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ドイツのカタパルト船について・その3

諸般事情で抗生物質の点滴を受けているが、医者に「あとどれぐらい続けることになるでしょうか」と聞くと、「あと一週間ぐらいでしょう」と、ここ1ヶ月ほど毎週言われている筆者のお送りするカードモデル? かもね、な情報。今回も引き続きドイツのカタパルト船について。

前回は、えーと、なんだっけ。
ああそうだ、ノルデンドイッチャー・ロイド(Norddeutscher Lloyd)が新造する5万トン級豪華客船「SS ブレーメン」に船舶用カタパルトを積むことにした、ってとこまでだ。

そんなわけで客船SS ブレーメンにハインケル製カタパルト「K2」が搭載され、さらにカタパルト射出専用機も新設計されることとなり、ハインケルはこの目的のため新たにHE 12 を制作する。
HE 12の「HE」というのは、後にドイツ空軍が制式採用したハイケル機につけたメーカーコードの「He」とは関係なくて、ハインケルの単葉機(Eindecker)という意味であった。ちなみに前回登場した HD 15 の「D」は「複葉(Doppeldecker)」のD である(たぶん、三葉機(Dreidecker)を開発した時は HDr ○○ にするつもりだったのだろう)。

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Wikipediaからの引用(この項の画像全て同様)で、SS ブレーメン船上のHE 12。
飛行機そのものは目立って変わったスタイルでもない。エンジンはプラット&ホイットニー "ホーネット" 500馬力。最高時速は約200キロ強だった。
客船からカタパルト発進して郵便を届けるだけなんだから別に水上機でなくても、カタパルト発進した陸上機が飛行場に着陸してから港に着いた船にクレーンで積み直せばいいような気もするのだが、まぁ飛行場から港まで運ぶ手間もあるし、当時の信頼性が低い飛行機で一旦発進したら最後、陸地に辿り着けなかったら遭難決定、ってのもたまったもんじゃないか。

SS ブレーメンは1929年6月に竣工、さっそく7月に HE 12 を積んで処女航海へと旅立つ。7月22日、HE 12はニューヨーク港から400 kmの距離でブレーメンから発進、無事郵便物を届けた。
これはニューヨークで大歓迎を受け、市長ジミー・ウォーカーによってこの HE 12 (機体記号「D-1717」)は「ニューヨーク」と名付けられた。
なお、この航海でSS ブレーメンは西行き大西洋航路の横断速度でそれまでの最速記録だったRMS モーリタニアの持つ記録、平均約26ノット(1909年 9月26日 - 9月30日)を大幅に上回る平均約27.8ノットを記録。最速船に送られるブルーリボン賞を獲得している。

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HE 12がSS ブレーメンに積んである様子がよくわかる一葉。L'Air magazine詩1929年9月15日号からの転載らしい。船しか写っていないので周辺状況がわからないが、港でHE 12をクレーンで積んでいる最中かもしれない。上部構造物側面に書かれた船名「BREMEN」にも注目だ。
格納庫があるようには見えないので、どうも航海中はずっと露天繋留だったようだ。整備性とかどうだったんだろう。

800px-Heinkel_HE_12_catapult_launch_SS_Bremen_LAir_September_15,1929

これもL'Air magazine詩1929年9月15日号からの転載で、射出されるHE 12の迫力ある一葉。豪華客船の旅も終わりに近づいた乗客たちにとって、HE 12の射出は船内最後にして最大のイベントになったことだろう。よく見ると煙突の中にも乗員らしき人影が見える(もちろん、正確には煙突ではなくて整形覆いの中)。

なお、SS ブレーメンはつい最近、ドイツHMV(Hamburger Modellbaubogen Verlag)社から素晴らしいクオリティのキットがリリースとなったのだが、これを紹介しようと寄り道するとまた帰りが遅くなるので、今回は素通りさせていただこう(近日中に紹介予定)。もちろん、HE 12もキットに含まれている。

なお、SS ブレーメンには SS オイローパ という姉妹船があって、こちらは SS ブレーメンの半年後に就航したが HE 12 の座席を並列にし、やや機体を拡大した HE 58 (機体記号「D-1919」)が搭載された。

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SS オイローパに積み込まれるHE 58。並列のコクピット、船体のEURO(PA)の文字に注目。なお、HE 58は当初「アトランティック(Atlantik)」の名前が与えられているが、1931年に名前は「ブレーメン」に変更されている(上の写真もよく見ると、胴体に"BREMEN"の一部が見えている)。SS ブレーメンの姉妹船のSS オイローパに積んでる飛行機の名前がブレーメンではわけわからなくなりそうだが、SS ブレーメンのHE 12は1931年10月5日、カナダのファンディ湾入り口で事故により破損、破棄されているのでその関係かもしれない。
HE 12、HE 58 ともいわばそれぞれの客船のためにオーダーメイドで作られた機体で、それぞれ1機づつしか作られておらず、HE 12の事故後ほどなくしてSS ブレーメン、SS オイローパ2隻の搭載機はユンカースJu 46 へと置き換えられた。

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SS オイローパから射出されるJu 46 D-2244「オイローパ」。1932年撮影。
Ju 46は見ての通り密閉風防の機体でBMW 132エンジン(650馬力)で最高時速約230キロを出すことができた。

客船からカタパルト発進するお急ぎ郵便サービスは到着が1日から早くても2日短縮される程度で、一瞬で電子メールを遅れる現代の感覚からするとそれほど凄みを感じないのだが、それでも当時はなんかその「すごいことしてる感」がウケたのか評判は良かったそうだ。
この好評に乗る形で、ルフトハンザドイツ航空はさらに大胆な「大陸間完全航空便」を計画する。
とは言っても、当時はまだ貨物を積んで悠々大西洋を横断できるような長距離飛行が可能な機体はまだ開発されていない。
そこで、ルフトハンザが計画したのは洋上にカタパルト装備の補給船を浮かべておき、ヨーロッパ(もしくは新大陸)を飛び立った水上飛行機と海上で会合、拾い上げて整備と補給を行ってからカタパルト発進して目的地を目指すというものだった。
あれ? それだったら、ただの船で水上機に補給してからまた水上滑走で離陸すればいいんじゃない? とも思うのだが、わざわざカタパルト発進が前提となっている理由はちょっとわからなかったが、来たるべき大戦に備えて洋上での航空機運用のノウハウを集めたいという軍の思惑もあったのかもしれない。

そんなわけでルフトハンザは1905年に建造された旧式貨物船、ヴェストファーレン(Westfalen)を1932年に購入し、カタパルト船に改造する。
ちなみにこの船はルフトハンザに購入されるまでにちょっと変わった経緯があって、まず第一次大戦が始まった時にヴェストファーレンは南米チリに停泊しており、開戦と同時に中立国の権限で抑留された。
戦後、ヴェストファーレンは戦勝国のイギリスに賠償として引き渡されるはずだったのだが、1920年になって、同様に南米で抑留されていた他5隻と一緒にドイツに返却された。これはなんでかと言うと、戦前にダンチヒ港で建造していた「SS コロンブス」という客船があったのだが、80%完成したところで戦争が勃発、戦争中はずっと放置されていたのだがこれをイギリスが戦後買収として接収、それを海運会社、ホワイト・スター・ラインが戦時中の船舶の損失を埋め合わせようと購入した。
で、さぁ、残りの20%を完成させてください! と造船所に言ったところで、ドイツ人にしてみればこないだまで敵だったイギリス人のために船なんて作ってられっか、と全然建造が進まない。
困りきったホワイト・スター・ライン幹部はイギリス政府にかけあい、最終的にSS コロンブスを引き渡してくれたら代わりに南米で抑留されてる旧式船6隻を返すよ、とイギリス政府からドイツ政府に申し入れがあり、ドイツ側がこれを受けいれて責任もってSS コロンブスを完成させることとした(そもそもダンチヒは戦後「ダンチヒ自由市」になっており、ドイツ政府に交渉権はなかったがコロンブス欲しさに有耶無耶にされた)。
この協定でSS コロンブスは無事完成後イギリスに引き渡され、「RMS ホメロス(RMS Homeric)」となり、その代わりにヴェストファーレンはドイツに帰ってきたというわけだ。
(その4に続く)



参考ページは最終回にまとめて掲載予定。
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ドイツのカタパルト船について・その2

室内に入る時に手のアルコール洗浄が徹底されたため、開発室が歯医者の待合室みたいな匂いになってきたと感じる筆者のお送りする世界のカードモデル的話題。今回も引き続きドイツのカタパルト船について。

前回までのあらすじ: ハインケルが『郵便飛行機用』として船舶用カタパルトとそこから射出される郵便飛行機を作ったら、なぜかソビエト海軍が買っていった。

まぁぶっちゃけ、ドイツも航空戦力の基礎としてカタパルトの研究を行っていたのをベルサイユ条約の制約で「郵便飛行機用」と誤魔化していたわけだが、郵便飛行機用のカタパルトってなんじゃらほい、と思ったら当時すでに船舶から郵便飛行機を飛ばすサービスというのがすでに存在して、それにも使えるんじゃね? という目論見だったようだ。

このサービスを行っていたのは当時のドイツ有数の客船会社、ノルデンドイッチャー・ロイド(Norddeutscher Lloyd 以下「NDL」と略)で、1927年に大西洋航路の客船「SS リュッツオウ」で水上飛行機で一足お先に郵便お届け、というサービスを行っていた。当時はまだ荷物を積んで大西洋を横断できる飛行機がなかったので郵便は客船に便乗して運ばれていたが、客船到着前に飛行機に積み替えて先発することで郵便の到着を1~2日早められる、というわけだ。

Luetzow_NDL.jpg

Wikipediaからの引用(この項の画像全て同様)で、SS リュッツオウ。1926年撮影。
SS リュッツオウはもちろん、巡洋戦艦リュッツオウ(SMS リュッツオウ)とは別の船で、1908年に建造された約9千トンの客船。
1914年の第一次大戦開戦時にはスエズにいたので開戦と同時にイギリスに拿捕され、「SS ハントセンド(Huntsend)」の名前で英軍に加えられ、1915年のガリポリ上陸作戦には病院船として参加した。
また、1917年1月3日にはクレタ島沖でドイツ帝国海軍潜水艦、SM UB-47に雷撃され損傷しているそうだが、あれ? 地中海にドイツの潜水艦なんていたの? と思ったら、ブレーメンの造船所で建造した潜水艦を分解して鉄道輸送し、オーストリア=ハンガリーで組み立て直すことでドイツ帝国は地中海にも潜水艦を複数保有していたそうだ(乗員の交代が面倒すぎるので後にオーストリア=ハンガリーに一部を売却している)。
NDLは1923年にこのSS リュッツオウをイギリスから買い戻し、ユンカース F.13の水上機型を搭載していた。

なお、SS リュッツオウは以前にも水上機発進のテストを行っているが、その時はクレーンで下ろすとかカタパルトや傾斜路で発進させるとかの普通の方法ではなく、船尾から海面に垂らしたシート状の滑り台で落とすという方法が試された。
この説明だと何がなんだかわからないので、実際の写真で見ていただこう。

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これは滑り台を畳んだ状態。船尾デッキの張り出しの下にある網に仕掛けが隠してある。

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ビローンと滑り台を展開した状態。ちょうど、飛行機の脱出シュートみたいな感じだが、時代的に考えてキャンバス地だろう。なんか、めっちゃ急角度に見えるんだけど大丈夫?

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いってらっしゃーい。なるほど、垂らしてから船が進むことで滑り台がピンと張るのか……って、これ左右に踏み外して転落したら間違いなく死ぬぞ。一応、左右に折り返しがあって逸脱を防いでみたいだけど、いや、その程度じゃダメだろ。あと、まさかこの方法で収容もやるつもりじゃないよね? 使った後の滑り台を収容する方法もわからん。

この写真はもともと米海軍収蔵物から引用されており、あまり詳しい情報がない。キャプションも「第一次大戦中ドイツでの実験」となっているが、前述の通りSS リュッツオウは開戦時にイギリスに抑留されているので大戦中ということはあり得ない(水上機の形式から見て、戦後でもないだろう)。また、リュッツオウを「SMS リュッツオウ」と書いている写真もあるが、どうみでも巡洋戦艦の尻ではない。
とにかく、明らかなのはこの方法ではうまくいかなかった、ということだ。しかし、もしかするとSS リュッツオウの船尾にはこのテスト用の水上機設備が残されていたのかもしれない。

実際に運用している写真が見つけられなかったので、SS リュッツオウがユンカース F.13をどこに積んで、どうやって運用していたのか詳しいことはわからなかったが、尻から滑り台で落としていたということはないだろう。
と、いうことはクレーンでF.13を海面に下ろす必要があり、そのためには船を停めなければならない。郵便を早く届けるために船の到着が遅れるのでは本末転倒だ(まさかF.13を曳航していったということはないだろう)。

そこで、NDLは新造される5万トン級豪華客船「SS ブレーメン」に船舶用カタパルトを積むこととした。
「ブレーメン」という名前を聞いて梅澤春人先生のマンガ、「無頼男」を連想する読者も多いかと思うが、この場合はドイツ北部の都市、ブレーメンのことである。
NDLはブレーメンで創業した会社なので、代々フラグシップに「ブレーメン」の名前をつけており、今回のSS ブレーメン以前にも、
1858年の初代(創業時)、
1896年の二代目
1922年にアメリカから購入(元SS ポカホンタス)の三代目、
のブレーメンが在籍していた。
なお、日本語版Wikipediaでは1928年建造のブレーメンが「ブレーメン (客船・3代)」となっているが、なぜ3代目扱いなのかはわからない(英語版では「ブレーメンという名前を持つNDLの4番目の船だった」となっている)。在籍期間が短かった上に外国製だった元SS ポカホンタスを省いているのかもしれない。

なお、これ以外にも軽巡洋艦SMSブレーメンとか、まさかの潜水商船ブレーメン(第一次大戦中に英国の封鎖をくぐり抜けて中立国アメリカと貿易するために建造された)なんていう訳のわからないものもあるのだが、キリがないのでまた別の機会にしよう。
(その3に続く)



参考ページは最終回にまとめて掲載予定。

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ドイツのカタパルト船について・その1

新型コロナウィルスの影響で、本年は静岡ホビーショーが中止が決定。これにより、来年のモデラーズクラブ合同作品展は2年分の力作が並ぶかつてないスペシャルなショーとなることが約束され、今から来年度ホビーショーへの期待が果然盛り上がっている筆者のお送りする世界のカードモデル周りをウロウロしていて拾ったネタのドヤ顔見せびらかしブログ。今回のお題はドイツのカタパルト船である。

「カタパルト船」というのは、別に大戦末期に弾薬の不足したドイツ海軍が投石機を積んでいた、とかそういう話ではなくて、航空機発進用のカタパルトを装備しており、それを使っての航空機運用を主目的とした船のことだ。
ようするに、日本では「水上機母艦」と呼ばれる種類の船なのだが、おもしろいのはドイツのカタパルト船はもともと民間での商用のために開発されたということである。

航空機を何らかの加速装置で射出する、というアイデアは意外なほど古い。おそらく模型飛行機をパチンコで打ち出すのが先にあって、それを拡大したのだろう。
例えば、1903年にアメリカの天文学者、サミュエル・ラングレー(アメリカ海軍初の航空母艦、USSラングレーの名前の由来となった)が設計したエアロドローム号は艀(はしけ)の上のキャビン天井に設けられたカタパルトから発進している。

Samuel_Pierpont_Langley_-_Potomac_experiment_1903.jpg

Wikipediaからの引用(この項、全て同様)でカタパルト射出されるエアロドローム号。
見るからに前のめりだが、この後さらに前のめりになって背面から水面に叩きつけられ、乗っていたチャールズ・マンリーは死にかけた。
なお、ラングレーは10月7日と12月8日の2回、飛行実験を行っている(もちろん両方失敗した)が、この写真がどちらの実験の際の写真なのかはどうもはっきりしない。ちなみに2回めの実験の9日後の1903年12月17日、ライト兄弟が世界初の動力付き飛行に成功している。一応、ラングレー博士の名誉のために言っておくと、無人の模型機ではカタパルト射出はうまくいった。
ちなみに、ライト兄弟も離陸距離を縮めるためにバラストを落として機体を牽引する装置を考案している。

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1909年、フランスでのフライヤーA型実演の際の写真。みんなで機体を引っ張ってバラストを持ち上げているところ。バラストが落ちると離陸用のレール先端の滑車を経て機体が引っ張られる。滑車で一回折り返してるのは、もちろん直接牽引したら飛行機がタワーに激突してしまうからだ。

もうちょっとまともな例を出しておくと、1912年11月12日に静止している船舶(これも艀)からアメリカ海軍パイロットのセオドア・G・エリソンがカタパルト射出に成功、どうやらこれが世界で初めて成功した船舶からのカタパルト発進のようだ。
そして、1915年11月5日にアメリカ海軍の装甲巡洋艦、USSノースカロライナ(BB-55 戦艦USSノースカロライナとは別の艦)からヘンリー・C・マスティン(Henry Croskey Mustin)搭乗のカーチスF型機が発艦、これは航行中の艦船からの世界最初のカタパルトによる航空機発進とされている。

MustinCatapult1915.jpg

ヘンリー・C・マスティン機が射出された瞬間。機体がブレて写っているのが迫力がある。
この写真を見てから、さっきのエアロドローム号発進の写真を見返すと無性に笑える。

なお、単純に航行中の艦船からの発進としては1912年5月2日に、イギリスの戦艦 HMS ハイバーニア からチャールズ・ラムニー・サムソンが離陸に成功しているが、この時はカタパルトではなく傾斜路での発進だった。

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HMS ハイバーニアから飛び立つチャールズ・ラムニー・サムソン機。この写真もシャープに写っている船体とブレている飛行機の対比がアクセントになっている。
機体はショートS.38改造機とされているが、どう見てもショートS.38と全然形が違っており(ショートS.38にはもっとはっきりとした胴体があるし、方向舵も2枚)、ショートS.38のパーツを使ったスクラッチビルド機なのかもしれない。

さて、ドイツでは船舶用カタパルトの開発は1916年に始まった。
ドイツ語版Wikipediaによると、ドイツ帝国海軍の技術者ヴィルヘルム・シュテイン(Wilhelm Stein)という人物が開発した、とされているのだが、この人物、検索かけても詳しい情報が見つからない(クルップ社に努めていた、ユダヤ人で後にホロコースト犠牲者となる同名の技術者がいるが、どうやら関係なさそうだ)。
なのでこのシュテイン氏の詳細は不明だが、第一次大戦後は航空機メーカーのハインケルに就職したようだ。おそらく、エルンスト・ハインケルが大戦中にハンザ・ブランデンブルグ(Hansa und Brandenburgische Flugzeugwerke)で水上機の開発を行っていた関係だろう。しかし、ドイツ機の話をしてると、このオッサン毎回名前が出てくるな。

1927年、おそらくシュテイン氏が在籍しているからだろう、ドイツ運輸省からハインケルに「客船用カタパルトと、それ用の飛行機作って」という依頼が舞い込む。
客船のカタパルトってのは空賊連合に襲われた時に迎撃機を上げるためのものではなく、名目上は「大陸間の高速郵便サービスのために」となっていた。もちろん、実際にはベルサイユ条約下でこっそりと海軍航空戦力を整えるための布石だったことは言うまでもない。
ハインケルではこのためにカタパルト射出専用郵便機「HD 15」と長さ21.5メートルでHD 15を4.9Gで加速し、時速105キロで射出できるカタパルト「K1」を開発する。

HD 15と K1カタパルトは海軍の隠れ蓑である民間会社で極秘裏に試験を繰り返されたようだが、試作機としての性格が強く量産はされなかった。しかし、1929年5月にカタパルトの実験を行っているのを知ったソビエト政府がハインケルへ接触してくる。
当時、世界から「危険な国」としてハブられていたソビエトとドイツはラッパロ条約で協力関係にあり、技術的な遅れを取り戻したいソビエトと新技術の大規模な試験場を求めていたドイツの思惑が一致、ハインケルはHD 15のレイアウトを修正し、銃座を追加するなどした発展型 HD 55 15機を、K1 の改修型であるカタパルト K3 2基と併せてソビエトに売却する契約を結ぶ(売却数は後に拡大された)。
ソビエトは購入した HD 55 を КР-1 (корабельный разведчик、偵察飛行機) として海軍で採用、カタパルトと一緒に艦船に搭載する。

752px-Heinkel_HD_55.jpg

戦艦(「セヴァストポリ」と思われる)砲塔上のКР-1。カタパルトがハインケルK3か、あるいは国産化したものかは写真の情報からでは分からなかった。
ソビエト海軍は最終的にКР-1を40機ほど調達している。まだまだ機体、カタパルトとも過渡期のものであり不具合も多かった(しかも、ハインケルは機体が要求値よりも重いのを誤魔化していたらしい)が、後継機になるはずのベリエフ Be-2をカタパルト射出してみたらもっと不具合が多かったので、結局ソビエト海軍では1938年ごろまでКР-1を使用していたようだ。
(その2へ続く)



参考ページ:
http://www.airwar.ru/enc/flyboat/hd15.html
http://www.airwar.ru/enc/other1/hd55.html
それぞれ写真複数あり。おそらく試験用のボート上のカタパルトとその上に乗った HD 55 が興味深い。
ちなみに「重巡洋艦「長門」のカタパルトはハインケルが作った」なんて不思議な事が書いてあったりする。

その他の参考ページは最終回にまとめて掲載予定。

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カードモデルで辿るリヒャルト・フォークト博士の軌跡 その8

この歳になって、ようやくジャガイモの皮を包丁で剥くことができるようになった筆者のお送りする世界のカードモデル情報。
去年から続いてるブローム・ウント・フォスとリヒャルト・フォークト博士が手掛けたオモシロ飛行機のキットを探す旅も、いよいよ今回で完結。

まずは前回のおさらい。
大口径機関砲を積んだ新型戦闘機として考案された、無尾翼レシプロ戦闘機がP 208(超カッコいい)。
それをジェット化したのがP 209.01(そこそこカッコいい)。
さらに緊急戦闘機計画に合わせてそれに尾翼をつけて辻褄合わせたのがP209.02(カッコ悪い)。
*()内は個人の感想です。

P 209は上記の通り「緊急戦闘機計画」(お手軽ジェット戦闘機調達計画)に調整されたものだったが、根本的な問題が一つあった。この機体はハインケル HeS 011ジェットエンジンに合わせて設計されていたが、緊急戦闘機計画ではエンジンはBMW 003が指定されていたのである。
以前にBv 141で「単発」仕様のコンペに単発機を送り込んだら双発機に負けたフォークト博士としてはエンジンの違いなんて大した問題じゃないと思ったのかもしれないが、やっぱりエンジンが仕様と違うと相手にしてくれないのでP 209.01をBMW 003にあわせて改修したP 210が設計される。
P 210は2008年にMODELIKから2008年にリリースされており、これは現在もカタログに掲載されている。

BV210 okladka n

Blohm and Voss rys1 Blohm and Voss rys2
Blohm and Voss ark1 Blohm and Voss ark2

MODELIK公式サイトからの引用で、表紙、組み立て説明書、展開図サンプル。あくまでもパッと見の感想だが、組みやすそうな展開図である。
表紙の絵を見ていて気がついたのだが、もともと重武装を機首に集中するために無尾翼機の形態を選んだのに、機首にインテイクを開けたらやっぱり機種に重武装積めないじゃないか。
MODELIKのP 210は空モノスケール33分の1で完成全幅約35センチ、定価25ポーランドズロチ(約800円)となっている。
お手軽価格なのでOrlikの P 208と作り比べてみるのもいいだろう。

なお、やっぱり無尾翼の操縦性が気になったのか、フォークト博士はP 210でもP 209と同様に尾翼をとりつけて通常形態としたP 211をP 210と同時に提出しているが、翼は芸のない四角形だし(矩形を後退させた後退翼バージョンのP 211.01とストレートのP 211.02があった)、そもそもエンジンの排熱で尻が燃えるというP 209.02の問題が全く解決されていないというやる気のなさだった。

この雑さが「緊急!」って感じで返ってウケたのか、空軍省は「一応、P 211は研究しといて」と指示を出している。しかし、緊急戦闘機計画には後にハインンケルのHe 162「ザラマンダー」が採用され、ブローム・ウント・フォスの無尾翼機は全て設計段階で破棄となった。
結局の所、ドイツ軍が制式採用したジェット機、Me262Ar234He162がどれもエンジンをポッドに入れて独立させているのを見ると、当時の信頼性が低く寿命も短いエンジンを胴体に埋め込んでしまうというアイデアそのもの間違っていたような気がする。これじゃエンジン破損したら機体全部分解しなきゃならない。

さて、緊急戦闘機計画は上述の通りHe 162の採用で終了したが、もちろんドイツ空軍は「もうすぐ敗戦だし、He162で開発もおしまいだな」と思っていたわけではなく、1945年初頭には次世代の緊急戦闘機の設計提出が各メーカーに求められた。
戦争が続けば、すでに日本本土に飛来していたB-29がヨーロッパ方面に投入されることは間違いなく、この次世代緊急戦闘機にはさらなる高性能が求められることとなる。
また、今度の仕様ではハインケルHeS 011ジェットエンジンがたぶんモノになるだろう(BMW003よりも推力で勝っていた)、というフラグっぽい淡い期待でハインケルHeS 011がエンジンに指定されていた。
ブローム・ウント・フォスはこの仕様に沿って、P 209.01 を再度整理した P 212を提出する。

P 212はインドネシアのカードモデラー、tekzo氏のブログpaperhobby無料公開されている。

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paperhobbyかの引用でP 212完成見本写真。
HeS 011を積んだ無尾翼機って、P 209 01とどう違うの? とも思うのだが、どうやら戦略物資を節約したり、細かい差異があるようだ。
というか、ぶっちゃけ素人目にパッと見ではP 209 01とP210とP212の違いがよくわからないので、それこそ3機種作り比べてみるというのも有りだろう。

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ちょっとディティールはあっさり気味だが、デジタルデータなので徹底的にディティールを書き込んで仕上げるのもありだろう。

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キットは嬉しい情景付き。ドイツ軍ジェット機の地上情景にはケッテンクラートがよく似合う。スケールは35分の1。
*キットのダウンロードはフリーですが作者は著作権を放棄していません。データは個人での利用のみが認められており、販売などはできません。

さすがにそろそろドイツはヤバそうだと感じたのか、フォークト博士は審査を待たずに早々にP 212の風洞実験を終え、さらに試作に取り掛かったが、試作に着手したのが1945年の5月ではもう何もかも手遅れだった。
結局、エンジンのハインケルHeS 011も戦争には間に合わなかったので、「戦争に間に合いそうにないエンジンのために戦争に間に合いそうにない機体を設計したら戦争に間に合わなかった」という順当な結果に終わった。

一方、B-29撃墜を目指す高性能緊急戦闘機計画とは別に、とにかく数を揃える緊急戦闘機計画ってのもあって、こちらでは高価だからってターボジェットエンジンさえ諦めて、原始的で構造の簡単なパルスジェットエンジンのアルグス As 014V-1飛行爆弾のエンジン)を積んだ戦闘機を計画しており、これに応じてフォークト博士はP 213を提出する。

213image01.jpg 213image02.jpg

画像はZarkov Modelsからの引用。Roman Vasyliev氏デザインの「Kampfflieger」シリーズからのリリース。
なんかもう、すごい悲しい感じのする戦闘機。
一応尾翼はあるけど垂直尾翼はなくて逆V字の水平尾翼で方向安定性を兼ねるつもりだったようだ。一応、排気ノズルの方が尾翼より後ろにあるので尻が燃える問題は解決した。
キットは48分の1で定価4.75ユーロ(約600円)となっている。

商品直リン
http://zarkovmodels.com/en/?pid=789

各社それぞれ悲しい感じの計画案を出してきたパルスジェットエンジン戦闘機計画だったが、よく考えてみたらパルスジェットエンジンって、前進する風圧で吸気するんで自力では発進できない(だからV-1爆弾はカタパルト発進か空中発進する)。もしこれが完成してもそれを発射するカタパルトを新たに作るか、あるいは空襲が始まったら母機が抱いて離陸して空中発進するしかなく、V-1の発射さえ空襲で不可能になりつつあるのにそんなことができるわけもなく1944年末には計画そのものが消えた。

その後、リヒャルト・フォークト博士はP 214、P 215とP 212の改修案を設計したがもちろん試作もできるはずもなく戦争は終わった。
戦後、フォークト博士はドイツの優秀な技術者を西側連合国に引き込むペーパークリップ作戦によってアメリカへ渡る。
博士はアメリカでアメリカ空軍、ボーイング社の技術者として働いたが、航空界への最大の貢献は翼の先端を折り曲げることで翼端の空気の流れを整形し、飛行性能を向上させるウィングレットの研究であった。このアイデアは現在でも多くの長距離旅客機で採用されている。
稀代の珍機、左右非対称機の開発者であったフォークト博士の残した最大の功績が長距離飛行の航続距離改善というのはなんだか意外な気もするが、博士が戦時中にも延々と戦後のために巨人旅客飛行艇を設計していたことを考えると、こちらの方が当人にとって希望する名の残し方だったのかも知れない。

1979年、異色の航空技術者リヒャルト・フォークト博士はカリフォルニア州サンタバーバラにおいて心筋梗塞により84歳で死去した。 現役引退後は、転覆しない安全なヨットの設計などを行っていたそうだ。



参考ページ:
https://ja.wikipedia.org/wiki/ブローム・ウント・フォス_P.212
https://en.wikipedia.org/wiki/Blohm_%26_Voss_P_213

https://ja.wikipedia.org/wiki/リヒャルト・フォークト
https://ja.wikipedia.org/wiki/ブローム・ウント・フォス
それぞれ、各国語版を参考とした

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カードモデルで辿るリヒャルト・フォークト博士の軌跡 その7

先日、草むらを歩いていたら背後でものすごい羽音がして思わず振り返ったところ、ほんの1~2メートル後ろでトビ(鳶)が獲物をかっさらって地面スレスレに飛び去る場面に出くわした田舎住まいの筆者がお送りする世界のカードモデル情報。

ブローム・ウント・フォスとリヒャルト・フォークト博士のオモシロ飛行機終末旅行もそろそろ終盤。今回は、あまり知られていないが左右非対称機と同様にフォークト博士が力を入れていた無尾翼機とその関連機体について。

最初に紹介するのは前回のP 194からまた数が跳んで、 P 208
これは、つい最近Orlikからキットがリリースされている。と、いうか、もともとこのキットの説明をしようと思ったら関連事項が膨大になりすぎたのが当シリーズの発端なのであった。

29093_rd.gif

Orlik公式ショップからの引用で、P 208。なぜかgif画像だが別にアニメーションしたりはしない。
うーん、カッチョいい。
これは、別にノリで制式採用機を決めるウーデット(1941年11月17日に自殺)にアピールするためにカッチョ良さを追求してったらこうなったわけではなくて、

・頑丈な連合軍航空機を撃破するためには大型機関砲の装備が必要
 → しかし、大型機関砲は主翼内におさまらないし、ポッドを吊るすのはロスが大きい。機首に集中するために双発にするのは運動性が低下する。
  →そうだ、推進式にすればいい。推進式ならジェット化もしやすい
   → どうせなら尾翼をなくせば延長軸でプロペラを回すロスも防げる
    → エンジンが後ろにあるせいで重心が後ろに寄るので主翼は後退させる。このレイアウトは高速度性能も良くなる。
と、いう合理的な思考で導き出されたスタイルであった。

ただし、完全に尾翼をなくしてしまうと安定性が不足して操縦が目茶ムズになるので主翼の先に細く短い胴を取り付け、そこに垂直・水平を兼ねた尾翼がある。別の言い方をすれば、P.208はサーブ21のような推進式3胴レイアウトの左右胴体を極端に小さくし、尾翼中央部を外側へ移動した形式とも言えるだろう。こうすればプロペラ後流が水平尾翼に直撃してバタ付き(フラッター)が発生することもないし、いい事尽くしである。

フォークトはこのアイデアを確認するために、チェコのシュコダ・カウバ(Škoda-Kauba)というメーカーと連絡を取る。
このメーカーは航空大臣ヘルマン・ゲーリングの個人的知り合いだったオットー・カウバ(Otto Kauba)というエンジニアがコネで作ってもらったもので、無尾翼機やプッシャー機の研究をしていた(全くの偶然ながら当時日本で無尾翼機の研究をしていた萱場氏と名前が似ているのがおもしろい)。
シュコダ・カウバはŠkoda-Kauba V6という進式3胴機の尾翼を改修したSL6という機体を作成して飛行特性をテスト。結果ははっきりしないがダメダメだったらそこで試合終了だと思うのでそれなりの結果を得たのだろう。
余談だが、シュコダ・カウバは無尾翼機の欠点である安定性を補うために翼の後ろに小さい尾翼を追加するアイデアを盛り込んだŠkoda-Kauba V1という、なんかもうヤケクソ気味な飛行機も開発しており興味深いのだが、これを追っかけていくときりがないので今回はやめておこう。

そんなわけでシュコダ・カウバの協力を得て設計を完成させたP 208、Orlikのサイトには表紙画像しかなかったので、ポーランドの大手ネット通販ホビーショップ、super-hobby.comから画像を引用してキット内容を見てみよう。

29339_2_orl150_5.jpg 29339_2_orl150_7.jpg

29339_2_orl150_10.jpg 29339_2_orl150_11.jpg

下段右の線画を見るとわかるが、めちゃくちゃカッチョいい。これだけカッチョ良ければ物理法則を無視して英国空軍の2つや3つ、軽く壊滅させられそうだ。
キット名の「P.208.03」というのは3種類考えられたP.208のサブタイプの一つで、エンジンがダイムラー・ベンツ DB 603を搭載したタイプ。他にユンカース Jumo 222を搭載する01、ユンカースJumo 213を搭載する02があった。

Orlikの P 208 はスケールは空モノ標準の33分の1、定価は31ポーランドズロチ(約1000円)となっている。
ところでこのキット、どういうわけか公式ページ直販ショップでもキット名が「Blohm & Voss BV P.205.03」と表記されている。P.205は高高度戦闘機Bv155の改修案だったようなので、表紙のP.208が正しい表記だろう。

せっかく推進式にしたら、これをジェット化したくなるのは世の常である。
というわけで次はP 208をジェット化したP 209
image01_2019112111054090f.jpg

画像はZarkov Modelsからの引用。
Roman Vasyliev氏デザインの「Kampfflieger」シリーズからだが、なぜか48分の1、72分の1、100分の1と三種類のスケールでリリースされており、定価はそれぞれ4.75ユーロ(約600円)、3.75ユーロ(約450円)、3.25ユーロ(約400円)となっている。たぶん、中身は別設計ではなく縮尺変えだと思うが、商品画像が全部同じなので詳しいことはわからない。
P 209 は基本的にはP 208をジェット化したものだが、ジェット化に伴い胴体が完全再設計となっているのであまり共通点はない。
ぶっちゃけ、ジェット化でちょっとカッチョ良さ度は下がったな、というのが正直な感想である。

商品直リン(上から順に48分の1、72分の1、100分の1)
http://zarkovmodels.com/en/?pid=698
http://zarkovmodels.com/en/?pid=699
http://zarkovmodels.com/en/?pid=700

このころ連合軍の空襲が日に日に激しくなってきており、早急に航空戦力を高めるために1944年春、ドイツ航空省は「緊急戦闘機計画」を開始する。この計画で要求された仕様は、ジェットエンジン1基を装備し、できるだけ製造コストがかからず(町工場など、工作能力の低い工場でも生産できること)、性能はそこそこ高くて(最高時速750キロ以上)、戦略物資をあまり使用せず、未熟なパイロットでも操縦できる、というものだった。できるか、そんなもん!

この無茶振りに答えるため、各社はなんか思いつきか落書きみたいな飛行機をバンバン計画してすこぶる楽しいことになったのだが、ブローム・ウント・フォスは P 208 を単純にジェット化したのを P 209.01 とし、もっと取り扱いを容易にしたバージョンを P 209.02 の名前で提出した。

image01_2019112111283412b.jpg image04_201911211128326d8.jpg

同じく画像はZarkov Modelsからの引用でRoman Vasyliev氏デザインの「Kampfflieger」シリーズから。
どうやら「未熟なパイロットに無尾翼機の操縦は難しいだろう」と尾翼を追加し、そしたらバランスが変わったんで後退翼を前進翼に変えてみた、ということらしい。
なんかもう、見るからに無理やり辻褄合わせたのがバレバレなやっつけ仕事で、どう考えてもエンジンの排気で尻が燃えるので没になった。
キットは48分の1、定価4.75ユーロ(約600円)となっている。
(その8へ続く)



参考ページ:
https://ja.wikipedia.org/wiki/ブローム・ウント・フォス_P.208
https://en.wikipedia.org/wiki/Blohm_&_Voss_P_209
その他の参考ページは最終回にまとめて掲載予定。

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