1929年の空中給油・4

さて、1929年1月1日に離陸してから延々と飛んでいるフォッカーC-2「クエスチョン・マーク」号ですが、機内では特にやることもないので読書して、トランプして、寝て、そして手紙を書いて過ごしたそうです。
食事は、機内調理用の電気コンロの持込も計画されましたが重量の制約から断念。その代わりにタンカー機から調理済みの温食が補給され、その中には地元の教会から提供された新年を祝う七面鳥も含まれていた、とのこと。

飛行中は燃費を稼ぐため、エンジンを低速回転させていましたが結果的にこれはあまりエンジンに良くなかったようで、三日目から左舷エンジンが不調となりました。Hooe軍曹は命綱とパラシュートを装着し、機体とエンジンをつなぐ吹きさらしの細い足場を伝ってエンジンの整備を行いましたが、飛行中(と、いうより回転中)のエンジンに対してできる事は限られており、潤滑油の漏れを抑えるのがやっとでした。
しかし、次第にミスファイヤが連続し出力は低下。何度かスロットルを全開にすることで点火プラグに溜まった煤を吹き飛ばすものの、1月7日の正午ごろついに左舷エンジンは停止。
Hooe軍曹はただちに機外に出ると、風で空回りしているプロペラを振動を抑えるためにフックを引っ掛け固定(羽根の角度の変わらない固定ピッチプロペラなので、他に止める方法がない)、修理を試みますが残るエンジンも酷使により出力が低下しており、急激に高度が低下。
もはやこれ以上の飛行は危険と判断され、1929年1月7日午後2時6分、クエスチョン・マーク号はメトロポリタン空港(デトロイトのメトロポリタン空港ではなく、現在のロサンゼルス、ヴァン・ナイズ空港)へと着陸。
150時間40分14秒に及んだクエスチョン・マーク号の挑戦は終わりました。
なお、途中で受けた補給は全37回。うち12回が夜間の補給で、タンカー機1番が27回(夜間10回)、2番が16回(夜間2回)でした。

クエスチョン・マーク号の快挙はアメリカに「滞空時間チャレンジブーム」を巻き起こしました。1929年だけで、民間によるチャレンジが40回行われ、そのうちの9回はクエスチョン・マーク号の記録を上回りました。1929年の末には滞空時間記録は420時間まで伸びていました。
クエスチョン・マーク号が世界一であった期間は短かったものの、初めて滞空時間100時間を越えたという栄誉は決して色あせるものではありません。そして、このチャレンジこそが、世界中どこへでも爆撃機を派遣可能であるという「戦略空軍」の時代の幕開けだったのです。

最後に、米空軍のアーカイブからクエスチョン・マーク号クルーの記念写真を。
勇敢な彼らをもっと詳細に見たい方のための高解像度版はこちら

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写真左から順に、ちょっと陰の薄かったHalverson中尉、妙にキリッとしてるEaker大尉、何度もエンジン整備のために機外に出たHooe軍曹、ガソリンを被って裸で飛んだSpaatz少佐、そして、そもそもの発案者であったQuesada少尉。(一番右側の人物は誰なのか、特定されていないようです。一人だけフライトジャケット着てないし、少し歳をとってるように見えるから基地司令官とかじゃないの?)

なお、クエスチョン・マーク号はその後、長距離飛行用の装備を全て外されて通常の輸送機となり軍務に戻りました。1934年、老朽化により退役。スクラップ処分となったそうです。
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