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ポーランド 駆逐艦 ORP Kujawiak 戦記 その4-1

さて、まだ非常事態は解除されておらず本日も一働きしてきたんですけれども、どうもこの様子だと4月中は休暇がなさそう。そうすると次回更新は令和になってからってことになって、こんな零細ブログのことはみんな忘れてしまうのでまとめてある分を少しでいいから更新して生存報告とさせていただこうということとなりました。なりました、っていうか、しました。
なんで、今回は分量少なめ、いつにも増して文章ガタガタですがなにとぞご容赦を。

1942年初夏、北アフリカの命運を決する地中海上の不沈空母、マルタ島はドイツ空軍の傘の下に収容されて補給が途絶え危機的状況となっていた。
そんな状況を覆すため、6月10日にイギリス軍はマルタ島に対する決死の輸送作戦を開始する。この作戦は単独で行われるものではなく、西のジブラルタルから出港する「ハープーン作戦」と、西のアレクサンドリアから出港する「ヴィガラス作戦」が同時に突進すれば片方ぐらいはマルタ島に駆け込めるだろう、というものだった。なので、マーケット作戦とガーデン作戦を同時におこなった「マーケット・ガーデン作戦」みたいに「ハープーン・ヴィガラス作戦」と言っても良さそうなもんだが、語呂が悪いのかなぜかそうは言わない。

作戦では東からヴィガラス船団11隻、西からハープーン船団6隻、合計17隻の輸送船がマルタを目指すが、さすがの大英帝国海軍でも両船団に護衛に十分な戦力を当てることはできず、東のアレクサンドリア軍港駐留艦隊にいたってはイタリア軍水中スクーター(いわゆる「人間魚雷」)による破壊工作でなけなしの戦艦2隻が損傷しているために1911年竣工で、しかも戦間期に武装を撤去して標的艦になっていた旧式戦艦HMS センチュリオンに対空兵装だけを積んで出撃させざるを得ないという状態だった(後にセンチュリオンはノルマンディー戦で防波堤として沈められている)。

一方、ハープーン船団は戦艦1隻、空母2隻、軽巡洋艦3隻、駆逐艦9隻(他に掃海艇など小艦艇が付随する)が護衛につき一見十分な戦力に見えるが、損失を避けるために戦艦1隻、空母2隻、軽巡洋艦3隻はドイツ軍航空攻撃が激しくなる海域に差し掛かる前に離脱することとなっており、残りは防空巡洋艦HMS カイロと駆逐艦の護衛だけで枢軸軍空襲下をマルタまで突っ走るという算段になっていた。

そんな状態なので、6月12日に出発したヴィガラス船団は出港直後から激しい空襲を受け次々に艦船が落伍、さらに戦艦2隻を擁する優勢なイタリア艦隊が船団攻撃に出港したとの情報がもたらされた。
イギリス海軍はイタリア軍迎撃艦隊に対し航空攻撃を加え重巡洋艦「トレント」を脱落させる(その後、英軍潜水艦の雷撃で沈没)も船団目指して進むイタリア艦隊を阻止することはできず、高角砲しかないセンチュリオンとイタリア戦艦2隻では勝負にならないので15日に反転、帰投した。

イタリア海軍の戦意のなさはネタとしてよく揶揄されるが、艦隊は存在することが意義であるという艦隊保全主義から言えば男らしい決戦でイタリア艦隊が壊滅するよりも、逃げ隠れしてまともに戦う気がなかったとしても「地中海にイタリア艦隊が存在する」ということは重要であった。
(その4-2に続く)



参考ページは最終回にまとめて掲載予定。
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本日更新休止のお知らせ。

本日本業多忙により更新休止させていただきます。
現場の偉い人から緊急事態宣言が出てしまったので、およそ1ヶ月程度、更新あったりなかったりといったペースになりそうですが、気が向いた時にまた覗きに来ていただければ幸いです。

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ポーランド 駆逐艦 ORP Kujawiak 戦記 その3・ハープーン作戦までのマルタ島の戦い後編

なんか新元号は「紙模」になるみたいですよ。嘘ですけど。
というわけで、エイプリルウィークネタを手早く回収した筆者のお送りする、客観的に見てカードモデルに関係性があることは疑いようのない情報あれこれ。今回も前回に引き続き、イギリス海軍のハント級護衛駆逐艦のうちの1隻、GPM100分の1キットとなった "ORP Kujawiak" の戦いについて。
ポーランド 駆逐艦 ORP Kujawiak(クヤヴィアク)が向かうことになったマルタ島が戦史上どういう場所だったのかをサックリアッサリまとめようとして大失敗、胸焼けしそうなコッテリ味になったハープーン作戦までのマルタ島の戦いの後編。

前回は北アフリカに物資を送りたいイタリア軍、それをマルタ島から出撃する航空機で邪魔するイギリス軍。イタリアを助けるためにドイツ空軍がやってきてイギリス軍をボコったけど、ドイツ軍は独ソ戦が始まるんで引き上げていきました、というところまで。

1941年6月1日、枢軸軍の攻撃が一息ついたのを機に、イギリス空軍マルタ守備隊指揮官の交代が行われる。
それまでの指揮官、フォースター・メイナード(Forster Herbert Martin Maynard)がどちらかと言うと「アビリティ・防御バフ:この能力を持つ指揮官の部隊は敵の攻撃で被る被害が減少します」という感じだったのに対し、新たに着任したヒュー・ロイド卿(Sir Hugh Pughe Lloyd)は攻撃精神旺盛な人物で、着任早々に自分の指揮所の入り口に「犬の喧嘩でさえ、犬の大きさで勝敗が決まるわけじゃない(Less depends on the size of the dog in the fight than on the size of the fight in the dog)」と大所した看板を掲げて自分たちを包囲している圧倒的優勢な枢軸軍をぶっ飛ばす気満々なことを暗に宣言した。

Hugh_Lloyd_with_Beaufighter_March_1944_IWM_TR_1593.jpg

Wikipediaからの引用で、ゴーグルが横っちょむいてたり、ポッチャリ体型だったり、あんまりそうは見えないけれども攻撃仕掛ける気満々なヒュー・ロイド卿の珍しいカラー写真。もとはImperial War Museum所蔵。後ろに写ってるのはブリストル・ボーファイター戦闘機で、1944年3月にイギリス本土へ戻る時の写真。

指揮官の戦意は旺盛だったがマルタ島の戦力は壊滅寸前で、稼働機は戦闘機やら攻撃機やらを全部まとめて60機弱。まぁ複葉機3機よりはいいか。とは言え、箱詰めのスペアパーツが大量にあったあの時と違って今回はスペアパーツも使い果たしているので修理は島内に散らばる残骸から持ってきた部品で行うバトルロワイヤル方式。
一応、ロイド卿の矢のような催促でハリケーン戦闘機に20ミリ機関砲を積んだ襲撃機型、ハリケーンIIcとかブリストル・ボーファイターとかブリストル・ブレニムとかが続々と到着したが、それって攻撃機ばっかりじゃないか。防空はどうするんだ。

そんな心配をよそにロイド卿はこれらの機材で攻撃隊を再編、「船舶攻撃の際はマストの高さで突っ込め」と命令し地中海へと放った。
この時期、北アフリカの枢軸軍は毎月4万5千トンの補給物資を必要としていたが、ドイツ空軍がいなくなって勢いに乗ったマルタ航空隊は海面すれすれでイタリア軍商船に突っ込んでいき攻撃を繰り返す。これをやられると、技能の低いパイロットでは背後につこうとして上空から降下するとそのまま海面に突っ込んでしまうので、ちょっと戦意の足りないイタリア軍では手に負えなかった。
突然息を吹き替えしたマルタ島のイギリス軍は1941年6月から9月の間に枢軸軍輸送船108隻、実に30万トンを撃沈。
1941年9月には発送した物資9万6千トンの3分の1が英軍潜水艦と航空攻撃により損失、さらに11月には8万トンの燃料を積んで出発した船団がなんとか北アフリカに届けることができた燃料がたったの3万トン、という目も当てられない状況で、これにはさすがのロンメル将軍も燃料なしで戦争はできずに英軍が立てこもるトブルク要塞の包囲を解いて撤退することを余儀なくされていた。

「制空権取られちゃいました☆テヘペロ (・ω<) 」なイタリア軍にブチ切れたドイツ軍はアルベルト・ケッセルリンク率いる第二航空艦隊(Luftflotte 2)をシシリー島へ送り込む。
再びやってきた世界最強のドイツ空軍は装備するメッサーシュミットBf110複座戦闘機ユンカースJu88双発爆撃機、そしてベテランパイロットの技能で攻撃機ばっかりのイギリス空軍マルタ島航空隊をたちまち追い込んでいく。

こりゃいかん、と1942年3月に空母HMSイーグルから待望のスピットファイア戦闘機が到着、マルタ島防空の任につく。
しかし、いくらロイド卿の戦意が旺盛でもスピットファイヤでは船舶攻撃はできないし、それ以外の攻撃機が出撃してもドイツ軍戦闘機の餌食でしかない。
枢軸軍船舶の損害は激減し、42年4月には発送した物資15万トンのうち、損失わずか200トンというほとんどパーフェクトな記録を達成、この物資をもって息を吹き返したドイツ・アフリカ軍団はイギリス軍のガザラ防衛線を5月に突破し、トブルクを6月に占領する。
もはやマルタ島、そしてそれに支えられていた北アフリカのイギリス軍の命運は風前の灯であった。
度重なる空襲と補給の途絶によりマルタ島内で飼われていた家畜は全てが死亡、水道も破壊され住民は擦り切れた服と靴の代わりにカーテンと古タイヤを改造して身につけるありさまだった。

エルウィン・ロンメルは引き続き「マルタ島を取れなければ、枢軸軍は北アフリカを失うことになるだろう」と警告していたが、枢軸軍はすでにマルタ島の命運は決したと判断していた。
ドイツ軍上層部は以前にギリシャのクレタ島に対する作戦で成功しながらも大損害を被った空挺作戦には及び腰で(輸送機も損害から回復していなかった)、「まぁ、マルタはもう放っておいても大丈夫だろう」とフラグを立ててしまった。

しかし、イギリス軍はまだ諦めていなかった。
首相、ウィンストン・チャーチルが「不沈空母(unsinkable aircraft carrier)」と呼んだこの島を守るため、イギリス軍は決死の輸送作戦「ハープーン作戦」を決行する。

次回、やっと主役のポーランド 駆逐艦 ORP Kujawiak が再登場!
(その4・ハープーン作戦に続く)



参考ページは最終回にまとめて掲載予定。

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ポーランド 駆逐艦 ORP Kujawiak 戦記 その2・ハープーン作戦までのマルタ島の戦い前編

先日、物置の中を片付けようと裏庭へまわったところ、物置脇のキンモクセイの木になにかが吊り下がっている。なんじゃらほい、とよく見てみたら、なんとこれが人の頭ほどもある立派なスズメバチの巣で本気でビックリした筆者の紹介するカードモデルに関係ありそうな情報。今回も前回に引き続き、イギリス海軍のハント級護衛駆逐艦のうちの1隻、GPM100分の1キットとなった "ORP Kujawiak" の戦いについて。

前回のあらすじ。
リアル・チョコレート戦争でドイツ軍をギャフンと言わせた亡命ポーランド海軍駆逐艦ORP Kujawiak (クヤヴィアク)はその後イギリス沿岸の船団護衛に就いていたが、1942年春、次の作戦へと出撃する。

てなわけでマルタ島へ向かうことになったクヤヴィアクだったが、まずは時間を巻き戻してこの地中海の小島がなぜ連合・枢軸両軍の攻防の焦点となったのかを見ていこう。
なんか、この間は「その2・ハープーン作戦前編へ続く」なんて書いちゃって、いますぐにでもハープン作戦が始まりそうな雰囲気を醸し出していたが、ジョン・メイトリックス大佐の言葉を借りると、あれは嘘だ。
いや、また例のごとく面白そうなエピソードを何も考えずに全部ぶちこんだらとてもじゃないが自分で決めてる一回分の文章量に入らなくなるという、毎度おなじみ計画性のなさを遺憾なく発揮したためである。

まぁそんなわけで、まずはマルタ島の地理から説明すると、マルタ島はイタリア半島の長靴に蹴飛ばされそうなシシリー島のさらに南にある小さな島。「小さい」とは言っても、島の大きさは250平方キロもあり、日本の島では奄美群島の徳之島がだいたい同じ大きさだ。もっとわかりやすい比較対象を持ってくると、大阪市(約225平方キロ)より少し大きい程度で、1940年6月の人口は約25万人というからけっこうな規模の島である。
地中海の交通の要衝にあるため、古代からフェニキア人、ローマ人、アラブ人、ノルマン人、スペイン人に取っ替え引っ替え占領され、近代になってからはナポレオン・ボナパルトがエジプト遠征のついでに占領し、それを倒したイギリスが第二次大戦時に領有していた。



Googleマップで見るマルタ島。ぐーっと縮小していくと、第二次大戦当時は周りが全部イタリア領だったことがわかる。

1940年6月10日、フランスがドイツにボコられて「蛍の光」と一緒に「1870年の創業以来70年の間お楽しみいただきましたフランス第三共和政は、間もなく終了いたします」のアナウンスが流れ始めたのをいいことにイタリアは英仏に宣戦を布告、南仏へと進出した。が、イタリア軍は壊滅したはずのフランス軍に阻止された。なぜだ。
それはそれとして、イタリアは半島の対岸、北アフリカに植民地(イタリア領リビア)を持っており、そっから東のイギリス領エジプトに攻め込んでスエズ運河とエルサレムを占領しちゃって地中海を「イタリアの湖」にしちゃうぞ! とベニート・ムッソリーニは大フィーバーしていたが、「イギリスとの全面戦争は蚤が象に立ち向かに等しい暴挙」と対英戦争に反対していたロドルフォ・グラツィアーニ将軍が指揮するイタリア第10軍が渋々と東へ進んだらやっぱりイギリス軍に阻止された。

Rodolfo_Graziani_1940_(Retouched).jpg

Wikipediaからの引用でグラツィアーニ将軍。1940年6月の撮影とあるので、まさにいまからエジプトへ向かって(嫌々ながら)出撃しようかという頃の写真だ。この後、彼はイタリア軍15万でイギリス軍3万6千を迎え撃ったらなぜか13万の損害(うち、捕虜11万5千)を出して壊滅する(イギリス側の損害は2千)という逆無双を達成したことで無事に解任される。

フランスの方は、まぁ予定通り間もなく降伏して店じまいになったんでいいとして、問題はイギリス軍に押されまくっている北アフリカ方面であった。
北アフリカで作戦行動を行うイタリア軍への補給路は当然、地中海を超えていかなければならないが、この邪魔となったのがマルタ島から出撃してイタリア軍輸送船を襲うイギリス軍航空隊であった。
燃料も艦艇も不足しているイタリア軍に、地中海全域の海路すべてを英軍の空襲から守る力はない。少しでも英軍の航空戦力を削ぐために参戦直後からマルタ島に対しイタリア空軍の空襲が始まった。

当初、マルタ島の防空戦力は急いで梱包を解いて組み立てたシー・グラディエーター複葉戦闘機が3機。
こんな心細い戦力だったが、向かってくるイタリア空軍も装備してるのはCR.42複葉戦闘機だった上にマルタ島には初期型レーダーがあったもんだから、このたった3機の守備隊は意外な大奮闘を見せ、押し寄せるイタリア軍機をバタバタとはたき落とす(マルタ島初期防空戦については過去記事「マルタの剣闘士・14」に記載ありますが、今と文章のタッチが違って恥ずかしいので正直見なくてもいいです)。

8月にはイギリス側にハリケーン戦闘機が到着して一息つくものの、イタリアに「ドイツえも~ん!」と泣きつかれたドイツが「仕方ないなぁ……ルフトヴァッフェ~(ペカペカペカ)」と取り出した最強ドイツ空軍が1941年初頭からシシリー島に進出してマルタ攻撃に加わると、たちまちイギリス軍の被害は増大する。
もともと微力だったマルタ島のイギリス軍はほとんど壊滅状態となり、枢軸軍制空権下ではマルタ島から出撃する潜水艦、攻撃機による枢軸軍損害も激減。1941年1月から4月にかけて、枢軸軍はリビアに約32万トンの物資を発送したが、損失はわずか1万8千トンだった。
この空・海での優勢を利用してドイツ軍はエルヴィン・ロンメル将軍率いるドイツ・アフリカ軍団をリビアに上陸させ、ロンメル率いるドイツ軍はイギリス軍を一気にエジプト領内へと押し返す。

今やイギリス軍の命運は風前の灯火であったが、ある日を境にドイツ空軍が忽然と姿を消してしまった。これはあれか、「モンスの天使」がまたやってくれたのか、と思ったがそうではなくて、ドイツ軍は三国同盟に加わった瞬間に連合側に寝返るというアクロバティック陣営替えをユーゴスラビアやってのけたのを懲らしめに行かなければいけなかったのと、その後は史上最大の戦い、独ソ戦に参加するためにイタリア軍に後を任せてバルカン半島へ引き上げていったのだった。
(その3・ハープーン作戦までのマルタ島の戦い後編に続く)



参考ページは最終回にまとめて掲載予定。


おまけ。裏庭で見つけたスズメバチの巣。

IMG_1046_S.jpg

見た目ヤバいけど、この季節なのですでに放棄された後で空っぽ。
なんでこんなでっかい蜂の巣あったのに全然気づかなかったんだろう……

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本日更新休止のお報せ。

本日、体調不良のため更新休止させていただきます。
またのお越しを心よりお待ちしております。

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