Hobby Model ソビエト製ロケット R-7 „Sputnik-1"

いよいよ静岡ホビーショー直前。展示会参加モデラー諸氏は持ち込む作品の準備は完了しただろうか。この場に及んで、まだSu-76iの車外装備品を作ってるようなトンチキはいないだろうか。
そんな厳しい現実を華麗に忘れて、今回紹介するのはポーランドHobby Model社の新製品、 ソビエト製ロケット R-7 „Sputnik-1"だ。

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おお~、シンプルながらも力強いスタイル。これぞソビエト流デザインの真骨頂、世界初の人工衛星「スプートニク」を打ち上げたR-7ロケットがカードモデルとなって登場だ。
登場したけど、完成写真がこの表紙写真しかないのでキットの話はおしまいだ。
西側のジェミニ計画のロケットなどを見慣れていると、東側のロケットはロシア農婦を彷彿とさせるやたらと下半身のドッシリした安産型だが、これは西側に比べると出力の小さなロケットを束ねた構造となっているからだ。とは言っても、その原因を「東側の技術者が大出力ロケットエンジンを作れなかったから」と言い切ってしまうのは早計で、彼らにしてみれば「新たに大出力ロケットエンジンを設計するよりも、使いなれたロケットを束ねて使えばいいじゃない」というソビエト流の合理的発想だった(R-7系列のロケットは中央と周囲のブースターにそれぞれ4基づつのノズルが見えているが、これは1基のエンジンの出力を4つのノズルに分配しているだけで、それぞれに4基の細いエンジンが入っているわけではない)。ただ、月へ人類を送り込む巨人ロケットの一段目にエンジンを30基も並べたのはどう考えてもさすがにやりすぎで、うまく同期が取れずに全ての打ち上げが失敗、ソビエトは月有人飛行をあきらめている。
なお、「スプートニク」という名前がスープと肉というロシア伝統の食事に由来する、というのは宇宙開発史を語る上では避けては通れない定番の駄洒落だが、本当は「衛星」という意味である。

人工衛星「スプートニク」の打ち上げ、そして世界初の有人人工衛星「ボストーク」の打ち上げで宇宙史に燦然と輝く業績を残したソビエト宇宙計画の中心人物であったのがСергей Павлович Королёв(セルゲイ・パブロビッチ・コロリョフ)である。コロリョフは西側の暗殺、誘拐を避けるためにその存在があえて曖昧にされており、ソビエト崩壊までは西側にとって謎の人物であった。
1907年1月、現在のウクライナで生まれたコロリョフは小さいころから成績優秀だったが、第一次大戦とロシア革命の混乱の中で鉄道技師、木工職人などの職を転々とする。
コロリョフの一家は1917年に黒海に面したオデッサに引っ越すが、そこにはロシア帝国水上機部隊が駐屯していた。ここで飛行機を見たコロリョフは強い興味を感じ、独学で航空力学を習得すると自分でグライダーを設計、組み立てたり、それに乗って飛んでみたり、落っこちて肋を2本やっちまったりした。

1926年、コロリョフはモスクワ工科大へ入学(さすがのコロリョフでも一回落第した)。そこで出会ったアンドレイ・ツポレフに実力を認められ卒業後はツポレフ設計局で働き始め古典的巨人機、ツポレフTB-3の設計では重要な役割を果たした。
1930年、コロリョフはロケットを宇宙旅行に使おうと夢見るフリードリッヒ・ザンデル(「太陽風帆船航法」や「スイング・バイ航法」の考案者。いくらなんでも時代を先取りし過ぎだ)率いる「反作用推進研究会」に参加し、たちまちこの方面へと傾倒していく。
ここでも才能を発揮したコロリョフは液体燃料ロケットチームのリーダーに任命され、1933年にソビエト初の液体燃料ロケットGIRD-Xの打ち上げに成功。GIRD-Xは打ち上げと改修を繰り返し、最終的には2キロのペイロードを搭載し、高度5.5キロに到達している。これは同時期のドイツ宇宙旅行協会の倍を超える大記録だ。
1934年に研究会は軍の予算を獲得し、さらに大規模、本格的なステップへと進む。研究課長となったコロリョフは多忙な毎日を送ることとなった。

1938年、順風満帆と思われていたコロリョフの人生とソビエトロケット開発をスターリンの「大粛清」が襲った。
6月22日、先に逮捕されていた同僚ヴァレンティン・グルシュコが苦し紛れに「あいつもサボってました」と告発したために、コロリョフは意図的に仕事を遅延させたとして内務人民委員部(NKVD)に逮捕された(後にコロリョフとグルシュコはロケット研究を再び共に行うが、コロリョフは生涯グルシュコを許さなかった)。
悪名高い強制労働キャンプに送られたコロリョフは過酷な待遇で歯の殆どを失い、内臓に深刻なダメージを負ってしまう。
1939年、大粛清を先導していたニコライ・エジョフが失脚。後任のベリアによりエジョフが逮捕・銃殺されると政治犯の扱いに変化が生じ、技術者は肉体労働ではなく頭脳労働を提供することとなる。コロリョフは囚人で構成されるNKVD第29設計局に配属されるが、そこのチーフはかつての恩師、アンドレイ・ツポレフ(国家反逆罪で逮捕)だった。
コロリョフはここでPe-2高速爆撃機の設計に関与している。

1944年に特赦により釈放され上昇率の悪いLa-7戦闘機のためのロケットブースターの実験などに関与していたコロリョフだったが、戦争が終わると突然に大佐に任命され特殊任務が与えられた。ドイツ軍のV2ロケットの奪取、改修が命じられたのだ。
西側の大抵の本には「ソビエトはV2の技術をコピーしてロケット開発を始めた。ドイツから連れてこられた技術者は全ての技術を『吸い上げられる』と無用となり、東ドイツに送還された」と書いてあるが、既述の通りソビエトはすでに独自の液体燃料ロケットの技術を持っていた。また、西側がフォン・ブラウンなどの中核メンバーを連れ去った後だったので、ソビエト側が獲得できたのは生産管理部門などの技術者で、ロケット開発にはあまり役に立たなかったために東ドイツに送り返されたとも言う。この辺は何が真実なのか、非常に難しいところだ。
もちろん、V2ミサイルの技術が全く無意味だった、ということはないだろう。コロリョフのチームはR-1と名づけた鹵獲V2の発射から始め、段々とロケットの性能及び信頼性を向上させていく。

1957年10月4日、バイコヌール宇宙基地から打ち上げられたR-7が低軌道に人類初の人工衛星、「スプートニク」を投入することに成功。宇宙時代が始まった。
スプートニクは二種類の周波数でパルス信号を送りながら地球を周回。磨き上げられた金属球のボディは地上からの観測ではおよそ6等星に相当し、目のいい人なら肉眼でもスプートニクがはるか頭上を通過していくのが見えたというが、しばらくスプートニクと近い軌道を周回していたロケット二段目の方が良く見えたので誤認していた人も多かったらしい。ちなみにNASAが与えた衛星カタログ番号00002がスプートニク1号、00001がロケット二段目である。
内蔵電池が切れる打ち上げ22日目にパルス送信が終了、スプートニクも打ち上げ92日目に大気圏に再突入して燃え尽きた。だが、この飛行でそれまでは不明瞭だった大気圏上層での大気密度や電離層についての貴重な情報が数多くが明らかとなった。
1961年、ユーリ・ガガーリンが人類初の有人宇宙飛行を達成。米ソの宇宙競争は次のステージ、月への有人飛行へと進む。
だが、宇宙競争の多忙さと重圧は強制労働で傷ついていたコロリョフの体を着実に蝕んでいた。
1966年1月、コロリョフは手術中に死亡。ガンで手の施しようがなかったとも、医療事故だったとも言う。
その3年後、人類は月に到達する。

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思い出したようにキットのことを書いておくと、テクスチャは大方の予想通り汚しのないタイプ。これ、写真じゃわからないけど特色シルバーなのかなぁ、わかんないなぁ。
スケールは、まさかの空もの統一スケール33分の1で、完成全高なんと80センチの大迫力モデル。35分の1フィギュアと組み合わせて情景を作るのもおもしろそうだが、ソビエトのロケットはロケットだけでは自立しない(だから燃焼開始後しばらくは発射台に支えてもらっている)ので、打ち上げ情景を作りたかったら発射台も自作しなければならないぞ。
難易度は3段階評価の「2」(普通)、定価は45ポーランドズロチ(約1500円)となっている。
本作は宇宙開発史に興味を持つ全てのモデラーにとって見逃せない一品であることはあえて言うまでもないだろう。

なお、Hobby Modelでは過去に同スケールでガガーリンを打ち上げた「ボストーク」ロケットもキット化しているが、こちらは手書き時代のキットで現在はカタログ落ちしており入手は困難。ショップで見かけたら是非とも押さえておきたい。
筆者は確かに以前ボストークを買ったはずなのだが、引っ越し以来行方不明だ。本当に本当に悔しい。



画像はHobby Model社サイトからの引用。


*定価はあくまでも現地で購入する場合の値段です。日本国内で購入する場合には輸送費などを考慮し、2倍~3倍程度になるとお考えください。
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