Heinkel Models アメリカ装甲艦 USS Lafayette(前編)

先日、母から「あなた、昼の気象ニュースに映ってたわよ」というメールを受けとり、いつのまに撮られちゃったのかな~?とか思いながらネット配信で確認したところ、単なる背格好が似ている人だった筆者がお送りする世界のカードモデル情報。母ちゃん、これ右上に撮影場所甲府って出てるじゃない。わしの勤務地東京だって。

今回紹介するのはスペインのデザイナー、Fernando Pérez Yuste氏のブランド「Heinkel Models」の新製品、アメリカ装甲艦 USS Lafayetteだ。

hnkl_uss_lafayette.jpg

なんかメイド・イン・他の惑星的な、見たことのない物体が表紙に載っているが慌てず騒がず順を追って説明していこう。
ちなみにHeinkel Modelsは数ヶ月前からホームページが行方不明。自身での販売は終了して、これからは委託販売のみでやっていくのだろうか。ちなみに表紙はEcardmodels版のもの。

1861年に南北戦争が始まった時、合衆国(北軍)大統領リンカーンは南軍を打ち負かす戦略を文民である自分がフィーリングとかノリで決めてしまうべきではないと思った。そこで、大統領は1808年から軍務についている陸軍の長老、ウィンフィールド・スコット将軍に「どうしたもんかね」と意見を求める。
将軍は19世紀の戦争をよく研究しており、わずかな常備軍とピクニック気分で集まった志願兵からなる北軍は軍備も訓練も全く足りず、全てを賭けた大勝負一発で勝敗を決めてしまうべきではないと考えた。そこでスコット将軍は大西洋、メキシコ湾、ミシシッピ川という一連の水域で南軍の支配地域を包囲し(当時の陸軍の規模では陸で封鎖することは難しい)、外部との交通、流通を遮断することで南部の戦力・国力を削ぎ落としていくという遠大な計画を立案する。
この発想は、「攻撃精神」が尊重された19世紀の将軍が考えたとしては非常に壮大であり、また政治的(非軍事的)である。三国志で言えば、「将軍」ではなく「軍師」が立案するような作戦で、「相手を経済的に弱らせる」という発想は非常に現代的でもある。いっそ「年金でボードゲーム買い漁ってたワシが転生して南北戦争で将軍になるじゃと!?」という設定で転生ものラノベになってもいいぐらいだ。その本、意外とおもしろそうだ。
この計画を聞かされた北軍の将軍達は内心、『ええーっ! この爺さん、なに言ってんの!』と思っただろうが、なにしろ軍人になった時の大統領は第3代トマス・ジェファーソン(リンカーンは第16代)、1812年の米英戦争でイギリス軍と戦ったこともあるという陸軍の権威に面と向かっては誰も『包囲とか超だっせ! ナウなヤングなら突撃っしょ!』とは言えず、「はい……そうですね……」とスコット将軍の案が北軍の大戦略として採用される。包囲作戦はいつしか南軍を締め上げる大蛇になぞらえ「アナコンダ・プラン」と呼ばれるようになった。

718px-Scott-anaconda.jpg

1861年12月に描かれたアナコンダ・プランの戯画。Wikipediaより引用(もともとの出典ははっきりしない)。
この絵ではアナコンダは西側でテキサスまで巻き込んでおり(スコット将軍のプランではテキサスの東隣のルイジアナでミシシッピ川に入る)、もともとのアナコンダ・プランとは差異が見られる。
結果論的に言えば、南北戦争は鉄道と徴兵によって莫大な兵力が常に前線へ送り込まれる「総力戦」の先駆けであり、スコット将軍の大戦略なくしては戦争はさらに長く苦しいものとなったであろう。ヘタすりゃ南北それぞれに肩入れする外国を巻き込んでの「世界大戦」となっていたかもしれない(フランスのナポレオン三世は南軍贔屓だった)。
スコット将軍は老齢であり南北戦争で実際に指揮を取ることはなかったが、間違いなく南北戦争きっての名将だったと言えるだろう。

アナコンダ・プランに従い脆弱だった米海軍は開戦後に急速に拡充され、着実に大西洋、メキシコ湾を封鎖していく。
1862年4月、デヴィッド・グラスゴー・ファラガット提督率いる北軍艦隊はミシシッピ川河口に突入し、ミシシッピ川下流域最大の都市ニューオリンズを占領。いよいよアナコンダがその首をもたげ西から南部連合を包囲にかかったのである。
当時、ミシシッピ川に浮かべる船を主に建造していたのはミシシッピ川を北へ遡ったミズーリ州セントルイス(北軍地域)。ここで建造された汽船からなるミシシッピ戦隊(Mississippi Squadron)がドンブラコッコとミシシッピ川を下っていき、ニューオリンズのファラガット艦隊と握手すれば、これでアナコンダ・プラン完成! アーケードゲームの脱衣陣取り「ギャルズ・パニック」だったら南部連合の支配地域がガコンと抜け落ちてジェファーソン・デイヴィス南部連合大統領のウハウハ画像が見えちゃうこと間違い無し! となるはずが、ここでアナコンダの動きは止まってしまう。
原因はミシシッピ川をニューオリンズから400キロ遡ったところにある町、ヴィックスバーグだった。

ヴィックスバーグはミシシッピ川東岸の崖の上に築かれており、さらに、ミシシッピ川はヴィックスバーグの目の前で大きく蛇行している。さらにヴィックスバーグ砲台はミミシッピ川を見下ろす絶好の位置に据えられていた。
崖の上の砲座は要塞化されており、対抗しようにも西岸は一面の湿地帯で部隊の展開はできない。
そして、ファラガット提督はニューオリンズからミシシッピ川を遡ってヴィックスバーグを攻略できるだけの河川用艦艇を持っていなかったし、ニューオリンズで鹵獲することもできなかった。

ここでアメリカの地理に詳しい方なら、「あれ? ヴィックスバーグってミシシッピ川に面してたっけ? むしろ中心部は支流のヤズー川沿いじゃね?」と思うかも知れない。
こんな感じ。



しかし、この蛇行するルイジアナーミシシッピ州境を見てピンと来た人も多いだろう。そう、ヴィックスバーグ中心部に向けてヤズー川を遡り、方向を変えてセンテニアル湖に辿ってミシシッピ川に戻るこの線が当時のミシシッピ川の流れで、現在は「デ・ソト島」としてこれら水域に囲まれている地域は当時は「デ・ソト半島」であった。
(当時のミシシッピ川は今よりもずっと細かく蛇行を繰り返しており、その痕跡はミシシップ川東岸のルイジアナ州飛び地として残っている)
1862年6月、なんとか河川艦隊をかきあつめたファラガット提督はニューオリンズから遡ってヴィックスバーグの砲台をポコンポコン砲撃するが、高い位置にある砲台に向かって撃ちあげる砲撃は迫力を欠き、ファラガットはすごすごと引き返すしかなかった。
ミシシッピ川を封鎖するヴィックスバーグ要塞を突破するため、ファラガット提督はここでトンチを利かせる。
「そうだ、川の流れの方を変えればいいんだ」
このアイデアに従い、デ・ソト半島の根本にある細い運河、というか水路を艦隊が通過できるまでに拡充する工事が始まったが、前述した通りミシシッピ川西岸は大湿地帯で、真夏に行われた工事で作業員達は熱帯病と熱射病でバタバタと倒れ工事は1ヶ月で断念された。後にこの水路は拡充され、洪水などの作用もあって水路の方が本流となりデ・ソトは島になる。

(キットの話がまったく出てこないまま中編に続く)

参考ページは後編にまとめて記載予定。
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