HMV ドイツ帝国海防戦艦 "SMS Beowulf"・後編
先日、自動販売機で缶コーヒーを買おうとしたところ、ゴトンと出てきたのは購入ボタンが隣のエナジードリンク。押し間違えたのかともう一回買ったが出てきたのはやっぱり同じエナジードリンク。こりゃ補充の人が間違えたな、と思い最終的に別銘柄の缶コーヒーを購入し、缶コーヒーの値段でエナジードリンク買えちゃうなんてこりゃボロ儲けじゃわい、うっしっしと思ったが、よく考えたら缶コーヒー1本買うのに3本分のお金をついやす大損をしていたことに後から気がついた筆者のお送りする世界のカードモデルにまつわるそこそこオモシロ情報。本日はドイツHMV社のキット、とっても名前のカッチョイイドイツ帝国海防戦艦 "SMS Beowulf"3回目。

名前がカッチョイイだけではなく、19世紀の大型艦は無駄にゴージャス感があって見た目にも楽しい。山積みの対空銃座を作るのがイヤで艦船モデルに手を出しかねているモデラーは、大きさも手頃な19世紀艦から始めてみるのもいいかもしれない。
1888年、ジークフリート級は一気に10隻が発注され建造は順調に進んでいたが、東アフリカに植民地を獲得したこともあってドイツ海軍は1890年にはさらに本格的な全長110メートル排水量約1万トン、28センチ砲塔3基(前後が連装、真ん中1基は単装なので2+1+2で主砲5門)という強力な「ブランデンブルグ級戦艦」を着工する。ブランデンブルグ級は洋上で決戦可能な本気の主力艦であり、近海での行動しか想定しない海防戦艦を一気に見劣りするものとしてしまった。
そんなわけで、ジークフリート級は作ってる真っ最中に「よく考えたらショボい」ということで
ジークフリート(Siegfried)
ベイオウルフ(Beowulf)
フリシオフ(Frithjof)
ヘイムダル(Heimdall)
ヒルデブラント(Hildebrand)
ハーゲン(Hagen)
オーディン(Odin)
エイギール(Ägir)
の全8隻で建造は終了した(建造中止となった2隻の艦名は不明)。
これら8隻は全て伝説上の神や英雄などから名前が取られているが、それまでの艦が「カイザー(皇帝)」とか「ザクセン(ザクセン州)」とかだったのに急にカッチョよくなった理由はわからない。担当者が突然中2的な闇の波動に目覚めてしまったのか。
なおオーディン、エイギールの最後2隻は仕様がわずかながら変更されており(具体的な変更内容は不詳)、ジークフリート級6隻、オーディン級2隻と別換算となっている資料も多い(Wikipediaではドイツ語版では同型8隻、英語版では6隻+2隻となっている)。中編でも既述した通りもともとジークフリート級は6隻がライン河など大河の河口、残り4隻がバルト海と北海を結ぶカイザー・ヴィルヘルム運河の防衛につく予定となっていたが、この想定とオーディン以降の仕様変更に関係があるのかも不明である。
ジークフリート級の建造が開始された1888年、3月9日にドイツを統一したドイツ帝国初代皇帝ヴィルヘルム1世が90歳で死去した。帝国議会で弔事を述べたビスマルクは涙に咽び、声はしばし途切れたという。
皇帝の位はヴィルヘルム1世の子、フリードリヒ3世(なぜ「ドイツ皇帝フリードリヒ」は初めてなのに「3世」なのかよくわからない)が継いだが彼はすでに56歳と高齢であった上に喉頭癌を患っており、わずか在位99日で死去してしまう。
帝位はフリードリヒ3世の子、29歳のヴィルヘルム2世に移った。

Wikipediaからの引用で(この項、キット表紙写真以外全て同様)、「カイゼル髭」でお馴染みのヴィルヘルム2世。1905年撮影。
この若い皇帝は老ビスマルクが皇帝の権威を蔑ろにしていると感じており、帝国議会でビスマルクが「社会主義者を弾圧すべき」と主張すると、さっそく皇帝は反対の立場をとった。皇帝側が社会主義者を養護するのはちょっと奇異に見えるが、たぶん、これはビスマルクに反発していただけで内容なあまり重要ではないのだろう。
これに気を悪くしたビスマルクは「国家の決定には全て首相の認可が必要」という古い閣議決定を持ち出し皇帝が政治に口を挟むことを阻止しようとする(これはプロイセン王国時代の閣議決定であり、厳密にはヴィルヘルム1世時代にも有効だったがビスマルクとヴィルヘルム1世の間では互いの信頼に基づいて省略されていた)。
当然、ヴィルヘルム2世はこれに激怒。「私の行く手を遮る者は粉砕する」と吠えて議員や閣僚との会合を重ね、若い世代を中心に「反ビスマルク派」を形成していく。
もはや皇帝との関係修復は不可能と悟ったビスマルクは1890年3月18日夜8時に辞表を提出、皇帝は待ってましたとばかりにこれを受理し、ビスマルクは政治の世界から去った。
ビスマルクの後をついで首相になったのは意外にも海軍長官レオ・フォン・カプリヴィであった。当人はビスマルクの後任となることは嫌がっていたが、その卓越した管理能力で混乱した政治を収拾することを期待されたのかもしれない。カプリヴィは教育や労働の改善に尽力したが保守系の支持を失い1894年にドイツ首相を退任。次第にドイツは皇帝ヴィルヘルム2世の意図を汲む人物が増えていく。
1897年、アルフレート・フォン・ティルピッツ(Alfred Peter Friedrich von Tirpitz)が1889年に新設された海軍大臣に就任すると、ティルピッツの「ぼくの考えた世界最強艦隊計画」にヴィルヘルム2世は夢中になり、それまでの沿岸防衛艦隊という考え方を捨て、ドイツ帝国はイギリスの覇権に挑戦する大艦隊の整備に乗り出す。

教科書に載っていたら真っ先に落書きされそうなティルピッツ。1903年撮影。
完成前から時代遅れとなっていたジークフリート級は船体延長を伴う大改装(船体をぶった切って、新設した防水区画を一つ挟んでまた繋げた)を受けたが、もともとの設計が外洋での艦隊決戦向けではないので1909年には全艦が予備となり、より近代的なヘルゴラント級戦艦とカイザー級戦艦(イギリスから買ったカイザー級装甲艦とは別の船)に置き換えられた。
1914年に第一次大戦が勃発するとジークフリート級は「4等装甲艦(Panzerschiff IV. Klass)」として復帰、沿岸防衛艦隊を編成したが、さすがのドイツ海軍でも使いみちがなくて1915年に早々と「ごめん、無理」と下げられてその後は宿泊艦となった(SMS ベイオウルフのみUボートの標的艦として現役に留まった)。

迷彩を施されたジークフリート級海防戦艦SMS ハーゲン。1915年撮影とあるので宿泊艦となる直前の写真だろう。大改装後、2本煙突となった艦型もよくわかる。
なおハーゲンは1914年11月4日、装甲巡洋艦SMS ヨルク(Yorck)が自軍の敷設した機雷に誤って触れ爆沈した際に381人を救出している。これが、海防戦艦ジークフリート級8隻のうち、唯一特筆すべき「戦果」だと言える。
ティルピッツとヴィルヘルム2世がキャッキャウフフのノリと勢いで整備したドイツ艦隊だったが、世界最強の大英帝国海軍にかなうはずもなく、結局のところ戦争の帰趨にはほとんど関与しないままに1919年にスカパ・フローで主力艦全艦が自沈し消滅した。
ジークフリート級はこの心中には付き合わず全艦が残ったが、1919年6月に公式な終戦を待たずに除籍となり戦後は民間に売却される。
何隻かはスクラップとなったが、SMS フリシオフ、SMS オーディン、SMS エイギールの3隻は貨物船に改装され、ジークフリート級で最後まで残っていたオーディンがスクラップとなったのは1935年であった。
HMVからリリースされているドイツ帝国海防戦艦 "SMS Beowulf"は独特な250分の1スケールでのリリース。完成全長は約31センチで難易度は「難しい」(Skill Level: difficult)。そして価格はHMVのショップ、「fentens」で19.99ユーロ(約2500円)の値がついている。
冒頭にも書いた通り、巨大過ぎず、精密過ぎない当キットは19世紀艦船ファンのモデラーのみならず艦船キットに二の足を踏んでいるモデラーの入門編としてもオススメできるのではないだろうか。もちろん、ドイツ帝国艦隊ファンのモデラーなら当キットを見逃すべきではない。どうせなら当キットを10隻購入し、フォン・カプリヴィの企図したドイツ海防艦隊の完成形を机上に再現するのもおもしろそうだ。
キット表紙写真はHMVのページから引用。
https://www.h-m-v.de/en/models/german-imperial-navy/coast-defense-battleship-sms-beowulf/
商品直リン
*定価はあくまでも現地で購入する場合の値段です。日本国内で購入する場合には輸送費などを考慮し、2倍~3倍程度になるとお考えください。
参考ページ:
https://ja.wikipedia.org/wiki/ヴィルヘルム1世_(ドイツ皇帝)
https://ja.wikipedia.org/wiki/フリードリヒ3世_(ドイツ皇帝)
https://ja.wikipedia.org/wiki/ヴィルヘルム2世_(ドイツ皇帝)
https://ja.wikipedia.org/wiki/オットー・フォン・ビスマルク
https://ja.wikipedia.org/wiki/レオ・フォン・カプリヴィ
https://ja.wikipedia.org/wiki/アルフレート・フォン・ティルピッツ
https://en.wikipedia.org/wiki/Imperial_German_Navy
https://en.wikipedia.org/wiki/Siegfried-class_coastal_defense_ship
https://en.wikipedia.org/wiki/Odin-class_coastal_defense_ship
それぞれの日本語版、英語版、ドイツ語版を参考とした。

名前がカッチョイイだけではなく、19世紀の大型艦は無駄にゴージャス感があって見た目にも楽しい。山積みの対空銃座を作るのがイヤで艦船モデルに手を出しかねているモデラーは、大きさも手頃な19世紀艦から始めてみるのもいいかもしれない。
1888年、ジークフリート級は一気に10隻が発注され建造は順調に進んでいたが、東アフリカに植民地を獲得したこともあってドイツ海軍は1890年にはさらに本格的な全長110メートル排水量約1万トン、28センチ砲塔3基(前後が連装、真ん中1基は単装なので2+1+2で主砲5門)という強力な「ブランデンブルグ級戦艦」を着工する。ブランデンブルグ級は洋上で決戦可能な本気の主力艦であり、近海での行動しか想定しない海防戦艦を一気に見劣りするものとしてしまった。
そんなわけで、ジークフリート級は作ってる真っ最中に「よく考えたらショボい」ということで
ジークフリート(Siegfried)
ベイオウルフ(Beowulf)
フリシオフ(Frithjof)
ヘイムダル(Heimdall)
ヒルデブラント(Hildebrand)
ハーゲン(Hagen)
オーディン(Odin)
エイギール(Ägir)
の全8隻で建造は終了した(建造中止となった2隻の艦名は不明)。
これら8隻は全て伝説上の神や英雄などから名前が取られているが、それまでの艦が「カイザー(皇帝)」とか「ザクセン(ザクセン州)」とかだったのに急にカッチョよくなった理由はわからない。担当者が突然中2的な闇の波動に目覚めてしまったのか。
なおオーディン、エイギールの最後2隻は仕様がわずかながら変更されており(具体的な変更内容は不詳)、ジークフリート級6隻、オーディン級2隻と別換算となっている資料も多い(Wikipediaではドイツ語版では同型8隻、英語版では6隻+2隻となっている)。中編でも既述した通りもともとジークフリート級は6隻がライン河など大河の河口、残り4隻がバルト海と北海を結ぶカイザー・ヴィルヘルム運河の防衛につく予定となっていたが、この想定とオーディン以降の仕様変更に関係があるのかも不明である。
ジークフリート級の建造が開始された1888年、3月9日にドイツを統一したドイツ帝国初代皇帝ヴィルヘルム1世が90歳で死去した。帝国議会で弔事を述べたビスマルクは涙に咽び、声はしばし途切れたという。
皇帝の位はヴィルヘルム1世の子、フリードリヒ3世(なぜ「ドイツ皇帝フリードリヒ」は初めてなのに「3世」なのかよくわからない)が継いだが彼はすでに56歳と高齢であった上に喉頭癌を患っており、わずか在位99日で死去してしまう。
帝位はフリードリヒ3世の子、29歳のヴィルヘルム2世に移った。

Wikipediaからの引用で(この項、キット表紙写真以外全て同様)、「カイゼル髭」でお馴染みのヴィルヘルム2世。1905年撮影。
この若い皇帝は老ビスマルクが皇帝の権威を蔑ろにしていると感じており、帝国議会でビスマルクが「社会主義者を弾圧すべき」と主張すると、さっそく皇帝は反対の立場をとった。皇帝側が社会主義者を養護するのはちょっと奇異に見えるが、たぶん、これはビスマルクに反発していただけで内容なあまり重要ではないのだろう。
これに気を悪くしたビスマルクは「国家の決定には全て首相の認可が必要」という古い閣議決定を持ち出し皇帝が政治に口を挟むことを阻止しようとする(これはプロイセン王国時代の閣議決定であり、厳密にはヴィルヘルム1世時代にも有効だったがビスマルクとヴィルヘルム1世の間では互いの信頼に基づいて省略されていた)。
当然、ヴィルヘルム2世はこれに激怒。「私の行く手を遮る者は粉砕する」と吠えて議員や閣僚との会合を重ね、若い世代を中心に「反ビスマルク派」を形成していく。
もはや皇帝との関係修復は不可能と悟ったビスマルクは1890年3月18日夜8時に辞表を提出、皇帝は待ってましたとばかりにこれを受理し、ビスマルクは政治の世界から去った。
ビスマルクの後をついで首相になったのは意外にも海軍長官レオ・フォン・カプリヴィであった。当人はビスマルクの後任となることは嫌がっていたが、その卓越した管理能力で混乱した政治を収拾することを期待されたのかもしれない。カプリヴィは教育や労働の改善に尽力したが保守系の支持を失い1894年にドイツ首相を退任。次第にドイツは皇帝ヴィルヘルム2世の意図を汲む人物が増えていく。
1897年、アルフレート・フォン・ティルピッツ(Alfred Peter Friedrich von Tirpitz)が1889年に新設された海軍大臣に就任すると、ティルピッツの「ぼくの考えた世界最強艦隊計画」にヴィルヘルム2世は夢中になり、それまでの沿岸防衛艦隊という考え方を捨て、ドイツ帝国はイギリスの覇権に挑戦する大艦隊の整備に乗り出す。

教科書に載っていたら真っ先に落書きされそうなティルピッツ。1903年撮影。
完成前から時代遅れとなっていたジークフリート級は船体延長を伴う大改装(船体をぶった切って、新設した防水区画を一つ挟んでまた繋げた)を受けたが、もともとの設計が外洋での艦隊決戦向けではないので1909年には全艦が予備となり、より近代的なヘルゴラント級戦艦とカイザー級戦艦(イギリスから買ったカイザー級装甲艦とは別の船)に置き換えられた。
1914年に第一次大戦が勃発するとジークフリート級は「4等装甲艦(Panzerschiff IV. Klass)」として復帰、沿岸防衛艦隊を編成したが、さすがのドイツ海軍でも使いみちがなくて1915年に早々と「ごめん、無理」と下げられてその後は宿泊艦となった(SMS ベイオウルフのみUボートの標的艦として現役に留まった)。

迷彩を施されたジークフリート級海防戦艦SMS ハーゲン。1915年撮影とあるので宿泊艦となる直前の写真だろう。大改装後、2本煙突となった艦型もよくわかる。
なおハーゲンは1914年11月4日、装甲巡洋艦SMS ヨルク(Yorck)が自軍の敷設した機雷に誤って触れ爆沈した際に381人を救出している。これが、海防戦艦ジークフリート級8隻のうち、唯一特筆すべき「戦果」だと言える。
ティルピッツとヴィルヘルム2世がキャッキャウフフのノリと勢いで整備したドイツ艦隊だったが、世界最強の大英帝国海軍にかなうはずもなく、結局のところ戦争の帰趨にはほとんど関与しないままに1919年にスカパ・フローで主力艦全艦が自沈し消滅した。
ジークフリート級はこの心中には付き合わず全艦が残ったが、1919年6月に公式な終戦を待たずに除籍となり戦後は民間に売却される。
何隻かはスクラップとなったが、SMS フリシオフ、SMS オーディン、SMS エイギールの3隻は貨物船に改装され、ジークフリート級で最後まで残っていたオーディンがスクラップとなったのは1935年であった。
HMVからリリースされているドイツ帝国海防戦艦 "SMS Beowulf"は独特な250分の1スケールでのリリース。完成全長は約31センチで難易度は「難しい」(Skill Level: difficult)。そして価格はHMVのショップ、「fentens」で19.99ユーロ(約2500円)の値がついている。
冒頭にも書いた通り、巨大過ぎず、精密過ぎない当キットは19世紀艦船ファンのモデラーのみならず艦船キットに二の足を踏んでいるモデラーの入門編としてもオススメできるのではないだろうか。もちろん、ドイツ帝国艦隊ファンのモデラーなら当キットを見逃すべきではない。どうせなら当キットを10隻購入し、フォン・カプリヴィの企図したドイツ海防艦隊の完成形を机上に再現するのもおもしろそうだ。
キット表紙写真はHMVのページから引用。
https://www.h-m-v.de/en/models/german-imperial-navy/coast-defense-battleship-sms-beowulf/
商品直リン
*定価はあくまでも現地で購入する場合の値段です。日本国内で購入する場合には輸送費などを考慮し、2倍~3倍程度になるとお考えください。
参考ページ:
https://ja.wikipedia.org/wiki/ヴィルヘルム1世_(ドイツ皇帝)
https://ja.wikipedia.org/wiki/フリードリヒ3世_(ドイツ皇帝)
https://ja.wikipedia.org/wiki/ヴィルヘルム2世_(ドイツ皇帝)
https://ja.wikipedia.org/wiki/オットー・フォン・ビスマルク
https://ja.wikipedia.org/wiki/レオ・フォン・カプリヴィ
https://ja.wikipedia.org/wiki/アルフレート・フォン・ティルピッツ
https://en.wikipedia.org/wiki/Imperial_German_Navy
https://en.wikipedia.org/wiki/Siegfried-class_coastal_defense_ship
https://en.wikipedia.org/wiki/Odin-class_coastal_defense_ship
それぞれの日本語版、英語版、ドイツ語版を参考とした。