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HMV ドイツ帝国海防戦艦 "SMS Beowulf"・前編

明日の定期健康診断がとっても面倒くさくて気が重い筆者が気を取り直してお送りする世界の変わったネタのカードモデル情報。
本日紹介するのはドイツHMV社のキット、ドイツ帝国海防戦艦 "SMS Beowulf"だ。

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ジークフリート級海防戦艦ベイオウルフである。
ジークフリート級海防戦艦ベイオウルフである。
ジークフリート級! ベイオウルフ!!

あまりのカッチョよさに3回も書いてしまったが、素晴らしい響きである。今やファンタジー小説に登場する帝国軍でさえこれほどカッチョいい名前はちょっと遠慮するほどカッチョいい。「声に出して読みたい日本語」というやつだ。
読者の皆様も、ぜひ一度声に出して読んでいただきたい。
『ジークフリート級海防戦艦ベイオウルフ』
しびれる。
ちなみに銀河英雄伝説ネタはうまくまとまらなかったのでオミットとなった。

ドイツの皇帝と言えばカイゼル髭でお馴染み、第一次世界大戦で連合国を相手にハッスルしまくったカイザー・ヴィルヘルム2世がすぐに思い浮かぶが、あの人がドイツ統一(1871年1月18日)から崩壊(1918年11月9日)までずっと皇帝だったのかと言えばそんなはずもなく、もちろん前の皇帝がいる。
はて、ヴィルヘルム2世の前の皇帝って誰でしたっけ? 帝政ドイツの政治家で名前を知ってる人と言えば、「ビスマルク」とかいう星銃士みたいな名前の人がいたっけ、という読者も多いと思うが、ビスマルクは「鉄血宰相」という通り名でわかるように首相であって皇帝ではない。
じゃあ皇帝は誰なのよ、というと ドイツ統一から17年間、1888年までドイツに君臨した皇帝はヴィルヘルム1世であった。

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Wikipediaからの引用で(この項、キット表紙写真以外全て同様)ヴィルヘルム1世。1884年撮影。残念ながら、ぶっちゃけ「あー、この人かぁ!」という感じはない。というか、始めてこの人の写真見たという読者も少なくはないだろう。
なお、ヴィルヘルム2世の前だからヴィルヘルム1世か、と思いがちだが実は1世は2世の前の皇帝ではない。ついでに言っておくと、2世のお父さんが1世でもない。
これは追々説明するとして、ドイツ統一で名実ともにドイツ帝国のトップだったヴィルヘルム1世がこんなにも印象が薄いのは、政治は基本的に首相ビスマルクに全部お任せだったからである。

Bismarck_pickelhaube.jpg

特徴的な棘付き兜「ピッケルハウベ」を被ったビスマルク。有名な写真だが、意外にも撮影データははっきりしない。ちなみにビスマルクは貴族なので、フルネームは「オットー・エドゥアルト・レオポルト・フュルスト(侯爵)・フォン・ビスマルク=シェーンハウゼン(Otto Eduard Leopold Fürst von Bismarck-Schönhausen)」と、ベラボウに長い。あと、ビスマルクはなんか難しい顔をしてることが多いが、実は歯医者嫌いで虫歯が痛かったらしい。

ヴィルヘルム1世は騎士道を重んじ万事控えめな性格であった。軍と行動する時は自分も粗末な寝所と粗食に甘んじ、生涯自分専用の客車や自動車を持たなかった。また、自分の居室を歩く時でさえ足音が階下の者の迷惑にならないようにと気を使うほどだったという。
嘘や誤魔化しを嫌い、常に正直であろうとするヴィルヘルムの態度は人間としては立派だったが、その清廉さでは権謀術数渦巻く欧州で列強に出遅れたドイツを盛り上げていくことは難しかった。
そこを補ったのが政治の酸いも甘いも知り尽くしたビスマルクで、国家のアイコンとしてのヴィルヘルム1世、実務担当のビスマルクというフォーメーションをとった2人を中心に、バラバラだったドイツは強大な帝国へと成長していくこととなる。
なお、意外にもと言うか、当然ながらというか、ヴィルヘルム1世とビスマルクは個人的にはあまりソリが合わず仲がよくなかったらしい。それでも互いに相手を深く信頼しあっていたというから、今で言うツンデレカップルのようなものか。薄い本が捗りそうである。

さて、統一前のプロイセン王国にも小規模な海軍がありドイツ帝国海軍はそれを引き継いだが、プロイセンは超陸軍国なので海軍は「一応、持ってます」的な嗜み程度の戦力だった。それを引き継いだドイツ帝国でも海軍は「ないよりはマシかも知れない」程度の扱いで、どれぐらいどうでもいいと思われていたのかと言うと、初代ドイツ帝国海軍長官アルブレヒト・フォン・シュトッシュ(Albrecht von Stosch)が陸軍歩兵大将の出身だったぐらいだ。たぶん、海軍は規模が小さすぎて高級将校まで昇進した人がいなかったんだな。
そもそもドイツの敵は伝統的に西のフランス、東のロシアなんで海軍の任務は沿岸防衛だけだった(ドイツが海外領土を獲得するのは1880年台中盤以降である)。
とは言っても、ドイツだって「海軍なんて未来永劫どうでもいいや」と思っていたわけではなく、シュトッシュは在任中にドックの拡大や海軍士官学校の創設など近代海軍を整備するための基礎の基礎を作るという業績を残した。

Albrecht_von_Stosch.jpg

アルブレヒト・フォン・ストッシュ。1897年の年鑑からの引用らしいので長官退任後の肖像。
1878年5月31日、ドイツ海軍がせっかく建造した最新の砲塔艦SMS グローサー・クルフュルスト(Grosser Kurfürst。後に建造された弩級戦艦ケーニッヒ級2番艦とは別の船)が英仏海峡航行中、漁船を避けようとして急に進路変更したら隣にいたSMS ケーニッヒ・ヴィルヘルム(König Wilhelm。直訳すると「ヴィルヘルム王」だが、後の皇帝ヴィルヘルム1世のことで、ドイツ統一前のプロイセン王時代の命名)が横っ腹に突っ込んできて沈没、270人が犠牲となる事故が発生した。この事故の責任所在を巡ってストッシュは政府と対立し1883年に辞任している。

SMS_Grosser_Kurfurst_sinking.png

横転沈没するグローサー・クルフュルスト。1878年の書籍から。こういう事故が起こるということは、ドイツは海軍はまだまだ練度が低かったということなのだろう。
なお、この艦の名前は17世紀のプロイセン公フリードリヒ・ヴィルヘルムの通り名、「大選帝侯(der große Kurfürst)」にちなむもの。 フリードリヒ・ヴィルヘルムのころのプロイセンはまだ公国で、次の代のプロイセン公フリードリヒ1世が神聖ローマ皇帝から「王になってもいいよ」と言われたので初代プロイセン王になった。
ただでさえフリードリヒとヴィルヘルムが入り乱れて何が何だかわからないことになっているプロイセン公=王のみな様だが、さらにフリードリヒ1世はブランデンブルク候も兼任しており、ブランデンブルク候には彼の前にフリードリヒが他に2人いるので、この人はプロイセン王としてはフリードリヒ1世、ブランデンブルグ候としてはフリードリヒ3世になるという複雑怪奇なことになっていた。
(中編に続く)


表紙画像はHMV社のページから引用。

参考ページ:
https://en.wikipedia.org/wiki/SMS_Grosser_Kurfürst_(1875)
https://ja.wikipedia.org/wiki/アルブレヒト・フォン・シュトッシュ

その他の参考ページは順次記載。
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