Orel アメリカ軍中戦車 M2A1

日本はいよいよ桜の季節。列島各地から次々に桜開花のニュースが聞こえる季節となった。
一方、東欧カードモデル界もそろそろ春の新製品の季節。各メーカーから新作のニュースの届く頃合いだが、先日MODELIKから届いた新作情報のメールサービスをいそいそと確認したら、新製品!「25分の1、鉄道レールセット(展示用ベース)」の知らせだったので、それはそれで欲しいアイテムではあるのだがレールだけでは1エントリー書くことがないので本日はウクライナOrel社からリリースされた新製品、アメリカ軍中戦車 M2A1を紹介しよう。

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米軍中戦車といえば、連合軍の機甲戦力の中核として勝利に貢献したM4中戦車「シャーマン」、そしてM4登場までの間北アフリカの連合軍戦車部隊を支えたM3中戦車「リー」「グラント」がすぐに思い浮かぶ。と、いうか第二次大戦の米軍の中戦車ってそれしかない。
「兵器大国」のイメージのある米国だが、第一次大戦で米軍は国産戦車を持っていなかった。いや、正確にはスケスケだから敵の弾が当たらないはずの「スケルトン戦車」とか、これからはマイカーの時代! 2人乗りの超小型戦車を1万5千輌作るよ!と意気込んだら15輌作ったところで戦争が終わった「M1918 3トン戦車」みたいな、主にウケを狙った戦車は作ってみたのだが、マジメな戦車は作っていなかった。
一応、菱形戦車を拡大したMk.VIIIをイギリス軍と共同開発していたが、ルノーFT軽戦車の成功なんかを見ていると、このバカデカイ悪乗り気味の戦車が時代遅れな事はあきらかだった。
第一次大戦で火砲運搬車を開発した自動車技師/発明家、ウォルター・J・クリスティは「これからの戦車はこれだーっ!」と常軌を逸した高速戦車を何両も開発して米軍に売り込んでいたのだが、なぜか米軍は一切これに興味を示さなかった。絶望したクリスティーは試作車両をソビエトに売ってしまい、これは後にBTシリーズを経てT-34戦車に発展する。

1920年代になって米軍は重い腰をどっこらしょ、と上げて「なんかイギリスで作ってる新型戦車みたいなのをうちでも作ってみるか」とロック・アイランド造兵廠で戦車の試作を開始。試作車両は基本的にはルノーFTを拡大したものだったが、イギリス軍のホイペット戦車や菱形戦車の構造を取り入れており、ついでに履帯の中央にピボットがあって、履帯の板が一枚ずつ左右にカタカタに動くことで地形追従性が上がるはずの「フレキシブル履帯」とか、さっぱり原理のわからない「ワイヤー・ロープサスペンション」などの新機軸もぼかぼか投入したせいで、できあがった車両「M1921」はとってもゴッタ煮的な車両だった。
さらに、イギリスではなんかホイペット戦車を前後逆にしたみたいなMk.D中戦車っていう、妙に車体が長い戦車を作ってるらしいぞ、という噂を聞いてM1921の車体を延長して気まずいぐらいMk.Dにそっくりな「M1922」を制作して、さらにカオスに磨きがかかった。
ちなみにこのM1922、どうやらアバディーン戦車実験場に最近まで現存したらしい(現在の所在は不明)。履帯上面が前傾している戦車ってのも珍しい。
1925年、さすがに悪ふざけが過ぎたな、と思った米軍はM1921をベースに(M1922のことは忘れた)T1試作戦車を開発。だらだらと試験を行なって、だらだらとこれをM1中戦車として制式採用しようか、と思っていたら、1929年にウォール街で株式が大暴落してそれどころではなくなった。結局、「M1中戦車」は1輌も生産されていない。
そういえば、「M1軽戦車」も制式化しただけで生産しなかったな。

M1中戦車、M1軽戦車とたてつづけに「つくるつくる詐欺」をやらかした米軍はまじめに戦争する気があるのか、と言われれば、まぁ、なかったんだろう。
しかし、1930年代に入るとナチスドイツと大日本帝國が急速に力を増し、アメリカも「モンロー主義なんで世界大戦関係ありません」とも言えなくなってきた。
1936年、今度はマジメに中戦車をつくろう、と心を入れ替えた米軍は再びロック・アイランド造兵廠で中戦車の試作を開始する。今度は1935年に採用になったM2軽戦車の部品を極力流用するなど堅実な方針で始まった設計だったが、途中で「前後左右の敵も全部撃てるように戦闘室の4隅に可動式機関銃を装備しよう」「せっかくだから対空射撃用に砲塔側面にも機銃を装備しよう」とやってるうちに装備機銃が9門になったり(それに伴い、機銃弾の基準車載量は1万2千発にもなった)、「後部フェンダーに機銃弾を跳ね返す板を装備するんです。そうすると、敵の塹壕の上に乗っかった時に、自分でその板を撃つと、真下に弾が跳弾して敵を倒せるんですよ!」とか余計なアイデアがバンバン閃いて試作はカオス化。制式化は1939年6月となった。

試作車両は「M2」として制式採用されたが、すぐに装甲が薄い、砲塔が小さすぎる、パワーが足りない、と問題だらけなことが判明し、18輌作ったところでそれらの問題を解決した「M2A1」に生産は切り替わる。
すでにドイツ軍はポーランドに侵攻、第二次世界大戦が始まっていた。米軍はとりあえず千輌ぐらいM2を作るつもりだったが、主砲が37ミリ砲(スチュワートの主砲と同じ)ではショボ過ぎるのは目に見えていた。50ミリ砲ぐらいだったら、M2にも載せられないこともなさそうだがドイツ軍が4号戦車の積んでいる75ミリ砲を長砲身化したら叶わない。
そこで、米軍はM2の試作車両の1輌を改造して車体にケースメート戦闘室を設け、75ミリ砲を直接車体に装備する試験中だったのに目をつけ、この方式を採用。ウケると思ってつけたけど、野暮なドイツ兵は笑ってくれそうにないフェンダーの跳弾版とか4隅の機銃とかは外し、できるだけマジメな形に整えたM3中戦車を開発、採用する。
M3の制式化に伴い時代遅れになったM2A1は約100輌で生産終了。はっきりとしたことはわからないが、おそらく試験や訓練のみに使用され実戦には参加していないと思われる。
なお、戦車好きの入門書P・チェンバレンとC・エリス共著「世界の戦車」にグラント戦車の砲塔を乗せたM2戦車の写真が掲載されているが、詳しいことはわからない。

され、それでは登場と同時に出番が終わっていたM2A1中戦車の姿を公式ページの完成見本で見てみよう。

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確かに、スチュワート軽戦車とリー中戦車を足して3で割って悪ふざけで水増ししたような戦車だ。
敵弾が集中しそうな戦闘室前の装甲上部が全部可倒式になってるのは便利そうだがそれでいいのか。無駄に絞った戦闘室前面も何がしたいのかよくわからない。あと、車体前端の最終減速ギヤが入っている膨らみがなんかゴチャゴチャしてるのは放熱フィンらしきヒレヒレが取り付けられているからだが、M3以降ではなくなったのを見ると無駄な気遣いだったのだろう。
しかし、この時期に前面に大胆に傾斜装甲を取り入れているのは評価されてしかるべきであろう。

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テクスチャは汚しのないスッキリしたタイプ。マーキングのない真っさらなテクスチャと、アバディーンで展示されていた現存車両の2種類のマーキングが選べるようだ。
なお、アバディーン戦車実験場は現在閉鎖され、併設の兵器博物館はヴァージニア州のフォート・リーへと移転したが、フォート・リーでは現在M2A1は非公開とのこと。また、ジョージア州のフォート・ベニングの国立機甲・騎兵博物館にも1輌のM2A1が現存しているが、こちらも現在は非公開となっているそうだ。

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組み立て説明書は面をグレーで塗った、なんだか妙に空白が多い気のするライン表現。先ほどの試作写真ではなんだか手抜きくさかった履帯が、実際にはかなり凝った構造となっていることもわかる。

Orelの新製品、アメリカ軍中戦車 M2A1は陸モノ統一スケールである25分の1で全長約22センチ。難易度は3段階評価の「3」(難しい)、定価は96ウクライナフリブニャ(約1100円)となっている。

あいにくとM3中戦車は現在手に入りやすいキットがないために、M2A1の直接の進化系であるM3と作り比べることは叶わないが、米軍戦車ファンなら1代飛ばしたM4と比較することで米軍戦車の急速な進化を体感するのも面白そうだ。
また、戦間期戦車ファンなら、GPMのT1試作軽戦車と並べることで、第二次大戦が史実より5年早く開戦した場合の架空米軍に思いを馳せるのもいいだろう。



画像はOrel社サイト公式フォーラムからの引用。

*定価はあくまでも現地で購入する場合の値段です。日本国内で購入する場合には輸送費などを考慮し、2倍~3倍程度になるとお考えください。
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