あるアメリカ人エースの物語・2

マイナー戦記後半戦でーす。

ティンカーが新たに配属された部隊の装備機、ポリカリポフI-16は「できるだけ小さい機体にできるだけ強力なエンジンと武装」といった複葉機時代のコンセプトを単葉機でやってみました的な機体で、とにかく安定性が悪くて操縦が難しい。でも、裏を返せばそれだけ格闘性能に優れ、速度があって、武装も強力という素人にはオススメできない通好みな機体でした。
ところが、ティンカーはこの機体と相性が良かったようで、機体を変えたわずか一ヶ月後の6月2日は早くもCR.32を撃墜、さらに16日にもまたCR.32を撃墜。フィアットCR.32は完全にカモられてますな。

しかし、全体で見ると人民戦線側は次第にファシスト軍に追い詰められつつありました。
7月、ティンカー達は首都マドリッドをめぐる戦いの投入されます。
人民軍飛行隊を待っていたのはドイツ軍のコンドル軍団が装備する新型機、メッサーシュミットBf109でした。
7月13日、ティンカーはコンドル軍団飛行隊と戦闘になりBf109A型を撃墜。これはBf109の被撃墜の第1号でした。Bf109に乗っていたGuido Honess軍曹は当時最新鋭のBf109で3機撃墜を初めて達成した人物だったというので、これは決して新型機に慣れていない新米パイロットをやっつけたラッキーな撃墜ではないと言えるでしょう。17日、ティンカーはさらにう一機のBf109Aを撃墜しています。

多くの資料には「スペイン内戦でも、I-16はBf109の登場で駆逐された」と書いてあることが多いのですが、ティンカーに言わせると初期型のBf109は上昇力に欠け、低空にいるI-16に向かってダイブしてくるのをヒラリとかわしてしまえば、後はモタモタと上昇しようとするBf109を後ろから捕まえるのは簡単だったそうです。もっとも、これは機動性と上昇性に優れたI-16の飛行特性をよく理解したティンカーだからできる芸当でしょうな。
なお、撃墜したBf109は資料によってはB型となっています(A型はそもそも実戦投入されていないとする資料も多い)。

7月18日、ティンカーはいいカモのCR.32を1機撃墜し、7月29日にはスペインを離れてアメリカへ帰国しました。
ティンカーの公式最終スコアは8機ですが、彼の飛行記録には19機の撃墜が記されていました。
差分の多くは、Ju52爆撃機の共同撃墜ですが、これは彼の戦果と認められていません。
一説には、共和国政府が撃墜によるボーナスを支払う事を避けるために認めなかったのだとも云われています。

帰国したティンカーはスペイン内戦に関する手記を新聞に連載。それをまとめ“Some Still Live”という本も出版しており、スペイン内戦に義勇兵として参加した文豪、アーネスト・ヘミングウェイは、「文章は平易だが、そこには人間の感情が満ちている」とこの本を賞賛しています。

しかし、スペイン内戦の経験はティンカーの人生に様々な暗い影を落としていました。
スペイン内戦で人民戦線側に参加し、ソビエト人の指揮するI-16戦闘隊で戦ったためにティンカーはFBIに「アカ」の疑いをかけられて厳しくマークされていました。
海軍への再度の入隊、陸軍への仕官も断られてしまいます。

ティンカーは様々なものに「裏切られた」と感じ始めていました。
彼が一時期、あえてスペイン内戦とは関係ない「フォックステリアと一緒にミシシッピ河を下る」という紀行文を新聞に連載していたのも、彼の心中をうかがわせるエピソードかもしれません。

1939年6月13日、29歳のティンカーはホテルの一室で自分の頭を銃で撃ち抜いて自殺しました。
彼の横たわるベッドの近くには、中国で戦うアメリカ人義勇航空隊「フライング・タイガース」への参加要望書が空のウィスキーボトルと共に置いてあったといいます。
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