MODELIK ポーランド製バイク SHL M04

先週平日はほとんど開発室泊まり込みで帰ってこれなかったので更新滞ってました。申し訳ございません。
職場に泊りこみ、なんとか帰宅できても自宅では寝るだけ。そして関東は梅雨入りして天気は雨。
しかし今週末はそんな憂鬱な日常を吹き飛ばしてくれるような好天に恵まれ、久々に愛車にエンジンをかけドライブに、あるいはツーリングに出かけたモデラーも少なくはないだろう。
本日はそんなアウトドア派モデラーにおすすめの一品が登場だ。今回紹介するのはポーランドMODELIK社からの新製品、ポーランド製バイク SHL M04 だ。

SHL M04 okladka

いやいやいや、いつにも増して味のある表紙だ。なんだか斜めってる所でセンタースタンド立ててるから、そのままバッタリと転びそうで見てて不安になるぞ。影もないし。この表紙、よく見ると背景の上にバイクを合成してあるわけじゃなくて、バイクの周りの余白に背景描いてるんだな。

表紙だけで盛り上がってると話が進まないので、SHL M04の話をしよう。「話をしよう」とは言ってもポーランドの民生用バイクなんてネットで調べてもあまり詳しいことがわからなかった。
しかし、バイクに詳しいモデラーなら、この表紙を見て即座にこう言うことだろう。「こりゃ、ヤマハのYA-1じゃないか」と。

「SHL」というブランドのもとを辿ると、1919年、ポーランドのシフィェンティクシシュ県キェルツェで創業した会社、「Huta Ludwików」(Ludwików鉄工所)がその前身に当たる。Huta Ludwikówは農業機械を生産していたが、1938年、イギリス製のエンジンを輸入し、同じ県内のSuchedniów工場でのオートバイ生産に乗り出す。オートバイは、アルファベット3文字に略するのが大好きなポーランド人らしく、工場の名前「Suchedniówska Huta Ludwików」の頭文字を取り「SHL」と名付けられた。
しかし、翌年には世界大戦が勃発。初代バイク「SHL98」(排気量98cc)は1000台ほど作ったところでバイク作ってるどころの話じゃなくなってしまったので生産は中断した。

戦後、共産政権によってSHL工場は接収され国有となったが、政府はバイク生産を続けるように命じた。命じられたものの、廃墟になった工場には工具も設計図も工作機械もない。どうやってバイクを作りゃいいんでしょう? と困っていたら、あら不思議! どこからともなく、125ccバイクのフレームや2ストロークエンジン、設計図が! これが、どう見ても敗戦国ドイツで戦前に生産されていた2ストロークエンジン小型バイクの元祖、DKW RT-125にしか見えない、なんていう些細な問題はこの際忘れて、SHLはこれを「SHL 125 – M02」として生産を開始した。
1948年のM03を経て1949年、M04モデルが登場。これらは総計で約1万8500台が生産された。
その後SHLは不思議とドイツ製にソックリなエンジンを150ccのオリジナルに変更した「M06」、さらに175ccの「M11」などを送り出す。「M11」は1962年からインドでライセンス生産が始まり、2003年まで生産されていたという。
1968年にはさらに新型の改良175ccエンジンを搭載した「SHL M17 ”Gazela”」が登場。これは約5万台を生産した。
だが1970年、ポーランド政府はポーランドのオートバイ製造をWSKシフィドニク工場一箇所のみとする事を決定。これに伴いSHLのブランドは消滅した。

では、そんなポーランドのお父さん達の青春を彩るオートバイ、SHL M04の姿を完成見本で見てみよう。

SHL M04 foto2 SHL M04 foto1 SHL M04 foto3

なんという素晴らしいクオリティ。これが紙でできているとは信じられない……って、おおぉい! これ、作例じゃないだろ! それとも、超絶ディティーリングを施せば、キットもこのクオリティになるんだろうか。だとしても、ここまでやったら写真を公式ページに載せる事になんの意味があるんだかわからない。

SHL M04は、既述の通り、DKW RT-125にそっくり、と言うか、ぶっちゃけ、コピーなのだが、DKW RT-125は大成功した小型バイクとして、多くの国でコピー生産されている。
例えばイギリスのロイヤルエンフィールドではRT-125と良く似たバイクを戦前から生産しているが、これにはちょっと複雑な経緯がある。
戦前、オランダでは「RS Stokvis en Zonen」という企業がDKWの輸入代理店だったのだが、そこの代表がユダヤ人だったので「ユダヤ人にバイクは売れん」とナチスドイツが契約を一方的に破棄。ムカついたものの、DKWのバイクを気に入っていたオランダ人はロイヤルエンフィールドに「まんまコピーで同じもん作ってくれ」と依頼する。もともとナチの側が不義理を働いたんだから、こっちも商習慣なんて無視してやれ、とロイヤルエンフィールドはコピー商品をほいほいと完成させた(厳密にはRT-125より小型のRT-100をコピーついでに排気量を拡大したので、RT-125のまんまコピーではない)。
この「WD/RE」は民生用が出まわる前に戦争に突入したために戦前にはほとんど民間に出回っていないが、空挺部隊が「小型バイクは空挺部隊の機械化に最適!」と喜んで制式化、「Flying Flea」(空飛ぶノミ)の名前で親しまれた。「WD/RE」は戦後に民生用として再生産されている。

戦後、空襲により工場が壊滅状態となったDKWは西ドイツで再結成されたが、すでにDKWの工場を接収したソビエトは「こりゃ便利だわい」と、ミンスクとモスクワでRT-125のコピー生産を開始していた。文句を言おうにも、イギリスではロイヤルエンフィールドが先にそれをやらかしているんで西側連合国もあんまり強くは言ってくれない。それどころか、「もう諦めなよ」とRT-125のライセンスは無効化されてしまった。
あの小型で乗りやすいRT-125のライセンスがフリーなんだったら、うちでも作ってみんべぇか、とイギリスのBSA、アメリカのハーレーダビッドソンがコピー生産を開始。そして、日本でもオートバイ製造に進出しようとしていた日本楽器製造(後の「ヤマハ」)が手に入れたRT-125を分解、解析して「YA-1」を作り上げた。このYA-1は完成直後の1955年、第1回浅間火山レースに参加し、スズキ、ホンダをぶっちぎって125ccクラスで1~3位を独占。「バイクのヤマハ」の華々しいデビューを飾ったのであった。

SHL M04 ark1 SHL M04 ark2

凄い完成見本でキットの話がどっかすっ飛んでいってしまったが、テクスチャは汚しのないスッキリしたタイプ。左のページのやけくそ気味なタンクの展開図が戦車にはありえない形状で楽しい。

SHL M04 rys2

組み立て説明書はライン表現のクローズアップ方式。紙を何枚も重ねて放熱フィンを表現するのは空冷バイクモデルの「お約束」だ。

そんなわけで、ヤマハYA-1とは同じ親を持つ「兄弟」とも言うべきポーランド製バイク、SHL M04は小型バイクとは言えスケール9分の1で完成全長約22センチという堂々としたモデル。難易度はもちろん5段階評価の「5」(難しい)、定価は30ポーランドズロチ(約千円)、またレーザーカット済みの芯材用厚紙が20ズロチ(約600円)で同時発売となる。

ヤマハと言えば、モデラーにとっては作り応えのある「精密ペーパークラフト」でおなじみのメーカーだ。バイク好きのアウトドア派モデラーなら、ヤマハの精密ペーパークラフトモデルと当キットを作り比べてみたいものだ。もちろん、なんかの理由でポーランドの60年代が大好きなモデラーにとっても、本キットは見逃すことのできない一品であることは言うまでもないだろう。


画像はMODELIK社サイトからの引用。


*定価はあくまでも現地で購入する場合の値段です。日本国内で購入する場合には輸送費などを考慮し、2倍~3倍程度になるとお考えください。
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