MODELIK オーストリア=ハンガリー帝国路面電車 ”RINGHOFFER 1911”

先週、まるで第一次大戦のイタリア軍防護巡洋艦キットがマイナーアイテムの旅の終着駅であるかのような書き方をしてしまったが、あのぐらいはまだまだ通過点に過ぎなかった。
今回は、そんなマイナーアイテム路線の行き止まりを突き抜けて反対側からコンニチハした感じのアイテムを紹介したい。
本日紹介するのは前回に続きポーランドMODELIK社からの新製品、オーストリア=ハンガリー帝国路面電車 ”RINGHOFFER 1911”だ。

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やったぜ父ちゃん、マイナーもここまで来るといっそ清々するネ!
しかし、こんな見たことも聞いたこともないアイテムでもなんとか記事が書けてしまうのはインターネットの偉大なところだ。ビバ! インターネット! インターネットと模型がない人生なんて想像できない!

RINGHOFFER(リングホッフェル)はオーストリア=ハンガリーを代表する重工業ブランドだったが、その源流は鍋を作る職人一家だった。一家は時代に合わせて次第に家業を拡大していき19世紀始めごろには圧延機を導入、メッキや加工のために電力を取り入れた工場を建設し、鍋釜の生産から醸造や蒸留、精糖などの設備建設にも事業を拡大。さらに1850年代には機械工作の技術と機材を生かして鉄道車両の製造を開始する。

皇帝専用車両も手がけたリングホッフェルは飛ぶ鳥を落とす勢いで成長。第一次大戦後に独立したチェコスロバキアの全ての主要自動車会社の株式を買い集めて傘下に入れるなど、巨大財閥となっていく。
1935年には自動車メーカーのタトラを併合、「リングホッフェル=タトラ」ブランドを手中とする。
しかし、いかに財力があろうともナチスドイツの力にはかなわない。チェコ併合によりリングホッフェル=タトラはドイツの超巨大軍事産業の中に組み込まれ、戦時中はドイツ軍のために軍用トラックなどの生産を行った。

1945年、チェコはソビエト軍によって「解放」され、共産政権が誕生する。共産政権が、ドイツのためにトラック作ってた巨大財閥の存在を許すはずもなくリングホッフェル一家は経営陣から追放され、「国営タトラ会社」となった。
国営化後も鉄道車両部門はそのまま残り、タトラ製路面電車は東欧圏の多くの国で今でも見ることができる。

それでは、ここで一息入れて公式サイトの完成見本写真を見てみよう。

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もう、「パースを合わせよう」とか「背景と光源方向を合わせよう」とかいう小手先の技を完全に無視した男らしい写真だ。ベースごと飛んでるぞ。
せっかくなのでベテランモデラーならわざとらしく架線とポールを1スパンだけ作ってベースに付け足すと、ぐっとまとまりが良くなりそうだ。

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運転台と客室の間が引き戸で仕切られているのがなんともクラシカル。乗降口のポールがなんだかネジネジした不思議な形状をしているが、これは1ミリぐらいの棒に細い金属線を巻きつけて表現しろ、ということだろうか。
なお、古い写真では乗降口にガレージの門扉みたいな伸縮式の柵が取り付けられているのがわかる。これも、ベテランモデラーなら再現に挑戦してみたい。

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キット付属の側面図。日本で言えば大正時代の路面電車、「ハイカラ」という言葉がしっくりくる。
この車体は1911年、オーストリア=ハンガリー帝国とロシア帝国領ポーランドとの国境の町、Cieszynに導入された車両で、車体側面中央の紋章はCieszynの町の紋章である。
車両は4両が製作され、3両が常時10分から12分間隔で運転され(全線の所要時間約12分)、1両が車両基地で整備を受けるというローテーションだった。

オーストリア=ハンガリー領だったCieszynはもともとポーランド人、チェコ人、ドイツ人などが住む町だったが、第一次大戦によりオーストリア=ハンガリー帝国が崩壊すると町のポーランド人とチェコ人の双方がこの町を「ポーランドに帰属する」「いや、チェコに帰属する」と主張して2つの自治組織ができてしまった。
結局、両者の調整はつかずに町はポーランド領とチェコ領に分断されてしまう。
ところが、両国の政府は互いに「地方の連中が勝手に決めたことなので無効。Cieszynは全てがうちの国のもの」と主張し、1919年1月には武力衝突に発展してしまった。
1920年、停戦によりOlza川に沿った線が国境と確定する。しかし、ポーランドはこれが不服だったようで、1938年のミュンヘン協定でチェコが解体される時にチェコ領Cieszynを要求した。
町は一つになったが、1939年にはポーランドがドイツに占領され町はドイツ領となる。
1945年、ドイツの敗退により国境は1920年の線とされ、町は再び分割される。
もともとチェコ人、ポーランド人が混在していたところに国境を引いたために住民は親族、知人等と分断されていたが、チェコ、ポーランドのEU加盟と加盟国内での越境の自由化に伴い、現在ではポーランド領、チェコ領の間の交流は回復しつつあるとのことだ。

参考として分割前のCieszynの地図にリンクしておこう。(「Teschen」は町のドイツ名)。
町の真ん中を流れるのが国境になったOlza川。右から来てゆっくりと向きを変えながら川を渡っているのが路面電車の線路だ。

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キットのテクスチャは汚しのないすっきりとしたタイプ。組み立て説明書は面をグレーに塗ったラインタイプで、ステップ・バイ・ステップとクローズアップの中間的な方式らしい。

赤と白の塗装は1911年の開業当時の状態で、1920年の町の分割後は濃い緑色に塗り替えられた。町の分割によって路面電車は線路が分断されたので4両の車両(車両基地がポーランド側にあったので、全車がポーランドのものとなった)は電気系の改装後にポーランド中部の町ウッチの路面電車となりブルーに塗り替えられる。
4両は全車が第二次大戦後を生き延び、戦後もウッチ市電として働いていたが、1950年代中盤に全て廃車となった。


MODELIK オーストリア=ハンガリー帝国路面電車 ”RINGHOFFER 1911”は陸モノ統一スケール25分の1で完成全長約32センチ。難易度は5段階評価の「4」(難しい)、定価は60ポーランドズロチ(約2千円)、またレーザーカット済みの芯材用厚紙が30ズロチ(約千円)で同時発売となる。

当キットはオーストリア=ハンガリー帝国の路面電車ファンのモデラーにとって、見逃すことのできないキットと言えるだろう。
また、そのようなジャンルにはあまり興味がない、あるいはそーゆーものがあると初めて聞いたモデラーでも、時代の大きな波に翻弄された小さな路面電車を組み立てることで、激動の東欧史に想いを馳せるのもいいだろう。

なお、今回の記事を書くにあたって、Cieszyn市電の情報まとめサイト、「Trams in Cieszyn 1911-1921」(英語、チェコ語、ポーランド語)を参考とさせていただいた。
同サイトには路線図、多数の記録写真、短い動画、そして現存する路線の痕跡などが紹介されている。



画像はMODELIK社サイトからの引用。


*定価はあくまでも現地で購入する場合の値段です。日本国内で購入する場合には輸送費などを考慮し、2倍~3倍程度になるとお考えください。
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