GPM ポーランド Jasna Góra修道院

以前、ポーランドGPM社の松江城のキットのレビューで「あるあ……ねーわww pgr」と思い切りdisったままになっているのがなんだか気まずいので、本日はGPM miniシリーズから別のキットをドーンと紹介しておこう。
今回紹介するのは、ポーランドのJasna Góra修道院だ。

6352_1.jpg

ドーン。

Jasna Góra(ヤスナ・グラ)修道院は、ポーランド南部シロンスク県チェンストホヴァにある修道院である。修道院は14世紀ごろに建設されたが、この修道院を有名にしているのが、ここに納められている「黒いマリア」のイコン(聖像)だ。まぁ、ルネサンス以前の絵画だからデッサンがどうとか、幼児のキリストの頭身がどうとか、そういうことは言いっこなしだ。
このイコンの特徴はひどく全体が煤け(それゆえ「黒いマリア」と呼ばれる)、聖母の右頬にはっきりとした2つの傷があることだが、これは15世紀にフス派との宗教戦争で修道院に火が放たれ略奪された時の損傷だと言われている。「まんがポーランド昔話」風に再現すると、修道女(声:市原悦子)の「あぁっ、やめてくんろー」という声にも構わず、フス派の略奪者(声:常田富士男)は「えぇい、このーイコンはぁ、もらってーいくぞー」とイコンを持ち去ろうとしたが、その時奇跡が起き、フス派の略奪者はたちまちに苦しみだして死んでしまったというから、坊やはよい子だネンネしな、という感じだ。あまり悪乗りすると筆者もバチがバチバチ当たるのでこの辺にしておこう。
その後、イコンは修復が行われたが、傷は故意にか、あるいは修復技術の限界か、消されることなくロウを充填されただけで残された。なお、この時の修復ではかなり大規模にイコンを塗りなおしてしまっているとも言われ、ひょっとするとマリアと幼児キリストの周囲がトリミングしたようにパッキリと塗り分けられているのは、この時に塗りつぶされてしまったのかもしれない。
「チェンストホヴァの黒いマリア」は「奇跡を起こすイコン」として有名になったが、さらにこの修道院を有名にしたのは、17世紀、ポーランドを襲った大戦乱での出来事である。

1410年、グリュンバルトの戦いでチュートン騎士団を破ったポーランド・リトアニア連合王国はポーランドの歴史上最大の版図を誇る黄金期を迎えたが、黄金期というものが長く続かないのはゲーム「シヴィライゼーション」のプレイヤーなら良くご存知だろう。
偉大な勝利から250年、1600年代中盤のポーランド・リトアニア連合王国は宗教や文化的な混乱から王と貴族の間で対立が深まっていた。この不仲を利用したのが、当時新たに黄金期を迎えつつあったスウェーデン王国だ。スウェーデン王にして、後には泣く子も黙るロシア帝国と本気の大戦争を互角に進めることになる北欧きっての軍事司令官としての顔も持つカール・グスタフ十世はリトアニア王国に言葉巧みにすりより、野心溢れるリトアニア王を自陣営へと引き込む。同時にポーランド領ウクライナへは東からロシア軍が大挙侵入。ここにいたりポーランド貴族たちは「うちのダメダメ王様(ヤン2世カジミェシュ)よりも、スウェーデンの王様の方が良さそうだぞ。名前も言いやすいし」と考え始める。
これを機と見たスウェーデン軍は一斉にポーランドへ侵攻、ポーランドの各都市では支配者が「はいはい」と町をスウェーデン軍に明け渡し、ポーランドはその大半がスウェーデン軍の占領するところとなった。
ところが、外国軍の軍隊が占領地でお行儀良くしているはずがない。たちまちポーランド各地の都市はスウェーデン軍の破壊、略奪に合いポーランドの国土は荒廃した。この国家的危機をポーランド史では「大洪水時代」という。
ついにポーランド南部、チェンストホヴァにもスウェーデン軍は迫り、愛国的ポーランド人は「黒いマリア」の起こす奇跡を頼ってここ、ヤスナ・グラ修道院へと集まった。
1655年11月、スェーデン軍は修道院を完全に包囲。しかし、ポーランド軍は大修道院長アウグスティン・コルデツキの指揮の下、頑強に抵抗を続ける。


大きな地図で見る

ちょっと、ここで航空写真を見ていただこう。上の写真は上空から見たヤスナ・グラ修道院だが、一目見て気づく特徴として、敷地4隅の菱形が突き刺さったような形がある。これは「稜堡」という防御施設で、ここに大砲を配備しておけば、城壁に殺到する敵に両側面から砲火を浴びせられる、というわけだ。これをさらに進めていくと「五稜郭」のような星型へとなっていく。
実は、ちょっと調べただけではこの稜堡を含めた城壁が「大洪水時代」のヤスナ・グラ攻防戦の前からあったものなのか、それとも戦後に追加されたものかはわからなかった。しかし、いくら黒いマリア様の御加護があるとはいえ、勢いに乗るスウェーデン軍を食い止めるためには、やはりこれぐらいの設備は欲しい。
苦しい戦いは2ヶ月続いたが、1656年1月、スウェーデン軍は包囲を解いた。
純軍事的に見た場合、この戦いは大きな意味はもっていなかった。だからスウェーデン軍も2ヶ月で包囲を解いたのだろう。しかし、ポーランド人魂に与えた影響は大きかった。なにしろ、黒いマリアが再び奇跡を起こし、スウェーデン軍から修道院を守りきったのだ。
各地でポーランド勢力の反乱が始まった。反乱は次第に大きなうねりとなり、反乱から反抗、そして反攻へと拡大、親スウェーデン勢力は勢いを失い、ついにはスウェーデン軍もポーランド領からの撤退を余儀なくされるのである。

そんな、ポーランド抵抗のシンボル、チェンストホヴァのヤスナ・グラ修道院がGPM miniシリーズでの登場だ!

IMG_5808.jpg

キットは残念ながら、「バシリカ」という回廊に囲まれた部分と尖塔のみで稜堡部分などは含まれない。しかし、写真のパースでもわかる通り、このキットは尖塔の高さだけでも50センチ以上というなかなかボリュームのあるキット。要塞全体をキット化すると寝る場所がなくなるので仕方ないだろう。なお、このキット化されている部分はヤスナ・グラ修道院の中でも15世紀に建造された最も古い部分であり、ひょっとするとこのキットはフス派が襲来した当時をキット化しているのかもしれない。尖塔のデザインなんかも、現状とはだいぶ違うみたいだし。

6352_3.jpgIMG_5824.jpgIMG_5844.jpg

もうちょっと西洋建築史に詳しけりゃ、もっといろいろ書けるんですけどね。正直、受け売りの知識しかなくて申し訳ないです。
それはそれとして、写真を見ればおわかりいただける通り、建物の細かいディティールはテクスチャ表現がメインで、立体的には大きなブロックだけを再現した、やや簡易的な内容となっているようだ。

jasna-gora-karton3.jpgjasna-gora-karton5.jpg

テクスチャは質感たっぷりの印刷。白壁もノッペリとしない仕上がりが期待できそうだ。あれ? でも、この展開図だと窓のパーツが別に準備されてるぞ? 上級者向けオプションなのかしらん??
個人的に苦手な「花びら展開図」を組んで天井のドームを組み立てる必要があるが、まぁ、これは東欧の寺院を作るためには避けては通れないだろう。聖ワシリイ大聖堂のタマネギよりはいいと思うしかない。

ポーランド抵抗のシンボル、GPMのJasna Góra修道院はスケールは200分の1、定価は50ポーランドズロチ(約1600円)。難易度は3段階評価の「2」(普通)となっているが表紙の写真ではそれほどの難易度には見えないので、これは窓のパーツをしっかり使って立体化した場合の難易度と考えるべきだろう。
ヤスナ・グラ修道院はポーランド史的には重要なのだが、たぶんキヤノンのクリエイティブパークではペーパークラフト化してくれないと思うので、ポーランド史マニアのモデラーにとってこのキットは見逃せないものとなるだろう。また、スウェーデン軍やフス派の侵入に脅かされているというモデラーにも、お守りとしてこのキットをおすすめしたい。


写真はGPM社サイトからの引用。

*定価はあくまでも現地で購入する場合の値段です。日本国内で購入する場合には輸送費などを考慮し、2倍~3倍程度になるとお考えください。
スポンサーサイト

テーマ : 模型・プラモデル・フィギュア製作日記
ジャンル : 趣味・実用

コメントの投稿

非公開コメント

展開図公開中
最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
プロフィール

のとっちょ

Author:のとっちょ
カードモデル初心者が苦闘するさまをご覧あれ。

検索フォーム
リンク(順不同、敬称略)
RSSリンクの表示
QRコード
QRコード