Orel イギリス砲塔艦 ”HMS Captain” 中編

引退した電気設計士である父から古い水平器(本体が木)を譲ってもらいホクホクの筆者がお送りする世界のカードモデル情報。本日はウクライナOrel社からリリースされたイギリス砲塔艦 ”HMS Captain”の二回目。

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今回は旋回砲塔の発明者、クーパー・フィリップ・コールズの設計した砲塔を載せた「HMS プリンス・アルバート」が完成したところから。
HMS プリンス・アルバートは中心線上に単装23センチ前装ライフル砲砲塔4基が並ぶデザインで排水量は約3700トン。砲塔の旋回は人力で、各砲塔に18人がついて1周約1分で回転することができた。意外と早い。アメリカの”USS モニター”が蒸気で砲塔を回していた(1周22.5秒)のに比べると、「ぶっはww 人力とか超ウケるw」という感じだが、実際にはモニターの旋回速度は早すぎ、しかもトランスミッションを介しているわけではないので旋回が目標を行き過ぎてしまった場合には逆周りにエンジンをつなぎ直す(具体的にどうやるのかはよくわからない)か、もう一周するしかなく、微調整の効くコールズの人力式の方が実用性は高かったようだ。

HMS_Prince_Albert_(1864).jpg

Wikipediaからの引用(この項、表紙写真以外全て同様)でHMS プリンス・アルバート。1870年前後の撮影。この写真では砲塔はほとんど判別できないが、たぶん前部マストの後ろにちょっとだけ見えてるのがそうだと思う。

ただし、これが英国初の本格砲塔搭載艦か、といえばそうではなくて、HMS プリンス・アルバートの建造中に「よく考えたら砲塔載せるためだけに一から艦船建造する必要ないじゃん」ということに気がついて、HMS ロイヤルソブリン(約5000トン)が砲塔艦に改造されることになった。ロイヤルソブリンは27センチ砲砲塔4基(1基のみ連装で、あとは単装)の射界を得るために乾舷を切ったら切りすぎちゃってテヘペロしながら舷側を造り直したり、といったゴタゴタはあったものの、それでも一から作ったP・アルバートよりは早く完成、1864年8月20日に英国海軍初の本格的砲塔搭載艦として完成した。

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前回の樽+イカダ+艦砲=砲艦の「Lady Nancy」の画像と同じく、これも”The Illustrated London News”紙から、1864年の竣工直後のHMS ロイヤルソブリン。こちらは砲塔の様子が良く分かる。Illustrated London News紙はずいぶんとコールズに入れ込んでいるようだ。
かなり乾舷が低く、モニター艦のようなスタイルになっているが、これはつまり「甲板に砲塔を載せる」のではなく、「それまでの戦列艦が砲を載せている砲甲板に砲塔を入れて、射界を得るために舷側を取り払ったらこうなった」ということだと思われる。船腹の白っぽく見えている部分は可倒式の舷側で、航海中はこれを立てて乾舷を稼いだ。
一応、帆走装備も持っているがかなり小さく、実際には帆走のためよりも安定のための装備だったようだ。
ロイヤルソブリンの砲塔は1866年、「実際に砲塔を艦砲で撃ってみた」というYoutuberっぽい実験に供され、中央砲郭艦HMS ベレロフォンから23センチ砲を砲塔背面に3発撃ち込まれた。この結果、砲塔の装甲板の1枚が外れてしまい砲弾1発が砲塔を貫通したが、砲塔の旋回、積んでいる砲の発射には影響がなかったという(もちろん、徹甲榴弾だったらこうはいかないだろう)。

HMS プリンス・アルバートとHMS ロイヤルソブリンは概ね好評で、これに力を得たコールズは、「もっと大きい艦に、もっと大きい砲を積んだらもっと凄いです!」とわかりやすい事を主張し、巨砲を積んだ砲塔1基の新型艦(詳細不明)を考案したが、海軍省は「いや、Pアルバートとロイヤルソブリンてさぁ、あの低い乾舷じゃ遠洋航海できないよね? 大英帝国は世界の植民地守るために、大洋を越えられる船が必要なんよ」とこれを却下した。
とは言え、海軍省は砲塔艦のアイデアは認めているので、アイザック・ワッツの後を継いだエドワード・リード(Edward Reed)に遠洋航海に耐えうる砲塔艦の建造を指示した。

Edward_James_Reed,_Vanity_Fair,_1875-03-20

1875年に、「バニティフェア」紙に掲載されたリードの絵。なんでリードさんWikipediaにポンチ絵しか載ってないんや……
リードは30.5センチ連装砲塔2基を船体中央、煙突を挟んだ前後に置くレイアウトのHMS モナークを設計する。この配置は後の前弩級戦艦のスタンダードとなるものであったが、当時の信頼性の低い蒸気艦を補うために海軍省は完全な帆走装備をもたせることを要求した。

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画家、ウィリアム・フレデリック・ミッチェル(William Frederick Mitchell)の手によるHMS モナーク。帆を展開していることもあり、いかにも大洋を駆けるのに適した感じのスタイルだ。
少しわかりづらいが、煙突の前後に扁平な円筒形の砲塔が載っている。ロイヤルソブリンに比べると非常に乾舷が高く、甲板の上に砲塔が載る配置であることがよく分かる。もちろん、単に砲塔の位置を上げただけでは重心が高くなってしまうが、そこは大英帝国設計主任たるエドワード・リードがしっかりと計算しており、驚くべきことに最大40度まで船体がロールしても回復できたという。
しかし、モナークは帆走設備のせいで砲塔は前後方向への射界が限定され、さらに帆を展開するためのリギング(ロープ)は巨大な30センチ砲の爆風で傷んでしまうために射撃前に外す必要があった。
リード自身は船体中央に砲塔を置く以上、帆走設備は諦めるつもりだったが海軍省がこれを認めず、かなり不本意な仕上がりとなってしまったらしい。

モナークの完成によって、砲塔の第一人者であるコールズは「お株を奪われる」かたちとなってしまった。コールズはこれが相当不満だったようで、自分のプランの方が優れていることを声高に主張する。海軍省にもこの意見に同調する者がおり省内は分裂、とりあえず予算だけはつけたものの、コールズの提出した設計図を見たリードは「この設計は危険すぎる」として認可をしなかった。
しかし、海軍省内部のコールズ応援隊は「まぁ、コールズ君のたっての希望だから、なんとかやらせてやってくれ」と、これまたフラグっぽいプッシュで議会で予算を通過させてしまう。
結局、設計部門の認可がないままコールズの指揮で建造は始まってしまい、艦は”HMS キャプテン”として1870年1月に完成した。リードはこれに抗議し、最後まで認可を出さないままに7月に海軍設計主任を辞任してしまう。

(後編に続く)



参考ページ:
https://en.wikipedia.org/wiki/HMS_Prince_Albert_(1864)
https://en.wikipedia.org/wiki/HMS_Royal_Sovereign_(1857)
https://en.wikipedia.org/wiki/HMS_Monarch_(1868)

その他の参考ページは後編にまとめて掲載予定。
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Orel イギリス砲塔艦 ”HMS Captain” 前編

今回この記事を書くに当たり珍しく資料をきちんと読んでいたら、自分が「艦船の砲塔で天井がないものは厳密には『砲塔』ではなく、『バーベット』である」という妙な勘違いをしていたことに気がついた筆者のお送りする世界のカードモデル最新情報。
いや、そうじゃないそうじゃない。側面装甲ごと回転すれば天井があろうがなかろうが、それは砲塔だ。じゃあバーベットってなんなのよ、って言うと、バーベットの側面装甲は固定で旋回しない。バーベットのヘリから首を出した砲だけが旋回するのを「露砲塔」とも言うんで、露砲塔→天井がない砲塔=バーベット と勘違いしていたらしい。いやはやお恥ずかしい限り。

さて黒歴史の暴露が終わったところで今回の新製品、ウクライナOrel社からリリースされたイギリス砲塔艦 ”HMS Captain”の紹介に移ろう。

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ん? これ、ただの極初期蒸気艦じゃないの? どこに砲塔が? と思ったら、煙突の右下にこちらを睨んでいる連装砲塔があった。よくみると、船体後部にももう一基連装砲塔がある。
以前にUSSモニターのキットを紹介した時に「勘違いされがちだが、旋回砲塔そのものはエリクソンの発明ではないし、これを搭載した艦もモニターが初めてではない」と書いたが、そんな勘違いをするのはバーベットと砲塔を混同していた筆者ぐらいのような気もしてきたが、頑張って進めていこう。
そんなわけでモニター艦の発明者、ジョン・エリクソンが砲塔を発明したのでなければ、砲塔を発明したのは誰なのか、というのが今回の趣旨である。

珍しく最初に回答を書いておくと、旋回砲塔の特許を世界で始めて取得したのはイギリスの海軍軍人、クーパー・フィリップ・コールズ(Cowper Phipps Coles)である。

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Wikipediaからの引用で、C.P.コールズ。なんか気難しそうな人だが、海軍軍人なのに、なんで私服なんだろう。

もちろん、コールズ以前にも大型の樽に人が入って、それをプラットフォームの下から人力で回す仕組み、つまり歌舞伎の「回り舞台」のようなものはあっただろう(回り舞台の発明は18世紀初頭)。しかし、旋回砲塔で特許をとったのはこのコールズが最初であり、つまり公式には彼が旋回砲塔の「発明者」である。
今思いついたが、戦国時代に転生した主人公が安宅船の甲板に味噌樽と廻り舞台を改造した人力砲塔を設置して弱小水軍が無双するラノベなんておもしろそうだ。もうあるかもしれない。戦国時代に回り舞台はまだないんじゃないか、なんて言ってはいけない。
架空のラノベのプロットまで書いたのに、あっというまに説明が終わってしまったのでもうちょっと詳しく書いていこう。

1819年に牧師の息子として生まれたコールズは、なんと11歳で英国海軍に入隊。経済的な理由なのかも知れないが、19世紀の就労事情ってのはいつもながらメチャクチャだ。今で言う小学五年生が帆船に乗ってなにするんだろう。雑役夫から始めるんだろうか。
現代の水準からすれば身の毛もよだつ劣悪な環境であったことは想像に難くないが、無事に成長したコールズは1846年に海軍大尉(Lieutenant)、クリミア戦争の開始直後の1854年に海軍中佐(Commander)に昇進している。なお、階級の和訳は現在の英国海軍のシステムに則っているので19世紀にはちょっと違ったかも知れない。

クリミア戦争でコールズは排水量1千トン、砲6門の外輪式木造スループ船”HMS ストロンボリ(Stromboli)”の艦長としてロシアのセヴァストポリ要塞包囲戦に海から参加している。当時の艦砲は射程が短く、遠浅で海岸まで近づけない場所では陸軍を支援することができなかったが、コールズは要衝タガンログを攻める陸軍部隊を支援するために喫水の浅い「艀(はしけ)」に砲を載せ海岸ぎりぎりまで接近するという戦術を考案した。いわば「砲艦」の元祖である。

Lady_nancy_taganrog.jpg

こちらもWikipediaからの引用。”The Illustrated London News”紙に載った、コールズの砲艦「Lady Nancy」の勇姿。
ええええええぇー
いや、確かに喫水が浅いし砲も載ってるけどさ。ちょっとプリミティブすぎるんじゃないだろうか。ちなみにベースになってるのは酒樽らしい。なんか樽が良く出てくる記事だな。
しかし、この画像一枚で、読者諸氏も変な砲艦に対する耐性がかなりついたことだろう。これを業界用語で「耐性砲艦」という。ウソである。というかダジャレである。ダジャレなので砲艦ネタが続いたりはしない。

この変なもんはウケた。ウケにウケた。ストロンボリに便乗していていた特派員が「勇敢な行為!」として大々的にこの戦術を本国に報じたために、全英がコールズの奇策を大絶賛。一躍時の人となったコールズがさらに「もっとデカい艀に旋回砲塔を載せてロシア軍陣地に殴り込みするっすよ!」とぶちあげると、初代ライオン卿エドムンド・ライオン提督(Edmund Lyons)もめっちゃ乗り気で「イイネ!」とそれを海軍省に上奏、海軍省もノリノリで90×30フィート(27.4×9.1メートル)のイカダでバルト海を襲撃するという絶対やめておいた方がいい作戦を認可してしまった。このイカダで、ロシア帝国の首都ペテルスブルグを守るクロンシュタット要塞に、まさかの方向から近づいて一気にツァーリを捕縛してしまおうということらしいが、幸いなことに着手する前にクリミア戦争は終わった。

1856年2月27日、コールズは海軍大佐(Captain)に昇進。クリミア戦争が終わって暇になった(ついで給料も半額まで下がった)コールズは旋回砲塔の研究に没頭し、1859年3月10日に砲塔の特許を取得した。
これで名実共に「砲塔の権威」となったコールズは海軍省に、主武装がドーム型連装砲塔10基というビックリドッキリ超戦列艦のアイデアを提出したが、海軍省はこのアイデアを「基本アイデアは間違ってないんだけど、こんなん無理」と却下した。
これに納得のいかないコールズは、各界の著名人に手紙を書きまくって砲塔の凄さを説いた結果、海軍省に影響力を持つ多数の人材を味方につけることに成功。その中でもとくにビッグネームと言えるのが、ザクセン=コーブルク=ゴータ公子アルバート、すなわちヴィクトリア女王の、とっても影の薄い旦那さんだろう。

アルバート公の「まぁ、コールズ君のたっての希望だから、なんとかやらせてやってくれ」というフラグっぽいプッシュもあって海軍省はまず、沿岸防衛用の装甲浮き砲台「アエトナ級」(一応、遅いけど自走能力はある)の1隻、 ”HMS Trusty”(排水量約1500トン)が1861年を改造、試作砲塔を積み込んだ。これが、世界初の砲塔搭載艦艇だと考えられている。
この結果を見て艦船への旋回砲塔の搭載に大きな問題はないと考えた海軍省は、さらに本格的な砲塔艦として沿岸防衛用の小型艦、その名も「HMS プリンス・アルバート」の建造に認可を出す。ただし、コールズに任されたのはあくまでも砲塔の設計のみであり、船体は海軍の主任設計技師アイザック・ワッツ(Isaac Watts、後に装甲フリゲート「HMS ウォーリア」を設計する)に任された。まぁ、考えてみれば当たり前の話で、コールズはたしかに砲塔の権威ではあったが、だからといって造船全般に造詣が深いわけでもないだろう。当時の先端技術の結集である蒸気艦の建造を、そんな人にホイホイ任せるわけにはいかない。

(中編に続く)



参考ページ:
https://en.wikipedia.org/wiki/Turret_ship
https://en.wikipedia.org/wiki/Aetna-class_ironclad_floating_battery

その他の参考ページは後編にまとめて掲載予定。

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Wagner Models ドイツ帝国 試作戦闘機 Kondor D.6

普段からけっこうテケトーな事ばっかり言ってる筆者のお送りする世界のカードモデル情報。今回紹介するのは小国バンドリカの新興メーカー、マクガフィン・モデルズからの新製品 80センチ列車砲”ドーラ”だ。
ってネタをエイプリルフールに併せてやろうかと思ったのだが、以前に出入りしていたカードモデルのフォーラムでユニオン・パシフィックの巨人機関車、BIG BOYを25分の1(全長1.6メートル)で制作してる人がいたぐらいだから、ドーラの陸モノスケールキット化が堂々発売されることだってあながち「あり得ない」とも言い切れないんでやめておこう。ちなみにドーラは25分の1だと約全長1メートル90センチのビッグキットとなる。

さて、そんな前振りと全然関係なく今回紹介するのはKrzysztof Wagner氏のブランド”Wagner Models”からの新製品、ドイツ帝国 試作戦闘機 Kondor D.6 だ

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わかる。わかるぞ。世の中には何がしたかったのか良くわからないような飛行機が多々ある中、君が何をしたかったのかは痛いほどにビンビン伝わってくる。
だが、それを踏まえてあえて言おう。
それでうまく行くなら苦労しないよ!

この出オチ飛行機を設計したのはドイツ西部、エッセンのコンドル航空機工場(Kondor Flugzeugwerke GmbH)。名前の「Kondor」というのは、設立者が正義のシンボル コンドールマンを大好きだったわけではなくて、鳥のコンドルにあやかろうと名付けられた名前だと思うのだが、この会社詳細な情報が全然見つからないので推測だ。まぁ、ドイツには「アルバトロス」(アホウドリ)って飛行機メーカーもあるからね。
ドイツ語で英単語の"C"が"K"になるってのは良くあることで("corps"(軍団)が"Korps"になるとか)、なんちゃってドイツ風を気取るときにわざとやったりもする。
不思議なのはドイツ軍の4発輸送機Fw-200「コンドル」で、どうして愛称のスペルが「Kondor」ではなく、「Condor」なのだろう。原型機は旅客機なので英語圏への乗り入れを考えていたのか、あるいは1号機の登録記号が「D-ACON」で、胴体を挟んで左の主翼に「D-A」右の主翼に「CON」と書かれていたので、そこからの連想か。もちろん、当時スペインで戦っていた「義勇軍」の「コンドル軍団」も意識していたのだろう。コンドル軍団もスペルは「Legion Condor」で、たぶんこちらはスペイン語での呼称がそのまま定着したのではないだろうか(この辺、資料による裏付けなし)。

コンドル社は1912年に設立された会社で、最初のころは毎度おなじみタウベ機の生産をやっていたようだ。また、飛行士学校も経営していた。
第一次大戦が始まり航空機需要が爆発的に高まるとコンドル社はアルバトロスB.II 戦闘機のライセンス生産を開始。さらに、よせばいいのに「自社開発をしよう!」とハッちゃけて、ヴァルター・レーテル(Walter Rethel)という設計士を雇う。レーテルの細かい経歴は良くわからないのだが、どうもこのコンドル社が航空機設計技師としてのキャリアのスタートだったようだ(当時20代前半)。

しかし、コンドル社のデザインにはあんまりポリシーのようなものがなかったようで、他の航空機メーカーの後を追ってフラフラしているような感じになってしまった。
例えば、コンドルは1917年にアルバトロスD.IIIにクリソツなモノコックボディにフォッカーDr.I からパクった感じの三葉を組み合わせた「Kondor Dreidekker」という戦闘機を設計したが、10月に初飛行してみたらこれが危険なほどに振動してとてもじゃないが使い物にならなかったんで、2ヶ月のやっつけ仕事で上の羽根2枚を取っ払って別の羽根を取り付けて複葉機にしたが、飛ばしてみたら中途半端に残した下の羽根の空力がなんだか変でプロジェクトそのものお蔵入り。
そうかと思ったら、ほぼ平行して開発を進めていたコンドルD.I(複葉)を突然放り出して(どうも搭載予定のエンジンの開発が不調だったらしい)、改造型のD.IIを軍に提出するも、試しに飛ばしてみたヘルマン・ゲーリングに「がんばってるけど性能がクソ」と酷評される。
そこで、コンドル社がD.II に加えた改修が、「上翼の真ん中をなくして上方視界を大幅に改善する」というものだった。
いや、ちょっと待って。その話どこから出てきたの?
例えるなら、発注元から開発会社に「うーん、ゲームは面白いんだけどCPUのストレスが半端なくてバッテリーの消費と発熱がヤバいの、なんとかならない?」とフィードバックが入ったのに、「よし、絵を萌え萌えにしよう!」と決意するようなもんだ。なんだか胸が痛い。
そんなわけで、コンドル社がD.IIの上翼真ん中をエイヤっともぎって作ったのがD.6だった。

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Wagner Modelsショップページから完成見本写真。
ちょっと手ぶれてる写真だが、見事に上翼の真ん中がなくなっていることがよくわかる。
が、それにしても、なんというかヤッツケ感のあるデザインだ。
なお、D.I、D.IIから数字が急に6に跳んでいるが、たぶんD.I、D.IIは軍の呼称でD.6は社内名称なのではないだろうか。Dは「ドッペル(複葉)」のことだろう。

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横から見ると、意外と普通だ。上翼がぶった切れてるのがなければ、普通の飛行機なんだということがよく分かる。やや頭デッカチに見えるが、エンジンは11気筒星型回転式Oberursel Ur.III 145馬力。ドイツ帝国戦闘機の空冷エンジンとしては定番のOberursel Ur.II 9気筒110馬力の拡大版だが、かなり性能が良くなければ量産時にこのエンジンを回してもらのは難しいだろう。

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D.6は試作に終わっているので国籍マークや部隊章はない。試作機なのにローゼンジパターン? とも思ったが、実機写真でもうっすらと多角形パターンが見えるので、他の機体用の布を転用したのかもしれない。

完成したD.6を飛ばしたところ、確かに上方視界は良くなっていたが、ただそれだけだった。むしろ支柱が増えたことで自重が重くなり、さらにどうしても気流が乱れる箇所である翼端が4箇所から6箇所に増えたことで一世代前のエンジン(Oberursel Ur.II)を積んでいたD.IIよりも性能が低下していたので、すみやかにD.6のプロジェクトは放棄された。
じゃあ、どうすればよかったのかと言えば、このぶった切った翼を胴体につなげている部分もちゃんと翼型断面にして羽布を貼れば少しは違っただろう。つまり、D.6はあともう一息でポリカルポフI-153を20年先取りするところだったのだと思うとなかなか惜しい。

その後、コンドル社は「フォッカー D.VIIIのパラソル翼がいいらしい」と聞いてパラソル翼のコンドルE.IIIを開発する。これはそこそこの性能を示し、軍からは量産の内定をもらっていたが終戦で全部御破算になった。
その後終戦に伴いコンドル社は航空関係から手を引き、航空開発で培った木工技術で家具メーカーとなったようだ。これは戦時中の急造航空機メーカーと逆となるのがおもしろい。
1990年ごろにコンドル社は解散し、工場跡地は現在「Kondor-Gewerbepark」という商業地帯となっている。

コンドルでサッパリだった主任設計師のヴァルター・レーテルは終戦後、一時期フォッカーで働いていたが、アラド社が航空機開発を再開する際に招かれ、ドイツ再軍備後最初の戦闘機となるアラド Ar 65を開発。その後バイエルン航空機製造(後のメッサーシュミット社)に移り、主任設計技師として傑作機Me-109の開発に関わった。

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展開図と組み立て説明図のサンプル。テクスチャは布目、木目の質感表現はあるが汚しはない。全体的にシンプルですっきりとした組み立てやすそうな構成だ。大柄で目立つエンジンカウルは輪切り構造と釣り鐘構造から得意な方を選べるようになっているようだ。

Wagner Modelsからリリースされた新製品、ドイツ帝国 試作戦闘機 Kondor D.6 は空モノ標準スケール25分の1で完成全幅約33センチ。難易度表示は特にないが、3段階評価の「2」(普通)といったところか。そして、定価は6ドルでダウンロード販売のみとなっている。
見るからにダメそうな飛行機ファンのモデラーなら、このキットを見逃すべきではないだろう。また、4月からの新社会人モデラーなら、このキットとメッサーシュミット109のキットを机の上に並べることで「はじめのうちは失敗続きでも、仕事を続けていればいつかは大成功をものにできる」と自分を鼓舞するのもいいだろう。



画像はWagner Modelsショップページからの引用。

参考ページ:
https://en.wikipedia.org/wiki/Kondor_D.6
https://en.wikipedia.org/wiki/Kondor_D.7
https://en.wikipedia.org/wiki/Kondor_E.III

https://de.wikipedia.org/wiki/Kondor_Flugzeugwerke
https://de.wikipedia.org/wiki/Walter_Rethel

http://www.airwar.ru/enc/fww1/kondord6.html

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