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Z-Art ルーマニア古城 Hrad Corvin ・後編

真夏に一回バテてしまった影響でなかなか模型制作が手につかず、開き直って新しい道具や仕上げの練習に制作時間を費やしている筆者のお送りする世界ノカードモデル情報。本日はチェコ Z-Art ブランドの新商品、ルーマニア古城 Hrad Corvin の紹介後編。

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前回はHrad Corvin(コルヴィン城)こと、フニャド城の歴史についてざっくりと紹介させていただいたが、後編の今回はなぜこの城が「恐怖の城」になったのかについて。世情に疎い当ブログにしては珍しく、夏らしい季節感のある企画と言えるだろう。そうでもないか。

さてこのフニャディ城、一部では「ドラキュラ城のモデルである」と言われている。ドラキュラと言えばトランシルヴァニア、そしてこのフニャド城があるフネドアラの街もトランシルヴァニアの街である。
前回、なんの説明もなしにハンガリーの話をずっとしてきたが、なんでルーマニアの古城でハンガリーの話をしていたのかと言えば、トランシルヴァニアは11世紀からずっとハンガリーの領土で、それが1920年にトリアノン条約でルーマニアに併合されたので、やっと修復したハンガリー王の居城もルーマニア領になってしまったというわけだ。

ちなみに前回最後にちょっとだけ出てきた、吸血鬼役で有名な俳優のベラ・ルゴシの「ルゴシ」は芸名で、フネドアラ県に隣接するティミシュ県のルゴジの町出身、という意味だそうだ(本名はブラシュコー・ベーラ・フェレンツ・デジェー、(Blaskó Béla Ferenc Dezső)。
あと、「ベラ」という名前は日本では早く人間になりたかったり、別になりたくなかったりする妖怪人間のせいで女性名のイメージが強いが、戦前の共産主義者ベラ・クンや第一次大戦前のシリアルキラー、ベラ・キスなどの例もあるので、ハンガリーでは男性名として珍しくないようだ。

で、そのドラキュラとフニャド城にどういう関係があるのかというと、話は15世紀、フニャド城を神聖ローマ皇帝からプレゼントされた初代フニャディ家当主、フニャディ・ヴォイク (Hunyadi Voyk)の息子、フニャディ・ヤーノシュ(Hunyadi János)がオスマントルコの侵入に晒されていたトランシルヴァニア地方の防衛を命じられたところまで巻き戻る。

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Wikipediaからの引用(以下この項、表紙写真以外同様)で、フニャディ・ヤーノシュ。原典不明。すごいオデコちゃん。

ヤーノシュは、貴族お抱えの騎士達が気分次第で戦ったり戦わなかったりするのに心底うんざりしており、トルコ軍との戦いにおいてはしっかり金を払って雇用契約を結んだ傭兵や、自ら戦いを志願した者を戦力の中心とした。中には農民や市民の兵士もいたようだ。
また、大型の馬車(ワゴン)を連結して応急の防壁とし、野戦を企図していた(攻城戦の準備のない)相手を一方的に壊滅させるなどの戦術もとったという。このへんは、ヤーノシュより数十年前にフス戦争で活躍したヤン・ジシュカの戦法と似ているところもあるが、ヤーノシュがジシュカを意識していたのかは、ちょっとわからなかった。

ヤーノシュはこれらの戦法を用いて1440年代からオスマントルコ相手に一進一退の戦いを繰り広げ、ついに1456年、コンスタンチノープルを陥落させてノリノリになっているメフメト二世が包囲するベオグラードへ突入してこれを解放、トルコ軍を撤退させるという大殊勲をあげている。
しかし、ベオグラード城内で発生した疫病(ペストだったらしい)により、ヤーノシュはベオグラード解囲から三週間後に没した。

ヤーノシュはトルコとの戦いの最中で没したが、常勝無敗でイケイケだったオスマントルコの大帝国に対してキリスト教国として勝利をおさめたインパクトは大きく、フニャディ家はヤーノシュの代でその存在感を大きく増すこととなった。
ちなみに、フニャディ家の家紋はワタリガラスをモチーフとしており、フニャディ家当主はラテン語でカラスを意味する「コルウィヌス(Corvinus)」と呼ばれることもあったために、その居城フニャド城もコルヴィン城と呼ばれるわけだ。

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フニャディ家の家紋。通り名が「ワタリガラス」ってカッチョイイぞ。
ワタリガラスが紋章となっている理由は諸説あり、シレジア地方の年代記によると、ヤーノシュの息子(次男。長男は貴族同士の内紛で処刑されてしまった)で、後にハンガリー王となったマーチャーシュ一世が狩りの最中にワタリガラスに指輪を奪われてしまい、追いかけて取り返したので紋章を指輪を咥えたワタリガラスにしたという。なにそのションボリエピソード。

もうちょっとまともな説として、マーチャーシュ1世は即位前に兄とともに敵対貴族に捕らえられ幽閉されているが、その際に母が放ったカラスが若きマーチャーシュの元へ手紙を運んでくれたという言い伝えがあるそうだ。こっちの方がロマンチックではある。
どちらにしても「コルウィヌス」になったのはマーチャーシュ1世以降のはずだが、どうやら後世にフニャディ家の年代記を書いた人物が父のヤーノシュも「コルウィヌス」と記述したのでヤーノシュの通り名も後から「コルウィヌス」だったということになったらしい。

このマーチャーシュ1世は若いころから父にみっちりと軍事センスを仕込まれており、ヤーノシュを凌ぐ戦争強さを発揮した。ボヘミア、モラヴィア、オーストリアを次々に打ち破り、一時はウィーンをも占領したというが、オスマントルコ軍がそこまで来てるんだからキリスト教国はもうちょっと仲良くしろよ、とも思う。

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ブダペストの英雄広場に立つマーチャーシュ1世像。強そう。左手で足元指差しているのはなんか意味があるんだろうか。

そして、このマーチャーシュ一世のライバルとして登場するのがルーマニア南部のワラキア公国ヴラド三世、すなわち串刺公「ドラキュラ」ヴラド・ツェペシュである。

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有名なヴラド三世の肖像。この画像は1902年にアメリカで出版された「世界の歴史」からの転用だが、元となった油彩の肖像画は作者不明。ヴラド三世存命中の肖像ではなく、没してから百年ほど経って描かれたものとみられている。

ヴラド三世は足場を固めるために一時はオスマントルコに上納金を支払って和議を結んだりもしたが、上納金上乗せを要求してきたオスマントルコの使者を「無礼だから」って理由で串刺にしてしまって、オスマントルコとの全面戦争に突入する。
ヴラド三世は大群で押し寄せるトルコ軍に対し神出鬼没のゲリラ戦で抵抗、叩いても叩いてもきりがないし決戦に応じようとしない相手にメフメト二世はへとへとになってしまい、1462年、ルーマニアのトゥルゴヴィシュテを奇襲したヴラド三世が敵兵2万人を串刺にしたと聞いて、ブルってトルコに帰った。なので、この人も実はキリスト教国をトルコから守った英雄である。

しかし、ヴラド三世はその後、なぜか「トルコ軍と内通している」という嫌疑で逮捕されてしまう。これを命じたのがマーチャーシュ一世で、一説には「対トルコ戦争で存在感が大きくなりすぎたヴラド三世が邪魔になったんで」逮捕したとも言う。ほんと、君等は少し仲良くしてください。
一説にはマーチャーシュ一世の父ヤーノシュがツェペシュの父、ヴラド二世を暗殺したという噂もあり、これが本当ならブラド二世三世親子はヤーノシュ・マーチャーシュ親子に裏切られた、ということになる。
このヴラド親子とフニャディ親子の確執が、後のハンガリーとルーマニアの仲の悪さに影響してるのではないかと思うのだが、どうだろう。

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直接関係ないけど、なんか肖像がオモロかったヴラド二世。原典不明なので関係ない人の可能性もある。

その後、ヴラド三世は12年に渡って幽閉されるがこの幽閉されていた城が、このコルビン城である、という伝説がある。
しかし、どうも実際にはマーチャーシュ一世の夏の離宮があったハンガリーのヴィシェグラードに幽閉されていたようだ。
その後、解放されたヴラド三世はマーチャーシュ一世の妹(名前不明)と結婚しているが既に勢いは失われており、1474年に現在のブカレスト近くでトルコ軍との戦いで戦死したというが、時期、場所とも詳しくはわかっておらず寂しい最後だったようだ。

さて、そんなわけでここで「ドラキュラ」ヴラド三世がここで死んだわけではないし、そもそもここに幽閉されていたわけでもないフニャド城が、ドラキュラになんの関係があるのよ、と言うと、これが実は全くなくて、誰かが「トランシルヴァニアにある城って言ったらフニャド城だから、フニャド城ってドラキュラ城のモデルなんじゃね?」と勝手に言い出したのがそのまま定着してしまったようだ。

なので別に歴史的根拠もない上に、そもそも原型もとどめていないのに「ドラキュラの城」にされてしまったフニャド城だが、海外のテレビの怪奇特番には何度か登場している。まぁ、ゴシック様式って、現代から見ると幽霊の一人や二人はいそうに見えるもんな。
そんな、恐怖っぽい見た目のおかげで、映画のロケ地としても使われており、ホラー映画「死霊館のシスター」の主な舞台、聖カルタ修道院はフニャド城で撮影されているそうだ。

そんな、特になんの因果もない恐怖の城、フニャド城の姿を公式ページの完成見本写真で見てみよう。

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うん、たしかに綺麗なお城である。トンガリ帽子がたくさん並んでいるので、ちょっとホグワーツ魔法魔術学校みたいにも見える。
天然の地形と塀で区切った空堀を長い木橋でつなぐスタイルは防御力が高そうだ。

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細かいディティール。窓類はテクスチャ表現のようだが、書き込みが細かく丁寧なので雰囲気は良い。腕に覚えのあるモデラーなら切り抜いてプラ板を当てるなどしてディティールアップするのもいいだろう。Z-Artの作例はぶっちゃけ拡大するとちょっとヘニャってることが多いのだが、チェコ式の単一の紙ではこれが限界か。気になるようなら0.5ミリ程度の厚紙(お菓子の空き箱など)で裏打ちすると仕上がりがしゃっきりする。って、チェコのキットを紹介するたびに書いてる気がする。

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中庭を覗いてみる。手前中央にある穴は井戸。この井戸には言い伝えがあり、トルコ兵の捕虜三人に解放と引き換えにこの井戸を掘らせ、15年をかけて井戸は完成したものの約束は守られず井戸の中にはトルコ兵の刻んだ恨みの文言が残っているそうだ。最後の最後になって怪談っぽくなったぞ。

チェコ Z-Art の新商品、ルーマニア古城 Hrad Corvinはスケールは300分の1で完成サイズは約40センチx50センチ、難易度は5段階評価の4(難しい)、そして定価は420チェココルナ(約2千円)となっている。
Z-Artのお城キットはどれもこれも日本人に全然馴染みがなくてフニャド城も日本語版Wikipediaに記事がなくてこまってしまうのだが、恐怖の城で暑い日本の夏を涼しく過ごそうという恐怖ファンのモデラーなら見逃せない一品と言えるだろう。

キット画像はZ-Art公式ページからの引用。



参考ページ:
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Corvin_Castle
https://ja.wikipedia.org/wiki/フニャディ・ヤーノシュ
https://ja.wikipedia.org/wiki/マーチャーシュ1世
https://ja.wikipedia.org/wiki/ヴラド・ツェペシュ
それぞれの日本語、英語、ハンガリー語、ルーマニア語版を参考とした。
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テーマ : ミリタリー
ジャンル : 趣味・実用

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No title

この高くて長い橋がいいですねえ。 これひとつあるだけで空間を感じることができます。

Re: No title

Abさん、コメントありがとうございます!
片側だけかと思ったら、前後両方とも木橋でつないでるので孤立感があっていいですよねー。
ただ、完全な後知恵ですが、トルコ軍は大砲持ってるので、この背が高い構成だとメフメト2世が本気で攻めてきたらまずかったかもしれないですね。
引き続き、よろしくお願いいたします。
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