Stanislaw Skarzynski大尉の冒険・3

さてさて、昨日でSkarzynski大尉がRWD-5bisで大西洋を越えた話は終わりなんですが、補足として大尉のそのについて。

帰国して軍務に戻ったSkarzynski大尉は第4航空連隊の指揮官を勤める傍ら、ポーランド航空クラブの会長も勤めます。大西洋を横断したRWD-5bisは後席を通常の座席に戻し、その後もSkarzynski大尉に使われていたようですが、現存していないので戦争で失われたのかもしれません。
1939年9月、ドイツのポーランド侵攻時に中佐となっていた彼はルーマニアに派遣されていました(開戦時は少佐で、ポモルジェ軍の航空参謀長だったとする資料もある)。奇襲により大打撃を被り、装備も旧式化していたポーランド空軍は奮戦するも敗退。多くのポーランド将兵がルーマニアを経由してフランスへ渡り、さらに英国へと逃れます。
Skarzynski中佐は当初、亡命ポーランド人パイロットのための航空学校の教官を任されていましたが戦線への配属を希望。第305爆撃機中隊(亡命ポーランド人部隊)に配属となります。
1942年6月26日、ブレーメンへの爆撃ミッションでSkarzynski中佐の機はエンジンを損傷。英国本土までの飛行が不可能なために彼は乗機、ヴィッカース・ウェリントン爆撃機を荒れた北海へと着水させます。ベテラン機長、Skarzynski中佐の操縦で機は奇跡的に軟着水に成功。乗員全員を脱出させたSkarzynski中佐は最後に機外へと出ましたが、折り悪く大波が直撃し中佐は波間へと消えました。
あるサイトには、「結局、海はポーランド人の征服者を見逃しはしなかったのだ」と書かれています。
中佐以外の乗員は英軍の高速救助艇により救出され、全乗員が生還しました。

7月21日、Skarzynski中佐の遺体はオランダTerschelling島に漂着。
中佐は今もそこに眠っています。
1983年、亡くなった妻の遺灰が新たに墓に納められ、ポーランド語で「永遠に共に」と記されたプレートが新たに付け足されました。
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