ModelArt スペイン オートジャイロ ELA 07 "Cougar"

先日、どうやら胸ポケットにガムを入れたままシャツを洗濯してしまったようで、ほのかなミント臭に包まれて一日を送った筆者のお送りする世界のカードモデル情報。本日紹介するのはブルガリアから世界にカードモデルを発信しているEmil Zarkov氏のブランド、ModelArt からスペインELA Aviación社のオートジャイロ、ELA 07 "Cougar"だ。

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カット画像が一枚もないのでショップにあった側面図。なんだか近未来SFに登場するガジェットのような見た目だが、実在する機体である。
作者のEmil Zarkov氏は現在、ZARKOV MODELSというオンラインのカードモデルショップを運営しており、ここでは氏の設計したキットはもちろんのこと、ちょっと変わった航空機を多数リリースしている「Models by Marek」、とても変わった航空機を多数リリースしている「Murph's Models」、控えめに言ってどうかしている艦船を多数リリースしている「Heinkel Models」などなど、錚々たるメンツのキットを購入することができる。
様々なデザイナーが作品を提供しているオンラインカードモデルショップと言えば当コーナーでもよく名前の出る「Ecardmodels」があるが、あちらはまだ1作、2作しか作品のない駆け出しモデラーでも登録できるのに対してZARKOV MODELSはそれなりの作品の設計経験があるベテランだけが作品を提供しており、品質の安定感という面ではこちらの方が上だと言っていいだろう。
EcardmodelsとZARKOV MODELS、両方で手に入るキットも多いが、何か目当てのキットがある場合はZARKOV MODELS、面白いキットはないかとショップをうろつくのならEcardmodels、といった感じで目的によって使い分けると良いだろう。

「ModelArt」ブランドは1990年代前半まだまだ世界的にカードモデルの認知度が低く、内容も、まぁ、アレだったころにデジタル設計による正確で美しい航空機キットを発表、現在でも全く見劣りしない抜群のクオリティで度肝を抜き「紙でこんなことができるのか!」と世界中を驚かせた。
最初にリリースしたキットは1992年にブルガリアで印刷出版された「32分の1メッサーシュミットBf 109 G-6(ブルガリア塗装)」で、東欧ローカルな販売だったのにわずか3ヶ月で5000部を完売したという(このキットは現在初版をスキャンしてデジタル化した「復刻版」がZARKOV MODELSで販売されている)。
作者Zarkov氏がブルガリア在住であったために(カードモデルの本場、ポーランドでも通用するように)英語マニュアルが完備されているのもインターネットとの親和性が良く、世界中のモデラーがカードモデルに着目する一つの大きなきっかけを提供したと言えるだろう(どうしてもポーランドのデザイナーはポーランド内での流通だけで満足してしまう傾向があり、今でもマニュアルがポーランドのみというキットは多い)。
ちなみにZarkov氏の本職はCADデータ制作の会社を経営しており、もともとデジタル設計は本職だったようだ。

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例として、2002年ごろにリリースされたMiG-3のキット完成写真。今でこそ標準的な仕上がりに見えるが当時このクオリティのキットというのは本当に珍しかった。

そんな、カードモデル新世紀の幕開けを支えた偉大なデザイナー達の一人と言っても過言ではないZarkov氏、2000年代初頭にデジタルデータ版の販売を開始したようだが筆者がカードモデルを始めた2000年代中盤にはすでに印刷版、デジタル版とも入手が難しくなっており、その後10年近く音沙汰のない「幻のメーカー」であった(ポーランドやロシアで現地出版社が印刷した「ライセンス版」が出版されており、こちらはもう少し後まで手に入った)。
しかし、近年になってModelArtブランドはデジタルデータでの販売を行うオンラインショップZARKOV MODELSのラインナップとして復活。クオリティが高いだけでなくカードモデル史的にも価値のあるレジェンド級キットの数々が購入可能となった上に、氏の新たなキットも楽しめるようになった。

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ショップでキット画像の代わりにアップされているELA 07 Cougarの実機写真。
尾翼に赤・黄・赤のスペイン国旗がペイントされているのでスペイン警察の塗装だと思うのだが、実際にオートジャイロがスペインで採用されているのか、それともアピール用の展示塗装なのかはわからなかった。ちなみにイラン警察は実際にこの機体を採用している。

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人と比較すると分かるが、非常に小柄な機体だ。
むきだしのエンジンなどはあまりカードモデル向けの機体とは言えないと思うのだが、これをベテランZarkov氏がどうまとめているのかは非常に興味深い。

今回新規デザインでリリースされたELA 07の実機を販売しているELA Aviaciónはスペイン、アンダルシア州コルドバにある会社で設立が1996年だからModelArtブランドよりも若い会社だ。
同社はオートジャイロ専門の会社で、最初の商品がこのELA 07。01から06まではどこに行ったのか、そして「ELA」がなんなのか、どこにも書いてないのでわからない。
ELA 07には練習機の「07S」、農業用の「Agro」などいくつかサブタイプがあり、今回キット化されたのはスカイスポーツ用の「Cougar」(さらに細かいオプション仕様もあるようだ)。
クーガーは機体重量わずか260キロ、乗員+荷物最大240キロを積んで最高時速160キロで飛行可能。燃料は75リットル入り、航続距離は約400キロとなっているので、飛行機というよりも「空のオートバイ」といった感じだ。オートジャイロの特色である離着陸性能は離陸に必要な滑走距離が120メートル、着陸は20メートルもあれば十分となっている。
また、ELA Aviación社ではやや小柄なELA 09 ”Junior”、密閉キャビンのELA 10”Eclipse”も販売している。
ちなみにELA 07の価格はだいたい5万ユーロ(約600万円)程度なので、興味のある読者は新車を購入する気持ちでホイホイっと買ってみるのもいいだろう。夕飯の買い物にスーパーまでオートジャイロで乗り付ければ町の話題独占は間違いなしだ。
なお、オートジャイロというのは実はスペイン人発明家、フアン・デ・ラ・シエルバ(Juan de la Cierva y Codorníu)の発明で、スペイン人にとっては思い入れのある機種。オートジャイロの歴史も興味深いのだが、それを書いてるとまた話が長くなるので今回は触れないでおこう。

ModelArt からリリースされたスペイン オートジャイロ ELA 07 "Cougar"は小柄な機体なので空モノスケールではなく、陸モノスケールの25分の1でのキット化だがそれでもかなり小柄な仕上がりとなるはずだ。内容不詳なので難易度はわからないが、メカがむき出しなので少し難し目に見積もった方がいいだろう。そして定価は7.95ユーロ(約950円)となっている。
オートジャイロファンのモデラーなら、このキットを見逃すべきではないだろう。腕に覚えのあるモデラーなら、まだネットでも完成写真を一切見ない当キットの完成レポート一番乗りを目指すのもよさそうだ。

最後に、内容については定評のあるModelArt旧キット群のデジタルデータについてだが、歴史あるブランドだけに現在は無数に海賊版が出回り手がつけられない状態となっている(これこそが、Emil Zarkov氏が一時期カードモデルから離れていた理由なのかも知れない)。ぶっちゃけ、ちょっとアレするだけでナニをソレできてしまうのだが、別に現在絶版で購入不能とかではないのだからカードモデルを愛するモデラーなればこそ、氏のキットに興味があればきちんとZARKOV MODELSで購入したいものである。



画像はZARKOV MODELSからの引用。

http://cadbest.com/store/en/?pid=1159
商品直リン

参考ページ:
http://www.elaaviacion.com/2017-2/
ELA Aviación社ページ

https://en.wikipedia.org/wiki/ELA_Aviación
https://en.wikipedia.org/wiki/ELA_07
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John Dell Models アメリカ重爆撃機 B-17G "Wee Willie"

いよいよ第57回静岡ホビーショーも目前。本年も併設のモデラーズクラブ合同作品展に紙模型静岡工場管理人のナオさんよりお誘いを頂き、うれし恥ずかし、またも凝りずにT-26を集団で持ち込む予定でどうもすみませんな筆者がお送りする世界のカードモデル最新情報。今回紹介するのは世界中のカードモデルデザイナーの作品を売り買いできる、21世紀型カードモデルショップEcardmodelsでリリースとなった新製品、John Dell Modelsのアメリカ重爆撃機 B-17G "Wee Willie"を紹介しよう。

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機体そのものは説明するまでもない、超有名機。"Wee Willie"というのはこの機体のパーソナルネームで、機首に半裸に短パン飛行帽で爆弾に乗っているキャラクターのノーズアートが書かれている。

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実機のノーズアート拡大写真で、Imperial War Museumsの一部門、第二次大戦でイギリス本土に展開していたアメリカ第8空軍の資料が集められたAmerican Air Museumからの引用。
もとのタッチがかなり淡い絵だったようで、残念ながらこの写真ではWee Willieの絵は細部が飛んでしまってディティールが判然としない。また、乗っかっている爆弾にも何か文字が書いてあるようだ。腰にもダイナマイトだかロウソクだか体温計だかを提げているが、こちらもハッキリしない。
なお、遂行ミッション回数を表す爆弾マークは4つしかなく、操縦席窓の下までズラリと爆弾マークが並んでいるキットテクスチャとは差異があるが、別にキットがフカシまくってるわけではなく、この写真がまだ4回しかミッションこなしていないころに撮られたものだからだ。また、爆撃手席のノルデン照準器は機密保持のために外してあるか、もしくは写真修正で消されている。

「Wee Willie」は婦人靴のブランドで同名のものがあるが、ノーズアートのキャラが履いてるブーツが実はWee Willieブランドの靴とか、そういうことじゃないと思うがあんまり自信はない(検索したが靴のWee Willieブランドの由来がわからなかった)。
マザー・グースの童謡に「Wee Willie Winkie」というのがあり、夜遅くになるとパジャマ姿のウィー・ウィリー・ウィンキーがやってきて鍵穴から「寝てないゴはいねぇガー!」と叫ぶという、お前がうるさくて眠れねぇーよと言いたくなる内容らしいのだが、ウィー・ウィリー・ウィンキーは「Willie Winkie」と略されることが多い(歌の中でもそう呼ばれている)ので、このノーズアートとの関連性はわからない。そもそもノーズアートのキャラはパジャマを着ているようには見えない。

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今回は機体の説明がないので写真多め。Ecardmodelsの商品ページから完成見本写真。
カードモデルとしては小さめの48分の1スケール、機内再現もなしでディティールよりもスタイルを楽しむ内容となっているが、その分ハードな汚しの入ったテクスチャが素晴らしい。各動翼のトリムタブ部分だけ色が異なっているあたり、作者のこだわりを感じる。

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さながら編隊僚機から見下ろしたかのような、上からのショット。右主翼内側のエンジンだけ他のエンジンとカウルフラップの色が異なっているが、なにか資料に基づいた表現なのだろうか。

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機首部分にクローズアップ。残念ながら部品分割の都合でWee Willieが縦に真っ二つになってしまっているので、気になるようならデジタル展開図の利点を生かし、つなぎ合わせたWee Willieを別紙に印刷してデカールのように上から貼るのもいいだろう。窓類も切り抜いて内側から張り直して段差をつけるなど、腕に覚えのあるモデラーなら自分なりのディティールアップを施すのも一つの楽しみ方だ。

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また、キットにはスケールを合わせた搭乗員のパネル、弾薬箱、燃料缶などのアクセサリー、あと猫のパネルなどのオマケが同梱されているらしい。これらと組み合わせ地上に駐機状態のジオラマとして作品展示するのもいいだろう。

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ちょっと珍しい部品構成写真。こうやって見ると、機体主要部がかなり少ない部品で構成さてていることがわかる。しかし、逆に言えば補強をしっかりしないと自重で歪んだり、持って遊んでるうちに潰してしまいかねないので要注意だ。

作者のJohn Dell氏の情報はほとんどないが、大型機のキット化に力を入れているようだ。B-17だけでもノーズアート違いはもちろんのこと、G型以外の各タイプもキット化している。

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背びれの無い小型の垂直尾翼、球形銃塔になる前のバスタブ型下部銃座など戦前の機体の特徴をよく残しているC型「パール・ハーバー」。

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同じく大改修前のD型。完成写真では涙滴型胴体銃座窓もよく分かる。塗装はギンギンベアメタルに紅白尾翼、白棒無し国籍マークの戦前平時塗装だが、残念ながらベアメタル塗装だけは印刷では再現できない。これはカードモデル永遠の課題となるだろう。

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尾翼の大型化されたE型ではまさかの日本軍鹵獲機までリリースされている。
他にもJohn Dell氏はB-24リベレーターも各種キット化しており、大型機ファンにとっては要注目のデザイナーと言えるだろう。

さて、John Dell氏の作品について簡単に説明してから、話は表題のWee Willieへ戻る。
B-17G機体番号42-31333 愛称"Wee Willie"は実は有名な機体である。その名前を聞いたことがない読者でも、どこかでこの写真を見たことはあるだろう。

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American Air Museumからの引用で、Wee Willieの最期。
ワシントン州シアトルのボーイング第二工場で1943年10月22日にロールアウトしたこの機は2ヶ月後にイギリス ケンブリッジシャーのバッシングボーン飛行場に到着、アメリカ第8空軍第1航空師団第91爆撃航空群、第322爆撃飛行隊の1機として行動を開始。1944年2月初頭、ヴィルヘルムスハーフェン爆撃の際に損傷を受け約1ヶ月を修理に要したものの順調に出撃回数を重ねていた。
1945年4月8日、Wee Willieは129回目のミッションに参加する。目標はザクセン=アンハルト州、シュテンダールにあった機関車修理工場。雲が多い中、爆撃隊はH2S爆撃照準レーダーで目標を探しながら飛んでいた。
対空砲火は激しくはなかったが、そのうちの一発がWee Willieの胴体脇、左主翼付け根燃料タンクを直撃した。

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American Air Museumからの引用で、僚機から撮影された被弾直後のWee Willie。
胴体が炎に包まれており、わかりにくいが写真左中央辺りに折れた左主翼の先端が写っている。
機体は落下しながらスピンに入り、地上に激突する前に空中分解したという。
Wee Willieには9人の乗員が乗っており、8人は戦死したが驚くべきことに操縦士のRobert E. Fuller中尉は機体からの脱出に成功し、捕虜になっている。
この一ヶ月後、ドイツが降伏しヨーロッパでの戦争は終わった。

なお、左主翼が外れた写真は時々「Me-262ジェット戦闘機に撃墜されたB-17」のキャプションで引用されることがあるが、この写真の撮影された4日前、4月4日にB-24 44-50838 がMe-262の発射したR4Mロケット弾の直撃を受けて胴体が千切れた写真が残っており、どうやらそちらと混同されているようだ。
また、オリジナルの写真には「尾部銃座射手だけが生き残った」と書かれているらしいが、前述の通り脱出できたのはパイロットである。

ドイツ上空における航空戦がいかに熾烈なものであったか、またいかに恐ろしいものであったかを物語る写真を残したアメリカ重爆撃機 B-17G "Wee Willie"。John Dell Models のキットはお手頃サイズ48分の1で完成全幅約66センチメートルなので、GPMの33分の1B-17(完成全幅約96センチ)を買っちゃって、こんなんどこで作りゃいいんだと頭を抱えているモデラーにもオススメだ。筆者も以前にモノグラムのB-17(48分の1)をうっかり買ってしまった時は、こんなんどこで作りゃいいんだと頭を抱えたもんだが、ペーパークラフトだとなんとかなりそうな気がしてくるのだから不思議なものだ。
難易度は表紙の表記では5段階表記の「4」(難しい)となっているが、筆者の印象では「3」(普通)といったところではないだろうか。販売形態はダウンロードのみで定価は8ドル。
4発爆撃機を精力的にモデル化しているJohn Dell氏、次は何をキット化するのだろうか。B-24、B-17と来たら、やはり順当にB-29(48分の1で完成全幅約90センチ)だろうか。氏にはいっそのこと、そのままの勢いでB-36(48分の1で完成全幅約146センチ)のキット化まで突き進んでほしいものである。

キット画像はEcardmodelsからの引用。

https://www.ecardmodels.com/index.php/1-48-boeing-b-17g-flying-fortress-wee-willie-paper-model.html
商品直リン



参考ページ:
http://www.americanairmuseum.com/aircraft/5418
American Air Museum、"Wee Willie"のページ。

https://www.thisdayinaviation.com/8-april-1945/
各日付ごとに航空界での重要出来事をピックアップしているサイトから1945年4月8日のページ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ウィー・ウィリー・ウィンキー

*来週は第57回静岡ホビーショー併設モデラーズクラブ合同作品展参加のため、更新休止させていただきます

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Orel イギリス砲塔艦 ”HMS Captain” 後編

いよいよ4月も終わり。模型ファンにとっては1年の総決算となる静岡ホビーショーまで残り半月を切った。ホビーショー併設のモデラーズクラブ合同展示会に向けての準備も大詰め、ついでに本業の方も節目を迎えて大詰めで、ホビーと本業の間をキリキリ舞いしている筆者のお送りする世界のカードモデル情報。本日はウクライナOrel社からリリースされたイギリス砲塔艦 ”HMS Captain”の三回目。

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表紙。三回目にして、ついにクーパー・フィリップ・コールズ設計のHMSキャプテンが竣工だ。
キャプテンはエドワード・リードが設計したHMS モナークで問題となったマストのリギングを避けるため、砲塔の上にもう一段甲板を設けその上にマストが立っていた。この甲板は主砲の爆風を左右へ逃し、マストを守るためでもあっただろう。この上甲板のおかげで「砲甲板に回転砲塔を載せ、船腹を取り払う」というスタイルがよりわかりやすくなった。
乾舷は低く、砲塔が水面にかなり近くなっているが、なぜかHMS ロイヤルソブリンでは装備されていた可倒式の舷側までなくなってしまった。コールズの設計は射撃開始までの時間が短い(リギングを片付ける手間がほとんどない)のがウリなんで、舷側倒す手間も省いて少しでも射撃準備の時間を短縮したかったのかも知れない。

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さらに艦型のわかりやすい写真として、公式フォーラムからキットの試作写真を引用。
砲塔前後部分は射界を確保するために大きく切り欠いてあることがわかる。この部分を凹ませないで逆に膨らまして、前後のケースメート戦闘室に砲を装備すれば19世紀終盤の装甲艦に近いフォルムとなる。

リードのモナーク、コールズのキャプテンを比較するとモナーク約8300トン、キャプテン約7800トンと大きな差はない。しかし、キャプテンの排水量は設計段階では7000トンで、建造中に設計のミスが見つかって排水量が800トンも増えていた。さらに、重心も設計時より高くなっていたという(ただし、これは建造を監督するはずのコールズが病気療養中に現場の錯誤で設計が狂ったとする資料もある)。
武装はどちらも12インチ(30センチ)砲連装砲塔2基。速力はモナークの方が若干早かったが、これはモナークの方が強力な機関を積んでいたためのようだ。

1870年、砲撃性能を確認するためにモナークとキャプテン、比較用に1世代前の砲郭艦「HMS ヘラクレス」の3隻が砲撃試験を行うこととなった。ちなみにヘラクレスの設計もリードだ。
3隻は4~5ノットで前進しながら、沖合に作られた長さ180メートル、高さ18メートルの目標に対し1000ヤード(約914メートル)の距離から5分間の砲撃を行った。
結果は、
ヘラクレス 発射数17発、命中10発(約59%) 発射速度毎分0.65発
モナーク 発射数12発、命中5発(約42%) 発射速度毎分0.40発
キャプテン 発射数11発、命中4発(約36%) 発射速度毎分0.35発
と記録されている。1キロ以内という近距離、攻撃を受けるプレッシャーがない状態とはいえなかなかのスコアだと言えるだろう。特にヘラクレスの発射速度、命中率が突出しているが、ヘラクレスは10インチ(25センチ)砲搭載艦なので単純比較はできない。
モナークとキャプテンのスコアは、仮にキャプテンがもう1発撃って当てていれば全くの同スコアだから大した差はないように見えるが、実際にはそんな単純な話ではなかった。と、いうのもキャプテンの4発命中のうち3発は最初の斉射での命中で、いわゆる「ラッキー・ヒット」だった。キャプテンはその後2斉射分8発撃っているが、この間に1発しか命中していない。実は、キャプテンは最初の斉射で船体が20度もロールし、ほとんど甲板のへりが水中に没するほどであった。当然、2斉射目以降は船体が動揺した状態からの発砲となり命中率は大きく下がった。
それに対しモナーク、ヘラクレスは斉射でも船体は大きくは傾かず、また動揺がおさまるのも早かった。
モナークとキャプテン、果たしてどちらが優れているのか。意見を求められた海峡艦隊司令官、トーマス・シモンズ中将(Thomas Matthew Charles Symonds)は「どっちも素晴らしい! 砲塔艦は敵の旧来の戦列艦なんて全部やっつけちゃうネ!」と判断を保留した。うまいこと責任逃れしたな。

だが、結論はすぐに出た。それも最悪の形で。
1870年9月6日、キャプテンを含む地中海・海峡連合艦隊11隻は堂々戦列を組んで航行中であった。
風は刻々と強さを増しており、夜半には雨を含み暴風雨となる。横風を受ける形になった艦隊は次々に帆を畳んだが、船の動揺は多くなる一方であった。
真夜中過ぎ、ついにキャプテンの傾斜は最大20度に近づいた。
乾舷が低く、重心の高いキャプテンにとって、荒れた海でこの傾斜は致命的であった。
艦長、ヒュー・バーゴイン(Hugh Burgoyne、アメリカ独立戦争で英軍指揮をとったジョン・バーゴインの孫)は最後まで船を救うための命令を出し続けていたが急に傾斜が増し、キャプテンはそのまま転覆した。
船は沈み、500人の乗組員のうち助かったのはわずかに17人。艦長のバーゴイン、そしてキャプテンに乗っていたコールズも艦と運命を共にした。

後に軍で開かれた裁判では、著名な科学者ウィリアム・トムソン(後のケルビン卿)やウィリアム・ランキン(「エネルギー」の概念を提唱した、これまた当時最高ランクの科学者)による検証の結果、キャプテンは安定性が完全に不足しており、傾斜が21度を過ぎた場合転覆する恐れのあることがわかった。ここで先述の砲撃試験の時のことを思い出していただきたい。そう、キャプテンは主砲を側面に指向して全砲が斉射するだけで転覆する可能性があったのだ。
筆者は最初、キャプテンはあまりに乾舷が低くて傾斜で端が水面下に没した砲塔リングから浸水して沈んだのかと思っていたのだが、生存者の証言で「キャプテンは完全に転覆したまま、しばらく浮いていた」とあるので、どうやら浸水するよりも先にひっくり返ったようだ(浸水したのなら、むしろ重心が下がって安定したかもしれない)。
実はキャプテンは7月29日にポーツマス軍港で安定性の試験を受けていた。この結果で許容される傾斜が20度しかないことがわかれば直ちに運用は停止されていたことだろう。しかし、キャプテンは試験結果が出る前に出港してしまっていた。
キャプテンは結局、「この艦は監督部門の意見を無視し、国会議員など、正規ではないルートによる世論の働きかけによって建造されたものであった」と結論づけられた。
いくらその人物の発想が革新的で発言力が大きくとも、専門家でない人間に安全性を任せるようなことはすべきではなかった。
とはいえ、かつて南北戦争でアメリカ海軍に「モニター」が提案された時は「安定性が足りず危険すぎる」として反対した海軍技術者達の反対を設計者ジョン・エリクソンとリンカーン大統領が押し切って建造、結果的に戦史に名前を残す存在となったのだから技術の転換期というのは難しい。
要するに、保守側だろうと革新側だろうと、相手の意見に耳を貸さなければ痛い目を見るということだ。ちょっと偉そうなこと言いました。ごめんなさい。

悲惨な形で自身の正しさが証明されたリードはその後も海軍には戻らず、民間の艦船設計技師となった。
彼が設計した艦の中でも中でもこの項で特筆すべきは日本海軍の発注によって建造された装甲コルベット「金剛」「比叡」そして、装甲艦「扶桑」であろう(3艦とも初代)。
リードは扶桑の回航に際してはわざわざ婦人を伴い来日しており、日本海軍の技術者達に多大なる知識を影響を与えた。
その後リードは議員となり、1906年に心不全で死去している。

悪い意味で黎明期装甲艦の試行錯誤を象徴する艦となってしまったイギリス砲塔艦 ”HMS Captain” は海モノ標準スケールで完成全長約50センチと、かなり小型な船。難易度は3段階評価の「3」(難しい)、そして定価は525ウクライナフリヴニャ(約2000円)となっている。
黎明期装甲艦ファンのモデラーなら、当キットこそ見逃すべきではないだろう。また、Orelから以前にリリースされている装甲艦扶桑のキットと作り比べることで、リードとコールズの設計思想の違いを実感するの興味深い試みとなりそうだ。



画像はOrel社サイト公式フォーラムからの引用。

*定価はあくまでも現地で購入する場合の値段です。日本国内で購入する場合には輸送費などを考慮し、2倍~3倍程度になるとお考えください。

参考ページ:
https://en.wikipedia.org/wiki/Cowper_Phipps_Coles
https://en.wikipedia.org/wiki/Edward_Reed_(naval_architect)

https://en.wikipedia.org/wiki/HMS_Captain_(1869)
https://en.wikipedia.org/wiki/HMS_Monarch_(1868)

https://ja.wikipedia.org/wiki/扶桑_(甲鉄艦)

http://www.ironclad.saloon.jp/wardroom/Captain&Coles/captainandcoles.htm
装甲艦ファンなら必見、黎明期装甲艦について非常に詳しいサイト、三脚檣 から「『キャプテン』 と コールズ艦長」のページ。キャプテン沈没の詳しい経緯など、詳細な情報が載っている。

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Orel イギリス砲塔艦 ”HMS Captain” 中編

引退した電気設計士である父から古い水平器(本体が木)を譲ってもらいホクホクの筆者がお送りする世界のカードモデル情報。本日はウクライナOrel社からリリースされたイギリス砲塔艦 ”HMS Captain”の二回目。

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今回は旋回砲塔の発明者、クーパー・フィリップ・コールズの設計した砲塔を載せた「HMS プリンス・アルバート」が完成したところから。
HMS プリンス・アルバートは中心線上に単装23センチ前装ライフル砲砲塔4基が並ぶデザインで排水量は約3700トン。砲塔の旋回は人力で、各砲塔に18人がついて1周約1分で回転することができた。意外と早い。アメリカの”USS モニター”が蒸気で砲塔を回していた(1周22.5秒)のに比べると、「ぶっはww 人力とか超ウケるw」という感じだが、実際にはモニターの旋回速度は早すぎ、しかもトランスミッションを介しているわけではないので旋回が目標を行き過ぎてしまった場合には逆周りにエンジンをつなぎ直す(具体的にどうやるのかはよくわからない)か、もう一周するしかなく、微調整の効くコールズの人力式の方が実用性は高かったようだ。

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Wikipediaからの引用(この項、表紙写真以外全て同様)でHMS プリンス・アルバート。1870年前後の撮影。この写真では砲塔はほとんど判別できないが、たぶん前部マストの後ろにちょっとだけ見えてるのがそうだと思う。

ただし、これが英国初の本格砲塔搭載艦か、といえばそうではなくて、HMS プリンス・アルバートの建造中に「よく考えたら砲塔載せるためだけに一から艦船建造する必要ないじゃん」ということに気がついて、HMS ロイヤルソブリン(約5000トン)が砲塔艦に改造されることになった。ロイヤルソブリンは27センチ砲砲塔4基(1基のみ連装で、あとは単装)の射界を得るために乾舷を切ったら切りすぎちゃってテヘペロしながら舷側を造り直したり、といったゴタゴタはあったものの、それでも一から作ったP・アルバートよりは早く完成、1864年8月20日に英国海軍初の本格的砲塔搭載艦として完成した。

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前回の樽+イカダ+艦砲=砲艦の「Lady Nancy」の画像と同じく、これも”The Illustrated London News”紙から、1864年の竣工直後のHMS ロイヤルソブリン。こちらは砲塔の様子が良く分かる。Illustrated London News紙はずいぶんとコールズに入れ込んでいるようだ。
かなり乾舷が低く、モニター艦のようなスタイルになっているが、これはつまり「甲板に砲塔を載せる」のではなく、「それまでの戦列艦が砲を載せている砲甲板に砲塔を入れて、射界を得るために舷側を取り払ったらこうなった」ということだと思われる。船腹の白っぽく見えている部分は可倒式の舷側で、航海中はこれを立てて乾舷を稼いだ。
一応、帆走装備も持っているがかなり小さく、実際には帆走のためよりも安定のための装備だったようだ。
ロイヤルソブリンの砲塔は1866年、「実際に砲塔を艦砲で撃ってみた」というYoutuberっぽい実験に供され、中央砲郭艦HMS ベレロフォンから23センチ砲を砲塔背面に3発撃ち込まれた。この結果、砲塔の装甲板の1枚が外れてしまい砲弾1発が砲塔を貫通したが、砲塔の旋回、積んでいる砲の発射には影響がなかったという(もちろん、徹甲榴弾だったらこうはいかないだろう)。

HMS プリンス・アルバートとHMS ロイヤルソブリンは概ね好評で、これに力を得たコールズは、「もっと大きい艦に、もっと大きい砲を積んだらもっと凄いです!」とわかりやすい事を主張し、巨砲を積んだ砲塔1基の新型艦(詳細不明)を考案したが、海軍省は「いや、Pアルバートとロイヤルソブリンてさぁ、あの低い乾舷じゃ遠洋航海できないよね? 大英帝国は世界の植民地守るために、大洋を越えられる船が必要なんよ」とこれを却下した。
とは言え、海軍省は砲塔艦のアイデアは認めているので、アイザック・ワッツの後を継いだエドワード・リード(Edward Reed)に遠洋航海に耐えうる砲塔艦の建造を指示した。

Edward_James_Reed,_Vanity_Fair,_1875-03-20

1875年に、「バニティフェア」紙に掲載されたリードの絵。なんでリードさんWikipediaにポンチ絵しか載ってないんや……
リードは30.5センチ連装砲塔2基を船体中央、煙突を挟んだ前後に置くレイアウトのHMS モナークを設計する。この配置は後の前弩級戦艦のスタンダードとなるものであったが、当時の信頼性の低い蒸気艦を補うために海軍省は完全な帆走装備をもたせることを要求した。

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画家、ウィリアム・フレデリック・ミッチェル(William Frederick Mitchell)の手によるHMS モナーク。帆を展開していることもあり、いかにも大洋を駆けるのに適した感じのスタイルだ。
少しわかりづらいが、煙突の前後に扁平な円筒形の砲塔が載っている。ロイヤルソブリンに比べると非常に乾舷が高く、甲板の上に砲塔が載る配置であることがよく分かる。もちろん、単に砲塔の位置を上げただけでは重心が高くなってしまうが、そこは大英帝国設計主任たるエドワード・リードがしっかりと計算しており、驚くべきことに最大40度まで船体がロールしても回復できたという。
しかし、モナークは帆走設備のせいで砲塔は前後方向への射界が限定され、さらに帆を展開するためのリギング(ロープ)は巨大な30センチ砲の爆風で傷んでしまうために射撃前に外す必要があった。
リード自身は船体中央に砲塔を置く以上、帆走設備は諦めるつもりだったが海軍省がこれを認めず、かなり不本意な仕上がりとなってしまったらしい。

モナークの完成によって、砲塔の第一人者であるコールズは「お株を奪われる」かたちとなってしまった。コールズはこれが相当不満だったようで、自分のプランの方が優れていることを声高に主張する。海軍省にもこの意見に同調する者がおり省内は分裂、とりあえず予算だけはつけたものの、コールズの提出した設計図を見たリードは「この設計は危険すぎる」として認可をしなかった。
しかし、海軍省内部のコールズ応援隊は「まぁ、コールズ君のたっての希望だから、なんとかやらせてやってくれ」と、これまたフラグっぽいプッシュで議会で予算を通過させてしまう。
結局、設計部門の認可がないままコールズの指揮で建造は始まってしまい、艦は”HMS キャプテン”として1870年1月に完成した。リードはこれに抗議し、最後まで認可を出さないままに7月に海軍設計主任を辞任してしまう。

(後編に続く)



参考ページ:
https://en.wikipedia.org/wiki/HMS_Prince_Albert_(1864)
https://en.wikipedia.org/wiki/HMS_Royal_Sovereign_(1857)
https://en.wikipedia.org/wiki/HMS_Monarch_(1868)

その他の参考ページは後編にまとめて掲載予定。

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Orel イギリス砲塔艦 ”HMS Captain” 前編

今回この記事を書くに当たり珍しく資料をきちんと読んでいたら、自分が「艦船の砲塔で天井がないものは厳密には『砲塔』ではなく、『バーベット』である」という妙な勘違いをしていたことに気がついた筆者のお送りする世界のカードモデル最新情報。
いや、そうじゃないそうじゃない。側面装甲ごと回転すれば天井があろうがなかろうが、それは砲塔だ。じゃあバーベットってなんなのよ、って言うと、バーベットの側面装甲は固定で旋回しない。バーベットのヘリから首を出した砲だけが旋回するのを「露砲塔」とも言うんで、露砲塔→天井がない砲塔=バーベット と勘違いしていたらしい。いやはやお恥ずかしい限り。

さて黒歴史の暴露が終わったところで今回の新製品、ウクライナOrel社からリリースされたイギリス砲塔艦 ”HMS Captain”の紹介に移ろう。

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ん? これ、ただの極初期蒸気艦じゃないの? どこに砲塔が? と思ったら、煙突の右下にこちらを睨んでいる連装砲塔があった。よくみると、船体後部にももう一基連装砲塔がある。
以前にUSSモニターのキットを紹介した時に「勘違いされがちだが、旋回砲塔そのものはエリクソンの発明ではないし、これを搭載した艦もモニターが初めてではない」と書いたが、そんな勘違いをするのはバーベットと砲塔を混同していた筆者ぐらいのような気もしてきたが、頑張って進めていこう。
そんなわけでモニター艦の発明者、ジョン・エリクソンが砲塔を発明したのでなければ、砲塔を発明したのは誰なのか、というのが今回の趣旨である。

珍しく最初に回答を書いておくと、旋回砲塔の特許を世界で始めて取得したのはイギリスの海軍軍人、クーパー・フィリップ・コールズ(Cowper Phipps Coles)である。

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Wikipediaからの引用で、C.P.コールズ。なんか気難しそうな人だが、海軍軍人なのに、なんで私服なんだろう。

もちろん、コールズ以前にも大型の樽に人が入って、それをプラットフォームの下から人力で回す仕組み、つまり歌舞伎の「回り舞台」のようなものはあっただろう(回り舞台の発明は18世紀初頭)。しかし、旋回砲塔で特許をとったのはこのコールズが最初であり、つまり公式には彼が旋回砲塔の「発明者」である。
今思いついたが、戦国時代に転生した主人公が安宅船の甲板に味噌樽と廻り舞台を改造した人力砲塔を設置して弱小水軍が無双するラノベなんておもしろそうだ。もうあるかもしれない。戦国時代に回り舞台はまだないんじゃないか、なんて言ってはいけない。
架空のラノベのプロットまで書いたのに、あっというまに説明が終わってしまったのでもうちょっと詳しく書いていこう。

1819年に牧師の息子として生まれたコールズは、なんと11歳で英国海軍に入隊。経済的な理由なのかも知れないが、19世紀の就労事情ってのはいつもながらメチャクチャだ。今で言う小学五年生が帆船に乗ってなにするんだろう。雑役夫から始めるんだろうか。
現代の水準からすれば身の毛もよだつ劣悪な環境であったことは想像に難くないが、無事に成長したコールズは1846年に海軍大尉(Lieutenant)、クリミア戦争の開始直後の1854年に海軍中佐(Commander)に昇進している。なお、階級の和訳は現在の英国海軍のシステムに則っているので19世紀にはちょっと違ったかも知れない。

クリミア戦争でコールズは排水量1千トン、砲6門の外輪式木造スループ船”HMS ストロンボリ(Stromboli)”の艦長としてロシアのセヴァストポリ要塞包囲戦に海から参加している。当時の艦砲は射程が短く、遠浅で海岸まで近づけない場所では陸軍を支援することができなかったが、コールズは要衝タガンログを攻める陸軍部隊を支援するために喫水の浅い「艀(はしけ)」に砲を載せ海岸ぎりぎりまで接近するという戦術を考案した。いわば「砲艦」の元祖である。

Lady_nancy_taganrog.jpg

こちらもWikipediaからの引用。”The Illustrated London News”紙に載った、コールズの砲艦「Lady Nancy」の勇姿。
ええええええぇー
いや、確かに喫水が浅いし砲も載ってるけどさ。ちょっとプリミティブすぎるんじゃないだろうか。ちなみにベースになってるのは酒樽らしい。なんか樽が良く出てくる記事だな。
しかし、この画像一枚で、読者諸氏も変な砲艦に対する耐性がかなりついたことだろう。これを業界用語で「耐性砲艦」という。ウソである。というかダジャレである。ダジャレなので砲艦ネタが続いたりはしない。

この変なもんはウケた。ウケにウケた。ストロンボリに便乗していていた特派員が「勇敢な行為!」として大々的にこの戦術を本国に報じたために、全英がコールズの奇策を大絶賛。一躍時の人となったコールズがさらに「もっとデカい艀に旋回砲塔を載せてロシア軍陣地に殴り込みするっすよ!」とぶちあげると、初代ライオン卿エドムンド・ライオン提督(Edmund Lyons)もめっちゃ乗り気で「イイネ!」とそれを海軍省に上奏、海軍省もノリノリで90×30フィート(27.4×9.1メートル)のイカダでバルト海を襲撃するという絶対やめておいた方がいい作戦を認可してしまった。このイカダで、ロシア帝国の首都ペテルスブルグを守るクロンシュタット要塞に、まさかの方向から近づいて一気にツァーリを捕縛してしまおうということらしいが、幸いなことに着手する前にクリミア戦争は終わった。

1856年2月27日、コールズは海軍大佐(Captain)に昇進。クリミア戦争が終わって暇になった(ついで給料も半額まで下がった)コールズは旋回砲塔の研究に没頭し、1859年3月10日に砲塔の特許を取得した。
これで名実共に「砲塔の権威」となったコールズは海軍省に、主武装がドーム型連装砲塔10基というビックリドッキリ超戦列艦のアイデアを提出したが、海軍省はこのアイデアを「基本アイデアは間違ってないんだけど、こんなん無理」と却下した。
これに納得のいかないコールズは、各界の著名人に手紙を書きまくって砲塔の凄さを説いた結果、海軍省に影響力を持つ多数の人材を味方につけることに成功。その中でもとくにビッグネームと言えるのが、ザクセン=コーブルク=ゴータ公子アルバート、すなわちヴィクトリア女王の、とっても影の薄い旦那さんだろう。

アルバート公の「まぁ、コールズ君のたっての希望だから、なんとかやらせてやってくれ」というフラグっぽいプッシュもあって海軍省はまず、沿岸防衛用の装甲浮き砲台「アエトナ級」(一応、遅いけど自走能力はある)の1隻、 ”HMS Trusty”(排水量約1500トン)が1861年を改造、試作砲塔を積み込んだ。これが、世界初の砲塔搭載艦艇だと考えられている。
この結果を見て艦船への旋回砲塔の搭載に大きな問題はないと考えた海軍省は、さらに本格的な砲塔艦として沿岸防衛用の小型艦、その名も「HMS プリンス・アルバート」の建造に認可を出す。ただし、コールズに任されたのはあくまでも砲塔の設計のみであり、船体は海軍の主任設計技師アイザック・ワッツ(Isaac Watts、後に装甲フリゲート「HMS ウォーリア」を設計する)に任された。まぁ、考えてみれば当たり前の話で、コールズはたしかに砲塔の権威ではあったが、だからといって造船全般に造詣が深いわけでもないだろう。当時の先端技術の結集である蒸気艦の建造を、そんな人にホイホイ任せるわけにはいかない。

(中編に続く)



参考ページ:
https://en.wikipedia.org/wiki/Turret_ship
https://en.wikipedia.org/wiki/Aetna-class_ironclad_floating_battery

その他の参考ページは後編にまとめて掲載予定。

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