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KARTONOWA KOLEKCJA ドイツ練習機 Bucker Bu 181 "Bestmann"・前編

今年は素晴らしく豊作だった庭のビワの実を毎日モグモグやってる筆者のお送りする世界のカードモデル最新情報。10週年が過ぎても、まぁ基本的にはいつもと同じ調子でテケトー紹介だ。
今回紹介するのはポーランドKARTONOWA KOLEKCJAからリリースされた、ドイツ練習機 Bucker Bu 181 "Bestmann"。

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なんかソ連の戦争映画で赤軍に襲いかかってくるウソドイツ空軍機のようだが本物のドイツ空軍機、ただし練習機だ。
リアルでも模型でも練習機が大好きなポーランド人だが、ドイツ空軍練習機では「定番」とも言えるビュッカー機は意外にも筆者が把握する限りでは初のキット化。なお、エントリー名はメーカーページに従ったが、ドイツ語表記ではuにウムラウトがつく「Bücker Bü 181」だ。

ドイツ空軍練習機で名前を聞く「ビュッカー」というのは正式名称「ビュッカー航空機会社(Bücker-Flugzeugbau GmbH)」で、カール・クレメンス・ビュッカー(Carl Clemens Bücker)が1933年に設立した飛行機メーカー。
1895年に医者の息子として生まれたC・C・ビュッカーは1912年にドイツ帝国海軍に入隊、第一次大戦では海軍士官として前ド級戦艦「カイザー・カール・デア・グロッセ」(SMS Kaiser Karl der Grosse、カイザー・フリードリヒ3世級)に乗り組んでいたが、どうも途中から海軍航空隊で水上飛行機のパイロットをやっていたようだ(この辺り、手元の資料ではどうもはっきりしない)。

終戦でドイツ海軍が縮小されるとビュッカーも除隊し、一時は貨物船の船員にもなったがこれはすぐにやめてしまって、スウェーデンへ渡る。
スウェーデン海軍の顧問を努めたビュッカーは1921年にスウェーデンの市民権を獲得したが、このころ後にハイケンル社を設立することになるエルンスト・ハインケルに「一緒にスウェーデンで飛行機作らない?」と持ちかけられている。
ハインケルは当時、デンマークとの国境近くにある「Caspar-Werke AG」という小さい飛行機メーカーで設計主任を努めていたが、この会社は戦時中はハンザ・ブランデンブルグ社(Hansa und Brandenburgische Flugzeugwerke)の一部になっていたのが戦後再独立したもので、ハンザ・ブランデンブルグで設計師をやっていたハインケルはそのままキャスパー社でも設計をやっていたのであった。

ドイツは当時ベルサイユ条約で兵器になりうる飛行機の生産に大きな制限を課せられていたので、ハインケルは好きなように飛行機が作れる環境を求め、戦時中に水上機に関連して出会っていたビュッカーがスウェーデン在住と知って話を持ちかけたのだろう。
ハインケルの申し出を受け入れ、ビュッカーは1921年9月10日、「Svenska Aero AB」という会社を設立(スヴェンスカ航空機株式会社(Svenska Aeroplan Aktiebolaget、SAAB)とは別の会社)。また、時を同じくしてハインケル自身もキャスパー社を退社して自身の航空機メーカー、「Ernst Heinkel Flugzeugwerke」を設立した(キャスパー社はその後大した飛行機を設計できず、1928年に倒産した)。

さぁ、これでハインケルがすごい水上機をどんどん設計して、ビュッカーがそれをどんどん売っちゃうぞ、と思ったが、外国の軍はハインケルの機体に興味を示さず、これがさっぱり売れなかった。
ハインケルは勢いに任せてカタパルト発進可能な水上機をバンバン設計していたが、軍用機の制作が禁じられているドイツ国内ではこれを民間機として売ることしかできず、民間機でカタパルト発進する水上機なんて大型客船に積む郵便機ぐらいしか需要がないもんだから販売は思いっきり伸び悩んでいた。「好きなように飛行機を作りたい」って、需要を無視していいって意味じゃないだろ。

これに業を煮やしたスヴェンスカ社では「もうあの眼鏡オヤジに設計はまかせられない。我々で自社開発をしよう」ということになり、1929年に「ヤクトファルク(Jaktfalken)」というカッチョいい名前の戦闘機を独自開発した(複葉固定脚)。

800px-Svenska-1.jpg

Wikipediaからの引用でヤクトファルク。パッと見なかなかまとまりがいい感じで、20年台終盤なら十分なスタイリングに見えるのだが、見えないところでダメだった。

ヤクトファルクは名前はカッチョ良かったが設計途中でエンジンを変更したりした影響で、飛ばしてみると胴体後部が激しく振動する悪癖があった。そのせいで試作機が墜落するなどしたために改修が必要となりゴチャゴチャやってる間に旧式化、ヤクトファルクを15機ほど制作したところでスヴェンスカ社は倒産した。
作っちゃったヤクトファルクは一応スウェーデン軍が買い上げたがぶっちゃけ持て余しており、1939年に冬戦争が勃発するとスウェーデンは気前よく3機のヤクトファルクをフィンランドに供与しているが、万年飛行機不足のフィンランド軍ではこんな飛行機でも1945年まで練習機として使っていたそうだ。異常振動の問題は解決したんだろううか。

スヴェンスカ社の倒産で失業したビュッカーはドイツに戻ると、もうハインケルおじさんのことは忘れて、新たに「BückerFlugzeugbau」を設立する。
ビュッカー自身はどうやら技術者というより経営者だったようで、主任設計師はスヴェンスカで設計師をしていたアンデシュ・ヨハン・アンデション(Anders Johan Andersson)が受け持つこととなった(この人達、ホイホイとドイツとスウェーデンを行き来してるけど言葉はどうしてたんだろう)。
(中編に続く)


キット表紙画像はKARTONOWA KOLEKCJA公式ページから引用。

参考ページは後編にまとめて掲載予定。


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