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Orel アメリカ 砲艦 ”USS Saginaw”・後編

長年使っていた椅子がキューキュー言うようになったので、ひっくり返してみたらボルトは脱落してるわピンは抜けてるわで、一通り直してみたらとっても快適になった筆者のお送りする世界の最新カードモデル情報。あのまま座ってたら、下手すりゃ背もたれが外れてた。
今回はウクライナOrel社からリリースされた、アメリカ 砲艦 ”USS Saginaw”の紹介後編。

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1870年3月24日、USS サギノーはアメリカが新たに領土宣言をしたミッドウェー環礁に到着。半年後の10月21日に一旦任務は完了する。手元の資料ではサギノーの他に作業船がいたのか、サギノーだけで浚渫まで行ったのか、よくわからなかったが、とにかく一旦サギノーはミッドウェー環礁を引き上げることとなったが、艦長モンゴメリー・シカード(Montgomery Sicard)はついでにミッドウェー環礁から約90キロ北西に離れたクレ環礁に漂流者が漂着していないかを確認していくこととした。

1870年10月29日、サギノーはクレ環礁へ近づくが、まだ海図の整備されていない環礁に接近しすぎ、座礁してしまう(早朝の薄暮の中で潮流に流されたようだ)。この座礁は船底が引っかかるという程度のものではなく、完全にはまり込んでしまった上に波を被って船体は破壊された。
おしまい。

それでは、アメリカ合衆国の太平洋への意識拡大に合わせて右往左往したアメリカ 砲艦、USS サギノーの姿を公式フォーラムにアップされた完成見本写真で見てみよう。

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うん。19世紀中盤の外洋外輪船だなー、という感想しか沸かない普通の船である。
ちなみに武装は50ポンド砲1門(たぶん船首)、32ポンド砲1門(たぶん船尾)、24ポンド砲2門、とWikipediaには書いてあるが、キットでは24ポンド砲4門で火力が倍増している。双方がどういった資料に基づいているのか不明なので、どちらが正しいのかは不明。
舷側の24ポンド砲はそのまま撃つと救命ボートに穴が開くので要注意だ。と言うか、船首と船尾の砲もこのままじゃ船べりと干渉してない?

Orelの新キット、アメリカ 砲艦 ”USS Saginaw”は海モノ標準スケール200分の1で完成全長約24センチの手頃なキット。難易度も3段階評価の「2」(普通)となっている。定価は368ウクリナフリブニャ、えーと、今フリブニャはいくらだ。1フリブニャ3.7円計算で約1400円となっている。
この時代の外洋外輪船は、昔アオシマがUSS サスクハナ(黒船)のプラモデルキットを出していた以外は手頃に入手できるキットがなかったので、19世紀非装甲艦ファンのモデラーにとっては待望のキットの登場と言えるだろう。
ちなみにUSS サギノーの残骸は2003年に発見されたそうだ。

と、いうわけでサギノーとキットの説明はあっという間に終わってしまったのだが、まだ話を終わりにするわけにはいかない。
サギノーは沈んだが、その乗員、総勢93名がまだ太平洋に浮かぶ絶海の孤島、クレ環礁に閉じ込められているのだ。

乗員たちは装備と食料を破壊されていく船体から急いで降ろし、サギノーが沈没するまでにかなりの量を環礁に陸揚げすることができていたが、まだ太平洋航路のなかったこの時代、運良く船が近くを通りかかるという確率は皆無に等しかった。
アザラシ、海鳥、魚を調理することで食料を、海水を蒸留することで真水を得ることはできたが、燃料が尽きれば水は尽きてしまう。また、環礁で取れる動物だけでは90人の食料をまかなうことはできず、そもそも植物のないこの環境に長期閉じ込められれば壊血病が蔓延することも予想された。
偶然や奇跡に任せ、救助を待つことはできない。

艦長は志願者が島を脱出し、救助を要請することを決定した。
使用できる船はサギノーに積まれていた短艇。つまり、前掲の完成見本写真で舷側砲門の前にぶら下がってる小さなボートだけ。この小さなボートで、人が住んでいる最も近い島であるハワイ諸島まで、クレ環礁からの距離約2千キロを越えて救助要請に行こうというのだ。この距離は日本で言えば、沖縄県石垣島からボートで出港し、東京湾を目指すのに等しい。
艇長として士官ジョン・G・タルボット(John Gunnell Talbot)が選ばれ、他にピーター・フランシス(Peter Francis)、ジェームズ・ミュア(James Muir)、ジョン・アンドリュース(John Andrews)、そしてウィリアム・ハルフォード(William Halford) の4人がこの危険な任務に志願した。

1870年11月18日の朝、5人は改造した短艇に乗り込み太平洋へと漕ぎ出す。
食料は25日分が積み込まれたが、そのほとんどは状態が悪く、すぐに傷んでしまい遺棄を余儀なくされた。主食はわずかに残った乾燥ジャガイモとなり、それも25日目で尽き、食事は運良く捕まえた海鳥やトビウオを5等分に引き裂いたものとなった。

だが、彼らは諦めなかった。
出発から31日目、ついにハワイ諸島カウアイ島を目視する。彼らは信じがたい航海を成し遂げたのだ。
しかし、疲れ切った彼らには無事に上陸を行う力が残されていなかった。短艇は潮流に流され、サンゴ礁(あるいは大波)に乗り上げ転覆してしまう。
気がつくと、脚を怪我したウィリアム・ハルフォードだけが島にたどり着いていた。
ハルフォードはハワイ人とカウアイ島にいたアメリカ人の助けを借り、ハワイ王国首都ホノルルへ送られる。
アメリカ領事館とハワイ王カメハメハ5世の手配により、ただちに汽船「キラウェア」が救難船として手配される。1871年1月4日にキラウェアはクレ環礁へ到着、サギノー乗員達は救出されたのであった(救出時の乗員達の状態についての詳しい記録は見つけられなかった)。

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アメリカ海軍歴史センター(Naval History and Heritage Command)のコレクションで、ハルフォードら5名が2千キロを越えて助けを求めるのに使用された短艇。カタログ番号NH 108508 。
おそらく甲板はありあわせの板材で張ったものだろう。この甲板のせいで最後の最後にボートが転覆した時に4人は脱出できなかったのかもしれない。
よく見ると一番右側の開口部の前に丸い穴が開いており、ここにマストを挿して帆走したものと思われる。この辺の改装は40年後、アーネスト・シャクルトン率いる南極探検隊が船を失った後、ボートで南極を脱出して救助を求めに行く際に行った改装と似ており興味深い。
それぞれの開口部の横には留め金のようなものがあるが、これは用途不明。あるいは本来は開口部には開閉可能な蓋があり、それを開放状態で固定するためのものだろうか。
それにしてもこの小舟に5人が乗って30日かけて2千キロを航海するというのは、想像を絶するものがある。
引き上げられたこの短艇は現在、サギノー郡歴史博物館の収蔵品となっているようだが、一般公開はされていないようだ。

ウィリアム・ハルフォードはこの功績を讃えられ、1872年2月8日名誉勲章が授与されている。
ハルフォードは1910年に一旦退役するが第一次大戦中の1918年に復帰(さすがに名誉職としてだろう)、1919年2月7日に77歳で亡くなった。
フレッチャー級駆逐艦DD-480 ”USS ハルフォード” は彼の名にちなんでいる。

表紙、キット画像はOrel社公式フォーラムからの引用。

*定価はあくまでも現地で購入する場合の値段です。日本国内で購入する場合には輸送費などを考慮し、2倍~3倍程度になるとお考えください。



参考ページ:
https://en.wikipedia.org/wiki/USS_Saginaw_(1859)
https://en.wikipedia.org/wiki/William_Halford

http://bobrosssr.tripod.com/480halford-william.html
駆逐艦DD-480 USS ハルフォードの情報を集めたページの中にあるウィリアム・ハルフォードについての記事。
2000キロ決死行についての記述はほとんどここからの引用。
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