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Dave's Card Creations イギリス軍試作車両 "Little Willie"・前編

そろそろ4月も終わり。毎年この季節になると風で涼みながら模型を作ろうと窓を開け、突風でパーツをふっ飛ばされて紛失したりしなかったりしている筆者のお送りする世界のカードモデル情報。本日紹介するのはデーブ・ウィンフィールド氏の個人ブランド、Dave's Card Creationsからリリースされたイギリス軍試作車両 "Little Willie"だ。

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ありそうでなかった元祖「戦車」のキットがカードモデルにいよいよ登場。左下のC表記が2014年になってるのを、いまさら「いよいよ登場」もないもんだ、と思いつつもこの戦車史上重要な車両についてWikipedia頼みで解説していこう。
実はこのキットを紹介するきっかけは、以前に重戦車 MARK VIII "LIBERTY "の記事を書いた時にアメリカと戦車生産について折衝した人物を掘り下げていったら到達したもので、また例のごとく話が広がりすぎたもんだから切り離して独立させたという経緯。なのでその人物、アルバート・スターン卿(Sir Albert Gerald Stern)が今回の主役である。

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Wikipediaからの引用でスターン卿。1919年ごろ撮影。袖の階級章は中佐。

アルバート・スターンは1878年9月24日、ロンドンでも特に地価の高いことで知られるナイツブリッジ地区の生まれで、兄弟に植物学者・園芸家のフレデリック・スターン卿(Sir Frederick Claude Stern)がいる。
1780年代にドイツのフランクフルト市でサミュエル・ハウム・スターン(Samuel Hayum Stern、ドイツだから「シュテルン」か)という人物がワイン商人となったのが商人スターン家の始まりで、その息子ヤコブ(Jacob Samuel Heyum Stern)が1805年に銀行業へ進出。その次の代の兄弟が事業をロンドン、ベルリン、パリへと拡大し20世紀初頭にはすでに金融界では「スターン王朝」とまで言われた一大勢力となっていたという。
スターン家がどれぐらい凄いかと言うと、パリ・スターン家当主で2005年までスターン銀行のCEOだったエドワール・スターンはフランスで38番目に裕福な個人で、フランス大統領ニコラ・サルコジと個人的に親しく、1度に寿司を70皿も食ったことがあって空手の黒帯も持っているというぐらい凄かった。なお、エドワール氏は2005年に愛人に射殺された際にラバーのSMスーツを着用していたとも伝えられているが、その件は本題から逸れるのでここでは詳しくは触れないでおこう。

さて、そんな名家に生まれたA.G.スターンは第一次大戦前には大方の予想通りに銀行家として働いていたが、大戦が勃発してイギリス中の若者が熱狂して軍隊に志願すると、スターンもこのビッグウェーブにのって軍に志願する。
しかし、スターンは徴兵検査で「足首が弱い」として不適格となってしまった。足首が弱いってなんだ。力入れすぎてジョイント折っちゃったガンプラか。
もしかすると~もちろん確証はないが~「スターン王朝」の差し金もちょっと感じてしまう。

実際に出征することができなくなったスターンだが、そこはそれ、ノブレス・オブ・リージュというやつで、ポケットマネーで装甲車をドーンと軍に寄付している。
このころの英軍で装甲車を多数保有していたのは陸軍ではなくて海軍で、スターンの装甲車も海軍航空隊装甲車部隊が受領、この功績でスターンはイギリス海軍予備隊(Royal Naval Reserve)の中尉に任官する。なんかそれって、金で士官の地位を買ったように見えるのだが、そんなもんなんだろうか(あるいは名誉的な地位なのかもしれない)。
そもそも当時イギリス海軍の予備組織には海軍予備隊と別にイギリス海軍志願予備隊(Royal Naval Volunteer Reserve)ってのがあって、両者は「航海技術を持つ者が海軍予備隊、それ以外の一般人は海軍志願予備隊」となっていた(1958年に統合)。だったら銀行家のスターンは海軍志願予備隊の方へ行くべきじゃないかと思うのだが、そこらへんどうなんでしょう。

まぁ中尉になったと言っても、ひょこっといきなり中尉なったスターンが軍艦に乗り込んでも指揮をとったりできるわけないんで、スターンは海軍航空隊のトーマス・ヘザリントン(Thomas Hetherington)という将軍の副官についていた。
そして、そのヘザリントンが1915年2月、海軍大臣ウィンストン・チャーチルの「塹壕戦をなんとかせにゃいかん」という気持ちで設立した「陸上軍艦委員会」(Landship Committee)の一員に任命されると、スターンも同委員会で塹壕戦突破のための装甲車両開発に関わることになる。

この陸上軍艦委員会というのはチャーチルの私的な研究会で、メンバーはまず、アームストロング社から軍艦設計技師のユースタス・ダインコート(Sir Eustace Henry William Tennyson d'Eyncourt)が議長として選ばれた。ダインコートは後に巡洋戦艦レパルスフッドの設計で重要な部分を担った優秀な技術者であった。
そして委員としては海軍航空隊で装甲車部隊を指揮していたトーマス・ヘザリントンと、ロンドン・オムニバス社の経営に関与していたウィルフレッド・ダンブル大佐(Wilfred Dumble)が委員として選ばれる。
以上である。この3人が主要なメンバーというわけではなく、基本的にこの3人だけで委員会は始まった(スターンは書記)。
委員会はとりあえずの叩き台として、ヘザリントンが「デカい車輪で進む300トンの車両で敵陣を突破しよう」というアイデアを提出するなど予想通りの展開でスタートする。
なぜか「帽子屋のお茶会」という言葉が頭に浮かんだが、きっと気のせいだろう。

このまま事態はお笑い方面へと進むかと思われたが、途中でウィルフレッド・ダンブル大佐が「おれ、本業のほうが忙しいんで」と委員会を抜け、代わりにルークス・クロンプトン(Rookes Evelyn Bell Crompton)が加わってから風向きが変わる。
クロンプトンは電気工学者であったがただの技術屋ではなく、世界中の電気機器の標準企画を決定する国際電気標準会議(IEC)の設立を推し進めるなど実際的な分野にも造詣があり、さらに自動車に興味があり王立自動車クラブの創設メンバーでもあるという、この任務にうってつけの人物であった。というか、彼がいなかったらマジでヤバかった。

*マジヤバの例 その1 その2

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Wikipediaからの引用で、週刊誌「バニティ・フェア」1911年8月30日号掲載に掲載されたルークス・クロンプトンの肖像。
けっこうなお歳に見えるが、クロンプトンは1845年生まれなのでこの時すでに60代中盤。なにしろボーア戦争(第二次)では夜襲に悩まされたイギリス軍のためにロンドン電工隊(London Electrical Engineers)の一部隊を率いて戦場でサーチライトを操作していたというベテランだ。ちなみにロンドン電工隊はこれ以降も両大戦でのイギリス空襲、北アフリカでのトブルク防衛などにおいてサーチライト部隊として活躍する。

クロンプトンの努力で「陸上軍艦」はなんとか形になっていく。
当初、この委員会は横槍を防ぐために陸軍はもちろん、政府や海軍本部にさえ秘匿されていたが、まぁいろいろやってりゃもちろんその存在はバレて、1915年の夏に戦争省(イギリスの「戦争省」は他の国の「陸軍省」に等しい)から「お前らなにやってんの?」と問い詰められ、最終的に陸上軍艦計画は陸軍へと移管されることになる。まぁ、海軍が戦車開発してどうすんだ、という気持ちはわかる。
たぶん、海軍色を消すためだろう、これと前後してスターンは陸上軍艦委員会の代表に就任。また、なにをやってるかバレバレな委員会の名前も秘匿のために「タンク補給委員会(Tank Supply Committee)」へと変更された。
*5月3日 訂正:陸上軍艦委員会の議長は最後までダインコートだったようです
(後編に続く)

キット表紙写真はEcardmodelsからの引用。


参考ページは最終回にまとめて掲載予定。
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