Heinkel Models アメリカ装甲艦 USS Lafayette(中編)

この一週間ほどで歯の詰め物が取れたかと思ったら、全然関係ない歯が突然欠けて、ついでに扇風機の電源が入らなくなり、さらにモバイルルーターの電源まで入らなくなってほとほと困り果てた筆者のお送りする世界のカードモデル情報。ツイてない時ってのは重なるもんだ。
今回は前回に続きアメリカ装甲艦 USS Lafayette。話は北軍がニューオリンズを攻め落とした続きから。

1862年夏、北軍はミシシッピ川河口部のニューオリンズを占領、大西洋からメキシコ湾に至る南部諸州の海岸線全域の封鎖を完了した。
しかし北軍はミシシッピ川下流に有力な河川艦隊を持たず、南部の商人達は北軍舟艇が少ない地域でミシッピ川を越えて行き来しており、これを塞がなければ「アナコンダのように南部を締め上げ、その国力を削ぐ」という北軍基本方針の達成はできない(当時の陸軍の規模では陸上を封鎖することは難しい)。
これをどうにかしようとミシシッピ川上流、北部州で建造した艦隊を下流に持ってこようとした北軍の前に立ちはだかったのが、ミシシッピ州のヴィックスバーグ要塞の砲列であった。
リンカーン大統領もこの状況を憂慮しており、「我々はヴィックスバーグという鍵をポッケトに入れることができなければ、この戦争に勝利することはできない」と書き残している。

1862年の夏から秋にかけて、北軍は各方面からミシシッピ州を攻略しようといろいろと試したが、まぁいろいろ、って言ってもまだ爆撃とか超長距離砲とかない時代なんで、結局は「ちょっと変わった方から攻撃する」って程度で、防備を固めた南軍は一歩も引かなかった。
試行錯誤の末、アメリカ合衆国(北軍)司令官ユリシーズ・グラントは1862年の秋に新たな方針を立案する。
それは、上流にいるミシシッピ艦隊の一部にヴィックスバーグの眼前を強行突破させ、下流にミシシッピ艦隊別働隊を編成するというものだった。
北軍が下流に河川艦隊を保有すれば、北軍は下流で自由にミシッピ川を渡ることができるようになり、現在は比較的手薄なミシシッピ州南部からも侵攻できる。
そもそもミシシッピ川を制圧すればアナコンダプランは完成したも同然で、ミシシッピ州、ヴィックスバーグ要塞の戦略的価値そのものが大きく低下するので、ぶっちゃけ放っておいても構わなくなる。

1862年秋、ミシシッピ川上流セントルイスで要塞突破艦隊の建造が始まった。
とは言っても、一から新しい船を建造するわけではない。開戦と同時に北軍はミシシッピ川を航行する多くの汽船を徴用して兵員や物資の輸送に利用していたが、そのうちの何隻かを1862年の春にハンプトン・ローズの戦いでその防御力の高さを認められた装甲艦に改造するのである。
そんなわけで徴用船舶の中の一隻、「フォート・ヘンリー」も装甲艦に改造されることとなった。
ヘンリー・フォートはもともと1848年に建造された外輪汽船で、徴用前の名前はアレック・スコット(Aleck Scott)だった(資料によってはアリック・スコット(Alick Scott)になっている)。「ミシシッピ川の外輪船」というと、船尾で大型のドラム型外輪がバタバタ回ってる船を想像しがちだが、フォート・ヘンリーは舷側型。なので頭の中で観光用のミシシッピ川船尾型外輪船のお尻を普通の船に変更して、舷側に日本に来た「黒船」みたいな車輪型外輪を取り付ければだいたい、フォート・ヘンリーの姿となる。
さて、それを装甲するとどうなるか。
こうなる。

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なんだこりゃ
なんというか、「船」というものの形を超越した何かになっている。宇宙戦艦か、これは。
いや、外輪もカバーしなきゃいけないし、重量を抑えるために上部建造物は絞らなきゃいけないし、言いたいことはわかるんだ。決して理解不能じゃないんだ。それにしてもこれはなんとも画期的なスタイルで……

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この、船体から外輪カバーに繋がる線をこんなきれいな曲線にする必要はあったのか。艦首と艦尾の天井部分を凝った2段テーパーにしてる必然性もよくわからない。外輪カバーの上にある囲みは舷側方向を監視するための設備だろう。装甲バードウォッチング小屋みたいな監視塔も、もうちょっとなんとかならなかったんだろうか感に溢れていて素晴らしい。

装甲艦となったフォート・ヘンリーは独立戦争でアメリカのために駆けつけてくれたフランス軍人、マリー=ジョゼフ・ポール・イヴ・ロシュ・ジルベール・デュ・モティエ、すなわちラファイエット侯爵から名前を頂戴して「ラファイエット」に名前が変更された。
ラファイエットは見た目はイカツイが水深の浅いミシシッピ川で運用するので全長85メートル、排水量1200トンとそれほど大きい船ではない。南軍の装甲艦「バージニア」が全長84メートル排水量約3000トンだから、それに比べると装甲はかなり薄かったようだ。
武装は艦首方向に28センチダールグレン前装滑腔砲2門、舷側に23センチダールグレン前装滑腔砲4門、あと、後ろ向きに100ポンド(口径約16センチ)パロット砲2門。パロット砲というのは極初期のライフル砲(前装)で、砲尾部分に分厚く鉄のベルトを巻いて補強しているのが外見上の特徴だが、せっかく補強したのに砲尾が破裂することが多く兵士には嫌われていたらしい。
砲の数がキットと合わないが、本当は舷側の4門は艦内で向きを変えて左右どちらかに突き出すようになっていたんだろうか。
速力は最初っから期待できない外輪船な上に装甲までしちゃったんで最高4ノット(時速約7.4キロ)しか出ない。
この速力で、装甲を頼みにヴィックスバーグ砲台の射界内をのっそりとダッシュで突破しようという作戦だ。

(後編に続く)

参考ページは後編にまとめて記載予定。
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Heinkel Models アメリカ装甲艦 USS Lafayette(前編)

先日、母から「あなた、昼の気象ニュースに映ってたわよ」というメールを受けとり、いつのまに撮られちゃったのかな~?とか思いながらネット配信で確認したところ、単なる背格好が似ている人だった筆者がお送りする世界のカードモデル情報。母ちゃん、これ右上に撮影場所甲府って出てるじゃない。わしの勤務地東京だって。

今回紹介するのはスペインのデザイナー、Fernando Pérez Yuste氏のブランド「Heinkel Models」の新製品、アメリカ装甲艦 USS Lafayetteだ。

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なんかメイド・イン・他の惑星的な、見たことのない物体が表紙に載っているが慌てず騒がず順を追って説明していこう。
ちなみにHeinkel Modelsは数ヶ月前からホームページが行方不明。自身での販売は終了して、これからは委託販売のみでやっていくのだろうか。ちなみに表紙はEcardmodels版のもの。

1861年に南北戦争が始まった時、合衆国(北軍)大統領リンカーンは南軍を打ち負かす戦略を文民である自分がフィーリングとかノリで決めてしまうべきではないと思った。そこで、大統領は1808年から軍務についている陸軍の長老、ウィンフィールド・スコット将軍に「どうしたもんかね」と意見を求める。
将軍は19世紀の戦争をよく研究しており、わずかな常備軍とピクニック気分で集まった志願兵からなる北軍は軍備も訓練も全く足りず、全てを賭けた大勝負一発で勝敗を決めてしまうべきではないと考えた。そこでスコット将軍は大西洋、メキシコ湾、ミシシッピ川という一連の水域で南軍の支配地域を包囲し(当時の陸軍の規模では陸で封鎖することは難しい)、外部との交通、流通を遮断することで南部の戦力・国力を削ぎ落としていくという遠大な計画を立案する。
この発想は、「攻撃精神」が尊重された19世紀の将軍が考えたとしては非常に壮大であり、また政治的(非軍事的)である。三国志で言えば、「将軍」ではなく「軍師」が立案するような作戦で、「相手を経済的に弱らせる」という発想は非常に現代的でもある。いっそ「年金でボードゲーム買い漁ってたワシが転生して南北戦争で将軍になるじゃと!?」という設定で転生ものラノベになってもいいぐらいだ。その本、意外とおもしろそうだ。
この計画を聞かされた北軍の将軍達は内心、『ええーっ! この爺さん、なに言ってんの!』と思っただろうが、なにしろ軍人になった時の大統領は第3代トマス・ジェファーソン(リンカーンは第16代)、1812年の米英戦争でイギリス軍と戦ったこともあるという陸軍の権威に面と向かっては誰も『包囲とか超だっせ! ナウなヤングなら突撃っしょ!』とは言えず、「はい……そうですね……」とスコット将軍の案が北軍の大戦略として採用される。包囲作戦はいつしか南軍を締め上げる大蛇になぞらえ「アナコンダ・プラン」と呼ばれるようになった。

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1861年12月に描かれたアナコンダ・プランの戯画。Wikipediaより引用(もともとの出典ははっきりしない)。
この絵ではアナコンダは西側でテキサスまで巻き込んでおり(スコット将軍のプランではテキサスの東隣のルイジアナでミシシッピ川に入る)、もともとのアナコンダ・プランとは差異が見られる。
結果論的に言えば、南北戦争は鉄道と徴兵によって莫大な兵力が常に前線へ送り込まれる「総力戦」の先駆けであり、スコット将軍の大戦略なくしては戦争はさらに長く苦しいものとなったであろう。ヘタすりゃ南北それぞれに肩入れする外国を巻き込んでの「世界大戦」となっていたかもしれない(フランスのナポレオン三世は南軍贔屓だった)。
スコット将軍は老齢であり南北戦争で実際に指揮を取ることはなかったが、間違いなく南北戦争きっての名将だったと言えるだろう。

アナコンダ・プランに従い脆弱だった米海軍は開戦後に急速に拡充され、着実に大西洋、メキシコ湾を封鎖していく。
1862年4月、デヴィッド・グラスゴー・ファラガット提督率いる北軍艦隊はミシシッピ川河口に突入し、ミシシッピ川下流域最大の都市ニューオリンズを占領。いよいよアナコンダがその首をもたげ西から南部連合を包囲にかかったのである。
当時、ミシシッピ川に浮かべる船を主に建造していたのはミシシッピ川を北へ遡ったミズーリ州セントルイス(北軍地域)。ここで建造された汽船からなるミシシッピ戦隊(Mississippi Squadron)がドンブラコッコとミシシッピ川を下っていき、ニューオリンズのファラガット艦隊と握手すれば、これでアナコンダ・プラン完成! アーケードゲームの脱衣陣取り「ギャルズ・パニック」だったら南部連合の支配地域がガコンと抜け落ちてジェファーソン・デイヴィス南部連合大統領のウハウハ画像が見えちゃうこと間違い無し! となるはずが、ここでアナコンダの動きは止まってしまう。
原因はミシシッピ川をニューオリンズから400キロ遡ったところにある町、ヴィックスバーグだった。

ヴィックスバーグはミシシッピ川東岸の崖の上に築かれており、さらに、ミシシッピ川はヴィックスバーグの目の前で大きく蛇行している。さらにヴィックスバーグ砲台はミミシッピ川を見下ろす絶好の位置に据えられていた。
崖の上の砲座は要塞化されており、対抗しようにも西岸は一面の湿地帯で部隊の展開はできない。
そして、ファラガット提督はニューオリンズからミシシッピ川を遡ってヴィックスバーグを攻略できるだけの河川用艦艇を持っていなかったし、ニューオリンズで鹵獲することもできなかった。

ここでアメリカの地理に詳しい方なら、「あれ? ヴィックスバーグってミシシッピ川に面してたっけ? むしろ中心部は支流のヤズー川沿いじゃね?」と思うかも知れない。
こんな感じ。



しかし、この蛇行するルイジアナーミシシッピ州境を見てピンと来た人も多いだろう。そう、ヴィックスバーグ中心部に向けてヤズー川を遡り、方向を変えてセンテニアル湖に辿ってミシシッピ川に戻るこの線が当時のミシシッピ川の流れで、現在は「デ・ソト島」としてこれら水域に囲まれている地域は当時は「デ・ソト半島」であった。
(当時のミシシッピ川は今よりもずっと細かく蛇行を繰り返しており、その痕跡はミシシップ川東岸のルイジアナ州飛び地として残っている)
1862年6月、なんとか河川艦隊をかきあつめたファラガット提督はニューオリンズから遡ってヴィックスバーグの砲台をポコンポコン砲撃するが、高い位置にある砲台に向かって撃ちあげる砲撃は迫力を欠き、ファラガットはすごすごと引き返すしかなかった。
ミシシッピ川を封鎖するヴィックスバーグ要塞を突破するため、ファラガット提督はここでトンチを利かせる。
「そうだ、川の流れの方を変えればいいんだ」
このアイデアに従い、デ・ソト半島の根本にある細い運河、というか水路を艦隊が通過できるまでに拡充する工事が始まったが、前述した通りミシシッピ川西岸は大湿地帯で、真夏に行われた工事で作業員達は熱帯病と熱射病でバタバタと倒れ工事は1ヶ月で断念された。後にこの水路は拡充され、洪水などの作用もあって水路の方が本流となりデ・ソトは島になる。

(キットの話がまったく出てこないまま中編に続く)

参考ページは後編にまとめて記載予定。

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JSC イギリス 特設空母”ATLANTIC CONVEYOR”、駆逐艦”SHEFFIELD”・後編

ベランダに出る窓の上にいつの間にかアシナガバチが巣を作ってしまい、ベランダ菜園に水やりに出るたびにブンブン威嚇されてついには刺されたために駆除せざるを得ず、一日がかりで巣を落とした筆者がお送りする世界のカードモデル情報。次は狭量な人間が来ない山の中で巣つくれよー。

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前回の続き。

1982年4月、アルゼンチンが占領したフォークランド諸島をイギリスは武力で奪還することを決定、「フォークランド紛争」が始まる。
まずイギリスは「ブラック・バック作戦」で空中給油機から~中略~空中給油を受けたアブロ・バルカン爆撃機がアルゼンチン軍最前線の空軍基地を空爆し、迎撃戦力を削ろうとしたがこれはあまりうまくいかなかったようだ。
続いて、英海軍の先遣部隊がアルゼンチン海軍艦隊と接触する。
5月2日、アルゼンチン海軍では空母ベインティシンコ・デ・マヨに次ぐ大型であった巡洋艦「ヘネラル・ベルグラノ」(元米海軍巡洋艦「USSフェニックス」)が英海軍チャーチル級原子力潜水艦「HMSコンカラー」の雷撃で艦首を吹っ飛ばされ轟沈。これ以降、水上艦艇の損失を恐れたアルゼンチン海軍は急速に消極的となる。

「なーんだ、アルゼンチン軍なんて全然大したことねーな。こりゃフォークランド奪還も楽勝なんじゃね?」と思った途端、アルゼンチン空軍による手痛い反撃が英海軍を襲った。
1982年5月4日午後2時。哨戒任務に当っていたイギリス軍駆逐艦「HMSグラスゴー」のレーダーが接近するアルゼンチン空軍機の機影を捉えた。彼らは海面わずか15メートルという信じられない低高度で突っ込んできたため(海面の反射波に紛れるので)発見時にはすでに目標まで40キロに接近していた。グラスゴーは慌てて電波妨害用の「チャフ」を散布、「電波煙幕」の中に隠れる。
その中に突っ込むことを嫌ったアルゼンチン機がゆるく旋回すると、真正面に警戒任務に当っていたイギリス海軍42型駆逐艦「HMSシェフィールド」(グラスゴーとは同型)が見えた。
このころ、各艦を繋ぐデータリンクというのはまだうまく機能していなかった。グラスゴーからの警報は受信していたものの、シェフィールドはアルゼンチン軍機を「たぶん、戦闘機(アルゼンチンが保有するミラージュIII)だろう」と判断。これは、それまでも戦闘機を攻撃機と誤認する事が多かった事に基づく判断だったが、この時に限って相手はミラージュ戦闘機ではなく、シュペル・エタンダール攻撃機だった。
Sエタンダールは搭載していた2発の「エグゾセ」対艦ミサイルを発射。1発は海中に突入したが、もう一発はセンサーがシェフィールドを捉えた。
シェフィールド艦橋では目標機がミサイルを発射した際の煙を目視していたが、それが何を意味するのかわからずになんだろう、と思っていたら15秒後にミサイルが艦橋右舷後方に斜め後ろから命中した。
弾頭は不発だった。しかし、マッハ0.9(秒速300メートル)で突っ込んだ重さ650キロの弾頭は通路、調理室を貫通して機械室へ飛び込み、さらに最大70キロを飛ばすためのロケットモーターは機械室で燃焼を続けていた。
機械室のオイル類、艦内塗装の塗料、さらにアルミ合金製の内壁などが次々に延焼、シェフィールドは火だるまとなる。こうなっては最早手の施しようもなく、総員が退艦した後もシェフィールドは丸2日間燃え続け、最終的にはアセンションまで曳航しようとしているうちに沈没した。

と、いうわけで今回のキットのもう一隻、シェフィールドの完成見本写真。

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「駆逐艦」と言っても、第二次大戦時の駆逐艦のような水上戦闘力はあまりなく、後甲板のヘリと山積みのレーダーで敵機の接近を早期に察知、迎撃戦闘を行うのが主な任務となる。はずだったのに、空対艦ミサイル(しかも不発)であっさり撃沈されてしまった衝撃は大きかった。

まさかの艦艇損失はあったものの、アルゼンチン艦艇の行動が消極的だったために英軍によるフォークランド諸島への逆上陸はあっさり成功した。また、空母艦載機ハリアーによる迎撃も活発化し、アルゼンチン空軍機も英軍艦隊にホイホイとは近づけなくなる。
アルゼンチン軍機を追い払った英軍艦載機は周囲のアルゼンチン軍小艦艇や陸軍陣地への攻撃を開始、戦況が次第に英軍有にになっていくのを見て、アルゼンチン軍はあかん、このままじゃジリ貧や、と気づいた。そして、5月中旬から航空戦力を結集した対艦攻勢を開始する。
そんな折、アセンションでハリアーを積んだ特設空母「アトランティック・コンベア」がフォークランド沖に到着した。

5月25日。この日のアルゼンチン空軍の攻撃は特に激しかった。大型の早期警戒機を持たない英軍は低空で散発的に突っ込んでくるアルゼンチン軍機に対しては接近されてから対処をせざるを得ず、ついに駆逐艦HMSコヴェントリー(シェフィールドと同型)がアルゼンチン軍のA-4スカイホークにより通常爆弾3発を片舷に集中して被弾、横転沈没する。この損失は僚艦の迎撃ミサイルの射線にコヴェントリーが入ってしまい迎撃不能になるという、これまたリンクの失敗が重要な原因となっていた。
さらにその直後、混乱した英軍の防空網を突破したシュペルエタンダールがエグゾセミサイルを発射。エグゾセミサイルの1発がアトランティック・コンベアに命中した。
この命中を目撃した人物がいる。エリザベス女王の次男、チャールズ皇太子の弟、ヨーク公アンドリュー王子である。
海軍に入隊し、ヘリコプターパイロットになっていたアンドリュー王子は空母インヴィンシブルに乗り込んでいた。インヴィンシブルのフォークランド派遣が決定した時、イギリス政府は適当に理由をつけて王子を下船させようとしたが、当人はこれを拒否。エリザベス女王も許可したために王子は空母と共にフォークランドに向かい、通常のローテーションに組み込まれヘリによる哨戒任務をこなしていた。
王子によると、A・コンベアに命中したエグゾセミサイルは(民間の貨物船では軍艦に比べ構造が脆弱に過ぎたのだろう)弾頭が作動せず、「(貫通してから)数百メートル離れて水柱が見えた」という。
だが、今度もそのロケットモーターの噴射が致命的な結果を招いた。A・コンベアは補給のために積んでいた航空機燃料、予備の弾薬・ミサイルに次々に引火し大火災を起こす。
結局、今度も鎮火後に曳航を試みたものの、5月28日にA・コンベアは沈没した。
33人の乗組員(貨物船なんで船員が少ない)のうち12名が戦死。シコルスキー・シーキングヘリで生存者を最初に海から救い上げたアンドリュー王子は後にA・コンベア撃沈のことを「その経験を私は決して忘れることはできないだろう……恐ろしかった」と語っている。

A・コンベアは第二次大戦後にイギリスが戦闘で損失した初めての商船となった。
唯一の救いは、ハリアー全機がすでに空母へ移動済であったことであった。英軍はこの補充を最大限に活用し、アルゼンチン軍機を圧倒していく。最終的に海軍艦載型のシー・ハリアーはアルゼンチン軍戦闘機に対して空中戦で22を撃墜、損失0というとんでもない記録を残した(対空砲火で2機、事故で4機を失っている。また、空軍のハリアーは対地攻撃が主で空中戦は行っていない)。
また、チヌークヘリは1機だけが損失を免れたが、予備部品を全て失ったこの機を整備員達は創意工夫と超人的努力をもって維持、「ブラボー・ノベンバー」の呼び出しコールがそのまま愛称となったこの1機は諸島を縦横無尽に飛び回り逆上陸部隊を輸送、神出鬼没の活躍を見せた。

貨物船による補給を受け活発さを増したイギリス軍にアルゼンチン軍は圧倒されつつあった。
5月30日にアルゼンチン軍はS・エタンダール2機とスカイホーク4機でイギリス軍空母機動部隊へ攻撃を仕掛けたが、狙った艦は空母ではなくて駆逐艦だった。ミサイルのロックオンを探知した駆逐艦エクゼターはただちに妨害用のチャフを散布、全火力で対空弾幕を張り発射されたエグゾセミサイルを撃墜した。
アルゼンチン側はこの攻撃で「インヴィンシブル大破!」とぶちあげて新聞には黒煙をもうもうと上げるインヴィンシブルの写真(合成)まで掲載したが、良く考えたらそんなことしても戦局は一向に良くならなかった。
そう言えば、アルゼンチン軍の、なんかマヨネーズみたいな名前の空母はどうなったの? と思ったら、アルゼンチン海軍空母ベインティシンコ・デ・マヨは機関の不調で全速力で向かい風に向かって走っても速力が足りず、装備を積んだ艦載機(A-4スカイホーク)はどうやっても発艦できなかった。とほほ。
6月14日にはついにフォークランド諸島最大の都市、ポート・スタンリーを英軍が占領。これによりアルゼンチンのガルチェリ大統領は完全に軍、民衆から支持を失い失脚した。
6月20日、フォークランド諸島全域を掌握した英軍は停戦を宣言。72日間に渡る戦いは終わった。

最後に余談を一つ。
アンドリュー王子たち空母乗組のヘリコプターパイロットはA・コンベア撃沈後、空母に対してエグゾセミサイルが発射された際にはそれを無効化する秘策を準備していたという。
それは、「ヘリが飛行中にエグゾセミサイルが発射されたらチャフをばらまいて大型船並の影を作り出し、その中にいるシーキングヘリを熱源としてエグゾセのセンサーにロックさせる」というものだった。
エグゾセが突っ込んできても、機動性の高いヘリであればエグゾセを避けられる、という目算(あるいは建前)だったらしい。
幸い、それを実行する場面はなかった。

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展開図見本。左がA・コンベア、右がシェフィールド。いつものJSC同様、汚しのないスッキリした表現。画像はそれほどでもないが、デジタル化してからのJSCはシャープな印刷で好印象だ。

影の、そして悲運の功労者であるイギリス 特設空母”ATLANTIC CONVEYOR”、そしてピケット艦としてアルゼンチン軍の攻撃を引きつけ大損害を被ったイギリス駆逐艦戦隊を代表する駆逐艦”SHEFFIELD”、2隻セットでJSCからの堂々リリースだ。スケールはJSC標準の400分の1と小スケールだが、それでもA・コンベアは完成全長約50センチ、シェフィールドは30センチほどと意外なほど大柄。難易度は4段階評価の3(難しい)。そして定価は52ポーランドズロチ(約1700円)、レーザー彫刻済のオプションパーツが60ズロチ(約2000円)となっている。
現代艦艇、特に西側の艦船がカードモデルキット化されることは少ない。現代艦艇ファン、フォークランド紛争ファンのモデラーなら当キットは見逃すことのできない一品と言えるだろう。
それにしても、この2隻をセットにしてリリースするって、JSCさんけっこう意地悪っすね……



キット画像はJSCショップサイトからの引用。

参考ページ:
https://ja.wikipedia.org/wiki/アトランティック・コンベアー
https://ja.wikipedia.org/wiki/シェフィールド_(駆逐艦)
https://ja.wikipedia.org/wiki/フォークランド紛争
https://ja.wikipedia.org/wiki/エグゾセ
https://ja.wikipedia.org/wiki/アンドルー_(ヨーク公)
それぞれの英語版ページも参考とした。

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JSC イギリス 特設空母”ATLANTIC CONVEYOR”、駆逐艦”SHEFFIELD”・前編

先日、職場の入っている建物の一階でアンディ・ウォーホルにそっくりな人を見かけた筆者のお送りする世界のカードモデル情報。あれ本人だったのかなぁ。だったらサインもらっておけば良かった。
そんな、まぁ、どうでもいい葛藤はさておいて、本日紹介するのはポーランドJSCの久々の新製品、イギリス 特設空母”ATLANTIC CONVEYOR”、駆逐艦”SHEFFIELD”だ。

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空母? どこに? 表紙はどう見ても貨物船だし、そもそも「アトランティック・コンベア(大西洋の輸送者)」なんていかにも貨物船な名前だ。「シェフィールド」ってのは後ろを飛んでる飛行機の名前かい?
なんて寝ぼけたことを言ってはいけない。アトランティック・コンベアは1982年の「フォークランド紛争」で準軍艦としてイギリス海軍と共に戦い、戦史にその名を留める船なのである。

紛争の舞台となった「フォークランド諸島」というのは、南極に近い南大西洋、アルゼンチン沖に浮かぶ小さな島の集まりで人口は約3000人。こんなところにあるがイギリス領である。
本来の領有権、なんてことを言い出すときりがないので、ごくごく大雑把に島の歴史を確認しておくと、フォークランド諸島は大航海時代にヨーロッパに「発見」され、16世紀から17世紀にかけてイギリス人が上陸してこれを占領した。
しかし、18世紀にはイギリスと対立していたフランスが上陸し諸島の一部を占領。その後フランスが占領部分をスペインに売却すると、当時まだ南米では羽振りが良かったスペインの軍事的圧力が増し、イギリスはスペインが諸島全域を支配することを認める(イギリス系住民は居住を認められ諸島に残った)。
1810年、アルゼンチンがスペインからの独立のために戦いを始め、独立側が優勢となるとスペイン系住民は島を退去、スペイン側がいなくなったんでイギリス系住民が諸島を掌握した。
アルゼンチンは独立すると「スペインが領有してたものはアルゼンチンのもの」ってことでフォークランドの返還を要求したが、「いや、もともとフォークランドはうちのもんだし」とイギリスが拒否。アルゼンチン、イギリスの双方が諸島の領有を宣言したまま両者の対立は20世紀へと持ち越される。

1982年4月、高まるナショナリズムの後押しを受けてイケイケな気分になったアルゼンチン大統領レオポルド・ガルチェリはフォークランド諸島に正規軍を派遣しこれを占領する。当然、イギリスはこれを認めずに両者の対話は決裂。マーガレット・サッチャー英首相の「我々は武力解決の道を選択する」という言葉を持って両国は事実上の戦争状態へと突入した(両者とも宣戦布告はしていないので、国際法上の「戦争」ではない)。

いくら第2次大戦で疲弊し、かつての大帝国の面影を失ったとはいえイギリスはやはり「大国」である。開戦時、両国の人口はイギリス5500万人に対しアルゼンチン3000万人。一人あたりの国民総生産イギリス9620ドルに対しアルゼンチン2070ドル。工業化の指針として総発電量を比べるとイギリス2762億キロワット時に対しアルゼンチン430億キロワット時。そしてイギリスは核保有国である(さすがにフォークランド返さないとブエノスアイレスを焼き払うぞ! とは言わないだろうが)。
唯一、アルゼンチンの方が絶対的に有利な要素が距離であった。フォークランド諸島はイギリス本土から離れること約1万2千キロ。それに対し、アルゼンチン海岸からは500キロしか離れていない。
当時イギリス海軍は相次ぐ軍縮……と言うよりも財政の緊縮によりその戦力はかつてに比べ大幅に低下していた。なにしろ運用可能な空母はわずか2隻、それも軽空母の「ハーミーズ」と「インヴィンシブル」しかなかったのだ。兵器なんて、使えばすり減るに決まってる。空母2隻がフォークランドに駆けつけていくら頑張ったところで、そのうち航空戦力は尽きるだろう。そうなれば航空機の庇護を失った英艦隊は撤退せざるを得ない。そうなれば艦隊の支援を失い孤立したフォークランド奪還部隊も降伏することになる。そうなればアルゼンチンの時間切れ勝利である。
逆に言えば、イギリスが軽空母を失えばその時点でアルゼンチンの勝利である。イギリス空母がフォークランド沖に姿を現したらアルゼンチン本土から攻撃機をぶんぶん飛ばして攻撃すりゃ、どれか攻撃が当たるだろう。なんだったら、アルゼンチンが誇る空母「ベインティシンコ・デ・マヨ」(もとイギリス空母「ヴェネラブル」)で空母戦を仕掛けるのもアリだ。V.D.マヨは第二次大戦中に建造された旧式艦で、失ったところでアルゼンチン側は大きく不利にならないが、運良く英空母を仕留められれば大金星だ。ちなみに艦名は、稀代のマヨラーとして知られるベインティシンコ将軍のマヨネーズ好きを記念したものである、というのはもちろん大嘘で、スペイン語の「5月25日」のことでアルゼンチンの独立革命記念日である。
うん、なんだか急にアルゼンチンが絶対的に有利な気がしてきたぞ。きっとガルチェリ大統領もこんな気分だったんだろうな。

以上の情勢はもちろん英国側だって考慮しただろう。軽空母2隻ではフォークランド諸島奪還まで航空優勢を保持できない。とは言え、航空優勢なしでの奪還など自殺行為でしかない。奪還を諦めたらサッチャー首相にメチャクチャ怒られる。どうする。どうするんだ! 考えるんだマクガイバー! このネタ使うの何回目だ。
実際のところ、英軍には最初からこの事態に対する想定というのはできていたのだろう。
イギリス海軍はただちに民間のコンテナ船、「アトランティック・コンベア」1万5千トン、姉妹船「アトランティック・コーズウェイ」を徴用、フォークランドに最も近い(と、言っても6千キロ離れている)英軍基地があるアセンション島へと向かわせた。ここで艦載機を搭載してフォークランド沖へ向かい、空母の洋上補給基地として使おうというのだ。
いや、ちょっと待って。仮に艦載機を満載した貨物船がフォークランド沖で空母と会合したとしよう。貨物船は、どうやってその積荷を空母に渡すの? 寄港してクレーンで移し替えようにも、フォークランド諸島はアルゼンチンに占領されているし、もともとフォークランド諸島にそんな大きな港はない。人が抱えられる大きさまで分解して、船を横付けにして手渡しする? それこそ戦争終わっちまうわ。
この問題に対する答えは実に単純であった。
積荷が自分で飛んで空母に乗り換えればいい。
そう、英軍の艦載機は垂直離着陸が可能なブリティッシュ・エアロスペース・ハリアー戦闘機だったのだ。

と、いうわけでいよいよ登場、公式ページの完成見本写真で見るイギリス海軍特設空母、アトランティック・コンベアの勇姿。

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隣にいるのは次回後編に登場予定の駆逐艦「シェフィールド」。A・コンベアは看板前部を開けて発着スペースにしていることがわかる。ハリアーが垂直離着陸する時に吹き付けるジェットは強烈で、そのままだと熱で甲板が溶けてしまうので耐熱シートを敷いてあったらしい。なお、ハリアーは重装備では垂直離着陸は難しく、英海軍ではスキージャンプ甲板で発進させるSTOL(短距離離着陸機)として運用していた。なので、空母でも甲板に満載されたハリアが一斉にドドドと上に昇っていくわけではない。

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ハリアーは二種類の塗装が見えるが、迷彩の方は空軍のハリアーGR.3、グレー単色の方は海軍のシー・ハリアー。急いでかき集めたんでこんなことになった。写真右下に見える双発ヘリは”チヌーク”HC.1、左上の単発ヘリはウェセックスヘリ(シコルスキー S-58のライセンス生産型)。A・コンベアは4月25日に6機のウェセックスヘリ、5機のチヌークを積んでイギリス本土を出発し、アセンション島で8機のシーハリアー、6機のハリアーを積載してフォークランドへ向かった(アセンションでチヌークを1機降ろしている)。

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環境部分にクローズアップ。民間船なのでアンテナ類も大した数は装備されていない。時間がなかったために、A・コンベアにはパッシブ/アクティブな電子装備は追加されていない。

そんなわけでA・コンベアがフォークランドへ向かっているころ、フォークランドではイギリス艦が次々に大損害を被っていた。
アルゼンチン空軍機によるフランス製空対艦ミサイル「エグゾセ」による攻撃の始まりである。

(後編に続く)

*A・コンベアは軍に徴用されたと言っても「HMS」の称号は与えられていないし、最前線で航空機を発進させて敵を攻撃したわけでもないので厳密には「特設空母」ではないのだが、そっちの方がカッチョいいので当記事では表紙のauxillary aircraft carrierの表記を尊重し「特設空母」とさせていただいた。時として模型界では真実よりもカッチョいいことが優先されるのである。誰もヤクトパンターの事を「ロンメル」と呼んでなくてもカッチョよければロンメルでいいのである。

画像はJSCショップサイトからの引用。
参考ページは後編にまとめて記載予定。

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GPM イタリア モニター艦 "FAA DI BRUNO"

「芯材に使うだろう」とお菓子の空き箱をストックし始め幾星霜、使うよりも貯める量の方が圧倒的に多くて作業部屋が空き箱に埋もれつつある筆者がお送りする世界のカードモデル情報。今回紹介するのはポーランドの老舗、GPM社からリリースされた新キット、イタリア モニター艦 "FAA DI BRUNO"だ。

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…………なんすか、これ?
これって、あれだろ? 旧式戦車の砲塔を台車に載せた、装甲列車の砲車だろ? ……違うの?

800px-Monitor_Faa_di_Bruno.png

単体では大きさがわかりづらいので、Wikipediaから比較対象として人が一緒に写っている写真を拝借してきた。
でけぇ!
むちゃくちゃテカいぞこいつ!
それもそのはず、この主砲、戦艦の主砲の流用で口径38センチもある。

そもそもこの砲身はイタリア海軍初の超ド級戦艦に搭載するつもりで準備したものだった。
第一次大戦前のイタリア海軍はオーストリア=ハンガリー海軍を仮想敵として軍備を整えていた。三国同盟のことは忘れた。1910年台初頭、イタリアは相手はどうやら35センチ砲を装備した超ド級戦艦(エルザッツ・モナルヒ級)を建造するらしいという情報をキャッチした。当時イタリアで建造していたカイオ・ドゥイリオ級戦艦は30.5センチ砲なので、これはまずい。
そこでイタリアは38センチ砲を装備した「フランチェスコ・カラッチョロ級」を設計する。イギリス海軍のクイーン・エリザベス級戦艦を参考としたこの艦は28ノットの快速と38センチ砲連装x4基の攻撃力を併せ持つ地中海最強の戦艦となるはずだった。
しかし、起工直前に第一次大戦が勃発。しばらく建造は続けたものの、肝心のオーストリア=ハンガリー帝国が引きこもりになってしまったし、資材も不足してたので1916年に建造は中止となる(戦後スクラップ)。そもそも連合側に立てば優勢なイギリス海軍地中海艦隊が味方になるし、同盟側に立てばオーストリア=ハンガリー帝国は友軍なんだから新型戦艦なんて必要なかったんじゃ?

それはさておき、F・カラッチョロ級が中止になったことで先回しに準備しておいた38センチ主砲が余剰となった。
この砲は資料によっては「イギリスから購入した」となっているが、どうやらアームストロングの資本が入っていたポッツオーリ兵器廠でライセンス生産されたものだったようだ(イタリア軍名称「Cannone navale da 381/40」)。
20門以上を整備した38センチ砲は、あとは艦に乗せれば発射できる状態だったんで、もったいないから海軍は何門かを沿岸砲台に転用している。あまりはっきりした資料が見つからなかったが、38センチ砲が配備された事がはっきりしている砲台として、ベネチアの入り口を塞ぐ半島に設置されたアマルフィ砲台がある。この砲台は装甲砲塔(F・カラッチョロ級の砲塔か、新設計のものかは不明)に2門の38センチ砲を備えており、コンクリートの土台部分は現在でも残っている。また、陸軍が7門の38センチ砲を列車砲に改造している。

しかし、地中海の制海権が連合側にある以上、やたらと沿岸砲台を増やしても仕方がない。そこで、海軍は艦砲射撃用に38センチ砲を搭載したモニター艦を建造することとした。うむ、そこまでは問題ない。イギリス海軍も旧式火砲の転用で艦砲射撃用に小さな船体に不釣合いな戦艦主砲塔を載せたモニター艦を建造している。
だが、なぜこうなった。

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写真は公式ページの完成見本。艦首にちっちゃいアンカーがぶら下がっているのがかわいい。
この、見るからに間に合わせの船体はクレーン台船「GA 43」を転用したもの(オーストリア=ハンガリー帝国の河川モニター「ライタ」が退役後に砂利浚渫船になったのと逆のパターン)。防弾のために甲板の上に緩やかな山型に厚さ4センチの装甲を貼り、さらに船体周囲を厚さ2・9メートルのコンクリートで取り巻いている。そこまでやるんだったら、もう新造しちゃった方が早いんじゃないんの?
ところでこの船、救命ボートが一切見当たらないがいいんだろうか。

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砲塔部分にクローズアップ。一見、戦艦の砲塔をそのまま搭載したように見えるが、この砲塔どうやら天井がないらしい。また装甲も11センチしかない。天井がないといろいろとマズいので、トラスの上に丸天井を乗っけたらこんなわけのわからない形になった。だったら、普通に密閉砲塔にしたほうがいろいろ面倒がないと思うのだが、あるいは発射ガスを解決できなかったのかもしれない。砲塔の上の小さい砲は自衛用のヴィッカース40ミリ機関砲。また、主砲砲身は別売りの金属砲身を使用しているようだ。
残念ながら迷彩はあんまりつながっていない。

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エンジンは魚雷艇用に蒸気エンジンが余っていたのを2基搭載し、合計465馬力で最大3.3ノット(公試時)で自力航行する。つまり、戦艦主砲とクレーン台車と魚雷艇エンジンを邪教の館で悪魔合体させたら外道モニター艦が完成したというわけだ。今後ともよろしく。

1917年7月にこの不思議な船は完成し、「ファー・ディ・ブルーノ(Faà di Bruno)」と名付けられる。イタリアの数学者でフランチェスコ・ファー・ディ・ブルーノ(Francesco Faà di Bruno)という人がおり、「ファー・ディ・ブルーノの公式」に名前を残しているが、艦名の由来となったのはフランチェスコの兄で、イタリア独立戦争で戦った海軍軍人のエミリオ・ファー・ディ・ブルーノ(Emilio Faà di Bruno)の方。「リッサ海戦」でオーストリア=ハンガリー海軍の装甲艦「フェルディナント・マックス」に衝角攻撃をぶちかまされて沈んだイタリア海軍装甲艦「レ・ディタリア」の艦長が、このエミリオである(艦と運命を共にした)。

ファー・ディ・ブルーノは1917年8月、第11次イソンゾ戦を支援するためにイギリス軍モニター艦隊と共にオーストリア軍陣地を砲撃したが、あまり効果はなかったようだ。なお、この時は同じ主砲をさらに小さい船体(これもクレーン船台の転用)に1門積んだ、よりやけくそ気味な「アルフレド・カペリーニ(Alfredo Cappellini)」も戦いに参加している。

カッチョいいイギリス軍モニターを見てションボリしたイタリア軍モニター艦隊はイタリアの長靴のふくらはぎ当たりにあるアンコーナ港まで下がってきたが、そこで11月に嵐に遭遇する。
強風に流され浅瀬に座礁したファー・ディ・ブルーノだったが、近くの村マロッタから嵐をついて11人の乙女がボートで漕ぎ着けて温かい食事とワイン、さらにフルーツまでも船員に届けてくれた。彼女達は翌日、嵐が止むまで何度も船と村を往復したという。彼女達には海軍からその勇敢な行為を讃えて1919年8月に勲章が送られ、それを記念した碑は現在もマロッタの村に立っている。

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写真はWikipediaより引用。
肝心のファー・ディ・ブルーノはその後しばらくしてから離礁、回航されたが1924年には除籍されている。
しかし、第二次大戦の勃発と共に浮き砲台「GM194」としてジェノア防衛に回された。
1941年2月9日、イギリス艦隊がジェノアに艦砲射撃を加えたが、GM194は英軍の初弾で電源供給ケーブル(たぶん、エンジンを回さないでいいように陸から電力供給していたのだろう)が切断されて反撃できずに終わった。1943年にイタリア降伏に伴いドイツ軍が接収。ドイツ軍は「Biber(ビーバー)」と名付け船体前後を延長して四角い船体を船型にする大改装を行ったようだが、特に使われることなく1945年のドイツ降伏後ほどなくしてスクラップとなった。

イタリア モニター艦 "FAA DI BRUNO"は海モノ標準スケール200分の1で完成全長28センチという意外なほど大柄なキット。難易度は大したディティールがもとからないんで3段階評価の「2」(普通)。そして定価は70ポーランドズロチ(約2300円)。これは、レーザーカット済みのパーツ同梱の価格で、今回は冊子のみの販売は行われないようだ。

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別に大した活躍はしていないが、カタチがオモロい当艦を200分の1というビッグスケールで楽しめる数少ない機会を、イタリア海軍ファン、モニター艦ファンのモデラーは見逃すべきではないだろう。手に入るようなら、PRO-MODEL製の円型砲艦「ノブゴロド」と並べることでトホホ艦を倍増させるのも面白そうだ。



画像はGPM社サイトからの引用。


*定価はあくまでも現地で購入する場合の値段です。日本国内で購入する場合には輸送費などを考慮し、2倍~3倍程度になるとお考えください。

参考ページ:
https://en.wikipedia.org/wiki/Italian_monitor_Faà_di_Bruno
https://en.wikipedia.org/wiki/Emilio_Faà_di_Bruno
https://en.wikipedia.org/wiki/Cannone_navale_da_381/40
https://en.wikipedia.org/wiki/Francesco_Caracciolo-class_battleship
それぞれのイタリア語版、日本語版も参考とした。当然ながら、イタリア語版が最も詳しい。

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