FC2ブログ

Orel イタリア 重戦闘機 Breda Ba.88 "Lince"・中編

昼間は扇風機、朝夜はストーブが活躍するという不安定な気温の今日このごろ、花粉の攻撃もあり体調崩しがちな時期ですが皆様いかがお過ごしでしょうか。
ちょっとだけ本業に余裕ができてそこそこ元気な筆者のお送りする世界のカードモデル最新情報、今回も引き続きウクライナOrel社からリリースされた新製品、イタリア 重戦闘機 Breda Ba.88 "Lince"の紹介。

file1_20210214095338719.jpg

しみじみ思うのだが、イタリアの軍用機というのは、どうしてこんなにもカッチョいいんだろうか。そして、どうしてこんなにもカッチョいいだけなんだろうか。

前回のあらすじ:イタリア空軍がスゲー性能の重戦闘機が欲しいって言ったんで、ブレダ社がスゲー頑張った。

空軍からの厳しい要求に応えるため、設計はかなり無理のあるものとならざるを得ず、最終的に完成した機体は細くしぼった胴体と、大馬力エンジンの大きなナセルを組み合わせた特徴的な姿となった。
ブレダ社では特に軍用機としての頑丈さに気を使ったようで、モノコック構造が主流となりつつあった時期に、鋼管フレームに金属外皮という構造を選び、さらに鋼管も同心円状に組まれるなどやたらと複雑だった。
その結果、試作機の機体重量は予定の3トンを大幅に越えて4トン近くになり、早くもヤベー感じとなった。っていうか、重量が予定より30%以上重くなるって、最初っから計算がなんか間違ってたのでは?

そもそも不思議なのは、イタリア語版Wikipediaにある「12Gの負荷に耐える」という仕様で、これは何を意図して設定された数値だったんだろうか。イタリア空軍は最後まで複葉にこだわった格闘戦至上主義だったので、双発重戦闘機で格闘戦をやるつもりだったんだろうか。
ありがちなのはカタパルト射出を想定しての高負荷だが、双発機陸上機をカタパルト射出する必要性が思いつかない。あるいは将来、イタリア軍はカタパルト艦を大量保有するつもりで、全陸上機をカタパルト射出できるようにしておくという壮大な計画でもあったんだろうか。

そんなこんなで、なんのために設定されたからわからない負荷12Gに対応したら1トン重くなったという、この時点で不安しかない試作機が完成したわけだが、この時代の、ノリノリなイタリア航空界はそんなことではめげなかった。
試作機MM.302は1936年10月、同社のテストパイロット、フリオ・ニクロ・ドッリオの操縦で初飛行を果たす。

ドッリオは1932年にフィアットAS.1(水上機型)で当時の水上機高度記録を樹立するなどの功績を持つ優れたパイロットで、この、「予定より1トンも重くなっちゃった、ごめんご☆テヘペロ」な機体で1937年4月1日に距離100キロで平均時速約518キロという世界記録を立ててしまった。
エイプリルフールの嘘かと思ったら、4月10日には距離1000キロで平均時速約476キロを出して、これも世界記録。

調子にのって、ブレダ社は試作機のエンジンをイソッタ・フラスキーニK.14エンジン(空冷14気筒900馬力、フランスのノーム=ローン14Kエンジンのライセンス生産)から、コンプレッサー付きのピアッジョP.XI RC.40(1000馬力。原型はイソッタ・フラスキーニK.14と同じ)に交換してみたところ、ドッリオは1937年12月に距離100キロで平均時速約554キロ、距離1000キロの周回コースで平均時速約524キロと記録を伸ばす。しかも、この1000キロで524キロという記録は1トンのバラストを積んだ状態で出した記録で、これは負荷500キロと負荷1トンの1000キロ周回コース速度記録も同時に達成していた。

800px-NiclotDoglio_11.gif

あまり画質が良くないがWikipediaからの引用で、1942年7月、マルタ島攻防戦の最中に撮影されたフリオ・ニクロ・ドッリオ。ドッリオは同月27日、英国空軍に参加していたカナダ人(学歴のためにカナダ空軍に従軍を拒否された)、ジョージ・バーリングに撃墜され戦死した。写真の背景はマッキMC.202 "フォルゴーレ"戦闘機。この角度だと、ヘッドレストと風防の間に隙間があることがよくわかる。

比較対象として、コンセプト、初飛行時期とも似ているドイツのBf110を引っ張ってこようと思ったのだが、ダイムラー・ベンツDB600を積んだ試作型のスペックがどこにも書いていなくて困り果てた。
ただ、Bf110 試作型の最高速度がどんなもんだったとしても、肝心のDB600エンジンの性能が安定せず、しかも生産も全然軌道にのらないもんだから、仕方なく初期生産型となるA型、B型は代替えとしてユンカース ユモ 210エンジンを積んだら、ユモ210はかなりパワー不足で、これら初期型の最高速度はたったの時速430キロという、超ションボリ飛行機に成り果てた。

はああああぁぁぁぁぁぁ~~~~~~430キロ~~~~~~~~~~~?????
よwwんwwwひゃwwwくwwwwさんwwwじゅうwwwwwww
ぶっは、マジうけるwww Bf110って複葉機だったんですかぁぁぁぁぁぁ~~~~~~??
あ、単葉双発でその速度ですか、サーセン!
ないわ~~~単葉双発でその速度はないわ~~~~~~ww
ドイツさんも大変ですなぁ! と大喜びのイタリア空軍はMM.302をBa.88として制式採用する。
いや、別にイタリア空軍がBf110をディスってたわけじゃないんだけど、ついノリで煽ってしまいました。すみません。
まぁ、対立煽りはアクセス伸びるっていうからね。仕方ないね。

と、いうわけで、無事制式採用されたBa.88は、戦闘機なんで、あたりまえに武装が追加され、ブレダ12.7ミリ機銃3丁を機首に、さらに自衛用にブレダ7.7ミリ機銃1丁が旋回銃座に装備された。この旋回銃座の射界を確保するため、試作機で単尾翼だった垂直尾翼は、量産機ではなんか水平尾翼にぶっ刺したみたいな変な形の双尾翼となっている。まぁ、重戦闘機だからね、武装もしっかり重武装にしたいよね。
これらの装備の結果、機体重量は約4.6トンまで増加する。
……また機体重量増えたんですか。

いや、ほら、負荷1トンでも速度記録出せる機体だから(震え声)と、思ったら、この約4.6トンは何も積まない空虚重量で、ここにさらに弾薬と燃料と乗員2人と、戦闘爆撃機として爆装する場合は1トンの爆弾が加わって、全備重量は約6.8トンまで膨らんだ。
いや、そういうのって、テストの時にバラスト積んで実際の運用時の想定とかしないの? もしかして、想定したのが負荷1トンだったの? だったら1トン爆弾なんて詰めるはずないじゃん。

予定重量3トンの機体がうっかり4トンになっちゃって、武装したら6.8トンって、もう創意工夫でなんとかなる数字じゃなくって、完成したBa.88は最大時速490キロという、なんかすっげー地味な性能になっていた。

で、でも、ドイツのBf110君よりは高速だから、と思っていたら、Bf110は1938年に新型のダイムラー・ベンツDB601に換装したC型で一気に性能が向上し、はぁ? 最高時速540キロですが、なにか? と、見事に逆転されていた。
(後編へ続く)

表紙画像はOrel公式サイトから引用


参考ページは後編にまとめて掲載予定。
スポンサーサイト



テーマ : ミリタリー
ジャンル : 趣味・実用

本日更新休止のお報せ

本日体調不良のため更新休止させていただきます。
またのお越しを心よりお待ちしております。
昼間暑かったり、夜寒かったりで、調子狂いますねー

テーマ : 趣味と日記
ジャンル : 趣味・実用

Orel イタリア 重戦闘機 Breda Ba.88 "Lince"・前編

昨日の地震、皆様の方では被害等ありませんでしょうか。筆者の作業場では厚紙取るための山積みの空き箱が崩れたりした他、本棚から落ちた文庫本が当たったようでキ-98 の前脚が破損しました。っていうか、こいつ、そもそも前脚長すぎなのです。震電なんかもそうだけど、こんな脚が長い機体、仮に量産できたとしても、ぶっ壊さないで着陸できるパイロットを確保できたかはかなり疑問なのです。
そんなこんなで、本日紹介するのはウクライナOrel社からリリースされた、イタリア 重戦闘機 Breda Ba.88 "Lince"である。

file1_20210214095338719.jpg

第二次大戦中、世界の空で激戦を繰り広げたり、繰り広げなかったりした航空機の数々、その中でも屈指のダメダメさを誇る駄作機の中の駄作、いわば駄作機の頂点、Breda Ba.88 "リンチェ"が堂々カードモデル界に登場である。

あと、このブログって「Orel」の表記が全角だったり半角だったりして気持ち悪いことに、いま気がついたんですけど、今後は半角に統一するのです。でも、いまさら面倒なんで過去記事は見逃してください。すんません。

結末を知っている我々は苦笑するしかないのだが、戦前、イタリア航空界は世界でも最先端を走っていると考えられていた。
周辺国もそう思っていたし、イタリア自身もそう思っていた。
遡ればイタリア軍は1911年10月23日、伊土戦争で世界初の航空偵察を行い、さらに11月1日には世界初の航空爆撃(ジュリオ・ガボッティエーリッヒ・タウベ機で手榴弾を機上からトルコ軍宿営地に投げつけた)を行うなど、イタリアは航空機の戦力化に熱心であった。

1923年3月28日、ムッソリーニ政権下のファシスト・イタリアでイタリア軍航空隊は陸軍から独立し、イタリア王立空軍(Regia Aeronautica、レージャ・アエロナウティカ)となる。
イタリアファシスト政権の中核を担い、「ファシスト四天王」という、「ラーメン三銃士」みたいなアホっぽい字面の項目までWikipediaに建てられているファッショ政権4人衆の一人、イタロ・バルボは1926年11月6日に空軍大臣に任命されると、空軍の組織作りと威信を高めるための宣伝に奔走する。

418px-thumbnail.jpg

Wikipediaからの引用(以下この項、キット画像以外同様)で、1918年、停戦前に撮影されたイタロ・バルボ(写真中央、咥えタバコの人物。当時中尉)。第7山岳連隊「ピエベ・ディ・カドレ」大隊の中隊長としてパトロールからの帰還時。イタリア人は戦場でもダンディなのである。もちろんファシスト政権下での写真もいっぱいあったけど、この写真が一番カッチョ良かったので若いころの写真である。

イタリア航空界はバルボの指揮下、
1925年、6ヶ月をかけて達成されたフランチェスコ・デ・ピネードによるイタリア - オーストラリア - 日本 - イタリアの周回飛行(飛行距離5万5千キロ)
1926年、マリオ・デ・ベルナルディ操縦のマッキ M.39によるシュナイダー・トロフィー・レース優勝。
1928年、ウンベルト・ノビレ操縦の飛行船「イタリア」の極地探検(墜落により失敗。「SOS北極... 赤いテント」の題で映画化されている)
など、数多くの冒険を行い、その名を世界に轟かせた。
(バルボ自身も、第一次大戦では山岳兵として従軍していたのに関わらず自ら操縦訓練を受け、サヴォイア・マルケッティ S.55飛行艇での大西洋横断飛行を成功させている)

Aeroflot_Savoia-Marchetti_S55P.jpg

1933年に撮影されたサヴォイア・マルケッティ S.55飛行艇。双胴単葉、串刺し双発に3枚尾翼という非常に特徴的なスタイルで、カードモデル化が期待される機種である。
なお、イタロ・バルボは1940年6月28日、北アフリカで友軍対空砲による誤射で乗機が撃墜され戦死した。バルボはナチズムを嫌っており、ドイツと手を切って連合軍に加わることを再三主張しており、冒険飛行で国民に人気のあるバルボが反抗することを疎ましく思ったムッソリーニの命令で暗殺されたのだという説が根強く唱えられている。

もちろん、数々の冒険飛行は単なる宣伝だけが目的ではなく、新型機の性能テストの役目も担っており、さまざまな世界新記録を持つ機体が、次々に軍用機に改装されイタリア軍に採用されていく。
例えば、ロンドン - メルボルン間のエアレース用に開発され、1000kmと2000kmの距離で6つの世界速度記録を樹立したサヴォイア・マルケッティ SM.79、イタリア北部沿岸のモンファルコーネから紅海の入り口であるエリトリアのマッサワまでを26時間35分で飛行し、4,130 kmの水上機距離記録を樹立したカントZ.501、貨物1tを積んで10115mまで到達し、高高度飛行記録したカントZ.506などである。

800px-Cant_Z501_beached.jpg

カントZ.501飛行艇。水から引き上げられ、台車に乗せられているが撮影時期など詳細は不明。メインの胴体から分離してパラソル保持される長大な主翼、その中央にエンジンと銃座だけの短い胴体がつくという、これまた特徴的なスタイル。イタレリのプラモデルでメジャーな機体だが、筆者は箱変えバージョンを気づかずに購入して3機所有している。このように箱変えを別製品だと思って買ってしまうことを専門用語で「珍しい機種の模型を見かけて、この機種ってFROGの古いキットしかなかったから、新キットが出たのかと思って喜んで買って、帰って箱を開けてみたら中身はFROGだった」現象という。

このような輝かしい時代にソチエタ・イタリアーナ・エルネスト・ブレーダ・ペル・コストゥルツィオーニ・メッカニケ(Società Italiana Ernesto Breda per Costruzioni Meccaniche)、すなわち、あんまりにも長すぎるんで略してブレダ社で設計されたのが、試作機体名称MM.302、後のブレダBa.88であった。
この機体は1936年1月にイタリア空軍から提示された重戦闘機の仕様に従って設計されたものだったが、この仕様で要求されたのは最高時速530km、12.7mm機関銃4丁、もしくは20mm2門+12.7mm2丁の固定武装、片発でも離陸、持続飛行が可能であること、高度6000mまでの上昇に要する時間9分、航続距離2000km、さらに最大12Gの負荷に耐えられること、という非常に厳しいものであった。

例えば、最大速度一つ取っても、1937年12月に初飛行したマッキMC.200戦闘機の最高速度が時速約510キロだったので、実質これは最速の戦闘機を作れ、と言っているのに等しい。
よく似たコンセプトであるドイツのBf110駆逐戦闘機(初飛行1936年5月)の要求値が最高速時速400km/h、固定武装として20ミリ機関砲2門、防御用旋回機銃として7.92ミリ機銃2丁、高度6000mまでの上昇に要する時間15分、航続距離2000kmだったというから、イタリア空軍の要求値は良く言えば野心的、悪く言えばそんなもん達成できるわけねぇだろコン畜生、という値であった。
(中編へ続く)

表紙画像はOrel公式サイトから引用


参考ページは後編にまとめて掲載予定。

テーマ : ミリタリー
ジャンル : 趣味・実用

answer ドイツ 鹵獲車両改修戦車 Pz.Kpfw. 35R 731(f) ・後編

テレワークで在宅勤務になったらスマートフォンを見る習慣がなくなってしまい、予定表も見ないもんだから歯医者の予約をすっぽかしまくってる筆者のお送りする世界のカードモデル最新情報。ほんとごめんなさい。次回から気をつけます。
今回も、前回に続きポーランドのブランド、answerからの新製品、ドイツ 鹵獲車両改修戦車 Pz.Kpfw. 35R 731(f)の紹介だ。

pzkpfw-35r-731f_1.jpg

この、フランス戦車ルノーR35にソビエト戦車T-26の円錐砲塔を載せたドイツ戦車、というわけわからん謎戦車についてだが、前回はこれが「フランス戦車を装備してた第7SS義勇山岳師団「プリンツ・オイゲン」が現地で保有車両を改修したんじゃね?」というところまで推測を勧めた。
しかし、この推測には重大な欠点がある。編成完了後、ずっとユーゴスラビアで対パルチザン戦を戦っていたプリンツ・オイゲン師団が、いつ、T-26砲塔を入手したのかという問題だ。

ユーゴスラビアには1944年にソビエト軍が進出し、プリンツ・オイゲン師団も44年9月からソビエト軍と交戦を行っている。しかし、いくらユーゴスラビアが激戦地でないとしても、1944年に赤軍がT-26(もしくはBT快速戦車)を装備しているだろうか。また、逆に、損耗したら修理できない鹵獲車両(R35)が、フランス戦から4年後の1944年まで生き残っていただろうか、というのも疑問だ。

しかし、ソビエト軍は緒戦で大損害を受けた旧式戦車の残余を後方に大量に控置しており、例えば1945年8月、満州に侵攻した極東軍ではヨーロッパから主力戦車の移動が間に合わなかったため、千数百両という大量のT-26が配備されていた。
なので、ユーゴスラビアに進出したソビエト軍は共にドイツと戦うユーゴ・パルチザンに旧式戦車(T-26)を供与、これがプリンツ・オイゲン師団に鹵獲される。鹵獲されたT-26は足回りに損傷があったために、砲塔に損傷して数年放置してあったR35の砲塔を換装して、T-26砲塔のルノー R35が誕生した、というシナリオも、まぁ、ありえないではない。

もちろん、プリンツ・オイゲン師団自身がソビエト軍と接触する以前に、東部戦線の最前線から鹵獲されたT-26がいらねーから、と後方へ送られ、プリンツ・オイゲン師団に配備された、という可能性もないこともないが、鹵獲戦車、特に旧式車両は前線で使い潰されてしまうことが多く、あまり可能性はなさそうだ。戦車なんてすぐに故障するものなんで、鹵獲兵器を少数後送しても戦力として再配置することは難しいだろう。
その方向で推測するなら、むしろプリンツ・オイゲン師団のようなションボリ義勇軍に配備するために前線からまとまった数の鹵獲車両がかき集められた可能性の方があり得る。

例えば、1944年3月に編成された第21SS武装山岳師団スカンデルベク(アルバニア人義勇兵部隊)は義勇兵部隊なのになぜか脱出者が続出するという怪奇現象が発生したために使い物にならず、ほとんどプリンツ・オイゲン師団の一部として扱われていた。このスカンデルベク部隊に戦線から後送されたT-26で編成された部隊があり、その車両から砲塔がプリンツ・オイゲン師団に渡った、というシナリだ。しかし、公式にはスカンデルベク部隊はイタリアのM15/42戦車を装備していたことになっており、資料的な裏付けはない。
資料的な裏付けがなくてもいいのなら、ルーマニア軍のR35をオデッサでソビエト軍が鹵獲し、余っていたT-26砲塔を搭載、オデッサ陥落時にそれがドイツ軍に再鹵獲された、なんてシナリオもあり得るだろう。

そもそもの話として、たった一枚しか存在しないこの車両の写真が、模型やCGをデジタル編集した「フェイク」という可能性はないだろうか。
と、いうのも、T-26の砲塔リングは径が大きく、そのままではR35の砲塔リングに収まらないからだ。
CGや模型なら、砲塔交換はホイホイだが、実車でこれをやろうと思ったら、車体上面を切断して、砲塔リングごと切り離したT-26の車体上面と交換するという大掛かりな改造が必要になってしまう。リベット結合のT-26側はともかく、鋳造成形のR35の車体上面を切り離すのはかなりの大仕事だったはずだ。

しかし、同様の疑問を抱いた戦史ファン達が解析に挑んでいるが、合成の跡や、不自然な箇所を見つけることはできず、写真は暫定的ながら「本物の可能性が高い」と判断されている。
砲塔リングについては、そもそもこの砲塔は旋回できず、車体に溶接されていたのではないか、という説もある。この場合、左右に射界が全く無い主砲は実質使い物にならないので、この車両はR35砲塔より大きい砲塔容積を利用した着弾観測用車両、もしくは無線機を積んだ(表紙画像にあるが、写真でも右フェンダー前部にアンテナのようなものが写っている)指揮車両ではないか、という推測が成り立つ。

結局のところ、果たしてこの車両は実在したのか、フェイクなのか、実在したのなら、いつ、どこに存在した車両なのか、現状では全くわかっていない。
今後謎は解かれるかもしれないし、永遠に謎かもしれない。

pzkpfw-35r-731f_4.jpg pzkpfw-35r-731f_3.jpg pzkpfw-35r-731f_2.jpg

展開図の見本。かなり強めの汚し表現が入っているようだ。R35の車体は鋳造で角が丸いため、細かい切れ込みを丸く仕上げる必要があり、車体の工作にはじっくりと取り組む必要がありそうだ。なお、完成見本写真はない。

answerからリリースされた謎のドイツ鹵獲車両改修戦車 Pz.Kpfw. 35R 731(f) は、陸モノ標準スケール25分の1でのリリース。難易度は、この難易度表示、読み方わかんないんだけど、0~4の 2.5 ? なの? そして、定価は55ポーランドズロチ(約1800円)となっている。
謎車両ファンのモデラーなら、このキットを机上に飾り、戦場ロマン・シリーズばりの数奇な由来を自分なりに構成してみるのもおもしろそうだ。

画像はanswerショップページからの引用。

*定価はあくまでも現地で購入する場合の値段です。日本国内で購入する場合には輸送費などを考慮し、2倍~3倍程度になるとお考えください。



参考ページ:
https://tanks-encyclopedia.com/ww2/nazi_germany/R35_mit_T26_Turm.php
その名の通り、黎明期から現代まで、あらゆる戦車の情報を集めた”Tank Encyclopedia”から、T-26砲塔のルノー R35についてのページ。車両についての考察などは、このページからの引用。

テーマ : 趣味と日記
ジャンル : 趣味・実用

answer ドイツ 鹵獲車両改修戦車 Pz.Kpfw. 35R 731(f) ・前編

小泉八雲の「怪談」で有名な「雪女」。主人公が妻に雪女のことを喋ってしまい、正体を表した妻(雪女)に「誰にも話すなと言うたではないか」と迫られるシーンがクライマックスだが、あの場面で主人公に「いや、おまえ当事者なんだからノーカンやろ」とごねられたらどうするつもりだったのか、気になって仕方がない筆者のお送りする世界のカードモデル情報、今回はポーランドのブランド、answerからの新製品、ドイツ 鹵獲車両改修戦車 Pz.Kpfw. 35R 731(f)を紹介しよう。

pzkpfw-35r-731f_1.jpg

あれ? answerって、以前にカードモデルから撤退するって言ってなかったっけ? とも思うのだが、普通に新製品がリリースされている。欧州のカードモデル情勢は複雑怪奇なのである。
あと、answerの商品って、もともと公式でも画像が表紙画像一枚だけのことが多く、いまいち紹介しずらいのでこれまであまり当ブログに登場していなかったのだが、最近になって新製品の画像が増えてきたのでこれからは登場の機会も増えるかもしれない。
ちなみにanswerはもともと印刷が本職で、請け負っていた模型情報誌「Model Fan」にカードモデルの付録をつけたことがきっかけでカードモデルも扱うようになったようだ。

さて、そんなanswerからリリースされた今回の新製品だが、この表紙画像を見て「ふむふむ、カードモデルにもこの車両がやっと登場ですか。これは評価できますな」なんて人はなかなかいないだろう。と、いうのも、この車両、正体不明なのである。
「模型化された車両が正体不明とはどういうことか、それは単に筆者がモノを知らないだけではないのか」という意見もあるだろうが、まぁまぁ、そう焦らずに、まずはキット名の説明から始めよう。

万年車両不足のドイツ軍は鹵獲した車両を自軍に再配備する際の管理などのために、鹵獲車両に「Fremdengerät numbers(外国器材番号)」というのを振っていた。これは3桁の数字の先頭が種別(例えば200番代なら装甲車、700番代なら戦車、800番代なら自走砲)、残り2桁が識別番号、最後に鹵獲元の国が()内に表記される、という方式で、キット名のPz.Kpfw. 35R 731(f)なら、フランスから鹵獲した戦車の31番、名称35R ということになる。
なお、この識別番号は国ごとに振られているために重複があり、例えば733(f)はフランスのルノー D2戦車、733(i)はイタリアのL6/40軽戦車、733(r)はソビエトのT-40軽戦車だった。
(Fremdengerät numbersについては、「Encyclopedia of German Tanks of World War Two」(いわゆる「ジャーマンタンクス」)の補遺に表が載っている)

で、キット名の35R 731(f)というのは前述の通りルノー R35のことで、なるほど、バカでかい砲塔のせいで一見ソビエト軍の戦車のように見えるが、たしかに特徴的な足回りは間違いなくフランス軍軽戦車のものだ。

789px-Renault-R-35-latrun-2.jpg

Wikipediaからの引用で、イスラエルのラトルン戦車博物館に展示されている現存車両。この車両は旧フランス領であったシリアで、フランス軍守備隊が撤退する時に捨てていった車両をシリア軍が接収し、第一次中東戦争で使用したがイスラエル軍(正確には民兵組織)に再鹵獲された車両である。
なんか起動輪、誘導輪が戦時中の車両と異なるが詳細不明。

どう見てもこの車両とキット表紙の車両では砲塔が異なるが、それもそのはず、キットの車両の砲塔はソビエト軍軽戦車T-26の円錐砲塔である。T-26の円錐砲塔は良い写真がWikipediaになかったので画像なしである。
つまり、この戦車はルノーR35の車体にT-26の円錐砲塔を載せた車両なのだが、ドイツ軍ではこのような大規模改修が行われた場合には鹵獲車両でも新たな名称を与えており、例えばルノーR35の砲塔を撤去し、オープントップの戦闘室にチェコ製47ミリ砲を載せた自走砲は「4.7cm Pak(t) auf PzKpfw 35R(f)」という名称が与えられている。

じゃあ、このT-26砲塔のこいつの名前はなんなのよ、と言うと、公式の資料にこいつが存在しないので不明である。と、いうか、公式の資料に存在しないんだから、こいつは公式には「名無し」だ。
もちろん、公式の記録に存在しないから実在しないというわけではなく、鹵獲車両を現地で使い潰したり、鹵獲した旧式車両に現場で間に合せの改修を加えてなんとか戦力化するという試みは頻繁に行われており、当然、それらには公式名が存在しない。
それじゃあ不便なので、とりあえず、この車両の名前は「T-26砲塔のルノー R35」としておこう。

そして、この円錐形後期T-26砲塔を載せたルノー R35だが、不鮮明な写真が1枚しか存在せず(馬蹄形の中期T-26砲塔を載せた別のR35の写真がもう一枚存在する)、出典、撮影された時期、場所、全てが不明というミステリアスな車両なのである。
(出典がわからないので写真の引用はやめておきます。)

さて、このT-26砲塔のルノー R35は、いつ、どこに存在したのか。
残された写真ではドイツ軍の鉄十字が書き込まれているのでドイツ軍が使用した車両であることは間違いない(ルーマニアやブルガリアなど、他の枢軸軍が使用している車両ではない)。写真の背景は一般的な東欧風の風景で特定はできない。また、人物が一人も写っていないため、時期によって差異があった軍装を手がかりとすることもできない。

足回りのR35については、ドイツ軍は1940年、フランス降伏時に推定843両という、非常に多数のR35を鹵獲、もしくは接収していることが判明している。R35の生産数が1500両から1700両なので、半分がドイツ軍の手に渡ったわけだ。
このうち、131両が戦車操縦訓練に使用され、他の車両は自走砲へ改装されたり、装甲列車やトーチカの砲塔に転用されたりした他、バルカン半島での対パルチザン戦にも使用された。また、イタリアに少なくとも124両、ブルガリアに40両が供与されている(枢軸軍ではルーマニアもR35を使用しているが、ルーマニアのR35は戦前にフランスから購入した車両とポーランドから脱出してきたのを接収した車両で、ドイツからは供与されていないようだ)。

これを踏まえてT-26砲塔のルノー R35を保有していた部隊として有力視されているのが、第7SS義勇山岳師団「プリンツ・オイゲン」である。
プリンツ・オイゲン師団は枢軸諸国からゲルマン魂溢れるアーリア民族志願兵から構成された部隊だったが、熱意とカッチョイイ名前の割に装備のほとんどが鹵獲兵器というションボリした内情で治安維持にしか使用できず、大戦のほぼ全期間をユーゴスラビアでの対パルチザン戦で過ごした。
とはいえ、プリンツ・オイゲン師団は一応装甲部隊も持っており、その装備車両がソミュアS35オチキスH39、ルノー R35であった。

プリンツ・オイゲン師団はドイツ軍で最も大規模にフランス戦車を運用した部隊であり、したがってT-26砲塔のルノー R35も、プリンツ・オイゲン師団が手持ちの車両を改造したものだった、という可能性が高い。
しかし、ここで大きな疑問が新たに発生する。
プリンツ・オイゲン師団が、どうやってT-26砲塔を手に入れたのか、だ。
(後編へ続く)

表紙画像はanswer公式サイトから引用


参考ページは後編にまとめて掲載予定。

テーマ : ミリタリー
ジャンル : 趣味・実用

展開図公開中
最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
プロフィール

のとっちょ

Author:のとっちょ
カードモデル初心者が苦闘するさまをご覧あれ。

検索フォーム
おすすめショップ
リンク(順不同、敬称略)
RSSリンクの表示
QRコード
QRコード
製作進展中