Orel 連絡船”Nomadic”

2013年、筆者の周囲半径30センチぐらいで空前の保存船ブームが来ていることはいまさら説明するまでもないだろう。そういえば未就学のころに氷川丸にも乗ったことがあるはずだが、昔過ぎてなんにも覚えてねぇや。まぁ、それはさておき今回はウクライナOrel社からリリースされた新製品、連絡船”Nomadic”を勢いで紹介しよう。

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今回のアイテムはイギリスで建造された船だが主な活躍地はフランス、でも記念船になって展示されている場所はイギリス、と複雑なので定形の国籍表示は無しだ。
「連絡船」というと、青函連絡船のように鉄道が途切れている区間を代替輸送する鉄道連絡船のことを思い浮かべがちだが、ここでいう連絡船は港が小規模だったり、波が高く船が埠頭に近づくのが危険な場合に船と埠頭の間を往復して貨客を運ぶ小型の船のことだ。他にいい呼び方がないかと思って探したのだが、「伝馬船」じゃないし、「内火艇」とも違う。そもそも字面のごとく「内火」といったら内燃機関のことだが、Nomadicは蒸気船だ。

Nomadicは日本では全く無名の船だが、彼女が仕えた客船三姉妹の名前は誰でも知っているだろう。Nomadicを建造したのはイギリス、ホワイトスターライン社。そう、Nomadicは同社の豪華客船「オリンピック」「ブリタニック」そして、「タイタニック」のために建造された船なのである。
「オリンピック三姉妹」の建造は1909年に始まったが、当時としては空前の巨大豪華客船であったために大きな問題があった。あまりに巨大なためにほとんどの港で埠頭に接岸できないのだ。
そのため、ホワイトスターライン社では、オリンピック級の寄港する主要港に連絡船を常備することとなり、フランス・シェルブール港向けに建造されたのがNomadicだった。
設計を手がけたのはオリンピック級の設計監督も務めたトーマス・アンドリューズ。オリンピック級に乗る裕福な船客に満足してもらうために船前半の一等船室の内装は贅沢な部材を存分に使用した非常に豪華なものとなっていた。乗船が遅れ洋上待機となる場合に備え、バーや男女別のバスルームまで備えていたという。
表紙画像でもわかる通り、大きく張り出した船尾や傾斜した煙突などオリンピック級と似たデザインアレンジを施されており、大きさこそオリンピック級の全長270メートルに対しわずか67メートルしかないものの豪華客船の侍女として恥ずかしくない優雅な姿を湛えていた。

北アイルランドのベルファスト、ハーランド&ウルフ造船所で建造されたNomadicは1911年5月にオリンピック号と共にシェルブールへ到着。オリンピック号の処女航海に乗船する貨客を運ぶ最初の仕事を果たす。
1912年4月10日、オリンピック級2番船「タイタニック」が処女航海でシェルブールに寄港。Nomadicはホワイトスターライン社長、チャールズ・イズメイを含む274人の旅客をタイタニック号へ運んだが、タイタニックはそのまま帰ってこなかった。

1914年に始まった第一次大戦ではNomadicはフランス政府に徴用され、ブレスト軍港で輸送に従事。新大陸からやってきた援軍、アメリカ第7歩兵師団を揚陸させている。
終戦で徴用を解かれたNomadicはシェルブールで元の仕事に戻ったが、船を所有するホワイトスターライン社はタイタニック号の事故以来、経営は悪化していた。そもそも、Nomadicが仕えるはずだったオリンピック級3隻のうち、タイタニックは事故で、ブリタニックは戦時中に触雷して沈没してしまった。
1927年、ホワイトスターライン社が国営企業の王立郵船に身売りするのと前後してNomadicもフランスの企業に売却されたが、1934年にはシェルブール港が改修され大型客船の接岸が可能となったためにNomadicは出番を失い繋留されっぱなしとなる。

二度目の世界大戦がヨーロッパを覆うと、老Nomadicは1940年にフランスの航空機メーカー、アミオ社の技術者や兵士を満載してドイツ軍の迫る北フランスから脱出、イギリスに逃れる。今度はイギリスに徴用されたNomadicは哨戒、機雷敷設などに従事した。
戦後、Nomadicはシェルブールに戻るが、シェルブール港はノルマンディー戦で追いつめられたドイツ軍が籠城し、港湾施設を徹底的に破壊していたために大型船の接岸ができず、Nomadicは再び連絡船として活躍。新世代の豪華客船、クイーンエリザベス、クイーンメリーに貨客を運んだこともある。
1968年、ついにNomadicは引退。港に繋留されたまま、権利は複数の所有者の間を転々としたが最終的にセーヌ川に曳航され、船上レストランへと改装された。二度の大戦を経験したとは言え、もとがタイタニック譲りの豪華内装だ。さぞや優雅な食事が楽しめたことだろう。

だが、いくら豪華でもやっぱり時の流れには勝てない。2000年ごろにはレストランとしての経営は悪化し、2002年にNomadicはパリ当局によって差し押さえられてしまった。
当局では船を保管のためにル・アーブル港まで曳航しようとしたが、繋留されている30年の間にセーヌ川には新しく橋がかかっており、それをくぐるために上部建造物の一部が取り払われた。
そして2005年、船は競売にかけられることとなる。最低入札価格は25万ユーロ(今のレートで約3500万)。買い手がつかない場合、Nomadicはスクラップとして売却される。
歴史的船を救おうと基金が設立され広く募金が募られたが、最低入札価格には届かずいよいよ波乱の運命もここまでかと思われたが、世論に動かされた北アイルランド政府が支援を決断。25万+1ユーロでNomadicを落札した。

2006年、長期の繋留で船体の老朽化が進み、煙突や通風筒などの突出部が薙ぎ払われて残骸のようになったNomadicは大型運搬船に乗せられてベルファストハーランド&ウルフ造船所のドックへと帰ってきた。建造以来約100年、これが初めての帰還であった。
保存に関しての資金は決して潤沢ではなかったが、無償での修理の申し出など厚意に支えられ修復は進んだ。寄付によりフランスの博物館に収められていたオリジナルの部材や同時代のパーツも集められたが、中でも大物だったのは東アフリカのケニア、ウガンダ、タンザニアにまたがるヴィクトリア湖で現役だった汽船がNomadic建造と同時期の蒸気機関をそのまま使用していることがわかり、これを購入したことであろう。

2011年11月。Nomadicは第一次修復を終えた。
まだ航行はできず、水を抜いたドックに入居したままだが、Nomadicは栄華を誇ったホワイトスターライン社最後の現存船として、また第一次大戦以前の古き良き時代の船旅を今に伝える貴重な博物館として一般に公開されている。

なお、Nomadicの入っているドックのすぐ近くでは、軽巡洋艦HMSキャロラインが修復中である。HMSキャロラインは世界最大の海戦、ジュトランド沖海戦に参加した艦艇で現存する最後の1隻である。ベルファストへ行く時にはこちらも併せて見学しておきたい。

さて、説明が滅茶苦茶に長くなったが、完成見本写真は1枚きりしかない。

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なるほど、たしかに「ミニ・タイタニック」という感じのスタイリングだ。
Orelの連絡船”Nomadic”は海モノ標準スケール200分の1で完成全長約33センチという小さな小さな豪華客船だ。難易度は3段階評価の「2」(普通)、定価は75ウクライナフリブニャ(約850円)とお手軽。
もし、作業台に余裕があるのならMAŁY MODELARZから最近発売になった同スケールのタイタニック号と並べ、最初で最後のシェルブール出港の日に思いを馳せるのもいいだろう。

なお、最後となったが、船名の「Nomadic」というのは「放浪癖がある」「漂泊の」など、定住せずにふらふらとし続けることを指す形容詞である。
*今回の記事は主に記念船Nomadicの公式サイトを参考としました。


画像はOrel社サイト公式フォーラムからの引用。


*定価はあくまでも現地で購入する場合の値段です。日本国内で購入する場合には輸送費などを考慮し、2倍~3倍程度になるとお考えください。

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おされなお船ですね

ちっちゃいけども、気品漂う佇まいのお船ですな~。
でかい客船と桟橋をいったりきたりと、ちょこまか動き回っていたのかと思うと、とてもいじらしく感じます。
このような船が保存されるというのが、いかにもヨーロッパっぽいですね。
日本なら、歴史の風格が出てくる前にスクラップですからねぇ。

Re: おされなお船ですね

azukenさん。こんばんは!
このキットについて調べるまでこの船のことは全然知らなかったんですけれども、本当に豪華客船の魅力をぎゅっと凝縮したような船ですね。なんだか、小さな女の子が精一杯に着飾ってるような、微笑ましい可愛らしさがなんとも言えません。叶うことなら一度現物を見てみたいです。
そういえば千葉市にあった海防艦「志賀」、見に行く前に取り壊されちゃったなぁ……
展開図公開中
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