オートジャイロの発明・後編

いよいよ関東も梅雨入り。雨の谷間に散歩に出かけ、立ち寄った公園で無駄にハッスルして鉄棒に両腕を突っ張り体を持ち上げた途端に肩がビキッとなってそのまま帰った筆者のお送りする世界のカードモデルにまつわるあれやこれや。今週は日曜出勤なので土曜更新でオートジャイロの発明第三回、最終回にしてついにオートジャイロの登場だ。

失速しても墜落しない夢の飛行機実現のために「回転翼」のアイデアを思いついたフアン・デ・ラ・シエルバは1920年8月27日にスペイン特許第74,322号を取得、資金も調達していよいよ回転翼機の制作に挑む。が、いくらシエルバが天才的航空エンジニアだったとは言え、新しい種類の航空機を作ったぜ! 完成したぜ! 飛んだぜ! とはいかなかった。

前回も説明した通り、揚力は翼に空気が当たって発生する。そして、その力の強さは当たる空気の速度に比例する。抵抗のことを考えなきゃ、速い飛行機ほど小さい翼で飛べるわけだ。だからすごく速度が速いF-104なんかは心配になるぐらい翼が小さい。
回転翼の場合、ローターがその場で回るだけなら問題ないのだが、オートジャイロのローターは前進することでローターに空気の流れが当たって回転し、揚力を産む。
そのため、後ろから前へ羽根が向かう回転の半分ではローターの羽根に「回転+前進」の空気が当たり、前から後ろへ向かう半分ではローターの羽根に「回転-前進」の空気しか当たらない。
そのため、なにも考えずに回転翼を回しながら前進すると左右で発生する揚力が非対称となり、ローターが揚力を発生した途端に機体が横転することになる。

もちろん、フアンがそんな事に気づかなかったわけがない。
そのため、試作オートジャイロ1号、C-1(SPAD機の胴体の上に回転翼をつけた)は揚力の非対称性を相殺するためにロマン炸裂の2重反転ローターを装備していたが、試験飛行で揚力が発生すると機体は急激に傾き操縦不能となり離陸を断念せざるを得なかった。理由は簡単で、上のローターと、その気流を受ける下のローターでは発生する揚力が等しくなかったからだ。フアンは最初、上下のローターをリンクする機構で回転数を上下変化させてうまいことつじつまを合わせる事を考えたが、機構が複雑になるためにこれを断念せざるを得なかった。そんなもんが空中で呼称したらたちまち墜落だ。
二重反転ローターを諦めたフアンは続くC-2(胴体はアンリオ複葉機)、C-3(胴体はSommer単葉機)は単一ローターで制作した。非対称性を解消するためのアイデアは、ちょっと資料を読む限りではよくわからなかったのだが、どうも柔らかく長い羽根がしなることで揚力が調整されることを期待していたようだがこれは思い通りの効果を発揮せず、C-2、C-3とも地面をポヨンポヨン跳ねたりひっくり返ったり修理したりを繰り返していた。

調達した資金も残り少ない。どうすればこの問題を解決できるのか。解決のヒントを得られないまま、フアンは気晴らしにオペラ鑑賞へと出かけた。
演目はわからない(ミゲル・デ・セルバンテスの「ドン・キホーテ」だったかも知れない)が、とにかく風車の登場する演目であった。
フアンは大通具係がその風車を引っ込める際に、ヒンジで羽根を畳むのを見逃さなかった。
ヒンジで上に折り畳まれるように羽根をシャフトに取り付ければ、揚力の発生した羽根は上へ持ち上がる。つまり地面への投影面積が減る。そのため、機体を真上へ引っ張り上げる力も減る。逆に揚力が減ると、羽根は水平に戻る。そうすると、今度は機体を引っ張り上げる力が増す(遠心力の影響で水平になろうとする力も働く)。
これなら、強すぎる揚力が打ち消され、左右非対称も解消されるに違いないとフアンは確信した。なんとも単純で、そんな単純なことでいいのか、と思うのだが、ものは試しだ。
ヒンジを装備したC-4(胴体はC-3のものを流用したらしい)は1922年春に完成。ヒンジの仕掛けは見事に効果を発揮し、フアンの回転翼機はついに飛行に成功した。しかし、フアンは焦らず慌てずさらに細かい問題点を修正、機構を洗練し1923年1月、公開実験を行う。
この実験でC-4は危なげなく約200メートルを飛行。ついに世界初の実用回転翼機「オートジャイロ」が誕生した瞬間であった。
さらに数日後の試験ではエンジンが空中で故障、あわや、というシーンだったがC-4は回転翼を回しながら軟着陸を果たし、フアンの夢見た「失速しても安全な航空機」であることを立証する。

「新しい航空機」の誕生に、世界が飛びついた。
イギリス、フランス、ドイツ、日本、ソビエトなどが次々にフアンの制作したオートジャイロを購入し、ライセンス生産を行った。
フアンも機構をさらに洗練し、共鳴などの問題を解決していく。
1928年にはC-8L4がロンドンからパリまで飛行し、世界で初めて英仏海峡を越えた回転翼機となった。
離着陸距離の短いオートジャイロは軍の観測機に最適で、海軍の小艦艇からの運用も考えられていた(1934年3月、スペイン海軍がCL-30で世界初の艦艇への回転翼機着陸に成功)。
フアンはさらに離着陸距離を縮めるために、C-19では離陸前にエンジンをローターにつないであらかじめ回転させる機構を追加。もともとの出発地点は違ったが、ここまでくれば垂直離着陸できる「ヘリコプター」の発明も目前であった。

しかし、物事を成し遂げるにはあまりにも時代が悪かった。
1936年7月、フランコ将軍がモロッコでクーデターを起こしスペイン内戦が始まる。
フアンはファシスト軍の支援者であった。これには保守派政治家であった父親の影響もあったのだろう。フアンはオートジャイロの販売で培ったコネクションを活かし、蜂起したファシスト軍をスペイン本土へと運ぶための航空機の手配に奔走する。
そのさなかの1936年12月9日、イギリスのクロイドン空港から搭乗したオランダ行きDC-2が離陸直後に濃霧の中で機位を誤り民家の煙突に激突し墜落炎上。オートジャイロと回転翼の発明者、フアン・デ・ラ・シエルバはわずか41歳で死亡した。

内戦はスペインに深い傷跡を残した。保守政治家であったフアンの父は首都マドリードが共和国軍の支配地域となったためにノルウェー大使館に避難するもそのまま軟禁状態となり、1938年に健康を害し死亡。弟リカルドはフランスに脱出しようとしたが共和国軍に囚われ、パラクエジョスの虐殺で死亡している。
スペイン内戦に続く第二次世界大戦は航空工学の急速な発展をもたらし、終戦時にはすでに実用ヘリコプターが飛ばせるだけの軽量・強力なエンジンが実用化されていたために、中途半端な能力のオートジャイロが空の主流となることはなかった。
しかし、フアンが試行錯誤した回転翼の様々な基礎技術は現代のヘリコプターにも受け継がれており、フアン・デ・ラ・シエルバこそが全ての回転翼機の父であると言っても過言ではないだろう。
また、近年になって安全で手軽な空の乗り物としてオートジャイロを再評価する動きもあるようだ。もしかすると、自家用電動オートジャイロでちょっとそこまで買い物に、なんて未来はすぐ目前に迫っているのかも知れない。

最後に、カードモデル情報サイトらしくキットのことを少し。
シエルバの設計したオートジャイロのうち、イギリスのアブロやドイツのフォッケウルフでもライセンス生産された C-30が航空機キットを多数デジタルでリリースしているブランド「der Kampfflieger」から発売されている。

KMF_Cierva_C30_Avro_Rota_2.jpg KMF_Cierva_C30_Avro_Rota_5.jpg

写真はEcardmodelsからの引用。
スケールは48分の1と、カードモデルとしてはミニスケールだがオートジャイロの華奢な感じはよく出ていると言えるだろう。
der Kampffliegerでは上記アブロライセンス機やフォッケウルフライセンス機に加えて、ベルギー軍やスウェーデン軍、ユーゴスラビア軍など総計10種類のスキンが楽しめるマルチキットも12ドルで発売中。オートジャイロファンなら是非とも押さえておきたい一品だ。また、ModelArtからリリースされている最新オートジャイロ、ELA 07 "Cougar"と作り比べてみるのもおもしろそうだ。


参考ページ:
http://juandelaciervacodorniu.com/
フアン・デ・ラ・シエルバの偉業を讃え、レプリカ機の制作などを企画している財団。フアンの少年時代のエピソードは、ほぼここからの引用。

https://ja.wikipedia.org/wiki/フアン・デ・ラ・シエルバ
https://ja.wikipedia.org/wiki/オートジャイロ
それぞれの英語版、スペイン語版も参考とした。
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オートジャイロの発明・中編

ホームセンターに言ったら必ず買うものは? と聞かれたら「ボンド、木工用ボンド」と某英国エージェント風に言って憚らない割に、「ボンド」がコニシ株式会社の登録商標だということをつい最近知った筆者のお送りする世界のカードモデルにまつわる、ちょっとどうでもいい感じだけど筆者がすごく気になった話。
一週休みを挟んだが、今回はオートジャイロの話の続きだ。

前回、中高生で有人滑空機を作り上げ見事飛行を成し遂げるというホビー少年なら誰もが夢見る偉業を実現してみせたフアン・デ・ラ・シエルバ、ホセ・バカラ、パブロ・ディアスの空飛ぶわんぱく三人衆だったが、彼らの次の目標はすでに決まっていた。滑空機の次に目指すのは、もちろん動力飛行だ。
最大の問題はエンジンをどうするかだった。時は第一次大戦前、まだ車もオートバイもほいほいそこらを走ってる時代ではない。有力政治家だったフアンの父親は自動車を持っていたかもしれないが、さすがにそのエンジンを持っていっちゃたらマズい。
3人はなんとかしてエンジンを手に入れたいという思いを胸に、新たに整備された飛行場に日々通っていた。
そこではフランス人達がフランス機を操縦しており、熱心な3人は操縦士と打ち解け機体を見学させてもらっていた。
ある日、そのうちの一機(Sommer複葉機)が墜落する。操縦士は無事だったが、機体は破壊された。
飛行場の端に放置された残骸を見ていた3人は望んだものがそこにあるのを発見した。

フランス人飛行士からエンジンを譲り受けた3人は1912年、推進式複葉機「BCD-1」を完成させる。この機体は基本的にはエンジンの提供元となったSommer複葉機を踏襲したものであったが、各所に改良が加えられていた。名前の「BCD」というのは、もちろんこの飛行機を作り上げた3人の頭文字だ。
機体を覆う帆布に塗るドープ塗料が手に入らなかったために機体は間に合わせの赤一色で塗られ、それゆえ3人はこの機体を「蟹(カニ)」と呼んでいた。当時のスペインで赤いものと行ったら文句なしにカニだったのだろうか。カニカニどこカニ。
完成したBCD-1蟹号は飛行場へ運ばれ、見事に飛行した。立ち会ったフランス人飛行士に言わせると、ヘタすりゃ原型のSommer複葉機より性能良かったそうだ。基本設計はSommer複葉機の流用で完全オリジナルではないとは言え、経験豊富な設計士たちが寄ってたかってデザインしたのにまともに飛ばなかった飛行機だって後世にいっぱいあるんだから、これはやっぱり快挙と言っていいだろう。
前回のグライダーは写真が残されていないが、BCD-1は3人と一緒に写っている写真が残されており、一般的にはこの3人のティーンエイジャーが手探りで作り上げたBCD-1が、スペイン初の国産機とされている(異論もある)。
BCD-1は飛んだが、これは美しく輝く少年時代の最後の煌めきでもあった。
3人は大人になりそれぞれの道へと進む。
この物語にはこれ以降、ホセ・バカラとパブロ・ディアスの名は登場しない。

フアンは大学に進学したが、当時はまだ「航空工学」の学部がなかったので土木工学へと進んだ。
はなから建築技師になるつもりのなかったフアンだったが、大学で数学の理論を学んだことは、彼の観察と直感で成り立っていた設計に理論的な裏付けを与えることとなった。
1919年、大学を卒業したフアンはいよいよ本格的に航空設計士としてのキャリアを始めるために、まず手始めに軍の爆撃機トライアルに応募することとした。

フアンは資金を集めイスパノ・スイザ220馬力エンジン3発の大型機を完成させる。この機体はおそらくスペイン初の国産三発機であり、当時スペイン最大の機体であった。
軍の飛行場に持ち込まれたこの大型機をテストするのはフリオ・リオス(Julio Ríos Angüeso)。リオスは1913年11月13日、スペイン領モロッコでファルマン機を駆って反乱軍陣地を偵察したことがあり、その際に射撃を受け重傷を負いながらも基地まで帰り着き機体を無事着陸させた世界空戦史での極初期の空の英雄であった。
しかし、彼には大型機の操縦経験はなかったし、さらに試験するフアンの三発機はスペインにそれまでなかった大型機である。
1919年6月、フリオ・リオスは2度めの試験飛行で機体を大きくバンクさせ、小型機のような急なターンに入ってしまった。
三発の大型機でそんな挙動ができるはずがない。たちまち失速し、試験機は墜落した。
幸い、リオスに大きな怪我はなかったが機体は失われ、資金の尽きたフアンは再度試験機を制作することはできなかった。
ついでにスペイン国産機の試みも、これ以降どっか行ってしまう。

苦労して作ったグライダーは弟のリカルドが失速させて墜落大破した。そして、今度は本格的な航空機制作第一号となるはずの試作3発機が軍のパイロットのミスで失速、墜落大破した。
普通なら、ザケンナコンチクショーとなるところだが、いや、少しはなったかも知れないが、これらの事故、そして航空史に延々と連なる墜落死した飛行家達の墓標がフアンに一つの大きな課題を与えた。
「なんとかして、失速しても安全に着陸できる飛行機を作ることはできないだろうか」

この発想から辿り着いた結論が「回転翼」であった。
飛行機は翼に風が当たって揚力を産む。
しかし、何らかの原因で翼に当たる風の速度が落ちすぎると揚力が足りなくなって飛行機は落ちる。それでも飛んでりゃ苦労しない。
そこで、垂直に立てた中心軸に何枚も細い翼を取り付け、これを回転するようにする。
そうすると、機体速度が落ちすぎて落下を始めても、下から風を受けた翼がくるくると回転することで翼から揚力が発生するというわけだ(もちろん、揚力が発生したら落下が遅くなり、翼の回転も遅くなって揚力が減少するので「落ちた勢いで昇って」いったりはしない)。やったぜ。
この回転翼に動力をつなげてブン回せば、前進しなくても上昇できる「ヘリコプター」になるが、フアンは別に「落ちない飛行機」が作りたかっただけなので、そっちへは進んでいかなかった。そっちへ進んでいった発明家達は、当時の重く非力なエンジンでは「どんなにブン回しても機体が持ち上がらない」という入り口でつまづいてその先へ進めなかったので、この割り切り方は結果として良かったと言えるだろう。
(後編に続く)


参考ページは後編にまとめて掲載予定。

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本日更新休止のお知らせ。

本日本業多忙のため、更新休止させていただきます。
夏頃までちょっと飛び飛びになってしまうかもですが、またのお越しを心よりお待ちしております。

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オートジャイロの発明・前編

ホビーショーの熱気も落ち着き、モデラーにとっての新年度がスタート。熱意にうなされているうちに勢いで新しいキットをいくつかホッチキスを外してしまい、ようやく落ち着いてから途中のプロジェクトを終わらせなければ、と慌てて軌道修正中の筆者がお送りする世界のカードモデル情報。前回「話が長くなるので今回は触れないでおこう」と書いたオートジャイロの歴史だが、やっぱりオモシロ過ぎるで今回から3回に分けて紹介していきたい。
まずは、念のために「オートジャイロ」という機種の説明から。

800px-Paris_Air_Show_1934_Cierva.jpg

いきなりだが、写真はWikipediaからの引用で1934年、パリ航空ショー(後ろの建物に「SALON DE L'AVION」の文字が見える)でデモ飛行を行うオートジャイロ。
一見、ヘリみたいにローターで垂直に飛び上がって飛行機みたいにプロペラで前進する、分業制オスプレイみたいに見えるオートジャイロだが、実際にはこのローターは動力につながっていないので垂直上昇はできない。動力につながっていないなら、これどうやって回るのかというと、プロペラで前進すると風が当たってクルクル回る。そうするとヘリコプターみたいに機体を上に引っ張り上げる力(揚力)が発生して飛ぶ。
そんなんで飛ぶんかいな、とも思うのだが、そんなんで飛ぶのだ。
オートジャイロの利点は飛行機よりも離着陸距離が短く、ヘリコプターよりも構造が単純(ローターが動力につながっておらず、操縦は尾翼で行うため)なこと。しかし、その構造上あまり巨大なものは作れず、積載能力でも飛行機、ヘリコプターにはかなわない。
この、不思議な感じの航空機を発明したのがスペインの航空エンジニア、フアン・デ・ラ・シエルバ(Juan de la Cierva y Codorníu)だ。

Juan_de_la_Cierva,_aeródromo_de_Lasarte,_1930

同じくWikipediaからの引用で1930年撮影のフアン。ゴーグルが横ちょに曲がってるのがお茶目。
名前のカナ表記で省略している「Codorníu」(コドーニュ)というのは母方の姓(スペイン人は基本的に両親の名字を継ぐ)で、フアンの母の父、つまり母方の祖父はリカルド・コドーニュ(Ricardo Codorníu)という人物で、スペインの森林資源の保護、再生に力を注いだ立派な人物であった。
なお、スペインワインのブランドに「コドーニュ」というのがありスペイン王室御用達の逸品として知られているが、ざっと確認した程度では2つのコドーニュ家が親戚関係にあるのかはちょっとわからなかった。
フアンの家計は母方だけでなく、息子と同じ名前の父ファン・デ・ラ・シエルバ(Juan de la Cierva y Peñafiel)もアルフォンソ13世統治下のスペイン王国で戦争大臣、開発大臣、財務大臣などを歴任した立派な人物であった。

1895年生まれのファンが8歳の時、海の向こうアメリカでライト兄弟が人類初の動力飛行に成功する。
フアン少年はこの新しい技術にたちまち夢中になり、近所のホセ・バカラ(José Barcala)、パブロ・ディアス(Pablo Díaz)と3人で小さな飛行クラブを結成し、模型飛行機の制作に熱中した。
1910年、スペインの空を初めて動力飛行機が飛んだ(たぶん、フランス機だろう)というニュースに触れた3人は居ても立ってもいられなくなり、一大プロジェクトをぶちあげる。
「人が乗れる飛行機を作ろう」
この時、最年長のディアスが17歳、他の2人はもう数年若かった。今で言う中学生程度だ。高校生と中学生が作った飛行機って、佐藤さとる御大の「わんぱく天国」か。

模型飛行機で自信を深めていた彼らは飛行機の制作自体には問題ないと思っていた。3人のメンバーのうちディアスの実家が木工職だったために労せず良質な木材を潤沢に入手できたし、工作機械も揃っている。
だが、彼らは「ぼくらは飛行機を作って、それに乗って飛ぶんだよ!」って言っても、大人たちはそんなことを絶対認めないだろうということを理解していた。うん。筆者だって止める。
そこで3人は、ディアスの実家、木工工場のガレージでこっそりとこの有人グライダーを完成させる。
1910年のある日(日付不詳)、彼らの手作りグライダーは近くの丘へと引っ張り出された。この作業を手伝ったのはフアンの弟のリカルドと、近所の子供達。子供達の大部分は飛行機模型の兄ちゃん達が作ったグライダーの見事な飛行を疑わなかったという。
記念スべき初飛行の操縦席にはフアンが座った(フアンが選ばれた理由はわからないが、単に3人の中で最も体重が軽かったのかもしれない。冒頭の貫禄のある写真ではちょっと想像できないが)。抜け目なく前後にスライドさせることができるよう設計されている椅子を調節し、フアンは重心位置を理想の位置に合わせる。
車輪のないグライダーは全力で走る少年たちが掴んだロープに引かれソリで草の上を滑走、ふわりと宙に浮いた。フアンの計算は完全だった。
高度は人の身長程度、記録がないのでわからないが距離だって人力(しかも子供)の牽引力ではたかが知れているので大した距離ではないだろう。だが、それは確かに飛んだのだ。フアンは理論ではなく、観察と試行錯誤でここまで到達したのだった。

彼らは無事着陸したグライダーを丘の上へ引っ張り上げ何度も飛行を行ったが、数回飛んだところで弟のリカルドがゴネ始めた。アンちゃん、おいらも飛びたいよ、と。リカルドはこの時11歳か12歳。兄の後ろにくっついて模型飛行機を一緒に飛ばしていたリカルドは自分にも飛行機は操縦できると言い張った。
ついに根負けしたフアンはリカルドに席を譲り、再度全員でロープを引く。
体重の軽いリカルドの乗ったグライダーはこれまでの記録を大きく越え、十メートル以上まで舞い上がった。これにはギャラリー一同大興奮。ついでに乗ってるリカルドまで大興奮して操縦桿を引きすぎたため機体は失速、墜落した。

グライダーはもちろん大破しリカルドは昏倒していたが、幸い骨折などの深刻なダメージはなかった。
フアンは両親に「自転車で転んじゃってさ」と言い訳したが、フアン達のクラブの偉業は近所に知れ渡っており、すぐバレた。
両親の反応は記録されていない。
(中編に続く)


参考ページは後編にまとめて掲載予定。

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ModelArt スペイン オートジャイロ ELA 07 "Cougar"

先日、どうやら胸ポケットにガムを入れたままシャツを洗濯してしまったようで、ほのかなミント臭に包まれて一日を送った筆者のお送りする世界のカードモデル情報。本日紹介するのはブルガリアから世界にカードモデルを発信しているEmil Zarkov氏のブランド、ModelArt からスペインELA Aviación社のオートジャイロ、ELA 07 "Cougar"だ。

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カット画像が一枚もないのでショップにあった側面図。なんだか近未来SFに登場するガジェットのような見た目だが、実在する機体である。
作者のEmil Zarkov氏は現在、ZARKOV MODELSというオンラインのカードモデルショップを運営しており、ここでは氏の設計したキットはもちろんのこと、ちょっと変わった航空機を多数リリースしている「Models by Marek」、とても変わった航空機を多数リリースしている「Murph's Models」、控えめに言ってどうかしている艦船を多数リリースしている「Heinkel Models」などなど、錚々たるメンツのキットを購入することができる。
様々なデザイナーが作品を提供しているオンラインカードモデルショップと言えば当コーナーでもよく名前の出る「Ecardmodels」があるが、あちらはまだ1作、2作しか作品のない駆け出しモデラーでも登録できるのに対してZARKOV MODELSはそれなりの作品の設計経験があるベテランだけが作品を提供しており、品質の安定感という面ではこちらの方が上だと言っていいだろう。
EcardmodelsとZARKOV MODELS、両方で手に入るキットも多いが、何か目当てのキットがある場合はZARKOV MODELS、面白いキットはないかとショップをうろつくのならEcardmodels、といった感じで目的によって使い分けると良いだろう。

「ModelArt」ブランドは1990年代前半まだまだ世界的にカードモデルの認知度が低く、内容も、まぁ、アレだったころにデジタル設計による正確で美しい航空機キットを発表、現在でも全く見劣りしない抜群のクオリティで度肝を抜き「紙でこんなことができるのか!」と世界中を驚かせた。
最初にリリースしたキットは1992年にブルガリアで印刷出版された「32分の1メッサーシュミットBf 109 G-6(ブルガリア塗装)」で、東欧ローカルな販売だったのにわずか3ヶ月で5000部を完売したという(このキットは現在初版をスキャンしてデジタル化した「復刻版」がZARKOV MODELSで販売されている)。
作者Zarkov氏がブルガリア在住であったために(カードモデルの本場、ポーランドでも通用するように)英語マニュアルが完備されているのもインターネットとの親和性が良く、世界中のモデラーがカードモデルに着目する一つの大きなきっかけを提供したと言えるだろう(どうしてもポーランドのデザイナーはポーランド内での流通だけで満足してしまう傾向があり、今でもマニュアルがポーランドのみというキットは多い)。
ちなみにZarkov氏の本職はCADデータ制作の会社を経営しており、もともとデジタル設計は本職だったようだ。

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例として、2002年ごろにリリースされたMiG-3のキット完成写真。今でこそ標準的な仕上がりに見えるが当時このクオリティのキットというのは本当に珍しかった。

そんな、カードモデル新世紀の幕開けを支えた偉大なデザイナー達の一人と言っても過言ではないZarkov氏、2000年代初頭にデジタルデータ版の販売を開始したようだが筆者がカードモデルを始めた2000年代中盤にはすでに印刷版、デジタル版とも入手が難しくなっており、その後10年近く音沙汰のない「幻のメーカー」であった(ポーランドやロシアで現地出版社が印刷した「ライセンス版」が出版されており、こちらはもう少し後まで手に入った)。
しかし、近年になってModelArtブランドはデジタルデータでの販売を行うオンラインショップZARKOV MODELSのラインナップとして復活。クオリティが高いだけでなくカードモデル史的にも価値のあるレジェンド級キットの数々が購入可能となった上に、氏の新たなキットも楽しめるようになった。

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ショップでキット画像の代わりにアップされているELA 07 Cougarの実機写真。
尾翼に赤・黄・赤のスペイン国旗がペイントされているのでスペイン警察の塗装だと思うのだが、実際にオートジャイロがスペインで採用されているのか、それともアピール用の展示塗装なのかはわからなかった。ちなみにイラン警察は実際にこの機体を採用している。

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人と比較すると分かるが、非常に小柄な機体だ。
むきだしのエンジンなどはあまりカードモデル向けの機体とは言えないと思うのだが、これをベテランZarkov氏がどうまとめているのかは非常に興味深い。

今回新規デザインでリリースされたELA 07の実機を販売しているELA Aviaciónはスペイン、アンダルシア州コルドバにある会社で設立が1996年だからModelArtブランドよりも若い会社だ。
同社はオートジャイロ専門の会社で、最初の商品がこのELA 07。01から06まではどこに行ったのか、そして「ELA」がなんなのか、どこにも書いてないのでわからない。
ELA 07には練習機の「07S」、農業用の「Agro」などいくつかサブタイプがあり、今回キット化されたのはスカイスポーツ用の「Cougar」(さらに細かいオプション仕様もあるようだ)。
クーガーは機体重量わずか260キロ、乗員+荷物最大240キロを積んで最高時速160キロで飛行可能。燃料は75リットル入り、航続距離は約400キロとなっているので、飛行機というよりも「空のオートバイ」といった感じだ。オートジャイロの特色である離着陸性能は離陸に必要な滑走距離が120メートル、着陸は20メートルもあれば十分となっている。
また、ELA Aviación社ではやや小柄なELA 09 ”Junior”、密閉キャビンのELA 10”Eclipse”も販売している。
ちなみにELA 07の価格はだいたい5万ユーロ(約600万円)程度なので、興味のある読者は新車を購入する気持ちでホイホイっと買ってみるのもいいだろう。夕飯の買い物にスーパーまでオートジャイロで乗り付ければ町の話題独占は間違いなしだ。
なお、オートジャイロというのは実はスペイン人発明家、フアン・デ・ラ・シエルバ(Juan de la Cierva y Codorníu)の発明で、スペイン人にとっては思い入れのある機種。オートジャイロの歴史も興味深いのだが、それを書いてるとまた話が長くなるので今回は触れないでおこう。

ModelArt からリリースされたスペイン オートジャイロ ELA 07 "Cougar"は小柄な機体なので空モノスケールではなく、陸モノスケールの25分の1でのキット化だがそれでもかなり小柄な仕上がりとなるはずだ。内容不詳なので難易度はわからないが、メカがむき出しなので少し難し目に見積もった方がいいだろう。そして定価は7.95ユーロ(約950円)となっている。
オートジャイロファンのモデラーなら、このキットを見逃すべきではないだろう。腕に覚えのあるモデラーなら、まだネットでも完成写真を一切見ない当キットの完成レポート一番乗りを目指すのもよさそうだ。

最後に、内容については定評のあるModelArt旧キット群のデジタルデータについてだが、歴史あるブランドだけに現在は無数に海賊版が出回り手がつけられない状態となっている(これこそが、Emil Zarkov氏が一時期カードモデルから離れていた理由なのかも知れない)。ぶっちゃけ、ちょっとアレするだけでナニをソレできてしまうのだが、別に現在絶版で購入不能とかではないのだからカードモデルを愛するモデラーなればこそ、氏のキットに興味があればきちんとZARKOV MODELSで購入したいものである。



画像はZARKOV MODELSからの引用。

http://cadbest.com/store/en/?pid=1159
商品直リン

参考ページ:
http://www.elaaviacion.com/2017-2/
ELA Aviación社ページ

https://en.wikipedia.org/wiki/ELA_Aviación
https://en.wikipedia.org/wiki/ELA_07

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