GPM フランス軍自走高射砲 De Dion Bouton 75mm

うっかり言うのを忘れていたが、今年2014年は1914年に勃発した第一次大戦から100年目という節目となる。大戦が「記憶」から「歴史」へとなっていく中、ヨーロッパではこの忘れる事のできない人類史上屈指の大災厄について、客観的再検証が始まっている。
そんな節目の年にポーランドGPM社からリリースされた第一次大戦アイテムの新キット、フランス軍自走高射砲 De Dion Bouton 75mmを紹介しよう。

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一次大戦100週年だからって、安易にルノーFT17の再販なんかに進まず、こんなわけわからん車両が出てくるのが東欧カードモデルクオリティ。
とにかく保守的で頭のカタいイメージのあるフランス軍だが、一次大戦ではマルヌの会戦で世界初の機械化移動を行ったり、全周囲砲塔を積んだ軽戦車を世界で初めて実戦投入したり、20世紀序盤まではいろいろと頑張ってる軍隊だった。
M1897 75ミリ野砲もそんなフランスの先進性を象徴する火砲で、これは世界で初めて大量に使用された復座駐退器を装備した火砲であった。

戦争映画なんかだと炸薬量を減らした空砲を撃ってるんでピンと来ないが、火砲を撃つ時の反動ってのは半端じゃない。なにしろ、75ミリクラスでも重さ5キロから7キロある砲弾を8キロ先まで放り投げる反作用が一瞬でかかってくるんだから、ちゃんと対策を考えないと反動で砲架がぶっ壊れる。動くつもりがない要塞砲なら台座をガッチリとコンクリートで固めてしまえばいいし、軍艦なら水が全て解決してくれるが、馬で引っ張って、戦線でパッと展開する野砲ではそうはいかない。
そんなわけで、19世紀の火砲は、1発砲弾を打つと火砲全体がゴロゴロと車輪で後ろに後退していた。そうすると、砲をもとの位置へ戻さなきゃどんどん陣地が後ろにいっちゃうし、一回下がった火砲を戻しても、当時の野砲は直接照準で目視目標に向かって撃ちまくるのが前提だったので、ちゃんと標準しなおさないとどこへ弾が飛んでくかわからない。
イギリス軍の重榴弾砲は車輪の後ろに傾斜した台を置いておくことで、反動で下がった火砲がゴロゴロ坂を登って、またゴロゴロともとの位置に戻ってくるという素晴らしいトンチ(写真の8インチ榴弾砲は一応駐退器もついている)でこの問題を解決しようとしたが、砲兵が計算違いをやらかして坂を登り切って反対側に落ちた火砲を元に戻そうと涙目になるところまでがお約束だった。

対策として、何らかの緩衝装置を組み込むことは研究されていたが、ただのスプリングでは反動を受け止めきれない。そこで考えられたのが液気圧式駐退復座器で、これは液体シリンダーに充填された粘性の高い液体が急激な圧力を受けると隣のガスシリンダーに流れ込みながら反動を吸収し、ガスシリンダーでは圧縮された気体がピストンを押し戻して液体を元へ戻すという構造となっていた。
これを考案したのはドイツの発明家で、特許まで取ったものの1890年代初頭にドイツの巨大兵器メーカー「クルップ」で試作してみたところ、ドカンと発砲するたびにピューピューと液漏れしたもんで「実戦では使用できない」と判断して放置されていた。

フランス砲兵総監のマシュー将軍はこれに目をつけ、プトー兵器工廠の監督をしていたJoseph Albert Deport中佐に「どうよ?」と聞いてみたところ、「使えるんじゃないすかね」的な返事をもらったんで、この新型駐退器を新型火砲に組み込んでみることとした。ちなみに特許使用料は払っていない。
1892年の夏に依頼が出され、試作75ミリ砲が完成したのは1894年の夏だった。
さぁ、試してみよう、とドカンと打ってみたら、やっぱり液漏れした。2年もなにやってたんだ。
もちろん、これじゃ使い物にならないんで試作75ミリ砲はプトー兵器工廠に戻されたが、Deport中佐は1894年の年末に「新しい兵器メーカーに就職の口があるんで、じゃっ」と言って退役してしまった。100年前から、泣かされるのは末端の開発員と相場が決まっている。

大砲型のゴミと化した試作75ミリ砲だったが、Etienne Sainte-Claire Deville と Emile Rimailho というフランス軍事大学理工学部の2人の若きエンジニアがひっそりと改良を続け、1896年、改良型駐退器が完成した。
新型駐退器は銀合金をシーリングに使うことで液漏れが劇的に減っており、戦場での酷使にも十分耐える耐久性を持っていた。
さらに火砲そのものにも改良が加えられ、榴霰弾のヒューズが自動的に切られるオートヒューズセッター(それまでは砲兵がキリで穴を開けてた)や、砲兵を守る装甲防盾、後ろに下がらなくて良くなった砲架をしっかり固定する車輪ブレーキなどが新たに装備されていた。
新型火砲は金属製一体薬莢のお陰もあり、発射速度は少なくとも毎分15発。熟練した砲兵なら毎分30発の発射も可能だった。これは、それまでの火砲が毎分2発がやっとだったのに比べて圧倒的であり、この砲を4門装備した砲兵中隊が290個の鉛弾が収められた榴霰弾(キャニスター弾)を全力で射撃した場合、幅100メートル、奥行き400メートルのエリア内に毎分散弾1万7千個がバラ撒かれる(ベテラン砲兵を集めればさらに倍)という悪夢的な威力を発揮、しかもオートヒューズセッターで20分の1秒の遅延爆発にセットされた榴霰弾は地面で跳ね、人間の頭の高さで爆発するという念の入れようだった。

この火砲の性能に大満足したフランス軍はM1897として採用、大量生産を開始する。
第一次大戦開始時にフランス軍は4000門のM1897を装備しており、戦時中さらに1万7千500門が整備された。
大戦を通じてM1897から発射された砲弾は約2億発。1916年2月から9月まで続いたヴェルダン戦だけで1千6百万発を発射している。

火砲の説明だけで随分長くなったが、今回GPMがリリースしたのはこのM1897をディオン・ド・ブートンのトラックに搭載したものだ。
それでは、これ以上説明が長くなる前に公式ページの完成見本写真を見てみよう。

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ガッチリ塗られちゃってるが、極端に細かい工作はないようだ。ハンドルとか座席とかライトとか、各所が微妙に曲がってるような気もするが気にしない気にしない。
ベースとなった車両はド・ディオン・ブートン1910年型トラック。ド・ディオン・ブートンは1883年創業の自動車メーカーで、もちろん創業当時はガソリン車はなくて蒸気自動車を作っていた。1887年、最初の試作車でフランスのサイクリング専門新聞が開催した「ヨーロッパ初めての自動車競技会」に参加、見事優勝を勝ち取ったが、そもそもこの大会は事前告知が不十分だったので参加車両も1両だったという楽しい記録を持っている。

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写真ではわかりにくいが、火砲の置かれたプラットフォーム部分は実車では360度旋回する。なんか砲を支える砲耳の位置が野砲型と違うと思うんだが、大丈夫なんだろうか。あとこの位置で支えるんなら砲口のカウンターウェイトいらないじゃないか。
バッタの脚みたいなのはこの手の軽自走砲のお約束、発砲時に車両がひっくり返ったりサスペンションが壊れないように車体を支えるアウトリガーだ。

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つや消しグリーンで塗られているので車体も装甲されているように見えるが、ラジエターにシャッターが追加されている程度でボンネット部分は基本的にオリジナルのままのようだ。
クラッシックカーの魅力、横開きのエンジンフードを開けてエンジンがちらりと見えているのがオシャレ。
でもこの車、ウィンドシールドがないから雨の日の運転は最悪だろう。
ちなみに、75mm砲を搭載したDe Dion Boutonは第二次大戦勃発時にもそれなりの量が残っており、戦闘にも参加している。
「対戦車戦闘でも有効だった」と書いてある資料もあるが、こいつで戦車と戦えるかどうかはちょっと眉唾だ。

GPM フランス軍自走高射砲 De Dion Bouton 75mmは陸モノ標準スケール25分の1で完成全長約19センチ。難易度は3段階評価で「2」(普通)、そして定価は50ポーランドズロチ(約1600円)となっている。
もうみんな、そんなものがあったことも忘れてるフランス陸軍黄金期、その最後の輝きを象徴する先進的な野砲、さらにそれを自走化した先進的な車両を手に入れられるこの機会を、第一次大戦フランス軍ファンのモデラーは見逃すべきではないだろう。



画像はGPM社サイトからの引用。


*定価はあくまでも現地で購入する場合の値段です。日本国内で購入する場合には輸送費などを考慮し、2倍~3倍程度になるとお考えください。
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