Orel、Heinkel Models 南部連合装甲艦 "CSS Virginia" 他。

やっとこ本業の方が一息ついて、8月末か9月始めに夏季休暇が取れるかもしれないと皮算用でホクホクの筆者がお送りするカードモデル最新情報。本日まず紹介するのはウクライナOrel社からの新製品、南部連合装甲艦 "CSS Virginia"だ。

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まぁぶっちゃけ、日本じゃ誰も知らないといっても過言ではない南北戦争の南軍艦隊、コンパで「山手線ゲーム! 古今東西、南北戦争時の南軍艦船!」なんてぶちあげようものなら、「CSSバージニア、ハイハイ!」と言ったっきり、誰も二隻目の名前が出てこずに場が静まり返ること間違いなしのドマイナーさだ。むしろ、そこで「CSSテキサス、ハイハイ!」と即答できるホステスさんのいるお店だったら一度行ってみたい。下戸だけど。あと、コンパなんて行ったことないし山手線ゲームもやったことないんで想像で書いてます。遊び方違ったらごめんなさい。
そんなドマイナー艦隊にあって、ミリタリー界隈ではけっこう名前が知られている唯一の艦と言っていいのが、今回紹介するCSS”バージニア”だろう。

こないだも話題に出たが、南北戦争の開戦時に合衆国最大の造船所であったノーフォーク海軍造船所は、位置するバージニア州が連邦を脱退し南部連合に加わったことで建造中の艦船ごと破壊、破棄された。
その際、破壊が不十分で船体が残ってしまった「USSメリマック」を南部連合軍が接収、浮揚させた上で焼失した上部建造物を撤去し、新たに鉄板で装甲した砲郭を載せたのが「CSSバージニア」である。

今回は紹介するキットが多いので、手早く公式ページのキット写真を引用しておこう。

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なんというか、すごいカタチだ。高さ的になんだか中途半端な位置にある主砲(23センチ/9インチ砲)が棒みたいな構造物に載っているが、たぶん実際にはこの高さに仕切り甲板が入っているのだろう。残念ながら日本では放映されたことがないようだが、1991年のテレビ映画「IRONCLADS」ではバージニア艦内の様子も(もちろん、セットだが)描写されており、ちゃんと仕切り甲板の上に火砲が並んでいる。なお、「IRONCLADS」は2011年のアイルランド映画、「アイアンクラッド」とは、もちろん全然別ものだ。

さて、バージニアは南軍きっての有名艦なので実は過去にも一度キット化されている。いくら南軍で有名だからって、こんなもんをキット化するのはもちろん、スペインのデザイナーなのに南北戦争の装甲艦が大好きなFernando Pérez Yuste氏のブランド「Heinkel Models」だ。

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こちらは2014年の商品。紹介しようと思って忘れてた。ごめんご。
最初、先にリリースされていたHeinkel ModelsのキットがOrelから印刷販売になったのかと思ったが、Orel版はアレクサンドル・クストフ(Александр Кустов)というデザイナーの作品なので、全くの別物だ。

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こちらは完成見本写真が豊富なので、船体形状が良くわかる。艦尾に靴べらみたいな甲板がペロンと付け足されているが、元のUSSメリマックより3メートルも全長が伸びているので、スクリューと舵が後ろに延長されているようだ。船首部分にもヒレが追加されているので、直進性が怪しかったのかもしれない。船首部分の装甲甲板がちょっと突き出してるのは敵艦に体当たりするための衝角だ。

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この救命ボート、デリックとか全くないけどどうやって運用するつもりだったんだろう。傾斜している砲郭側面をウハウハザブーン!と水面に落とすつもりだったんだろうか。絶対転覆するよ、それ。船首の円錐型装甲司令塔もなんだかヤケクソ気味で素晴らしい。
どう考えても通風筒少なすぎない? とか、いろいろと不思議な船だ。

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展開図見本。表紙画像で緑色だった船底は完成見本では赤だが、展開図見本ではやっぱり緑。結局どっちなんだか分からないが、デジタル販売なのをいいことに気に入らなければ塗り替えてプリントアウトすればいいだろう。

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ちょっと順番がごたごたになってしまったが、こちらはOrel版の展開図見本。ややや! 砲郭部分の展開図がHM版にクリソツだぞ! これはさては……なんて邪推してはいけない。あんなもん、どうやったって展開図はこの形にしかならない。

注目すべきはOrel版展開図見本の前甲板、後ろ甲板。両方とも喫水線下(Orel版は赤)の色に塗られているが、よく見ると砲郭の下の方にも船底色が塗られており、前後甲板が水面下に没している、半潜航状態が正常(画像は1898年に描かれた絵画)ということになる。え、まじすか? それに対しHM版は甲板は水面上に出るという解釈で、わずかながら乾舷があるが、これはどちらが正しいのかちょっとわからなかった。歴史家の間でも解釈には差があるのかもしれない。

南北戦争開始と共に「アナコンダ・プラン」と呼ばれる封鎖作戦で南部連合の港湾を封鎖した北軍艦隊に対し、数の上で圧倒的に劣勢な南部連合海軍が封鎖突破の切り札として開発したのが、装甲艦バージニアであった。
1862年3月8日、ハンプトン・ローズ川河口の北軍封鎖艦隊に向かって出撃したバージニアは木造フリゲート「USSカンバーランド」(1750トン)から滅多打ちを食らいながらも突進、船腹にぶち当たって衝角でこれを撃沈。男らしい初戦果だったが、男らしすぎてバージニアも艦首を損傷した。続いて木造フリゲート「USSコングレス」(1850トン)に標的を定めたバージニアは、もう一回体当たりしたら今度は自分もヤバいのでコングレスと激しく撃ちあう。しかし、コングレスの砲弾は全てバージニアの装甲に弾かれ、バージニアの焼夷弾が弾薬庫に引火したコングレスは爆沈した。
さらにバージニアは大型木造フリゲート「USSミネソタ」(3300トン)に攻撃を開始したが沈没を恐れたミネソタは自ら座礁した。
2隻を撃沈、1隻を行動不能にしたバージニアだったが、気前よく体当たりした時に艦首の衝角はもげてしまい、艦長フランクリン・ブキャナン(Franklin Buchanan)はコングレスを守ろうと陸から北軍兵士が小銃を撃ちまくってくるのに対してどういうわけかカービン銃で応戦しようとして船上に出た所を狙撃されて片足を負傷。船体の装甲板は貫通さえされなかったものの緩んでガタついてる箇所もあり、主砲は2門が故障、さらにすでに暗くなり始めており、最もまずいことに潮が引き始めており喫水が深く操作性の悪いバージニアは自身も座礁する恐れがあり戦闘を引き上げざるを得なかった。

翌3月9日、今度こそミネソタを完全に撃破しようと出撃したバージニアが出会ったのは、対装甲艦の切り札として駆けつけた北軍の装甲艦、「USSモニター」であった。
バージニアは北軍の装甲艦が戦場に現れることを想定していなかった。そのため、主砲の装薬をどこまで増やしても安全かわからず、通常の装填量で発射せざるを得ず、モニターの装甲を貫徹することができなかった。しかし、モニターもきつい傾斜のつけられたバージニアの装甲を撃ちぬくことはできず、両者は激しく撃ち合いながらも互いに致命傷を与えることはできない(途中、バージニアの砲弾がモニターの視認用スリットに命中し、モニター艦長ジョン・ウォルデン(John L. Worden)は負傷しているが戦闘は継続した)。結局、再び潮が引いたこともありバージニアは戦闘を打ち切り戦場を去った。
なお、戦いの焦点となったUSSミネソタだが、実はCSSバージニアの前身、USSメリマックと同型艦である。両船は「ウォバッシュ」「コロラド」「ロアノーク(後に旋回砲塔3基を並べた超モニター艦に改造された)」「ミネソタ」そして「メリマック」と、それぞれ川の名前がつけられた一連のフリゲート艦の1隻なので、艦娘「ミネソタ」にしてみれば、敵に囚われた妹「メリマック」がサイボーグ化して襲い掛かってくるという、激燃えシチェーションであったりする。

ハンプトン・ローズで南軍は北軍の包囲を打ち破ることはできなかった。国力に劣る南部連邦は諸外国との連携の道を絶たれ、戦争が長引くに連れて北軍のアナコンダに締め上げられ、最終的には北軍に押し切られ敗退することとなる。
また、北軍(合衆国海軍)もハンプトン・ローズで2隻の艦艇を損失、約400人の水兵を失うという手痛い打撃を被った。アメリカ海軍がこれを上回る損失を被ることとなるのはハンプトン・ローズの約80年後、パール・ハーバーにおいてである。

世界海戦史に「初の装甲艦同士の戦いを行った」として燦然とその名前を刻み込まれた南部連合装甲艦 "CSS Virginia"。Orel版、Heinkel Models版とも海モノ標準スケール200分の1でのリリース。難易度はOrel版が3段階評価の「2」(普通)、HM版が5段階評価の「4」(難しい)。そして定価はOrel版が208ウクライナフリヴニャ(約800円)、HM版が9.95ドル(ダウンロード販売のみ)となっている。南部海軍装甲艦ファンのモデラーなら、両者を作り比べて解釈の違いを楽しむのもいいだろう。

また、ハンプトン・ローズでバージニアと戦った「USSモニター」もHeinkel Modelsからリリースされている。

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なぜか完成見本写真はちょっと画質が悪い。定価8.75ドル。
こちらもスケールは同じ200分の1なので机上でハンプトン・ローズの戦いを再現するのも楽しそうだ。



画像はOrel社サイト公式フォーラム、ecardmodels、Heinkel Modelsからの引用。

*Orel版の定価はあくまでも現地で購入する場合の値段です。日本国内で購入する場合には輸送費などを考慮し、2倍~3倍程度になるとお考えください。


参考ページ:
https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Hampton_Roads
https://en.wikipedia.org/wiki/CSS_Virginia
https://en.wikipedia.org/wiki/USS_Monitor
https://en.wikipedia.org/wiki/USS_Minnesota_(1855)

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本日更新休止のお報せ。

本日体調不良のため、更新休止させていただきます。
またのお越しをお心よりお待ちしております。

熱さに当てられてしまいました。お恥ずかしい……

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ブラック・バック作戦の空中給油ダイアグラム

今週末は休日出勤のため、通常更新を休止して小ネタを。

1982年のフォークランド紛争でイギリス軍は、制空権獲得のためにフォークランド諸島にある飛行場を破壊してアルゼンチン軍に使用させないようにしようとしましたが、南米方面にほとんど海外領土を持たないイギリスは近くに爆撃機が発進可能な飛行場を持ってない。最も近くてフォークランドから6000キロ離れたアセンション島。

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画像はWikipediaから(このエントリ全て)。
で、この時点でイギリス軍が運用可能な戦略爆撃機はなんでこんなカタチにしちゃったんだろう、でお馴染みのアブロ・バルカン爆撃機。航続距離4000キロ(たぶん、爆弾積むともうちょっと短くなる)。

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行ったら帰ってこなきゃいけないんで、足りない航続距離は2000キロじゃなくて4000キロ。まるまるタンク満タン1回分、航続距離が足りない。
とはいえ、当時すでに空中給油は実用レベルに達していたんで、なーんだ、空中給油すれば全然問題ないじゃん、と思ったら、イギリス軍が使ってるハンドレイページ・ヴィクター空中給油機は航続距離が3700キロしかなかった(こっちも給油用燃料満載だともっと短いはず)。

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空中給油を行うヴィクター。給油を受けてるのは、ビール腹がキュートなライトニング戦闘機。

そんなわけで、空中給油を行うヴィクターも空中給油を受ける必要が出てきて、そのヴィクターも空中給油を受けて……と一生懸命調整して、実際に行われたのがこの図の通り。

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なるほど。最終的にアブロ・バルカンは空中給油機から空中給油を受けた空中給油機に空中給油を受けた空中給油機に空中給油を受けた空中給油機に空中給油を受けた空中給油機に空中給油を受けたのか。

なんじゃこら。

書いててわけわからんくなった。空中給油の回数間違ってたらごめんなさい。あと、帰りにも空中給油受けてます。

この「ブラック・バック作戦」は第7次まで行われ(うち2回は悪天候と機械トラブルで中止。上の図解は第1次作戦のもの)ましたが、「効果は非常に限定的だった」(爆撃で損傷を受けた滑走路はただちに修理され、影響はなかった)とする説と、「一定の効果を上げた」という説があり、未だに評価は定まっていないようです。まぁ、これだけ苦労して実行した方としては「意味なかったです」とは言いづらいわな。
ちなみに、当時最も遠距離に対して行われた爆撃であったブラック・バック作戦ですが、1991年の湾岸戦争でアメリカ軍のB-52がこれを上回る長距離爆撃を行ったそうな。
まぁ、アメリカ軍のB-52は空中給油受けながら無着陸世界一周したこともあるからね……

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Heinkel Models アメリカ装甲艦 "USS Dunderberg"

明日受診予定の、会社指示の健康診断を思うと今から面倒で気が重い筆者がお送りする世界のカードモデル最新情報。今回紹介するのはスペインのデザイナー、Fernando Pérez Yuste氏のブランド「Heinkel Models」の新製品、アメリカ装甲艦 "USS Dunderberg"だ。

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なんだこれ。そう言わずにはいられない、相変わらずの「ハインケル節」が炸裂した素晴らしいアイテム選択だ。
船名に思い当たらなくても、このキツイ傾斜のついた船体に幅の狭い鉄板を巻きつけたような構造からアメリカ南北戦争で世界初の装甲艦同士の戦いを戦った南軍装甲艦「バージニア」を連想した読者もいることだろう。まさしく、このUSS Dunderbergも同時期の艦船であり、さらに当時アメリカ最大の装甲艦だったのである。

1861年、アメリカ合衆国から南部諸州が離脱を宣言し、アメリカ南北戦争が始まる。東海岸のバージニア州は州内での意見の調整がつかずに連邦に残ろうか、それとも離脱しようかと逡巡したが、最終的には連邦離脱を宣言し南部連合へと加わる(離脱に対して反対意見が強かったバージニア州の西部は、逆にバージニア州から離脱して「ウェストバージニア州」として合衆国に再加盟している)。
バージニアには現在もアメリカ最大である造船所、ノーフォーク海軍造船所(当時は「ゴスポート造船所」)があったが、合衆国政府は放棄するにあたって造船所の設備、建造中の艦船を急いで焼き払って撤収。焼却された艦船の中には当時アメリカ最大の艦船であったスクリュー式フリゲート艦「メリマック」も含まれていた。
造船所を占領した南軍はメリマックが上部建造物は焼失しているものの、船体そのものは意外とダメージがないことに気づきこれを浮揚し装甲艦への改造に着手した。

一方、どうやら南軍が鉄板を貼り付けたすごい軍艦を準備してるらしいぞ、との情報を察知した合衆国政府(北軍)は1861年8月、「装甲艦委員会」(Ironclad Board)を立ち上げる。委員会では「装甲艦のアイデアお待ちしています。みんな奮って応募してね!」と装甲艦の設計の公募を始めたが、なぜか条件はただ一つ、「喫水が浅いこと」だった。
寄せられたアイデア16案の中から委員会は3つのアイデアを採用したが、その直後にどうやら南軍は本気で装甲艦を建造してるらしい、しかもけっこう改装も進んでるらしい、との情報が寄せられ「南軍のヤバい船が完成しそうだから100日以内に完成させてね」という条件で最終選考に残った3案のうちでも最も簡単に完成させられそうな案、「USSモニター」を発注する。

ところが、1862年3月にメリマックを改装した南軍装甲艦「CSSバージニア」(排水量3千トン~4千トン。資料によって数字が違う)が実際に戦場に現れると、排水量千トンのモニターでは明らかに見劣りした。バージニア、モニター両者はハンプトン・ローズ沖で相まみえ、この時は互いの装甲を破るすべを持たずに引き分けに終わったが、ゴスポート造船所を持つ南軍が次々に装甲艦を就役させれば北軍のちっちゃい装甲艦ではいずれ手に負えなくなることは明らかであった。
これに衝撃を受けた合衆国政府の装甲艦委員会は、もっとたくさんモニター作るよ! その間にもっと強い装甲艦も作るよ! と決定、装甲艦大増強に着手する。
こうして建造が決定したのが、排水量8千トン、全長107メートルの巨大装甲艦「USS Dunderberg」であった。

それでは、南軍の装甲艦をやっつける「決戦兵器」(予定)であるUSS Dunderbergの姿をecardmodels.comの商品ページから引用した完成見本写真で見てみよう。

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うーん、すごいスタイルだ。
先ほど、Dunderbergのことを「巨大装甲艦」と表現したが、実は同時期のイギリス装甲艦、「HMSウォーリア」(排水量9千トン)に比べれば大した大きさではない。しかし、ウォーリアがいたって普通の形状であるのに対し、Dunderbergのこのスタイルでこの大きさというのは他に例がない。

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低い乾舷、傾斜した上部建造物など南軍の「バージニア」との類似点は多い。これがバージニアに影響されたものなのか、それとも当時完全装甲の艦を作ろうと思ったら他にやりようがないのかはちょっとわからなかった。甲板まで装甲されているのが目立つが、煙突の中にまで破片が飛び込むのを防ぐ装甲格子が入っていたそうだ。

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武装は15インチ砲4門、11インチ砲12門、とかなり強力(南軍のバージニアは12インチ砲2門、9インチ砲6門など)。
なお、設計時は上部建造物の長さがもっと短く、船体の前後に連装砲塔(38センチダールグレン砲)が載せられることになっていたが、いくらなんでもやり過ぎなんで建造途中で設計変更になった。

Dunderbergは最強の装甲艦を目指して建造されたが、なにしろ巨大であるために必要な建材の調達からして困難であった。装甲板にするための鉄材は火砲や機関車、鉄道レールにも必要であるために必要量を調達できず、船体を形作る(装甲板がその上に貼られる)木材も全く足りないために本来ならしっかりと乾燥させた木材を使わねばならないところを、切ったばかりの木材を加工して使用しなければならなかった。このことは完成後に亀裂、変形、腐食、虫食いなどの問題を引き起こし、艦の寿命を著しく短いものとした。
さらに、ただでさえ慣れない装甲艦の建造は解決しなければならない技術的な問題が多いところに、前述の砲塔廃止のような設計変更が建造の遅れに拍車をかけ、そのうえ頼みの熟練工は全米で不足していた。
1865年7月22日、ついにDunderbergは進水したが、南北戦争はすでに南軍の降伏で終結していた。とほほん。

1867年、政府はいまさら完成したDunderbergをテストするが、計画値で15ノット出るはずだったのに11.3ノットしか出なかったので、戦時中にバカスカ作っちゃった軍艦を持て余してた政府はこれ幸いと「計画と違うから受け取れませーん」と受領を拒否した。
Dunderbergを建造したW.H.ウェッブ(William H. Webb)は、「じゃあいいです」と建造費を政府に返還、Dunderbergを買い取ると、外国への売り込みを開始する。
これに興味を示したのが建艦競争を繰り広げていたイギリスに対して遅れを取っていたフランスだった。フランスはDunderbergを購入すると艦名を「Rochambeau」(アメリカ独立戦争時にアメリカ軍を応援したフランス軍人、ジャン=バティスト・ド・ロシャンボー伯爵にちなむ)と変更し、武装をフランス式に変更した。メチャクチャ乾舷の低いこの船で大西洋横断するのは大変だったろうな。
オーバーホールしたRochambeauは1868年に性能試験が行われるが、あら不思議、フランス人は「最高速度、ちゃんと15ノット出ましたよ」と報告している。これがフランス軍の整備能力の高さを表しているのか、それとも買い取りたくないアメリカ政府がわざと性能を低く判定したのかは判断材料がないので決めつけないでおこう。

せっかく整備したRochambeauだったが、やっぱり過渡期の艦船だけあって旧式化は早かった。おまけに前述の通り、使用された木材が不適切であったために船体は急速に老朽化していた。
1870年の普仏戦争でRochambeauは出撃したが、特になにもせずに帰ってきた。
1872年4月、腐食により危険となったためにRochambeauは廃船となり1874年に解体された。

なお、新造当時の船名、「Dunderberg」というのはアメリカ海軍公式の「海軍戦闘艦辞典」(Dictionary of American Naval Fighting Ships)によると、「スウェーデン語で「雷の鳴る山」の意味」ということらしいが、なんでスウェーデン語の名前がついてるのかは解説がない。それとは別にニューヨークには「Dunderberg」という名前の山があって独立戦争時に戦場にもなっているが、こちらはオランダ語由来。単に海軍戦闘艦辞典が間違ってるだけのような気もする。

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展開図見本。甲板に貼り付けられた装甲板や木目甲板の表現が美しい。装甲板の都合なのか、艦首と艦尾の形状がなんか造船官が途中で面倒くさくなったみたいな直線になっているのも当艦のチャームポイントの一つだろう。

Heinkel Modelsからリリースされた幻の北軍巨大装甲艦、"USS Dunderberg"は海モノ標準スケールよりも大きい200分の1で完成全長53.7センチというビッグなサイズ。難易度は5段階評価の「4」(難しい)。そして定価は12.5ドルとなっている。
南北戦争期の装甲艦ファンなら、当キットは絶対に見逃すことのできない一品と言っていいだろう。Heinkel modelsからは当艦以外にも南北戦争期のなんか見たこともないような装甲艦が多数リリースされているので、北軍装甲艦隊、南軍装甲艦隊を机上に再現するのもおもしろそうだ。



写真はecardmodelsとHeinkel Modelsのページから引用。

参考ページ:
https://en.wikipedia.org/wiki/USS_Dunderberg

http://www.steelnavy.com/CombrigDunderberg.htm
軍艦模型のレビューサイトの1ページだが、実際の艦についてかなり詳しく紹介されている。
ちなみにレビュー対象となっている700分の1、レジン製DunderbergはロシアのCombrig Modelsというメーカーの商品で、ここは日本初の国産巡洋艦「高雄」(重巡じゃなくて初代の方)や、日清戦争で日本が鹵獲した砲艦「平遠」など、誰向けだかわからないような商品を精力的にリリースしている要注目メーカー。

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WAK イギリス戦闘機 Hunter F.5

友人から「新しいの買ったから」と無償供与されたスマホのスペックが低すぎてポケモンGOがプレイできなくてひとしきり落ち込んでからよく考えてみたら、そもそもスマホにSIMカード挿してないからプレイできたところでポケモン捕まえられない事に気づいた筆者がお送りするカードモデル最新情報。今回紹介するのはポーランドWAK社からの新製品、イギリス戦闘機 Hunter F.5 だ。

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うむ。ホーカーさんちのハンター君である。他に特になにも書くことがないぐらい、ハンター君である。後ろにもう一機飛んでるから、これがホントの「HUNTER×HUNTER」!というネタも思いついたが、どうやってもそれ以上話が広がらない上に何が「これがホントの」なんだかわからないのでこの話はこれでおしまいだ。

第2次大戦後半、レシプロエンジン機はすでに限界ともいえる性能に達しており、戦後は新たにジェット推進機が航空機の主力となっていくことは明らかであった。
イギリス、ホーカー社の主任設計技師シドニー・カム(Sydney Camm)もそのことは良く理解しており、ジェット艦上戦闘機「シー・ホーク」を完成させるが、シー・ホークは直線テーパー翼だったので、パッと見はレシプロ機をジェット化しただけみたいで、ぶっちゃけ地味だった(でも、どういうわけか最高時速が960キロも出た。これは、同時期に初飛行を果たした似たようなスタイルのグラマンF9Fパンサー艦上戦闘機より100キロも速い)。
もちろん、シドニー・カムはこれで満足せず、さらに後退翼を取り入れた次世代戦闘機を開発する。新たに開発された「ハンター」はエンジンをシーホークのロースロイス・ニーンからより径が細く、それでいながらよりパワーが倍近い(圧縮形式が違う)ロースロイス・エイヴォンに交換したこともありさらに性能は向上。1953年9月7日には時速1170キロを記録し、当時のジェット推進器の速度レコードを更新した。
イギリス空軍ではこの高性能機をさっそく採用し量産を開始する。ホーカー・ハンターは約2000機が生産されイギリス空軍では30年に渡って使用された他に、世界20カ国の空軍でも使用されるという一大ベストセラーとなった。

それでは、完成見本写真がないので組み立て説明書見本で地味な傑作機ホーカー・ハンターの姿を見てみよう。

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地味だな……
イングリッシュ・エレクトリックがほぼ同時期に作ってた「ライトニング」戦闘機なんて、エンジン双発を縦置きにしてみたら燃料タンクが胴体内に収まりきらなくなって腹からボッテリはみ出して、さらに車輪格納する場所もなくなって主翼下面に主脚を引き込むようにしたら増槽吊るす場所がなくって、仕方ないから主翼の上に増槽を載せるなんていうとってもアヴァンギャルドなスタイリングだったのに比べると、ハンターはなんとも地味だ。
しかし、裏返せばこの「地味」なところが設計者、シドニー・カムの「持ち味」だとも言えるだろう。

1893年、家具職人フレデリック・カムの家に生まれたシドニー・カムは12人兄弟の長男だった。当初、家業を次ぐために大工としての修行・勉強を続けていたシドニーは次第に航空機に興味を抱いていき、1908年ごろには兄弟と協力して模型飛行機の製作を開始している。このシドニーの模型飛行機は評判が良かったようでシドニーは雑貨屋を通じて多数を販売した。なお、途中で「あれ、これって自分で直接売ればもっと儲かるんじゃね?」と気づき直販も開始したが、雑貨屋に悪いんで直販の場合商品は秘密裏にお届けだったそうだ。きっと品名に「パソコン部品」とか書いてあったんだろうな。
1912年にシドニーは仲間たちと共に「ウィンザー模型飛行機クラブ」を発足。同クラブは同年中に有人グライダーの飛行にまで成功していたというから、相当なものだ。
いよいよ生涯の生業として飛行機設計を選んだシドニーは第一次大戦直前に「マーチンサイド」という飛行機メーカーに就職。マーチンサイドはもともとオートバイのメーカーで、戦時中は何種類か戦闘機を生産しているが、あんまりパッとしないうちに大戦は終結。そのまま廃業となってしまった。
そんなわけでフリーになったシドニーは1923年にいよいよホーカー社に入社。1925年に設計した軽飛行機「シグネット」(Cygnet)で手腕を認められたシドニーは主任設計技師に就任。それ以降、ホーカー・ニムロッド、ホーカー・ハート、ホーカー・フューリーなどを次々に設計する。彼の堅実な設計は軍のお気に入りとなり、1930年代には英国空軍の保有する機体のうち実に84%がシドニー・カムの設計した機体であったそうだ。
そして、第二次大戦中、ホーカーはシドニー・カム設計のハリケーン、タイフーン、テンペストの「嵐三兄弟」を次々に戦場へと送り込んでいく。

ドイツ空軍との死闘を制したイギリス航空界だったが、戦後は急速に存在感を失っていく。空軍の規模縮小に伴い航空機メーカーは再編が進み、さらに政治的な駆け引きが予算の高騰する新機種開発に悪影響を及ぼしていた。一節には二大政党の労働党と保守党が政権交代するたびに、互いに相手側の政権が進めていた新機種開発の予算を打ち切ってしまったのだという。
そんな中、英国空軍のホーカー・ハンター1機が前代未聞の「ホーカー・ハンター=タワー・ブリッジ事件」を起こす。
1968年4月、英国空軍は発足50周年を迎えていたが、大々的な式典はなかった。折しも時代は「ミサイル万能論」のまっただ中で、「迎撃ミサイルを数揃えれば、空軍なんて必要ないんじゃね?」という意見が政府内で真面目に討議されていた。
英国空軍第1戦闘機隊指揮官、アラン・ポロック(Alan Pollock)大尉はこれが我慢ならなかったのだろう、大尉は4月5日、愛機ホーカー・ハンターFGA.9(熱帯向け戦闘爆撃型)に飛び乗ると無許可で離陸しロンドン上空を低空で飛行、中でも議事堂の上は念を入れて3周し、最後に仕上げとしてテムズ川にかかるロンドンの名所、タワーブリッジの二段の橋の間を突っ切った(これだけでも違法行為)。過去にもタワーブリッジをくぐり抜けた飛行機はあったが、ジェット機がそれをやったのは初めてだそうだ。
当然、ポロックは着陸後即座に逮捕されたが、民衆の反発を恐れ空軍は彼を軍法会議にかけず、病気を理由に除隊とした。
いろいろと検索を行ったのだが、アラン・ポロックがその後どうなったのかはわからなかった(同姓同名の元パイロットが英国空軍関連の式典に招かれている記事はあったのだが、タワーブリッジ事件への言及がなかったので当人との確証が得られなかった)。

タワーブリッジ事件に先立つこと1年半、シドニー・カムは1966年に死去する直前にブリティッシュ・エアクラフト(BAC)が開発していた美しいラインの高速爆撃機TSR-2の開発が中止になったと聞き、「現代の航空機は4つの寸法(dimensions)を持つ。幅、長さ、高さ、そして政治力だ。TSR-2は前者3つにおいては順当だったのだが……」とコメントしたという。

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展開図のサンプル。細かいリベットの表現が美しい。塗装は1956年のいわゆる「スエズ動乱」に派遣された機体。エジプトの独立とスエズ運河国有化宣言に怒ったイギリスは運河を取り返そうとフランス、イスラエルと共謀して軍を派遣したが、いくらなんでも19世紀じゃないんだから、と嫌悪感を露わにしたアメリカ、ソビエトの圧力で撤兵を余儀なくされた。この戦いで戦費を費やした割に得るもののなかったイギリスはポンドの下落を招き、一時経済は危機的状況にまで追い込まれた。

地味ながら英国航空界没落前の最後の煌めきとなったホーカー・ハンターだが、ハンター自体は非常に頑丈な機体であるため、現在でもレバノン空軍が保有している他、民間に払い下げられて飛行可能な機体が多数あるという。中でも変わり種はATAC(エアボーン・タクティカル・アドバンテージ・カンパニー)所属の機体だろう。この会社は米海軍との契約で「仮想敵」を演じるのが専門で、在日米軍の訓練のために日本にもちょくちょく来ているそうなので、機会があれば日本でも本物のホーカー・ハンターを見ることができそうだ。

WAKからリリースされたHunter F.5は空モノ標準スケール25分の1でのリリース。難易度は5段階評価の「4」(難しい)。定価は45ポーランドズロチ(約1500円)となっている。
イギリス軍ジェット機ファンのモデラーなら、なかなかキット化されにくいこの時期の英軍機キットを見逃すべきではないだろう。また、アラン・ポロック大尉の心意気に感じ入ったモデラーなら、キャノンクリエイティブパークからダウンロードしたタワーブリッジのペーパークラフトの間をくぐらせて遊ぶのもいいだろう。



写真はWAK社ショップサイトからの引用。

*定価はあくまでも現地で購入する場合の値段です。日本国内で購入する場合には輸送費などを考慮し、2倍~3倍程度になるとお考えください。

参考ページ:
https://en.wikipedia.org/wiki/Hawker_Hunter
https://en.wikipedia.org/wiki/Hawker_Hunter_Tower_Bridge_incident
https://en.wikipedia.org/wiki/Sydney_Camm

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ジャンル : 趣味・実用

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