無人航空機斯く戦えり・その6

開発室でインフルエンザ患者が続々と爆誕、いまや職場がバイオハザードな筆者がお送りする世界のカードモデル情報。すみません、書き出しはちょっと盛りました。そこまでヤバくはないです。
今回は、去年の年末に「カードモデル関係ないのに書きすぎちゃった。ごめんご☆(テヘペロ)」した無人航空機ネタの続きだ。
以前、一旦休止に入る時に「第一次大戦のネタを使い切って」みたいな事を書いたが、良く考えたら一番大事なネタを紹介するのを忘れていた。カーチス・スペリー飛行爆弾(第4回第5回)がコケまくってたアメリカが、並行して開発していた「ケタリング・バグ」空中魚雷である。

第4回で書いた通り、カーチス・スペリーの飛行爆弾はスペリーが熱烈に海軍に売り込んだために海軍主導で開発が進んでいたが、そうなるとオモロクないのが陸軍である。海軍が飛行爆弾を持つのなら、陸軍だって持ちたい。そういうわけで陸軍は著名な科学者、チャールズ・ケタリング(Charles Franklin Kettering)に「ケタリング先生……!! 無人飛行爆弾が作りたいです……」と話を持ちかけた。
ケタリングは生涯に300件の特許を取得した当時を代表する技術者で、自動車用セルモーターや電気式ヘッドライトなどの発明で自動車の発展への貢献が顕著であった。ちなみにセルモーターが発明される以前の自動車はクランクレバーを手で回してエンジン始動を行っていたがこれはメチャクチャ腕力が必要な上に、うっかり手を滑らせてラジエターグリルに顔を突っ込んだり、始動に失敗して跳ね返ってきたクランクレバーが腕や頭を強打して死亡する例が少なからずあった。昔の自動車はエンジンかけるだけで命がけだったのだ。
高級車ブランド「キャディラック」のチーフ・エンジニア、ヘンリー・リーランドが友人をこの事故で失っており(立ち往生していた女性ドライバーの車を助けてあげようとした際に跳ね返ったクランクが顔を打ったらしい)、リーランドの求めに応じてケタリングが開発したのが、バッテリーで回すセルモーターでエンジンを始動、走行中はそのモーターが発電機となってバッテリーに充電、さらに余った電気でヘッドライトを点灯させるという現在の車の電装系のもととなるシステムであった。

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Wikipediaからの引用でチャールズ・ケタリングと彼の発明したセルモーター。セルモーター発明時にはまだケタリングは40歳手前なので、この写真は後に撮られたものだろう。

陸軍からの依頼に応じたケタリングは陸軍の空中魚雷を、海軍のCS飛行爆弾よりも安価でポンポン発射できるシステムとして設計した。ボール紙の張り子に木を貼って組み立てられた機体はケタリングが経営権を持っていたDELCO(デイトン・エンジニアリング・ラボラトリーズ・コーポーレション)が戦争だ! 飛行機だ! と立ち上げた「デイトン=ライト社(Dayton-Wright)」で開発されている。社名の「ライト」というのは飛行機発明者であるライト兄弟のことで、同社には兄弟の弟の方、オービル・ライトがアドバイザーについていた(兄のウィルバー・ライトはすでに1912年に腸チフスで死亡している)。
飛行爆弾に搭載された2ストローク40馬力、V型4気筒エンジンはWikipediaには「フォード・モータースの既存のものを流用」と書いてあるが、スミソニアン博物館(ケータリング・バグのエンジン現物を所有している)の説明によると、このエンジンはフォードモータースのチーフ・エンジニアであるC・ハロルド・ウィルズ(Childe Harold Wills。ウィルズはフォードT型の駆動周りを設計している)が技術顧問を努めていた「デ・パルマ製造会社(De Palma Manufacturing Company)」で新たに設計されたものだったそうだ。フォードがこのような軽量エンジンを生産する理由が思い当たらないので、たぶんスミソニアンの説明が正しいのだろう。
ちなみにデ・パルマ製造会社はインディ500で優勝したこともあるレースドライバーのラルフ・デ・パルマ(Ralph de Palma)が1916年にデトロイトに設立した会社だが、なんか飽きちゃったのか1年ちょっとでデ・パルマはこの会社の責任者を辞めてしまった。
肝心の自動操縦装置だが、さすがのケタリングもこれはホイホイと設計することはできず(と、いうか同じものを発明し直してもしょうがない)、この部分は結局海軍で無人機を作っていたエルマー・スペリーに設計図を書いてもらった。
アメリカ最高の技術者ケタリングが指揮を取り、飛行機の発明者オービル・ライトが機体を監修、世界最大の自動車会社フォード・「モータースに関係ある人が関係ある会社で作られたエンジンを積み、世界をリードする自動操縦の権威エルマー・スペリーが設計した自動操縦で飛ぶのだから、この「バグ(虫)」と名付けられた空中魚雷は世界最高のものとなる! はずだった。

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完成したもの。
写真はWikipediaからの引用(アメリカ国立空軍博物館に収蔵されている原寸大レプリカ)。
うーん……
まぁ、基本コンセプトが「安くてバンバン飛ばせる空中魚雷」だからこれでいいんだろうけど、なんというか、夏休みの工作感溢れる仕上がりだ。
ちなみにコストは1機400ドル(うち、エンジンが50ドル)だったそうで、カーチスJN-4”ジニー”の製造コストが1機5,465ドル(いつごろの値段かはわからない)だったから単純比較は乱暴だが、10分の1以下の値段で生産できたこととなる。
なお、いかにもぶっ壊れそうな主翼だが、回転計が計測した距離が設定した値になるとボルトが外れて主翼が脱落する(墜落する)構造になっていたので、これはこれでいいようだ。いかにも重そうな足回りはもちろん滑走用のドリーで、飛び立つときにはこれを地上へ置いていく。『当時、アメリカ陸軍に出入りしていた名古屋出身の日本人技術者がドリーに乗っているバグを見て、「まるでケッター(自転車)に乗った飛行機だぎゃー」と言ったことで、この飛行機は「ケッタリング(Kettaring)」と呼ばれるようになった』というウソ話をどこかに書こうと思ったのだが、場所がなかったのでやめておいたことを追記しておこう。

ところで英語版Wikipediaではスペックが射程121キロ(75マイル)、飛行速度時速80キロ(50マイル)になっているが、日本語版では飛行速度が時速193キロ(120マイル)というすごい数字になっている。130馬力エンジン積んだ ソッピース・キャメル戦闘機の最高時速が185キロだから、いくらバグが小さいとは言え193キロは過大な数字だろう(ただし、先述したアメリカ国立空軍博物館のページでも飛行速度が時速120マイルになっている)。

(その7に続く)

参考ページは第7回にまとめて記載予定。
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Wagner Models イギリス試作戦闘機 Sage Type 2

好物のそら豆を自家栽培でたっぷりといただこうと思ったものの、そら豆の種蒔き時期(年末)をどういうわけか年始と勘違いしていて完全に時期を逸し、一年おあずけが決まった筆者のお送りする世界のカードモデル最新情報。今回は懇意にしていただいているポーランドのデザイナー Krzysztof Wagner氏のブランド”Wagner Models”からの新製品、イギリス試作戦闘機 Sage Type 2 を紹介しよう。
Krzysztof氏のキットが当コーナーに登場するのは2015年の冬に紹介した日本小型飛行機"トンボ式"グライダー以来だから、実に2年と少し間があいたことになる。この間、氏は個人的な事情でカードモデルに少し距離を置いていたようだが、最近新たに自身の直販サイトを開設して活動を再開している。

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……なんだこれ。

この、なんとも形容し難い不思議飛行機を作ったのはフレデリック・セイジ有限会社(Frederic Sage & Co. Limited)。なんか聞いたことのない名前だが、それもそのはず実は飛行機メーカーではなくて家具屋さん。とは言っても、一般家庭にタンスを売ったりするわけではなくて、新規オープンする店舗のためにレイアウトを構築し、家具を作って内装を行うという業者向けの内装業者だった。
創業は1860年代。20世紀初頭には有名百貨店やホテルの内装も手がけ、南アフリカやヨーロッパからも発注のある業界大手の会社に育っていた。
なんで家具屋さんが飛行機作ることになったのか言えば、第一次大戦勃発で急激に拡大した航空機需要を賄うために政府が工作技術のある会社に片っ端から航空機生産を手伝わせたからで、セイジ社にも海軍からショート184水上機の生産が打診された。当初、セイジ社は12機のショート184を制作する契約だったが、さすがホテルや百貨店の内装を多数手がけているだけあって工作技術は確かで、好評のうちに約80機のショート184が海軍に納入された(ショート184の総生産数は総計946機)。
この成功で「いいね!」をたくさんもらったセイジ社は続いてアブロ504K練習機の制作を受注。これも好評のうちになんと約400機を生産したというからなかなかのものだ(アブロ504Kの総生産数は約8千機。ちなみに日本でも200機以上をライセンス生産している)。他には軟式飛行船のキャビンなんかも作っているが、これは内装屋さんとしては本業に近くやりやすい仕事だったのではないだろうか。なお、セイジ社は戦争終盤にはソッピース・キャメル130機の生産も受注しているが、これは手を付ける前に戦争が終わっている。

そんなわけで飛行機をガンガン生産してたセイジ社に、悪魔が囁いた。「そんなライセンス生産に満足してないで、いっそ自分で飛行機設計しちゃいなよ」と。いや、世の中にはライセンス生産で力をつけて自社開発で大当たりしたメーカーもあるから、一概に「ダメ、絶対!」とは言わないけど、それにしても1915年にライセンス生産を開始して、1916年には自社開発って、早すぎないかい?
もちろん、自社開発だからって、家具の設計師に今から航空力学を勉強してもらっていたら戦争が終わってしまうが、そこは大丈夫、セイジ社にはライセンス生産を開始する際に顧問として雇ったエリック・ゴードン・イングランド(Eric Gordon England)がいた。
イングランドは極初期のイギリス航空界を担った人物で、イギリス王立エアクラブが発行する英国公式飛行免許番号なんと2桁の68番、つまりイギリスで68番目に飛行機に乗る許可を得た人物だった。ちなみに英国公式飛行免許の1号は後に超巨人旅客機ブリストル・ブラバゾンに関わるジョン・セオドア・カスバート・ムーア=ブラバゾン、すなわちブラバゾン卿で、2番はロールス・ロイス社の「ロールス」の方、チャールズ・スチュアート・ロールズだった。

オリジナル飛行機作ろうと思いたったセイジ社には、さらにブリストル社から名機ブリストル・スカウトを設計したクリフォード・ティンソン(Clifford Wilfred Tinson)とフランク・バーンウェル(Frank Sowter Barnwell)のコンビも来てくれた。イングランドは以前にブリストルで設計技師として働いていたこともあったので、たぶんそのコネで来てくれたのだろう。
このブリストルチームが挑んだセイジ社初のプロジェクト、Sage Type1は双発爆撃機だったようだが、なぜか設計だけで終わり試作されていない。きっと、もっと革新的なType2に途中で興味が移っちゃったんだな。
そんなわけで1916年夏、セイジ社2番目の設計にして、始めてのオリジナル機となるSage Type2が完成した。
では、Sage Type2の特徴的な姿を改めてWagner Modelsショップページの完成見本写真で見てみよう。

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どうしてこうなった。
筆者は最初、この機体は高高度で侵入してくるツェッペリン飛行船に挑むための高高度戦闘機として設計され、寒さに耐えるために密閉キャビンなのかと思ったが、どうやらとくに高高度を狙った機体ではないらしい。資料にも、どうしてこの形状にしたのか説明がなく、意図がわからない。単純に内装が本業だから頑張ってしまったのか。あるいは飛行船のキャビンを制作していたのと関係があるのかもしれない。

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胴体に無理やりキャビンをのっけてその天井が上翼となってるもんだから、下翼と上翼の間がやたらと離れた上に上翼の形状もなんだか不思議なことになった。そこまでしてのっけたキャビンだったが、別に特別に余裕のある図体でもないので、どの程度居住性の改善があったかは疑問だ。当時の速度計は信頼性がないためにパイロットは風を感じて対気速度を判断しており、密閉してしまったら危険だと思うのだがどうするつもりだったんだろう。側面窓がスライドして開くのかな。

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話を簡単にするために「密閉キャビン」と書いてきたが、天井に大穴が開いているので厳密には「密閉」はされていない。
この穴は後席の射手のためのもので、敵機と戦闘になったら射手はルイスマシンガンを持ってどっこいしょと立ち上がり、この穴からドイツ戦闘機に向かって撃ちまくる予定だったというから、なおさらなんのためにキャビンを囲ったのかわからない。
あるいは逆に、密閉すること自体は重要ではなくて、視界を広げるために上翼を胴体から離したら強度が不安になったんで中空の極太支柱を立てて、中に人が入るようにしたんだろうか。

Sage Type 2は6機が海軍から発注され、1番機が1916年8月10日に初飛行したが、9月20日に飛行中に尾部が破損し、不時着した際に失われている。
変な形の割にSage Type 2は意外にも操縦性は良好だったそうだが、この時点で英軍初のプロペラ同調機銃を備えたソッピース1½ストラッターの配備が始まっており、後席射手が機銃を振り回して敵機と戦う複座戦闘機そのものが時代遅れとなっていた。
結局、Type2は2機目以降は制作されなかった。

その後、セイジ社ではType3、Type4となんか普通な感じの練習機を設計したが、細々と改良しているうちに戦争が終わり2機種とも試作に終わった。
戦争の終結に伴いセイジ社は航空機部門を解散、もとの店舗内装業へと戻った。20年代には再び高級百貨店の内装などで名を馳せたが大恐慌で失速。
第二次大戦中はアルベマール輸送機の主翼、ホルサグライダーの胴体などを作成し、戦後は英国議会議事堂(ウェストミンスター寺院)の再建にも関わっている。
しかし、高級内装という専門分野が次第に縮小したために会社も勢いを失い1968年に路面電車制作会社のブリティッシュ・エレクトロニック・トラクションに吸収合併された。フレデリック・セイジのブランドは1990年ごろまで存続していたが現在は消滅しているようだ。

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展開図と組み立て説明書のサンプル。テクスチャに汚しはないが布張り、木目など軽目の質感表現が施されている。

高級内装業者が飛行機作ってみたらなんか不思議なことになった試作戦闘機 Sage Type 2 は空モノ標準スケール33分の1で完成全長約20センチ。難易度表記はないが、サンプル展開図から推測するに5段階評価で「3」(普通)といったところか。販売はダウンロード販売のみで定価は6ドルとなっている。
こういう、まぁ、ぶっちゃけカッチョ悪い飛行機ファンのモデラーなら、当キットを見逃すべきではないだろう。



画像はWagner Modelsショップページからの引用。


参考ページ:
https://en.wikipedia.org/wiki/Sage_Type_2
https://en.wikipedia.org/wiki/Frederick_Sage_&_Company

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Murph's Models アメリカ 試作汎用輸送機 Burnelli UB-14・後編

先日の大雪で出社を一時間遅らせ、わっしょいわっしょいと家の前を雪かきをしたら2日ほど腰と膝が痛くてしかたなかった筆者のお送りする世界のカードモデル情報(しかもその夜にはほとんど雪溶けてた)。
ウィリアム・クリスマスの激ヤバ飛行機のことは早く忘れて、それよりも極厚の翼をぶった切って胴体にしたような「リフティングボディ機」で一世を風靡しようと航空業界に打って出たヴィンセント・ブルネリの飛行機列伝、いよいよ変な胴体の飛行機がぞろぞろ列をなしてやってくる後編。

レミントン・ブルネリRB-1が乗客30人とか、車そのままとかを飛行機の中に積んで当時としては桁外れの積載量を発揮したことで手応えを感じたブルネリは1928年、さらに洗練されたリフティング・ボディ機として、CB-16を設計する(RB-3でないのは、出資者が変わったかららしい)。

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写真はWikipediaからの引用(この項、全て同じ)。
CB-16は単葉引き込み脚の双発機(アメリカで初めて多発機で引き込み脚を装備した機体)で、尾翼はそれ以降の機体と同様、ブームの後ろに尾翼がつくようになっている。これは以前の形式では上下左右方向への操縦性に難があったためらしい。
キャビンの広さは長さ5.5メートル、幅3.5メートルと相変わらず圧倒的で、さらにキャビン内には小さなキッチンとトイレまで備え付けられていたというから、こりゃすごい。あとはシャワーがついてれば空飛ぶホテルだ。
キッチン・トイレ付きということもあり、どうやらブルネリはこの機体をRB-2のように「空飛ぶオフィス」としてエグゼクティブ層に使ってもらうことを想定していたようだが、折り悪くアメリカは大恐慌に突入してしまい、エグゼクティブ達もそれどころではなくなってしまった。なお、1930年にブルネリは別の会社でほぼ同型のUB-20を設計している。

大恐慌から世界が立ち直りつつある1934年、ブルネリは次なるリフティングボディ機として、Murph's Modelsからキット化されている当記事の主役、UB-14を完成させる。

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この機は1934年末に完成したが、1935年1月に早くも墜落事故を起こしてしまう。これはどうやら整備不良が原因だったようだが、着陸に入ろうとした際に大きく傾き片翼の先端が地面に接触、時速200キロで地面に叩きつけられるひどいクラッシュの仕方をしたが、乗員全員が大きな負傷をしなかった。これは、従来形式の機体胴体ができるだけ軽くしようと作られているのに対し、リフティング・ボディ機の胴体は浮力を受け止めるために頑丈に作られていたためだと考えられている。
2機目がすぐに建造されヨーロッパで売り込みが行われたが、結果は芳しくなかった。アメリカに戻ったUB-14は、デモンストレーションとして世界一周飛行が計画され機体も真っ赤に塗られ、太平洋無着陸横断飛行で有名なクライド・パングボーン(Clyde Edward Pangborn)がパイロットを務める予定だったが、これも戦争勃発で中止となってしまった。

アメリカで2機だけ生産されたUB-14だったが、イギリスのカンリフ・オーウェン航空機(Cunliffe-Owen Aircraft Ltd.)というところがライセンスを購入し、ほぼ同型機(機内レイアウトとエンジンが異なる)の製造を試みている。こちらも戦争勃発でゆったりスペースの高級輸送機を作ってる場合じゃなくなって、完成したのは1機だけだったが、この1機は英国空軍に徴用された後で自由フランス軍に譲渡され、最終的にはシャルル・ド・ゴール将軍の専用機となっているので、やっぱり偉い人のための特別機としては抜群のキャパシティを持っていたのだろう。
なお、前編冒頭のキット写真でUB-14はインベイジョン・ストライプが塗られていかにも戦争後期に活躍したような塗装になっているが、これはあくまでの実戦配備された時を想定した「架空塗装」だ。

その後、ブルネリは1943年に米陸軍のためにリフティング・ボディのグライダーXCG-16を設計している。
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特異な機体形状がよくわかる素晴らしい写真。
XCG-16は1機目が乱気流による荷崩れ(砂袋のダミーウェイト)が原因で失われたが、2機目は50回34時間の飛行を行っている。特異なスタイルの割に飛行特性は良好だったそうだが、軍の評価は「軍用に適さず」という理由で不採用だった。しかし、比較対象となったウェイコCG-13と比較してもスペック表上では大きな差がなく、なにがそんなに嫌がられたのかははっきりしない。もっとも、ウェイコの方は量産機のスペック、ブルネリの方は試作機のスペックなのでブルネリの試作機に防弾装備など実戦装備をしたら性能ガタ落ちになるのが目に見えているということなのかも知れない。
ところで似たような形状のグライダーとして、ドイツ軍が試作したユンカース Ju 322 「マムート」があるが、あちらの方が倍以上大きい(ブルネリ25メートル、マムート60メートル)機体だ。

ブルネリはこの後、リフティング・ボディ機CBY-3をカナダ・カー&ファウンドリー(Canadian Car and Foundry)のために設計している。
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この機体も良好な性能だったが、なぜか、と言うかやっぱり、どこからも追加発注はなかった。
その後CBY-3はカナダでさまざまな輸送業務に従事し1964年にリタイヤ。機体はアメリカのコネチカット州ニューイングランド航空博物館に引き取られた。

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ブルネリご本人。1940年ごろ撮影。
ヴィンセント・ブルネリは1964年、68歳で亡くなった。
最後までリフティング・ボディ機の利点を説き続けたブルネリの設計した機体は1機種たりとも大量生産はされなかった。
特に機体に不都合な点は見当たらず(タイミングが悪かったという問題はあったにせよ)、評価も悪くなかったにも関わらずブルネリの機体が大量受注に至らなかった理由はよくわからない。単に奇っ怪すぎる形状が嫌われた、というのもなんだか苦しい理由付けだ。リフティング・ボディ機は特に低速で従来機と操縦特性が大きく異なるといい、それが採用を妨げたのかも知れない。
今に至るまで、リフティング・ボディ、ワイドキャビンの実用旅客機というのは登場していないが、前述の通りに胴体の構造が強く、クラッシュに強いリフティング・ボディ機はコンピューター制御に期待できる今こそ完成させるべきだ、というムーブメントもあるそうだ。
ブルネリは未来を100年ほど先取りしてしまっていたのかもしれない。

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ニューイングランド航空博物館のCBY-3。野ざらしの状態展示されているために損傷がひどく(1979年に竜巻の直撃を受け、多くの展示機が損傷した)ほとんど残骸状態だが、ニューイングランド航空博物館では現在、ブルネリのリフティング・ボディ機最後の現存機であるCBY-3のレストアが進んでいる。まだまだ先は長そうだが、この特徴的な機体が空を舞う姿を将来また見ることができるようになるかもしれない。

Murph's ModelsのUB-14は太っ腹、無料での提供。無料キットのページから、各キットの写真をクリックでそれぞれのページへ飛び、「FREE」のボタンを押すと展開図のPDF(Googleドライブの共有ページ)が開く。
カラーリングは旅客タイプと架空の軍用塗装の2種類。スケールはどこにも見当たらないが、展開図を見る限りかなり大柄な仕上がりとなりそうだ。
Murph's Modelsの無料キットのページには単発複葉ジェット農業用機という、なにがなんだかわからないPZL M-15”ベルフェゴル”や、ブガッティの未完成レーサー機”モデル100”など、どうかしてるスタイルの機体ファンのモデラーにとって嬉しい機体がならんでいる。これらの機体を無料で机上に飾れる機会を提供してくれたMurph's Modelsから、これからも目を離すことはできなさそうだ。


*キットのダウンロードはフリーですが作者は著作権を放棄していません。データは個人での利用のみが認められており、販売などはできません。


参考ページ:
https://ja.wikipedia.org/wiki/ビンセント・ブルネリ
各機体のページは省略。英語、日本語の双方を参照とした。
ブルネリの各機体については、なぜかドイツ語版が詳しい。

http://www.aircrash.org/
機体の安全性の面からリフティング・ボディを推す団体のページ。
ブルネリについての情報が非常に多い。
http://www.aircrash.org/burnelli/chrono1.htm
上記ページからブルネリ設計のリフティング・ボディ機一覧。
各機のリンクから、自動車を積んだRB-2など貴重な写真が多数見られる。

https://www.neam.org/restoration-cby3.php
ニューイングランド航空博物館内、CBY-3レストアのページ

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Murph's Models アメリカ 試作汎用輸送機 Burnelli UB-14・前編

最近、暗くなってくると電気スタンドを点けても手元が暗く、これが目が衰えてくるということなのか、としみじみと思っていたのだが、良く見たら電気スタンドの光量調節がいつのまにかとってもマイナスになっており、今は明るい手元で陽気に模型を作ってる筆者のお送りする世界のカードモデル情報。
今回も前回に引き続き新年を祝しての無料キット特集。本日紹介するのはアメリカはアリゾナ州のブランド、Murph's Modelsから、アメリカの試作汎用輸送機 Burnelli UB-14 だ。

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ん? ん? ん? なにがどうなってんの?、この飛行機。
キットの写真がこれしかない(Murph's Modelsはダウンロード販売しかしておらず、表紙もない)ので、ここは素直にWikipediaの力を借りよう。

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と、いうわけでWikipediaからの引用(この項、キット写真以外全て同じ)。 わーお。
この画像はUB-14よりも後の機体、CBY-3のモックアップモデルだが、だいたいのレイアウトはUB-14と変わりはない(UB-14は中央の短い機首部分がなく、胴体中央に操縦席風防が直接載っている)。
2本の胴体の間にある扁平な胴体なんだか内翼なんだかよくわからない部分は断面が翼型となっており、この胴体も浮力を発生する、いわゆる「リフティング・ボディ」機だ。
この機体を設計したのは、アメリカの航空エンジニア、ヴィンセント・ブルネリ(Vincent Justus Burnelli)。「ブルネリ」と言っても、「スターオーシャン5」に登場する嬉しけしからん衣装のフィオーレ・ブルネリとは関係ない。あと、イタリアのファッションブランド(マタニティーウェアで有名)に「Pietro Brunelli」というのがあるが、あちらのカナ表記は「ピエトロ・ブルネリ」が一般的だ。

名前からして、いかにもイタリア系のブルネリは1895年テキサスの生まれ。若いうちに東海岸へ引っ越したようで、アメリカ北東部のニュージャージーの大学で学んだあと、生活の場をニューヨークへと移している。
1915年に友人ジョン・カリシー(John Carisi )と協力して最初の飛行機「ブルネリ=カリシー複葉機(Burnelli-Carisi Biplane)」を制作。この機は複葉推進式で、短い胴体の後ろにプロペラがあり左右の細いブームが尾翼で一つにまとまる、Airco DH.2と似たスタイリングだった。まだプロペラ同調装置が一般的に採用されていないのこの時期に機首に武装を集中するのに有利だったこの形式を取ったということは、ヨーロッパで進展中の第一次大戦にアメリカが参戦する時に備えたものなのだろう。

翌年、1916年にブルネリはコンチネンタル航空機(Continental Aircraft Corporation。旅客会社のコンチネンタル航空(Continental Airlines)とは別)で「KB-1」という、なんか重戦車みたいな名前の複葉機を設計している。Bはたぶんブルネリの「B」だが、「K」はなんなのかわからない。このコンチネンタル航空機という会社はメチャクチャ資料が少なくて経営者も誰なんだか良くわからないんで、経営者の頭文字が「K」だったのかもしれない(ブルネリはここのチーフデザイナーだった)。KB-1は米軍航空隊での採用を目指した機体で、ブルネリ=カリシーと同じ複葉推進式だがブルネリ=カリシーで単尾翼にまとめられていた胴体後部がブームがそのまま真っすぐ後ろに伸びて双尾翼となり、胴体(タンデム2座)も短い魚雷型になるなど細かい変更が加えられていた。
KB-1はそれなりの性能だったが、当時ヨーロッパで戦っていた最新鋭の機体に比べると見劣りしたこともあり、不採用に終わっている。資料によっては完成したKB-1はなぜかニューヨーク市警が買っていった、と書かれているが、この話は出典がはっきりしない。
なお、本筋とはあんまり関係ないが、コンチネンタル航空機はKB-1の次に「クリスマス・バレット(Christmas Bullet)」という飛行機を制作したが、これが見るからにヤバいシロモノだった。

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これはヤバい。いままでいろいろとヤバい航空機を紹介してきた当コーナーだが、翼のペラペラ感といい、足回りの手作り感といい、変なスタイリングといい、こいつはどう見てもヤバさが半端ない。この写真ではわかりにくいが、この飛行機一見単葉のように見えて実は複葉機である。なんで単葉に見えるのかというと、翼間支柱が全く無いからで、この機体を設計したウィリアム・クリスマス(William Whitney Christmas)は「翼間支柱なんて飾りです。偉い人にはそれがわからんのですよ」と豪語したが、この人物、「おれが作った飛行機でドイツまで飛んで、ドイツ皇帝ヴィルヘルムを誘拐してくる計画だ」と語るなど、なんというか、ヤバい人だった。
ブルネリはなんとかヤバい設計をまともなものにしようと努力したが機体は当初の設計通り完成してしまい、試験機2機が2機とも最初のフライトで空中分解(翼が吹っ飛んだ)してパイロットが死亡するというアメリカ航空史上に残る最悪の結果に終わった。だめだよ、こんな飛行機で飛んだら。せめて離陸できなきゃよかったのに。ちなみにクリスマスは1機目が空中分解した後に「最高時速197マイル(約320キロ)を達成!」という広告を出したり、マジソン・スクエア・ガーデンに2機目を飾って「世界初の翼間支柱のない飛行機!」と宣伝していたというから、ヤバすぎる。

クリスマス・バレットの予想された大失敗の後、コンチネンタル航空機は「レミントン・ブルネリ航空機(Remington-Burnelli Aircraft )」に名前を変えてるので、たぶんブルネリ自身が社主になったのだろう。
このころから、ブルネリはあるアイデアへと全力を傾注することになる。胴体も翼の役割を果たす「リフティング・ボディ」だ。
これは、飛行中は抵抗でしかない胴体が翼の役割を果たすことで航空機の性能、特に搭載量の増大を狙うアイデアであった。ブルネリ自身はこのスタイルについて「フライング・ウィング」という表現を使っていたが、現在は「フライング・ウィング」といえば尾翼もない全翼機を指すことが多い。
このコンセプトに沿って設計された最初の飛行機がレミントン・ブルネリRB-1であった。

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写真が小さい上に状態も良くないのでわかりづらいが、よく見ると胴体は機体左右方向にビローンと幅が広くて、胴体というよりも分厚い主翼の真ん中部分をぶった切ったような形をしている。翼型胴体の後ろに細い胴体がある後の機体とは違い、胴体の末尾左右に直接垂直尾翼がついているのが特徴だ。なるほど、たしかにこれは「空飛ぶ翼」だ。
胴体の幅は4メートル以上(14フィート)もあり、その中には30人の乗客が乗ることができた。同時期の通常形式の旅客機、例えばフォード・トライモーターが座席数12だから、これは格段に多い(ただし、巡航速度はRB-1の方が30キロほど遅い)。
さらに、2番機の「RB-2」はハドソン・モーター・カー・カンパニー(Hudson Motor Car Company)という自動車会社が買い上げ「空飛ぶショールーム」として運用しており、この機はなんと機内に自動車をそのまま搭載することが可能であった。当時、こんな芸当ができる飛行機はRB-2しか存在しなかった。

(後編に続く)

参考ページは後編にまとめて記載予定。

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