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ドイツのカタパルト船について・その3

諸般事情で抗生物質の点滴を受けているが、医者に「あとどれぐらい続けることになるでしょうか」と聞くと、「あと一週間ぐらいでしょう」と、ここ1ヶ月ほど毎週言われている筆者のお送りするカードモデル? かもね、な情報。今回も引き続きドイツのカタパルト船について。

前回は、えーと、なんだっけ。
ああそうだ、ノルデンドイッチャー・ロイド(Norddeutscher Lloyd)が新造する5万トン級豪華客船「SS ブレーメン」に船舶用カタパルトを積むことにした、ってとこまでだ。

そんなわけで客船SS ブレーメンにハインケル製カタパルト「K2」が搭載され、さらにカタパルト射出専用機も新設計されることとなり、ハインケルはこの目的のため新たにHE 12 を制作する。
HE 12の「HE」というのは、後にドイツ空軍が制式採用したハイケル機につけたメーカーコードの「He」とは関係なくて、ハインケルの単葉機(Eindecker)という意味であった。ちなみに前回登場した HD 15 の「D」は「複葉(Doppeldecker)」のD である(たぶん、三葉機(Dreidecker)を開発した時は HDr ○○ にするつもりだったのだろう)。

800px-Heinkel_HE_12_on_catapult_SS_Bremen_LAir_September_15,1929

Wikipediaからの引用(この項の画像全て同様)で、SS ブレーメン船上のHE 12。
飛行機そのものは目立って変わったスタイルでもない。エンジンはプラット&ホイットニー "ホーネット" 500馬力。最高時速は約200キロ強だった。
客船からカタパルト発進して郵便を届けるだけなんだから別に水上機でなくても、カタパルト発進した陸上機が飛行場に着陸してから港に着いた船にクレーンで積み直せばいいような気もするのだが、まぁ飛行場から港まで運ぶ手間もあるし、当時の信頼性が低い飛行機で一旦発進したら最後、陸地に辿り着けなかったら遭難決定、ってのもたまったもんじゃないか。

SS ブレーメンは1929年6月に竣工、さっそく7月に HE 12 を積んで処女航海へと旅立つ。7月22日、HE 12はニューヨーク港から400 kmの距離でブレーメンから発進、無事郵便物を届けた。
これはニューヨークで大歓迎を受け、市長ジミー・ウォーカーによってこの HE 12 (機体記号「D-1717」)は「ニューヨーク」と名付けられた。
なお、この航海でSS ブレーメンは西行き大西洋航路の横断速度でそれまでの最速記録だったRMS モーリタニアの持つ記録、平均約26ノット(1909年 9月26日 - 9月30日)を大幅に上回る平均約27.8ノットを記録。最速船に送られるブルーリボン賞を獲得している。

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HE 12がSS ブレーメンに積んである様子がよくわかる一葉。L'Air magazine詩1929年9月15日号からの転載らしい。船しか写っていないので周辺状況がわからないが、港でHE 12をクレーンで積んでいる最中かもしれない。上部構造物側面に書かれた船名「BREMEN」にも注目だ。
格納庫があるようには見えないので、どうも航海中はずっと露天繋留だったようだ。整備性とかどうだったんだろう。

800px-Heinkel_HE_12_catapult_launch_SS_Bremen_LAir_September_15,1929

これもL'Air magazine詩1929年9月15日号からの転載で、射出されるHE 12の迫力ある一葉。豪華客船の旅も終わりに近づいた乗客たちにとって、HE 12の射出は船内最後にして最大のイベントになったことだろう。よく見ると煙突の中にも乗員らしき人影が見える(もちろん、正確には煙突ではなくて整形覆いの中)。

なお、SS ブレーメンはつい最近、ドイツHMV(Hamburger Modellbaubogen Verlag)社から素晴らしいクオリティのキットがリリースとなったのだが、これを紹介しようと寄り道するとまた帰りが遅くなるので、今回は素通りさせていただこう(近日中に紹介予定)。もちろん、HE 12もキットに含まれている。

なお、SS ブレーメンには SS オイローパ という姉妹船があって、こちらは SS ブレーメンの半年後に就航したが HE 12 の座席を並列にし、やや機体を拡大した HE 58 (機体記号「D-1919」)が搭載された。

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SS オイローパに積み込まれるHE 58。並列のコクピット、船体のEURO(PA)の文字に注目。なお、HE 58は当初「アトランティック(Atlantik)」の名前が与えられているが、1931年に名前は「ブレーメン」に変更されている(上の写真もよく見ると、胴体に"BREMEN"の一部が見えている)。SS ブレーメンの姉妹船のSS オイローパに積んでる飛行機の名前がブレーメンではわけわからなくなりそうだが、SS ブレーメンのHE 12は1931年10月5日、カナダのファンディ湾入り口で事故により破損、破棄されているのでその関係かもしれない。
HE 12、HE 58 ともいわばそれぞれの客船のためにオーダーメイドで作られた機体で、それぞれ1機づつしか作られておらず、HE 12の事故後ほどなくしてSS ブレーメン、SS オイローパ2隻の搭載機はユンカースJu 46 へと置き換えられた。

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SS オイローパから射出されるJu 46 D-2244「オイローパ」。1932年撮影。
Ju 46は見ての通り密閉風防の機体でBMW 132エンジン(650馬力)で最高時速約230キロを出すことができた。

客船からカタパルト発進するお急ぎ郵便サービスは到着が1日から早くても2日短縮される程度で、一瞬で電子メールを遅れる現代の感覚からするとそれほど凄みを感じないのだが、それでも当時はなんかその「すごいことしてる感」がウケたのか評判は良かったそうだ。
この好評に乗る形で、ルフトハンザドイツ航空はさらに大胆な「大陸間完全航空便」を計画する。
とは言っても、当時はまだ貨物を積んで悠々大西洋を横断できるような長距離飛行が可能な機体はまだ開発されていない。
そこで、ルフトハンザが計画したのは洋上にカタパルト装備の補給船を浮かべておき、ヨーロッパ(もしくは新大陸)を飛び立った水上飛行機と海上で会合、拾い上げて整備と補給を行ってからカタパルト発進して目的地を目指すというものだった。
あれ? それだったら、ただの船で水上機に補給してからまた水上滑走で離陸すればいいんじゃない? とも思うのだが、わざわざカタパルト発進が前提となっている理由はちょっとわからなかったが、来たるべき大戦に備えて洋上での航空機運用のノウハウを集めたいという軍の思惑もあったのかもしれない。

そんなわけでルフトハンザは1905年に建造された旧式貨物船、ヴェストファーレン(Westfalen)を1932年に購入し、カタパルト船に改造する。
ちなみにこの船はルフトハンザに購入されるまでにちょっと変わった経緯があって、まず第一次大戦が始まった時にヴェストファーレンは南米チリに停泊しており、開戦と同時に中立国の権限で抑留された。
戦後、ヴェストファーレンは戦勝国のイギリスに賠償として引き渡されるはずだったのだが、1920年になって、同様に南米で抑留されていた他5隻と一緒にドイツに返却された。これはなんでかと言うと、戦前にダンチヒ港で建造していた「SS コロンブス」という客船があったのだが、80%完成したところで戦争が勃発、戦争中はずっと放置されていたのだがこれをイギリスが戦後買収として接収、それを海運会社、ホワイト・スター・ラインが戦時中の船舶の損失を埋め合わせようと購入した。
で、さぁ、残りの20%を完成させてください! と造船所に言ったところで、ドイツ人にしてみればこないだまで敵だったイギリス人のために船なんて作ってられっか、と全然建造が進まない。
困りきったホワイト・スター・ライン幹部はイギリス政府にかけあい、最終的にSS コロンブスを引き渡してくれたら代わりに南米で抑留されてる旧式船6隻を返すよ、とイギリス政府からドイツ政府に申し入れがあり、ドイツ側がこれを受けいれて責任もってSS コロンブスを完成させることとした(そもそもダンチヒは戦後「ダンチヒ自由市」になっており、ドイツ政府に交渉権はなかったがコロンブス欲しさに有耶無耶にされた)。
この協定でSS コロンブスは無事完成後イギリスに引き渡され、「RMS ホメロス(RMS Homeric)」となり、その代わりにヴェストファーレンはドイツに帰ってきたというわけだ。
(その4に続く)



参考ページは最終回にまとめて掲載予定。
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ドイツのカタパルト船について・その2

室内に入る時に手のアルコール洗浄が徹底されたため、開発室が歯医者の待合室みたいな匂いになってきたと感じる筆者のお送りする世界のカードモデル的話題。今回も引き続きドイツのカタパルト船について。

前回までのあらすじ: ハインケルが『郵便飛行機用』として船舶用カタパルトとそこから射出される郵便飛行機を作ったら、なぜかソビエト海軍が買っていった。

まぁぶっちゃけ、ドイツも航空戦力の基礎としてカタパルトの研究を行っていたのをベルサイユ条約の制約で「郵便飛行機用」と誤魔化していたわけだが、郵便飛行機用のカタパルトってなんじゃらほい、と思ったら当時すでに船舶から郵便飛行機を飛ばすサービスというのがすでに存在して、それにも使えるんじゃね? という目論見だったようだ。

このサービスを行っていたのは当時のドイツ有数の客船会社、ノルデンドイッチャー・ロイド(Norddeutscher Lloyd 以下「NDL」と略)で、1927年に大西洋航路の客船「SS リュッツオウ」で水上飛行機で一足お先に郵便お届け、というサービスを行っていた。当時はまだ荷物を積んで大西洋を横断できる飛行機がなかったので郵便は客船に便乗して運ばれていたが、客船到着前に飛行機に積み替えて先発することで郵便の到着を1~2日早められる、というわけだ。

Luetzow_NDL.jpg

Wikipediaからの引用(この項の画像全て同様)で、SS リュッツオウ。1926年撮影。
SS リュッツオウはもちろん、巡洋戦艦リュッツオウ(SMS リュッツオウ)とは別の船で、1908年に建造された約9千トンの客船。
1914年の第一次大戦開戦時にはスエズにいたので開戦と同時にイギリスに拿捕され、「SS ハントセンド(Huntsend)」の名前で英軍に加えられ、1915年のガリポリ上陸作戦には病院船として参加した。
また、1917年1月3日にはクレタ島沖でドイツ帝国海軍潜水艦、SM UB-47に雷撃され損傷しているそうだが、あれ? 地中海にドイツの潜水艦なんていたの? と思ったら、ブレーメンの造船所で建造した潜水艦を分解して鉄道輸送し、オーストリア=ハンガリーで組み立て直すことでドイツ帝国は地中海にも潜水艦を複数保有していたそうだ(乗員の交代が面倒すぎるので後にオーストリア=ハンガリーに一部を売却している)。
NDLは1923年にこのSS リュッツオウをイギリスから買い戻し、ユンカース F.13の水上機型を搭載していた。

なお、SS リュッツオウは以前にも水上機発進のテストを行っているが、その時はクレーンで下ろすとかカタパルトや傾斜路で発進させるとかの普通の方法ではなく、船尾から海面に垂らしたシート状の滑り台で落とすという方法が試された。
この説明だと何がなんだかわからないので、実際の写真で見ていただこう。

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これは滑り台を畳んだ状態。船尾デッキの張り出しの下にある網に仕掛けが隠してある。

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ビローンと滑り台を展開した状態。ちょうど、飛行機の脱出シュートみたいな感じだが、時代的に考えてキャンバス地だろう。なんか、めっちゃ急角度に見えるんだけど大丈夫?

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いってらっしゃーい。なるほど、垂らしてから船が進むことで滑り台がピンと張るのか……って、これ左右に踏み外して転落したら間違いなく死ぬぞ。一応、左右に折り返しがあって逸脱を防いでみたいだけど、いや、その程度じゃダメだろ。あと、まさかこの方法で収容もやるつもりじゃないよね? 使った後の滑り台を収容する方法もわからん。

この写真はもともと米海軍収蔵物から引用されており、あまり詳しい情報がない。キャプションも「第一次大戦中ドイツでの実験」となっているが、前述の通りSS リュッツオウは開戦時にイギリスに抑留されているので大戦中ということはあり得ない(水上機の形式から見て、戦後でもないだろう)。また、リュッツオウを「SMS リュッツオウ」と書いている写真もあるが、どうみでも巡洋戦艦の尻ではない。
とにかく、明らかなのはこの方法ではうまくいかなかった、ということだ。しかし、もしかするとSS リュッツオウの船尾にはこのテスト用の水上機設備が残されていたのかもしれない。

実際に運用している写真が見つけられなかったので、SS リュッツオウがユンカース F.13をどこに積んで、どうやって運用していたのか詳しいことはわからなかったが、尻から滑り台で落としていたということはないだろう。
と、いうことはクレーンでF.13を海面に下ろす必要があり、そのためには船を停めなければならない。郵便を早く届けるために船の到着が遅れるのでは本末転倒だ(まさかF.13を曳航していったということはないだろう)。

そこで、NDLは新造される5万トン級豪華客船「SS ブレーメン」に船舶用カタパルトを積むこととした。
「ブレーメン」という名前を聞いて梅澤春人先生のマンガ、「無頼男」を連想する読者も多いかと思うが、この場合はドイツ北部の都市、ブレーメンのことである。
NDLはブレーメンで創業した会社なので、代々フラグシップに「ブレーメン」の名前をつけており、今回のSS ブレーメン以前にも、
1858年の初代(創業時)、
1896年の二代目
1922年にアメリカから購入(元SS ポカホンタス)の三代目、
のブレーメンが在籍していた。
なお、日本語版Wikipediaでは1928年建造のブレーメンが「ブレーメン (客船・3代)」となっているが、なぜ3代目扱いなのかはわからない(英語版では「ブレーメンという名前を持つNDLの4番目の船だった」となっている)。在籍期間が短かった上に外国製だった元SS ポカホンタスを省いているのかもしれない。

なお、これ以外にも軽巡洋艦SMSブレーメンとか、まさかの潜水商船ブレーメン(第一次大戦中に英国の封鎖をくぐり抜けて中立国アメリカと貿易するために建造された)なんていう訳のわからないものもあるのだが、キリがないのでまた別の機会にしよう。
(その3に続く)



参考ページは最終回にまとめて掲載予定。

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ドイツのカタパルト船について・その1

新型コロナウィルスの影響で、本年は静岡ホビーショーが中止が決定。これにより、来年のモデラーズクラブ合同作品展は2年分の力作が並ぶかつてないスペシャルなショーとなることが約束され、今から来年度ホビーショーへの期待が果然盛り上がっている筆者のお送りする世界のカードモデル周りをウロウロしていて拾ったネタのドヤ顔見せびらかしブログ。今回のお題はドイツのカタパルト船である。

「カタパルト船」というのは、別に大戦末期に弾薬の不足したドイツ海軍が投石機を積んでいた、とかそういう話ではなくて、航空機発進用のカタパルトを装備しており、それを使っての航空機運用を主目的とした船のことだ。
ようするに、日本では「水上機母艦」と呼ばれる種類の船なのだが、おもしろいのはドイツのカタパルト船はもともと民間での商用のために開発されたということである。

航空機を何らかの加速装置で射出する、というアイデアは意外なほど古い。おそらく模型飛行機をパチンコで打ち出すのが先にあって、それを拡大したのだろう。
例えば、1903年にアメリカの天文学者、サミュエル・ラングレー(アメリカ海軍初の航空母艦、USSラングレーの名前の由来となった)が設計したエアロドローム号は艀(はしけ)の上のキャビン天井に設けられたカタパルトから発進している。

Samuel_Pierpont_Langley_-_Potomac_experiment_1903.jpg

Wikipediaからの引用(この項、全て同様)でカタパルト射出されるエアロドローム号。
見るからに前のめりだが、この後さらに前のめりになって背面から水面に叩きつけられ、乗っていたチャールズ・マンリーは死にかけた。
なお、ラングレーは10月7日と12月8日の2回、飛行実験を行っている(もちろん両方失敗した)が、この写真がどちらの実験の際の写真なのかはどうもはっきりしない。ちなみに2回めの実験の9日後の1903年12月17日、ライト兄弟が世界初の動力付き飛行に成功している。一応、ラングレー博士の名誉のために言っておくと、無人の模型機ではカタパルト射出はうまくいった。
ちなみに、ライト兄弟も離陸距離を縮めるためにバラストを落として機体を牽引する装置を考案している。

800px-Flyer_Pau.jpg

1909年、フランスでのフライヤーA型実演の際の写真。みんなで機体を引っ張ってバラストを持ち上げているところ。バラストが落ちると離陸用のレール先端の滑車を経て機体が引っ張られる。滑車で一回折り返してるのは、もちろん直接牽引したら飛行機がタワーに激突してしまうからだ。

もうちょっとまともな例を出しておくと、1912年11月12日に静止している船舶(これも艀)からアメリカ海軍パイロットのセオドア・G・エリソンがカタパルト射出に成功、どうやらこれが世界で初めて成功した船舶からのカタパルト発進のようだ。
そして、1915年11月5日にアメリカ海軍の装甲巡洋艦、USSノースカロライナ(BB-55 戦艦USSノースカロライナとは別の艦)からヘンリー・C・マスティン(Henry Croskey Mustin)搭乗のカーチスF型機が発艦、これは航行中の艦船からの世界最初のカタパルトによる航空機発進とされている。

MustinCatapult1915.jpg

ヘンリー・C・マスティン機が射出された瞬間。機体がブレて写っているのが迫力がある。
この写真を見てから、さっきのエアロドローム号発進の写真を見返すと無性に笑える。

なお、単純に航行中の艦船からの発進としては1912年5月2日に、イギリスの戦艦 HMS ハイバーニア からチャールズ・ラムニー・サムソンが離陸に成功しているが、この時はカタパルトではなく傾斜路での発進だった。

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HMS ハイバーニアから飛び立つチャールズ・ラムニー・サムソン機。この写真もシャープに写っている船体とブレている飛行機の対比がアクセントになっている。
機体はショートS.38改造機とされているが、どう見てもショートS.38と全然形が違っており(ショートS.38にはもっとはっきりとした胴体があるし、方向舵も2枚)、ショートS.38のパーツを使ったスクラッチビルド機なのかもしれない。

さて、ドイツでは船舶用カタパルトの開発は1916年に始まった。
ドイツ語版Wikipediaによると、ドイツ帝国海軍の技術者ヴィルヘルム・シュテイン(Wilhelm Stein)という人物が開発した、とされているのだが、この人物、検索かけても詳しい情報が見つからない(クルップ社に努めていた、ユダヤ人で後にホロコースト犠牲者となる同名の技術者がいるが、どうやら関係なさそうだ)。
なのでこのシュテイン氏の詳細は不明だが、第一次大戦後は航空機メーカーのハインケルに就職したようだ。おそらく、エルンスト・ハインケルが大戦中にハンザ・ブランデンブルグ(Hansa und Brandenburgische Flugzeugwerke)で水上機の開発を行っていた関係だろう。しかし、ドイツ機の話をしてると、このオッサン毎回名前が出てくるな。

1927年、おそらくシュテイン氏が在籍しているからだろう、ドイツ運輸省からハインケルに「客船用カタパルトと、それ用の飛行機作って」という依頼が舞い込む。
客船のカタパルトってのは空賊連合に襲われた時に迎撃機を上げるためのものではなく、名目上は「大陸間の高速郵便サービスのために」となっていた。もちろん、実際にはベルサイユ条約下でこっそりと海軍航空戦力を整えるための布石だったことは言うまでもない。
ハインケルではこのためにカタパルト射出専用郵便機「HD 15」と長さ21.5メートルでHD 15を4.9Gで加速し、時速105キロで射出できるカタパルト「K1」を開発する。

HD 15と K1カタパルトは海軍の隠れ蓑である民間会社で極秘裏に試験を繰り返されたようだが、試作機としての性格が強く量産はされなかった。しかし、1929年5月にカタパルトの実験を行っているのを知ったソビエト政府がハインケルへ接触してくる。
当時、世界から「危険な国」としてハブられていたソビエトとドイツはラッパロ条約で協力関係にあり、技術的な遅れを取り戻したいソビエトと新技術の大規模な試験場を求めていたドイツの思惑が一致、ハインケルはHD 15のレイアウトを修正し、銃座を追加するなどした発展型 HD 55 15機を、K1 の改修型であるカタパルト K3 2基と併せてソビエトに売却する契約を結ぶ(売却数は後に拡大された)。
ソビエトは購入した HD 55 を КР-1 (корабельный разведчик、偵察飛行機) として海軍で採用、カタパルトと一緒に艦船に搭載する。

752px-Heinkel_HD_55.jpg

戦艦(「セヴァストポリ」と思われる)砲塔上のКР-1。カタパルトがハインケルK3か、あるいは国産化したものかは写真の情報からでは分からなかった。
ソビエト海軍は最終的にКР-1を40機ほど調達している。まだまだ機体、カタパルトとも過渡期のものであり不具合も多かった(しかも、ハインケルは機体が要求値よりも重いのを誤魔化していたらしい)が、後継機になるはずのベリエフ Be-2をカタパルト射出してみたらもっと不具合が多かったので、結局ソビエト海軍では1938年ごろまでКР-1を使用していたようだ。
(その2へ続く)



参考ページ:
http://www.airwar.ru/enc/flyboat/hd15.html
http://www.airwar.ru/enc/other1/hd55.html
それぞれ写真複数あり。おそらく試験用のボート上のカタパルトとその上に乗った HD 55 が興味深い。
ちなみに「重巡洋艦「長門」のカタパルトはハインケルが作った」なんて不思議な事が書いてあったりする。

その他の参考ページは最終回にまとめて掲載予定。

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