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Murph's Models カナダ 汎用機 Noorduyn "Norseman"・前編

久々3連休が取れたので月曜更新。だってのに、いきなりの猛暑でややグロッキー気味の筆者がお送りする世界のカードモデル情報。本日紹介するのはアメリカはアリゾナ州のブランド、Murph's Modelsからの新製品、カナダ 汎用機 Noorduyn "Norseman"だ。

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「ノールダイン」というのはちょっと聞かない名前だが、この名前を聞いて即座に回転機能を大胆に用いたナムコの横スクロールシューティングを思い出した読者はナムコ好きとして胸を張っていいだろう。
「はて、ノールダイン……この会社、他にどんな飛行機作ってたっけ?」と思わず首をかしげたくなるマイナーメーカーだが、それもそのはず、ノールダインが開発・製造した機種はこの「ノースマン」ただ一機種しかない。

ロバート・B・C・ノールダイン(Robert B.C. Noorduyn)は1893年4月6日、オランダ人の父親とイギリス人の母親の間に生まれた。幼少期をオランダで過ごした彼はオランダ、ついでドイツで技術を学び1913年にイギリスへ渡る。イギリスでは名機「キャメル」を産んだソッピース社の設計技師として働いた。
第一次大戦中の1917年、ノールダインは新しく立ち上げられたBritish Aerial Transport(英国航空輸送)、略してBATの製図チーフとして抜擢される。BATの設計主任は同じくオランダ人のフレデリック・コールホーフェン(Frederick Koolhoven)が努めており、敵であるドイツでもオランダ人アントニー・フォッカー(Anton Herman Gerard Fokker)が傑作機をどんどん生み出していたのだから、この当時の航空業界におけるオランダ人の活躍というのは決して無視できないものがあると言えるだろう(第一次大戦ではオランダは中立)。
BATは名前の割にはなぜか戦闘機ばかり設計しており、500機も生産されたソッピース・スナイプの後継機を狙ったF.K.25「バジリスク」なんていう超カッコイイ名前の戦闘機なんかも開発したが、第一次大戦の終結でどの機も数機から十数機の少数生産に終わり、BATは1919年に解散した。

BATがなくなってノールダインがオランダへ帰ると、オランダでは先にドイツから帰っていたフォッカーが工場を建てて新しい会社「オランダ航空機工場(Nederlandse Vliegtuigenfabriek )」を立ち上げていた。先述の通り、ノールダインとフォッカーは第一次大戦では「敵同士」ではあったが、フォッカーは高待遇でノールダインを会社へ迎え入れた。
ちなみに、もう一人のオランダ人、コールホーフェンも戦後オランダに戻っているが、彼はフォッカーと手を組まずに自分の会社を起こそうとしたがうまくいかず、自動車会社の設計技師などを転々とした後に1930年台に念願叶って会社を設立。堅実な複葉練習機で実績を重ねる傍ら、100トン飛行艇とか二重反転プロペラの超戦闘機とかおもしろおかしい設計を考えてたらドイツ軍の侵攻で国がなくなって、会社は再建されなかった。

1920年台フォッカーの会社は作る旅客機がどれも大当たりで業績好調、名前も堂々「フォッカー」に変更した。フォッカーはさらなる業績拡大のためにアメリカに工場を建設することとし、現地支社の責任者として送られたのがノールダインだった。
ニュージャージー州テターボロに派遣されたノールダインはここでフォッカーのヒット作の一つ、高翼単葉単発の汎用機、「フォッカー・ユニバーサル」を設計・開発している。
この間、フォッカーのアメリカ支社は「アトランティック・エアクラフト・コーポレーション・オブ・アメリカ」という会社に成長し、フォッカー自身もアメリカに渡りアメリカ国籍を取得するなど着々と業績を重ねていたが、1929年、ノールダインはフォッカーを退社してしまった。
ノールダインがフォッカーを辞めた理由ははっきりしない。しかし、当時フォッカーは3発のF.VII、双発のF.VIIIなど多発の大型旅客機を得意としており、フォッカー・ユニバーサル、後のノールダイン・ノースマンと小型単発機を得意としていたノールダインとは意見の相違があったのかもしれない。この推測を裏付けるように、フォッカーを辞めたノールダインは超長距離飛行向け単発機の製造に定評のあった「ベランカ」へ再就職している。

ノールダインはベランカで個人向け単発汎用機、CH-400「スカイロケット」(犬がフリスビーくわえて帰ってきたみたいなレイアウトで有名なグラマンXF5F「スカイロケット」とは関係ない)の設計を行っている。また、傑作単発機CH-300「ペースメーカー」の局地向けカスタム機の開発も行っていた。
しかし、ベランカもノールダインの目指す方向性とは違ったようで、ノールダインはわずかな年数努めただけでベランカを退社。今度は「ピトケアン オートジャイロ」なんていう聞いたこともない会社で4座席のPA-19オートジャイロなんてのを設計したが、やっぱりこれもなんか違うな、ということでここも早々にやめてしまった。
意中の機体を設計できずに航空会社を転々としていたノールダインは1933年、ついにウォルター・クレイトン(Walter Clayton)と共同で自身の会社「Noorduyn Aircraft Limited」(1935年に「Noorduyn Aviation」に社名変更)をカナダで立ち上げる。ちなみにこの「ウォルター・クレイトン」という人物、この一瞬しか名前が出てこない。詳細な情報も一切見当たらず、単に共同出資者として資金提供をしただけだったのかもしれない。

ノールダインの作りたい飛行機は、不整地や局地での運用に強く場合によっては水上、雪上でも運用が可能。荷の積み下ろしが容易で、高価ではなく、複雑ではなく、同等の飛行機よりも優秀でなければならない、というコンセプトだった。
そんな夢のような飛行機がほいほいできたら苦労せんわ……と思わずにはいられないが、ノールダインはこの時までずっとアイデアを温めていたのだろう、1935年11月14日に最初の「ノースマン」がほいほいと初飛行を果たした。

それでは、ここでやっとこ完成したノースマンの姿をEcardmodelsの商品ページの完成見本写真で見てみよう。

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ぶっちゃけ、ちょっとヘニョい作例だが、まぁそれはいいとして、広く短い踏ん張るようなスタイルの着陸脚がノールダインの想定した不整地での運用を保証している。ここでは車輪を取り付けているが、わずかボルト2本の着脱で降着装置は車輪、スキー、フロートを取り替えることができた。おもしろいことに、ノースマンは一般的なこのスタイルの飛行機とは逆に、最初にフロートで設計され、オプションとしてスキーが、そして最後に車輪がサポートされたそうだ。

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太く短い胴体は容量も十分。脚が短いために積み下ろしのためのハッチが高くなりすぎていないこともよく分かる。
キットの塗装は米軍向けC-64(後にUC-64にカテゴリが変更された)。ノースマンの機体基本構造は鋼管帆布張りなのでグレー部分はギンギラのベアメタルではなく、実機でもこんな感じの色調のシルバードープ塗装だ。ド派手な赤い翼と尾部は雪上に不時着した時に発見を容易とするため。

(後編に続く)

参考ページは後編にまとめて記載予定。
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