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GPM フランス 重榴弾砲 "SCHNEIDER 155C MLE 1917 " 前編

今週は台風で土日出勤が不可能だったので更新。
先日トイレのタンクがパッキンの劣化で水が全然貯まらなくなってしまい、修理できないかといじっているうちにフィルター栓をすっこ抜いてしまいトイレを水浸しにした筆者のお送りする世界のカードモデル情報。今回紹介するのはポーランドの老舗、GPM社からリリースされた新キット、フランス 重榴弾砲 "SCHNEIDER 155C MLE 1917 "だ。ちなみに水漏れは取り寄せたダイヤフラムで交換したら治りました。

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表紙絵は"SANKO_"のサインでおなじみ、以前はMODELIKの表紙を手掛けていたWojciech Sankowski氏。氏の描く表紙絵はいつも兵士がヘニャっとしているのがチャームポイント。今回もなんか不思議な帽子を被った砲兵3人が榴弾砲の準備をしているが、いったい何軍の兵士なんだ君等は。左側の兵士が被っているのが,ポーランド軍特有の四角形の野戦帽「ロガティフカ」に見えなくもないので、ポーランド軍砲兵かもしれないが、気のせいなような気もしてきたのでやっぱり違うかも知れない。あと、右側の兵士はなんかお腹痛いみたいだ。そもそも、砲身が一杯に下がってる割に砲煙がほとんどないから、これ発射体勢に入ってないんじゃないだろうか。

名前でわかるように、この砲はフランスのシュナイダー社が開発した火砲である。
「シュナイダー」という名前はあからさまにドイツ風だが、それもそのはず創業者のシュナイダー兄弟はドイツ系フランス人であった。なので、正しくは社名もフランス風に「シュネデール社」と表記すべきだが、ミリタリー界隈では伝統的に「シュナイダー(もしくは”スナイダー”)」表記なのでここでもドイツ風で通そう。ちなみに幕末期の日本の小銃で「スナイドル銃」というのがあるが、あれは前装銃の機関部を切り取って、代わりにスナイドル式後装機関部を継ぎ足した魔改造銃の通称で、この「スナイドル式」はアメリカ人のジェイコブ・スナイダー(Jacob Snider)という人が考案したものなのでシュナイダー社とはなんの関係もない。あと、ルーシェくんの体に封印されてる破壊神のアイツも関係ない。

スナイダーは1910年にロシア帝国の依頼により152ミリ榴弾砲というのを設計しており(実際の製造はロシアのプチロフ兵器廠で行われた)、この155ミリ榴弾砲は基本的にその拡大版であるが、資料では第一次大戦が始まってスナイダーが自発的に開発を行ったとも、フランス陸軍の依頼で開発したともとれるので実際のところどうだったのかはよくわからなかった。

新しい"155ミリMLE 1915"は砲員を守る防盾、箱型砲架、木製スポーク車輪、と極めて普通の設計で特筆すべき特徴はなかったが、性能は優れていた。なにしろ、それ以前にフランス軍が装備していたのはシャルル・ラゴン・ド・バンジュという人が1877年に設計した155mm砲で、一応この砲も、もともと駐退機もない砲架に載せられていたのをシュナイダー社が新しい砲架(新155ミリ砲と同じもの)に載せかえて近代化はしていたものの、野戦重砲で重量6トンはあまりにも重く陣地変換は重労働だった。新たな火砲は重量3.3トンしかなかったので、砲兵達は喜んだだろう。
射程は約11キロ(狙った所に落とせる有効射程は8キロ程度)で、これは第二次大戦の火砲に比べるとあまりにも短く思えるが、まだ航空機での着弾観測のできなかった第一次大戦当時では十分な性能だった。実際、敵対したドイツ軍が装備していた標準的な野戦重砲の15cm sFH 13は最大射程が約9キロしかなかったので、アウトレンジからボコボコ砲弾を放り込むことができた。

しかし、第一次大戦勃発直後に設計された155ミリMLE 1915は、戦争がとんでもない消耗戦になるとわかる前に設計された砲だったので、装薬が真鍮製の金属カートリッジに入れられており(砲弾と一体の薬莢式ではない)、1発ごとのコストが高くつくという欠点があった。
そのため、装薬を布バッグにすることとなったが、金属カートリッジってのは柔らかい金属が広がって砲尾を塞いで閉塞する役割もあるんで、普通に布バッグの装薬を放り込んだんでは1発ごとに爆風が砲尾から吹き出して砲員がアチチとなってしまう。
そこで、フランス軍は同じ口径のGPF 155mmカノン砲の砲尾を取り付けることとし、これがMLE 1917として採用される。砲尾の変更のため、1917は1915よりも連射速度に劣ったが真鍮カートリッジがもったいなくてケチケチしながら撃つ必要がなくなったので既存の1915も順次1917へと改造された。

それではSCHNEIDER 155C MLE 1917の姿をGPM公式ページの完成見本写真で見てみよう。

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なんというか、とっても普通の火砲だ。仰角が取りづらいとされる箱型砲架はこの後廃れて開脚砲架が主流になっていくので、この砲やソビエト軍の203ミリ重榴弾砲が箱型砲架の最終形態ということになる(MLE 1917は箱型砲架だが42度まで仰角を取れた)。
車輪を避けるために湾曲した防盾にも要注目だ。比較的近い距離で撃ち合う第一次大戦の野砲では敵砲兵の反撃で撃ち込まれる砲弾の破片から砲を守るため、榴弾砲でも防盾が必要だった。

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移動のために砲身をさげた状態。この後さらに砲架の末尾に2輪のリンバー(キットには含まれないようだ)を咬ませ、8頭の馬で牽引する。トラクターで牽引する場合は動揺や釣り合いに馬匹ほど気をつかわないでいいので、リンバーを入れずにそのまま牽引することも可能だった。

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火砲キットの難所にして見どころ、各部のメカのディティール。細かい工作が要求されるところだが、じっくりと取り組みたい。
(後編に続く)


画像はGPM公式ページから引用。

参考ページは後編にまとめて掲載予定。

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Orel ソビエト 単軸牽引車 ”МоАЗ-546П” 後編

先日、2年努めた開発室の入っている階を間違え、エレベーターに同乗していた同僚にむちゃくちゃ驚かれた筆者のお送りする世界のカードモデル最新情報。別に記憶障害とかじゃなくて、単に寝ぼけてたのよ……
本日はウクライナOrel社からリリースされた単軸牽引車 ”МоАЗ-546П”の続きだ。

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前回はミンスク工場(МАЗ)が設計した単軸トラクターМАЗ-529をモギリョフ工場が生産を開始したところまで。
ミンスクから生産を任されたモギリョフではさっそくМАЗ-529をどんどこ生産し、ソビエトでは単軸牽引車は道路工事とミサイル牽引に広く使われることになった。

ところで、通常の2軸式に比べて単軸牽引車の利点とはなんだろうか。
まず単軸の優れているポイントとして、牽引車の全重量が駆動輪にかかるので(駆動輪が空回りしないから)車重の割に牽引力が強いことが挙げられる。でも前輪に全重量が載ってたら、ハンドルが重くならない? というのが気になるところだが、全然問題ない。だって、МАЗ-529の車輪って、そもそもステアリング切れないんだもん。
……(゚Д゚)ハァ?

重要なことなのでもう一度書いておこう。普通の車両は前輪を左右に向きを変えて曲がっていくが、МАЗ-529は車輪の向きを変える機構はない。では、どうやって向きを変えるのかというと、牽引する車両をつなげるピボットに油圧アクチュエータが仕込んであって、それをギコギコ動かすことによってМАЗ-529全体の向きが回転するのだ。まじか。
この機構の利点は、車軸のステアリング機構を一切排除できることで、従来のステアリングでは面倒見きれなかった超重重量の車両でも向きを変えられるという点にある。
そういえばドイツの地雷処理車両にもこんなんあったな。
ちなみにМАЗ-529は最大で後部車両に対して90度まで横を向くことができるように設計されており、その状態では2軸の牽引車に比べて極端に短い場所(両者を合わせた全長より少し短いぐらいの広さがあれば十分)で展開できるという利点もあった。

じゃあもう、世界中の牽引車を単軸にしちまおうぜ、というわけにはいかないのは、もちろん利点もあれば欠点もあるからで、この形式最大の欠点は後ろの車両を切り離すと自分一人では方向転換が全くできなくなってしまうことである(一応、単独でも自立できるように先端部分に装着する小さい補助輪がある)。これでは、目的地に荷物を届けたらトレーラーヘッドだけで帰ってくるという使い方は不可能だ。
また、形式が特殊すぎて他の車両にシャーシや機構が転用できないという欠点もある。だからモギリョフ工場では単軸牽引車しか作っていない。これは単一車種のために工場を建ててしまうという、共産圏の計画経済下らしい荒業が使えないと実現はなかなか難しい。あと、操作性が違うので普通の2軸の感覚で1軸牽引車を走らせると間違いなくカーブで道から飛び出す。だから操縦者も単軸専用に養成することが望ましい。

そんなわけで単一車種だけで1ジャンルを形成するというソビエト的な力技で単軸牽引車МАЗ-529だけ作ってたモギリョフ自動車工場だが、別に向上心がなかったわけじゃなくて、1960年代前半に早くもМАЗ-529のパワーアップ版の設計を始めていた。モギリョフで作ってるのに車両名称が「ミンスク」なのも、なんか腹立つしね。
これはエンジンをЯМЗ-238А(15リットル215馬力)に換装、キャビン全体を再設計したもので「МоАЗ-546」として大量生産された。

それでは、世界的にも珍しい単軸重牽引車、МоАЗ-546の姿を公式ページの完成見本写真で見てみよう。

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こういう車両だとすればそれほど変わっては見えないが、前半分だけが「МоАЗ-546」、後ろに引っ張ってるのは「Д-357」という別車両なのでやっぱり変だ。パッと見ではそれほど大きくは見えないが、МоАЗ-546だけで全長4.5メートルもあるので、かなり大柄な車両である。

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細かいディティールアップがされているが、エンジン、トランスミッションなどもかなり細かく再現されており、単軸牽引車の独特なメカニズムもよくわかって興味深い。これらの機構は完成しても隠れないので手を抜かずじっくりと仕上げたいところだ。

МоАЗ-546はパワフルな牽引車だったが、だからと言ってソビエト中の単軸牽引車全てがМоАЗ-546に置き換わってしまったわけではなく、МАЗ-529とは用途によって使い分けがされていたようだ。両者の生産は並行して行われ、МАЗ-529は1973年まで、МоАЗ-546の生産は1989年のソビエト末期まで続けられた。具体的な生産数はどこにも書かれていないのでわからない。ソビエトが崩壊すると、国営でなくなった工場では単一車種だけを作り続けるわけにはいかず、そうなるとパーツや生産設備の転用が効かない単軸牽引車はお荷物となってしまい生産は終了した。

なお、1963年に「D.M.カルブィシェフ名称クルガン装輪牽引車工場」(Курганский завод колёсных тягачей имени Д. М. Карбышева)という、ICBMを載せたトレーラー引っ張るバカデカ牽引車を作っていた工場が「КЗКТ-932」という新型牽引車を開発した時にそのバリエーションとして単軸バージョンも試作したが、2軸も単軸もそれほど性能的にパッとしなかったのでわざわざ従来の生産ラインを混乱させる必要もないだろうと量産はされず、ユニークな単軸トレーラーの系譜はМАЗ-529ファミリーとМоАЗ-546ファミリーの2系列だけに終わった。

Orelからリリースされたソビエト 単軸牽引車 ”МоАЗ-546П”のスケールは陸モノ標準の25分の1。完成全長は書いていないが、МоАЗ-546だけで4.5メートル(完成全長18センチ)だから、Д-357まで含めたら50センチ前後のかなり大きなものになりそうだ。難易度は3段階評価の「3」(難しい)、そして定価は667ウクライナフリブニャ(約2700円)となっている。
重機ファンのモデラーなら、西側には存在しない単軸重牽引車というオモシロ機構車両をテーブルの上に飾れるこの機会を見逃すべきではないだろう。



画像はOrel社公式フォーラムからの引用。

*定価はあくまでも現地で購入する場合の値段です。日本国内で購入する場合には輸送費などを考慮し、2倍~3倍程度になるとお考えください。

参考ページ:
https://ru.m.wikipedia.org/wiki/Одноосный_тягач
https://en.wikipedia.org/wiki/MoAZ
https://ru.wikipedia.org/wiki/МАЗ-529
それぞれの英語版、ロシア語版を参考とした。

http://www.techstory.ru/du/all_skrapers_d357.htm
後ろに引っ張ってるД-357スクレイパーについて。写真多数。

http://www.telenir.net/tehnicheskie_nauki/sekretnye_avtomobili_sovetskoi_armii/p6.php

ソビエトの単軸牽引車とその派生車両について。補助輪をつけたMAZ-529など、貴重な写真多数。

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Orel ソビエト 単軸牽引車 ”МоАЗ-546П” 前編

先日 古いゲームの早解き動画を見ていたら、昔クリアするのに一夏かけた某ゲームが最短10分でクリアされていて衝撃を受けた筆者のお送りする世界の最新カードモデル情報。ちなみに「某ゲーム」というのはワルキューレの冒険 時の鍵伝説です。
そんな甘酸っぱい思い出はさておき、本日紹介するのはウクライナOrel社からリリースされた単軸牽引車 ”МоАЗ-546П”だ。

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「МоАЗ(MoAZ)」というのは聞かないブランドだが、前身は1935年に現在のベラルーシ、モギリョフに建設された「国営第7自動車修理工場」。この工場、戦時中はクィビシェフに疎開し、Il-2襲撃機のエンジンを作っていたという。
戦後、第7工場はもとのモギリョフに戻ってきて、ГАЗ-51 トラックシャーシにいろんなボディを載せた建設車両の生産を主に行う。ソビエトの工場ってそんなにホイホイ行ったりきたりするもんなのか。
1950年代終盤、第7工場は同じく現在のベラルーシにあるミンスク自動車工場(Минский автомобильный завод、略称「МАЗ」)から単軸牽引車の生産を引き継ぎ、それ以来この手の車両の専門工場となる。どうもこのころに名前も第7工場から現在の「モギリョフ自動車工場(Могилёвский автомобильный завод)」に変わったようだ。短縮形がモギリョフの頭2文字を取って「МоАЗ」になったのは、もちろん1文字だとミンスク自動車工場(МАЗ)と名前が同じになってしまうからだ。つまり成田鉄道の「松崎駅」が国鉄所有になったとき、すでに何箇所かあった他の松崎駅と区別するために成田線「下総松崎駅」になったようなもんだ。ちなみに「下総松崎」の読みは「しもうさまつざき」ではなく、「しもうさまざき」である。
あと、モギリョフ自動車工場は正式には「S・M・キーロフ名称モギリョフ自動車工場(Могилёвский автомобильный завод имени С. М. Кирова)」だが、いまどきキーロフでもないだろうということなのか、名誉名称の部分は省略されることが多いようだ。

さて、そんなMoAZで作っている「単軸牽引車」とはなにか。
まぁ、察しのいい読者ならすでにおわかりだろう。単軸牽引車(Одноосный тягач)とは、車軸が1本しかないトラクターである。え? 表紙の絵だと、普通に2軸あるよ? と思うかもしれないが、実は後ろ半分は引っ張ってる別の車両(地面を均したり削ったりするスクレイパーの「Д-357」。こっちも1軸しかない)で、タイトルの「МоАЗ-546П」というのはでっかい前側の車輪より前だけである。
単軸で前側だけ分離できる牽引車というのは西側では珍しい。というか、これほど大きな車両で単軸の車両は西側には存在しない。日本では耕運機にリヤカーを取り付けて単軸牽引車として使用されることもあるが、あれは本来の用途が耕運機なので厳密な意味での「単軸牽引車」とはちょっと違う。最近見なくなったね、あれ。

この手の単軸牽引車は、ロシア語版Wikiopediaでは「50年代に アメリカで生産が始まった」と書かれているが、具体的にそれがどんな車両だか書かれていないので、「元祖単軸重牽引車」がなんなのかは良くわからなかった。
ちなみに荷物を外したトレーラーヘッド状態で2軸(後輪が1軸)の車両を「single axle tractor」と呼ぶこともあるらしいのだが、まさかそれと勘違いしてませんよね?

とにかく、西側では始まる前に終わったこの形式だが、なぜかソビエト国防省はえらく気になったようで建設重機に強いミンスク自動車工場に試作を指示した。たぶん、陣地構築に使った車両のスクレイパーを切り離してミサイル牽引に使えば2度オイシイということが言いたかったのだろう。
この指示を受け、ミンスク工場では1956年に165馬力ЯАЗ-М206Аディーゼルエンジンを搭載した試作車両を完成させた。ちなみにこのЯАЗ-М206というエンジンはアメリカのゼネラルモーターズが開発したエンジン、デトロイトディーゼル・シリーズ71の拡大コピーで、「バレンタイン戦車やM4A2シャーマンのエンジンに使うといいよ」と大量にアメリカから送られてきた(どちらの戦車ももともとのエンジンは別のものだが、実際にエンジンを換装された車両もあったようだ)ものをこれ幸いとヤっちまったようだ。

国防省では試作車両を試験し、エンジンをさらに強力な180馬力ЯАЗ-М206Дに強化したものを「МАЗ-529」として生産することとしたが、実際の生産はミンスク工場ではなくモギリョフ工場で行うこととなった。理由はわからないが、たぶん単純にミンスクは忙しかったんだろう(生産工場は移ったのに、なぜか名称は「MAZ-529」のままだった)。

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Wikipediaからの引用でМАЗ-529。なんか普通のトラックのように見えるが、これも後ろに引っ張ってるスクレイパーは別の車両で前輪より前だけがМАЗ-529。なおМАЗ-529は「ソビエトで最初の前輪駆動車」らしいが、単軸を前輪駆動って言うんだろうか。
参考画像でスクレイパーばっかり引っ張ってる単軸トラクターだが、もともとは開発を国防省が指示したのでもちろん軍用でも使用されており、軍ではР-12(SS-4 スキーン)Р-14(SS-5 サンダル)など戦域弾道ミサイルの牽引車として使用されている。
なお、この形式のことを「1軸」ではなく、「単軸」と表記している理由だが、「1軸」だと予測変換が余計な仕事をした時にお通じがよくなりそうだからだ。前半がこんな終わり方でいいのかと思いつつ後編に続く。


キット表紙画像はOrel公式ページから引用。

参考ページは後編にまとめて掲載予定。

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GPM ポーランド Zamość市庁舎 後編

先日歴史民俗博物館の企画展示「もののけの夏―江戸文化の中の幽霊・妖怪―」を見学、鳥山石燕の「画図百鬼夜行」実物を見ることができて御満悦の筆者がお送りする世界のカードモデル新しめ情報。本日はポーランドの老舗、GPM社からリリースされた新キット、ポーランド Zamość市庁舎の後編。

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前回はヤン・ザモイスキ(Jan Zamoyski)とベルナルド・モランド(Bernardo Morando)が意気投合してザモシチ市を完全な計画都市として建設したところまで。今回はザモシチ旧市街を代表する建築物、ザモシチ市庁舎の姿をGPM公式ページ完成見本写真で見てみるところから始めよう。

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正面の大階段と、堂々たる時計塔が特徴的な建物。作例はちょーっとタワー上部が曲がっちゃってるかな。この構造でてっぺんまで垂直取るのはなかなか難しそうだ。
様式としてはルネサンス期に属するそうで、意外と建物自体の装飾はあっさりとしている。ルネサンス期より前のゴシック期や、逆に以後のバロック期であればもっとコッテリコテコテに飾り付けられていたのかもしれない。なお、ザモシチ市が建築されたころにはすでに時代はルネサンス期からバロック期に移り変わろうとしていたが、都市を設計したモランドはルネサンス期に提唱された概念である「計画都市」を実現するにあたって、あえてルネサンス様式を選んだのだとも言われている(18世紀後半に、一部バロック様式を取り入れた改修が施されている。そのため、資料によってはザモシチ市庁舎もバロック様式に分類されている)。

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両側面からの写真。後ろ側はさらにあっさり薄味でどう見ても正面と様式が違うが、別にモランドが途中で面倒になってしまったわけではなくて、後ろ側は19世紀に市庁舎が軍司令部を兼ねていたころに付け足された建物。当初は病院と監獄だったらしい。
なんか時計塔が屋根からニョッキリ唐突に生えているような印象を受けるが、これも現在の屋根が17世紀中盤に階層を足す形で付け足されたものなので、当初は違う処理がされていたのかもしれない。
なお、こういった歴史的な建造物は博物館になっていることも多いが、ザモシチ市庁舎は今でも市庁舎として使われており、観光客が入ることができる場所は限られている。

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ザモシチ市庁舎のシンボルとも言えるが、このシンデレラでも駆け下りてきそうな大階段だが、実は18世紀後半に付け足されたもの。と、いうことはこの入口も後から開けたのか、それとも元はもっと簡素な階段がついていたのか、そこまでは確認できなかった。
ネットで写真を見ると2000年台初頭には建物は全体で至るところが剥離し、色も煤けてかなり状態が悪化していたが2005年からEUの支援を受けて全面的な改修が行われたそうで、現在は美しい姿を取り戻している。

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自然光+煽りアングルで撮ると、まるで実物のような仕上がり。ちなみに時計塔の高さは52メートルあって、毎日正午を知らせるラッパの演奏が行われているそうだ。
側面の時計って近づくと見えなくなってしまいそうだが、前述の通り後から階層を付け足したせいだろう。モランドさんは天国で苦々しく思ってそうだ。

さて、建物についての情報はこんなものだが、ついでだからザモシチ市創設者のザモイスキ家についての話をもう少し。
ザモイスキ家は15世紀後半に小さな村の領主になったのが始まりだが、さらに遡るとフロリアン・シャルィ(Florian Szary)という、14世紀の伝説的な騎士に辿り着くという。この人物を祖とする家系はいくつか存在するが、彼は1331年9月27日、ポーランド - チュートン戦争の最中に行われたプウォフツェの戦いに参加。ポーランド王ヴワディスワフ1世を庇い3人のドイツ人騎士の槍を受ける。
戦いが終わった後、王がシャルィを探すと、彼は腹部から腸が溢れる程の傷を負っていた。王が具合を尋ねると、彼は「なに、我らが邪悪な敵が負った傷に比べれば大したことはありませんよ」と答えたという。
この豪胆さに感心したヴワディスワフ1世はシャルィに領地と紋章を授けた。3本の槍をモチーフとしたその紋章には、モットーとして文字が添えられている。
「To mniey boli」(それは私を傷つけます)
……いや、せっかくカッコいいこと言ったんだから、そっちをモットーにしてあげようよ。

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Wikipediaからの引用でルブリンにある元コズウフカ宮殿、現在のザモイスキ博物館の紋章をかたどった正門。槍の下に「それは私を傷つけます(キリッ)」て書いてあったら「そりゃそうだろう」としか言いようがないと思うんだがどうなんだろう。王冠とヤギのモチーフも、なんだかヤギが水に落っこちちゃったみたいに見えてきた。

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展開図のサンプル。質感、汚しは少し控えめな表現となっているようだ。中身がないので窓ももちろんテクスチャ表現だが、ガラス部分を切り抜いてプラ板を挟むなどすると質感が上がりそうだ。ただし、この大量の窓を全て置き換えるのはかなりの覚悟がいるだろう。

GPMの新商品、ポーランド Zamość市庁舎は150分の1で完成全高約36センチ。難易度は3段階評価の「2」(普通)。そして定価は60ポーランドズロチ(約2000円)となっている。また、40ズロチ(約1300円)でレーザーカット済芯材用厚紙が同時発売となる。

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大階段の手すりの切り抜きが最初から抜けているなど、細かいディティールの切り抜きの手間を省けるので厚紙を切り抜くのが苦手というモデラーには嬉しいオブションと言えそうだ。
また、今ならGPMの公式ショップで「表紙痛み」として割引版が35ズロチ(約1200円)で入手できる。何があったのか不明だが、あまり状態にこだわらないモデラーならこっちを狙うのも有りだ。

当キットは市庁舎ファンのモデラーにとって、見逃すことのできない一品と言えるだろう。また、先日DMMゲームの城塞擬人化ゲーム御城プロジェクト:Reに「燕巣館」(ゲーム内名称「スワローズ・ネスト」)が実装されたそうなので、「要塞都市ザモシチ」の実装に備えて当キットを押さえておくのもいいだろう。押さえておくとなにがいいのか書いといてよくわからないが、まぁいいだろう。


画像はGPM公式サイトからの引用。


*定価はあくまでも現地で購入する場合の値段です。日本国内で購入する場合には輸送費などを考慮し、2倍~3倍程度になるとお考えください。

参考ページ:
https://ja.wikipedia.org/wiki/ヤン・ザモイスキ
https://ja.wikipedia.org/wiki/ベルナルド・モランド
https://ja.wikipedia.org/wiki/ザモシチ
https://pl.m.wikipedia.org/wiki/Ratusz_w_Zamościu

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GPM ポーランド Zamość市庁舎 前編

先日、奥歯の詰め物が取れたのを放っておいたところが痛くて堪らんので歯医者に行ったら「虫歯で大穴開いてるから神経取るヨ!」と言われた筆者のお送りする世界の最新カードモデル情報。ちなみにその歯医者は、どんなにトンチキをカマして(定期検診を1年以上すっぽかしたり)も決して怒らずに面倒見てくれるいいお医者さんです。
さて、話は変わって本日紹介するのはポーランドの老舗、GPM社からリリースされた新キット、ポーランド Zamość市庁舎だ。

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この素晴らしく立派な建物は、ポーランド南東部、ウクライナ国境に近いルブリン県ザモシチ(Zamość)市の市庁舎。
ザモシチ市は中世の雰囲気を良く残した旧市街が有名で、1992年に「人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例」として世界遺産に登録されている。
この「歴史上重要な時代を例証する建築様式」というのは、ここではルネサンス期に欧州各地で作られた「計画都市」のことで、ザモシチは要塞を兼ねた城郭都市としてなにもない場所に一から建設された都市であった。



航空写真で見ると、現在でも星型城塞の形が良く残っていることがわかる。
星型城塞の計画都市といえば、西欧ではイタリアのパルマノーヴァなんかが有名だが、なぜかあっちは世界遺産登録されていない(厳密には2017年に「16-17世紀ヴェネツィア共和国建造の軍事防御設備」という大きなくくりの一部として登録はされている)。素人目にはパルマノーヴァなんていかにもいかにも計画都市に見えるのだが、わざとらしすぎてダメなんだろうか(あるいは市内がけっこう新しくなっているのがダメなんだろうか)。

さて、この計画都市ザモシチを作ったのはポーランド=リトアニア共和国の宰相で陸軍軍人でもあったヤン・ザモイスキ(Jan Zamoyski)。

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Wikipediaからの引用で、16世紀半ば、ヤンの存命中に描かれた肖像画。作者不明。

このヤンさん、見た感じは気のいいオジさん風だが、1595年には2万5千の兵力でわっしょいわっしょいとモルダビアに押し寄せてきたオスマン・タタール連合軍をわずか7千の兵士で迎え撃ち、城塞を巧みに使った防衛戦でその意図を挫き撤退させるなど幾多の戦いで有名を馳せた歴戦の勇者でもあった。
また、当時はまだ当たり前であった絶対王政を否定し「国王は君臨すれども統治せず」という有名な立憲主義を代表する概念を提唱するなど政治家としても抜きん出たものがあったという。

この、ヤン・ザモイスキが1580年代に建設したのがザモシチ市で、実際に建築・設計を担当したのはイタリア人のベルナルド・モランド(Bernardo Morando。時として「ベルナルディーノ ・モランディ(Bernardino Morandi) 」と表記される)であった。資料によっては「ザモイスキがイタリアに留学してモランドに会った」と書かれていることもあるが、どうやらモランドの方がポーランドへ移住していたことで二人は出会ったようだ。
「おいちゃん、完全な計画都市を作ってみたいのよ」というザモイスキの提案に「イイネ!」とのったモランドは1586年に設計に着手、翌年よりザモシチ市の建設が始まった。建設中、モランドはザモイスキの後ろだてで設計士兼、現場監督兼、市長というブラック企業も裸足で逃げ出す多忙なワンオペを果たすことで自らの理想とする都市を作り上げた。この功績でモランドはポーランド貴族の位を授けられている。
モランドは1600年、市の完全な完成を待たずにポーランドで没したが、その子らはポーランド風に改めた「モレンダ(Morenda)」という性を名乗ったという。

ザモシチ市で興味深いのは1990年-1992年と2002年-2014年にザモシチ市長を努めた人物で、名前はマルチン・ザモイスキ(Marcin Zamoyski)。そう、この人ザモイスキ家代16代領主の息子で、ザモシチ市を建造したヤン・ザモイスキの子孫(ポーランドは第二次大戦後に共産化して貴族制度が廃止されたので、公式には「ザモイスキ家代17代領主」という肩書は存在しない)。建造から400年を経て、市の創始者の子孫が市長になるというのはなかなかないだろう(市の創始者とは違うが、日本では現在の秋田市を含む久保田藩歴代藩主だった佐竹氏の末裔、佐竹敬久氏が秋田市長を努めている例がちょっと近いか)。

なお、マルチン・ザモイスキのお父さん、ザモイスキ家代16代領主ヤン・トマツ・ザモイスキ(Jan Tomasz Zamoyski)は戦時中、ポーランド国内軍の一員として占領軍と苦しい戦いを完遂した人なのだが、共産政権的には貴族の末裔ってだけでケシカラン、ってことで戦後に全ての財産を没収されて8年間服役。その後はスイスで20年暮らしたという苦労人。
1990年に共産政権が倒れてから政治家として頭角を表し、国民民主党(Stronnictwo Narodowo-Demokratyczne)の党主も努めたヤン・トマツ・ザモイスキは1995年にレフ・ワレサ大統領から「共和国に尽くしてくれたのに逮捕してごめんご」とポーランド最高位の勲章である「白鷲勲章(Order Orła Białego)」を送られた。
(後編に続く)


キット表紙画像はGPM公式ページから引用。

参考ページは後編にまとめて掲載予定。

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