マイナーアイテム列伝 ポーランド海軍潜水艦「ORZEL」(中編)

前回までのあらすじ。
ポーランドの潜水艦「ORZEL」が中立国エストニアの港で足止め。さぁどうする!

ところで、前回さらっと流したORZEL艦長「Henryk Kłoczkowski」氏の「急病」ですが、「腸チフスに罹患した」とする資料がありました。えええ~~っ!! 狭い艦内で腸チフスなんか発症したらたいへんじゃないすか! そりゃエストニアへ行きますよ! ちなみに艦長さんは1962年までご存命だったので治癒されたようです。あーよかった。

さてさて、エストニア軍によって航法装置と海図を奪われてしまったORZEL、このままでは出港できずに武装解除→抑留となるのは間違いない。だが、そんなことはポーランド魂が許さない! ORZEL乗員は艦内に軟禁され、エストニア兵士により監視されていましたが、1939年9月21日深夜、ORZELは2人のエストニア監視兵を捕まえ、そのまま港外へと向かいます。この日は日曜日で、ORZEL無力化の作業が行われておらず監視も緩かったようです。エストニア軍の制止射撃を振り切ったORZELは、一路バルト海へ。

さぁ、ドイツが怒った! モロトフ=リッベントロップ秘密協定でバルト三国をもらえる約束になっていたソビエトもついでに怒った! ドイツ、ソビエトはエストニア政府が意図的にORZELの無力化を遅延させ逃亡の便宜を図ったとか、公海に出たORZELがソビエトの貨物船を沈めた(事実無根)とか、難癖をつけはじめます。ドイツは「ORZELはエストニア兵2人を拉致、この2名は死亡したと思われる。残虐非道のORZEL!」とジャンジャンと宣伝。
ソビエトは「中立を守れないエストニアを保護しなきゃ」と言い出して国境でドッカンドッカン大規模演習を繰り返してエストニア軍よりも多いソビエト軍の進駐を強引に認めさせ、結局エストニアは1940年にソビエトに併合されてしまいました。

さて、少し時間が進みすぎたのでちょっと巻き戻して、エストニアを脱出したORZELはどうなったのか?
ORZELはほとんどの装備を失っていましたが、一説にはバルト海・北海の灯台の位置を記した地図があったのでそれを頼りに、またある説では軟禁中に在エストニアのイギリス大使館が差し入れてくれたウィスキーのケースに隠してあった海図で航海を敢行。 ORZELは中立国スウェーデンの沿岸近くまで行くと、捕まえていたエストニア兵2人に酒、食料、防寒具、あと米ドル紙幣(100ドル札だったらしい)を持たせて救命艇で解放。彼らは無事に海岸にたどりつき、後にエストニアに航空機で帰還しました。
これで後顧の憂いを絶ったORZEL、デンマーク・スウェーデン間を奇跡的に発見されずに(さらに、十分な航海装備もないのに奇跡的に事故もおこさず)通過して北海に出ます。
目指すのはドイツと戦う「敵の敵」、イギリス。

ORZELの戦いはまだ始まったばかりだぜ!(ホントに)
長くなったから今回もここまでだぜ!(無計画)
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