Orel ブルガリア海軍水雷艇「Дръзки」・1

昨日もウクライナOrel社の、うっかり忘れていた新商品を紹介しようと思ったのだが、下調べをしているうちにくたびれて眠ってしまって気がついたら朝だった。そのことに関してはいまさらどうしようもないので、気を取り直して紹介しよう、Orel社がリリースしたブルガリア海軍水雷艇「Дръзки」(「ドルースキ」、あるいは「ドラズキ」とも。意味は「恐れ知らず」)だ。

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ブルガリア海軍って、あなた……
ブルガリアといえば、「ヨーグルト」のイメージが強いが、バラの産地としても有名である。筆者の父は電気設計技師だったが、仕事の都合で共産圏時代の東欧のほとんどの国に行ったことがあるという変わった経歴の持ち主で、ブルガリアに行ったときのお土産は小さなボトルに入ったバラの香油だった。わしのブルガリア知識おしまい。
今回調べるまで、ブルガリア語がキリル文字で表記されるってことも知らなかったよ。ちなみにブルガリア語はスラブ語族だそうだ。

そんな、ちょっと軍艦のイメージに乏しいブルガリアだが、1904年に黒海防衛のために三隻の水雷艇をフランスに発注している。艦はバラバラの部品の状態で納入され、ブルガリアで組み立てられ1907年に完成、1908年に就航した。水雷艇組み立てるだけで三年以上、というのは随分気の長い話だが、一式中戦車を1年以上作っているわしに言われたくはないだろう。また、第二発注分のさらに三隻が1906年に発注され、こちらは1908年の夏に進水している。

1912年10月、ヨーロッパへの野心絶ちがたいオスマン・トルコ帝国の度重なるの干渉と挑発に対してバルカン半島諸国は一致団結、第一次バルカン戦争が勃発した。陸では前近代的なオスマン・トルコ軍をバルカン連合軍は圧倒、中でもブルガリア軍は快進撃をみせる。
しかし、海ではトルコ海軍が優勢だった。中でも、トルコがイギリスから購入した防護巡洋艦「Hamidiye」(ハミディーエ)には手も足も出なかった。

開戦後、ブルガリア港湾都市にぼかぼか艦砲射撃をくわえ、「降伏しないと、また砲撃しちゃうよーん」と最後通牒を送ってきたハミディーエを撃退するために、ブルガリア海軍水雷戦隊が発進した。
1912年11月20日深夜、Дръзкиをはじめとした四隻(残り二隻がなにしてたのかは不明)は二隻の駆逐艦に護衛されたハミディーエを発見、全長110メートル、排水量3800トン、15センチ砲2門、12センチ砲8門装備のハミディーエに向かって、全長38メートル、排水量わずか97トンの水雷艇四隻は果敢に突進する。
一列になって突っ込んでいく戦隊の、前から三隻の僚艦が発射した魚雷は外れたが、最後のДръзкиはぎりぎりまでハミディーエに接近、距離100メートルから魚雷を発射した。魚雷はハミディーエの艦首部分に命中、大破孔の生じたハミディーエは一時艦首上甲板が水没し、艦の放棄さえ検討される大損害をこうむった。
こちらのページ(ブルガリア語)の中ほどに、艦首がほとんど水中に没しているハミディーエの写真があるが、なんと、ハミディーエはこれでも沈まなかった。ハミディーエはこの状態から注水によって水平を回復、速度わずか5ノットでコンスタンチノープルまで回航することに成功している。もっとも、大損傷の修理のためにバルカン戦争中は二度と出撃することはできなかった。
オスマントルコ海軍、ブルガリア海軍、というと、なんともドマイナーなどうでもいい連中のように聞こえるが、レーダーもない時代に夜間の突進を敢行し魚雷を命中させたДръзки、艦首水没から艦を回復させたハミディーエ、双方の技量の高さは称えられるべきであろう。

第一次バルカン戦争でボロ負けしたオスマン・トルコ帝国はバルカン半島の足がかりを失い、ついに中世から続いてきたヨーロッパへの進出を断念。しかし、ブルガリアも第一次バルカン戦争でバカ勝ちして広大な領土を得たために「仲良く一緒に戦おうって言ったのに、ブルガリア君はちょっと欲張りなんじゃない?」と、1913年6月には「ブルガリア対バルカン半島の他の国withトルコ」という構図で第二次バルカン戦争が勃発、ブルガリアは第一次バルカン戦争で得たもの全てを失う。
この、仁義無き戦いはバルカン半島に相互の憎しみと利害対立を残し、第一次大戦の一つの原因となるのであった。

第一次大戦でブルガリアは今度はオスマン・トルコ帝国と一緒に中央同盟側で戦うこととなる。しかし、さすがの殊勲艦Дръзкиも、相手の連合国にはイギリスがいる時点で、もうすることなんてなかった。結局、第一次大戦でもブルガリアは敗退してまたもや周辺諸国に領土をもぎ取られる。
第二次大戦ではДръзкиもさすがに老朽化、哨戒艦に艦種変更がされたが、ブルガリアは三国同盟に加盟していながら対ソ参戦しない、という裏技を使った。ドイツ軍は文句を言わなかったものの、ソビエト軍は無視してくれずにブルガリアはスターリンにおいしくいただかれてしまい、ソビエトの衛星国となる。
なお、Дръзкиは1942年10月、火薬庫の爆発事故で一旦沈没したが、44年に再浮揚されている。

戦後、Дръзкиは標的曳航艦となり、ドンブラコドンブラコとのんびり余生を送っていたが、1957年に「そう言えば、バルカン戦争の殊勲艦Дръзкиって、今年で完成50年だよね!」と誰かが気がついた。
そこで記念艦にしよう、ということになったが、いつの間にか退役していたДръзкиはすでに解体が始まっていた。仕方が無いので、まだ生き残っていた姉妹艦から使える部品を移植、なんとか原型を回復したДръзкиは、ブルガリア海軍博物館に今も展示されている

そんなわけで、全然知らなかったブルガリア海軍とバルカン戦争について調べた事を書いただけで今日は時間切れ。キットの紹介は、また次回だ。
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