Model-KOM ソビエト試作戦闘機 Su-15(1) ・後編

カッターマットは同じところばっかり使うもんだから、一箇所ボロボロ、後は新品ってことになりがちである。上下ひっくり返せば長持ち二倍だが、それにも限度がある。ボロボロの2箇所のためにピカピカの残り部分を捨てるのもモッタイナイと悩んだ結果、カッターマットの手前数センチ部分にカッターで深く切り込み入れてから折り曲げて割り、最後はハサミで切るという力技で切断して新品部分を使えるようにしてご機嫌な筆者がお送りする世界のカードモデル情報。本日はポーランドModel-KOMの新製品、ソビエト試作戦闘機 Su-15(1) の後編。

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斬新なタンデムツインジェットエンジンで単発の空気抵抗と双発の出力を狙ったSu-15(初代)だったが、時速800キロに達すると異様な振動が始まるという現象に悩まされていた。
42回、トータルで20時間の試験飛行が行われたが振動は不規則に発生し、一旦始まると速度を時速600キロ以下まで落としても止むことがなかった。現在では、Su-15の主翼はテーパーをつけない矩形翼を後退させている上に脚収納用の切り欠きを作ったために主翼付け根での強度が不足し、主翼がバタつくフラッター現象が発生していたものと推測されているが、当時の技術力では振動の原因を解明することはできなかった。

1949年6月、Su-15はどこまで速度が出せるかを試すこととなった。謎の振動がおさまらないままそんなテストしていいのかと思うんだが、もしかすると返って高速だと振動がおさまるかも? 的な希望的観測もあったのかも知れない。
この危険な飛行のテストパイロットに選ばれたのは、これまで4回Su-15で飛んでいるセルゲイ・アノヒン(Сергей Николаевич Анохин)。
アノヒンはこの手の危険な試験飛行のエキスパートだった。

セルゲイ・アノヒンは1910年モスクワの生まれ。学校を卒業してからは鉄道技術者を経てバスの運転士となったらしい。
1929年、アノヒンはレニングラードの赤軍グライダー学校に入学する。一説には、兄レオニードが抽選で当てたモスクワ遊覧飛行のチケットを譲ってもらい初めて空を飛んだ事に大きな感銘を受けたためだという。
1931年にグライダー学校を卒業したアノヒンはさらに高レベルの航空学校へ進み、ここでも非常に優秀な成績をおさめる。33年までにアノヒンはグライダーのスペシャリストとして数部門でグライダーの国内記録を保有、さらについでに習得したパラシュート降下でも高い技能を示していた。

1934年、アノヒンは彼のキャリアを決定づける実験に参加することとなる。
中央航空流体力学研究所、ЦАГИ(ツアギ)ではグライダーの翼の特性を調べるために同じ機体に違う翼を取り付けた4機のグライダーを製作したが、機体強度について製作した技術者(詳細不明。アントノフの弟子らしい)は「時速300キロまでいけますよ!」と豪語していたが、ツアギの技術者たちは「いや、これ時速220キロ越えたら分解するよ……たぶん……」と主張。両者の意見は平行線を辿り、最終的に「じゃあ、300まで実際に出してみようじゃないか」となった。とはいえ、当時は便利な自動操縦装置があるわけじゃなし、誰かが乗って飛ばなければならない。
この危険な試験の操縦士に選ばれたのがグライダー操縦に長けていて緊急時にはパラシュート脱出もできるセルゲイ・アノヒンだった。
10月2日、アノヒンの乗った実験グライダー「Рот Фронт-1」は曳航機に引かれて飛び立ち……時速220キロで空中分解した。アノヒンは崩壊する機体から無事に脱出、怪我一つなく地上に降り立ったばかりか、2週間後の18日には国内グライダー航続時間記録を11時間32分で更新しているのだから、飛ぶことに対する恐怖感を全然感じないタイプだったのだろう。
アノヒンの恐怖感に対する興味深いエピソードがもう一つある。1935年に正式にモスクワのパラシュート学校を卒業したアノヒンは1935年から1940年まで、トルコに派遣されパラシュート降下の教官を勤めた。その際に、一人の訓練生のパラシュート(ソ連製)が開かずに墜落するという事故が発生。訓練生達の間に動揺が広がるの見たアノヒンは事故で開かなかったパラシュートを背負い、無事にパラシュート降下してみせたという。

1941年、ドイツ軍の侵攻で戦争が始まると9月にアノヒンは陸軍に呼び出されグライダー部隊の指揮官に任命される。「赤軍グライダー部隊」なんて全然戦史に出てこない部隊だが、主な任務はパルチザン部隊への補給であった。
作戦はドイツ軍戦線後方に確保したスペースにグライダーと曳航機が着陸。グライダーと物資を残してグライダー操縦士は曳航機に便乗して基地に戻る(グライダーは現地でパルチザンが解体する)という危険なもの。
アノヒンはこの困難な任務をなんと200回成功させた上に、1943年3月17日にはパルチザンが比較的良好な広場を確保していたために、着陸したグライダーを曳航機につなぎ直し、グライダーに負傷しているパルチザンを載せて離陸、基地へ帰還している。これは第2次大戦において唯一の敵後方からのグライダー離陸であり、この功績でアノヒンは赤旗勲章を授与された。

例のグライダー空中分解実験の功績もあり、アノヒンは戦闘任務の合間には新型グライダーのテストにも呼び出されていた。彼のテストしたグライダーの中でも特に有名なのが、”空飛ぶ戦車”A-40だろう。これは、軽量化したT-60軽戦車に翼を取り付けて直接グライダー化し、敵陣に戦車を送り込むという画期的というか斬新というかドリーミーなアイデアだった。

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画像はWikipediaからの引用(この項、キット表紙写真以外全て)。たぶん、想像図。

古い資料には「T-60のギヤをニュートラルにして牽引しても抵抗が大きすぎて離陸速度が出せず、失敗に終わった」と書いてあることが多いが、東側の資料では「離陸、着陸、翼の離脱と自走での帰還に成功」と書かれている。単に抵抗が大きいのならドイツ軍のロケット戦闘機みたいにドリーに乗せて引っ張ればいいんだから、たぶん、飛んだのだろう。しかし、飛行は安定せず、曳航中の高度は数十メートルしか取れないという状態では実用化できずに計画は破棄されている。

1945年5月、戦争は終わったが、アノヒンは「Yak-3で限界を越えた無理な機動したらどうなるのっと」というスレに応えるためにYak-3戦闘機を空中分解させ負傷、片目を失明してしまった。

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1950年代のセルゲイ・アノヒンの写真。よく見ると左目は義眼であることがわかる。
アノヒンはYak-3の事故の半年後にはテスト飛行の仕事に復帰していた。

この、ソビエト航空界切っての危険任務男、セルゲイ・アノヒンがSU-15に乗り込んだ。
1949年6月3日、アノヒンが乗り込んだSU-15は速度を時速870キロまで上げる。途端に凄まじい振動が発生した。さらに、あまりの振動の激しさに電装系がどこかイカれたらしく、コンソールがモクモクと煙を吐き始める。
こうなっては、さすがのアノヒンでもできることはない。やむを得ず、射出座席の動作レバーを引いたが、電装系がイカれてるんでこれも不発。しかし、アノヒンは持ち前の冷静さを発揮、キャノピーを開け自力で脱出した(射出座席はちゃんと動作したとする資料もある)。

双発と単発のいいとこどりを狙ったスホーイの挑戦は終わった。
スホーイはSu-15を常識的な単発形式として、無難にMiG-15のパクリみたいなスタイルにしたSu-17(初代、Су-17 «Р»)を試作したが、ツアギは「これ、振動起こした主翼の平面形は何にも変わってないよね?」と飛行許可を与えず、Su-17試作機は射撃訓練の的となって消滅、スホーイ設計局もオモシロ兵器でソビエトの国力を浪費したサボタージュの罪で解散となった(1955年に再建)。Su-15の試作認可与えた方は責任とらないんでいいんですかね。

セルゲイ・アノヒンはその後も危険なテストパイロットを続けた。1960年12月にはTu-16のテスト飛行中に機体が炎上、クルーの脱出を確認したアノヒンは最後に射出座席のレバーを引いたが、これがまた不発だった(連動して開くはずのハッチが凍結していたらしい)。数日後、気温マイナス30度の森林に遺体を探しに来た捜索隊が発見したのは炎上するジェット爆撃機から自力でパラシュート脱出した後、手近な小屋で手持ちのアルコールをチビチビやってしのいでたアノヒンだったという武勇伝を残している。

彼はそのキャリアからイケイケで破天荒な人物を想像されがちだが、同僚に言わせると物静かで控えめな、おとなしい人物だったらしい。1966年からアノヒンは宇宙部門に移動し、宇宙飛行士の訓練、指導に当っていたが、生徒だったゲンナジー・ストレカロフ(Генна́дий Миха́йлович Стрека́лов。総宇宙滞在期間268日22時間22分)に言わせると「彼は父であり、友であった」ということだ。
1986年4月15日、アノヒンは胃がん(資料よっては動脈瘤破裂)によって死亡した。飛ばした機種200種類、うち30機はテスト機、生涯に6回の緊急脱出を経験した偉大な飛行士であった。

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モスクワにあるセルゲイ・アノヒンの墓標。左下にあるのは彼の妻、 Маргаритаのお墓。彼女もまた優秀なグライダーパイロットだった(二人は飛行士学校で知り合ったそうだ)。
アノヒンは宇宙部門に移動した時点ですでに高齢であり、また隻眼であったこともあり宇宙飛行士にはなれなかったが、1996年4月、小惑星(4109)にその名前”Anokhin”が付されている。

スホーイ設計局を閉鎖させ、ついでにセルゲイ・アノヒンも殺しかけた迷惑飛行機Su-15(1)は空モノ標準スケールの25分の133分の1で完成全長約50センチ。難易度は4段階評価の「3」(難しい)、定価は39ポーランドズロチ(約1300円)となっている。
極初期ジェット機ファンのモデラーなら、こんな二度とキット化されない感じの機体を手に入れるまたとない機会である今回を見逃すべきではないだろう。また、セルゲイ・アノヒンのファンであるモデラーも、アノヒンが乗った機体コレクション(アノコレ)の一角として是非確保しておきたいキットである。
*2月20日訂正
スケールまちがえているのをコメント欄で御指摘いただきました。ありがとうござます!





キット表紙画像はModel-KOM社サイトからの引用。

*定価はあくまでも現地で購入する場合の値段です。日本国内で購入する場合には輸送費などを考慮し、2倍~3倍程度になるとお考えください。


参考ページ:
https://ru.wikipedia.org/wiki/Анохин, Сергей Николаевич
http://aviapanorama.ru/2010/06/eto-byl-dejstvitelno-chelovek-ptica/
http://www.warheroes.ru/hero/hero.asp?Hero_id=418
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Model-KOM ソビエト試作戦闘機 Su-15(1) ・前編

コーヒー(ベトナム製インスタント)を飲もうと思ってお湯を沸かしたものの、沸く前にすでに入れていたのを忘れて沸いてからも必要量のインスタントコーヒーをカップに放り込んで濃度倍のコーヒーを作ってしまい、数口は我慢して飲んだものの結局は別のカップに半分移してから薄めて連続二杯飲んだ筆者がお送りする世界のカードモデル最新情報。
本日紹介するのはポーランドModel-KOMの新製品、ソビエト試作戦闘機 Su-15(1) だ。

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デルタ翼の超音速迎撃機かと思った? 残念! 試作止まりのネタ戦闘機でした!

前回「次は”文化科学宮殿”なんてどうよ?」と書いておいて全然違うものが出てきたのは、さっき見に行ったら文化科学宮殿をリリースしたポーランドGPMの公式ページが「サーバーがみつかりません」になっていたからだ。ちなみに成果物の提出は期日に間に合いました。

以前、Su-9(初代)の紹介をした時にも話に出たが、今でこそSu-27”フランカー”で不動の地位を築いているスホーイ設計局だが、なぜかスターリンに嫌われていた上に作る飛行機作る飛行機、なんだか薄ら寝ぼけたスタイリングで性能もあんまりパッとしなかったために一旦解散させられている。その際にSu-17まで進んでいた機体番号がなぜか中途半端にSu-7まで巻き戻されたために、Su-7、9、11、15、17は解散前、再建後で同じ番号の二代の機体が存在する(Su-13は解散前の「初代」しかない)。キット名の"(1)"というのはこの「初代」を指しているのだと思われるが、他ではあまり見ない表記(ロシア語の資料では「Су-15 «П»(Su-15«P»)」)だ。

時は1940年代終盤。終戦直後にMig-9Yak-15Su-9と、立て続けにガッカリジェット機を開発したソビエト航空界だったが、ここにきて大きな壁にぶち当たっていた。すなわち、単発戦闘機ではエンジンの出力が足りない、かと言って双発(主翼吊り下げ)では空気抵抗が大きくて思うように速度が出ない、という問題である。
少しぐらい径が太くなっても大出力のジェットエンジンが作れれば、それを単発で胴体に埋め込めばなんとかなる。あるいは出力が今のままでも径が細くできれば胴体後部に並列で埋め込むこともできる。だが、エンジンの性能向上がすぐには望めないならば、どうすればいいのか。
この難問に果敢に立ち向かったのが、前作Su-9が性能はそこそこだったのになんとなく不採用になったスホーイ設計局だ。

スターリン:「私が『高速迎撃機がほしい、でも適当な径の高出力エンジンがありません』と言いますので、うまいこと切り替えしてください」
スホーイ:「はいっ!」
スターリン:「はい、スホーイさん。『高速迎撃機がほしい、でも適当な径の高出力エンジンがありません』」
スホーイ:「それならエンジンを前後に並べます」
会場:「ハラショー!」
スターリン:「こいつはいいや! 山田くん、スホーイさんに試作機開発許可を与えてあげて!」

エンジン1基分の断面積ににエンジン2基を積む、これを実現させるためにスホーイが提案したのがジェットエンジン2基をタンデムに前後2基、胴体内に積むという斬新なアイデアだった。
いやいや、レシプロエンジン2基を前後につないで1本のシャフトを回す、ってんならわかる。ジェットエンジン2基タンデムって、前のエンジンの排気(ジェット)と後ろのエンジンの吸気はどうなんのよ?
スホーイの提案した設計は、機体前のインテイクを左右に二分割、片方は前エンジンに直結し、もう片方はダクトを通じて後ろのエンジンに吸気。前のエンジン斜めに傾け、気体真ん中らへんに排気ノズルが出るというものだった。
ぶっちゃけ、何言ってるかよくわかんないと思うので公式ページの完成見本写真でその特異なスタイリングを見てみよう。
上の大喜利のくだり、良く考えたら全然必要なかった。

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なんだかプロペラつけんのを忘れたレシプロ機みたいなスタイリングだが、尾翼の後ろと両脚の間に排気ノズルがある。機首のスピナーみたいなものはレーダーアンテナを入れる予定のレドーム(実装したかは不明)。
Su-9が不採用になった理由として、「仇敵ドイツ人が作ったMe-262にパッと見が似てるのをスターリンが嫌がったから」という理不尽な噂がささやかれており、これならどんなドイツ機にも似てないだろうコンチクショウ! というスホーイの心の叫びが形になったとも言えるかも知れない。武装は機首下面両脇に37ミリ砲(装弾数1門当たり111発)を装備しているが、量産型ではもう一丁増設するつもりだったらしい。でもどこに装備するのかはよくわからない。

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細かいリベット打ちのテクスチャも美しい。
ひっくり返すとお腹の排気ノズルが良く分かるが、この後ろにもうひとつエンジンが入るので、なんか大事なことを忘れたかのように胴体が後ろにダラダラと長いことにも要注目だ。
主脚のためにエンジンギリギリまで胴体切り欠いているのは細く薄い主翼のこれ以上外側に脚をつけられなかったのだろうが、結論から言うとやっぱりヤバかったようだ。

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キットはせっかくのオモシロ機構がわかるように、後部胴体を外して後ろのエンジンを露出させることも可能という嬉しい設計。
こうやって見るとなんだか尻が重そうに見えるが重心計算は大丈夫なんだろう。
画像ではわかりにくいが、胴体右側に後部エンジンのためのダクトが入っているせいでコクピットは胴体左側にオフセットされている。
あまり自信はないのだが、タンデムジェットエンジン機ってのは他にないんじゃないだろうか。

1949年1月11日、完成した試作第一号機が初飛行。斬新過ぎるレイアウトの割にSu-15はちゃんと飛んだ。
前部エンジンの推力線が下向きなのが幸いしたのか離着陸距離が極めて短い(離陸450メートル、着陸600メートル)、上昇性能が良好(5000メートルまで2分半)などの利点もあったが、問題もあった。
まず、操作用の油圧系が貧弱でダイブブレーキの展開がなんだかやたらノロかった。これでは急降下に入ってからブレーキを開いても間に合わない。また(これは高速を目指した機体が大抵ぶつかる問題だが)、低速で補助翼の効きが悪かった。
しかし、これらは大した問題ではない。最も致命的な問題だったのが、時速800キロを越えたあたり(計画値での最高時速1000キロ)から機体が異常な振動を始めることだった。

(後編に続く)

参考ページ:
https://ru.wikipedia.org/wiki/Су-15_(1949)
http://prototypes.free.fr/t6/t6-1e.htm
(三面図、内部図解有り)

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本日更新休止のお報せ。

本日本業多忙のため、更新休止させていただきます。
また、次週も成果物提出日直前のため更新は難しいかも、といった感じですが折を見てまたお越し頂ければ幸いです。
ちなみに次回については、今年に入ってからポーランドGPMが好調なので、GPMからなにかピックアップしたいなーとか思ってますがなにをやるかはまだ未定。ワルシャワの文化科学宮殿なんて、おもしろそうかも。

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Orel フランス装甲艦 "Solferino"(後編)

最近、ほとんど放置状態のフェイスブックアカウントに、クロアチアから「以前に○○というゲームの製作に関わってましたか?」というメッセージが来て心底びっくりした筆者のお送りする世界のカードモデル最新情報。いや、海外でもリリースになったしスタッフロールにアルファベット表記で名前載ってるからあり得ないわけじゃないんだけど、あのゲーム出たのってもう15年も前よ!?

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ウクライナOrel社からの新製品、フランス装甲艦 "Solferino"の続き。

前回世界初の蒸気式戦列艦「ナポレオン」を就航させたフランス海軍だったが、造船技師アンリ・デュピュイ・ド・ロームとそのチームが目指しているのはさらにその先であった。
ナポレオン就航から10年、蒸気式戦列艦の衝撃からまだ世界が醒めやらぬうちにフランス海軍はさらなる次世代戦艦を大洋に解き放つ。
1860年、フランス海軍は世界初の装甲艦、「Gloire」(グロワール、”栄光”。カナ表記では定冠詞をつけて「ラ・グロワール」と表記されることも多い)を就航させる。蒸気航行可能な渡洋性能を持つ装甲された主力艦、「装甲艦」の登場である。
全長77メートル、排水量約5千トンのグロワールの船体は厚さ12センチの錬鉄で覆われ、2500馬力エンジンの力で最大13ノットでの航行が可能であった。
ただし、武装はちょっと控えめで単甲板に36門しか搭載していないが、これはおそらく多段式砲甲板に大砲ずらりと並べると、ただでさえ喫水線上の装甲でトップヘビーになってる船がひっくり返る恐れがあったからだと思われる(当時の分類では単甲板の艦船は主力と認められないので、グロワールを「装甲フリゲート」と分類している資料もある)。
グロワールは帆走装備も供えており、建造当初は3本マストの先頭だけ横帆、残り2本が縦帆を張る「バーケンティン」形式(1100平方メートル)だったが、実際に運用してみると帆の面積が不足していることがわかり一旦は3本マストとも横帆を張る「フルリグド・シップ」(2500平方メートル)形式に改められた。しかし、いざフルリグで帆を展開してみるとグロワールは危険なほどにローリングするためにすぐに帆布面積が縮小されたというので、やはりトップヘビーだったのだろう。

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フランス海軍博物館所蔵に展示されている素晴らしいクオリティのグロワールの模型。画像はWikipediaから引用(この項キット画像以外は全て同様)。
現代の目でみるとややずんぐりむっくりした感じなのは古典的な戦列艦のかたちを受け継いでいるから。帆布配置は最終的な縮小フルリグド形式だろうか。

グロワールの登場は世界中の海軍にとって衝撃であった。もはや風がないと動けない帆船や、当時各国が実戦配備を進めていた榴弾が簡単に貫通する木造船ではいくら数を揃えたところで戦力とはならず、全ての海軍力が一から作り直しになってしまったのだ。
仲がいいようで悪いイギリスはグロワール建造中に情報をキャッチし、急いで独自の装甲艦「ウォーリア」を就航させる。木製船体に錬鉄装甲板を貼ったグロワールに対し、ウォーリアは鉄製船殻を持つ真の「甲鉄艦」であった。
フランス海軍もグロワール就航後に建艦競争に突入することに気づいており、急ぎグロワール級2隻を追加建造したが、この追加
の2隻は建造を急いだために木材の乾燥が不十分で、就航後10年で腐食のために解体されている(グロワールはもう10年頑張った)。
なお、追加2隻の名前は「アンヴァンシブル(Invincible)」と「ノルマンディー(Normandie)」。アンヴァンシブルは無敵艦隊でおなじみの「無敵」だが、3隻目で唐突に「ノルマンディー」と地名になるのはなぜだ。日曜朝のスーパー戦隊で「装甲戦隊グロワール」が始まったとして、メンバーが「栄光レッド!」「無敵ブルー!」「ノルマンディーイエロー!」だったら変じゃないか。

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2000年にポーツマスで撮影された装甲艦ウォーリア。ウォーリアは1883年に退役後、全ての装備を外した船殻が浮き倉庫として使用されていたが、1960年代終盤にその価値を再評価されほとんど残骸状態から再建され現在は記念艦となっている。比較的良質な建材で建造され、長持ちしたグロワールでさえ20世紀まで耐えられなかったことを考えると、金属製船殻の頑丈さが桁違いであることがわかる。

もちろん、フランスだって木製錬鉄貼りの装甲艦で満足しているわけではない。
ウォーリアが完成した翌年、フランス初の完全金属船殻の装甲艦、「クーロンヌ」が就航する。

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絵葉書のクーロンヌ。「クーロンヌ」という名前は筆者が住んでる隣町のパン屋(おいしい)と同じであるためにイマイチ迫力を感じないが、本来の意味は「王冠」だ。「エクレア(稲妻)」よりはましか。
画像では砲列が2段あるように見えるが、よく見ると砲の突き出している砲門は上段のみ。ただし、後に射界の広い上部甲板にも砲が追加されている。金属船殻のクーロンヌも木造船とは段違いの耐久性を発揮し、スクラップになったのは1930年代である。

他国も同じ蒸気航行・金属船殻の装甲艦を持ったとなれば、後は巨大化によって優位性を確保するしかない。
1862年、フランス海軍は新型装甲艦「Magenta」(マジェンタ)を就航させる。
「マジェンタ」という艦名は1859年6月4日、独立のために戦うイタリア軍(サルディーニャ)と共同してオーストリア軍を打ち破った「マジェンタの戦い」にちなむ。ちなみにこの「マジェンタ」は現在のミラノにある地名だが、この戦いでフランス軍が来ていた軍服の色が勝利にちなんで「マゼンダ」と呼ばれるようになったそうだ。

マジェンタは世界初の2段砲甲板装甲艦であった。
武装は34門+16門の50門と追撃用に上甲板に2門。それまでの装甲艦がだいたい三十数門の砲を装備していたのに対して1.5倍の攻撃力となる。なお、どういうわけか日本語版のWikipediaでは砲数が34門+追撃用2門となっており、甲板1段分がまるまる足りない。砲甲板2段であることは間違いないので、おそらく日本語版がなんらかの誤りと思われる。
マジェンタ級は2隻が建造され、マジェンタの半年後に2番艦、「ソルフェリーノ」(この名前もイタリア独立戦争に伴う「ソルフェリーノの戦い」にちなむ)が竣工する。ここまできてやっと標題のアイテム登場だ。

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画像は絵画だが、大迫力のフランス海軍主力艦隊。グレーの2隻がマジェンタ級。間の1隻は前編に登場した「ナポレオン」だ。
マジェンタ級は下顎が突き出しているが、これは装甲衝角が装備されているため。これもマジェンタ級で初めて装備された。

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こちらはキットの試作写真。新兵器である衝角の形状が良く分かる。マストと二段砲甲板は帆船時代の戦列艦のイメージを残しており、まさしく木造帆船と装甲蒸気艦をつなぐ橋渡しの艦と言えるだろう。

当時最強の火力を誇るマジェンタ級だったが、イギリスはこれに対抗した多段砲甲板の装甲艦を建造することはなかった。
1862年3月8日、南北戦争で南北両海軍の装甲艦が激突し両軍とも砲弾を滅多打ちしたが、互いに1発も貫通しなかったことで、いくら多数の砲で連射を浴びせても、貫通不能な装甲艦相手には全く意味がないことが判明したのだ。
これ以降、海軍の主力艦は重装甲を打ち破るための少数・大口径火砲を装甲砲郭に搭載する方向へ発展し、その究極として「戦艦」が誕生する。
存在価値のなくなったソルフェリーノは1884年に除籍、解体される。またマジェンタは1875年に失火により弾薬庫に引火爆沈している。
マジェンタ級2隻は、海軍史において唯一の多段砲甲板式装甲艦となった。

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展開図と組み立て説明書のサンプル。鳥を模した船首像も時代がかっていて楽しい。試作では省略されているが、帆走装備はじっくりと取り組んで帆船なんだか蒸気船なんだかよくわからない感じをしっかり再現したい。

先進的なんだが進む方向を間違えた黎明期装甲艦の徒花、フランス装甲艦 "Solferino"は海もの標準スケール200分の1で完成全長約43センチ。難易度は3段階評価の「3」(難しい)、そして定価は480ウクライナフリブニャ(約1800円)となっている。
当キットはその構造から、最後期戦列艦ファン、極初期装甲艦ファン、どちらも楽しめるおいしいキットと言っても過言ではないだろう。
なお、Orelからは同時に黎明期装甲艦がもう1隻、リリースとなっており、、黎明期装甲艦ファンのモデラーはこちらも見逃せない。

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またモニターかよ!



表紙、展開図画像はOrel社ショップページからの引用。

*定価はあくまでも現地で購入する場合の値段です。日本国内で購入する場合には輸送費などを考慮し、2倍~3倍程度になるとお考えください。

参考ページ:
https://ja.wikipedia.org/wiki/ラ・グロワール
https://ja.wikipedia.org/wiki/ウォーリア_(装甲艦)
https://en.wikipedia.org/wiki/French_ironclad_Couronne
https://en.wikipedia.org/wiki/French_ironclad_Magenta
https://en.wikipedia.org/wiki/French_ironclad_Solférino
それぞれの英語版、日本語版、フランス語版も参考とした。

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本日更新休止のお報せ。

ソルフェリーノの紹介が途中だってのに、本日多忙のために更新休止させていただきます。
またのお越しを心よりお待ちしております。

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