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JSC イタリア客船 "ANDREA DORIA"、 スウェーデン客船 "STOCKHOLM"・その4

本日は久々に強烈な暑さの一日。昼頃になってベランダの朝顔に水をやるのを忘れていたことを思い出し、いそいそとベランダに出たら軽くヤケドするぐらい床が熱くなっていて飛び跳ねながら退散、慌ててスリッパを履いたらこれまた激アツで、結局はスリッパに水をぶっかけてしばらく冷やしてからやっと外に出れた筆者のお送りする世界のカードモデル情報。来週も日本各地暑いらしいので読者の皆様も体調には十分お気をつけください。

引き続き、ポーランドJSC社からリリースされた、イタリア客船 "ANDREA DORIA"、 スウェーデン客船 "STOCKHOLM"の2隻セットの紹介。

1929.jpg

ちなみにこの記事、当初は全4回のつもりだったのがうまくまとめられずに全5回となりました。2隻分紹介するんで分量も二倍、ということで堪忍してください。

1956年7月25日深夜。右舷にほぼ直角に突っ込まれたイタリア・ラインの豪華客船、SS アンドレア・ドーリア船長ピエトロ・カラマイは大傾斜しつつある船を救うことができないことを数分で悟った。傾斜から回復させようにも右舷タンクは浸水が激しすぎて排水が意味をなさず、左舷タンクに注水しようにもすでに傾斜が大きくなりすぎ、注水口が水面上に出てしまっていた。

一方、スウェーデン=アメリカ・ラインの客船 MS ストックホルムは衝突で船首を10メートル近く失っていた。

Stockholm_following_Andrea_Doria_collision.jpg

画像は小さいが、Wikipediaからの引用(この項、キット表紙写真意外全て同様)でストックホルムの破損状況。当初、ストックホルムの船首は浸水で危険なほどに下がったが真水タンクを排水することで浮力を取り戻している。
見た目は凄まじいことになっているが防水隔壁は正しく動作しており、とりあえず沈没の恐れはなさそうだった。

ストックホルムでは衝突の衝撃で乗員5名が死亡している。これには、衝突の瞬間まで神学生ウィリアム・ジョンソンと同室で会話をしていた「アルフ」も含まれる(病院へ運ばれる途中に死亡。ストックホルム側犠牲者のフルネームがわかる資料は見つけることができなかった。当時の新聞のアーカイブを追っていけばわかるはずなので、これは筆者の怠慢)。
ちなみに、別室にいたジョンソンの妻子は幸いにも無事だった。衝突の翌日、ニューヨーク・タイムズの記者に妻が語った所によると、衝突の直前に船室の窓から巨大な客船が迫るのが見え、同時に当時ヒットしていたイタリアのポップス、「アリヴェデルチ・ローマ(Arrivederci Roma)」をオーケストラが演奏しているのが聞こえたそうだ。

一方、アンドレア・ドーリアはストックホルムの船首にデッキ5層を貫かれていた。
最上階ではファーストクラス8部屋が破壊され6人が死亡。
船首の直撃を受けた52号室、54号室はニューヨーク・タイムズ特派員のカミル・シアンファラ(Camille Cianfarra)の一家が続きでとっていた(53号室は左舷)が、8歳の娘ジョアンは即死、カミルも重傷を負い間もなく息絶えた。妻ジェーンは重傷を負っていたが56号室から駆けつけた医師、トゥーレ・ピーターソン(Thure Conrad Peterson)の治療によって一命をとりとめている(同様に重傷を負っていたピーターソン医師の妻、マーサは数時間後に死亡した)。そして、14歳の娘リンダ・モーガン(Linda Morgan。ジェーンは再婚で、リンダは前夫との間の子)の姿は見つけることができなかった。
その下のデッキでは船首直撃を受けた180号室でシエリオット夫妻が死亡(別室の息子は助かった)。さらに下のA、B、Cの各デッキは3等(ツーリストクラス)客室で小部屋が並んでおり、Aデッキで11人、Cデッキでは26人が亡くなった(Bデッキの衝突箇所は幸運にも車両を積み込むガレージだった。ちなみに、この事故でおよそ10万ドルの価値があったと思われるクライスラーのコンセプトカー「ノーズマン」が失われている)。

傾斜を増していくA・ドーリアから乗客の退避が始まった。
以前に書いた通り、A・ドーリアには当然、全乗員、乗客が乗り込めるだけの救命艇が備えられている。
しかし、それは全ての救命艇が使用できれば、という前提での話だ。
左舷の救命艇はすでに頭上高く宙吊りになってしまい、操作不能となっていた。右舷も海面に半分突っ込んだ救命艇を外すのは困難を伴ったが乗員達はなんとかこれをやり遂げた。
船長カラマイはパニックを防ぐために船を救えないことは乗客には伏せていたが、退避を促す放送は正常に行われた。しかし、イタリア語主体の指示はアメリカ人には伝わりにくく、混乱もあったようだ。
なお、一部の乗客の証言に「A・ドーリアの乗員は乗客を見捨てて逃げた」「救難船に救われた時、A・ドーリアの乗員がすでに先に逃げていた」というものがあるが、どうやらこれは乗員用の救命胴衣を乗客に譲った乗員がいたことによる混乱だったようだ。もちろん、数百人という乗員の中には恥ずかしい振る舞いをする者もいただろう。しかし、全体としてはA・ドーリアの乗員達はその任務を誠実に果たしたと言えそうだ。このことの一つの証拠として、A・ドーリアの照明は朝まで消えなかった。

Andrea_Doria_USCG_1.jpg

大傾斜するA・ドーリア。すでに右舷の救命艇は全て降ろされているが左舷のボートが手付かずとなっているのが見える。損傷箇所が水面下に没してしまったので、まるで無傷のように見えるのがむしろ不気味だ。しかし、よく見るとマストは衝撃で歪んでいるようだ。

事故は往来の激しい航路で発生したため、救難船の到着は早かった。
まず、ドイツからの帰路にあったユナイテッド・フルーツ社の貨物船、「ケープ・アン(Cape Ann)」の船長ジョセフ・ボイト(Joseph Boyd)が救難信号を受信するや、ただちに現場へ急行した。小柄な貨物船ケープ・アンの乗員44人と40人乗り救命ボート2隻でできる事は限られていたが、ケープ・アンの中継でさらに多くの船へと救難信号が届けられた。
イタリアに駐留する兵士214人とその家族を運んでいたアメリカ海軍の輸送船、「USNS プライベート・ウィリアム・H・トーマス(Private William H. Thomas。 1945年4月22日フィリピン・ルソン島で戦死した兵士にちなむ)」船長ジョン・シア(John Shea)も現場へ急行、8隻の救命艇で救助に当たる。さらに、護衛駆逐艦「USS エドワード・H・アレン(Edward H. Allen。1942年5月7日珊瑚海海戦で戦死したパイロットにちなむ)」、アメリカ沿岸警備隊の「USCGC レガーレ(Legare)」も次々に駆けつけた。

800px-Rescue_from_Andrea_Doria.jpg

翌朝に航空機の窓から撮影されたA・ドーリア。上の写真よりもさらに傾斜が増して右舷側が水没寸前となっている。手前に写っているのは沿岸警備隊の「USCGC ホーンビーム(Hornbeam)」だが、あらかた退船が完了してからの到着だったようで記事中には登場しない。

(その5に続く)

キット表紙画像はJSCショップサイトからの引用。

参考ページは最後の回にまとめて掲載予定。
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