Stanislaw Skarzynski大尉の冒険・1

昨日の記事で、ほんのちょっぴりだけ触れたポーランド製軽飛行機RWD-5の改造機、RWD-5bisの冒険飛行について、興味深かったのでまとめてみる(主な情報源が英語版Wikipediaという心細さ)ですよ。とは言ったものの、この後でちょっと出かける予定があるので、本日はほんの触りだけ。

Stanisław Jakub Skarżyński大尉(階級は1933年当時)は、1899年に生まれました。名前は英語表記でStanislav、「スタニスラヴ」となっていることもありますが、Lに斜線が入ってるので、「シュタニシュアウ」みたいな感じなのかしらん。当時、ポーランドはロシア帝国の一部。1914年に第一次大戦が勃発すると、Skarzynski青年はポーランド人からなる軍の予備組織に所属します。そして1918年、ロシア帝国が崩壊しポーランドが独立すると新生ポーランド陸軍に志願。ドイツ軍の武装解除を指揮しました。
この功績で士官となったSkarzynski少尉は1919年に勃発したソビエトーポーランド戦争に歩兵隊の一員として参加。
しかし、1920年8月、彼は戦闘で足に負傷してしまいます。傷は重く、療養には時間が必要でした。そのため歩兵としての従軍は不可能となってしまいます。
しかし、熱血漢のSkarzynski少尉は「はい、そうですか」と引き下がらなかった。歩けないなら飛べばいい、ということで少尉はまだできたばかりのポーランド航空隊へ志願。1925年に航空学校を卒業し、ワルシャワの第1航空連隊に配属となりいます。1927年には大尉に昇進。

1931年2月1日、Skarzynski大尉はAndrzej Markiewicz中尉と共に、ポーランドの国産軽飛行機、PZL-L2でアフリカ一周の冒険にチャレンジします。ワルシャワを飛び立ちユーゴのベオグラード、ギリシャのアテネへとバルカン半島を南下。カイロでアフリカに上陸し、そのままケニヤへ南下、コンゴを抜けて西海岸に出てダカール、カサブランカと北上。そして地中海をまた飛び越えてスペインのアリカンテ、フランスのボルドーを経てパリ、ベルリンもついでに訪問して31年5月5日、三ヶ月ぶりにワルシャワへ!
もちろん、途中なんども離着陸、給油、整備を繰り返しながら(途中で2回エンジンがぶっ壊れたのをなおしながら飛んだ)の飛行ですが、飛行距離実に2万5千キロという実に堂々たるものでした。
この冒険飛行により、ポーランドの軽飛行機設計能力はヨーロッパ先進国に劣っていないという事が証明されたのです。

そして1933年、Skarzynski大尉はさらに大胆な冒険を計画します。
今度の挑戦は、まだ誰もなしとげたことのない「軽飛行機による大西洋の横断」でした。
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