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NDL 歴代ブレーメン全紹介・その2 +おまけ

先日、庭の草刈りをしていたらうっかりアシナガバチの巣を叩き落としてしまい、全速力で逃げる最中に二回ほどすっ転んだ筆者のお送りするカードモデル説明までがやたらと長いカードモデル情報。ちなみに蜂には刺されませんでした。

今回も前回から引き続き、北ドイツ・ロイド汽船会社(Norddeutscher Lloyd)の歴代フラグシップ、「ブレーメン」について。
前回、1858年就航の初代、1897年就航のバルバロッサ級二代目を紹介して、今回が三代目ブレーメン。

この三代目はブレーメンとしての就航までがちょっと複雑で、話は一旦バルバロッサ級客船の話に戻る。
バルバロッサ級客船10隻は第一次大戦が始まった時に多数が海外にいて(オーシャンライナーなんだから、洋上航行中を無視して単純に考えれば二分の一の確率で海外にいることになる)、イタリアで2隻、ブラジルで1隻、アメリカでは5隻が(4隻がホーボーケン、1隻は米領フィリピンで)抑留された。いやいやいや、10隻中8隻って、ちょっと抑留されすぎだろ。事前に帰港命令とか出なかったんだろうか。
いや、よく考えたら、ドイツが英仏と戦争になったからって、中立の第三国がドイツの民間船を抑留する権利なんてないな。これ、実際には抑留ではなくて、「ドイツに帰るのは危ないから、戦争が終わるまで半年ぐらい預かっておいてよ」ぐらいの措置だったのかも。

しかし、戦争は次第に激しさを増し、イタリア、ブラジル、アメリカも連合側で参戦したので、結局これら8隻のバルバロッサ級客船は全て寄港地で接収されることとなった。他の2国はともかく、イタリアよ、三国同盟はどうなった……
で、アメリカが接収した5隻のうちの1隻、SS プリンツェス・イレーネ (Prinzess Irene、ヴィクトリア女王の孫で、ロシア皇帝ニコライ2世の皇后アレクサンドラの姉であるヘッセン大公妃 イレーネ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタットのこと。北ドイツ・ロイド汽船会社が保有していた6隻のバルバロッサ級の1隻)は「USS ポカホンタス」に改名された。「ポカホンタス(Pocahontas)」というのは、もちろんディズニー映画にもなったポウハタン族酋長の娘のことだ。

USS ポカホンタスは戦争中18回ヨーロッパとアメリカの間を往復して24,573人の兵員をヨーロッパへ運び、休戦後は23,296人を復員のために帰国させた。
その間、1918年5月2日にはドイツ帝国海軍のUボート(SM U-151と推測されている)に発見され砲撃を受けたが、船長エドワードC.カルブス(Edward Clifford Kalbfus)は全速力で蛇行することで潜水艦を振り切ったという。オーシャンライナーの快速をなめるなよ、といったところか。

復員を終えた1919年11月7日に海軍から除籍され、1920年にUS郵船の所有となり、名前はそのまま民間船「SS ポカホンタス」としてアメリカ-イタリア航路に就航する。
ところがどういうわけか、就航当初からポカホンタスはやたらとトラブル続きで、5月23日にニューヨークを出港するも、25日には早くも機械トラブルで立ち往生。技師が乗り込んで修理するも、6月にはアゾレス諸島でまた立ち往生。
なんとかだましだまし進んで、イタリアのナポリに到着するまでに43日間を費やすという超遅延。そして、どういうわけか到着直前になって機関士が船から飛び降りて死亡した。呪われとるのかこの船は。
遅延について船長は船内で破壊工作があった、とアメリカ領事に報告したが、逆に船員達は船長が船員を虐待していたと告発してもうグダグダ。
ゴタゴタしているうちにとりあえず船を修理することになったが、どういうわけか機関の一部に綿が大量に詰まっているのが発見されたというから、やはり乗員のサボタージュがあったのか。それとも、マジで何らかの呪いだったのか。
7月31日、出港しようとしたら「修理代270万リラ払え」と言って出港を差し止められた。しかし、船員たちによると「返って状態が悪化していた」というからもうグダグダの上乗せ。
この件は結局どうなったのか不明だが、とにかくポカホンタスは出港したがまた機関が不調で9月22日にジブラルタルに寄港、結局ここで乗客は他の船へと移し替えられて、航海は打ち切られたという世界海運史に残るグダグダっぷりであった。

しばらくジブラルタルに繋留されたまま放置されていたSS ポカホンタスだが、北ドイツ・ロイド汽船会社(以下、「NDL」と略)から買取の打診があり、US郵船はこれ幸いとこの厄介者を売っぱらってしまう。
NDLではイギリスが返してくれない先代ブレーメンに代わってこの船にブレーメンの名前を与え、SS ポカホンタスは1922年、3代目SS ブレーメンとなった。なので、NDLは「バルバロッサ級客船SS ブレーメン」という船を2隻所有したことになる(以前の記事でSS ポカホンタスが海外製と書いたのは資料誤読からくる誤り)。
3代目SS ブレーメンは1928年に次のブレーメンに名前を譲るためにSS カールスルーエとなり1932年に解体された。この間、NDLでは特にトラブルは記録されていないので、余計にUS郵船でのゴタゴタはなんだったんだ、という気になる。あるいはドイツに帰りたくて船がサボタージュをしていたのだろうか。

USS_Pocahontas_(SP-3044).jpg

Wikipediaからの引用で、USS ポカホンタス時代の写真。1919年撮影なので復員船だったころ。後部マストに星条旗が掲げられている。
(その3に続く)



参考ページ:
https://de.wikipedia.org/wiki/Prinzess_Irene

その他の参考ページは最終回にまとめて掲載予定。


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次の四代目が本筋で長くなるので今回は短めながらここまで。
ちょっと短く終わってしまったので、どこかに書こうと思っていたけれども書く場所がなかったネタをオマケに書いておこう。

ブレーメンとは関係ないのだが、1912年4月15日、およそ1500人が亡くなった大惨事、タイタニック号沈没と、1915年5月7日、およそ1200人がなくなりアメリカの第一次大戦参戦のきっかけともなったルシタニア号撃沈、両方に乗り合わせた人がいる。
この不運なんだか幸運なんだかわからない人は1888年3月9日生まれのジョージ・ビーチャム(George William Beauchamp。エレキギターを発明した同姓同名のジョージ・ビーチャムとは関係ないが、時々誤って没年が混同されていることがある)。
ボーチャムは乗客ではなくボイラー炊きの火夫としてタイタニック号に乗船しており、ボイラー消火後に船底から脱出し、まだ空きがあるまま離船しようとしていた救命ボート13号に飛び移って生還した。
その3年後、ルシタニア号に同じく火夫として乗船していた時にルシタニアがUボートに雷撃され沈没。この際の脱出の細かいディティールは伝わっていない。
タイタニック号、ルシタニア号、両船からの生還者はビーチャムただ一人と考えられている(タイタニックで助かり、ルシタニアで死亡した人がいたのかはわからなかった)。
ルシタニア号沈没後、ビーチャムは取材に対して「もう大きな船はコリゴリだよ( "I have had enough of large ships and I'm going to work on smaller boats.")」と答えたという。
ビーチャムは1965年4月5日に亡くなった。

800px-George-beauchamp-1912.jpg

Wikipediaからの引用で、円内がジョージ・ビーチャム。出所は不明だが、撮影日は1912年4月10日とされているので、それが正しければタイタニック号出港時に撮られた写真ということになる。
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