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Orel イタリア 重戦闘機 Breda Ba.88 "Lince"・前編

昨日の地震、皆様の方では被害等ありませんでしょうか。筆者の作業場では厚紙取るための山積みの空き箱が崩れたりした他、本棚から落ちた文庫本が当たったようでキ-98 の前脚が破損しました。っていうか、こいつ、そもそも前脚長すぎなのです。震電なんかもそうだけど、こんな脚が長い機体、仮に量産できたとしても、ぶっ壊さないで着陸できるパイロットを確保できたかはかなり疑問なのです。
そんなこんなで、本日紹介するのはウクライナOrel社からリリースされた、イタリア 重戦闘機 Breda Ba.88 "Lince"である。

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第二次大戦中、世界の空で激戦を繰り広げたり、繰り広げなかったりした航空機の数々、その中でも屈指のダメダメさを誇る駄作機の中の駄作、いわば駄作機の頂点、Breda Ba.88 "リンチェ"が堂々カードモデル界に登場である。

あと、このブログって「Orel」の表記が全角だったり半角だったりして気持ち悪いことに、いま気がついたんですけど、今後は半角に統一するのです。でも、いまさら面倒なんで過去記事は見逃してください。すんません。

結末を知っている我々は苦笑するしかないのだが、戦前、イタリア航空界は世界でも最先端を走っていると考えられていた。
周辺国もそう思っていたし、イタリア自身もそう思っていた。
遡ればイタリア軍は1911年10月23日、伊土戦争で世界初の航空偵察を行い、さらに11月1日には世界初の航空爆撃(ジュリオ・ガボッティエーリッヒ・タウベ機で手榴弾を機上からトルコ軍宿営地に投げつけた)を行うなど、イタリアは航空機の戦力化に熱心であった。

1923年3月28日、ムッソリーニ政権下のファシスト・イタリアでイタリア軍航空隊は陸軍から独立し、イタリア王立空軍(Regia Aeronautica、レージャ・アエロナウティカ)となる。
イタリアファシスト政権の中核を担い、「ファシスト四天王」という、「ラーメン三銃士」みたいなアホっぽい字面の項目までWikipediaに建てられているファッショ政権4人衆の一人、イタロ・バルボは1926年11月6日に空軍大臣に任命されると、空軍の組織作りと威信を高めるための宣伝に奔走する。

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Wikipediaからの引用(以下この項、キット画像以外同様)で、1918年、停戦前に撮影されたイタロ・バルボ(写真中央、咥えタバコの人物。当時中尉)。第7山岳連隊「ピエベ・ディ・カドレ」大隊の中隊長としてパトロールからの帰還時。イタリア人は戦場でもダンディなのである。もちろんファシスト政権下での写真もいっぱいあったけど、この写真が一番カッチョ良かったので若いころの写真である。

イタリア航空界はバルボの指揮下、
1925年、6ヶ月をかけて達成されたフランチェスコ・デ・ピネードによるイタリア - オーストラリア - 日本 - イタリアの周回飛行(飛行距離5万5千キロ)
1926年、マリオ・デ・ベルナルディ操縦のマッキ M.39によるシュナイダー・トロフィー・レース優勝。
1928年、ウンベルト・ノビレ操縦の飛行船「イタリア」の極地探検(墜落により失敗。「SOS北極... 赤いテント」の題で映画化されている)
など、数多くの冒険を行い、その名を世界に轟かせた。
(バルボ自身も、第一次大戦では山岳兵として従軍していたのに関わらず自ら操縦訓練を受け、サヴォイア・マルケッティ S.55飛行艇での大西洋横断飛行を成功させている)

Aeroflot_Savoia-Marchetti_S55P.jpg

1933年に撮影されたサヴォイア・マルケッティ S.55飛行艇。双胴単葉、串刺し双発に3枚尾翼という非常に特徴的なスタイルで、カードモデル化が期待される機種である。
なお、イタロ・バルボは1940年6月28日、北アフリカで友軍対空砲による誤射で乗機が撃墜され戦死した。バルボはナチズムを嫌っており、ドイツと手を切って連合軍に加わることを再三主張しており、冒険飛行で国民に人気のあるバルボが反抗することを疎ましく思ったムッソリーニの命令で暗殺されたのだという説が根強く唱えられている。

もちろん、数々の冒険飛行は単なる宣伝だけが目的ではなく、新型機の性能テストの役目も担っており、さまざまな世界新記録を持つ機体が、次々に軍用機に改装されイタリア軍に採用されていく。
例えば、ロンドン - メルボルン間のエアレース用に開発され、1000kmと2000kmの距離で6つの世界速度記録を樹立したサヴォイア・マルケッティ SM.79、イタリア北部沿岸のモンファルコーネから紅海の入り口であるエリトリアのマッサワまでを26時間35分で飛行し、4,130 kmの水上機距離記録を樹立したカントZ.501、貨物1tを積んで10115mまで到達し、高高度飛行記録したカントZ.506などである。

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カントZ.501飛行艇。水から引き上げられ、台車に乗せられているが撮影時期など詳細は不明。メインの胴体から分離してパラソル保持される長大な主翼、その中央にエンジンと銃座だけの短い胴体がつくという、これまた特徴的なスタイル。イタレリのプラモデルでメジャーな機体だが、筆者は箱変えバージョンを気づかずに購入して3機所有している。このように箱変えを別製品だと思って買ってしまうことを専門用語で「珍しい機種の模型を見かけて、この機種ってFROGの古いキットしかなかったから、新キットが出たのかと思って喜んで買って、帰って箱を開けてみたら中身はFROGだった」現象という。

このような輝かしい時代にソチエタ・イタリアーナ・エルネスト・ブレーダ・ペル・コストゥルツィオーニ・メッカニケ(Società Italiana Ernesto Breda per Costruzioni Meccaniche)、すなわち、あんまりにも長すぎるんで略してブレダ社で設計されたのが、試作機体名称MM.302、後のブレダBa.88であった。
この機体は1936年1月にイタリア空軍から提示された重戦闘機の仕様に従って設計されたものだったが、この仕様で要求されたのは最高時速530km、12.7mm機関銃4丁、もしくは20mm2門+12.7mm2丁の固定武装、片発でも離陸、持続飛行が可能であること、高度6000mまでの上昇に要する時間9分、航続距離2000km、さらに最大12Gの負荷に耐えられること、という非常に厳しいものであった。

例えば、最大速度一つ取っても、1937年12月に初飛行したマッキMC.200戦闘機の最高速度が時速約510キロだったので、実質これは最速の戦闘機を作れ、と言っているのに等しい。
よく似たコンセプトであるドイツのBf110駆逐戦闘機(初飛行1936年5月)の要求値が最高速時速400km/h、固定武装として20ミリ機関砲2門、防御用旋回機銃として7.92ミリ機銃2丁、高度6000mまでの上昇に要する時間15分、航続距離2000kmだったというから、イタリア空軍の要求値は良く言えば野心的、悪く言えばそんなもん達成できるわけねぇだろコン畜生、という値であった。
(中編へ続く)

表紙画像はOrel公式サイトから引用


参考ページは後編にまとめて掲載予定。
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