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イタリア軍パスタ伝説について

片付けど片付けどなおわが工作台広くならざり。そんな怪奇現象に悩まされている筆者がお送りするカードモデル周りの有象無象。
と、勢いで書いてしまったけど今回は単にネット漁ってて見つけたネタの開陳なのでカードモデル全く関係なし。あと、「かいちん」で変換しようとしたら候補に「解珍」が出てきたんだけど、「解宝」は変換できない。弟カワイソス。

イタリア軍に関する有名なジョークで、
「北アフリカ戦線でイタリア軍から『水が尽きそうだ。すぐに補給してくれ』という要請を受け、ドイツ軍が戦力を割いて補給部隊を派遣したところ、イタリア兵達は砂漠のど真ん中でパスタを茹でていた」
というものがある。もちろん、これはイタリア軍のヘタレ具合を表すジョークで真実ではないのだが、これっていつごろから言われてるネタなんだろう、と思ってネットを彷徨っていたら見つけた話。オールドボードゲーマーの間では常識なのかも知れないが、自分は初めて知ったので忘れないうちに書き留めておこう。

コンピューターが普及する以前、作戦や戦略に興味を持つミリタリーファン達は紙の地図と厚紙のコマを用いた「ボード・ウォーゲーム」(当時は単に「ウォーゲーム」と呼んでいた)をプレイしていた。
なにしろ厚紙のコマというアナログな手法なので表現できることは限られている(例えば、ある部隊が定数を満たしている状態と損害を受けて消耗している状態を区別しようと思ったら、それだけで一つの部隊に2種類のコマを用意したり、あるいはコマごとの状態を記録するシートが必要になってしまう)。
だから、ボード・ウォーゲームはできるだけ抽象化しなければならなくて、例えば「一つのマス(ヘクス)内にいるある部隊(ユニット)はそのマス内のすべての位置に存在しうるし、どの方向から攻撃されても常にその方向を向いていると解釈される」なんていう、現在のコンピューターゲーマーからすると「???」なルールで成り立ってたりする(部隊の向きなんかはその部隊の指揮官任せにして、プレイヤーはその上級の指揮官の立場をロールプレイしている、って意味ではむしろこっちの方が正しいとも言える)。

ここまで書いてから思ったが、この説明いるんだろうか。こんなブログ読んでる人ってそれぐらいは周知のような気もしてきた。
まぁいいや、せっかく書いたから。

IMG_1383.jpg

参考写真。ボード・ウォーゲームの一例(箱の写真。中にマップやコマ、ルールブック等一式が入っている)。
筆者秘蔵アバロンヒルの「スターリングラード」(1974年発行の2ndエディション。ホビージャパンの日本語版マニュアル同梱)。もちろん、さりげない自慢である。

そんなわけで、抽象化の手法、匙加減がボード・ウォーゲームデザイナーの腕の見せ所だったのだが、逆に抽象化を捨ててとことん細かく、詳細にしてみようという試みもあって、例えばSPI(Simulation Publications , Inc.)の「War in the Pacific」というゲームは3200個のコマを使い(巡洋艦以上の全ての艦船がユニット化されている)、真珠湾から終戦まで太平洋戦争の全てを戦略的に追体験しようというとんでもないしろものだった。

War in the Pacificは特に補給についてのルールが細かく、産出地から輸送船で本国まで資源を輸送し、そこから各停泊地までまた輸送船で輸送して、というのをシートに細かく計算しながらマーカーを配置して補給線をつないでいかなければならない。もちろん、使用できる輸送船の数は保有する数によって制限され、無限に補給線をつなげられるわけではない。
おかげでまじめに大規模上陸作戦なんてやろうと思ったら必要物資をどこから捻出してどうやって集積するか、リアルに半日がかりで準備が必要になるとかいう噂も。
プレイ時間はショートシナリオの「ミッドウェイ」で6時間、全期間通してのフルゲームだとなんと200時間以上かかるとのこと。
(ちなみにさっきのアバロンヒルのスターリングラードはプレイ時間2時間程度)。
発売は1978年だが、なんとその後にホビージャパンから日本語版が発売されている。

これは大変な数字に見えるが、まだいい。製作したSPIはテストプレイを完遂しているし、以前に日本でもどこだったかの大学のゲーム研究会がプレイ完遂したことがあるという記事を読んだ覚えがある(どこで読んだか失念してしまったので勘違いかもしれない)。

さらに上を行く「モンスターゲーム」として、もはやボード・ウォーゲーム界で伝説となっているゲームがある。
それが、今回の本題である「The Campaign for North Africa」だ(これもSPIの商品。ただしデザイナーは異なる)。
The Campaign for North Africaのルールはさらに詳細で、北アフリカ戦線の始めから終わりまでを陸上部隊は大隊単位、航空機は1機+パイロット一人単位で、補給物資もそれに見合う詳細さで管理する必要があるという完全にイカれたゲームだった。
コマの総数こそ1800個程度と少ないものの、その分シートで管理しなければならない情報がやたらと多く、まじめにプレイしようと思ったら総司令官、補給担当、後方担当、空軍指揮官、前線指揮官の5人を両陣営、10人揃えることが推奨されていた(補給担当と後方担当は同じに見えるが、補給担当は後方から前線への物資輸送だけを受け持ち、後方担当は治安維持や捕虜の管理、施設の建設などを受け持つ)。

補給に関するルールは非常に細かく、例えば「燃料」は「毎ターンの最後に蒸発により総量の3%が失われる。ただし、一定のターン以前の連合軍側のみ、この時7%が失われる。これは連合軍が初期、ジェリカンではなく50ガロン入りドラム缶を使用していたことによりロスが大きかったことを再現している」ってな具合だ。
この細かさのせいで、このゲームをフルでプレイしようとしたら、箱にある表記では1000時間以上、また様々なサイトで1200時間以上(一部のサイトでは1500時間以上)必要とされている。
最短の1000時間としても不眠不休で40日。毎週末に誰かの家に集まって4時間づつプレイするとしたら5年かかる計算になる。
それだけの時間、10人ものプレイヤーを確保しておく、なんてできるはずもなく、どうやらこのゲーム、かつて一度も完遂されたことがないらしい(デザインしたリチャード・バーグ自身がテストプレイを完遂したことがないことを認めている)。

で、このゲームの中に「[52-6] イタリア軍パスタルール(The Italian Pasta Rule)」というルールが存在する。
これは「イタリア軍は補給に余分な水1単位の「パスタポイント」を受け取る必要がある。パスタポイントが-10以下のイタリア軍大隊は即座に壊乱状態となる」というルールだった。
このルールはデザイナーのリチャード・バーグによると「ジョーク」で歴史的な裏付けはないとのこと。バーグによると実際にはイタリア軍は缶入りトマトソースでパスタを調理していたそうだ。
このルールは英語圏のウォーゲーマーの間では有名なネタのようで、一時期SPI自身がCNAがいかに細かい補給ルールを持つのか表すために広告にパスタルールを掲載していたことがあるという。

と、いうわけでボードゲーマーの間での「パスタルールって実際にはどんな場面なんだよ」って話から、「こんな感じじゃね?」とパスタジョークが作られ、そのジョークだけが広まっていったのではないかと推測するのですがいかがでしょうか。



参考ページ:
ボードゲームの総合情報サイト、「Board Game Geek」から
「War in the Pacific」
https://boardgamegeek.com/boardgame/9650/war-pacific-first-edition
「The Campaign for North Africa」
https://boardgamegeek.com/boardgame/4815/campaign-north-africa
ついでに「Stalingrad」
https://boardgamegeek.com/boardgame/4651/stalingrad
の各ページ

ゲーム情報サイト「KOTAKU」内のコラム
「完遂するのに1500時間かかる最凶のボードゲーム」
https://kotaku.com/the-notorious-board-game-that-takes-1500-hours-to-compl-1818510912
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イタリア上空の幽霊戦闘機

本格的に夜半は冷え込むようになってきた今日このごろ、この季節の就寝前は布団を占領しようとする飼い猫(元野良)と場所の取り合いが日課になっている筆者のお送りする、カードモデルに関係ないことも多いカードモデル情報。本日は以前にネットで見かけて気になっていた話について、追っかけていった結果の報告。ちなみにカードモデルの話は全然出てきません。

1943年初夏、イタリアを爆撃していたアメリカ陸軍航空隊に奇妙な噂がたった。編隊から落伍した爆撃機(主にB-17)が、接敵の連絡もなく急に消息を絶つというのだ。
なにか未確認の敵がこの空域をうろついている。それはドイツ軍(もしかするとイタリア軍)の新兵器か、それとも空戦で死んだ枢軸軍パイロットの怨霊が超自然的な力で爆撃機を墜落させているのか……爆撃機乗員達はこの見えない敵を「幽霊(Phantom)」と呼んで恐れた。やだなー怖いなー。

43年6月4日、また1機のB-17が墜落した。しかし、今回は機長のハロルド・フィッシャー(Harold Fisher)が脱出に成功し、無事友軍に救出され、このミステリーについて重要な証言をする。
フィッシャー曰く、「単独行動中のP-38ライトニングが接近してきた。無線で同行を申し出たので了承すると、しばらくしてそのライトニングから急に攻撃され、撃墜された」という。
そんな馬鹿な。誰もがこの証言を疑った。

友軍戦闘機に撃墜されたばかりか、仲間からも嘘つき呼ばわりされたフィッシャーは任務に復帰してからは自機に近づいてくるP-38に警戒し、なんとか尻尾を掴んでやろうと息巻いていたが、これには問題があった。
果たして、近づいてくるP-38が爆撃機を撃墜し続ける「幽霊」なのか、それともただの友軍なのか、どうやって見分ければいいんだ?
時を同じくして、米軍諜報部は事態の真相を把握しつつあった。
実はこの「幽霊戦闘機」、43年の春に燃料不足で不時着したP-38をイタリア軍が鹵獲した機だという。英語が得意なイタリア軍パイロット、グィド・ロッシ(Guido Rossi)はこの機に乗り米軍爆撃機に接近、英語で語りかけ油断させて防御銃火の死角から不意打ちで撃墜しているのだという。

ハロルド・フィッシャーと接触した諜報部は情報を交換しあい、「幽霊退治」のために一計を案じることとした。
幽霊の正体、グィド・ロッシは結婚していたが、諜報部はその妻ジーナ(Gina)の写真を入手していた(すでに連合軍が占領しているシシリー島在住だったようだ)。
ハロルド・フィッシャーはB-17を改造した対戦闘機用武装強化型、YB-40を調達。これは12.7ミリ機銃16門から最大30門を装備し、襲撃してくる敵迎撃機を返り討ちにするという迎撃機絶対殺すマシンだった。
さらにフィッシャーはこの機の機首にジーナの顔とその名前をノーズアートとして書き込む。

1943年8月31日、ピサ爆撃のために飛び立った爆撃隊に混じってフィッシャーのYB-40も出撃する。
爆撃行の帰路、あえて編隊を離れて行動するフィッシャー機のクルーは単独行のP-38が接近してくるのを発見。フィッシャー機にP-38から無線が入る。
「ヘイ、その機首の美女は誰だい?」
「お前の嫁さんさ。今頃は俺の仲間たちとヨロシクやってるぜ」
これに逆上したグィド・ロッシが真っ直ぐフィッシャー機へと突っ込んでくる。追加された装甲でライトニングから打ち込まれる機銃弾を跳ね返しながら、フィッシャー機は全火力をロッシのライトニングへと集中する。
たちまち、ライトニングは多数の機銃弾を浴び操縦不能となった。
ついに「幽霊戦闘機」は撃墜された。

グィド・ロッシは脱出に成功したが捕虜となった。
鹵獲した敵戦闘機をそのままの塗装で使用するのはハーグ陸戦条約違反のような気もするが、戦争犯罪として裁かれるようなことはなかったようだ。あるいは、奥さんをダシに使ったことの後ろめたさもあったのか。
フィッシャーも戦争を生き抜いたが、1948年、ベルリン空輸の最中に航空機事故で死亡した。
フィッシャーの葬儀にはグィド・ロッシも参列し、哀悼の意を表したという。

新谷かおる御大の「戦場ロマン・シリーズ」を彷彿とさせる、世界大戦を彩る奇譚。
ドラマチックなこの物語は、海外のフォーラムなどでも度々話題に上がっている。
ただ一つ、この話には残念な点がある。

どうやら、創作らしい。


まず、YB-40はドイツ本国方面でのみ使われ、地中海に投入されたことはない。ちなみにYB-40は重武装すぎて機体が重く、特に爆撃を終えて荷が軽くなった爆撃機についていくことが困難だったためにP-51ムスタングなどの長距離護衛戦闘機が投入されると早々と戦線から引っ込められた。25機しか作られなかったので試作の「Y」が最後まで外されず、生き残ったYB-40も通常の爆撃型に逆改造されている。

次に、ベルリン空輸の死者の中に「ハロルド・フィッシャー」という名前はない。
(「ハロルド・フィッシャー」という米軍パイロットは実在するが、朝鮮戦争のエースで第二次大戦中には訓練しか参加していないので無関係)
グィド・ロッシというパイロットもこの物語以外の資料には一切名前が見られない。
そして、米軍公式の記録の中にこの「幽霊戦闘機」の記録はないそうだ。

この「幽霊戦闘機」の話は「地上最強の美女バイオニック・ジェミー」の元ネタ、「600万ドルの男」の原作者でもあるマーティン・ケイディン(Martin Caidin)が1970年ごろに書いた「Fork-Tailed Devil: The P-38」に登場するエピソードで、これ以上遡れるソースがないのでどうもケイディンが創作したか、誰かから聞いた話のようだ。
「Fork-Tailed Devil: The P-38」は朝日ソノラマから「双胴の悪魔:P‐38」のタイトルで日本語版が出版されているが、筆者は読んだことがないので日本語版にもこのエピソードが掲載されているかは不明。

それとは別に、イタリア軍に鹵獲されたP-38というのは実在して、1943年6月12日に文書輸送のために単独飛行していたP-38(G型にアップグレードされたE型だったらしい)が航法ミスでサルディニア島のイタリア軍飛行場に着陸。パイロットがキャノピーを開いて気がついた時にはイタリア軍の車輌が周囲を取り囲んで再離陸できなくなっていた。
イタリア軍は各種調査を行った後、ダークグリーンに塗装し識別用に白十字を書き込んだこの機を迎撃に使用し、1943年8月11日にアンツィオ沖で米軍のB-24爆撃機を撃墜したという。
しかし、ドイツ製の合成燃料の質が悪く、P-38の燃料タンクを急速に腐食させたためにこの鹵獲P-38はすぐに飛行不能になったようだ。
なおこれに付随して、9月には米軍爆撃機が損傷して単独行をしているP-38が編隊に近づいてくるのを見て撃ち落としてしまったことがあるそうだ。
たぶん、この辺が「幽霊戦闘機」元ネタなのだろう。

事実は小説よりも奇なり、と思ったら、その奇なる物語はやっぱり小説だった、というトホホなお話。どっとはらい。


参考ページ:
http://www.alfonsomartone.itb.it/vxjimn.html
「幽霊戦闘機」の記事の例。イタリア語。

http://www.ww2incolor.com/italian-forces/italian_p38.html
第二次大戦についてのフォーラムWW2 in Colorから、グィド・ロッシと鹵獲P-38についてのスレッド。

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ブラック・バック作戦の空中給油ダイアグラム

今週末は休日出勤のため、通常更新を休止して小ネタを。

1982年のフォークランド紛争でイギリス軍は、制空権獲得のためにフォークランド諸島にある飛行場を破壊してアルゼンチン軍に使用させないようにしようとしましたが、南米方面にほとんど海外領土を持たないイギリスは近くに爆撃機が発進可能な飛行場を持ってない。最も近くてフォークランドから6000キロ離れたアセンション島。

Blackbuckoperation.png

画像はWikipediaから(このエントリ全て)。
で、この時点でイギリス軍が運用可能な戦略爆撃機はなんでこんなカタチにしちゃったんだろう、でお馴染みのアブロ・バルカン爆撃機。航続距離4000キロ(たぶん、爆弾積むともうちょっと短くなる)。

1024px-Aerial_Vulcan.jpg

行ったら帰ってこなきゃいけないんで、足りない航続距離は2000キロじゃなくて4000キロ。まるまるタンク満タン1回分、航続距離が足りない。
8月31日修正。
違う違う、6000キロを往復するんだから、足りないのは(6000*2)-4000で8000キロ、タンク満タン2回分だ。寝ぼけてるなぁ。


とはいえ、当時すでに空中給油は実用レベルに達していたんで、なーんだ、空中給油すれば全然問題ないじゃん、と思ったら、イギリス軍が使ってるハンドレイページ・ヴィクター空中給油機は航続距離が3700キロしかなかった(こっちも給油用燃料満載だともっと短いはず)。

800px-Handley_Page_HP-80_Victor_K2,_UK_-_Air_Force_AN0992865

空中給油を行うヴィクター。給油を受けてるのは、ビール腹がキュートなライトニング戦闘機。

そんなわけで、空中給油を行うヴィクターも空中給油を受ける必要が出てきて、そのヴィクターも空中給油を受けて……と一生懸命調整して、実際に行われたのがこの図の通り。

639px-Refuellingplanblackbucksvg.png

なるほど。最終的にアブロ・バルカンは空中給油機から空中給油を受けた空中給油機に空中給油を受けた空中給油機に空中給油を受けた空中給油機に空中給油を受けた空中給油機に空中給油を受けたのか。

なんじゃこら。

書いててわけわからんくなった。空中給油の回数間違ってたらごめんなさい。あと、帰りにも空中給油受けてます。

この「ブラック・バック作戦」は第7次まで行われ(うち2回は悪天候と機械トラブルで中止。上の図解は第1次作戦のもの)ましたが、「効果は非常に限定的だった」(爆撃で損傷を受けた滑走路はただちに修理され、影響はなかった)とする説と、「一定の効果を上げた」という説があり、未だに評価は定まっていないようです。まぁ、これだけ苦労して実行した方としては「意味なかったです」とは言いづらいわな。
ちなみに、当時最も遠距離に対して行われた爆撃であったブラック・バック作戦ですが、1991年の湾岸戦争でアメリカ軍のB-52がこれを上回る長距離爆撃を行ったそうな。
まぁ、アメリカ軍のB-52は空中給油受けながら無着陸世界一周したこともあるからね……

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水陸両用潜水揚陸艇(特許)

本日本業の方が忙しいので、ネットの海を漂っていて拾った小ネタで失礼を。
画像の出典はアメリカ特許庁の特許検索システム。

アメリカ特許2627832号、水陸両用潜水揚陸艇。特許取得1953年2月10日
取得者:Nicholas Gagliano

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わーい、超強そうー。アオシマの合体ヤマトみたいー。これ、排水量何万トンぐらいになるんだろう。もちろん、ただの特許なんで米軍で試作していたりはしない。

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ちゃんと内部の説明もあるよ。なんだか「てっていかいぼう! せいぎのちょうスーパーメカ!」って感じで嬉しい。
そういやぁ、映画「メガフォース」のパンフレットにもこんな絵が載ってたなぁ。正義は勝つ、80年代でもな! このネタ使うの二度目だっけ。

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ちゃんと読んでないんですが、アイデアの説明部分。
よく見ると、右下(赤丸部分)の関連する特許一覧に知ってる名前が……

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アメリカ特許504120号、紡錘形渡洋蒸気船。特許取得1893年8月29日
取得者:William L. Winans

なんと、全くの偶然で前回の葉巻船の特許にぶつかった。
ただし、1893年には元祖葉巻船を作ったロス・ワイナンズはもう没していて、こちらは息子(次男)のウィリアム・ワイナンズが取得した特許。

ちなみに、ウィリアム・ワイナンズの息子はウォルター・W・ワイナンズ(Walter W. Winans)という人物で、1908年のロンドンオリンピックで射撃で金メダル、1912年のストックホルムオリンピックで射撃で銀、当時あった「芸術競技」の彫刻で金メダルを獲得したメダリストだそうな。へー。

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ロシアン・インペリアル・モンスターズ

今回の記事は新製品紹介しようと思って書き始めたんですが、あんまりにも関連情報がおもしろくて、そこまでたどり着きませんでした。なので、カードモデル関係無いです。相変わらずいい加減ですね。

時は今から100年前の1915年。前年の8月に始まった第一次世界大戦は塹壕と機関銃、そして徴兵制と鉄道輸送の前に完全に膠着状態となっていた。
この状況をなんとか覆そうと、フランスの発明家達が絶望と爆笑を積み重ねていたころ、中央帝国軍を挟んだ反対側、ロシア帝国でもドイツ軍の塹壕を突破し、ついでに後世のモデラーを笑い殺そうという新アイデアが続々と誕生していた。今回は、それら陽が当たらなかったアイデアの数々を苦笑いと共に見ていこう。なお、画像は全てWikipediaからの引用だ。

「ロシア帝国」というと、どうしても近代化が遅れた泥臭いイメージがつきまとうが、もちろん近代兵器の生産能力が全くなかったわけはなくて、1915年ごろにはシコルスキーが世界初の実用4発機「イリヤ・ムロメッツ」を製作するなど、若い技術者も着実に育っていた。
そんな若き設計陣の一人、航空設計師のA・A・ポロホフシチコーフ(Александр Александрович Пороховщиков、古い日本語資料では「ポルコフスキコフ」)は1911年、若干19歳で自作単葉機を飛行させることに成功。1914年には世界発の双胴機を飛ばすなど、才能溢れる技術者だった。
才能溢れるポロホフシチコーフが塹壕戦を突破するアイデアとして思いついたのが、この「陸上戦艦」だ。

Polevoy_Bronenosets_of_Porokhovchsikov.jpg

うん……若さ溢れる、元気のあるデザインだね。
応急架橋みたいな丸いのが並んでいるのは中空のローラーで、この中にそれぞれエンジンが入っていて外周をごろごろ回転させて前に進むらしい。砲塔は76.2ミリ砲か、100ミリ砲か、152ミリ砲か、なんかテケトーに乗せて、他に自衛用にマキシム水冷機関銃40丁を装備する。乗員72名、全長35メートル。35分の1のMMスケールで模型化しても全長1メートルだ。素晴らしい。
ポロホフシチコーフの「陸上戦艦」はとってもドリーミーなアイデアだったが、どう考えても実現困難なために不採用となった。

陸上戦艦が不採用となったポロホフシチコーフには一旦退場願って、お次に登場するのは海軍の造船技師、B.D.メンデレーエフ(Василий Дмитриевич Менделеев)。「メンデレーエフ」といえば、元素周期表を作成したことで科学史に燦然と名を残すドミトリー・メンデレーエフが思い浮かぶが、こちらのヴァシーリー・メンデレーエフはドミトリーの息子。ちなみにメンデレーエフは生涯に2回結婚し、7人の子供に恵まれたがヴァシーリーは一番下の子だった(マリアという双子の姉もしくは妹がいる)。
メンデレーエフの「戦車」は世界大戦が始まってから、「塹壕をなんとかしなくちゃ」とでっちあげたアイデアではなくて、戦前の1911年から温めていたアイデアだったが、まさか第一次大戦があんなことになるとは思わない軍は興味を示さずに放ったらかしになっていたものだった。

Mendeleev_tank.jpg

わーい、超強そうー。
このメンデレーエフ戦車は見た目だけではなく、スペック表も超強そうで、ズドンと突き出た主砲は艦砲を転用した12センチ砲。さらに天井の銃塔に自衛用にマキシム機関銃が1門。正面装甲はなんと150ミリ。タイガー戦車とぐらいならまともに撃ちあうことができそうだ。タイガー戦車が移動しなければ。全長は11メートル(砲身含まず)、重量170トン。
一応、250馬力のエンジンで最高時速25キロで走れる計算になっていたが、長距離移動の場合には鉄道線路上を移動することも考えられていた。どうもスペック表などを見ると、メンデレーエフ戦車は野戦で敵陣地に殴りこみをかける、いわゆる「戦車」ではなく、移動式装甲沿岸砲台を目指していたようだ。
そんなわけでメンデレーエフ戦車はやや過大な印象はあったが、丁寧に研究を続けていけば十分に世界初の戦車となりうる可能性もあった。しかし、前述の通りロシア軍はこの斬新な車両に興味を示さず、イギリス軍の戦車が実戦投入されてからメンデレーエフのアイデアの先進性に気づいた時にはすでにいろいろと手遅れだった。
ちなみにロシアには、メンデレーエフの戦車によく似た「ルビンスキー戦車」という計画があった、とする資料もあるのだが、これは資料が少なすぎてよくわからなかったのでパスしよう。
↓こんなの

Rybinsky_tank_possible_view.jpg

お次のアイデアは発案者がはっきりしない。どうもナフロツキー(Навроцкий)という人物の発案らしいのだが、詳細どころかフルネームさえはっきりしない。

Navrotskys_Battery_(The_Tortoise).jpg

ナフロツキーの戦車、通称「Черепаха(チェレパハ、亀)」は径の大きい主車輪1つと小さい副車輪2つで支えられる3輪車だった。まぁ、三輪車じゃ不整地性能に不安があるが、「陸上戦艦」に比べれば少しはマシかな……と思ったら、なんとこいつ、重量120トン、主砲は203ミリ砲、さらに副砲で152ミリ砲4門、76.2ミリ砲8門、自衛装備としてマキシム機関銃10門を装備するという超超巨大車両だった。でけぇよ!
こいつもやっぱり、「実現性が低い」として不採用に終わった。

120トンのカメ装甲車とか、35メートルの陸上戦艦とかで驚いていてはいけない。帝政ロシアには、さらに破格の装甲車両のアイデアがあった。
とりあえず画像から見ていただこう。これがI.F.セムチシン( Иван Фёдорович Семчишин)によって提案された「要塞破壊機 Обой」だ。

Oboj_02.jpg

………………は?
なにこれ。チョコボール? チョコボールで要塞破壊するの??
内部図解はこちら。

Oboj_01.jpg

うむ。なにがなんだかわからん。
実はこれ、偏芯重りによる回転力で敵陣に向かってゴロゴロ転がっていく超戦闘兵器なのである。
すごいのはそのスケールで、なんと全高600メートル、横幅が900メートルだという。「センチ」の間違いではない。「メートル」である。世界で最も高い建造物、ブルジュ・ドバイだって高さ830メートルしかないってのに。ちなみに陸モノ標準スケール25分の1でキット化すると、横幅36メートルのチョコボールが完成する。出入り口は左右の頂点にあったそうだが、そうなると地上から高さ300メートルのところが出入り口になってしまうんで、縄梯子を使う予定になっていたらしい。って、おい、東京タワーのてっぺんぐらいにある入口まで、縄梯子を登っていかせるつもりだったのか!
一応、スペックを書いておくと、装甲というか、殻の厚みは100ミリ。最高転がり速度は時速500キロ。転がるだけで敵軍を粉砕できるので非武装、としている資料もあるが、戦史研究家ユーリ・バフリン(Юрий Бахурин)によると、重火器の搭載も考えられていたらしい。どうやって積むんだか知らないが。乗員は「数百人」というアバウトさ。なんかヤケクソ気味な数字だ。
提案者のセムチシンは別に技術者ではなく、ただの市位のアイデアマンだったようだが、このアイデアを直接にロシア皇帝ニコライ二世に手紙で送りつけた。ドイツとの戦争の成り行きに頭を痛めていた皇帝はこのアイデアにビビッと衝撃を受け、陸軍に「この超凄い兵器を研究せよ!」と命令したが、しばらくして返ってきた返事は「実現不可能です」というものだった。そりゃそうだ。こんなもん、100年経った今でも実現不可能だわ。

「要塞破壊機 Обой」(楽器の「オーボエ」のことだと思われる。名前の由来は良くわからなかったが、なんだか冷戦時代のソビエトのSF映画の邦題みたいでカッコいい)は軍によって差し止められたが、中にはノリノリになった皇帝を止めきれずに実際に製作されてしまった「戦車」もある。
*2019年3月10日追記 「Обой」は楽器のオーボエではなく、「壁紙」のことらしい。それはそれで、意味不明だ。また、発音は「オーボエ」よりも「アボイ」に近いようだが、ロシア語のカナ表記は難しいんでオーボエでもまぁいいんじゃないかな。

それが、この「レベデンコ戦車」またの名を「ツァーリ(皇帝)戦車」である。

800px-Tsar_tank.jpg

あーぁ、やっちまったな、という感じの車両だが、なんとこのツァーリ戦車、このたびポーランドのブランド、WEKTORでキット化された。

Car Tank 01

ずどーん。
しかし、こいつの説明をしてるとまだまだ話が長くなりそうなので、今週はチラ見せするだけ。この手のやっちまった車両ファンのモデラーは次週刮目して待て!


*キット表紙画像はWEKTOR公式サイトからの引用、それ以外の画像はWikipediaからの引用。

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