのは、すでに先月、南北戦争は南軍の敗北で終結しているというニュースだった。バビンチョ。
しかたないので、艦長はストーンウォールを1万6千ドルでスペイン政府に売ってしまった。まじかよ。
ちなみにこのT.J.ペイジ艦長、フルネームは「トマス・ジェファーソン・ペイジ」という大層な名前で、「祖父が独立宣言にサインした」と言っていたそうだが、まぁ、眉唾だ。ストーンウォールを売り払った後はアルゼンチン海軍の近代化に尽力し、晩年はイタリアで過ごしたとか。
スペイン政府はストーンウォールを買ってはみたものの使い道を思いつかなかったか、あるいはアメリカ政府からの圧力で手放すこととし、購入と同額の1万6千ドルでアメリカ政府に売却した。

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前からの写真。正面に黒い窓が見えるが、ここから主砲を前に突き出して前方を砲撃する。敵に向かって突っ込んでいく衝角艦らしい武装配置だが、前部砲郭内で向きを変え、側面の砲門(装甲蓋が降ろされているので、この写真ではわかりづらい)から舷側方向を砲撃することもできた。
なお、主砲はたいていの資料に「11インチ300ポンドアームストロング前装砲」と書かれているが、イギリス海軍の制式の砲には該当するものがない。そもそも、口径11インチなら砲弾の重さは500ポンドはあるはずで、300ポンドなら9.5インチぐらいじゃないだろうか。

さて、アメリカ政府はストーンウォールを購入したものの、別に敵に渡したくないから購入しただけで港に係留したまま放ったらかしになっていた(一時的にでもアメリカ連邦海軍に編入されたかは不明)。
これに目をつけたのが、太平の眠りから覚めて国力増強に乗り出していた江戸幕府。
1868年、アメリカは1万6千ドルで買ったストーンウォールを前金3万ドル、代引き1万ドルで江戸幕府に売却する。ボロ儲けだ。
ストーンウォールは「甲鉄」に名前を変え、横浜に到着したがアメリカ政府は幕府への引き渡しを拒否した。
戊辰戦争が始まり、南北戦争とは逆に今度はアメリカが「中立国」になったからだ。
しかし、1869年には幕府軍は北海道へ追い詰められ、もはや明治新政府の勝利は明らかであるとしてアメリカは明治政府を承認、甲鉄の引き渡しに同意する。ん? と、いうことは前金3万ドルは幕府が払って、代引き1万ドルは新政府が払ったのか? 新政府軍にはずいぶんお得な買い物だな。
もちろん、幕府軍は納得いかない。幕府海軍は軍艦「回天」で甲鉄に接舷して斬り込み、これをぶん取るという大層勇壮な作戦を立てたが、岩手県宮古湾で甲鉄に突撃した回天は外輪船であるために「接舷」と言っても頭を甲鉄に突っ込むしかなく、回天船首から一列で飛び込んでくる幕府軍水兵は明治新政府軍の小銃(一説には手回し機関銃、いわゆる「ガットリング砲」を含む)の集中砲火を浴び、斬り込みは失敗した。
この「宮古湾海戦」を持って、日本海戦史の「近世」は終わる。

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後部の丸いものは旋回砲塔に見えるが、ただの円筒形砲郭。中には副砲の5インチ70ポンドアームストロング砲が2門がおさめられており、斜め4方向に砲門が開いている。もちろん、そのままぶっ放すと舷側が吹っ飛んじゃうので、射撃時には一部舷側を倒すのだろう(ボートもどかすものと思われる)。
ところでこの副砲も該当する砲がイギリス軍の制式火砲の中に見当たらない。5インチ50ポンド砲か5.5インチ70ポンド砲の間違いじゃないかと思うが、アームストロングだったら4.75インチ40ポンド砲のような気もする。ひょっとして、幕末期の火砲って製造元関係なしに洋式火砲は全部「アームストロング」って呼称してない?

「甲鉄」はその後、名前を「東艦」(もしくは単に「東(あずま)」)に改められ佐賀の乱、台湾出兵に出動したが当時の装甲艦は進歩著しく、急速に旧式化した。
1877年の西南戦争には瀬戸内海警備として出動したがこれが最後の実戦となり、1888年に除籍、解体された。

ところで「ストーンウォール」には同型艦があり、そっちは「Cheops」(キオープ。エジプトの「クフ王」のギリシャ名)と仮名がつけられていたが、どうも建造経緯がはっきりしない。南軍が2隻発注したのなら、こちらも引き渡された場合の名前があらかじめ決まっていそうなものだが、キオープにはそれがない。
一説には、ナポレオン三世は南軍にストーンウォールを売ることを決めた時、造船所にこっそり同型艦をもう一隻造るように命じ、「南軍が新型装甲艦を持ったら、絶対に北軍も新型装甲艦を欲しくなる。そしたら言い値で売ってやる」と企んだとか……悪い皇帝だ。実際、ストーンウォールがデンマークに売られるとき、キオープはデンマークの交戦相手、プロイセンに売却されプロイセン海軍初の装甲艦「Prinz Adalbert」となった。腹黒すぎだろ!

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テクスチャは汚しのないすっきりしたタイプ。甲板の木目パターンが美しい。

19世紀の列強ってのはどこも腹黒だな、と思いしらされるHeinkel Modelsのアメリカ南軍装甲艦 "CSS Stonewall"は海モノ標準スケール200分の1で完成全長約30センチ。難易度は5段階評価の「4」(難しい)。定価は10.5ドルとなっている。幕府政府に前金払わせようという企みは21世紀では通用しないので要注意だ。
当キットは南部連合海軍、明治日本海軍ファンのモデラーなら見逃せない一品と言えるだろう。

なお、日本海軍の艦艇と宇宙戦艦ヤマトを精力的にペーパークラフト化されているetsutanさんのサイト「papercraft etsutan」では明治日本海軍の艦艇多数の展開図が無料公開されており、そのラインアップには装甲艦「東」も含まれている。
明治日本海軍ファンのモデラーなら、こちらも併せてチェックしておきたい。



画像はecardmodelsからの引用。
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こんなものまで!

「東」が明治政府に来るまでに、こんな隠れたエピソードがあったんですね。このメーカーさんにはもう一踏ん張りして榎本艦隊の「開陽丸」を出してもらいたいものです。

Re: こんなものまで!

azukenさん、こんばんは。コメントありがとうございます!
基本的に情報ソースがWikipediaなんでどこまで本当なのかわかりませんが、とりあえずナポレオン三世が腹黒いということはわかりました(笑)
開陽丸って、オランダ船だったんですね。
夢の幕末艦隊完全キット化に向けて、とりあえず甲鉄艦をラジコン化してみるというのはどうでしょう。舵も二枚で操作性良さそうです。
ラジコン化した甲鉄が衝角で他のラジコン艦船をド突き回してる動画を見たら、作者も感激して幕末艦隊を次々にキット化してくれるかも! くれないかも!


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