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ドイツのカタパルト船について・その1

新型コロナウィルスの影響で、本年は静岡ホビーショーが中止が決定。これにより、来年のモデラーズクラブ合同作品展は2年分の力作が並ぶかつてないスペシャルなショーとなることが約束され、今から来年度ホビーショーへの期待が果然盛り上がっている筆者のお送りする世界のカードモデル周りをウロウロしていて拾ったネタのドヤ顔見せびらかしブログ。今回のお題はドイツのカタパルト船である。

「カタパルト船」というのは、別に大戦末期に弾薬の不足したドイツ海軍が投石機を積んでいた、とかそういう話ではなくて、航空機発進用のカタパルトを装備しており、それを使っての航空機運用を主目的とした船のことだ。
ようするに、日本では「水上機母艦」と呼ばれる種類の船なのだが、おもしろいのはドイツのカタパルト船はもともと民間での商用のために開発されたということである。

航空機を何らかの加速装置で射出する、というアイデアは意外なほど古い。おそらく模型飛行機をパチンコで打ち出すのが先にあって、それを拡大したのだろう。
例えば、1903年にアメリカの天文学者、サミュエル・ラングレー(アメリカ海軍初の航空母艦、USSラングレーの名前の由来となった)が設計したエアロドローム号は艀(はしけ)の上のキャビン天井に設けられたカタパルトから発進している。

Samuel_Pierpont_Langley_-_Potomac_experiment_1903.jpg

Wikipediaからの引用(この項、全て同様)でカタパルト射出されるエアロドローム号。
見るからに前のめりだが、この後さらに前のめりになって背面から水面に叩きつけられ、乗っていたチャールズ・マンリーは死にかけた。
なお、ラングレーは10月7日と12月8日の2回、飛行実験を行っている(もちろん両方失敗した)が、この写真がどちらの実験の際の写真なのかはどうもはっきりしない。ちなみに2回めの実験の9日後の1903年12月17日、ライト兄弟が世界初の動力付き飛行に成功している。一応、ラングレー博士の名誉のために言っておくと、無人の模型機ではカタパルト射出はうまくいった。
ちなみに、ライト兄弟も離陸距離を縮めるためにバラストを落として機体を牽引する装置を考案している。

800px-Flyer_Pau.jpg

1909年、フランスでのフライヤーA型実演の際の写真。みんなで機体を引っ張ってバラストを持ち上げているところ。バラストが落ちると離陸用のレール先端の滑車を経て機体が引っ張られる。滑車で一回折り返してるのは、もちろん直接牽引したら飛行機がタワーに激突してしまうからだ。

もうちょっとまともな例を出しておくと、1912年11月12日に静止している船舶(これも艀)からアメリカ海軍パイロットのセオドア・G・エリソンがカタパルト射出に成功、どうやらこれが世界で初めて成功した船舶からのカタパルト発進のようだ。
そして、1915年11月5日にアメリカ海軍の装甲巡洋艦、USSノースカロライナ(BB-55 戦艦USSノースカロライナとは別の艦)からヘンリー・C・マスティン(Henry Croskey Mustin)搭乗のカーチスF型機が発艦、これは航行中の艦船からの世界最初のカタパルトによる航空機発進とされている。

MustinCatapult1915.jpg

ヘンリー・C・マスティン機が射出された瞬間。機体がブレて写っているのが迫力がある。
この写真を見てから、さっきのエアロドローム号発進の写真を見返すと無性に笑える。

なお、単純に航行中の艦船からの発進としては1912年5月2日に、イギリスの戦艦 HMS ハイバーニア からチャールズ・ラムニー・サムソンが離陸に成功しているが、この時はカタパルトではなく傾斜路での発進だった。

763px-HMS_Hibernia_first_ship_aircraft_takeoff_1912_IWM_Q_71041.jpg

HMS ハイバーニアから飛び立つチャールズ・ラムニー・サムソン機。この写真もシャープに写っている船体とブレている飛行機の対比がアクセントになっている。
機体はショートS.38改造機とされているが、どう見てもショートS.38と全然形が違っており(ショートS.38にはもっとはっきりとした胴体があるし、方向舵も2枚)、ショートS.38のパーツを使ったスクラッチビルド機なのかもしれない。

さて、ドイツでは船舶用カタパルトの開発は1916年に始まった。
ドイツ語版Wikipediaによると、ドイツ帝国海軍の技術者ヴィルヘルム・シュテイン(Wilhelm Stein)という人物が開発した、とされているのだが、この人物、検索かけても詳しい情報が見つからない(クルップ社に努めていた、ユダヤ人で後にホロコースト犠牲者となる同名の技術者がいるが、どうやら関係なさそうだ)。
なのでこのシュテイン氏の詳細は不明だが、第一次大戦後は航空機メーカーのハインケルに就職したようだ。おそらく、エルンスト・ハインケルが大戦中にハンザ・ブランデンブルグ(Hansa und Brandenburgische Flugzeugwerke)で水上機の開発を行っていた関係だろう。しかし、ドイツ機の話をしてると、このオッサン毎回名前が出てくるな。

1927年、おそらくシュテイン氏が在籍しているからだろう、ドイツ運輸省からハインケルに「客船用カタパルトと、それ用の飛行機作って」という依頼が舞い込む。
客船のカタパルトってのは空賊連合に襲われた時に迎撃機を上げるためのものではなく、名目上は「大陸間の高速郵便サービスのために」となっていた。もちろん、実際にはベルサイユ条約下でこっそりと海軍航空戦力を整えるための布石だったことは言うまでもない。
ハインケルではこのためにカタパルト射出専用郵便機「HD 15」と長さ21.5メートルでHD 15を4.9Gで加速し、時速105キロで射出できるカタパルト「K1」を開発する。

HD 15と K1カタパルトは海軍の隠れ蓑である民間会社で極秘裏に試験を繰り返されたようだが、試作機としての性格が強く量産はされなかった。しかし、1929年5月にカタパルトの実験を行っているのを知ったソビエト政府がハインケルへ接触してくる。
当時、世界から「危険な国」としてハブられていたソビエトとドイツはラッパロ条約で協力関係にあり、技術的な遅れを取り戻したいソビエトと新技術の大規模な試験場を求めていたドイツの思惑が一致、ハインケルはHD 15のレイアウトを修正し、銃座を追加するなどした発展型 HD 55 15機を、K1 の改修型であるカタパルト K3 2基と併せてソビエトに売却する契約を結ぶ(売却数は後に拡大された)。
ソビエトは購入した HD 55 を КР-1 (корабельный разведчик、偵察飛行機) として海軍で採用、カタパルトと一緒に艦船に搭載する。

752px-Heinkel_HD_55.jpg

戦艦(「セヴァストポリ」と思われる)砲塔上のКР-1。カタパルトがハインケルK3か、あるいは国産化したものかは写真の情報からでは分からなかった。
ソビエト海軍は最終的にКР-1を40機ほど調達している。まだまだ機体、カタパルトとも過渡期のものであり不具合も多かった(しかも、ハインケルは機体が要求値よりも重いのを誤魔化していたらしい)が、後継機になるはずのベリエフ Be-2をカタパルト射出してみたらもっと不具合が多かったので、結局ソビエト海軍では1938年ごろまでКР-1を使用していたようだ。
(その2へ続く)



参考ページ:
http://www.airwar.ru/enc/flyboat/hd15.html
http://www.airwar.ru/enc/other1/hd55.html
それぞれ写真複数あり。おそらく試験用のボート上のカタパルトとその上に乗った HD 55 が興味深い。
ちなみに「重巡洋艦「長門」のカタパルトはハインケルが作った」なんて不思議な事が書いてあったりする。

その他の参考ページは最終回にまとめて掲載予定。
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