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本日更新休止のお知らせ。

本日体調不良につき更新休止させていただきます。
季節の変わり目で寒暖の差が激しく、体調を崩しがちな時期となりました。皆様も体調には十分にお気をつけください。
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テーマ : 模型・プラモデル・フィギュア製作日記
ジャンル : 趣味・実用

HMV ドイツ帝国海防戦艦 "SMS Beowulf"・中編

先日の健康診断の結果 毎年2~3ミリずつ身長が縮んでいることが判明、これが歳を取るということか。この分だと700歳を超えるころには身長が0センチを切って消滅するかもしれないが、それまでは頑張ってカードモデルっていきたい筆者のお送りする世界の変わったネタのカードモデル情報。本日はドイツHMV社のキット、ドイツ帝国海防戦艦 "SMS Beowulf"の紹介2回目。

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前回のおしまいで陸軍歩兵大将出身の初代ドイツ帝国海軍長官アルブレヒト・フォン・ストッシュは砲塔艦の衝突沈没事件の責任所在を巡って政府と対立、海軍長官を辞任したが、辞任したストッシュの後を継いで2代目海軍長官に就任したのがゲオルク・レオ・フォン・カプリヴィ(Georg Leo von Caprivi)である。

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Wikipediaからの引用でレオ・フォン・カプリヴィ。1880年撮影。喉元に光るブルー・マックス(プール・ル・メリット勲章)は参謀として従軍した普仏戦争で授章したもの。
「普仏戦争+参謀」でだいたい分かってしまうと思うが、この人も陸軍軍人。ストッシュが辞任した時点でドイツ統一から12年、今度こそドイツ帝国海軍から海軍長官が出てもいいんじゃない? という予想を裏切って鉄血宰相ビスマルクは軍艦に乗ったことがあるかも疑わしい第30歩兵師団長を海軍長官に大抜擢した。
当然、海軍将校からは大きな反発があったが、いざ長官に就任するとカプリヴィは百戦錬磨が集うドイツ参謀本部で鍛えられただけあって事務処理や管理業務に並外れた才能を発揮したという。

ストッシュが基礎を作ったドイツ海軍だが、カプリヴィの代では「どう増強していくか」という課題があった。
装甲艦の登場で世界の海軍戦力がリセットされており、世は正に大装甲艦時代。装甲艦王国におれはなる! という選択肢もあったが、宰相ビスマルクとカプリヴィ長官の出した結論はストッシュの代の方針を引き継いで「沿岸警備海軍で十分」というものだった。
特に重視したのが当時実用化されつつあった魚雷で、「魚雷艇いっぱい作って沿岸に来る敵艦を全部倒す」というのがカプリヴィ長官の海軍戦略であった。

とはいえ、大型艦艇は1隻もなくていいや、というのは将来不安なんで、ドイツも英国から購入したカイザー級、そして国産化したザクセン級で装甲艦の国産能力を獲得しており、1881年には清国(中国)から定遠級装甲艦2隻を受注するなど、実績を重ねている。
カプリヴィも沿岸砲台や魚雷艇で傷ついた敵艦にとどめを刺すための大型艦として、海防戦艦「ジークフリート級」10隻の建造を発注、1888年にキールで1番艦「ジークフリート」の建設が始まった。
これらは河口の防衛が主任務であるために喫水が浅く、6隻がライン河などの大河の河口、残り4隻がバルト海と北海を結ぶカイザー・ヴィルヘルム運河の守りにつく予定だった。

それでは、HMV社公式サイトから引用した完成見本写真でドイツ帝国が初めて建造・保有した本格的装甲艦、海防戦艦ジークフリート級の姿を見ていこう。

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黒い船体に金色の上部建造物がのっかる宮型霊柩車塗装が目を引くが、この時期のドイツ帝国海軍の標準塗装だろうか。平時の海軍塗装というのは意外と資料がなくて困る。
フランス艦のような、甲板部分で絞ったタンブルホーム型船体が目を引くが、この艦の前に建造した定遠級、ザクセン級では別にタンブルホームっぽい形はしてないので、なぜ急にこの形状を取り入れたのかは不明。上部を絞ることで喫水を浅くしたかったのかもしれない。

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排水量約3500トン、全長79メートルだから大きい船ではないが、こうして見上げるアングルで見るとやはり迫力がある。
それにしても船体中央だけ上部を絞ったこの複雑な形状の船体をよく紙模型で再現したものだ。
基本スペックをついでに書いておくと、最大速度約14ノット、武装は35口径24センチ単装砲3基と自衛用に88ミリ砲8門、35センチ魚雷発射管4基。魚雷発射管は艦首1基が水面下で、艦尾1基、側面左右1基づつは首が振れる発射管が装備されていた(キットに再現されているかは写真からでははっきりしない)。
乗員は士官20人と水兵256人。なおジークフリート級は舵の効きが非常に良いと好評だったが悪天候には弱かったそうだ。

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細部ディテールをクローズアップ。艦首の無駄な装飾がいかにも19世紀と言う感じだ。腕に覚えのあるモデラーなら窓の切り抜きや甲板の板張り表現などでディテールアップするのもいいだろう。
一見、やたら扁平な密閉砲塔のように見える主砲だが、おそらく定遠級戦艦と同様にフード付きのバーベット式(筆者が勘違いしていたオープントップ砲塔のことではなく、側面装甲が旋回しない本当の「露砲塔」)と思われる。

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主砲は前に2基、後ろに1基というレイアウトだがこれは意図がよくわからない。
定遠級戦艦みたいに敵に向かって連射しながら突っ込んでいって衝角でとどめを刺す、というのなら後ろの1基はいらないし、普通に側面を見せて舷側戦闘をするのなら左右に並んでいる前の2基は片方が使えない。
あるいはどっちもできるようにしたらこんな中途半端なことになったのか。せめて前部砲塔を左右で前後にずらせば側面に3門指向できたのに、と思うのはまぁ後知恵なのだろう。
ちなみにジークフリート級はこの前部の主砲2基を嬉し恥ずかし胸部に見立て「人魚(Meerweibchen)」のあだ名で呼ばれることがあったそうだ。あら色っぽい。

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Wikipediaからの引用で、絵葉書に書かれたジークフリートの活躍想像図。この絵だと舷側の敵と戦っているのでそういう戦い方をするもんだと認知されていたのかとも思ったが、よく見ると主砲は左舷、副砲は右舷に向かって撃ちまくってるので、まぁあまり参考にはならなそうだ。
ちなみに発射速度は毎分2発。1門あたり68発、合計204発の砲弾を積んでいた。全力で撃ちまくったら1時間も経たずに弾切れになってしまうが、沿岸警備用だからそんなもんだろう。
ちなみに自衛用の88ミリ砲は毎分15発撃てる高性能な砲で、砲弾は2500発積んでいた。
(後編に続く)


キット画像はHMV社のページから引用。

参考ページは後編にまとめて掲載予定。

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HMV ドイツ帝国海防戦艦 "SMS Beowulf"・前編

明日の定期健康診断がとっても面倒くさくて気が重い筆者が気を取り直してお送りする世界の変わったネタのカードモデル情報。
本日紹介するのはドイツHMV社のキット、ドイツ帝国海防戦艦 "SMS Beowulf"だ。

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ジークフリート級海防戦艦ベイオウルフである。
ジークフリート級海防戦艦ベイオウルフである。
ジークフリート級! ベイオウルフ!!

あまりのカッチョよさに3回も書いてしまったが、素晴らしい響きである。今やファンタジー小説に登場する帝国軍でさえこれほどカッチョいい名前はちょっと遠慮するほどカッチョいい。「声に出して読みたい日本語」というやつだ。
読者の皆様も、ぜひ一度声に出して読んでいただきたい。
『ジークフリート級海防戦艦ベイオウルフ』
しびれる。
ちなみに銀河英雄伝説ネタはうまくまとまらなかったのでオミットとなった。

ドイツの皇帝と言えばカイゼル髭でお馴染み、第一次世界大戦で連合国を相手にハッスルしまくったカイザー・ヴィルヘルム2世がすぐに思い浮かぶが、あの人がドイツ統一(1871年1月18日)から崩壊(1918年11月9日)までずっと皇帝だったのかと言えばそんなはずもなく、もちろん前の皇帝がいる。
はて、ヴィルヘルム2世の前の皇帝って誰でしたっけ? 帝政ドイツの政治家で名前を知ってる人と言えば、「ビスマルク」とかいう星銃士みたいな名前の人がいたっけ、という読者も多いと思うが、ビスマルクは「鉄血宰相」という通り名でわかるように首相であって皇帝ではない。
じゃあ皇帝は誰なのよ、というと ドイツ統一から17年間、1888年までドイツに君臨した皇帝はヴィルヘルム1世であった。

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Wikipediaからの引用で(この項、キット表紙写真以外全て同様)ヴィルヘルム1世。1884年撮影。残念ながら、ぶっちゃけ「あー、この人かぁ!」という感じはない。というか、始めてこの人の写真見たという読者も少なくはないだろう。
なお、ヴィルヘルム2世の前だからヴィルヘルム1世か、と思いがちだが実は1世は2世の前の皇帝ではない。ついでに言っておくと、2世のお父さんが1世でもない。
これは追々説明するとして、ドイツ統一で名実ともにドイツ帝国のトップだったヴィルヘルム1世がこんなにも印象が薄いのは、政治は基本的に首相ビスマルクに全部お任せだったからである。

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特徴的な棘付き兜「ピッケルハウベ」を被ったビスマルク。有名な写真だが、意外にも撮影データははっきりしない。ちなみにビスマルクは貴族なので、フルネームは「オットー・エドゥアルト・レオポルト・フュルスト(侯爵)・フォン・ビスマルク=シェーンハウゼン(Otto Eduard Leopold Fürst von Bismarck-Schönhausen)」と、ベラボウに長い。あと、ビスマルクはなんか難しい顔をしてることが多いが、実は歯医者嫌いで虫歯が痛かったらしい。

ヴィルヘルム1世は騎士道を重んじ万事控えめな性格であった。軍と行動する時は自分も粗末な寝所と粗食に甘んじ、生涯自分専用の客車や自動車を持たなかった。また、自分の居室を歩く時でさえ足音が階下の者の迷惑にならないようにと気を使うほどだったという。
嘘や誤魔化しを嫌い、常に正直であろうとするヴィルヘルムの態度は人間としては立派だったが、その清廉さでは権謀術数渦巻く欧州で列強に出遅れたドイツを盛り上げていくことは難しかった。
そこを補ったのが政治の酸いも甘いも知り尽くしたビスマルクで、国家のアイコンとしてのヴィルヘルム1世、実務担当のビスマルクというフォーメーションをとった2人を中心に、バラバラだったドイツは強大な帝国へと成長していくこととなる。
なお、意外にもと言うか、当然ながらというか、ヴィルヘルム1世とビスマルクは個人的にはあまりソリが合わず仲がよくなかったらしい。それでも互いに相手を深く信頼しあっていたというから、今で言うツンデレカップルのようなものか。薄い本が捗りそうである。

さて、統一前のプロイセン王国にも小規模な海軍がありドイツ帝国海軍はそれを引き継いだが、プロイセンは超陸軍国なので海軍は「一応、持ってます」的な嗜み程度の戦力だった。それを引き継いだドイツ帝国でも海軍は「ないよりはマシかも知れない」程度の扱いで、どれぐらいどうでもいいと思われていたのかと言うと、初代ドイツ帝国海軍長官アルブレヒト・フォン・シュトッシュ(Albrecht von Stosch)が陸軍歩兵大将の出身だったぐらいだ。たぶん、海軍は規模が小さすぎて高級将校まで昇進した人がいなかったんだな。
そもそもドイツの敵は伝統的に西のフランス、東のロシアなんで海軍の任務は沿岸防衛だけだった(ドイツが海外領土を獲得するのは1880年台中盤以降である)。
とは言っても、ドイツだって「海軍なんて未来永劫どうでもいいや」と思っていたわけではなく、シュトッシュは在任中にドックの拡大や海軍士官学校の創設など近代海軍を整備するための基礎の基礎を作るという業績を残した。

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アルブレヒト・フォン・ストッシュ。1897年の年鑑からの引用らしいので長官退任後の肖像。
1878年5月31日、ドイツ海軍がせっかく建造した最新の砲塔艦SMS グローサー・クルフュルスト(Grosser Kurfürst。後に建造された弩級戦艦ケーニッヒ級2番艦とは別の船)が英仏海峡航行中、漁船を避けようとして急に進路変更したら隣にいたSMS ケーニッヒ・ヴィルヘルム(König Wilhelm。直訳すると「ヴィルヘルム王」だが、後の皇帝ヴィルヘルム1世のことで、ドイツ統一前のプロイセン王時代の命名)が横っ腹に突っ込んできて沈没、270人が犠牲となる事故が発生した。この事故の責任所在を巡ってストッシュは政府と対立し1883年に辞任している。

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横転沈没するグローサー・クルフュルスト。1878年の書籍から。こういう事故が起こるということは、ドイツは海軍はまだまだ練度が低かったということなのだろう。
なお、この艦の名前は17世紀のプロイセン公フリードリヒ・ヴィルヘルムの通り名、「大選帝侯(der große Kurfürst)」にちなむもの。 フリードリヒ・ヴィルヘルムのころのプロイセンはまだ公国で、次の代のプロイセン公フリードリヒ1世が神聖ローマ皇帝から「王になってもいいよ」と言われたので初代プロイセン王になった。
ただでさえフリードリヒとヴィルヘルムが入り乱れて何が何だかわからないことになっているプロイセン公=王のみな様だが、さらにフリードリヒ1世はブランデンブルク候も兼任しており、ブランデンブルク候には彼の前にフリードリヒが他に2人いるので、この人はプロイセン王としてはフリードリヒ1世、ブランデンブルグ候としてはフリードリヒ3世になるという複雑怪奇なことになっていた。
(中編に続く)


表紙画像はHMV社のページから引用。

参考ページ:
https://en.wikipedia.org/wiki/SMS_Grosser_Kurfürst_(1875)
https://ja.wikipedia.org/wiki/アルブレヒト・フォン・シュトッシュ

その他の参考ページは順次記載。

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Orel ソビエト装甲トラクター ХТЗ-16・後編

あんまり3Dモデリングのセンスがないもんで、複雑な曲面で構成される形を作るのにいっそ紙粘土で原型作って3方から写真撮って3Dに起こした方が手っ取り早いんじゃないだろうか、とひらめいたものの紙粘土を買っただけでなんか満足してしまい、袋の中でカチカチに固まった紙粘土の塊だけが手元に残った筆者のお送りする世界のカードモデル最新情報。本日はウクライナOrel社からリリースされた新製品、ソビエト装甲トラクター ХТЗ-16の紹介3回目。

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1941年8月、СТЗ-3に装甲ボディを被せた車両は完成し「ХТ3-16(KhTZ-16)」の名前が与えられ直ちに量産が開始された。
トラクターに装甲ボディを被せただけの急造戦車ということで、НИ-1(いわゆる「オデッサ戦車」)と一緒に語られることもあるХТЗ-16だが、向こうがオデッサ守備隊がありあわせの資材ででっち上げた狭義の「急造車両」であったのに対し、ХТЗ-16は応急車両ながら、一応国防委員会が正式に認めた車両であり、「ХТ3-16」も公式な名称である(「НИ-1」は俗称)。ただし、一部の公式記録には「Т-16 (ХТЗ)」と記載されていることもあるそうだ。
ちょっと意外だが、ХТ3-16は正式な車両なので軍のトライアルに合格している。この試験でХТ3-16は470キロを走破し、路面の状態が良ければ時速17キロで走ることも可能だった。しかし装甲板に囲まれたエンジンは加熱しやすく、また背が高いために左右の傾斜に弱い(24度を超えると横転の危険性がある)という欠点があったという。

それでは、Orel社公式フォーラムから引用した完成見本写真でその姿を見てみよう。

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お、このアングルだとちょっと強そう。
主砲はT-26やBT戦車も積んでいる45ミリ砲なので意外と攻撃力はある。もとより真正面からドイツ戦車と撃ち合うような車両ではなく、待ち伏せして45ミリ砲弾を浴びせてすぐ移動する自走対戦車砲なのだから使いようによってはそれなりの戦果が期待できそうだ。なお、日本語版Wikipediaにのみ「武装は車両によってまちまちだが、DT機銃と軽量な山砲もしくは対戦車砲という組み合わせが多い」という記述があるが、この部分の引用元が書かれていないので何に基づいている情報なのかちょっとわからない(ロシア語版などでは武装は45ミリ砲と書かれている)。
また、「農業用トラクターを改造した」と表記されることの多いХТ3-16だが、厳密には軍用牽引トラクターСТЗ-3がベースなので農業用トラクターの改造ではない(もっともСТЗ-3の原型が農業用トラクターなので、あながち間違いでもない)。

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一見それなりに見えるХТЗ-16だが、やっぱり足回りの貧弱さは隠せない。主砲の45ミリ砲は1分間に5発の割合で発砲が可能だったが他の戦車に比べるとХТЗ-16の射撃は命中精度がやや劣ったそうで、これはサスペンションが柔らかすぎて発砲の動揺が収まるのに時間を要したからだろう。
ところでХТЗ-16の「16」ってどこから来た数字なんだろう。最初、重さなのかと思ったがХТ3-16の自重は7トン(資料によっては8.6トン)しかないので違うようだ。なお、自重7トンでも原型のトラクターの自重5トンよりは格段に重くなっているので、シャーシは強化されていたそうだ。また、履帯と転輪の一部はスターリングラードトラクター工場製砲兵トラクターСТЗ-5のものと交換されていた。

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一瞬だけ強そうに見えたХТЗ-16だが、冷静になってみるとやっぱり変なカタチだ。
ボンネット部分だけ装甲がリベット止めになっているが、これはおそらくエンジン交換時に装甲板を外せるようにだと思われる。装甲は側面13ミリしかなく小銃弾が防げる程度だったが、車体前面だけは30ミリもあり、これは20ミリ機関砲程度なら耐えられる計算だったので、2号戦車となら真正面向き合って撃ち合っても勝てそうだ。側面に回られたら負けちゃうけど。

ХТЗ-16は10月までにハリコフで1000輛、スターリングラードで500輛を組み立てるという壮大な計画が立てられたが、ドイツ軍の前進は想定以上に早く9月半ばにハリコフ工場は疎開準備に取り掛からなければならず、生産は遅々として進まなかった。
10月にはハリコフにドイツ軍が迫ったが、ブリヤンスク方面を突破して進むドイツ軍に対応するために戦車戦力を派遣していた赤軍はハリコフ防衛に割ける戦力がなく、第197突撃砲大隊の3号突撃砲12輛に支援されたドイツ軍に対してかき集められた装甲戦力は訓練用のT-27豆戦車25輛、修理中だったT-26戦車5輛(年式不明)、まさかのT-35多砲塔戦車4輛、そして13輛のХТ3-16というものだった(数字の上ではそれなりの数に見えるが、状態が不明で実際にどれほどの戦力となったのかは疑わしい)。
結局、キエフを占領して勢いに乗るドイツ軍を押し止めることはできず10月24日にハリコフは陥落する。
しかし、陥落直前の10月20日までに列車300編成に分乗してハリコフの工作機械はほとんどが運び出されており、これらは遠くウラル山脈で組み立て直され赤軍反攻のための貴重な戦力を生み出すこととなる。それを考えると、ハリコフ守備隊はわずかながらもドイツ軍を足止めするという目的をよく果たしたと言えるだろう。

ハリコフの陥落でХТЗ-16の生産は終了、最終的に完成したХТЗ-16は142輛に過ぎなかったとされている(スターリングラード工場はT-34の生産が忙しくって、ХТ3-16は1輛も作らなかった。ただし、資料によってはハリコフで生産されたのは約80輛で、他にパーツをスターリングラードに輸送して組み立てられたものが数十輛あったとしている)。
ハリコフで破壊されなかったХТЗ-16もドイツ軍の奔流の中次々に破壊されたが、モスクワ防衛戦時には第133戦車旅団が10輛程度のХТ3-16を保有していたことがわかっている。
ХТ3-16が最後に戦闘に参加したのは1942年5月、ハリコフ奪還のための戦い(第二次ハリコフ戦)だと考えられている。

なお、ウクライナ キエフの大祖国戦争博物館にХТ3-16とされる車両が展示されているが、どう見てもХТ3-16とは形が違う。

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(Wikipediaからの引用)
なんだか全体的にヘニャヘニャとした感じで、映画撮影かなにかのために作られた車両なのかもしれない。主砲も37ミリ機関砲っぽくて、日本語版Wikipediaの「武装は車両によってまちまち」という記述の出処はこの辺なのかも知れない。
また、クビンカにも似たような車両が展示されているが、そちらはそもそも足回りがХТ3-16と異なっている。
この2輛は世界中の現存車両情報がまとめられているSurviving Panzersによると、両方とも「reproduction」(再現車両)とのこと。
ウラル山脈東側、エカテリンブルクにほど近いヴェルフナヤ・ピシュマという場所にある軍事装備博物館に非常に状態のいいХТ3-16が展示されているが、これも近年になって作られた再現車両とのことである。

祖国を守るためにトラクターなりに頑張ったけど、まぁやっぱり無理だった感じのソビエト装甲トラクター ХТЗ-16は陸モノスケール25分の1で完成全長約17センチという小柄な車両。あんまりディティールもないので難易度は3段階評価の「2」(普通)、そして定価は226ウクライナ・フリヴニャ(約900円)となっている。当キットは急造装甲車両ファンのみならず、ソビエト製トラクター好きのモデラーにもオススメの一品と言えるだろう。
またMODELIKより発売されているT-27、T-26、T-35のキットと組み合わせデコボコハリコフ防衛隊を机上に再現するのもおもしろそうだ。



キット画像はOrel社公式フォーラムからの引用。

*定価はあくまでも現地で購入する場合の値段です。日本国内で購入する場合には輸送費などを考慮し、2倍~3倍程度になるとお考えください。

参考ページ:
https://ja.wikipedia.org/wiki/KhTZ-16
https://en.wikipedia.org/wiki/First_Battle_of_Kharkov
それぞれ日本語版、英語版、ロシア語版を参考とした。

https://nornegest.livejournal.com/497578.html
ХТ3-16の詳細な記事。貴重な写真も多い。

https://yuripasholok.livejournal.com/8920804.html
軍事装備博物館のХТ3-16紹介記事。砲などのパーツは一部他の車両から持ってきた本物を使用しているようだ。
今回のキットも、この車両を取材して作られたのかもしれない。

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Orel ソビエト装甲トラクター ХТЗ-16・中編

以前にどこかで聞いた「夢見るシャンソン人形」という古いフランスのポップスを、なぜかフランス語版セーラームーンの主題歌だと思いこんでいた筆者のお送りする世界のカードモデル情報。なんでそんな訳のわからない勘違いをしてたんだ。そんなわけで今回もウクライナOrel社からリリースされた新製品、ソビエト装甲トラクター ХТЗ-16の紹介。

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前回はソビエトが国産トラクターの開発に成功したけど、装輪トラクターはロシアの大地で具合が悪い、そういえばスータリングラードトラクター工場では履帯式トラクター作ってるらしいよ、ってところまで。読み返したら、なんかすごい中途半端なとこで終わってました。すんません。

トラクターの開発生産を管理するためソビエト中央に設立された自動車トラクター研究所(Научный АвтоТракторный Институт、略称НАТИ)はСХТЗ15/30に対する要望とСталинецトラクターの実績を組み合わせ、1937年に新型トラクターの設計を完了。ただちにスターリングラード工場、ハリコフ工場で「СХТЗ - НАТИ」(SKhTZ-NATI)の名前で生産が始められた。

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Wikipediaからの引用で、作業中のСХТЗ - НАТИ。どうやら戦後東ドイツで撮影された写真のようだ。履帯式となった足回りと半密閉式のキャビンに注目。こんな中途半端のキャビンで意味あるんだろうかと思うが、これでも15/30の吹きさらしよりは良かったようだ。雨降っても作業できるしね。
СХТЗ - НАТИはまとまりの良いトラクターだったようで、1938年のパリ国際産業展示会でグランプリを受賞している。
なお、СХТЗ - НАТИはСТЗ-3(STZ-3)と表記されることもあるが、どうやら厳密にはSTZ-3は軍用のサブタイプだったようだ(具体的な差は不明。おそらく、牽引具の有無などだろう)。
また、スターリングラード工場ではSTZ-3のコンポーネントを流用した砲兵トラクター、STZ-5を開発している。STZ-5はキャビンが密閉式になるなど、より本格的になっていたが軍用としてはややサスペンションが悪路に弱く、また接地圧も高かったようだ。
STZ-5は戦前、戦中合計で生産台数9944輛と、牽引車両としてはやや少数生産に終わったが一部がBM-13-16ロケットシステム、いわゆる「カチューシャ」を搭載した自走ロケット車両に改造されている。

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これもWikipediaからの引用で、カチューシャを搭載したSTZ-5。飛んでいくロケット弾の炎からフロントガラスを守るためのシールドを下ろした状態。ランチャーがこの角度だと下段のロケット弾がキャビンの後頭部を直撃しそうで怖い。この車両は完全レストアされ、2015年に地元の戦勝パレードに参加しているようだ。
通常見かけるトラクターと違い、密閉キャビンが前よりにエンジンを跨ぐ形に設置されているが、これはカチューシャランチャーを据えるための改造ではなく、STZ-5はもともとこういうレイアウトである。おそらく後部に砲員や砲弾を載せるカーゴスペースを設けるためだろう。
STZ-3、STZ-5とも「СХТЗ(スターリングラード・ハリコフ トラクター工場)」ではなく、「СТЗ(スターリングラード トラクター工場)」なので軍用型はスターリングラード工場でしか生産していなかったようだ。

ソビエト人民は快適な新型トラクターも手に入れ、さぁ思う存分畑を耕すぞ! と意気込んだ途端にそれどころではなくなってしまう。
1941年6月、ドイツ軍がソビエトに侵攻し、赤軍は目も当てられないような大損害を受けながら大敗走。最前線に配置されていた大量の戦車を失ったことに衝撃を受けた国防委員会は7月20日、決議第219号「装甲車両2000輛生産計画」を決議する(いつまでに2000輛生産するのか、期間はよくわからない)。
これを受け、本来は戦争と関係ないНАТИもT-60軽戦車の生産準備を始めていたハリコフトラクター工場、T-34の生産準備を始めていたスターリングラードトラクター工場に取り急ぎ既存のトラクターを装甲車両に改造するよう指示を出す。
実は、ソビエトでは1930年台初頭にも既存のトラクターを装甲車両化する実験は行っていたのだが、プロジェクトを担当したニコライ・ディレンコフ(Николай Иванович Дыренков)という技術者が以前にもGAZ-A乗用車のシャーシに装甲ボディを載せたらショボ過ぎて28輛で生産が終わったD-8装甲車(MODELIKからキットが出ている)とか、水陸両用で車輪走行もできて砲塔も2つあるという超欲張り仕様だったが性能が爆死モンで試作一輛で終わったD-4戦車とかを作った前科者だったんで、完成した試作戦車D-10とかなんか装甲兵員輸送車らしいD-14とかもやっぱり使い物にならなくて「こりゃ無理だわ」という結論でプロジェクトは破棄されていた。
なお、ディレンコフはあんまりにも駄作を連発するもんだから1937年に「お前、わざとやってるだろ」と逮捕されてサボタージュの罪で処刑されてしまった。一応、彼の名誉のために追記しておくと、NKVD用の装甲鉄道車両D-2(MODELIKからキットが出ている)みたいな、そこそこな車両も設計している。まぁ、ソビエトの装甲車両で名前が「Д(D)」+番号で、見た目がアレな車両はだいたいこの人の仕業と思って間違いないだろう。

そんな苦い失敗を経験していたものの、背に腹は変えられない。あと、問題児のディレンコフももういない。というわけでNATIは1ТМВ、СТЗ-3、СХТЗ-НАТИ、СТЗ-5の4種類のトラクターをベースとした応急装甲車両のプロトタイプを8月始めまでに完成させる。と、資料に書いてあるのだが「1ТМВ」という車両がなんなのかどこにも書いていない。あと、СТЗ-3とСХТЗ-НАТИが別になっている理由もよくわからない。基本的に同じもんなんじゃないのか、この2輛って。
あと、ある程度の準備があったのかもしれないが、7月20日に国防委員会から増産命令が出て8月始めに試作車両完成、ってのも凄い話だ。
とにもかくにも、4種類の試作車両を試験した結果、СТЗ-3をベースとした車両が最もなんとかなるだろう、という結果となり量産に移されることとなった。
(後編に続く)


表紙画像はOrel社サイト公式フォーラムからの引用。

参考ページ:
https://ru.wikipedia.org/wiki/СХТЗ-НАТИ
https://ru.wikipedia.org/wiki/СТЗ-5-НАТИ

http://www.avtomash.ru/katalog/histori/muzei_t/index.html
ソビエト・ロシアの非軍用車両についての情報サイト、avtomash.ru内の農業トラクターのページ。通史や各車両の情報が細かくまとめられている。

その他の参考ページは順次記載。

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