WEKTOR アメリカ製長距離飛行挑戦機 Bellanca J-300 Specjal

暑い。今日も暑い。
しかし、それを愚痴っていると、毎回書き出しが「暑い」か「湿気がすごい」になってしまい、せっかく読みに来て頂いた読者が「あれ? まだ更新されてない?」と思うので、あまり言わないようにしよう。
そんな鬱陶しい気候を吹き飛ばすには、爽快な冒険物語が一番。今回はポーランドの新進ブランド、WEKTORの新製品、海を超える冒険飛行に使われたアメリカ製長距離飛行挑戦機 Bellanca J-300 Specjalを紹介しよう。

bellanka okladka

なんか派手な感じの飛行機の前に中年太りのぱっとしないおじ様二人が立っているという、妙な表紙。スラックスにネクタイ、セーターなんて格好だし、飛行機会社の偉い人なのかな? と思ったら、この二人が物語の主人公だった。

移民の国アメリカには、専門知識を持つ高度な技術者から新しい生活を求める労働者まで、様々な国から様々な人々が移住してくる。
航空技術者ジュゼッペ・マリオ・ベランカもイタリアからの移民であった。海を超える長距離飛行に興味のあったベランカは1925年、ライト兄弟が作ったライト社(すでに兄弟は経営から退いている)に雇われライト=ベランカWB-1、WB-2を開発。WB-2は後にリンドバーグが「大西洋横断にはこれが最適だ!」と購入交渉に来たぐらいの傑作機だったが、経営上の判断からライト社は生産を行わないこととした。がっかりしたベランカはWB-1、WB-2の生産権利を引き上げてライト社を退社。別の出資者の元でコロンビア飛行機社を設立する。ライトはそんなことしてるからカーチスに吸収されちゃうんだぞ。

ところが、コロンビア飛行機はせっかくWB-2を買いに来たリンドバーグに、「乗員にコロンビア社のパイロットを入れないと売ってあげないよ」と条件を付けた。すこしでも機体を軽くしようと乗員は自分ひとり、歯ブラシは置いていってパリで買うことにしたリンドバーグが歯ブラシよりも幾分重めのコロンビア社のパイロットを乗せていくはずもなく交渉は決裂。コロンビア社は独自に大西洋横断を計画したが、ごちゃごちゃやってるうちにリンドバーグがライアン航空機の機体で大西洋を超えてしまった。
これで再びがっかりしたベランカはコロンビア社も退社。いいかげんうんざりしていたので今度は自分でベランカ飛行機会社を設立した。

自分の会社で設計、販売を始めたベランカは6座席の軽旅客機「CH-200」を開発。これがまたべらぼうに航続距離の長い機体で、1928年には単機で(空中補給を受けない)滞空時間35時間、なんて記録を作った。
さらにベランカはCH-200を改良した「CH-300」を開発。この機体は様々な冒険飛行に使用されている。
1931年、CH-300の長距離カスタムタイプ(客席を全部つぶして燃料タンクにしている)、「J-300 スペシャル」はニューヨークからトルコ、イスタンブールまでの49時間の無着陸飛行に成功。5千マイル(8千キロ)を超える世界初の無着陸飛行でもあった。
また、1931年にはクライド・パングボーンとヒュー・ハーンドンの乗ったJ-300「ミス・ビードル号」が青森県の淋代海岸から飛び立ちアメリカ西海岸に到着、初の北太平洋無着陸横断を達成している。

これを聞いて、自分たちも冒険飛行に関わろうと思い立ったのが兄ジョゼフ、弟ベンジャミンのアダモウィッツ(Adamowicz)兄弟だ。彼らはポーランドからの移民だった。名前がアメリカ風なのは、移民の際にアメリカ風に改名したのだろう。
二人はまだ誰も成し遂げていないアメリカからポーランドへの飛行を計画、2万2千ドルでJ-300 スペシャルを買った。資料にははっきり書かれていないが、どうも借金での購入だったように感じる。
ところが、大事な大事なこのJ-300、雇ったパイロットが練習しているうちに着陸に失敗してしまった。
幸い、損傷は小さかったが、機体を修理した兄弟は重要な決断をする。
こうなったら、自分たちで飛ぼう。
言うのは簡単だが、それにはちょっと問題があった。と、言うか、ちょっとどころじゃない問題があった。
彼らは他の冒険飛行士のような、プロの飛行家ではなかったのだ。
ニューヨークでソーダの製造、販売業を慎ましく行っていた彼らは1928年に航空ライセンスを取っており、小さな競技会で優勝したこともあり操縦は巧みだったようだが、そんな日曜パイロットが挑戦していいもんじゃないだろう、大西洋横断って。
しかも、挑戦の準備が整った1934年に兄ジョーは41歳、弟ベン36歳。25歳で大西洋を超えたリンドバーグに比べてあまりにも歳を取っている。

しかし、やると決めたらやるのだ。
1934年6月28日、二人を乗せニューヨークを出発したベランカJ-300 スペシャル「ワルシャワ号」(厳密には「ワルシャ市号」)はニューファンドランド島で補給を行い29日、大西洋へと飛び立つ。
わずか6時間後、高度を取り過ぎた機体は着氷でほとんど操縦不能となった。操縦桿を握るベンは機体を温め氷を振り落とすために機体を降下に入れる。雲の下は嵐だった。
航法を行っていたジョーは思わず航空日誌に書きなぐった。「神の慈悲が我らにあらんことを」
悪天候を突っ切り、数時間後に低い雲の上に出た時、二人は燃料が漏れていることに気がついた。
実は、アメリカからポーランドへの飛行は兄弟の挑戦が初めてではなかった。
兄弟に先立つこと2年、1932年に同型のJ-300 Specjalで単身大西洋横断に挑戦したスタニスラフ・ハウスナー(アメリカ人。ポーランドからの移民)は燃料漏れにより海上に不時着、8日間の漂流の後にイギリスのタンカーに救出されている。

だが、神は兄弟を見捨てなかった。
燃料漏れを塞ぎ、緊急用の燃料缶からメインタンクに燃料を移したところ、、まだ燃料はヨーロッパに到達に十分な量が残っていた。単身飛行ではこうはいかない。
6月30日、ワルシャワ号は海岸線を超えた。が、そこがどこだかわからない。素人の航法では現地点を断定することはできず、地上は濃い霧に覆われている上に無線機は重量軽減のために積んでいない。
3時間、さまよった挙句に決断した兄弟は開けた牧草地へと着陸を強行、逃げ惑う牛の群れを避けながら機体を停止させる。
そこはフランスノルマンディー地方、カーン近郊であった。

翌日、損傷した降着装置を修理したワルシャワ号はパリへ向けて出発。ドイツを経て2日にワルシャワへ到着した時には大変な歓迎を受けた
ワルシャワで兄弟を撮影した写真があるが、最初、どれが兄弟だかわからなかった(両脇で花束を持っているのが兄弟)。言っちゃ悪いが、とてもじゃないが二人は「冒険家」には見えない。
だが、この二人のソーダ屋のオヤジは偉業を成し遂げたのだ。
定義は難しいが、おそらくこの二人は世界で初めて大西洋を無着陸で横断した「アマチュア飛行家」だろう。

大歓迎の祝典の後、二人はワルシャワ号を現地で売却して船でアメリカへ向かった。
帰ってソーダを売らなきゃいけなかったのだ。
ワルシャワ号はその後、軍に徴用され第二次大戦でドイツ軍に押収された。ルーマニア方面で再利用されたようだが、最後は明らかになっていない。
アメリカに帰ったアダモウィッツ兄弟のその後もよくわかっていないが、ソーダの設備で密造酒を作ったとして起訴された記録があるらしい。
英雄であると同時にただのソーダ屋だった二人にはその後、特筆すべき記事はないのだろう。
兄ジョーは1970年、弟ベンは1979年にそれぞれニューヨークで死去したという。

それではこの、知られざる偉業を成し遂げたベランカJ-300スペシャル「ワルシャワ号」の勇姿を公式ページの完成見本写真で見てみよう。

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燃料さえ続けばいくらでも回ってくれるエンジンはライト・ホワールウィンド。ライト社の飛行機はぱっとしなかったがエンジンは素晴らしかった。首周りの放熱スロットの工作が細かいが、ここはチャームポイントなのできれいに仕上げたい。
機首に「パイロット ベン/ジョー アダモウィッツ」と書き込まれているのも見える。
キットは特色シルバーでの印刷部分もあるそうだ。

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すごい機体なのに飛んでいる姿はけっこう平凡だ。リンドバーグの「スピリット・オブ・セントルイス」(前方窓がない)みたいなトンデモなさは感じさせない。
表紙では翼はもっと濃い真っ青だが、ここでは薄いブルー。これがテストプリントだからかはわからないが、どうも実際塗装の青の濃さがどうだったのかは意見がわかれるところらしい。個人的には写真でかなり明るく写っているところから、この写真の青が近いのではないかと思うがどうだろう。
なお、太平洋横断を行った「ミス・ビードル号」は機体を軽くするために「離陸後に車輪を切り離す改造がされていた」と良く書かれているが、もともと自分の飛行機が長距離渡航飛行に使用されることを想定していたベランカはWB-2で緊急着水時に車輪が水に捕まって機体が前転するのを避けるために車輪投棄機構をつけていたので、ミス・ビードル号ももとから車輪投棄は可能だったのかもしれない(だからって、離陸直後に投棄しちゃうパイロットは少なかっただろう)。

見た目平凡なソーダ屋の兄弟が大冒険を成し遂げた見た目平凡な機体、アメリカ製長距離飛行挑戦機 Bellanca J-300 Specjalは空モノ標準スケール33分の1で完成全幅約43センチ。定価は25ポーランドズロチ(約800円)となっている。
冒険飛行好き、そして中年オヤジの爽快逆転物語が大好き、というモデラーにとってこのキットは絶対に見逃すことができない一品と言えるだろう。



画像はWEKTOR公式サイトからの引用。


*定価はあくまでも現地で購入する場合の値段です。日本国内で購入する場合には輸送費などを考慮し、2倍~3倍程度になるとお考えください。
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ミス・ビードル号は母の故郷の近くから飛び立った機体なので色々聞かされてましたが車輪投棄機能が元々付いてたものとゆう事は初めて知りました、
勉強になります。

Re: タイトルなし

火炎瓶さん、こんにちは!
もともとのベランカJ-300に車輪投棄機能があったのかは資料を読んでも一向に判然とせず確証がないのですが、WB-2にあったのだからCH-300はともかく、J-300にはその機能があったんじゃないかな、と推測します。
(もちろん、だからといってパングボーンとハーンドンの冒険魂が少しでも色褪せるものではないですが)
真っ赤なリンゴを積んで飛んだ真っ赤な飛行機。あの時代の冒険飛行機の中でもミス・ビードルは際立って美しい一機ですね。腹の追加タンク込みで誰かカードモデル化しないものかと思います。
今後共、よろしくお願いします!
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