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Orel フランス 試作レース機 Bugatti Model 100・中編

最近凧揚げが面白くて、いま揚げているキットのものでは飽き足らずに折を見て今度は材料集めから自作してみようかと企んでいる筆者のお送りする世界のカードモデル最新情報。本日は前回に続きウクライナOrel社の新製品、試作レース機 Bugatti Model 100 の紹介だ。

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何度見てもカッチョいい。
さて、1936年にコードロンの三連覇で終了したドゥッシュ杯に、なぜブガッティが1938年から挑戦するのか、この辺りも詳しく書かれている資料が見つからなかったのでよくわからないのだが、おそらくまた新たな戦いが開催されるというアナウンスがあったのだろう。
この挑戦のためにブガッティはベルギー人エンジニアのルイ・ドゥ・モンジュ(Louis de Monge)を招き入れたが、この人、航空機デザイナーとしてはそんなに実績のある人ではなく、過去作を検索するとなんだかヤバげなスタイルな飛行機ばっかり出てくるという、ぶっちゃけ微妙な感じの人だった。

スーパー・スポーツカーを開発する技術力とデザインセンス。そこへヤバげな航空機デザイナーを加えれば、ゴミかロマンチックマシーンが出来上がるに決まっている。
こうして出来上がったのが、カッチョイイ飛行機選手権が行われれば現在でも上位入賞間違い無しのモデル100だった。
では、そのイカした姿をOrelの完成見本写真で見てみよう。

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横から見ても上から見ても、どこから見ても架空機にしか見えないスタイリング。機体は基本的に木製で、表面は帆布と塗料でツルツルのピカピカに仕上げられていた。
座席のサイズでわかるように、全幅8メートルしかないかなり小柄な機体で、極端に前よりのコクピットの先にはプロペラしかないが、じゃあエンジンはどこなのかというと操縦席の後ろにスポーツカー「ブガッティ・タイプ50」に積んだのと同じエンジン2基(一部が軽量合金化されるなどの特注品)が一列に入っており、後ろのエンジンは2重のプロペラの前を、前のエンジンは後ろのプロペラを回す。前後のプロペラは逆に回るので前のエンジンは前後逆に積まれているようだ。主翼がDC-3の主翼を間違えて前後逆につけてしまったような形をしているのも、エンジンを機体後部に積んで重心が後ろ寄りになったことの影響だろうか。
シャフトを2重にしたり1本のシャフトからギヤで分配する一般的な二重反転プロペラとは異なり(エンジンからプロペラを駆動するシャフトはそのまま直結したら操縦士の体に穴を開けなければいけないので)、モデル100のエンジンはユニバーサルジョイントを使って後ろのエンジンシャフトが操縦士左、前のエンジンシャフトが操縦士右を迂回してプロペラに繋がっていた。つまり、モデル100はタンデム双発機なんだと考えるとちょっとはわかりやすいだろう。
ユニバーサルジョイントとか長いシャフトとか、どう考えても冷却が足りないエンジンとか、いかにも問題がありそうな構造だが、まぁ、レーサー機なんて数時間飛べばオーバーホールしてしまえばいいんだから、もとより耐久性は度外視だろう。
でもこれ、ドルニエDo335「プファイル」みたいに後ろの1発は胴体後ろで推進プロペラ回すようにしたほうが色々簡単だったんじゃないだろうか。
*3月14日追記:
コメント欄で 火炎瓶さんから「後部推進式プロペラにしなかったのは緊急時の脱出に考慮したのでは?」とのご指摘をいただきました。あぁ~脱出のこと全然考えてませんでした……確かに、ピーキーなレーサー機で脱出できない、っていうのは文字通り致命的ですね。また、火炎瓶さんからは二重反転プロペラで牽引するというスタイルは当時速度レコードを保持していたマッキ M.C.72からの影響もあるのではないか、との鋭い指摘もいただいております。ツッコミありがとうございます!


ドゥッシュ杯に向けて開発が行われたモデル100だったが、さすがのブガッティ工房でも経験のないレーサー機開発は難しかったようで、エントリー締め切りの1939年9月には間に合わなかった。そもそも、この月にドイツ軍はポーランドに侵攻し、もはやエアレースどころではなくなってしまう。フランス空軍からは「モデル100って、戦闘機になる?」という問い合わせがあったようだが、どう考えても無理だろう(一応、モデル100を拡大した「モデル110」という戦闘機バージョンは検討されたらしい)。
ドイツ軍がフランスに侵入し、フランス軍が崩壊するとモデル100は接収を避けるために郊外の納屋へと隠された。
1944年にフランスは解放されたが、ブガッティを率いたエットーレ・ブガッティは終戦直後に病没。ブガッティ社も本業の高級スポーツカーが奮わずに経営が悪化する。
そんな中、モデル100は制作が再開されないまま売却され次々に所有者が変わった。転売されるうちに機体はアメリカ人のものとなりアメリカへ運ばれたが、アメリカへ持ち込んだ人物は単にブガッティのレースカーに積むエンジンが欲しかっただけで2基のエンジンを取り外すとまた転売している(この2基のエンジンはブガッティType 59/50Bに載せられ現存している)。
最終的に、機体外郭だけになったモデル100はアメリカウィスコンシン州オシュコシュのEAA(Experimental Aircraft Association)航空博物館に寄贈され、修復の後に現在もそこに展示されている。
モデル100はブガッティが開発した、最初で最後の航空機となったが、結局一度も空を飛ぶことはなかった。

EAAの機体紹介はドゥッシュ杯がドイツのレースと思わせる記述があったりしてちょっと怪しいが、注目すべきはスペック表で、最高速度が計画値で「500-plus mph(時速800キロ以上)」となっている。
実際の所、モデル100が飛んだらどれぐらいの速度が出たのだろう。
正確なところはもうわからないが、いかにスタイリングを凝ったところで、エンジンが450馬力のタイプ50x2ではいくらなんでも馬力不足ではないだろうか。
戦前の最高速度記録はメッサーシュミット209(Me109の後継戦闘機とは全く別の機体)が1939年4月26日に出した時速755キロ(直線のみ)。エンジンはDB601をコテコテにカスタマイズした特注品で、瞬間的になら最大2200馬力が出せたが、数十分ほどしか駆動できないという凄まじいシロモノだった。
もちろん飛行機の速度を決めるのはエンジンパワーだけではないが、450x2ではいくらチューンしたところでも時速700キロも出たかは疑問だ。あるいは機体は時速800キロでも出せるキャパシティがあるので、エンジンはもっと強力なものに換装する予定だった、ということだろうか。だとしたら今度は胴体が細すぎるし、そもそもユニバーサルジョイント結合のシャフトがそんなパワーには耐えられないだろう。
ちなみに、現在のレシプロ駆動機の最高速度記録は1989年8月21日にグラマンF8Fベアキャットの改造機「レア・ベア(Rare Bear)」が記録した時速850キロで、この機体はエンジンをダグラスA-1「スカイレイダー」から持ってきた2700馬力ライト R-3350エンジンに換装している。

(後編に続く)



参考ページ:
https://en.wikipedia.org/wiki/Messerschmitt_Me_209
https://en.wikipedia.org/wiki/Rare_Bear
その他の参考ページは後編にまとめて掲載予定。
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ジャンル : 趣味・実用

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後部プロペラを取り入れなかったのは非常時の脱出を考慮したのと当時最速機のマッキMc72が二重プロペラ機だったからじゃないでしょうか?

Re: タイトルなし

火炎瓶さん、コメントありがとうございます。
ああ~緊急脱出のこと、全然考えてませんでした……そう言えば戦間期に推進式の機体ってほとんどないですね。また、マッキMc72の影響も見逃せませんね。ツッコミありがとうございました!
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