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高高度観測気球 ”ポーランドの星”

長過ぎる無人機の歴史を一旦忘れて新製品紹介に戻ってきたと思ったのに、あっという間にネットの海に漂うオモシロ情報に搦め捕られてすっかり溺れてしまった筆者のお送りする、筆者以外の読者にとっておもしろいんだかどうなんだかさっぱり見当がつかないマイナーアイテム紹介コーナー。今回紹介するのはポーランドの高高度観測気球 ”ポーランドの星”。
まずは1938年にポーランドで撮影されたこの写真(Wikipediaから引用。この項の写真全て同様)を見ていただこう。

Gwiazda_Polski.jpg

なんだこれは! ポーランドにミステリアン来襲か! ぐるぐるまわるぞ! 光線出すぞ!
エントリのタイトルの時点ですでにネタバレしてるのであんまり引っ張らないでおくが、これは宇宙人が建造した地下要塞ではなく、気球である。まだ中途半端にしか膨らんでないのでドーム型に見えるだけだ。

1930年代、ポーランドではスポーツとしての気球がブームとなっていた。例えばポーランドの気球チームは世界で最も歴史が古く権威ある気球レース「ゴードン・ベネット杯気球レース」で1933年から1938年までの間に4度も優勝している。ちなみに使用した気球は1922年に創業した「アヴィオテックス気球・パラシュート工場」(Wytwornia Balonow i Spadochronow Aviotex)の製品で、アヴィオテックスは戦後名前を「Aviotex」と短縮し現在も営業している。最近は気球だけではなく、イベントなどでエアーで膨らませるドームも製造しているようだ。アヴィオテックスのギャラリーページを見てると楽しくなってくる。

そんな気球大国ポーランドと競り合い、一歩出し抜いたのがアメリカだった。アメリカ陸軍航空隊はナショナル・ジオグラフィック財団の出資を受けて気球「エクスプローラーII」(Explorer II)をグッドイヤー・ツェッペリンで製造。エクスプローラーIIはアルバート・ウィリアム・スティーブンス(Albert William Stevens)とオービル・A・アンダーソン(Orvil A. Anderson)の2名を乗せ、1935年11月11日、高度2万2千メートルに到達し世界記録を打ち立てた。この2名は、人類で初めて地球の地平線が弧になっているのを肉眼で見たと考えられている。なお、二人が日付を意識して飛行中にポッキーゲームを行ったかどうかは残念ながらさだかではない。

474px-Historic_weather_balloon_-Explorer_II.jpg

無事に着地したエクスプローラーIIのゴンドラ部分。上半分が白、下半分が黒という塗装については特に説明が見つからなかったが、上からの紫外線を反射し、なおかつできるだけ下(地上)から目視できるように、という意図だろうか。このゴンドラは現在アメリカ国立航空宇宙博物館に展示されているが、気球部分は細かく裁断してナショジオ会員に記念品として配ってしまった。

このニュースを聞き奮い立ったポーランド軍はエクスプローラーIIの記録を超える高度挑戦を立案し、時のポーランド大統領イグナツィ・モシチツキ(Ignacy Mościcki)も超乗り気だった。ちなみにモシチツキ大統領は安価な硝酸製造法の特許を持っている化学者でもあった。
一応、ただ飛ぶだけじゃアレなんで、「高高度での宇宙線観測」という名目も後からつけたした。

1938年9月。ポーランド南部、スロバキアとの国境近いタトラ山脈西部で高高度挑戦気球「ポーランドの星(Gwiazda Polski)」が準備を終えようとしていた。Gwiazda Polskiは高さ120メートル(便宜上「気球」と書いているが、正しくは半球の下に逆さの円錐が繋がる『コーンに乗ったアイス型』である)、ガス容量124,700立法メートル、重さ1.5トンの堂々たるもの。気嚢は日本製の絹にゴムを塗ったものだったそうだ。制作のためにアメリカ在住のポーランド移民会などから寄付が行われたが、さらにポーランド郵便では「気球切手」を発行。この切手は額面は75グロシュ(1グロシュは100分の1ズロチ)だが、2ズロチで販売され差額の1.25ズロチが気球制作のための寄付金となった。今で言うクラウドファンディングである。気球を応援したいからって何万枚も気球切手を買って、切手を捨ててしまうのは迷惑だからやってはいけない。

気球に乗り込む乗員はエクスプローラーIIと一緒で2人。まず、ズビグニェフ・ブルジンスキ大尉(Zbigniew Burzyński)。大尉はゴードン・ベネット杯で2度勝利したことがあり、当時ポーランド最高の気球パイロットの一人であった。続いてもう一人は物理学者のコンスタンティ・ジョドコ=ナルキェヴィツ博士(Konstanty Jodko-Narkiewicz)。博士は宇宙線の専門家だったが、ポーランド初の本格的アンデス山脈探検隊のリーダーでもあり(たぶん、高標高の希薄な大気下で宇宙線を観測する目的だったのだろう)、決して研究所に篭っているタイプではなかった。

当初の離陸予定は9月15日だったが、あいにくと天候に恵まれず挑戦は延期となった。しかし、タトラ山脈に冬が訪れる前に飛行は行わなければならず、そのデッドラインは10月14日とされた。
1938年10月14日午前1時。やまない強風の中、気球が膨らみ始めた。周囲にはポーランドはもとより、世界中から集まった報道社の数々。その中にはアメリカのナショナル・ジオグラフィック誌のチームもいる。アメリカからはエクスプローラーIIで高度記録を作った乗員の一人、アルバート・スティーブンスも助言のために駆けつけてくれた。
高高度の過酷な環境に耐えるための防護服を着て、不測の事態に供えパラシュートを身に着けた2人の乗員がゴンドラへ入る。
午前4時にはほぼ気球は満杯となっていた。水素で。

目撃者によれば、炎は最初に「ポーランドの星」の天辺あたりで発生したという。気球はあっという間に炎に包まれた。
幸いなことに、ゴンドラは延焼を免れ、また見物人も含め負傷者は一人もいなかった。
発火の原因はわからなかったが、燃えた理由は誰の目にも明らかだった。気球に可燃性の気体、水素が詰まっていたからだ。
これを防ぐ方法は簡単で、やや水素よりも浮力は劣るものの、可燃性ではないヘリウムで気球を飛ばせば絶対に燃え上がることはない。しかし、当時ヘリウムの生産はほぼアメリカが独占しておりパーティグッズのコーナーに置いてあるようなものではなかったので、アメリカ以外はどこの国でも飛行船、気球には危険を承知で水素を使用していた。
ちなみにアメリカも実は同じ失敗をしており、エクスプローラーが「II」なのは、初代エクスプローラーが高度1万8千メートルで水素に引火して大炎上したからだ(乗員は辛くもパラシュート脱出に成功した)。なので、エクスプローラーIIではヘリウムを使用している。

ポーランドはこの失敗にめげず、再度の挑戦を計画した。今度はアメリカもヘリウムを提供。記録を破られるかもしれないのにヘリウムを送ってくれるなんて、アメリカ政府はなかなかイキなはからいをしてくださる。「敵にヘリウムを送る」とはこのことか。
二回目の挑戦の準備には丸一年が費やされた。二回目の飛行予定は9月15日。
ポーランドの新聞、Ilustrowany Kuryer Codziennyは8月30日、このように書いている。
「ヘリウム、ボトル1015本もアメリカから届き準備はほぼ完了している」
その2日後1939年9月1日午前4時40分、ドイツ軍がポーランドに侵攻し全てが御破算になった。

800px-Polana_Chochołowska_b2

1938年の打ち上げ地点に設置された記念碑。ただの気球の絵ではなく、「気球切手」がモチーフとなっていることが「ポーランドの星」がポーランド国民一丸となっての挑戦であったことを象徴していると言えるだろう。

最後に、気球に乗るはずだった2人のその後。ズビグニェフ・ブルジンスキ大尉はドイツ軍侵攻でドイツ軍捕虜となったが、1939年10月から1945年4月までの長い長い捕虜生活を生き延びた。戦後は気球関係の団体の顧問などを努め、ポーランドと隣国チェコスロバキアで気球スポーツの振興に力を注ぎ、1971年にワルシャワで亡くなった。
コンスタンティ・ジョドコ=ナルキェヴィツ博士の方は、あまり詳しいことが伝わっていない。戦争は生き抜いたが、どうやら健康を害してしまったようで、戦後はタトラ山脈で山岳ガイドのようなことをしていたようだ。博士は1963年に亡くなっている。

参考ページ:
https://en.wikipedia.org/wiki/Gwiazda_Polski
https://en.wikipedia.org/wiki/Explorer_II
https://en.wikipedia.org/wiki/Zbigniew_Burzyński
https://en.wikipedia.org/wiki/Konstanty_Jodko-Narkiewicz
それぞれ、存在する場合には日本語、ポーランド語のページも参考とした。
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ポーランドが気球大国だったのは初耳ですね。

Re: タイトルなし

火炎瓶さん、コメントありがとうございます。
書いた本人が戦前のポーランドでスポーツとしての気球が盛んだったなんて知らなかったんですが、ゴードンベネット杯で4回優勝しているところを見るとやはりそれないの層の厚さはあったようですね。
ポーランドは軽飛行機やグライダーも盛んだったらしいので、みんな空を飛びたがる理由が何かあったのかもしれません。東がソビエト、西がドイツでは上に進むしかなかったとか?(笑)
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