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Heinkel Models イタリア装甲艦 Affondatore・前編

庭の果樹の実が付きが良くて、今年は豊作じゃわい、とホクホクしていたところ気候のせいなのか結構な数が熟す前に落ちてしまってガッカリしている筆者のお送りする世界のカードモデル情報。今回もスペインのデザイナー、Fernando Pérez Yuste氏のブランド「Heinkel Models」からの新製品、イタリア装甲艦 Affondatoreを紹介する。

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「Affondato(アフォンダトーレ)」というのは、別にそういう名前の提督がいたわけではなくて、イタリア語で「沈めるもの」つまりシンカー(Sinker)という意味である。
「沈めるもの」という艦名に、「相手を沈めてやるぞ!」という意気込みは感じるが、でもそれを言ったら戦闘艦だったらみんな目指すのはシンカーなんじゃないの? 浅学の筆者が知らないだけで、相手の軍艦となんとか話し合いで決着をつけようとするネゴシエイター艦とかもあるんだろうか。
ちなみに『「アフォンダトーレ」とは、「あ、電話だ。取ってください」の砕けた言い方だ』っていうネタも考えたのだが、わかりにくいのでやめておいた。

19世紀半ば、5世紀にローマ帝国が滅亡して以来都市国家が乱立していたイタリア半島についに統一イタリア王国が建国される(1861年)。近代国家が成立したらまずやらないとならないことは軍備増強である。正しいとか間違ってるとかではなく、望むと望まざるに関わらず強くなければ生き残れないのが19世紀である。

そんなわけで地中海に長大な海岸を有するイタリアは近代海軍の整備に着手する。時を同じくして(1862年)、地球の反対側ではモニターヴァージニア(メリマック)が対決、世界海軍に装甲艦の時代が訪れていた。
これは、遅れて近代化を果たしたイタリアには有利なタイミングでもあった。それまでの世界各国の海軍力が全てリセットされ、装甲艦を一から揃え直すことになったからだ(そういう意味では、日本の明治維新も絶好のタイミングだったと言えるだろう)。

イタリア海軍(Regia Marina)は当初、手始めに木造艦12隻の整備を考えていたが、これに待ったをかけたのがサルデーニャ王国の海軍軍人としてクリミア戦争に参加したシモーネ・アントニオ・サン=ボン(Simone Antonio Saint-Bon)だった。
クリミア戦争で装甲艦の優位を目の当たりにしたサン=ボンは「木造艦はオワコン!」と強く主張し、装甲艦の導入を主張する。

サン=ボンに説得され、海軍は木造艦の調達を全て破棄し、新たに装甲艦の調達を計画したが、なにしろ国家統一から間もないイタリアには装甲艦の建艦技術も造船設備もない。そこで、取り急ぎイタリアはサン=ボン設計の新型装甲艦をイギリスに発注する。
イタリア海軍は創設時にサルデーニャ王国とナポリ王国の艦船を接収しており、その中には木造船体に装甲板を貼り付けた極初期世代の装甲艦も含まれていたが、このイギリスに発注した新造艦が同国海軍初の本格装甲艦となる。

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Wikipediaからの引用(以下この項、表紙画像以外同様)で、サルデーニャ王国がフランスから購入した装甲艦「フォルミダビーレ」、艦名の意味は「恐るべし」。艦名は強そうだが、木造+装甲板、舷側砲門では攻撃力、防御力とも本格的な巨砲鋼鉄艦に対して見劣りするものだった。
1870年ごろ撮影。原典不明。

しかし、後に重装甲の巨砲搭載艦「カイオ・ドゥイリオ」などの開発を推し進め「現代イタリア艦隊の創始者」と評されるサン=ボンも、この時期にはまだ迷いがあったようで、砲撃で沈められない装甲艦を沈めるために新型装甲艦は武装を持たない「衝角艦」として設計されていた。

この建造を請け負ったロンドンの造船所では排水量4千トンの大型艦が非武装で衝角攻撃だけする、というアイデアに仰天(この10年後に就航する衝角艦「HMS ポリフェムス」でも排水量は約2600トンしかない)し、「いや、悪いこと言わないから衝角専用はやめておけ」と説得し、最終的に前後にそれぞれアームストロング300ポンド砲1基を搭載した砲塔を積むこととなった。なお、この「300ポンド砲」というのは英海軍に相当する砲が存在しない。たぶん9インチ(228.6ミリ)12トン砲のバリエーションだと思うのだが、詳しいことは不明だ。

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あんまり関係ないが、南アフリカ、サイモンズタウンの海軍博物館(旧ミドルノース砲台)が所有する9インチ12トン砲が2014年9月24日(伝統文化継承の日)に発砲デモンストレーションを行った際の写真(さすがに空砲だろう)。
砲口、火口から吹き出す砲煙が凄まじいが、よく見ると砲の左になんかちっちゃい大砲が置いてあって可愛い。

新型装甲艦は「アフォンダトーレ」と名付けられ1863年4月11日に起工したが、プロイセンとオーストリア間で緊張が高まるとプロイセン側で参戦することを決定していたイタリアは、イギリスにより足止めされる可能性を避けるために1866年、アフォンダトーレに未完成のまま(具体的な完成割合は不明)イギリスを離れることを命じる。
6月20日、シェルブールでイタリア水兵が乗り込みアフォンダトーレは出港、同日、イタリアはオーストリアに宣戦布告する(普墺戦争。イタリアでは「第三次イタリア独立戦争」とも称される)。

以前に海軍大臣も努めたイタリア海軍最高位の軍人、カルロ・ペルサーノ提督(Carlo Pellion di Persano)が開戦に伴い艦隊司令官に着任、主力艦隊を率いて出撃しアドリア海対岸のオーストリアに上陸を仕掛ける足がかりとするために、沿岸砲台のあるリッサ島(現在はクロアチア領)に艦砲射撃を行い上陸の準備を開始する。

Admiral_Persano.jpg

すごい顎ヒゲのペルサーノ提督。彼もサルディーニャ王国海軍の出身。独立戦争、クリミア戦争に参加して戦果をあげている。写真は出典がはっきりしないが、1860年ごろの撮影というキャプションが正しければイタリア統一前後に撮られた写真ということになる。

もちろん、オーストリアがただそれを見ているわけはない。オーストリア海軍も出撃し、イタリア海軍を蹴散らさんとする。
しかし、陸軍国オーストリアがこの戦争に準備できた装甲艦はわずか7隻。統一後の短期間に装甲艦12隻を整備したイタリア海軍の方がかなり優勢だったが、1866年7月20日朝、リッサ沖でオーストリア艦隊はイタリア艦隊に向かって突進を開始する。オーストリア艦隊を率いるのは陸軍国オーストリアが誇る勇猛果敢な海軍軍人、ヴィルヘルム・フォン・テゲトフ提督(Wilhelm Freiherr von Tegetthoff)だ。

364px-Wilhelm-von-Tegehthoff-1866.jpg

テゲトフ提督。1866年撮影。これまたすごいヒゲ。19世紀は装甲艦と帝国主義とヒゲ抜きでは語れない。
この写真だと、なんだかポヤ~ンとした感じの表情で、ぶっちゃけさっきのペルサーノ提督の方が強そうだが、これは別に特にオモロイ写真を選んだわけではなくて、テゲトフ提督の写真って、どれも眠そうでポヤ~ンとした感じなので仕方ない。

実はイタリア艦隊は哨戒などによりオーストリア艦隊が海域に到着していたことを察知していたが、なぜかペルサーノ提督はその報告を聞いてもリッサ島への揚陸準備を中止せず、本気でオーストリア海軍が突っ込んでくると知ってから驚いて戦闘準備を開始した。
この時点で揚陸準備でごったがえしている非装甲艦と、その護衛をしている装甲艦3隻は本体と切り離されてしまい、戦闘には参加できなくなってしまう(オーストリア側は非装甲艦14隻も戦闘に投入している)。
しかし、まだイタリア艦隊は装甲艦の数で優勢である。さらに、多重の楔形になって突っ込んでくるオーストリア艦隊21隻に対し、イタリア装甲艦9隻は単縦陣でその前を横切るカタチとなっていた。これは40年後に日本艦隊がロシア艦隊を打ち破った陣形そのままである。

イタリアの方が有利な陣形、有利な戦力。指揮官もオーストリア側はなんだかポヤ~ンとしてる、というのでは誰もがイタリアの勝利を疑わなかっただろう。しかし、この後、とんでもない出来事が!!
続きはwebで!
(後編に続く)



参考ページは最終回にまとめて掲載予定。
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