Orel ソビエト長距離記録機 АНТ-25

大戦前後のソビエト航空業界というと、冷戦中の西側諸国のアンチ・プロパガンダ、独ソ戦初期の惨憺たる大敗北、そしてポリカリポフI-16の真面目にやってるとは思えない平面形のせいでともすれば二流、三流のイメージで語られやすい。
しかし、実際には決して、飛行機の形がオモシロイだけのウケ狙いの空軍ではなかった。
今回は、そんな戦前ソビエトの知られざる航空先進性を示す名機、АНТ-25をウクライナOrel社の新製品情報と共に紹介しよう。

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とは言ったものの、肝心のキットの画像が表紙一枚しかないので、キットの話はこの後最後まで出てこない。これのどこが「新作紹介」なんだ、と思う読者もいるかも知れないが、まぁ、そういういい加減なブログなので仕方ないと諦めていただきたい。
ANT-25は、1931年、革命評議会の「ソビエトも先進的な飛行機を作らなければ、笑いを取りに行ってると思われてしまう!」という判断により制作が開始された長距離記録への挑戦専用機である。
開発はツポレフ設計局で行われたが、設計を担当したのは後に自分の設計局を持つことになる、パーヴェル・スホーイであった。
1号機は1933年に完成、6月22日にはすでにモスクワ - 北京間の長距離飛行などで名を馳せていたミハイル・グロモフ(Михаил Михайлович Громов)の操縦で初飛行に成功し、良好な性能を発揮した。1934年にはエンジンをギヤ式に換装した2号機が完成、グロモフがこの機体で長距離記録に挑戦する。
1934年9月、モスクワを飛び立ったANT-25はリャザン - ツーラ - ドニエプロペトロフスク を経由してハリコフに至ったが、痛恨の燃料不足のために飛行はここで終了。最終目的であったモスクワへの周回は達成されなかった。
飛行距離は1万2千411キロ、飛行時間は75時間。
これは堂々たる記録ではあったが、国際航空連盟の「世界記録」の要件を満たしていなかった。なぜなら、モスクワに戻っていないので「周回記録」としては成立せず、そして「直線飛行距離」としては、単なるモスクワ - ハリコフ 間の飛行としかみなされないからだ。
ムカっ腹のたったグロモフは、「じゃあ真っ直ぐ飛んでやる」と、次の挑戦を直線飛行に切り替えた。さらに航法士、ズィグムント・レヴォニェフスキ(Сигизмунд Александрович Леваневский)は当時注目を浴びていた極点飛行とリンクし、北極を越えて真っ直ぐ飛び続けて地球の裏側へ行こう、という大胆なプランを提案する。
そりゃいいや、とプランは詰められていったが、あいにくとグロモフが病気となってしまったために計画は一時棚上げとなる。

1935年8月3日、グロモフの代わりにゲオルギー・バイデュコフ(Георгий Филиппович Байдуков)をパイロットに迎え、再び長距離記録への挑戦が行われた。今度は大胆にも北極を飛び越えてアメリカへ着陸しようという計画で、燃料を満載した重い機体を浮かび上がらせるためにモスクワ近くの空軍基地に長さ4キロのコンクリート製滑走路(しかも、速度が出るようにゆるく坂になっていた)を建設するという気合に入りっぷりだった。
長い滑走路を使ってヨロヨロと離陸に成功したANT-25だったが、あまりに機体が重いために最初の50キロは高度500メートルで飛ばざるを得なかったという。
その後は高度を上げながら巡航飛行に入ったが、約2千キロを飛行した時点でオイル漏れが発見され、ノブゴロドで飛行は中断された。

「やっぱり、わしらロシア人に世界記録なんて無理だったんじゃ……」とツポレフ設計局は消沈したが、ゲオルギー・バイデュコフはまだ諦めていなかった。彼は次のチャレンジのパートナーとしてポリカリポフ設計局でテストパイロットを務めていたヴァレリー・チュカロフを提案。「ただの戦闘機乗り」であるチュカロフが長距離飛行なんてできるのか、と周囲は驚いたが、バイデュコフは3人目のメンバーとして航空学校の主任インストラクター、アレグザンダー・ベリャコフ(Александр Васильевич Беляков)を加えることでこれを納得させた。

3人の乗り込んだANT-25は1936年7月、モスクワを飛び立つ。
そしてフランツ・ヨゼフ島 - ペトロパブロフスク・カムチャツキ - ハバロフスク を経て56時間後、オホーツク海に面したウッズ島(樺太島の対岸)へと着陸する。
飛行距離は9千374キロ。これは直線飛行の世界記録であった。
空港設備のないウッズ島に木製の滑走路が急造され、ANT-25は8月2にモスクワへ戻る(帰りは何箇所かで燃料補給をしながらの飛行)。
3人はソ連邦英雄となり、ウッズ島は「チュカロフ島」に改名された。

しかし、まだ革命評議会もチュカロフもこれで満足はしていなかった。
1937年6月20日には同じメンバーでアメリカへの飛行に挑戦。カナダ上空でサイクロンに遭遇するなどのトラブルのためにアメリカ領空に達しながらも、無念の燃料不足で引き返しカナダ、バンクーバーの空軍基地に着陸。しかし、これは初めてのソビエト - 北米大陸間無着陸飛行となった。飛行時間63時間25分、飛行距離は9千130キロ。
病気療養を終えたグロモフだって、これを黙って見てはいない。
グロモフのチームは1937年7月12日から14日にかけて62時間をかけ、なんとモスクワからアメリカのカリフォルニアまでの飛行に成功。しかも着陸時にはまだ十分に燃料を残しており、関係機関の許可さえあればパナマまでの飛行も可能だったというから、正に「長距離マスター」の面目躍如といった感だ。飛行距離、なんと1万140キロ。
ちなみに日本の「航研機」が周回飛行距離1万651キロの世界記録を達成したのも同じ1937年のことである。

この記録は1938年11月、エジプトからオーストラリアへ1万1千キロを飛んだイギリスチームのビッカース・ウェルズリー爆撃機によって破られるが、ソビエトがこの記録に挑戦することはなかった。
トハチェフスキー元帥の逮捕に端を発した赤軍大粛清はソビエト全土を覆っていた。
アンドレイ・ツポレフは1937年、機密をドイツへ流したとして国家反逆罪で逮捕。
また、グロモフも当局からマークされ取り調べを受けている。
北極航路を最初に提案したレヴォニェフスキは1937年に北極圏を飛行中に遭難、その遺体は現在も発見されていない。
そして、チュカロフは1938年12月、試作機のテスト中に事故死。
この事故について責任を問われ、航空産業委員であったベリャコフも取り調べを受けている。
時代は冒険の季節から戦争の季節へと移り替わろうとしていた。

なお、ANT-25は2機が作られ、そのうちの1機はチュカロフ生誕の地にある「チュカロフ記念館」に現存している。また、1989年にはオリジナルの設計図からもう一機が生産され、これはモスクワのモニノ航空博物艦に飾られているという。


書きたいだけ書いたらANT-25の距離記録に匹敵する長大な文字量になってしまったOrelのソビエト長距離記録機 АНТ-25は、航空機標準スケールの33分の1で全長こそ42センチとそこそこの長さだが、長距離飛行を支える長大な主翼はなんと約1メートルというビッグなキット。難易度は3段階評価の「3」(難しい)、定価は113ウクライナフリブニャ(約1300円)となっている。
メーカーの情報では構成はA4版カードで20ページの大作、一部は特色銀印刷となっているそうだ。
長距離記録機ファンはもちろんのこと、派手なソ連機ファンやヴァレリー・チュカロフファンのモデラーにとっては、YG-modelのソビエト軍試作戦闘機 И-17と並んで見逃せない一品と言えるだろう。
残るチュカロフ記念館の収蔵品、MiG-15bis、I-16、Po-2のキットも揃え、自宅に33分の1チュカロフ記念館を開設するのも面白そうだ。



キット画像はOrel社サイト公式フォーラムからの引用。

*定価はあくまでも現地で購入する場合の値段です。日本国内で購入する場合には輸送費などを考慮し、2倍~3倍程度になるとお考えください。
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