WEKTOR イギリス軍戦闘機 Bristol M1C

今回は休日出勤と代休の関係で月曜更新。いよいよ待ちに待った秋の新作情報も届き始め、余裕の表情で紹介するのはポーランドのブランド、WEKTORの新製品 イギリス軍戦闘機 Bristol M1C だ。

Bristol 01

満を持して出てくるのがこんなマイナー機なんだからカードモデルはやめられない。
Bristol M1は第一次大戦中、イギリスのブリストル社主任設計技師、フランク・バーンウェル(後にブリストル・ブレニムも設計した)が「どうもイギリスの戦闘機はドイツの戦闘機に比べて性能がいまいちだ」と思って自主的に開発した機体だった。
設計は高速性能に主眼を置いたようで、円形の断面(まだ四角い断面の飛行機が多かった)、大型のプロペラスピナー、肩持ちの単葉、という当時のイギリス機としては珍しいスタイリングとなった。たぶん、名前の「M1」はマンザイグランプリではなく、単葉(モノプレーン)のMだろう。
初飛行は1916年7月14日。機体は設計意図の通りに最高時速200キロを記録。これは1915年末から連合軍機をオモシロイようにはたき落とした宿敵、ドイツのフォッカー単葉機よりも50キロ以上早かった。おまけに高度3千メートルまで8分30秒で駆け上がってみせ、これはフォッカー単葉機が千メートル登るのにも息切れしながら10分もかかっていたのとは比べ物にならない高性能だった。
陸軍はこの性能に興味を示し、さらに4機の試作を発注する。この4機は機体との相性を見るためにそれぞれが違うエンジンを搭載していた。また、これに伴い試作1号機がM1A、追加試作機がM1Bに名称変更された。
M1Bには武装として7.7ミリヴィッカース機関銃も追加されたが、ほとんど性能の低下はなかった。

しかし、陸軍航空隊は採用の段階になって急に渋りだした。
実は1912年9月10日にバーンウェルの前任者、アンリ・コアンダが設計した「ブリストル・コアンダ単葉機」が空中で支持ワイヤーが切れて空中分解、乗員2名が死亡するという事故があり、その後半年は単葉機は全面飛行禁止となっていた。この全面禁止が解けた後も「どうも単葉機は危ない」という根強い不安感が陸軍の中にあったのだ。こういう微妙なところで急に保守的になるのがイギリス人。
ちなみに、このアンリ・コアンダ(ルーマニア人)という人は、1910年にジョバンニ・カプロニ(カプロニ・カンピーニジェット機を造った人)と意気投合して「これからの飛行機はジェットだ!」といきなり言い出してカプロニの工房でレシプロエンジン4基で圧縮した空気を燃焼させる変則ジェットエンジン機「コアンダ=1910」を完成させてしまったという天才だ。
コアンダ=1910は惜しくも滑走中に炎上したために飛行は叶わず、「世界初のジェット機」の名誉は逃したものの、燃える機体から脱出したコアンダは燃料を吹きつけられて激しく燃え盛る機体を見て「噴流は凸状の物体の表面に沿って流れる」という「コアンダ効果」を発見した、というのだからやはり天才というのは一味違う。

結局、ブリストルM1は「着陸速度が早すぎて、これじゃフランスの狭い飛行場では使えないでしょ」という難癖をつけられ、主力戦闘機にはなれなかった。まぁ、当時は格闘戦全盛期だ。ブリストルM1で敵背後から緩降下に入って一掃射を加え、撃墜できなかったら得意の高速性能と上昇性能で急上昇して振り切る一撃離脱を繰り返せば、一方的に敵機を撃墜できるよ! ってのは第二次大戦の空戦を知ってる人間だから言える後知恵だ。
とはいえ、陸軍航空隊もこの高速性能は惜しかったので、「まぁ、フランスじゃなくてもっと広い飛行場がある場所でなら、使えるかもねー」と125機を追加発注。この量産型が「ブリストル M1C」となる。
なお、量産機のうち1機はブリストル・ルシファーエンジンのテストベッド機となり、この機は「M1D」に分類されている。

それでは、ここで長い話を一休みして公式ページの完成見本写真を見てみよう。

Bristol 03 Bristol 05

ドュペルドサン・レーサー機を彷彿とさせるスタイリングはイギリス機というより、フランス機のようだ。
派手な塗装の多い第一次大戦期の中でも目を引くド派手なシマシマ塗装は訓練部隊の塗装とされているが、どの資料にも時期と部隊番号がはっきり書かれていなかったり、シマシマ塗装も「ベース塗装の上に白線が書き込まれている」とする資料と「白の部分はクリアドープのみ(地の帆布色が透けている)」とする資料があったりして、ちと怪しい。
なお、表紙では機首にビッカース機関銃を積んでいるが、キットでは積んでいない。設定は訓練機なのでどうも積んでいない方が正しいようだ。

Bristol 06 Bristol 07

操縦席左右の主翼に開いている穴は下方視界を得るため。この程度の穴で何が見えるのか不安だが、着陸速度が早いM1では着陸時に地面が見える必要があったのかも知れない。
カウルギリギリまである巨大スピナーが特徴的だが、同じようなスタイリングのモラン・ソルニエNではこの巨大スピナーが邪魔でエンジンがきちんと冷えず、オーバーヒートを繰り返したのでスピナーを外して運用されることも多かった。なお、外しても性能には大差なかったそうだ。

試作5機+量産125機が作られたM1だが、戦線に送られたのは33機に過ぎなかった。これらは中東、バルカン半島で使用され、イギリス空軍(1918年4月に陸海軍航空隊が独立)第150飛行中隊のFrederick Dudley Travers(生涯撃墜数9)はブリストルM1で5機を撃墜、同機唯一のエースとなった。F.D.Traversの最後の撃墜は1918年9月16日で、「ドイツ軍最良の戦闘機」といわれたフォッカーD.VIIを撃墜している。
また、チリから発注されイギリスの造船所で建造中だったド級戦艦「アルミランテ・ラトーレ」、「アルミランテ・コクラン」の2隻が開戦時にイギリス海軍に徴用されたためにごめんちゃい、とチリに支払われた違約金の一部として、12機のM1がチリに譲渡されている。
チリ軍大尉Dagoberto Godoyはそのうちの1機で世界初のアンデス山脈超え飛行に成功しており、さすが高度性能に優れたブリストルM1の面目躍如といった感じだ。
戦線に送られた33機とチリに送られた12機以外のM1は全機がイギリス本土で練習機として使われた。
実際に戦場で乗る機体よりも速度が速い、特に着陸速度が速い機体を練習機にしてしまっていいんだろうか、とも思うのだが、現場では「取り回しがいい」と士官達が個人的に乗り回すのに好評だったそうだ。いいのか、それで。

突出した性能を持ちながら、本来の目的と違う任務にばっかり使われた隠れた名機、イギリス軍戦闘機 Bristol M1Cは空モノ標準スケール33分の1でのリリース。難易度表示はないが、複葉機に比べれば張り線などの工作も楽そうなので5段階評価の「4」(難しい)にしておこう。定価は20ポーランドズロチ(約650円)。
第一次大戦機ファンのモデラーなら、KARTONOWA KOLEKCJAから発売されているライバル機、フォッカーD.VIIと作り比べてみるのもいいだろう。また、よく似た肩持ち単葉デカスピナー機のモラン・ソルニエNに興味があるなら、もう3年も更新が止まってるMODELE KARTONOWEのページでフリーモデルをダウンロードし、並べてみるのも面白そうだ。もちろん、チリ空軍ファンのモデラーにとっても、当キットは見逃せない一品となることだろう。



画像はWEKTOR公式サイトからの引用。


*定価はあくまでも現地で購入する場合の値段です。日本国内で購入する場合には輸送費などを考慮し、2倍~3倍程度になるとお考えください。
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